2015年12月24日

大雨





今朝は小ぶりだった雨が、午後から大雨にかわり、服も靴もすっかり雨に打たれて、体に染み込み、寒い。バッグの中まで染みている。
今、フィラデルフィア美術館で、5時からの、好きなだけの支払い、を待ってカフェテリアにいます。
世界遺産地区に、行
くのをやめようと思ったりしながら、やはり。
それについては、写真が入れられないので、また、別にブログ入れます。
2ストリートの教会から、ついに、バスに乗りました。もう耐えられないほどの雨の中、随分待って、ファラッシュたいう、循環バスに。美術館の前まで行ってくれます。



このバスわ使えば便利だと書いてるけど、15分ごとなので、待てば長い。
初めて利用したしたのです。歩いた方が早いから。
お腹が空きすぎてたので、カフェテリアで、スープとクラッカーを食べました。ロブスターの味がして、少し辛いけど美しい。
ネットがフリーなので時間潰せます。
正規の料金を払うつもりで来たのですが、特別展入れて、25どる。受付で、展示室が多いから、特別展まで見る時間なえでね、と言つたら、明日も来れる?というので、今夜夜中に帰ると言った。
5時からだと、安くなるので、待っていたら?たいう。座っているのは、みな待っている人たちだつた。


あらかじめ、安くなるのは知ってたけど、遅く帰るのが嫌で、正規の20ドルは払うつもりで来たのだけど、特別展を少しだけでも観て、展示室も全部見ないで、主なところだけなら、待つ価値ある。お腹も空いているし、何か食べて。
オールドタウンで、美味しい店があって、
クラブケーキのベネディクトと書いている。たまらずに、中に。
ブラックファーストは、まだ食べられるかと聞いた。
いや、もうないよ、たいう。
クラブケーキのベネディクトが食べたいのだけど、というと、それは出してないとのこと。
お腹痛くても、食べちゃえ、と思ったのに、誠に残念。
土砂降りの雨だから、美術館の帰りに寄ろうと思った、フォールブースは行けない。だから、ここでロブスタースープで満足。




  

Posted by アッチャン at 06:32Comments(0)フィラデルフィア

2015年12月23日

Liberty bell,Iindependence hall






昨夜も明け方まで寝られなくて、11時半まで寝ていた。完全に時差ボケ。
ベッドは柔らかくて、寝付けない。腰にこたえる。お腹が時に痛む。
抗生物質が効かないのだろうか。ほとんど食べないようにしている。
明日は雨との予報なので、今日は、オールドタウンの方に行くことにした。
市庁舎は、四方八方の道に抜けるようになっている。サーカスをここに作った
のも最初だとか。



市庁舎を抜けて、旧市街の方に歩くと、センチュリー21、ロスの大きな建物がある。
マーシャルという店に入って、アルガンオイルを探すと、口が割れたのがあった。新しいのはないかと聞いたら、ストックはない。ディスカウントだ、会計に持っていけというので、会計に持っていきディスカウントだと言ってるけど幾らなの、と聞いたら、10パーセント。口が割れているので、油が外に漏れているのに、たったの10パーセントとは、アメリカは、おおざっぱ。
日本だと売り物にならないので、まず売らないだろう。アルガンオイルを探してしゃがんでいる間に、お腹がまた痛くてしばらく我慢。センチュリー21ならトイレがあるはず。



センチュリー21にもよってみたが、ギフト用にセットになった化粧品が主でアルガンオイルはなかった。ルイヴイトンが最終のバーゲンになって出ていたが、元の値段が日本よりもずっと高いから、そう安くない。円安だから、特に
それからまた歩いて行くと、チャイナタウンが左手に見える。チャイナタウンは見る時間がないだろう
インデペンデンスヴィジターセンターに入ると、チケットを入手と書いている。
どこに使うチケットかわからずに、私も並んだ。




Liberty Bell のある建物で、セキュリティーがあるから、そこから入れと言われて、チケットを受け取り、リバティ、ベルの建物に。リバティベルにまつわる説明があって、その奥に、ベルが飾ってある。
ベルがたどった歴史は、独立戦争の歴史。アメリカが英国の植民地だった頃、自由のシンボルとして作られた。火災にあって、再構築された。ジョージワシントンの誕生日には、必ずこのベルを鳴らす
アフリカオリジンのアメリカンが、奴隷から自由への道に、このベルは象徴になっている。
チケットはどこでいるのか、と思って聞いたら、インデペンデンスhallを見学するのにいるのだそう。




公演の先にある建物がそう。のんびりとベルハウスを見ていたので、チケットを見るとあと5分で入らないといけないことになっている。あわててそこを出た。
インデペンデントホールも、別にセキュリティーがあって、中に入ると、説明を聞く人たちが座っている。
説明は早口で全然理解できず。
そこから、皆並んで、インデペンデンスhallに入って行った。



独立を話し合った、サロンでもあり、独立宣言を果たした部屋もある。
そこでは、黒人、女性、アーミッシュも参加し、議論を交わしていた。
羽根のペンや、書き物、椅子が置かれた、会議室の部屋。
鉄砲部屋、ダイニングなどを見学できる。



ジョージワシントンが座っていた椅子、トーマスジェファーソン、ベンジャミンクランクリン
などがここに集って、アメリカをスレーブから自由の身に独立することを熱く語った。




インでペンデンスホールの向かいに、ライブラリーホールが見える、広い公園の一角に、いくつもの見るべき建物がある。カーペンターホール、フランクリンコート、最初の銀行など。
4時半になっていて、4時までのカーペンターハウス閉館していた。



その辺を、フランクリンコートを探して歩いたが、わからずに、オールドタウンの方に入って行った。
Besty Ross houseという家があって、そこが開いていたので、入った。






55歳以上がシニアで4ドルの入場料。
何もわからずに入っているので、入ってから、ああそうなの、と言う感じ。



このハウスは、アメリカの最初の独立宣言の旗を作った女性の家だった。最初は、周りを囲むように出来ていた。
彼女は、3度結婚して、二度目の主人がロス。彼は独立に寄与した商人。



ロスという店は、サンフランシスコにもあるのだけど、フィラデルフィアのロスは、歴史を思わせる格調ある建物で、帰り道に、明かりのデコレーションが綺麗だったが、それはきっとそのロスの建物ではないかと思う。
他にも、ロスの銀行だったか、商会だったかの建物もあった。




べスティーと結婚して、一年後に亡くなっている。家は、小さなクエイカー教徒としての粗末な暮らし。べスティーは良く働く女性だった。
アメリカの独立宣言は、全ての人間が奴隷状態からの解放を歌い、自由で平等であるという理念に基づいている。
自由の鐘は、その誇りであり、シンボルであり、誰もがその鐘を鳴らさねばならないという信念を持っている。
それがあるからその信念はあるから、今のアメリカがあるのだ。
その道は、宣言後も、厳しかった。
リンカーンが、奴隷解放を宣言してからも、隷属状態は続いた。黒人は差別されてきた。キング博士が凶弾に倒れ、ケネディー大統領がダラスで暗殺された。




今でも、アメリカのどこかで、正当な扱いを受けていない人達がいる。
だが、その原点に、フィラデルフィアで、奴隷状態からの自由平等の宣言を打ち立てた、そのアメリカン精神が、生きているから、少しづつではあっても、自由平等の精神は浸透していっている。原点、つまりルーツが、自由と平等を歌っているから。
帰り道に、バーリンガムという巨大なストックがあって、そこでアルガンオイルを探した。
執念のようなもの。身体はくたくた。歩いて帰るだけの体力が残っているかとも。背中は洗濯板にように張り付いている。
あった。100パーセントアルガンオイルが。
7つ、あるだけ買った。



アルガンオイルは、ビタミンEが豊富で、保湿に優れている。
フィラデルフィアは、アウトレットストアが沢山ある。ホテルの向かい、ホテルの横にも。
フィラデルフィアは、衣服と靴が免税なのだそう。買い物一杯の人を良く見るが、他から、アウトレットで買いに来るのかもしれない。
町は浮浪者も目立つ。凍てつくような寒さの中、路上で物乞いをしている人達が目立つ。白人の人達が浮浪者になって、物乞いをしている。若い女性がいる。黒人はいない。
黒人も沢山いる。働いている人達。ホテルの客も、いろんな人種の人が泊まっている。ビジネスで来る人も多い。




ホテルに帰りついたのは、夜の9時半だった。
ロビーに置いているスナックは、今日はオリーブと、サルサとビスケットだった。ほとんど残ってないが、私は食べられない。りんごがあれば、と思っていた。昨夜もらったりんごが美味しかった。
部屋に戻り、やれやれで、昨日の残りのパンとスープで粗末な夕食。
抗生物質を飲んでいるから、ワインは飲めない。捨てることになりそう。
美味しいレストランを何軒か見つけていたけれど、何処にも行けないのが、残念。
ホテルで水は無料で提供してもらっている、レンジがと冷蔵庫があるので助かっている。
今日は気温が上がって、ダウンを着て歩くと、汗ばむほどだったが、部屋にいると、体が冷え込んでくるのがわかる。


  

Posted by アッチャン at 15:02Comments(0)フィラデルフィア

2015年12月22日

バーンズ、コレクション




昨日は、水だけでお腹を干しても、痛くて我慢できなくて、ついに抗生物質のお世話に。持ってきた、ホカホカカイロを下腹にあてて、着こんで寝た。シャワーは延々20分以上。
夜中、熱が出てきて、2時間ほど寝たら目が覚める。その後は寝られなくて、部屋に暖房を入れたので、乾燥がひどくて、のどが渇く。暖房を止めても、昼間つけたまま出てたので、乾燥している。
5時くらいになって、寝付いた。起きたら11時を過ぎた頃。
今日は、ホテルから出ないで、休んでおこうかと思ったけれど、バーンズコレクションを見に出かけた。
食べていないので不安だった。お腹も痛むが、昨夜ほどではなくなっている。時々、差し込むような痛さが起こると、耐えるのに必死。
バーンズコレクションは、今は、市内の、フィラデルフィア美術館の近くにある。
以前は郊外だったとか。
歩いて、15分くらいで着いた。バーンズ美術館のそばに、WHOLE FOODSがある。
良かった。帰りにスープを買おう。




バーンズコレクションは、アルバートC、バーンズが収集して作り上げたコレクションで、
フィラデルフィアに1872年に裕福ではない家庭に生まれた。ペンシルベニア大学に学び、医学科学者。卒業後、医薬品開発会社を立ち上げ、開発したアジロールという薬で巨万の富を得た。その財力で、印象派のルノワーに、最も傾倒が深く、180以上の、秀作を手に入れている。ルノアールの次にセザンヌの作品も多い。
悪魔の収集家と言われた、バーンズ。印象派か後期印象派、キュビズムなど幅の広い収集をしているが、好みがはっきりしている。
セザンヌとマチス、セザンヌとピカソ、ルノアールとセザンヌ、アンリルソーとユトリロ、など、画家と他の画家との共通項を探して、一緒に飾っている。アンサンブルと呼んでいるもので、
鉄の日常使う道具と、絵画を一緒に飾り、また、グレコが印象派の絵画と並べることで、絵画の時代と、求めるものが、決して分裂されていないということを強調している。




更に,アフリカで収集した仮面を、ピカソの絵画やマチスと並べて、アフリカからの影響を示している。
アンリルソーの絵画が、これほどあるのを初めて見た。20点近くある。
ルソーの絵画好きな従妹が喜ぶだろう。
ゴッホの絵画は、普通に描いた作品ばかり。郵便配達人も何度もゴッホは描いているが、初期のものだろ思われる。裸婦があるのに、驚いた。ゴッホはモデルを雇うお金がなくて、苦労して貯めて、この裸婦を描いた。美しい裸婦ではなく、ありのままに描いた裸婦。




ピカソの絵画は、20の頃、青の時代の絵画を好んだ。浮浪者、という絵は、貧しいながらも、パンとワインをテーブルに置いて、プライドのある姿で描かれている。アルルカンの親子。ピカソと友人が同じ女性を愛し、その友人が断られて自殺したという、その愛人をモデルにした絵画。ピカソを友人の自殺後、彼女を連れて、プロバンスに移住した。
マチスの絵画も多い。マチスの「ダンス」という、パリの近代市立美術館にあるものの小さいものが、二階の回廊からも見える壁に描かれている。
モネの作品が4点しかなかった。面白いのは、モネが絵を描くのに、使っているボートの中のモネを描いた小さな絵画。モネの代表作の水連はなかった。




ルノアールの絵画はいくら手に入れても足らないというくらい。
モジリアーニの絵画も10枚くらい。スーチン、パスキン、アフリカの画家のものや家具調度。
絵画は、色と形と線と空間が最も重視される。絵画を科学として捉えている。
45歳にして、再び大学に戻り、勉強した。
館内は撮影禁止なので、撮れない。











スーチン、パスキン、ドーミエ、ミロ、などの絵画のアンサンブルの展示の中で、溶けこんでいる。
素晴らしい絵画を沢山見せてもらった。邸宅の美術館の収集品はすごいものがある。贅沢な喜びに満ちている。
入場料は、シニアで20ドル。





5時の閉館までいて、WHOLES FOODSに行った。
通常のものは食べられないので、スープを買った。小サイズの巣類の違うのを二つ買った。
この店はオーガニックを扱っている。決して安くないが、安心して食べられる。味も美味しい。
クロワッサンがあるので、欲しいと思ったが、バターなのでやめた。
クロワッサンも、ホテルの近くのコーヒーのカウンタ店では500円だった。フォールフーズでは、250円。何もないパンを一つ買った。
ホテルまで歩いて帰る。今朝は寒かったのに、和らいでいる。




ホテルに帰って、スープとパンを半分食べたら、元気になった。美術館には、各部屋にソファがあるので、そこに座りながら見られたのがありがたかった。




  

Posted by アッチャン at 14:46Comments(0)フィラデルフィア