2016年10月09日

ガラス工芸




ガラス工芸教室に行きました。
ガラスの切り方も習って、うまく切れるようになりました。
友だちから、指輪を作って、というリクエスト。
素敵な指輪ができました。
指輪が2つ、もっと作ればよかった。
髪留めが出来上がっていました。



久しぶりに、友人とお寿司屋さん。生魚はたへないようにしているのですが、最近は少し食べるようになりました。これくらいならいいかなと、自分に甘くなつて。まともと大好きなお寿司でさから。
安くて美味しかった。
ビールをちょっと。働いた後のビールはかくべつ。あと、コナミで50分の水中歩行。  

Posted by アッチャン at 01:18Comments(0)art

2016年09月20日

吉田堅治が残した平和への願い




東京に行けば、吉田さんの絵画を見せて欲しいと思っていた。今回は、2日泊まりになったので、吉田さんの娘さんにお電話して、絵画を見せていただきたいと申し出た。
急なお願いにもかかわらず、快く私の願いに応じて下さった。
吉田さんの絵画は、パリから、日本に持ち帰って、倉庫に保管されている。
パリの倉庫とアトリエにあった、膨大な数の作品は、一貫して、平和への祈りがテーマになっている。
画伯の仕事は、 命を削りながら、1日の大半を絵に向きあい、神から与えられた命を燃やし尽くす作業に没頭されて、その軌跡が絵画として残っている。
遺産として受け継いだ 娘さんは、吉田さんの平和への祈念を受け継いで、平和を語り合い、平和を維持するために、美術館や図書館、公共の病院などに、寄贈に力を注いでおられます。
通常の 人間では、考えられないエネルギーと仕事の結果遺されたものは、気の遠くなるほどの気力と情熱を、遺されたものに要求していることを、現実を拝見して思います。
修復を勉強しておられるそうです。キャンバスに張らずに巻いた状態で、日本に 落ち帰っていた作品は、吉田さんが、残して置きたいと思われた力作ばかり。
これから、それらをキャンバスに貼る仕事もされるわけです。
吉田さんは、池田の人で、大阪人なので、生前、大阪の天王寺美術館に納めることを、希望されていました。
新しい現代 美術館が出来るのは4年後。そこに、吉田さんの絵画を、常設で おることが出来るコーナーが出来ることができればと、私も願っています。



広島 美術館に、吉田さんの絵画を要望されているようです。広島、長崎は、平和のシンボルとして、吉田さんの絵画が、人々の眼に留まり、会話を生むでしょう。
争いを避けることができるのは、人々が語り合うこと、語り合い、互いの違いを 理解し、寄り添う優しさを、いたわりの心に触れ合うことによって、戦争を避け、平和を維持することができる のです。
語り合うことなく、沈黙していても、同じ方向に向かっていれば、争いにはなりません。絵画はそのために存在するのです。
何かしら、と問いを投げかける絵画。美しいと見惚れる絵画。悲しみを包み込む、悲しみを表現する絵画。面白いと笑わせる絵画。
平和を願う表現法は、言うまでもなく、多種多様に渡っています。吉田さんは、絵画を通して、生命、を表現されています。
見てもらうこと、そして、何かを感じてもらうこと、そのための空間が、美術館であり、公共の 場であり、人が見る場なのです。




  

Posted by アッチャン at 01:26Comments(0)art

2016年09月13日

ガラス工芸





ガラス工芸を始めて、二回目。
素敵な作品が出来ました。

前回作ったお皿です。

箸置きも、夏らしい爽やかな出来上がり。
我ながら、大満足です。
今回は、箸置きをたくさん作りました。




不器用なのですが、慣れてくれば、どんどん作れるので、これは、そのうちに、作品を売れるかも、なんて。



でも、お仕事となると、同じものを明けてもくれても作ることになります。
仕事にしている人に頭が下がりますが、飽き性の私にはとても無理だろうな。

老人ホームとか、施設に入れられたら、髪の毛を切られるからと、長髪の友人に、喜んでもらえるか
なと、作った髪留め。

もう一つ、まだ焼いてもらっているものがあります。
バネット、とかいう長い髪留め。
でも、考えてみれば、そういうこという友人が、まだ他にもいる。



髪は、女の命だと言って、昔から長い髪が自慢だった。
女性らしいなあと思う。


母の施設にいる入居者も、ほとんど髪が短かくなっている。
美容院が出張しているので、好きな髪型にしてもらえるけど、公的な施設や、病院に入院している人は、短かくされて、男みたいになっている。
そういうこと考えたことなかったけど、長い髪を大事にしている人の気持ち、わかる。



  

Posted by アッチャン at 11:58Comments(0)art

2016年06月03日

ピカソ展





阿倍野ハルカスで開催中の、ピカソ展を見に行きました。
朝、オペラグラスがないのに気がついて、劇場に電話したら、落し物は、すべて、防災センターに行っているといわれて、そこに電話しました。
似たような物はあるけど、見に来てくださいと言われ、ピカソ展に行くのに、友人と約束していたので、まず、そちらに行き、ランチを食べておしゃべりは早い目に切り上げ、これから、京都に取りに行く所。



ピカソ展で、興味深いのは、ピカソが、他の画家の描き方を真似て描いている作品が幾つも見られたこと。
ロートレックや、ゴッホ、マチス、そっくりな絵画が。
代表的な作品は何もないけど、企画も面白くて、小さな美術館としては、工夫が凝らされている。
もう一つ、興味を引いたのは、版画。沢山で出てて、貧しい食事、を改めて見ていると、ピカソの凄さがわかる。
吉田さんと同じ
版画工房に通っていたのは、吉田さんから聞いていたので、なお一層。
阿倍野のホテルにあるラウンジで、ランチ。



サラダとスープは、食べ放題。パスタと、ケーキにコーヒーは、お代わり自由。ワインを一杯追加で、2000円。
食べ過ぎ。
阿倍野から、環状線で、大阪駅に。そこで降りて、金券ショップに行って、昼間特別のチケットを買い、また、駅に戻った。
チケットを先に買っていたら、阿倍野から、そのチケットは使えたのだけど。
京都までは、大阪からジェイアールが、早くて便利。
昼間のチケットを買えば安いことがわかつた。京都劇場に行くのに、阪急で梅田まで来て、ジェイアールに乗り換えたら、とても早く京都に着いた。
通常は高いのに、昼間の特別チケットは、金券ショップで、380円で買える。平日は、10時から、17時までに、改札を通れば良い。土日は終日使える。阪急だと、烏丸まで行って、地下鉄に乗り換えて京都駅に行くことになって、時間も費用も同じくらい。
河原町には、阪急、京都には、梅田乗り換えのジェイアールが便利。

  

Posted by アッチャン at 16:52Comments(0)art

2016年05月14日

禅、心から形へのアート





京都博物館で開催中の特別展に行きました。
ダイナースクラブの情報誌で載っていて、行きたいと思っていたのです。
ずっと忙しくて、母の再手術な懸念もあって、いつ行けるかわからなかったのですが、幸い、手術はしなくてよくなり、時間ができたので。
混んでるかなと覚悟して行ったら、案外空いてて、ゆっくり見ることができました。
お昼は、祇園の、志津屋で、カツサンドセットを。



とても美味しくてボリウムたっぷり。
コーヒーがついて700円は、すごくサービスしている。
コーヒーも美味しいし、絶対のお勧めの店。
祇園からは、博物館まで、沢山バスが出ているので便利です。
国宝や、重要文化財が、沢山出ていて、1時間ほどのつもりが、2時間たっぷりかかつた。建仁寺の住職さんのお話が、何回か時間制であつて、帰る時間に始まるところで、それも聞けて良かった。

禅のクジで引いた棒に色が付いていて、出てきた教えを書いた紙をもらってそれを毛筆で書いて、説明してもらえるというイベントに参加したら、私が引いたのは、一休和尚の言葉で、悪いことをない、良いことをすなさい、という意味の言葉だった。
悪いことしているかな、と反省したら、大食いだ、夜更かしだ、と思い当たる。
ダイエットしなくちゃいけないのに、つい食べすぎて後悔ばかり。
良いこともしないけど、悪いこともしないなんて思ってたけど、悪いことしている。
単純な教えだけど、ズシンときた。
実行するのはむつかしいですね、とあとがきがある。
説明してくれた人が、ついでに、と言って、仏像の目入れを体験するイベントに案内してくれた。
入れ方によって、顔が変わるそうだ。
私が教えられた通りに入れ直すと、柔らかい柔和な顔になって、案内人は良い顔だと言ってくれて嬉しかった。


記念に、写真を撮ってください。一緒に写しましよう、と言われたが私の写真はいらないと断った。
微笑んでいるようなお顔。前に入れか人は、厳しい顔だった。同じ目で同じように入れるのに、不思議。
それからは、仏像の光る目が気になって注意しながら見た。
臨済禅師1120ねん、白隠禅師250年の記念特別展。仏は心の中にある。
言葉にできないものを形に表すという形が、絵であり、茶道、武道に。
禅は問答で、お経はない。黙祷と座禅。
アリストテレスや、ソクラテスの問答と同じだなと思う。禅は哲学だ。
今を心安らかに生きるための哲学だと思つた。



完全を丸で表すことはよく表現されることだけど、その中の小宇宙が、個人の点で表した絵を見て、天、つまり完全な宇宙の中の点なので、点と天は同じだと思った。天の欠けた存在としての私が存在する。私がなければ天は存在しない。天がなければ私は存在しない。だから、私の中に仏がいる。仏の心で生きることは、すなわち善を行うこと。
なかなか実行はむつかしいですね。



  

Posted by アッチャン at 13:56Comments(0)art

2016年05月08日

福井敬、リサイタルと母の日




去年と同じく、福井敬のリサイタルが梅田のフェニックスホールで。
去年よりも、さらに声量が素晴らしく、
ホールに響きわたって、ますます充実した歌唱力を発揮されているのは、驚異的。
このところ、宮崎の音楽祭や、東京などのリサイクルがずっと続いて、多忙で引っ張りダコの様子。精力的に活躍されているよう。
オペラ好きの小泉元首相が、ラマンチャの男をリクエストしたけれど、入ってなくて、小泉元首相がマイクを取って歌い出したとか、エピソードも。



待っていた、福井敬さんのリサイタル。
会場に集まったファンは、皆さん、とても幸せそう。







ランチは、フランス料理。美味しかった。プレシアターに、プチ贅沢な優雅。
帰りにコナミに寄った。塚口のイカリにホールがあって、毎年、オペラの会が催されているそう。関西のオペラ歌手を招いて。
お料理とワインも込みで15000円だとか。
オペラ好きの人がそういう会を運営しているそう。

ワインを呑み放題で、愛蓮の中華がふんだんに振舞われる。
福井さんの、後の会は、去年、アルコールなしで、食事もあまりなくて、今年は友人がやめるというので、私も一人で別れては出来ないのて参加しなかつた。
会費は6000円。主婦には安いお金じゃない。
コンサートは、4500円。
2500円のランチ、
リサイタルを聞いて、あと、西村屋で、コーヒーとケーキで、ダベリングが、主婦の贅沢の限度かな。
今朝、花が届いた。息子からの、プレゼント。
早速電話した。
先日、送った食料品の話のついでに、3月の終わりに送ったプレゼントがついていないのではないかとそれとなく聞いた。お礼の催促するみたいで、何も言わなかったのだ。
やはり、紛失していた。
いつか、ポストオフィスから、紙が入ってたので、管理室に行ったけど何もなかったことがあるという。一月以上も前のこと。
残念だけど、私のミス。
保証付にしなかったから。
好き好きがあるので、化粧品が良いと思って、ファンデーションなどをセットにして送ったもの。
食料品もつかないかもしれない。それも、送り賃を節約して、小型
包装物て送った。アメリカは、割合大きいサイズまで、小型包装物になる。
運賃は、EMSと、1500円くらいの違いだった。
これからは、保険付きにする。







  

Posted by アッチャン at 10:18Comments(0)art

2016年04月18日

木村伊兵衛写真展





パリの残像、と言うフレーズに惹かれて、京都のエキ美術館に。
待ち合わせは、四条河原町。
美濃吉でランチして、河沿いを歩いた。
八重桜が満開。残りザクラの花びらが、河を流れていく。
光を受けて、キラキラ輝きながら流れていく。
友人が好きだというハナミズキ、白やピンクの可愛い花をつけて揺れる。
美濃吉のお料理は、タケノコの季節。
いつ行っても、同じように美味しくいただけるのは、嬉しいけれど、河沿いに歩くと、知らない店にも惹かれる。


いつも同じではなく、変わった店も味わいたい。
会員になると、ドリンクサービスなので、値段も手頃な美濃吉のお弁当になつてしまうのだけど、サービスで、客の固定化が図れるので、美濃吉としたら、浮気なお客さんを引き止められる効果がある。常連さんは、江戸っ子気質にあつているが、大阪人は、好奇心が強くて、義理よりも、自分の楽しみや、味の多様を優先するように思う。

京都駅は、ほとんど足を運ばない。京都劇場は、ここにあった。
海老蔵の、源氏物語が観たかった。
一度観たから、チケット買うのを控えて節約した。
歌舞伎役者の優先は、玉三郎と猿之助。
あれもこれもの余裕はない。



さて、肝心の、パリの残像。写真展なので、知らないパリの風景を沢山見られるかと期待したら、1954年と1955年を写したものばかり。
吉田さんや、従姉妹がいた、70年代、80年代のパリの写真はなかった。
木村伊兵衛は、1974年に亡くなっているし、パリを訪ねたのは、その2年だけ。
写真はどれも楽しく見た。ゴブランの地下鉄駅。リュクサンブール公園、チュルリー、シャンゼリゼ通り、サンマルタン運河。カフェ。街並みと、そこに生き生きと暮らす庶民。
郊外のブロアへやの道、ジャンポールの禅画のような、白と黒に霞む田舎の景色。
木村伊兵衛は、パリに来て、思想や哲学に触れたことが収穫だったと語っている。



  

Posted by アッチャン at 17:09Comments(0)art

2016年01月17日

モランデイ展。県立美術館





ジョルジョ、モランデイ。
メトロポリタン美術館で、モランディという画家の作品が、階下のギャラリーで、特別展示されていた。
わたしはすっかりその画家の作品に魅せられた。具象だが、抽象的な作品は、絵画ではないものを描いている。




アース色の、色ではない世界、形ではない世界、自然の中に、溶け込んでいくような、冬のベネチアを思い出させるような作品に、私は、溶け混んでいく自分を感じていた。思索的、ポエムの世界。
その画家の作品が、県立美術館に来るので、行きたいと思っていた。




私の興味ある展覧会には、チケットを送ってくれる友人に、モランデイの展覧会に行きたいとメールしたら、彼女は知らなかった画家だと言って、早速送ってくれた。
今日は、震災記念日。メモリアルデイの歩きをしている、団体が、次から次に、王子公園からやつてくる。
友人を待っている間、ここで、たくさんの人が亡くなったのだろうと犠牲になったたくさんの未来ある人達のことを思っていた。
モランデイは、ボローニャに生涯暮らした。1964年没、74年の生涯。
モランデイ美術館の協力で、若い頃から晩年に至るまでの多くの作品が見られ、画家の思索的変遷が見られる。形の本質に迫ると、抽象に至る。自然の中に、私達は、溶け混み、自然の一部として存在する。
なんとも魅力的。好きな絵、この最も単純な、印象こそ、物の本質に触れているのではないか。






心の空白を包み込み、言葉では語れない感動を呼ぶ作品。絵画の奥に広がる宇宙と、私という小宇宙が、溶け込んでいく。  

Posted by アッチャン at 16:54Comments(0)art

2015年11月05日

松野真理展





 毎年、この時期だけ、北野坂を上がっていく。
一年の時間で、新しい店が出来ている。
北野坂gallerまでの、坂道もきつんくなってくるのかな、と
考えながらJ歩いていた。
真理さんのお母さんは、この坂はもう無理じゃないかしら。





車で来られるから大丈夫、と思っていたら、前に真理さんの
お母さんが片手に杖を持って立っておられる。


こんにちわ、と声をかけたら、坂道を上るのに、立ち往生して
おられた様子。
腕を取って、一緒に歩くと、坂を上がることが出来た。





偶然だったのだけど、吉田さんが引き合わせてくださっているような
気がしました。

お母さんにとっても、真理さんの個展は、生きがいになっておられます。
個展を続けられるように、100歳まで生きますとおっしゃる。
毎日、欠かさず、ギャラリーに来られて、旧知のお友達と話をするのも楽しみ
のご様子。

毎年、とても賑わっている真理さんの個展、伺った時も、沢山の人が
次から次に。

真理さんの個展が人々の交流の中核をなしているのがよくわかrます。





私もおじゃまし、初めてお会いする方々と、旧知の仲のように、
フランクにお付き合いさせていただけるのも、真理さんのお友達だから
だろうと思います。

いつもリラックスして、話すぎるのですが、アメリカからすずっと気が張ってたようで、
帰り道、母に会いに行き、家に帰って来ると、眼がしょぼしょぼ。
毎朝、6時には目が覚めてしまうで、夕方には、疲れを感じます。

 昨夜、熊本から帰って、撮りためてあった、ビデオをみながら、途中居眠り。

北野坂ギャラリーで、日曜日まで、開催しています。
素敵な作品の冊子をプレゼントしてもらえますよ。


   

Posted by アッチャン at 22:03Comments(0)art

2015年10月19日

パウルクレー展



兵庫県立美術館に、パウル、クレー展を観に行きました。
友人からもらったチケットで、時々、兵庫県立美術館に行くのが、楽しみになっているのでさが、クレーは、私の好きな絵なので、特に。



お天気も良く、兵庫県立美術館は、いつも空いているので、ゆっくり絵画を鑑賞できるのも好きなのです。
観たことのない作品が多くて、ずいぶん沢山出ていて、ラッキーな機会に恵まれました。それに、時代別に、作品の変遷もわかります。
晩年の作品は、怖いくらい恐怖感が表れているのもあります。
最後の、アトリエに残された絵画は、ムンクの叫びよりも怖い。
クレーは、中間の時空に存在しているのだと、自ら語ってきます。
私も、現実の世界に根を張ってなくて、フワフワと浮遊しながら、生きているようなものだし、中間に存在しているのかも。
常設展は、季節で入れ替えがあるので、毎回見るようにしています。




この美術館は、私が、学芸員資格を取るときに、実習でお世話になります。そのときに、金山平三展が開催中で自然の風景が素晴らしいのに感動しました。
新しい美術館に変わって、常設で何点かいつもむるのですが、何点か入れ替えがあって、楽しませていただきました。


佐伯祐三の、神戸よ風景や、中西勝の作品、横尾忠則など、楽しめます。




  続きを読む

Posted by アッチャン at 09:30Comments(0)art

2015年08月06日

吉田堅治展、みうらアート




堀江に、その美術館はあります。松山から、鈍行列車の、今は単線で、走っている電車は、無人駅です。
こんな所に美術館があるのが不思議だつたのですが。
現代アート美術館で、アートのある庭空間も素敵なので驚きです。


みうらアートアートは、テレビで紳助が盛んにコマーシャルを流していた、三浦工業の美術館で、工場の近くにあります。
社長が、自身のアート作品を収めるのに、本格的な現代アートの美術館を作ったよう。


吉田さんの絵画は、良い空間に選ばれて、一際その輝きを放ち、圧倒的な存在感を示しています。
吉田さんの、声が聞こえて来そう。
どうだ、これはなんだと思う?
なんのためにこんなことやつてるのか。



そう、吉田さんが絵画という形を借りて、訴えて来るものは、命そのもの、生きている命のかがやき。この絵画を媒体として、語りあうことの出来る平和の和であり話なのです。
美術館の方は、観に来た人達が、感動して帰られると言われ、私が交流があったことを告げると、羨ましいと言われました。


吉田さんを知らない、多くの人が、吉田さんに会いと思われる。
吉田さんの仕事を観て
感動して、そう願われる。吉田さんは、作品の中でその存在感は益々輝きを増しています。
来て良かった。吉田さんに会えた。
生きている吉田さんに会えた喜びにしばし浸りながら、寂しさもよみがえる。
新しいビデオが出来ていました、
止まってはいけない。止まっているのは、後退しているのと同じこと。


生きている私は、命の限り、動いて、まだ見ぬ未来へと、模索し、苦しみながら進んでいかなくてはいけない。
吉田さんのしことを観て、改めてそうおもいました。
鎌倉の鶴岡八幡宮に寄贈された、沢山のさくひんが、今回の展覧会に貸し出されています。良い作品ばかり。20点ありました。

日浅和美さんの、吉田さんを偲ぶ言葉も素晴らしい。
吉田さんの生を的確に捉えた、素晴らしい文章に、立ち止まって深い感慨を覚えました。







  

Posted by アッチャン at 23:34Comments(0)art

2015年05月18日

堀文子展

 

         

  いただいたチケットで、昨日、兵庫県立美術館に「堀文子展」を観に行きました。

 神戸まつりと重なって、空いてるのではと期待した通り、館内は人が少なくて、

 ゆっくり絵画を鑑賞することが出来ました。

 岩屋で友人と待ち合わせて、とんかつ屋さんで、昼食を。これまで客のいない店だったのに、

 神戸まつりもあってか、店内はほとんど満席。 

 私一口ひれかつを注文。人形町の話題に。この店の一口は確かに一口で、 値段は1280円。




 この店も、関西では、安くて美味しいと思うが、人形町の「伊勢」を知っている私とすれば、江戸っ子の
下町に粋で、気風の良い伊勢のとんかつは、すがいな、と思う。

味噌汁が、しじみ入りの香りの漂うもので、ご飯が美味しくて、キャベツとご飯はお替り自由。キャベツにかける
ソースがオリジナルで美味しい。ヘレは溶けるくらい柔らかくて、750円という、気風の良さ。

以前は、岩屋にトンカツ屋さんで大満足だったけど、あの味を味わった今では。

 堀文子展は観たいと思っていたので、チケットあるけど、と電話で言われて、「欲しい」と言ったつもりだったのだけど、

 なかなか届かなくて、まだおあれば欲しいと申し出たら、あるわよ、と持ってくれたもの。疎通の行き違いだったよう。

随分沢山の絵画があって、どれも迫力のあるもの。





若い時のだんったんで本望な描き方から、30㈹の絵画では、頭打ちの時期がみられ、行き詰っているなあ、と思える絵画

もあって、40代で初めて、海外を旅し、メキシコでの衝撃を受けてから、前のような絵画は画けない自分を発見する。

おそらく「群れない、慣れない、頼らない」という信念と生き方は、その頃から芽生えたものだろう。

私は、軽井沢の集大成と言える、冬景色の絵画、冬の歌に、最も惹かれた。




そこに、堀文子の作品の全てが描かれているという思いがする。

日本画の原点に立ち返って以来、模索を繰り返しながら、堀文子でないと絵がけない、独特の個性と、自然を美的世界で絵がいている。

その絵画を描いて、トスカーナの、太陽に輝く、明るい、春が一杯の世界へと入って行く。 



小さな、名もなき花や虫、自然の摂理に、迷うことなく懸命に生きて、生命を全うすることに、迷いのない世界へと。

真っ白な紙を前にして、いつも、怖れを抱くと言われる。どんな絵画が生まれるのか、自然への敬意と怖れ、美のしもべとして。

わくわくしながら、最期の旅へと向かっている、堀文子、光のさす彼方に彼女の目が突き刺すように輝いている。

堀文子の画像の中に、冬の歌、の前に車椅子の堀さんの写真があった。嬉しかった。



堀文子の言葉の中に、吉田さんが絵と向き合って生きる姿と共通するものがあった。

戦争でなくなった人達の、代弁者として、変わり身の存在として、身を捨てて美の神にひれ伏しながら、神の求める
使命を命の限りに果たして行く、という信念が、堀文子の才能を突き動かしている。



  

Posted by アッチャン at 13:43Comments(0)art

2015年03月10日

絵画との出会い

  
   

 三月は、憂鬱な季節。
季節の変わり目は、体調を崩しすい。
今日のどんよりとした曇り空は余計に気分が滅入る。
家に引きこもっているとなおさら。
外食が出来ないので、友人と会う機会もなく、この日曜も
家にいて、テレビを見ていたら、なんとなくイライラ。
午後、母の所に行って、帰りにコナミに。
水の中で30分ほど歩くだけなのに、疲れる。
でも運動すると、お腹が空いて気持ちがよい。
吉田さんの古くからのお友達で、パリ郊外にある芸術家の村に
住んでおられるご夫婦が、毎年、交互に個展を日本で開催されている。
日本での固定したフアンも多いのだと思う。
毎年、銀座で個展を続けていけるということは、並大抵なことではないだろう。
何年か前に、銀座での作品展に伺って、素敵な絵だなあと思っていた。
すでに、銀座も、故郷の愛媛での個展も終わられている頃だろうと思いながら、
お電話して、絵画を一つ分けてもらいたいと申し出た。
4点、メールで送ってくださって、どれも迷ったけれど、一番暗いかもしれない
作品を選んだ。





今日、着くかなと楽しみにしていたら、メールを見逃していた。
私は、振込先の銀行の番号をメールで送ってもらえるとばかり思って、それだけをチェックしていたら、電話番号と住所を確実なものをメールで送って欲しいとのメールが、土曜日に入ったままになっている。
申し訳ない事をした。
早速返事したけれど、着くのは明日になるかな、と思っていたら、宅急便が届いた。
梱包を解いた。早く観たいとワクワク。
素敵な絵画。
以前は、絵画を見ると欲しくなって、結構買った。
自分の見る目のなさを思う作品も多い。
絵画を見る目は時間と共に変わっていく。本物の絵画は、その時を超えて、
 存在価値を増していくものではないだろか。
いつまで観ても飽きない絵画を買わなければいけないのだけど、その選択は難しい。
 人生の整理の時期に来ているので、これから先、ずっと眺めて暮らしたいと思うもの
に出会えれば、手元に置いて、心の慰めになればと思うようになった。
  お礼のお電話をすると、
「絵画は、持つべき人の所に行くもの」だと言われた。
私と絵画とのきれない縁があるということ。
選ぶということは、絵画から選んでほしいというインスピレーションを受け取るという
ことなのかもしれない。


  

Posted by アッチャン at 11:40Comments(0)art

2015年02月28日

玉置浩二のリサイタル





玉置浩二のリサイタルに、行けないと、思ってたけど、なんとか行って来られました。
前日、尼崎のムービックスで、『縫い裁つ人」という映画が観たいと言う友人に付き合って、映画を見ました。
西村屋コーヒーで、早めのお昼を食べても、映画が終わってこら、ミツヤでプリンなどを食べて、その頃は全然、どうもなかったのですが、
尼崎で別れてから、電気店に行き、大阪まででて、ヨドバシにも。




気分が悪くなってきて、帰りの電車は、塚口でおり、トイレに駆け込んだ。ムカムカしていたのですが、我慢の限界とばかりに、嘔吐。
逆流噴射のごとく。それからは、電車に乗っても、我慢するのがやっとで、モ駅から一旦はバスに乗っってものの、
とても耐えられずに、降りてトイレにまでの道が苦しくて、タクシーで帰宅。
牡蠣に当たった時も苦しいかったけど、今回もひどい。
夜中じゅう、吐き通しで、背中は痛くて、下痢も。
朝、医者に行くと、急性胃腸炎だろうと。流行っているそうだ。
水の下痢だけが何度も続いていた。



歯科へは、予約を断って、夜の、楽しみにしていた玉置のコンサートも、とても行ける状態ではないので、諦めるしかないかなと思っていたが、
行けるところまで行こうと、出て行くと、凄く寒い。
開演中、持つかなと心配でしかたなかった。
でも、なんとか。
途中、20分の休憩があって、終わったのは9時。
一部は、安全地帯の歌、二部はソロ。 オーケストラの演奏の導入、玉置が黒のコート姿で現れる。
いつものギターをかかえて、曲をブッ飛ばすという雰囲気とは、180度の転換。
愛を真摯に届けたいという玉置が、魂込めて、歌い上げる。オーケストラが、玉置の歌を盛り上げるのではなく、オーケストラに合わせて、
気持ちと声が乗って行くと言う感じ。私達も、其の高みに一緒になって、弾きこまれていく。
ビルボードオーケストラとの共演で、また違った玉置の魅力をみさせてもらった。音響が良くて、素晴らしい。
割れるような拍手が続き、カーテンコールが鳴りやまない。アンコールは、田園、もりあがって拍手が益々大きくなっていく。アカペラのマイクなしで歌う声が、透明な響きを持って、会場全体を包みこむ。一人一人の心に届くように。
素晴らしい夜だった。



2月8日の埼玉が初日で, 3月8日はフェスティバル、その後地方を回って、東京で同じコンサートが続く。
最終日の東京ではサントリーホール。

玉置のチケットは、完売と書いていた。プレミアチケットは、ネットで25000円くらいで売られていたがそれも売りきれ。
私は、芸術センターで買った。初日にセンターで。割り当てられた席の中から。
一段上がっているので、皆が立っても見られると思ったけど、そんな心配はいらない。一階の後ろのほうだったが、音響はこの前のせきよりもずっと良かった。

格調の高い、壮大なリサイタルだった。

白湯を少しづつ入れている状態で、行かれたことに感謝している。




最近、二回も急性の胃腸炎にかかって、辛い思いをしている。
夜中、何度もトイレに行き、水のようなものしか出てこないのに、何度も突き上げる。この前は腰をやられたので、床にべたりと座り込んで吐く。ベッドを出るたびに、ダウンコートで身をまもる。
上を向いて寝られないので、寝返りを打ちながら、じっと耐えていると、このまま死ぬのではという不安にかられる。
胃と腸をやられると、身体への負担が重い。
1ヶ月かかって、やっと治った所なのに。
何度もかかるそうだ。身体弱っているのかな。
手洗いとうがいを徹底して、マスクしているのに。

 

  

Posted by アッチャン at 12:06Comments(0)art

2015年01月23日

「日浅和美絵画展」時の軌跡

 

       


絵画展の案内状をいただきました。
 
  吉田堅二さんと親交の深かった方で、長年パリ郊外のアトリエで、作家活動を

  ご主人と一緒に続けていらっしゃいます。

  ご主人と交代で、二年に一度、日本で新しい作品を発表されています。

  去年は、歌舞伎座への帰りに、ご主人の作品を拝見させていたいたので、

  ご紹介させていただいたのですが、今回は、体調のことあrのですが、

  月末は、医者の予約が順次詰まっていて、伺うことが出来ません。

  残念ですが、東京に行かれる方、東京近辺にお住いの方に、
  
  ご紹介させていただきます。

  「時の軌跡」をテーマに画かれる、抽象画です。

 以前に一度拝見させていただいたのですが、心惹かれる素敵な作品です。

 話は飛びますが、昔、パリのシャンソニエで、一人の日本人画家と知り合いました。

 北海道在住の画家で、高橋さんという方でした。

 壁を描く、抽象画家で、東京での個展の案内状をいただいたのですが、その頃は、

東京への交通費など、余裕のなかった頃で、ある美術教授が東京に行かれるので、

 案内状をお見せしたら、行ってくださったことを、今思い出しました。


落ち着いた、色調の「壁」というテーマ。

 観に行ってくださった、美術教授は、「好きな絵画で、欲しいなと思う絵だった。」と

おっしゃっていました。

 それぞれの作家の独自性は違うのですが、日浅和美さんの抽象画は、落ち着いた色調で、

日本人の心にすっと入って来る絵画で、日本での愛好家がきっと沢山おわれるのだと


思います。 定期的に、日本での作品展を心待ちにしておられるフアンが多いから、

東京の銀座、ど真ん中で続けてこられるのでしょう。

  日浅和美展  時の軌跡

   美術会館ギャラリー青羅

  東京都中央区銀座3-10-19
       03-3542-3473



  

Posted by アッチャン at 13:54Comments(0)art

2015年01月08日

「名手達のオーケストラによるコンサート」

         




   友人と別れて、私は楽しみにしていた「名手のオーケストラ」を聞きに行きました。

 阪神淡路大震災から20周年の、リクエイムとして、三枝成彰が作曲、曽野綾子がリブレット、指揮は、大伴直人。

 ソプラノの森麻季とテノールのジョン、健、ヌッツイオ、という豪華な顔ぶれなので、すごく期待していたのですが。

 
オーケストラのメンバーも、各楽団のコンサマばかりが揃っています。

 沢山の企業の協賛援助も得て、兵庫県知事の井戸さんも、舞台に立っての豪華な舞台です。


 三枝さん



 私が期待しすぎたのか、席が、横の席だったからなのか、思ったほど良くなかったと私は思いました。

 ソプラノもテノールも、聴かせるというほどの力量が足りなかったように思われ、福井敬の方が感情移入も力量も優れている
ように思う。

  サンフランシスコで聞いた、トスカの「妙なる調和」が耳にあるので、美しいけれど、感情の少ない弱弱しいものに聞こえて、物足りない。

  森麻季は、声は綺麗で透き通っているけれど、ボリウムを精一杯だしても、幅がない。

 



 名手ばかりを集めても、共同で作りあげる音がそれだけ素晴らしいとは限らないことも見せつけるようにも思われて。

 サンフランシスコ交響楽団のように、長年、一つの楽団で、皆が呼吸を合わせて作り上げて行ったものの完成度とは、比べようがない。

 大フィルの方が、良かったように思う。

 大した感動もなくて、終わった、という感覚しかなくて、こんなのだったら、聴かなくても良かったと思いながら帰って来た。

 ニューイヤー用に、ヨハンストラウスの舞踊曲を演奏したのも、ウィーン交響楽団の毎年のニューイヤーコンサートをテレビで聴いている
ので、あの流麗な音楽が耳に覚えているので。

リクイエムは、作曲によって、心をうつものに変われただろう。 メロディーと言葉のコンポジションが旨くいかなかったのではないかと思う。

 こういうことを言っていたら、音楽を聞く楽しみが半減してしまうのだけど。これはあくまでも個人的な私の感想ですので、ご容赦願います。
   

Posted by アッチャン at 17:48Comments(0)art

2014年11月19日

松野真理展」北野坂gallery

       



 今日から、日曜日まで、北野坂gallery で、「松野真理展」を開催中です。

 この時期、いつも急に冷え込んで来るという印象があるのですが、今日も、ダウンで丁度良いくらいの寒さ。





 galleryの中は、春のように華やいだ雰囲気が漂っています。




 
 裸婦をテーマとして描き続けて、早40年目の個展だそうで、最初の頃は、油絵が主で、大きな大作が多かったようですが、

 近年は、小さい作品が多くなって来たように思います.

今回は銅版画に手を加えたものは、布を張り合わせた、小さな作品が 多いようです。




 「遊び心」を大切にしたという作家の意図が伝わってきます。ハッピーな生活がそのまま作品にも現れています。

 北野坂を上るのは、年にこの時期だけだなあ、と思いながら、周りのお店が少しづつ変化していっていることに、

 時の流れを感じます。

 日が暮れるのが早くなって、5時半にもなれば、あたりは夕やみに包まれます。

 サンフランシスコから帰って忙しい毎日、ほっとしたせいか、なんだか、心地よい疲れが出て来て、

 家路を急ぎました。




 高倉健が亡くなったというニュースは、日中、母の施設にあるテレビの報道で知っていたのですが、

 夜、各局が、独自の保管テープで、高倉健を忍んでの放送、素敵な人がこの世を去っていった寂しさ。

 「不器用ですから。」という、有名なコマーシャルの台詞が各局で流れていました。

 孤独を抱いて、 ぐるぐる駆け巡り、苦しみ、悶えながら、自分に納得のいく、そして見る人に自然で共感を得る演技を求め続けた俳優

 でした。





 


 山田洋二監督は、二人の偉大な役者、渥美清と高倉健が、今頃は天国で楽しく話をしているのではないだろうか、と話してました。

 私も、そんな風にものごとを捉えるほうではないのだけれど、「あの世というものが存在するかも。」とふと思ったり。

 そしたらいいなあ。

 永遠の命が存在する。 先に行った親しい人達に再開出来て、また新しい未来が開くのだもの。
  

Posted by アッチャン at 00:19Comments(0)art

2014年09月05日

米倉斉加年という人

     


 米倉斉加年が亡くなった。私の好きな俳優だった。
労演に入っていた頃、民芸の舞台で米倉斉加年の独特なせりふ回しに惹かれた。
民芸の舞台は、宇野重吉を初め、北林谷栄、奈良岡朋子、日色友恵、など、地味で、土の匂いがする演技と貧しい人々に寄りそった、民衆演劇、社会派の劇を基本理念としていた。
暗いイメージのものが多かったように思う。
宇野重吉の籠ったような声で、漂白の演技も素晴らしかった。今でも思い出せば舞台が浮かんでくる。
米倉斉加年は、宇野重の後継者として、民芸を支え、演出家としても素晴らしい仕事をしているが、画家としての彼も好き。
ボローニアグラフィック大賞に2年連続で選出された、「魔法教えます。」と「多毛留」の絵本に、直筆のサインをしてもらって買っている。
サインが、其の人の存在感を生々しく残している。




舞台の合間、出番を待っている間に、絵を描く役者さんは、多い。が、文才にも優れている人は多くない。
米倉斉加年は、役者として、演出家として、画家として、作家としてと、多彩で器用な人だけど、その一つ一つが、軽いものではなく、真面目すぎるくらい、真面目に丁寧で、存在感の多大なものばかりだということには、感嘆する。
80歳と言う年齢はまだ若いけれど、突然死だというので、元気なままに、この世から消えていってしまわれたことは、この「多毛留」のようでもあり、魔法を教えてもらったようにも、感じられる。





ああ、舞台を観ていて、良かった、と思うばかり。
「放浪記」の舞台も何度か観た。座長の森光子もいない。奈良岡朋子や米倉斉加年が脇を締めると、j芝居が引き締まる。




カナダのモントリオール映画祭で、若い女性監督、呉美保の作品「そこのみて光輝く」が監督賞に輝いた。
この映画も、暗くて、安易には見せてくれない、重圧感のあるものだったが、もみ終わってから、しばらく席をたてなかった。今も心に深く染みこんで出て行かない。




 民芸の舞台に共通するものがあるような気がする。
  

Posted by アッチャン at 01:43Comments(0)art

2014年05月13日

兵庫県立美術館「夢見るフランス絵画」展

      


 友人からいただいた招待券があったので、連休の喧噪を避けて、明けてから兵庫県立美術館で開催中の「夢見るフランス絵画」展を観に行きました。
 岩屋で待ち合わせて、以前は「同源」で昼食を取るのが楽しみだったのですが、
日曜休日になってからは、やはり駅に近い、とんかつの店での昼食。
 この店が、また美味しいのです。
 美術鑑賞の前なので、酔っぱらうわけにはいきません。




軽くビールと、とんかつは絶妙の相性です。いつ行っても、客がいなくて、御夫婦お休みの所を、おじゃまするというタイミング。
 とんかつが出て来るまで、ビールのあてに、納豆を注文したら、「今日は日曜日なので、品切れ」とのことで、[大根おろしは出来ますか?]と聞くと、それなら出来るでしょう、と台所の奥にいる奥さんに声をかける旦那さん。旦那さんがカツをあげる名人で、カウンターの中で準備中。
 ビールも半ば終わりころ、上とんかつ定食と、エビフライ定食がテーブルに並びます。
 素材が良いものをつかっていて、野菜もポテトサラダも、とても美味しい。
 友人は、「5回目くらいかな、」と言いますが、3回目です。
良く晴れてさわやかな5月ですが、、真夏日のように気温は高く、美術館への道を、ぐだぐだたわいのないことをしゃべりながら歩きますと、恐竜のオブジェで子供達が遊んでいます。





 日本も、アートスティックな場がごく普通に観られ、肌で感じられるようになってきました。
 階段を上がって展覧会の会場に行くと、この美術館の良さを味わえます。
 歩ける間は、歩いて上ろう。足の無理が生じてくれば、エレベーターを使いましょう。





会場に入って、絵をみながら、どこから来たのかと思うのですが、何も書いていない。
元に戻って、説明を読むと、「日本のある収集家の作品の中から、、、」とか。
え、すごい。誰だろう。日本でこんなにコレクトできる人物は。
 孫正義じゃなかろうか、なんて想像しながら、最初はなかなかすごい、オークションで手に入れたものだろうか、と感嘆しながら見ていた。
 デュフィーの「ニースのホテル案内」は赤とブルーの鮮やかな作品で、マチスを思わせる色使い。パンフレットの載せてある、セザンヌの「大きな松と赤い大地」は、セザンヌらしい作品で、色が確かに、「夢見る」よう。秀作だ。

ルノワールの「ド、がレア夫人の肖像」



モジリアーニの「バラをつけた婦人像」は、めずらすく目がかかれている。
 モネの水連は、倉敷に、児島がモネのアトリエを訪れて、手に入れた秀作にとてもおよばない。
 夕焼けの海を描いた作品が、姫路の美術館のコレクションに似た傾向のもの。
 ブラマンクばかりを集めた部屋があって、セザンヌの影響の後が顕著な色使いの絵から、
 暗い部屋に、浮き立つ、大胆な構図の絵が並んでいる。
どれも、道を描くのが目的の絵だ。
ブラマンクの絵を見ていると、私も画いてみたくなる。友人もそう思ったそう。
それは難しい絵ではないから。自由に絵の具を塗りたくって気持ちのままに走らせれば、
画けるなあ、と言う思いにさせてくれる。
藤田嗣二の絵などは、職人芸だから、絶対に描けないけれど。
ユトリロの絵画は、1908年頃のもんと、1913年の作品を除くと、売り絵として描かれたものばかりのように思えた。
藤田の絵も、シャガールも。

常設の絵画



 ルーブルや、メトロポタン、ボストンなどで、見る絵との違いは歴然だけど、収集家の好みにもかかわってくるだろう。
 会場を出ると、北斎の版画が目に入った。ボストン美術館から来ているらしい。
 すごいなあ。素晴らしい。パンフレットの印刷だけど、構図の完璧で大らかさに触れて、
さすが海外の人々が絶賛するだけのことはあると誇らしく思う。
 モネもゴッホも、日本の象徴的で自由で大胆な絵に、どれほど驚嘆し、憧れたことでしょうか。

金山平三




 常設室の、金山平三の絵画が、素晴らしい絵画の展示があるときは、平凡に見える時もあるが、今は、その素晴らしさが際立ってみえる。
 自然主義の画家で、てらいのない大らかで、ほっとする絵が目線の高さに収まっている。
ソファーに座って、しばし疲れを取るのに、ぴったり。




常設室は、神戸ゆかりの画家のものが多い。

吉原忠良



 代表的な、小磯良平の部屋、金山平三の部屋、その奥に、,買い入れた作品が展示されている。 
 兵庫県立美術館らしいゆかりの作者の絵はいつでも常時みられる。安藤忠雄の設計の中でも、この美術館は代表的なもの。






神戸の文化建築の財産だ。マックライトの建築に負けていない。
海側から望む外観が美しい。
 
  

   
  

Posted by アッチャン at 14:40Comments(0)art

2014年04月27日

吉田さんの絵画がセントマリア病院に

       
   。
     

       

    芦屋セントマリア病院の受付の前に、吉田さんの絵画が飾られています。

  その病院の院長は、大英博物館での吉田さんの展覧会をご覧になられて以来

  吉田さんの絵画と生き方に感銘を受けて、医者の道を究めてこられ、吉田さんの
 
   意志を受け継いで、命を大切にする仕事を天命として、患者さんの元気と笑顔を

  求めて、医者としての精進しておられます。精力的に働く方で、
  
  今では病院のオーナーでもあります。

   病院の受付の前に飾られた吉田さんの絵画を入れて、i院長ブログの中でブログを書いておられますので、

  ご紹介させていただきます。 吉田さんのご家族から、お電話をいただき、とても喜んでおられました。

  http://blogs.yahoo.co.jp/maria_ashiya



  この絵画を選ばれたのではないか、とお話を伺った時に想像していたものと合致していました。

  力強い絵画です。

  展覧会を観に来た子供に、「どの絵が好き?」と聞くと、この絵画を指差して、「鳥のように見える」と

  言ったと、吉田さんの姪御さんが言われていた絵です。

  これから、病院に来る患者さんは、吉田さんの絵からパワーを受けて、元気になられるkとでしょう。

  このようにして、沢山の人達が見る事が出来る、病院や学校などに、吉田さんの絵画が収められれば、と

  思っています。

  吉田さんの絵画を是非に、どうしても欲しいと思われるかた、どこにいけばいいのかわからないと思っていらっしゃるかたには、

 ご紹介させていたきます。

  吉田さんの意志を継いで、私も微力ながら、お手伝いさせていただきますので、お気軽にメールいただければ、と思います。 


   

  

     

Posted by アッチャン at 22:59Comments(0)art