2014年04月20日

吉田堅冶の美術空間


        


  あべのハルカスに美術館があることを知らなかった。
あべのハルカスにも初めて。
階下は、近鉄デパートが入り、マリオットホテルもある。
 吉田さんの展覧会に来られた娘さんと甥御さんの奥さんに同行して、
初めて、あべのハルカスに。
 美術館では、今、東大寺の仏像展をやっているが、これからの展覧会も
大きな企画が入っている。デュフィーなど。

   




 吉田堅冶の展覧会が、このアベノハルカス美術館で出来たら良いなあ、と思う。
世田谷美術館に、吉田作品が二十数点、寄贈されたとのこと。
 吉田さんの願いは、地元の大阪にある美術館に、とのことで、市立美術館が現代美術を収める新しい美術館が出来るので、そこにアプローチはしているとのこと。
  美術館に寄贈することで、吉田さんの絵画は良好な状態を保って保存される。
 吉田さんの絵画は、大きな展覧会の為に画かれた大作は、個人の家では飾れない。
 スペースを持つオフィス、ホテルのロビー、病院や公民館、市役所などの広い空間を要する。
 日本のマンションは、マンションとは言えないけれど、海外の映画に出て来るアパートだったら、50号から200号くらいの絵画がかかっている。





 海外では、抽象画が主流になっているのも、要求する空間や壁の構造が影響しているのかもしれない。
 日本の住宅は、ウサギ小屋と言われたくらい、狭い空間を区切りした部屋が多い。
最近作られるアパートは、広いリビングダイニングが一つになっているものが多いけれど、その中の大きな窓があり、壁の面積はそれほど広くはない。
 開放的で、自然と一体となった小さな建物が日本人の住まいの特徴だった。
そういう美的感覚が日本人にはいまだにある。
 その究極が、茶室だ。自然の中の離れに作られる茶室に、一輪の花、掛け軸がかかっている。
 神社仏閣などの、特別な場所、幾重にも部屋がある屋敷には、襖絵や屏風として大作が描かれているが、そういう絵画は必要に応じて、外されたり、たたまれたり出来るようになっている。




西洋化が日本に取り入れられたのは、歴史上、まだ浅い。現代美術の美術館が、作られるようになって、これからも増えていくだろうと
思う。

 地震に強い建築は、コンクリートと壁を増やす構造になるので、そういう住空間も増えていくだろう。





 絵画が要求する空間が、気象現象の変動と共に、変わってくる。コンクリートで固められた空間が増えていくと、それにふさわしい絵画
 が求められる。




 抽象画が求められる。
 日本では抽象画は売れない、と言われてきたけれど、環境の変化に合わせて、要求されるものが変わってくる。





 吉田さんお絵画は、海外で絶賛され理由は、日本的だから、という人もいるけれど、コンクリートや石造りの社会に住む人々の空間と吉田さんの絵画が表現する、開放感、自由の表現にあるのではないだろうか。



阪急池田の中央公民館(市役所の隣、駅からすぐです。歩いて、3分ほどのところにあります。)にて、あさっての火曜日まで、展覧会が開催されます。あとわずか。

興味のある方は、足を運んでみてください。
パワーをもらって、元気になってください。
 

 
  

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2014年04月19日

海老蔵の「源氏物語」南座



      



 海老蔵の「源氏物語」を京都の南座に観に行きました。
3階の6列目、3等の4000円の席ですが、南座は小さい劇場なので、
良く見えました。ただ、前が壁になっていて、足元が詰まっていて、
足を組むことが出来ないのが難点。
 南座は、3階席の一番前の列が良いのですが、そこは、一等席の次に高い席
になっています。
友人が行けないかもしれないから、安い席が良いというので、それにしたのです。
 時間は2時間、その間に30分の休憩が入るので、賞味座っているのは45分
くらいなので、それくらいなら、お行儀よく座っていられます。






1時間半の舞台で、能と歌舞伎とオペラのコラボレーション、それに華道の花入れのパフォーマンスが加わり、楽器は洋楽のチェロを入れて、太鼓、鼓、笛、三味線など、オペラから常磐津、能の歌いまで、盛り沢山で、異分野のそれぞれの良さを堪能できる異色の舞台で、見ごたえのあるものになっています。
 光源氏に扮した海老蔵と、妹のぼたんさんは、夫婦雛のように美しい。
 源氏物語を書いた作者の紫式部に扮する片岡孝太郎の重厚な演技も光りました。
 

カウンターテナー歌手のアンソニー・ロス・コスタンツォさんが、光源氏の内面の苦悩をせつせつと歌い上げるのですが、素晴らしいソプラノとテノールとの中間的な声が光源氏という存在の、なよやかさを表現するのにぴったりでした。
この舞台は、このまま、海外に持っていけば、わかりやすくて、喜ばれるでしょう。





西洋との競演で、常磐津の素晴らしさも再認識できます。
終わったのは、7時、それから夕食を美濃吉で。昼も夜も同じメニューなので、
先日食べた、花見弁当にしましたが、美味しさは変わりません。

  

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2014年04月14日

池田公民館「吉田堅冶展」

      



  吉田さんの展覧会場で友人と待ち合わせをしていた。
早く来て1時間くらい見ていたというので、受け付けに挨拶だけして、
昼食を食べに行った。
池田の商店街を歩いて、入口にある、鮨屋に。
 カウンターで、造りや出しまき、天ぷらなど、一品で注文。美味しい店だった。
商店街に、コーヒーの専門展があり、下に売っているコーヒーとドーナツを買って、
二階に上がった。ゆったりしたソファーが置いてあって、くつろげる空間になっている。
専門店のコーヒーだから、香りも味も良かった。
 友人と別れて、私は吉田さんの会場に。吉田さんのご家族と友人の方は毎日会場に来られている。
 大阪市立美術館が、中之島に現代美術を集めた美術館を創設する。
そのに、吉田さんの絵画が展示されれば、と願っている。
 吉田さんの作品は、何枚もののパネルを合わせた連作が多い。
 相当の広さの空間を持った場所がいる。
それを可能にするには、美術館はもっともふさわしい。大阪城公園に傍にある、ホテルニューオータニのロビーに展示されたら、外国からの訪問者や、ホテルを利用する人々は目を見張るに違いない。
 白の円形の巨大な空間に、常設の部屋が用意されたら、四季折々に吉田さんの絵画を展示され、絵画に興味のなかった人の目も楽しませるだろう。
 吉田さんの作品は、倉庫に眠っていてはいけない。
あるべき場所に、存在してこそ、吉田さんの絵画は生命の輝きを放つことが出来る。
 命から命へのメッセージが伝わっていく。
 

 阪急池田駅
 市役所に隣接する公民館の二階ギャラリーで、22日まで開催されています。  

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2014年04月05日

玉三郎のグランドシネマ「日本橋」


    


グランドシネマ「日本橋」を、西宮ガーデンズシネマに観に行きました。
朝、10時15分からの上映なので、チケットが売りけれたらいけないと
早い目に出かけたのですが、気の毒なくらいに席は空いていていました。
 12年の12月公演を、映画化したものなので、友人と日生の舞台は
見ているのですが、映画で見ると、また違った感じがして、耳の遠い私ですから、
聞こえなかった台詞の一つ一つを聞きながら、大写しの画面で、新しい感覚で
見ることが出来ました。
泉鏡花の文章の、なんと美的感覚にあふれていること。
日本語の美しさを過分に引き出して、詩的世界が、全編を通して繰り広げられます。
玉三郎は、姉御肌から、身を焦がれる恋に落ちていき、怖れを抱くか弱い女に変身していく様を、生理的な美しさ、儚さ、,愛しさ、ものの見事に表現しています。
玉三郎にぴったりの、役処です。






2000円の均一料金なのですが、この作品は、何度でも見たいと思わせます。
ビデオで買って、台詞の美しさ、奥の深さを味うのにも良いでしょう。
葛城役の松田悟志も、ライバルの芸者、清葉役の高橋惠子の演技も素晴らしかった。
江原真二郎が、雨造りのおじいさんに扮して、骨の太い演技を見せてくれています。
 泉鏡花の美学が、玉三郎を得て、美的世界を作りあげいて、恐ろしく美しい、人間の生理に身を震わせる作品に仕上がっています。
  

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2014年04月03日

素敵な人達、勇気ある生き方に学ぶ

    



  母の所に行くのがいつもより遅くなった。
喫茶店で、時間が経つのも忘れて、素敵な人の
話を聞いていたから。
吉田さんは、その方の亡くなられたお母様が大好きだった。
きっとその方も、と想像がつく。
お母様は、登山家になりたかったという活発な女性で、晩年は
その方が、お世話をしながら一緒に暮らしておられたという。
お母様が亡くなられて以来、日本を旅して暮らしている。
3か月をリミットとして、各地を転々としての、流浪のような
旅を続けておられる、ということを聞いて、私は驚嘆する。
そんなことが出来るのかしら。
郵便物は、転居届を出して、移転先に送ってもらうそうだ。
家財道具は、宅急便を使って、段ボールをいくつも送る。
人の住まない場所を選んで、旅の生活が5年以上続いている。
なんて、すごい生き方。






徐々に、心が解放されて、以前のご自分を取り戻したと言われる。
深い悲しみの中、凍えた身体を、温かい光が徐々に溶けさせることが出来たのは、
人のいない場所での、見知らぬ土地での旅の続きだった。
私は、母の死を思って慄然となる。
頼っているのは、母ではなく、私だ。
母が元気で、笑顔を見せてくれているから、私はなんでもなく生きている。
そのひとのように、生業となる、ライフワークも持たない。
ただ、この世に、浮遊して暮らしているだけだ。
心に風が忍び込んでくるように不安な時がだんだん拡大していくように思う。





体力に自信がもてなくなっていたのもその原因の一つだろう。
そういう思いは、話していると、共通に持っているけれど、想像もつかない生活を
突き進んでいる人がいるということに、私は随分元気をもらった気がする。
母のグランダから帰り道、家の近くに住む、絵画の好きな人に、吉田さんの展覧会を知らせに行った。
彼女も池田にゆかりの深い人で、ご主人を亡くされてから、精神的な打撃から立ち直れずに、倒れて入院されたりしていた。

お母様が亡くなられて、娘さんとお孫さんの生活に不安がなくなって、最近では以前のように元気になっている。
7年かかるわ、と彼女は言う。最近では、一日、テレビを見て、楽しめるようになった。
娘達への金銭的な不安がなくなったことで、安心出来たのね。
 吉田さんの個展でお会いした方も、まる6年かかって、やっと精神的に開放された感じがすると言われる。
私も、母が亡くなったら、放浪の旅に出ようと、若い頃は思ってたけれど、そんな自信がなくなってしまった。
海外への飛行機が嫌だ、と言っていた父の気持ちがわかるようになった。
映画は一本しか見られないと言っていた人の気持ちにも納得。






でも、こんなんじやいけないだ、ネジをまかなくちゃ。
これから22日まで、吉田さんのご家族は、毎日終日忙しい。
身体の不自由な奥様が、朝一番に会場に来られて、夜遅く帰ってから夕食の準備をなさる。
 体力がつくから、歩いて通って来るわ、と。
様々な方が、吉田さんの作品によって、集い、旧友を深め、新しい出会いの予感を与え、
そして、新しい友情と関係を作る。
 疲れた人を元気に、孤独な人に、話の場を。





 その影に、大変なご苦労があるのだけれど、それが楽しくて仕方ないと言われる。
 私も、家から飛び出して、元気をもらった。様々な人の勇気ある生き方を称賛するだけではいけないな、と反省する。
なまけものの私だから、永続性はないのだけど、その一瞬でも、それは希望への時間、心の平和に浸る時間だった。
  

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2014年04月02日

吉田堅治、命と平和展、池田中央公民館にて

     


  桜の花が一気に咲いて、気温は初夏を思わせるほどの陽気につつまれて、

4月2日の今日から、22日まで、吉田堅治展が、池田の中央公民館で開かれています。
 素晴らしい大作を是非、出来るだけ多くの方々に見ていただきたいのです。
 パリに40年以上滞在されて、2000点に及ぶ作品を残された。
 その中でも、吉田さんが、これは日本に持ち帰りたいとの思いで、思い出多い作品が
展示されています。


   


 池田市の中央公民館が、リニューアルオープンを記念して、吉田堅治展が開催されたのですが、くしくも、50年前に、吉田さんは、こので渡仏前の個展をされたそうで、ここから吉田さんをパリに送り出したそうです。
 久しぶりに、展覧会場に展示された吉田さんの絵を拝見して、吉田さんの作品は、これくらいの広いスペースに飾られる作品だということを、改めて実感しました。
このまま、吉田さんの絵が、常設として、いつでも絵にふれることが出来れば幸せなのだけど、と思ってしまいます。






 圧巻の一言です。
素晴らしい作品の数々に、触れる機会はそうそうあるものではなりません。それが寂しいのですが、終わってしまわないうちに、足を運んで、是非見ていただきたいのです。





 吉田さんの作品は、日本のあちらこちらの美術館や、教育会館、神社などでも、見られる機会はありますが、まとまった作品を展覧会と言う形で鑑賞するのが、吉田さんの絵にとっては最もふさわしい。

大英博物館、メキシコの近代美術館、ロンドンのオクトーバーgallery、パリのユネスコ本部などの、大きなスペースの中で、繰り広げられる吉田さんの展覧会は、世界中のアートフアンを驚嘆させました。





 イギリスのカンタベリー大聖堂などの、大聖堂に展示された、祈りの空間を8枚の絵で作られた場は、人々に祈りの安らぎを与え、平和への祈りが共通の心をつなぎ、純粋な魂として一つになりました。
 めまぐるしく変化する時間と生活の中に埋没して、考えることも忘れて生きているのですが、異次元の空間に足を入れて、素晴らしい絵画の世界を覗いてみてください。
花見のついでに、散歩のついでに、買い物のついでに。





吉田さんの願いは、沢山の人に、鑑賞してもらって、なんでも良いから、思ったことを言葉に出してもらうこと、考えてもらうこと、ここはどうなっているの?問いを投げかけてもらうこと、そして、平和の大切さを感じてもらうことでした。




 美の中で、最も美しいのは、平和であること、平和な心を共有出来る事だと、吉田さんは言っておられました。吉田さんの絵画を通して、この美しい世界を共有してください。






 どこでも、いつでも、そういう場があれば、と思いますが、開かれた展覧会は、閉じる時間もやってきます。次の機会も、どこかであるのですが、一期一会、
今、この時に、足を運んでいただけるのでしたら、是非に、と私は願っています。



 
吉田さんの地元に、懐かしい50年前の公民館で、新しく建てられた、産声をあげた場所で、吉田さんの精魂込めて描き出された世界が、見る人に新しい息吹を送りこんでくれるでしょう。





会場に、吉田さんのビデオが常時流れています。吉田さんについて知る貴重な資料になっています。それも是非ご覧ください。

 池田中央公民館
 
池田市菅原町1-1

 072-754-6299

阪急池田から、歩いて3分ほどの所にあります。池田市役所の隣です。  

Posted by アッチャン at 21:49Comments(0)art

2014年01月29日

新春浅草歌舞伎2

 
     
     


 足先の割れた所でつまずかないように注意しながら、浅草に着くと、靴屋で履ける靴を探したのですが、どれも気に入らなくて、芝居が始まる前にトイレにも行っておかねばあらず、
会場に行きました。
 
  雷門から、浅草寺へのメイン通りは、もう人が一杯で、立ち食いの食べ物やさんの人だかりは相当なものです。
 外国からの観光客がその中でも目立ちます。
 牛コロッケのようなものを揚げている店の前は特に凄い。紙に挟んでもらって、食べてる人、買いたいと待っている人で、ごった返してします。


浅草公会堂の前に、スターの手形があります。
アカデミー賞の会場で知られている、チャイナーズシアター
にあやかってなのかもしれませんが、手を合わせてみる人も多く、カメラで
贔屓のスターの手形を取っています。
 今日は、千秋楽。
挨拶は猿之助なので、ラッキーです。
会場の中に、浅草名物の販売コーナーと、会場を入った所で、様々な種類のお弁当を売っています。
浅草の名店から持ってきたもの、歌舞伎座のお弁当など、松竹座や南座では見られない、庶民的で活気のある弁当売りの声が飛び交っています。





浅草のカツサンド、一度食べたらやみつきだよ。
この牛丼は、売れたら終わり、あと残り3個で終わりです。
十和田の天丼、あつあつ、今出来たばかりの、美味しいですよ。
私はどれにしようかと迷って、買えなくてチケットを切って中に入ったのだけど、お弁当買ってきますといって、また出てきて、それからもまよって、まよって。
助六も食べたい。カツサンドもおいしそう。歌舞伎のお弁当も彩良くて。
天丼旨そう。国産のすき焼き牛丼、これも良いなあ。
で、売っている人にどれが良いかな、と聞くしまつ。優柔不断で困ります。
「浅草の客は、この牛丼買ってくよ。」
この言葉で決まり。冷たい牛でも美味しいんだって。
前から2番目に、昨夜の二人が座っています。ちらっと挨拶して、私の特等席になっている同じ席に。
隣の若い女性は、風邪を引いてせきごんごんしながら買ったばかりのパンフレットを見てています。大きな荷物が足元に。東京の人ではなさそう。
11時、猿之助が舞台から挨拶。面白い話で笑わせて、盛り上げます。わずか5分ですが、
素敵でした。






最初は、愛之助演じる、「義賢最期」これも、仁左衛門の十八番の役処です。この芝居は、
12世仁左衛門が演じて以来、松嶋屋の宝になっているお芝居です。受け継がれた様式の美と、松嶋屋独特の、声で聴かせる人情の熱さ、はかなさ。
仁左衛門そっくりの声使い、せりふです。
仁左衛門が、直接指導したというので、それもそのはずだと思います。
愛之助は、子供の頃に、13代仁左衛門の部屋子になり、大きくなってから、秀太郎の養子になっています。
化粧をすると、あまりの似様に、もしかしたら仁左衛門の、と疑いたくなるのですが。
新ノ口村も、親子の切ない愛情で、観客の涙を誘う、松嶋屋の美学を感じる。
 愛之助が、次の仁左衛門を襲名することは間違いなさそうです。
 




 次の作品は、「上州百両首」
この作品は、京都の春秋座で亀治郎の会で、観た作品ですが、その頃からずっとまた磨きがかかっています。
 2時間ほどの、休憩のない、長い芝居で、この作品は、猿翁さんが、猿之助時代に、
藤山寛美と勝新太郎とのコンビで、見た時におもしろいと魅せられて是非やりたいと思いながら、
寛美とのコンビは寛美の死去でかなわず。勘三郎さんが、勘九郎を名乗っていた頃、、コンビで上演していたもので、原作はオーヘンリーの小説。
おさななじみの正太郎と、正太郎を兄のように慕う、頭の鈍い牙次郎との、固く結ばれた友情を描いたもので、感動を呼ぶ舞台です。
場所は浅草であることも、新春の浅草での感謝の公演にふさわしい出し物です。
相手役を務めた、若手の坂東巳之助は、三津五郎の息子です。さわやかで、声が良く通り、
はまり役で、猿之助とも息もぴったり。素晴らしい舞台です。
間に、観客席の間を二人で、漫才のようにかけあいの台詞で歩くのですが、私のすぐそばの道を通って、まじかに観られたのは、感動です。
浅草まで足を運んで、良かった。フアンなら、これくらい、いつもなんでしょうね。
お金もかかる。時間もいる。そうそうは出来ないこと。
大きなお年玉をいただきました。
 

 
  

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2014年01月27日

篠原ト土世展  gallery 星羅

      


 土日にかけて、浅草公会堂に,猿ノ助の歌舞伎を見に行きました。
その話をしたい気持ちは山々ですが、その前に、緊急に,この場を借りて
ご紹介したい事が出来ましたので。
 浅草歌舞伎に行くことはずっと以前に決まっていたのですが、偶然にも、パリ郊外のアトリエで活動されているアーディストの個展の案内状が届きました。
日曜日が初日なので、歌舞伎が終わって、飛行機の予約時間までは余裕があるので、伺うことにしました。
 いつも園内状を頂くのですが、東京まではなかなか。
 案内状の絵画は、郷愁というシリーズで、惹きつけられるものがありました。





 以前に、同じ画廊で、奥様の個展を見せていただいたので、会場は大体わかっていたのですが、お上りさんは、いつまでたってもお上りさん。
人に聞きながらのおぼつかないこと。
 篠原さんんを知ったのは、吉田さんを通じてでした。
 骨董市に来らていて、私は吉田さに誘われて、ご夫妻とご一緒させていただきました。 そこで、サン、ルイのグラスの骨董品を買ったのですが、勧めていただいたのがきっかけで、その後、吉田さんのお葬式でお会いしました。
  吉田さんと同様、フランスに長く、アーティストとして、制作一筋に励んで来られた方々です。





 そういう人の作品というのは、一筋、という言葉にふさわしく、磨きあげられた玉のように、底知れぬ美しさと、鍛錬の上の技術の巧みに裏ずけられたものが光ります。
 毎回銀座の同じ、ギャラー青羅で個展を重ねておられるのですから、コレクターも安定していて、毎回楽しみにしてろおられるフアンも多いようです。

 
 母はよく絵を買っていたものですが、私も絵画が好きで、欲しくなるほうなのです。
 




 
 
 篠原さんの作品も、見せていただいたら、欲しいなあ、と思う作品がにいくつか。
手元において、いつも眺めていたい、と思いにかられます。
 
純粋、透明を追究し続けた道の果てに見えているだろう世界の彼方から照らす光。
深淵の静けさ、宇宙の奥底に溶けこむ畏れと幻惑。







 ブルーを使って、友人が「起源」という題をテーマに描いてるのですが、篠原さんの絵は 、根源の安定さを求める旅であり、彼女の絵画は、安定から、限りなく流れて溶けていこうとする。奥底の深淵へと。男と女の違いを見るようです。

家に戻って、彼女の絵画を観ていたら、篠原さんの作品が欲しくてたまらなくなります。


吉田さんの絵画とも、世界が違うのですが、「起源」をテーマにして描いている友人が、吉田さんの絵画と自分の絵画は、同じ系統のものだと
語っていました。




 吉田さんと、篠原さんの作品を並べてみたらどうだろう。
篠原さんの作品には、「郷愁」というタイトルがついています。
卵のような、真珠のような丸は、卵から殻を割って出て来る、宇宙の存在の始まりのようでもあります。そこからはじき出された存在である篠原さんの、帰ることの出来ないけれど、求めてやまない世界。手探りで求め続ける世界、それを「郷愁」と呼ぶのでしょうか。





吉田さんの作品も、一貫して「命」です。手法は違っても、同じ場所を求めているような気がします。

そして、宇宙の存在としての、私達の心の、魂の、起源でもあり、郷愁でもある、命の神秘なのでしょう。





オブジェも展示されてます。どこか剽軽で面白い。子供のように、遊び心のある作品で、おもわず微笑んでしまうような。


篠原土世展は、2月1日まで、開催されています。

 美術会館ギャラリー星羅
 AM11時からPM7時{最終日はPM5時まで)

  03 3542 3473 会場直通
  
東京都 中央区 銀座3-10-19


 日本連絡先 

 愛媛県西条市福武甲464-7

  


 


 
  

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2013年11月21日

北野坂「松野真理展」

   

 
  北野坂を上がるのは、年に一度、11月,紅葉の季節です。
 松野真理さんが北野坂ギャラリーで,毎年かかさず作品を発表していることは、実は大変なことで、病気で入院した年も、命の証しのようにも思えます。
  誰でも、今年出来たことが、来年また確約されrているわけではありません。
来年への希望をかけて、その年の個展は幕を閉じるわけですが、毎日、かかさず,続けられることは、とんでもなく奇跡的なことではないかと思うのです。
  松野真理さんのブログをについてもそれは言えます。毎日かかすことなく、ブログを書き続ける意志の強さと努力に共通するような気がします。






  今夜、私は珍しく、今夜のうちに、真理さんの個展の紹介をしようと、ブログを書いています。
 ボジョレヌボーの解禁日で、帰ってからワインを飲んで,頭が働かない時間は、その辺のソファーにごろんとして、居眠りしている頃なのですが。
 4階での新作と、2階には、以前の作品が展示されています。
 その両作品を見ると、真理さんの心象風景の相違が際立って見えます。





 4階の新作は,明るく大胆で、遊び心があり、誰が見ても安心して見て楽しむことが出来る作品でしょう。
 それとは対象的に、2階の作品は、心的には深い領域が出ていて、暗さとひたむきさが見えます。
 どちらの作品も、こういう風にしようと思って出来るものではなく、彼女の生き様を表現しているのです。
 昔、私はある画廊の経営者に、真理さんの個展の案内状を出したことがあります。
その方は大阪から神戸に来て、「もっとのびのびと描かれたら良いと思います。」と言われたのですが、今はまさにのびのびと画いている。




 人は、その時の状態によって、画く作品を、どうこう変えるような器用なことは出来ないのが真実なのではないでしょうか。
 今の作品も,安心して楽しめる絵画だけれど、若い頃の、堅い真面目な作品も私は好きです。文学的な作品と言いたい、心に突き刺さる作品なので、それが若さなのかもしれません。
 おしなべて,画家の若い頃の作品は、モノトーンで暗さと、行き詰まった怒りや極度の悲しみが作品に投影されてるものですが、年齢と共に、明るく大胆になっていくもののように感じられます。
 私は、今回の作品の中で、大胆で少し投げやりな作品に惹かれました。女性の顔も、体つきも、そして曖昧な色使いも。



 そして、2階に展示されている作品では、青白い光の中で浮かび上がるような、裸婦のこの作品に。



どれもそれぞれに、見る人の目を楽しませてくれることでしょう。


 作者には気の毒ですが、作品を世に問うということは、まな板の鯉になることの覚悟がいるわけですから、私の様な素人にも、好き放題言われるわけです。すみません。  

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2013年11月05日

プーシキン美術館展と西村屋のかにちらし




JR尼崎で待ち合わせて、映画「ダイアナ」を観てから、JRで三宮に出て、西村屋で、蟹鮨を食べ、それから市立博物館で開催中の、プーシキン美術館展に行きました。
映画と美術館と、お目当ての、蟹チラシの3本たてをこなすためには、こういう方法を取らざるを得なかったから。
「ダイアナ」は、これが真実の話だとしたら、パキスタン人の医者との真実の恋があり、心臓外科の医者に感化されて、中東への訪問や、地雷撲滅運動、募金集めなどを精力的に
活動していたのだということを知るわけだ。
地中海クルーズでの、写真は、医者の心を引き寄せたいがための工作であって、その延長線上に、リッツホテルから出て、パパラッチに追いかけられ、無残な自動車事故で亡くなるという悲劇の結末を迎える。


 宮殿の隣にある、病院に勤める外科手術の名医との恋は、周りの人達は周知のことだったので、その証言を集めて、あの映画が出来たのだろうか?
 パキスタン人の医者も、亡くなった人もイスラムの人。
その事故の当時、従妹から聞いた話では、事故現場は、とても事故が起こりそうにない場所だとか。最近になって、ダイアナは殺害されたという話題がまた再燃していた。
 三宮でも上映しているけれど、12時からだったので、西村屋のランチを食べられないので、尼崎で映画を見ることになったわけで、JRの交通費は、馬鹿にならない。
 西村屋のかにちらしは、ものすごく美味しくて、大食いの私達には、量が足りない感じ
なので、次に来た時に食べるものを想像してしまう。+
 神戸のことはまったく知らない友人は、どこをどう歩いたら良いのかもさっぱりわからないので、来れば、センター街を歩いて、元町へ行くくらいだとか。

 神戸市立博物館で開催中のプーシキン美術館展は、画家の初期に作品などや、珍しい絵画が出品されていて、興味深かった。
 ルノワールの可愛い女性の絵画がポスターになっているが、ルノワールの数々の絵画の中でも、可愛さのあまり、引き込まれる秀作だと思う。
 中でも、ルソーの絵画は、有名な美術館でも、わずか一点あるかないかのもので、
しかも、アポリネールとサンローランのカップルを描いたものなので、これを見るだけでも、1500円の入場料の価値は十分だと思う。



 サンローランに失恋したアポリネールの仲睦まじい頃の絵画で、その後、ショパンに走ったサンローラン、ショパンと冬のマジョルカに、ショパンの療養をかねて滞在する。
そこで生まれた、雨だれ。
アポリネールの「ミラボー橋」という美しい詩。
そんなことに思いを馳せながら。
セザンヌ、ピカソ絵画も、見逃せない。


美術館を出て、喫茶でお茶とケーキを、ということで、センター街のモロゾフに。
煙草くさいのは苦手なので、喫茶店は嫌だし、モロゾフなら、プリンもケーキも美味しい
し、値段も手頃なので、待っている人もいたけれど、前のカップルがしびれをきらして、出て行ったので、私達はすぐに座れた。
 へんな所で、けちるね、と友人が笑う。
私がコーヒーをやめて、プリンだけにしたから。
 この前、別の人と来た時に、モロゾフのプリンを教えてもらった。
 525円で、これは値打ちもの。アイスクリームと果物までついて、大きなプリンは
食べ応えがある。プリンはお水が良くあう。ケーキならコーヒーがいるけど。
 カウンター席しかない所と違って、このモロゾフは、ゆったりの空間があって、煙草の匂いはしないし、気にいっている。
  

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2013年08月19日

安全地帯のコンサート

 
      

 フェスティバルホールは再建築してから初めてです。
レッドカーペットが階段から敷かれて、映画祭の華麗な
場面を思い起こさせる。
ここは、世界の音楽祭などの、フェスティバル用に作られた
ホールだからでしょうか。
音響も素晴らしくて、音楽用としては優れたホールになっています。
安全地帯のコンサートに行ってきました。
 神戸文化ホールで、随分前に観ことがあり、二回目です。
文化ホールでは、自由席で、二階の後ろの方だったので、今回の
1階23列目の中央という席には、随分期待をかけて行ったのですが。
安産地帯のメンバーが登場するや否や、下からウェイブのように、席を立って
私の前の人達も全員総立ち。




 当然、私も立たなければ見えません。
その後、終了するまでの、2時間20分、立ったまま。
休憩なしで、ぶっ通しの、迫力とエネルギー全開のコンサート。
玉置さんは、大阪、フェスティバルホールでのコンサートが超お気に入りになったようで、このコンサートも追加で計画されたもの。
確かに、音楽家にとって、ここは自分達のパーフォーマンスを最良の状態で提供できる
音響効果の良いホールの上に、大阪の観客はのりが良く、感情表現が直線的に真っ直ぐに
アーティスの胸に飛び込んでくるという魅力があるのだと思う。
亡くなった、勘三郎も、大阪が大好きだったようで、彼のような熱い舞台を実現させるアーティストには、大阪は魅力的なのだろうと思う。



 でも、フェスティバルホールでは、ちゃんと席に座って、音楽を聴きたいね、というのが私の感想です。
 ずっと立ちっぱなしで、手を挙げて、同じゼスチャーを繰り返す熱烈なフアン達の
エネルギーの凄さ。
音楽を聴くというよりも、祭に参加して、その紅潮感に酔いしれてるよう。
 後ろの人達は、アリスから、なんちゃたら、結構沢山のコンサートを観ている様子、話声で。
 私は、今回ので、もういいかな、と思うのに、ご苦労さんなこってす。
フアンは、きっとほとんどの曲を聴きあきるほど聞いて、マイクを向けられると、大合唱になって、これもアーティストとの一体感に酔いしれるのでしょう。



 コンサートが終わると、ぞろぞろとおとなしく帰って行くフアン。またいつ会えるだろうと次の機会を心待ちに。


 ずっと以前、大阪城ホールで、アリスのコンサートを母と観たときは席に座って、皆、しんみりと効いていた。
 盛り上がりの少ないのも寂しいもの
 
  

 
  

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2013年06月03日

ボストン美術館展

   

    

 大阪市立美術館で開催中の「ボストン美術館展」を観に行きました。
昼食は、地下街にある、鮨屋に。でかでかとランチメニューが買いてある
店で、美味しくはなさそうだけど、と期待せずに入った店です。
 カウンターの隣に座っている人が、荒だき定食のような感じのものを食べていて、
美味しそう。



 鮨ランチを注文したのですが、運んでいるランチに、荒炊きがついていて、ここはそれが美味しいのかと思ったら、誰にでも、サービスでついているのです。潮汁もついているのですが、そこにも鮭の切り身が一杯入っていて、荒炊きの魚も鮭の頭。


いったいそんなの鮭を何に使うのかと不思議です。
隣の人が出て行ったら、その奥に、座っている人が、
「アナゴの刺身旨いわ。」と言うのです。
 すると店の若い店員が、注文していた、鱧ちりを半分は、アナゴにしませんか、と。
 私は鱧のほうが美味しい気がしたけれど、味がわからないからかも。
 鮨に、荒煮に、うしお汁、魚で生くさくて、あれではもう次に行く気がしません。



  鮨のネタも、べったり大きいのは良くない。

 天王寺公園の中はお花とハーブの季節です。


  
 昼食後に入った美術館は混んでいいて、絵巻物のあたりで団子になって、順番待ち。
空いた所ばかり探しながら、見られるものから見て、それでも、ちゃんと見られました。
どうでもよいところはパスしながら。
 http://www.boston-nippon.jp/ ボストン美術館特別展

曽我蕭白の、大胆で、おおらか,ユーモラスのある作品が見ごたえがあります。

国宝級の作品も含めて、寺などから売りに出された名品の数々を、その価値がわかる
3人の収集によって、こうしてボストン美術館で大切に保存されていることを思えば、
ラッキーだったと喜ばねばならないでしょう。
おそらく、世界中で、素晴らしい作品が、埋もれ、喪失しているものも多いのでは?
それとも、本当に人の心を打つ作品は、その真価のわかる美術愛好家が、資材をなげうってでも、世に残すものなのかもしれない、とも。

  

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2013年04月25日

京都市美術館「ゴッホ、空白のパリを追う」


   

 京都市美術館で開催中の、ゴッホ展、空白のパリを追う、
と、「リヒテンシュタイン」の2つの展覧会を観に行きました。
昨日は、雨との天気予報でしたが、連休前に行っておかないと、
連休から、19日の終了までは、きっと混むだろうと思って。

http://www.city.kyoto.jp/bunshi/kmma/exhibition/gogh.html

最近は、大雨になり、風も強いので、懸念しましたが、
出かけるときは、雨が降っていなくて、さすがに、私は、晴れ女だなあ、と。
梅田の改札で友人と待ち合わせ、中から、乗車券を渡して、一緒に、梅田から乗っていく
のですが、私一人だと、長く感じられるのに、友人とお喋りしていると、あっという間
に、京都の河原町に着きます。
京とは、雨が降っていましたが、ちょうど良い雨かげん。風もなく、しとしとと、京都風情に花を添える程度の雨です。
先に、昼食を食べようと、私が調べていた、イタリアンの店を探しながら、祇園通りを、八坂の方に、向かって歩いたのですが、あるはずの店がありません。
 地図は間違っていたのかもしれないわ。通りを何処かで入らないといけなかった。
八坂神社の前にある、うどん屋にでも、と言いながら歩いて、「志津屋」のパン屋さんの
前で、ストップ。




 美味しそうなサンドイッチとコーヒーがついている、メニューが目に入り、コーヒーついて、なんと安いこと。
 友人は、朝ご飯も、昼ごはんも、夜も、旦那がご飯でないとだめな人なので、
外に出ると、パン食か、スパゲッティーなどの粉ものを食べたがるのがわかっていたので、
イタリアンのスパゲッティーランチの美味しい店をチェックしていたのですが、そんなわけで、志津屋で、サンドイッチをコーヒーという簡単なランチになりました。
 私は、朝はパンと決まっているので、スパゲッティーの方が、ありがたかったのですが、
 美術館にも、早く入りたかったので。
志津屋のパンが美味しいのは、定評がありますが、幾つかのサンドイッチの中で、私の迷いは、いつものことですが、カツサンドにするか、この店の、シェフ自慢のサーモンとサラダが一杯入ったサンドにするか。
友人は、肉を食べないので、卵サンドに、あっさりと決めています。
店の人に、「一番人気は?」と聞いたら、カツサンド。
やっぱり。サンドセットの中で、最も高い、と言っても、セットで680円なのですから、
他のセットに比べて、100円しか違わない、それを注文。
サーモンなら、分けて、両方食べられる、とは思ったけれど、難波の松竹座の隣にある、肉の名店「はり重」のカツサンドとか、東京のカツサンドの名店で、「うう、旨い、」とほうばっている、カツサンドを観ながら、サンドイッチのお気軽さには、似合わない値段に、あきらめ顔の私ですから、安いので、肉はだめだろうと期待しないで。

それが、ものの見事に裏切られてしまいました。
肉は柔らかく、間に細くチーズが挟んであって、ソースがとても良くマッチしていて、ジューシーで、美味しさに、ジェー、ジェー(驚き)です。
友人の卵サンドにも、彼女の苦手?なハムも入っていたのですが、美味しくて、感激気味。
「方向音痴の私でも、ここなら一人で来れるわ。」
どこに行くにも、誰かと一緒でないと、出られない、と言っている人ですが、相当のお気に入りになった様子。
この店の、一番の人気商品は、カツサンドでした。
肉好きの友人に、今度、食べさせてあげたいなあ、と私もひそかに思いながら、いつも買う、ブドウパンを買いました。厚切りの、干しぶどうが一杯入った、パン。これもこの店の名物の一つ。



美術館は、予想通り、空いていました。絵の前に立って、十分見られるくらいに。
ゴッホ展を、パリで観て来たのですが、それは、日本の浮世絵からの影響を受けた、絵画展。
今回は、ゴッホが、弟のテオを頼って、パリに出て来て、一緒に住んでいた頃の作品を集めたものです。
空白の、というのは、ゴッホがテオに書き続けた、「ゴッホの手紙」には、ない、パリでのゴッホが絵とどう向き合い、絵画をどのようにして描き、何を使って、描いていたのか、下絵を塗りつぶして、上に描いた作品の赤外線写真などや、パースペクティブを使って、
遠近法を正確に使っていたこと、下書きのデッサンを綿密に描いていたことなどを通してゴッホの絵画が、古典を学び、ものすごい探求心と、パリ時代の貧しい生活の中で、希望に燃えていた兄弟の姿が、浮き彫りになって、興味深い、独自性のある、展覧会になっています。
友人は、いつも、沢山の頭越しに、絵画を見ているので、こんなに空いているのは、初めてと喜んでいましたが、私は、空いている時でないと、見る気がしないので、混んでて、何時間も並んでいる人がいると、だめ。
足の不自由な友人は、疲れて、椅子に座って待っているわ、と言うのですが、日本の美術館には、椅子が置いている所は、ほとんどないのです。会場を出た所と、会場の間にある、廊下にあるだけです。
絵画を見るように、できていない。 海外の美術館では、中に、ソファがあり、ゆっくり見る人や疲れたら、休めるようになっています。
文化、芸術に対して、心配りのない、貧しい国です。




同時開催の、リヒテンシュタインからは、ルーベンスが描いた絵画がメイン。
幼い娘を描いた、絵が、生きいきとして、みずみずしいタッチで、素晴らしい。
 ピーターブリューゲルの息子、ヤンの作品が2点来ているのも、興味をそそる。
ヴァン、ダイクの肖像画の前に、フランスハルスの描いた、男の肖像画がある。こちらのほうが、
絵画から、そのまま、人物が出てきてもおかしくない。
絵画を見ると、疲れるという人が多い。その迫力に圧倒され、迫りくるエネルギーの強さに、持てる力を吸い取られるのだろうか。



  

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2012年12月14日

近代美術館「美術にぶるっ」

 

      


   浅草の仲見世で、人形焼きを買って、次に向かったのは、竹橋にある、近代美術館。
近代美術館は、開業60周年を迎える記念の特別展示で、大盤振る舞いの作品展示だとか。


 入場料は1300円、割引きわあるか、と聞くと、地下鉄一日券を持っていれば、といわれた。ラッキーの100円引き。
 美術にぶるっ、を体験したくて、ガイドを借りた。 一緒に、エレベーターに乗っていた、ご老人かたがたが、皆、ガイドを借りている、その中の一人は、美術館に関係している人のようで、他の人に案内かねて勧めていたので、よほど良いのかな、と。



 この美術館、他の所とは違って、ほとんど作品は、撮影オーケーなので、嬉しかった。
 すごい作品ばかりの展示なので、とれるものはほとんど撮りながら。

関根と姉と、恋人

 ぶるっっと来たのは、関根正二の、絵画。説明に、ぶるっとした。

 アナウンスがあって、2時から、ボランティアのガイドが、見えないもの、という題で、 作品の解説をするという。エレベーターの前に沢山人が集まった。



 1時間かけて、とのことなので、私は帰りの新幹線のことがあるから、ちょっとだけ、と思っていた。最初は、フジタの絵画で、カーテンとベッドと猫と5人の裸婦が描かれた絵画の説明だった。質問が多いので、聞くのをやめてしまった。
 そのガイドが、挨拶で、60周年を記念して、大盤振る舞いに、重要文化財を初め、貴重な作品を沢山出しているとの説明があって、時間の都合もあるから。



 とても充実した、めったにこれだけのものを見られないなあ、と関心。
 横山大観の、一滴の水から、大河になり、竜となって、という巻物の墨絵。


 どれもこれも、時間をかけて、ゆっくりみないと勿体ないものばかり。
着物姿の女性達もちらほら。
 絵画の前で、座って、動かずに見入っている。



 以前に、見たことのある作品が多いけれど、それも、どこかに出品されていた時かしら、近代には、来ているから、その時なのか?

 長めの良い部屋からは、皇居や日比谷がのぞめる。


 ミクニが、レストランとして入っていて、ワインを楽しんでいる人達が、ガラス越しに見える。
 そのそばに、朱色の、ノグチの作品。これが近代美術館のメインに。



 ああ、もう4時近い。ホテルに荷物を預けているので、戻らないと。ホテルに近い、
水天宮駅に降りて、水天宮にお参りしてからと思って、時間ないけど、水天宮に。
 ホテルに戻ったら、受付の女性から、
 「時間あれば、飲み物をどうぞ、」と言って もらって、時間ないのに、あわてて、コーヒーをいただく。のどはからからで、疲れているので、ホットしたかった。



 東京駅では、もう一つ、していきたいことがあった。
 新しい駅に変わった、東京駅を見ておきたい。ステーションビルの入った、東京駅。
丸の内側からの眺めだ。
  わ、凄い。イルミネーションに浮かび上がった駅は、ロマンティックで品格もある 明治の頃を再現したもの。



 ちょっと見て、駅に行き、チケットを指定にかえてもらうと、時間まで30分あった。
 もう一度、駅を見に行った。


 中央あたりからも見たくて。携帯やカメラをかまえている人達が多い。
ステーションホテルの中を見る時間はなかったけれど、駅の丸天井の周りは、ホテルの部屋になっているのは見た。


 
 3時間の新幹線、疲れて、足がじんじん痛む。ビール買って、小さな穴子寿司を一個買ったのを食べる。お腹空いてなかったけれど、ビールの冷えているうちに。


   

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2012年11月16日

北野坂ギャラリー「松野真理展」

   


 木枯らしが吹く季節が、秋を越して、ひとっ飛びでやってきたような寒さ。

 年に一度、北野坂を歩いて、松野真理さんの個展に行きました。

 初日には、沢山のお客様があったよう。



 話をする時間もないだろう、と思って、空いて居そうな中日にお邪魔しました。

 昼頃行って、それから映画をみるつもりでしたが、夕方まで、おしゃべりしたり、ワインをいただいたり。

 真理さんのお母さんは、ほんと、お元気な方で、私は、うっかりして、同年代であることが頭になくて、

 叔母の寝たきり状態の話を、してしまって、とんでもない事を言ってしまった、と後で後悔。



 真理さんの作品は、初期の頃から、見ています。
 アルバムに収められた、作品を見ていると、その変遷が良くわかる。私の手元にある作品は、デッサン、銅版画、油絵がほとんどです。



その頃、大阪のギャラリーの方に案内状を出したりしてて、早速見に来らた時の、言葉が、
「もっと大胆に伸び伸びと描かれたら。」と言われたのですが、
今や、彼女の作品は、そのものになっている。




 明るくて、大胆で、のびのびした作品の数々。

 それも良し。若い頃の、どこか屈折したようで、堅さはあるけれど、心を惹かれる作品も、アルバムを見ていると、良いなあ、と思って。もう、描けない、若い頃の、苦しみや悩み多い頃の。

アルバムに載ってなかった、作品の、油絵。 随分以前の。




 ギャラリー北野坂 で、この日曜日まで開催中。


 

   

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2012年11月10日

奈良、秋の正倉院展


   


奈良に「正倉院展」を観に行きました。
 ニュースで、全国各地から、正倉院展を楽しみにしている人達が、やってくる、と聞いて、怠け者の私も、行かなくちゃ、と。
何時間も列んで待っている人達へのインタビュー。
去年は、30分待ちで入れたので、今年も、そんな時間をねらって、11時半に行ったのですが、一緒に行ってくれた友人が、「先に食べておこうよ。」というので、向かいのカフェに入って、昼食をすませて、出てくると、待っている列が長くなっていて、60分待ち。
やめようか、もっと後に来ようか、とも考えたけど、どうせ、どこかでおしゃべりしているのだから、と列に並んで待つことに。
 

http://www.yomiuri.co.jp/shosoin/

確かに、おしゃべりで、気づかぬうちに、1時間は時間は過ぎて、入館出来ましたが、 中は、超満員。
 ガイドのイヤホーンを借りて、説明を聞きながら、人混みをかき分けて、なんとか見ることは出来たものの、ペルシャからの、世界で一つしかない、というガラス細工の、杯を見るまでに、随分長い間、列んで待っていなければなりません。



 こんな辛抱、したことないのですが、友人は、何回か来ていて、「疲れにくるようなもの」だと。
 確かに、疲れる。人ごみでも疲れるのに、見るまでにもすごく疲れる。

 なのに、不思議。去年、「正倉院展」を観てから、魅せられて、また来たいと、と思うこの気持ち。
 聖武天皇の、遊び道具が収められている、北倉からの、美しい品々が、今回の見物だとか。
 1200年前のものは、綺麗に保存されていて、 雅で上品な美しさ、精密な細工、魅せられたものは、そのとりこになる気持ちがわかる。



 随分前に、奈良博物館に、学芸委員資格を取る授業で、通ったことがあって、正倉院の説明を受け、その後に、2回くらいは、来ていると思うのだけど、こんなまでには、興味がわかなかった。というよりも、わからなかった。

 目に焼き付いた、正倉院の美が、毎年、秋の「正倉院展」に、日本各地から、人びとを引き寄せる。
 オペラグラスを持参、熱心に観ている人達がいました。  

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2012年08月24日

はつか市ギャラリー「吉田堅治」展覧会

 亡くなっれた奥様を描いた作品

       サムライ、吉田さんの肖像


 二十日市市公民館の中に、吉田さんの展覧会会場になっている、ギャラリーがある。
新しい建物で、ギャラリーは、4部屋くらいの展示場があって、広々した空間を取っている。吉田さんの、8枚の大型パネルの連作も近くから、遠くから、違った見え方が出来る。 今までも、何度か、様ざまな空間の中で、観て来た、絵画だけど、このギャラリーでは、吉田さんの絵画が、描き上げられたばかりのように、つややかささとみずみずしさを讃えているのだ。
 同じ作品でも、随分違いな、と関心した。それは、照明の効果によるもので、展示には、とても大切なことなのだ、ということを発見させられる。
 そういえば、東京に、日光、月光の菩薩を、どのような照明にするのか、テレビで観たことがあった。

版画

 吉田さんの展示は「命を繋ぐ」というテーマになっている。
最初の部屋には、吉田さんが、画学生の頃の、習作の静物画から、戦争で、死んで行った
人々への鎮魂、生き残った自らの心を、黒一色で描いた、「黒の時(代)」
 黒から、パリに出て、色彩の技法を学ぶために、手かげた、版画作品、
 吉田さんの心が作り出す黒と白のシンプルな版画は、西洋の人達には、墨絵の世界のように、神秘で新しいものに映り、その頃、吉田さんが作る版画を、北欧からどんどん注文があった、と、私は聞いている。
 版画の持つ、生きる糧を捨てて、吉田さんは、あえて、絵画一本にすることを決意された。
 それは、まさに「命を繋ぐ」為だったように思われる。
 「サムライ」と題する、作品は、吉田さんが、「これは私を描いた作品」だと言われるものです。



 奥様が亡くなられて、奥様を空に浮かぶ「雲」としてのイメージを描いた作品は、
メキシコの「マヤ」シリーズの作品の間に、ニッチの中に展示されている。
 神秘的な光の効果で、命の輝き、を際立たせている。青は、メキシコの青い空の蒼さ。



 一番奥に、祈りの場、が置かれている。
 祈りの場の、外側に、吉田さんが、精魂込めて、書き上げた、「般若心経」の墨のつややかな輝き、今筆を走らせて、今、筆を置いたばかりのように、墨の匂いまで、感覚として伝わってくる。



 何故か、泣けてくる。吉田さんの 命を繋ぐ使命と、平和への「祈り」が全身全霊で、込められた、手筆のエネルギーが、決意が、書き直しの聞かない、毛筆と肉体と精神との統一された、動きを観たからかもしれない。



 とても良い、展覧会だ。二十日市市だけではなく、全国に、巡回して、吉田さんの作品を観る機会があれば、良いのに、と惜しまれるけれど、
 ぼちぼちで、良い、と吉田さんは、きっと、展覧会を実現させてもらった、関係者の皆様に、感謝しておられるに違いない。

 「作品」作品こそ全てだ、と思う。「作品」が、吉田さんの「命」をつなぎ、観る人々の「命」を繋いでいる。



6時にギャラーを出て、雑多な世界に。駅までの、交通量の多い道。
 明日のことを知らずに、生活している人々。私もそう。
 新幹線駅で、夕方の7時に来られる、3人を待つ。
 事故なのか、遅れている。全体的に、遅れが出ている。



 9時49分の新幹線をチケットを買う時間があった。

 娘さんと、甥御さんの奥さん、吉田さんととても親しかった方。
 久しぶりに会って、電車の時間まで、食べて話が盛り上がる。
 楽しい集い。あっという間に、時間が過ぎてしまった。
  吉田さんの「命」が繋いだ、出会いと友情の始まり。

 二十日市公民館
 
家に帰り、暑い二階に風を通さなくちゃ、と上がると、涼しい。
 朝、締め切った部屋で、電話しておこうと、我慢出来なくて、冷房を入れたまま、 
忘れていた。なんということ。
 普段は我慢してつけないのに、私のいない時間、部屋を冷やしていたとは。
   

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2012年08月13日

松本俊介「生誕100年」展覧会



   


http://www.nhk-p.co.jp/tenran/20120523_163046.html y 市の橋

昨夜、NHKの日曜美術館で、松本俊介 の絵画を紹介していた。
 いつも、日曜美術館を見ているわけではない。オリンピックを見ていて、チャンネルを変えたら、「松本俊介」という言葉が飛び込んできた。
 初めて、松本俊介の絵画「立てる像」を展覧会の一作品として見たときに、強烈な印象を受けた。
 その時に、松本俊介、という名前を覚えていて吉田さんの、絵画展が、鶴岡八幡宮で開催された際に、神奈川県立美術館で、「立てる像」のポスターを見て、入ったら、松本俊介の絵画が、この美術館のメインだった。

 戦後のY市の橋

 そして、昨夜、松本俊介の画業を作品と共に、紹介されていた。
 「Y市の橋」を、松本は、何度も描いている。実際の風景では、ない建物や、実際には、見えるはずのない、視界から離れた所にあるものを、視界の中に、デフォルメして、風景画が描かれている。
 「立てる像」も同じだ。人物が、風景よりも、遙かに大きく描かれて、「私」という存在そのものを、描いている。

 松本の絵画は、心象風景だと解説されている。そうだ、私がこれほど、強烈な印象を受けて、この人の絵画に心を惹かれるのは、松本俊介の「心象」だったに違いない。

 来週の、日曜日の朝、この放送が、再放送されるのではないか、と思う。以前に、夜見ていたものを、次の日曜日の朝、見たことがあったから。



 松本俊介の今年が、生誕100年にあたるとか。
 戦争中に、戦争に荷担して、戦争を鼓舞するような絵画を描いていた画家達が、戦後、カメレオンのように、変わり身の早さを見せるのを、認められなかった画家の一人だ。
 吉田さんは、「フジタ」の絵画を認めなかったように。吉田さんが、黒一色でしか、絵画を描けなかったのも、「心象」

 松本俊介の「y市の橋」を模写してみせた、斉藤さんは、松本俊介が、昭和23年の6月に、36才の若さで、この世を去る年に、病床を見舞った画家だ。
 気持ち良く描けたよ、という絶筆となった、「建物」1948年5月は、松本俊介の「心象風景」そのもので、黒の線が自由に踊るように走っている。



 この展覧会は、宮城で開催中、次に島根に行くよう。世田谷の東京で、11月にも。



  

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2012年08月02日

上野公園「ベルリン美術館展」


   


 東京から、帰りの日、飛行機の時間は3時なので、上野の国立美術館で開催中の「ベルリン美術館展」で、フェルメールの「真珠の首飾りの少女」を観に行った。
 東京都美術館でも、「青いターバンの少女」のポスターがあった。国立美術館で、
これから先の巡回を聞くと、福岡だと言われた。
 京都に来ないのなら、観ておこう。 待ち人なくて、空いて居た。入場料の1500円は、 私としては奮発だけど、暑い中、せっかく来たのだもの。
ベルリンに、見に行けるかもわからないから。





 館内は、比較的空いて居たので、「真珠の首飾りの少女」の前に立ち、充分鑑賞させてもらった。
 さすがに、東京、常設展が充実していて、授玉の作品が沢山ある。川崎製鉄の、松方コレクション。
 海外で観たのと、同じ作品も。
 彫刻も多いけれど、全部は見られなかった。
出来たら、東京都の美術館で、もう一枚の、フェルメールを観ておこうと気が焦って。


フジタの素晴らしい作品



 歩いて、5分、美術館に着くと、待ち時間が15分、無理そう。
 受付で、次の巡回先は神戸だと聞いて、じゃ、行けるなあ。
 産経新聞社主催の「書道展」が開催中なので、時間まで。
 総理大臣賞とか、都知事賞だとか、産経新聞社賞、だとか、力作がずらっと展示されている。随分沢山あって、その中に、片岡鶴太郎(笑)、佐久間良子(月)、コシノヒロコ、の3人の特別展示の作品があった。



  上野公園駅の前で、反原発の署名を求められて、サインした。
 金曜日の脱原発デモに、私も行くつもりだったけど、何故か中止になっていた。
 カンパをしてほしいと言われて、わずかだけど、1000円。
 彼らは広島の8月7日のデモに参加する予定だという。
 その後、土曜のテレビ「激論」に、官邸前のデモをしかけた、人達が出演していた。
 最前列の女性は、リーダー的な存在らしく、鳩山さんが官邸前デモにいたときにも、横にいた女性だ。
 ノースリーブの両腕に、大きな竜の入れ墨をしている。ファッションなのだろうが。
 田原さんに、「何故、地方に行かないのか?」と聞かれて、「お金がないからだ。官邸前なら、交通費が出せるけれど、地方までは。」と言っていた。
 上野公園で、彼らは、交通費の為に、カンパを募っていたのだろう。



 官邸前デモに、参加して、演説していた、瀬戸内寂聴さんが、「政治家はわからないのです。お金持ちは、貧しい人間のことがわからないのです。」と言っていた。
 
 帰りの飛行機の中に、自民党の世耕議員が乗ってきて、ファーストに座った。続いて、民主党の石井一議員が入って来て、ファースト席に座った。

石井議員、秘書が迎えて


 私に席は、ファーストのすぐ後ろだったので、アテンダントが愛想よく対応している姿も良く見えた。
当然の特権だといわんばかり。むむっとして、席を立って言いたいことが、とも。
 「あなたがた、せめて、エコノミーの席に座って、隣の人の意見でも伺えば?」

 確かにそう。彼らは全くわかってない。わかろうともしない。民衆の「生活を守る」なことなど。 
  

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2012年06月18日

7月26日から、吉田堅治展が広島で開催されます。



    


今朝、吉田さんの娘さんから、お電話をいただいた。
 吉田堅治さんの、個展が、7月の26日から、広島のはつかいち市で、開催されるとの
お知らせです。
 NHKが協賛になって、8月の原爆記念日にちなんで、平和を改めて考える集い、というコンセプトで開催されるのでしょう。

http://www7b.biglobe.ne.jp/~kenji-yoshida/index.html  


去年の3月11日は、原爆の800発分もの放射能が、日本中にばらまかれたのですが、目には見えない為に、その怖さは覆い隠されたまま、私達は、何もないかのように、生活しています。
 身にふりかかってからでは、遅いのに、現実感がない人々は、原発が必要だと思っている。
 野田総理が、国民に、安全性を約束したから、と責任を転嫁するかのように、再稼働を容認されました。
 今、起こっている現実はどうでしょうか。
 水には、セシウムがなくても、その底に貯まっている泥に、高濃度のセシウムが検出されているのです。
 阿武隈川で、鮎が放射能に犯されているのです。

 人間は、大丈夫、ではありません。
 大飯原発には、活断層があることを、政府と関電は認めようとはしません。
 ない、と言っているのですが、現実には、あるのです。
  琵琶湖が犯されると、近畿の命の水は、汚染され、人間が生きる為の水が飲めなくなるのです。
 そのような、命に関わる危険を、電気の供給の為に、犠牲になんて出来ないはずなのに、 「そんな事態には、滅多にならないだろう。」という安全神話の復活です。

 橋下知事も、「停電が起これば、命にかかわる人も出てくるので、再稼働は有り難い。」とコメントしています。
 病院や、命綱の器具をつけている人達のことを言っているのでしょうが、そういう所は配慮出来ます。
 東京は、昨年18パーセントの削減をしました。
 やれば、出来ることを、あえて、やらないようにさせている。

  吉田堅治さんは、「平和への祈り」を「生命」の大切さを、訴えて絵画に表現しながら、命の灯火を燃やし続けた画家でした。

 吉田さんは、清貧に生きた人でした。最低のものだけあれば良い。わずかなものを分け与えることを喜びとした人でした。

 平和を実践した人でした。
 人の命を大切にした人でした。
 飢えていないか、と訪れる人の
 為に、食べ物を常に用意していました。
 危険な目に会わないか、と誰にも心を痛める
人でした。
命の限りを尽くして、誰にも、分け隔てなく、
愛をつくした人でした。

 日本には、かつて、清貧に生きることの美しさがありました。
 分かち合って、苦難を乗り越えて行く、優しさがありました。
 今、私達は、もう一度、考え直す、機会を与えられたのに、
 それがもう忘れ去られようとしている。時間は余りにも性急です。

 吉田さんの「展覧会」は、立ち止まり、考える場を提供しているのだと
 思うのです。

 はつかいち市ギャラリーでの、個展のお知らせは、吉田堅治ホームページの最後にくわしく
 載っています。ご覧ください。  

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