2016年09月28日

怒り




先日会った友人が、昼間、イカリを見てきたというので、三宮のイカリかと思ったら、今やってる、映画のこと。
良かったというので。私も見たくなって、西宮TOHOシネマズに昼前に行った。
新しいレストランがいくつかはいっている、私が時々利用していた、小籠包のお店はなくなって、韓国料理の店になっていた。
以前にあった韓国チゲの店もなくなっている。




12時前から、席につけない人が、外の椅子に座って待っている。
美味しそうな店ばかり。
ガーデンズは、平日でもランチ時は、女性客が多い。
楽しそう。




映画、怒り、の冒頭から、凄まじいシーン。
血塗りの殺人現場から始まる。
男性ばかりの乱行クラブに、歌舞伎町の風俗など、ショッキングなシーンが続く。
半オムニバス的に作られ、怒りの様々なドラマを形成していく。
渡辺謙が、地味で抑えた役所を上手く演じていた。妻夫木や、松山ケンイチ、綾小路演技派の熱演。
監督が誰かと思ったら、韓国人だった。
韓国人らしい、熱い映画だった。


  

Posted by アッチャン at 09:50Comments(0)映画

2016年05月31日

月末の映画は、revenant





優待券を使わないことの方が多いこの頃、昨日から、二日間、西宮ガーデンズの映画館に通った。
それほど見たい映画がないのと、テレビでもすぐに出てくるから、映画館にわざわざ行かなくてもというので、忘れていることも多いのだけど、気づいたからには、行かないと気がとがめる。
昨日は、ヘイ、シーザー、という映画を見て、今日は、蘇りし者、revenant,
今日の映画は、凄まじかった。ものすごい迫力で、残虐、スピード満点、肩がこる映画。極寒の中の撮影で、こんな映画は、かつてなかったと思える。
主演の男優が、知っている顔なのだけど、名前が出てこない。
体当たりの熱演でここまで頑張るのが信じられないからいのハードな演技。
トムハンクスも顔負けの凄い演技に感心して見ていたら、最後に名前が出て、ディカプリオだつた。
アカデミー主演賞を執念でとったことは知っていたが、この映画だと知らず、デカプリオではなく、別の男優をイメージしていたのだけど、どこか違うとは思ってて、そうだったのかと、また驚かされた。
この演技なら、文句なしにアカデミーが取れる。
デカプリオは、悪役にも挑戦して、なんとか、甘いイメージを払拭しようと頑張ってたけど、逆効果だなと思っていた。
わからないくらい、見事な変身ぶり。
童顔で可愛いイメージから脱皮して、演技派のハードボイルドな役にこだわって、汚れ役に挑戦して来たのが、この映画で御見事。
満場一致で、オスカーは、デカプリオ以外には、考えられなかっただろう。  

Posted by アッチャン at 17:09Comments(0)映画

2016年05月23日

海よりもまだ深く




是枝監督の話題作、海よりもまだ深く、を尼崎の映画館で観ました。
尼崎の高層住宅に住んでいる人達も、そして誰でもが、このような問題を抱えていて、諦めたり、何かを捨てたりしながら、辛うじて幸せという名の電車に乗りたい、一応はなんとか暮らしているように、自分を納得させているが、
心は、本当に望むところは、そこにはなく、海よりもまだ深く、どうしようもなく葛藤し続けているのだろう。



表面的に拒絶し、反発し、希薄に、遠ざかって暮らせても、心は深く深く、どうしようもなく深く、愛したい、愛されたい、それが人間の性、本質なのだ。
是枝監督の作品は、人が生きていく悲しさを伴ったいとしさを、淡々と静かにさりげなく表現するのが見事。
バックグラウンドの音楽がまた良い。生活の中に溶け込んだ音楽、さりげなく存在する音の世界。


映像の美学にこだわる監督ではなく、音楽、会話や、声、風や空気、普段の生活の中の、暮らしの道具、使われ方や、生活のシミや垢までも、大切にし、そこに人間の生き様があるとする作り手だと思う。人間の暮らしが匂うもの、触れるもの、歴史。
冗談にしないと、面と向かっては向き合えない、シャイな真面目さが、映画の全面に流れている。  

Posted by アッチャン at 15:57Comments(0)映画

2016年05月05日

歩いても歩いても




是枝裕和監督の映画が、日本映画チャンネルで放送されている。
海街ダイアリー、は、ダビングの途中で、トラブルがあって、最後までみられない。
ジェイコムのオンデマンドで、540円で見られるけれど、ほとんど見ているので、ツタヤに行って、半額で借りようと我慢している。
歩いても、歩いても、という映画は、何度も繰り返し、放映されている。
とても良い作品なので、日本映画チャンネルを見られる人は、是非。
何気なく、繰り返される日常的生活の中で、人間の深い心のひだを見事に表現している。
心に深く残る作品。
海外で、評価が高いのも、共感出来る、基本的で、本質的なテーマを、日常の中に、誰もが入りやすい形で表現され、深い共感を呼ぶのだろう。
これまでに、誰も知らない、そして父になる、は見ている。
ちなみに、5月の何日からか、新しい映画、海よりもまだ深くが公開される。主演は、歩いても、歩いても、でも主演を務めた、安倍寛。
他のメンバーも、同じ顔ぶれ。
樹木希林が良かった。楽しみだ。
是非見たい。
  

Posted by アッチャン at 12:12Comments(0)映画

2016年01月21日

、FUJITA




近隣の人が、小栗監督のトークがあるから、行かないかと誘いに来た。丁度、予定のない日で、お掃除しようと思っていた所。
さばいているが上がってもらった。
午後3時過ぎからなので、ありあわせの菓子をだして、話を聞き、車で迎えに行くからと言って、一旦帰ってもらった。
会場は、売布にある、ピピアという映画館、
映画の好きな人のために、厳選した映画を、比較的長い期間
上映している。わたしは初めて。
フジタは、みたいと思いつつ、まだ見ていなかった。
開場に着くと、満席に近く、最後列の席が、3席残っているだけ。話はすでに始まっていた。映画の技法に関する話から、
内容に移って行った。
枠の中に切り取られた、非日常の世界が映画であり、それはショットの積み重ねで出来ている。フジタは、200くらいの少ないショットでできている。
物語の筋を追うようなわかりやすい映画を作る気がないこと、わかりにくい映画が作りたい、と。
監督の話は、良く理解出来た。
参加者からの質問に答えている小栗監督の話は、なおさら、フジタを見たいという思いに。
ほとんどの人達はすでに映画を見ているのに、私は逆。
最初の、映像から、私は強く惹きつけられた。セピア色の、パリの風景。



映像のショットの一つ一つが、枠にはまった絵画のように、美しい。動く絵画。
私には、とても分かりやすい映画だった。モンパルナスのカフェに集まっている画家や娼婦や踊り子。
ユトリロを除いて皆エトランジェ。知っている画家の名前が次から次に出てくる。
フジタという存在を、物語ではなくて、いくつものスナップ写真を合わせて、浮かびだすという方法を取っている。



職人としてのフジタを強調している。職人の技として、中世美術館のタピストリーが使われているが、小栗監督が使いたかったという気持ちがよくわかる。素晴らしい職人の技は、永遠にあせることはなく、見る人を魅了している。




ファンタジーの偽りの世界。現実のものではない、創造の世界。
カテドラルの石にひれ伏す高光太郎の詩を、あこがれを持って読む後輩の画家。その詩には関心ないフジタ。
日本には、独自の文化があり、西洋に劣るものではない、と自負しているフジタは、日本画の面相筆の繊細で修正のできない線を描くこと、白さを際立たせ質感を強調する技法で、パリの寵児となる。
アポリネールの詩が使われ、流れる川のイメージは、「泥の河」や小栗監督のメインテーマになっている。最後に、フジタが描いた、悲惨な戦争での二枚目の絵画「サイパン島同胞臣節を全うす」が、川の水面下にゆらいでいる。






ランスにある、フジタの教会に描かれた、キリスト磔刑の絵画と、使徒の1人として、フジタの顔が映し出されて映画は終わっている。
お寺の鐘や鉄砲の素材になる、日用品の中から、フジタが茶瓶を取って見つめるシーンは、フジタがものに執着し、職人の仕事に愛着と価値を持っていたことを表現している。毛糸で絨毯を補修するシーン、ミシンを踏むフジタ。

フジタは、戦争画を描いたことを後悔していない。日本の誇りである、職人技の最高のものを描いたことへの誇りを持っていた。その絵画は、フジタにとって、神業に匹敵する。現実の世界ではなく、虚構の世界であり、キリストの磔刑像に匹敵する。人々が祈りひれ伏す、キリストの受難の像や絵画に匹敵するものだった。




戦後のフジタの絵画は、フランス人形や猫、子供の絵画。フジタは絵画の中に身を投じて、戦死したのかもしれない。自らをキリストに「同化して。情熱の輝きは失せて、戦後のフジタは、その亡骸を抱きながら、日本人からの決別、エトランジェとして、パリに生きるフジタが切望し続けたのは、フランス人として、別人として生きることだった。教会の片隅に、自らの顔を描いたフジタは、最後までエトランジェだった。虚構の絵画の中に、自分の顔を描いているのは、そこにいない現実を意味しているのではないだろうか。

映像の美しさ、悲しさは、流れる川のように、私の心にも流れていく。



  

Posted by アッチャン at 14:21Comments(0)映画

2015年11月12日

岸辺の旅から、裁かれるのは善人のみ。





先日、久しぶりに映画、岸辺の旅、という日本映画を観た。失踪した夫が帰って来て、僕はしんだよ、と告げる。夫の即席を二人で辿って旅しながら、夫がお世話になった人達や、心を通わせた人達との再会と、別れの中で、空白の時間が愛によって埋められていく。良い映画をを観たという思いが、次の映画への興味につながって行った。、3つ、今日は、立て続けに観た。
1001グラムの愛
アクトレス、
最後に、裁かれるのは善人のみ



でどの映画も秀作だつた。其の中で、
ロシアの作品で、カラー作品なのだけど、何故か、白黒のイメージが強い。戦艦ポチョムキンを思い出したためなのか。
キリストの生き方に真実がある、と説教する神父と、教会に集う人間に、キリストは存在しない。
自然の厳しさに、打ち負かされ、壊れた船の残骸が、荒い海に浮かんでいる。
自然の厳しさに対抗できない無力な人間。だが、自然の中で生かされている。
その船のような存在である、善良に生き、う打ちのめされ哀れな姿を晒す人達。
やり切れなさがのこる映画。
映画は、観客に、現実を突きつけて問いを残す。
観る人達は、同様に、衝撃を受けるだろう。
私が、感銘を受けている、韓国のカトリック作家の小説に、善人と悪人の違いを問う問答が出てくる。
善人とは、正直であること、誠実であること、博識であること、の3つの条件が挙げられる。
悪人とは、その逆で、嘘つきで、よこしまで、偏狭な知識に囚われている人間をさすだろう。
博識であることは、学歴があることではない。自分をはかりとして、全てを歪みなく、公平に推し量る力量を備えるために、世の中を明晰な眼で観て、あらゆるところから、学び、偏見のない博識を持つ人間のことをさすだろう。
この判断は、とても万人には、相当しない。理想
だけど、現実的は違う。
この映画の中に描かれている、教会に無縁の人達、法の万人として、事実を信ずる弁護士。
かれらは、人間であるから、罪を犯し、絶望して、酒におぼれ、自滅していく。
人間の真実が、描かれていることに、ショック。
  

Posted by アッチャン at 08:35Comments(0)映画

2015年10月12日

高野聖



歌舞伎シネマの9月、高野聖は、風邪でダウンしたので、観られないと諦めていたら、神戸松竹だけ、延長していて、誘っていながら、キャンセルしていた友人に再び声をかけて、観に行きました。
夕方の、5時前からの時間帯なので、朝は、パーマ、昼から母をほうもんしてから、神戸に。
スタバで待ち合わせて、私は先にチケットを変えて。
友人は、長い間、映画館に行けなくて、今回も、御主人には、途中で、出るかもと言って来たそうだつたのだけど、高野聖に魅力されて、腰の痛いのも忘れて、最後まで。
私は、以前に一度、観ている。
その時に、玉三郎の妖艶で、気高さもあり、純粋な美しさと、獅童が、汚れのない純粋無垢な、高野聖にぴったりのはまり役で、二人のコンビが素晴らしいく
深く感動したまのだから、また観たいという思いが強かった。
歌舞伎の舞台だけでは、とても表現不可能な、映像の力を発見出来る作品。
また、泉鏡花の作品の中でも、純粋性に置いて、最もわかりやすい作品だと思う。
そして、日本語の美しい言葉使いにも、魅了される。
泉鏡花の、美しい文体は、、泉鏡花の影響を多大に受けた、川端康成、三島由紀夫へと受け継がれていく。
日本語の美しい言葉で語る玉三郎の純粋で、気高さも伴った解説の、美しさにも、未利用される作品。


  

Posted by アッチャン at 16:32Comments(0)映画

2015年06月04日

朱蒙

韓国ドラマ、朱蒙、にすっかりはまってます。途中から見たので前編の見てない分をビデオで買いました。すごく面白いです。


高句麗の、創始者を、モデルにした、時代劇で、主演の、ソン、イルグクがとても魅力的。相手役、ソソノを演じている、ハン、ヘジンの、美しさは、韓国ドラマの中で、抜きん出た存在でしよう。ソン、イルグクの、演技が、自然なのも、他の韓ドラにない魅力。



ビデオを買っているのは、チャンネル銀河で、放送しているのを、録画していたつもりだったのに、撮れてなくて、ビデオを買つたのです。楽天などでも、ネットで、見られるし、ツタヤから、借りてもいいのですが、友人にも、貸し出しできるからと。ぜんかんかえば、高いから、録画している分は、買わないないので、飛び飛び。
アメリカで、はまつているのよ、と言って、ネットの、写真を見せたら、息子のバートナーが、息子に似ているというので、そういえば、と気がついて。
日本に帰ってから、ドラマの、朱蒙が、息子によく似ているので、胸のときめきが、失せてしまって。
素敵だと、胸キュンだったのに、息子の顔に見えて、すっかり熱が冷めてしまった、
でも、話の展開が面白くて、はまつてます。
2,007年の、フジテレビで放映された、随分前のもの。再放送は、完全版の、字幕で、同じものですが、コマーシャルがないので、すっきりしています。  

Posted by アッチャン at 07:29Comments(0)映画

2015年01月27日

クロワッサンで朝食を

   





 http://www.cetera.co.jp/croissant/    


 神戸のシネリーブスで、最終日に出かけた友人から、よても良かったわ、と聞いていた映画だった。

  ビデオでも借りようかなと思ったり。 テレビで放映されないかな、と番組を見てはチェックしていたら、

  昨夜の、イマジカで、放映されることを知った。ビデオにも撮ったけれど、放映時間にも、やもたてもたまらずに。

  2012年に作られた映画で、ジャンヌモローが主演。リトアニアとフランスと共同制作の作品。

  原題は、「リトアニア女性が、パリに。」

  彼女の言う通り、心に残る映画だ。 リトアニアと言う国の背景をしる必要があるだろうが、

  パリで、自由な空気の中で、新しい生き方を見出していくのは、ジャンヌ、モローが演じる、毅然とした老婦人

  (フリーダ)がそうであり、その頑固で気位の高い、老婦人の世話をするために雇われた、リトアニアからパリに
やってくる生活に疲れ果てた女性、アンヌも、自分の新しい人生を見出していく。
  孤独な二人の女性が、反発しあいながら、互いに寄り添い、新しい家族の形態が生まれる。

 すぐ近くにある、カフェの主人は、フリーダの愛人だった男で、彼だけがフリーダを支えていた。

    フリーダと、彼とアンヌの3人のリトアニア出身の、新しい家族の形態をしさする所で終わっている。
  「アンヌ、ここはあなたの家よ。」

  老婦人のアパルトマンは、サンジェルマンあたりかな、広くて、趣味の良い高級な調度品に囲まれて、家の中でも、
  素敵な洋服、アクセサリー、髪もセット、お化粧も。毅然として、チャーミングな貴婦人のような老婦人を演ずる
ジャンヌモローが、とても魅力的だ。
  自然な老けようで、皺も深いけれど、手を加えていない美しさの満ちている。不自然な若作りをしている役者も多い
 が、自然な方がずっと良いと思わせる。

 家政婦のアンヌは、どんどん洗練されて行く。女を忘れていた女性が、もともと持っているエレガントな魅力が引き出されて
いく様も見事だ。

  

 パリの朝食は、パン屋さんで買ってくる出来立てのパンから始まる。

 私の家の周りを見渡しても、そんなパン屋さんは、ない。

 パリだと、向こう三軒にパン屋さんがあって、朝も昼も夜も、バケットを買う人が並んでいる。

 サンジェルマンの高級アパートも、エレガンスさを磨くことも、新しい家族に恵まれることも、夢物語

 だけれど、「クロワッサンで朝食を」毎朝、楽しめるくらいは出来そう。

  パリに行かなくても、やきたてのパン屋さんが近所になくても、クロワッサンで朝食は出来そう。

 そういう朝食だけれど、パリのエスプリを味わえるのでは?
  
  私だったら、紅茶ではなくて、コーヒーとクロワッサンだけど。

  老婦人がのむのは、紅茶。マリアージュの朝食用の紅茶かも。

 そう、紅茶の方が、スノッブでエレガントなイメージがあるわね。イギリス式の。

 映画の中で、リトアニアからの友人達が、20年ぶりに、アンヌに頼まれてやってくる。
 夫婦を離婚させたと非難するリトアニアの仲間。
「結婚する前には、何をしていたのか知っている。」と非難する。

 アパートから出いけと叫ぶ夫人。
  「私は彼と寝ただけなのに、いつまでも昔のことを覚えていて私を責める。」

 彼女は、娼婦だったのかもしれない。優しい金持ちの夫を得て結婚したのかも。
  自分中心に生きて来た老婦人の孤独な末路が浮き出される。

 それも、パリという町に生きる人の象徴的な姿を現している。リトアニアで、飲んだくれの主人と別れ、老人ホームで働き、

 老いた母親の介護をしていたアンヌ。母親がなくなって、虚無感に襲われていた時に、かかってきた電話は、パリでのある老婦人のお世話
 をする仕事だった。

  お互いに抱いていた、孤独と虚無を、埋め合うように、二人は互いに無二の理解者に。無二の親友に、無二の親子関係に。

  隣に人がいても、無関係に生きるパリだから、人を求めあう関係も、夢物語のように生まれるかもしれない。

    

Posted by アッチャン at 13:38Comments(0)映画

2014年11月24日

私が惹かれる、高倉健




 この所、高倉健を忍んで、特集がテレビで放送され、映画が上映されている。
私生活を明かさなかった、高倉健の素顔を写したビデオなども放映されている。
 昨夜、NHKが、プロフェショナルの取材で、100時間、高倉健を取材していた
ビデオを編集して、スペシャルという形で放送した。
 ある人は、ヤクザ映画のスターだから、映画にも興味がないし、認めないと言った。
好き嫌いのはっきりしている女性で、受け付けないもの、というのもはっきりしてる。
 私は任侠映画の高倉健を知らない。
私が知ってるのは、「幸せの黄色いハンカチ」や「居酒屋兆冶」の高倉健





 80歳になって、この辺りで話ておきたいと言って、カメラの前で話しているのを聞いて、やはりこの人に魅力を感じていたのは、
そういうことだったからと思った。
 役を演ずる役者の生き方が、画面に現れるから、この40年間、高倉健は、孤独を耐え忍ぶ生活をしてきた、という。
 彼は、撮影中、危篤だった母親にも会いに行かず、葬式にも出ていないと言う。それだけは胸を張って言える、映画俳優として生きて来た、仕事に徹してきた、と。
 その悲痛な悲しみをも、自らに課して、演ずる人間として繁栄させていた。
 「捨てました。耐え忍ぶだけ、耐え忍んで、随分捨てて来ました。そのことだけは胸を張って自慢できる。」
 3年に及んだ「八甲田山」の撮影中、他のオファーは全て断って、この映画一本に集中した。生活が苦しくなり、マンションもベンツもお金になるものは売ったという。
 映画の役作りの為に、捨てたものは数知れない。
離婚後、独身を貫いたのも、幸せな生活を捨てたからだろう。
 その孤独が、相手に与えることで、癒された。





 高倉健と接した人は、誰もが、「優しい人、心をかけてくれる人、義理人情に厚い人。」という。
 そういう人間が、スクリーンの中ににじみ出ている。孤独で寂しい人だとわかる。
 人間をこよなく愛してる人だとわかる。
健さんのようになりたい、という俳優さんは、とても健さんのようにはなれないこともわかっている。自分に厳しく生きることの出来る人は稀だ。
  昨日、最期の作品になった、「あなたへ」を観た。
映画で、夫婦役の田中裕子と不似合だという人もいる。だから観ていられないと。
 確かに、相当年の違う夫婦だけれど、そういう夫婦はいくらでもいる。
 孤独で寂しい二人が、温めあってよりそうスように。
壊れやすい、繊細な心を持った二人。

健さんは言う。
どんなに心を砕いても、手を差し伸べても、其の人を救うことは出来ない。その人の代わりになることは出来ない。人は孤独なんです。自分の時間を生きるしか出来ないのです。
「あなたへ」のテーマもそうだった。
停まっていることは出来ない。生きてるということは、自分の時間を生きる事。それはどんなに愛を尽くしても、手元には残らない。
故郷の海に散骨してほしいという遺言と、亡くなってから故郷に届く手紙には「さようなら。」という言葉だけが書いてあった。
 考えつくしたあげくに、夫がたどりついたのは、「ありがとう」という感謝と、自らの刑務官という職を辞して、自分の時間を「鳩」として生きる選択だった。
監獄の中にいる人達は、伝書鳩を使って、外の世界と繋がろうとする。
「自分は今日、鳩になりました。」と死んだ人間として、名前を変えていきる漁師に言って、去っていく。
 悔やんでも元通りにはならない人生。自分の時間を生きて行くしかない。
「あなたへ」の夫は、孤独な漂流の旅を続けて行くことを選択する。自らを織から放って。
  

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2014年09月01日

歌舞伎映画「野田版 研辰の討たれ」

 


 先日、神戸松竹で観た、歌舞伎映画「野田版 研辰の討たれ」の中で、引っかかった台詞がある。
仇を追っている兄弟が、敵を追ってあてどなく旅を続けて、疲れ果てている
状態を、「なかなか死なない、がん患者の看病に疲れ果てるようなもの」という
台詞が入っている。
 この台詞は、癌を患っている人に対して、侮蔑的で、不適切な言葉ではないだろうか。
この芝居の中で、追われている、敵が勘三郎の役なのだけど、命が惜しいと命乞いをする。
生きテー、生きテー、と切実に語るが名帳場が、悲しい。
人は桜のように、潔く死んで行くものではありません。秋の紅葉のように、真っ赤に焼けて、一片、一片、はらはらとおちて死んで行くものでしょう。
勘三郎は、勘九郎から勘三郎に襲名を終えて、まだ元気な頃の舞台です。
まさか自分の身体が癌の病に侵されるとは、想像もできなかったことでしょうが。染五郎と勘太郎が、敵討ちの兄弟を演じていて、許されて助かったと喜ぶ勘三郎を、だまし討ちにして、故郷に錦を飾る兄弟。
紅葉を一片が横たわる身体に、ひらひらと落ちる所で幕はおります。
不適切な言葉が気になる所もあるお芝居でしたが、勘三郎がその後それほど時間も経たないのに、癌で亡くなったのは、一緒に芝居を演じていた役者達も、たまらない気持になるのではないかと思います。
残して良いものと、辛いものがあるのです。
笑わせる為に作られたお芝居ですが、複雑な気持ちで、笑うに笑えないお芝居です。
  

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2014年08月16日

仁左衛門と玉三郎の「牡丹燈篭」

  
        


  
 今日は、京都の大谷さんにお参りに行くつもりだったけど、大雨だということ。
今も雨が降っている。
お墓詣りをしたので、大谷さんにまで行かなくても良いかなとも思う。
お彼岸に行けば良いかな。
昨日は、神戸松竹に、歌舞伎映画「牡丹燈篭」を観に行った。
午後一時から終わったのは4時だった。
 途中僅かな休憩時間が入っているだけなので、随分長いお芝居だ。
http://www.shochiku.co.jp/cinemakabuki/lineup/10/

三遊亭圓朝の落語から取ったお芝居なので、三津五郎が圓朝に扮して、高座に上がり、そこからお芝居へと移行する形になっている。
三津五郎も、なかなか芸達者なお芝居を見せてくれているけれど、なんといっても、仁左衛門と玉三郎の、息の合った名コンビぶりが素晴らしかった。
 18年ぶりということだけど、二人とも、円熟した演技と、呼吸がぴったりとあって、
夫婦の情愛と慣れ親しんだ身体の寄せ合いから、手の使い方まで、一部のすきもない、それは見事という他言いようのない演技を見せて、歌舞伎の美学を彷彿とさせてくれる。
二人とも、油の乗り切った頃の共演だったことが、2007年の歌舞伎座公演で納得がいく。
貧しい暮らしの夫婦役が特に良い。汚れ役から、リンとしたおかみさんまで玉三郎の変化も見どころ。
面白くて、やがてな悲しき二人の名演技を堪能させてもらった。




歌舞伎座を建て替える以前、勘三郎もまだ勘九郎だった頃の、仁左衛門が病から復活して、すっかり身体が順調に戻った頃のお芝居で、声のはりも動きも素晴らしい。
玉三郎は言うまでもないが、この舞台は、二人に取って貴重な作品で、名コンビとしての最高の演技かもしれない。
  

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2014年07月20日

「ジゴロ イン ニューヨーク」映画

     


  忙しかった一週間が過ぎて、ほっとした所・
昨夜は寝過ぎで朝起きたのは9時を過ぎていた。身体が痛い。
筋肉がおかしくなってきた。
これはいつものパターンだけど、来週も、結構予定が詰まっている
ので、寝込むわけにはいかないので、なんとかこのまま平常に体調が
戻ってくれればありがたいのだけど。
 アメリカで撮った写真を整理していたら、帰ってからの写真が消えてしまった。
http://gigolo.gaga.ne.jp/ ジゴロ イン ニューヨーク

昨日は、「ジゴロ イン アメリカ」を観てきたので、その写真をボルグに入れようと思ったのだけど。
 「ジゴロ イン アメリカ」は、ウッディアレンが出ているけれど、そうではなく、主演のジョン、タテューロの脚本監督作品だった。ウディがこの映画のアイデアにほれ込んで出演を決めた。
ニューヨークマンハッタンと、 ニューヨークのブルックリンが舞台で、ユダヤ人地区がたーげとに。





本屋を廃業して、ウディは、ジョンをジゴロに仕立て、彼がポン引きで儲けは6,4。
  ジョンは、様々な顔を見せる俳優で、かっこいいイケメンに見えたり、うだつのあがらない気の弱い男に見えたり、恋に真剣で真面目になったり、自在に変化できる俳優だ。
ウディはいつもの通りで、変わりようがなく、ウディアレンそのもの。
 ユダヤ人が見ると、好感は持てないのではないかと思える作品だけど、ウディ事態が、ユダヤ人の仕来りと因襲に、ダメ押しをしたいところなんだろうなと思う。
 ニューヨーカーとユダヤ人街に住むユダヤ人達の暮らしぶりとは、あまりにかけ離れ、人間の自由を束縛し、不自然で歪なものとして捉えている、ジョンの脚本に共感を覚えたのだろう。
 このテーマは、ニューヨークで、競争心を燃やして生きている人々の孤独と寂しさを
描いている。ジゴロはお金で買える愛人だけど、癒しを求めていいる。
 小さな花束をもらうだけで、愛されていることを知る。そっと肌に触れてもらうことで、
抑えていた感情が溶けて、寂しさが癒される。



 ちょっとした心遣い、なにげない思いやり、そういうものにも飢えている、頑張り屋さん達が、逆に浮かび上がって来る。
 本当の恋を知ったジョンは、ジゴロ商売が出来なくなる。その恋の相手は、彼がセラピーをしたおかげで、同じユダヤ人の男の愛を受け入れられるようになる。
 失恋したジョンは、ニューヨークを出てくという。けれどそのニューヨークだから、新しい出会いが生まれる。
寂しい人達が、愛を求めているニューヨーク、各国からやってきて、多国籍で、多人種の町、ニューヨーク。自由の女神がシンボルのニューヨーク。
 
  
 
  

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2014年07月19日

玉三郎「天守物語」

  

      

  玉三郎の相手役に海老蔵を迎えての「天守物語を歌舞伎シネマとして観ました。
天守物語は、泉鏡花の作品で、映画の冒頭に、玉三郎がビロードのスーツに身を包み、
雰囲気のある洋館のリビングルームで、本を読んでる姿が映し出され、鏡花の世界を語る場面が一番好きでした。
薄い日の注ぐ、静かな部屋で、玉三郎は、泉鏡花が求めた世界と同じ、詩的世界。
美しい言葉、美しい景色、美しい声で美しい語り。美しく、純粋な世界を夢見る作家と
その世界を映しだす化身のような玉三郎。
泉鏡花の美的世界は、、人間世界から、距離を隔てて現実逃避でもあるのですが、
玉三郎という人も、おそらく、浮世の付き合いからは常に距離を置き、一人遊びが性に合っている人なのでしょう。
ナルシストの極み、自分を写す鏡も備え、底の映る自分を極限にまで美しい姿で、美しい言葉で表現することに、全霊を傾けて、精進してきた人でしょう。


純粋な心、純粋で混じりけのない愛を求め、そういう愛を玉三郎は演じることで昇華させている。
その相手が、この天守物語では、歌舞伎界の貴公子と言われる海老蔵なのです。
 詩的空間の中で、詩的言語に酔う。それは夢見る世界です。
 泉鏡花の作品は、人間世界をアウトサイダー的な存在から批判し、嘆き、自然界の純粋で涼やかな愛の美を追求したものが多い。
 天守物語もその一つですが、私的には、「高野聖」の方が心に深く響いて好きです。
やはり、歌舞伎シネマで観たのですが、映画としての造り変えも優れていると思う。
 天守物語でも出演している、獅童が、修行僧に扮して、玉三郎の相手役を務めているのですが、泉鏡花の言う、涼やかな美しさを醸し出しているように思われる。





 海老蔵との共演では、「海神別荘」が良かった。
 何でも手に入れる海の底ぬ住む純粋な王子が、村一番の美しい娘を嫁に迎えるのです。
file:///C:/Users/nitanda/Pictures/images.jpg
海老蔵にうってつけの役ですし、玉三郎が世にも美しく、儚さを秘めた美女の役で、二人のバランスがとてもよく取れていた作品です。
 泉鏡花の作品を、文字の上で、じっくりと味わってみたいと思うようになったのは、
今回の玉三郎の泉文学への解説によるものですが、それと同時に、蘇る泉鏡花の真骨頂とも言える作品を思い出したわけです。



亀姫に、勘九郎{その時は勘太郎}が演じていたのですが、可愛らしい妹のような亀姫には、七之助が適役であっと思うのですが、その当時、
もしかしたら、七之助は、不祥事で歌舞伎に出られなかったのも。
 飛ぶ鳥の勢いで、怖いものしらずの海老蔵の大胆な演技が見られたのも、天守物語、海神別荘での海老蔵です。
  

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2014年06月10日

歌舞伎映画「大江戸リビングデッド」と西村屋

        



   朝一に上映する、歌舞伎映画「大江戸リビングデッド」を観に神戸松竹に出かけました。
朝早く出ているのは苦手な方なのですが、朝の4時ごろから目覚めているので、それは楽。
 先週で終わる予定だったので、見られないと思っていたら、神戸だけが、一週間の延長上映をしているのを知ってのことです。
火曜日なので、神戸はレディースでデイだけど、歌舞伎は関係ないのですが、それでも、
場内はほとんど客もいない状態で、いままでこんなことはなく、特に神戸は混んでいたのに、と不思議に思ったら、それもそのはず。
 あまり面白くなくて、演出は野田秀樹ではないだろと思ったら、当たりでした。
脚本演出共に、「あまちゃん」で人気急上昇の宮藤官九郎でした。

http://www.shochiku.co.jp/cinemakabuki/ooedolivingdead/ 

 面白く描こうとして、じたばたしているのに、対して笑いを誘えない。
演出の方は、放置状態で、役者まかせで自由にやらせろ、とのことだったのでしょう。
 歌舞伎役者は、伝統的な枠を飛び出して、はちゃめちゃに楽しんでいるのですが、それ観客を乗せられない。第一、脚本に魅力がない。
 脚本と演出が全てと言われる演劇ですから、そのどちらもこけたら、くさい芝居になります。
 映画だから、メーキャップの荒い異常さも際立って見えるのも良くなかった。
しかし、見ないとおういう感想は持てないのですから、行って良かったわけです。
 朝早く、パン一個食べただけのお腹ですから、終わったらすぐに食べたくて、映画館の向かいにある西村屋に直行しました。
民芸茶屋はお休みで、隣のステーキハウスの方が空いていて、そこには初めて入ったのですが、隣の民芸にもある、1980円の和食の定食にしました。
昼だけのサービスメニューは、これと、2100円のステーキ定食があります。
 鉄板焼きのカウンターの後ろに、ワインが4本ほど飾ってあって、その中に、息子が空けてくれた、レストランで150ドルだったのと同じワインがあります。
 酒屋で60ドルだったというのですが、日本のステーキハウスではさて、どのくらいするのだろうと気になります。西村屋ですから。
 料理は全て、申し分なく美味しくて、特にお造りの鯛が、とろけそう。
 ご飯にそぼろがかかっていて、友人が「お弁当によくいれたわ。」と三色弁当を思い出して。子供達に持っていかせたのか、私達の子供の頃の弁当にも入っていましたから。
  会社員の子供は、この三色弁当、つまりここにかかっている、そぼろと桜いろのでんぶと卵の崩したんものがご飯の上に綺麗に並べているので、美味しそうだなと羨ましく思ったものでした。
 母の弁当ときたら、鮭か、卵焼きか、一個をおかずにぼんと入れてあるだけの、実にシンプル極まりないものでした。
 カレーをっかけて、弁当箱からにじみでた時の弁当箱と、溶き卵のそぼろを、出汁と一緒にご飯のかけたもの。でもこれがご飯に染みこんで美味しいのです。
 そういうわけですから、丼ものやカレーが今も好きなのです。嫌だと言う人結構いますよ。別々でない,と。
 朝のお弁当どことではなかった忙しい母でしたから、当然なのですが、手の込んだ愛情弁当を開いている友達の、三色弁当が美味しそうにみえたものです。
 ですが、その味は、思っていたのとは程遠いもの、彩は綺麗でも、味はさほど期待したものではないのです。
 鮭にご飯というシンプルですが、あの美味しさは誰もが知っているでしょう。
カレーだって、お替りしたくなるくらい。厚焼き玉子の甘い美味しさ。
  私の食の原点はそんなところにあるのかもしれません。
勿論、西村屋の、上質のご飯にかかっている美味しいそぼろとの相性を楽しんだことも確かですが。
  

Posted by アッチャン at 08:58Comments(0)映画演劇

2014年04月24日

アナと雪の女王

  
     

http://ugc.disney.co.jp/blog/movie/category/anayuki アナと雪の女王

 歌を習っている友人が「アナと雪の女王」が見たいというので、西宮ガーデンズシネマで
待ち合わせ、切符売り場に1時間前に行ったのですが、ほとんど満席で一席づつ別の席があいてて、観ることが出来たので、ラッキーだった。もう少し遅ければ、遠くから西宮まで遠征してもらって、肝心の映画が見られなかった。
ガーデンズシネマは、平日ほとんど客が入っていないのに、この映画の人気は評判通りすごい。
 歌の先生が絶賛していて、是非見るように勧められたのだそう。
内容も面白くて、主題歌を初め、ミュージカル風の歌の数々がどれも素晴らしかった。
12時に映画が始まるので、ローゲンマイヤーのサンドイッチを半分づつ食べて、見終わってから昼食をにしようということに。映画が終わったのは2時。






 先日、空いているのはそこだけだったので入ったレストランが以外に良かったというと、甘いもの好きの友人が行きたいというので、再びそこにしたら、コースを注文すれば、デザートは無料で食べ放題だと言われた。2時を過ぎていたのでなのか、平日だったからなのかわからないが。
この前は、500円くらいの別料金だった。





  コースの食事でほぼお腹は一杯になるので、それほど食べられるものではないのに、
 隣の席に一人で座っている女性の食べぶりは、大食い選手権に出られるのではないかと思われるくらい。
 テーブルにアイスクリームとケーキを各種盛ったお皿をみて、良く食べるなあと感心したのは序の口で、食べるわ、食べるわ。何度も往復。ワッフルの分厚いのを2枚、その上にこってりカスタードクリームを盛り上げて。




 その、向こう側に座っているカップルは、ワッフルを何度も作ってはテーブルに往復している。甘いもの好きのカップル。ワッフルは、ご飯替りになるほどのボリウムがあるのに。

 そのどちらものテーブルの人達は、結構立派なお体格をなさってます。
常連さんなんだろうな。
 私も卑しい方だから、食べ放題となると、頑張るけれど、とてもとても。
 甘いもの好きの友人も、眼を丸くして彼らを見ていた。
 友人と別れて、母の所に行くのに、いつも何か買っていくのだけど、甘いものを食べた後で、満腹で買うのを忘れていた。夙川の駅の近くのケーキ屋は閉まっているし、パン屋さんも休み。手ぶらでいくのもと思いついたのは、クリーニング屋さん。酒屋とクリーニングと、ちょっとした食料品を置いていた。
 どのお菓子をみても買う気にならない、お腹一杯で、どれも美味しそうには見えない。
 母の所から、コナミの寄って、夜家に帰ったのだけど、それでもお腹が全く空かなかった。
 あの甘いものの大食い競争しているような人達は、どんなお腹しているのかしら。
  

Posted by アッチャン at 01:11Comments(0)映画

2014年04月12日

映画「あなたを抱きしめる日まで」

    映画の半券で、茶碗蒸しが無料。



見たかった映画「あなたを抱きしめる日まで」を観に行きました。
その前日、1時半からの上映だったのが、5時55分に代わって、
翌日からは、朝9時半からになるので、今日しかないと思ったのです。


http://mother-son.jp/

 予告編

朝から、医者回り。昼ぎりぎりに、内科の医院に。
前回は、6時半に閉まるのを知らず、当然7時だと思い込んで。
医院に行くと薬局に電話して、患者の処方が行っても良いかと医者が聞いています。
私はすぐ傍に薬局があることを知らなかったので、逆瀬川まで行っていたのです。
医者は、薬局がなければ、処方箋を出しませんと言われました。
閉店せずに待ってくれていました。
薬剤の値段は違うのですね。薬局の処方箋を持っていけば、どこも同じだと思ってたのですがこの店の方が安いのです。
今回は、胸の痛みのことを言うと、胃かもしれないと言って、薬をくれました。
早食い、大食い、肥満で、食後すぐに寝る人がなるのだとか。咳も胸の痛みや、締め付けられるような感じがするという症状が出るそうです。
 酸の多いものを食べると、確かに胃酸過多がわかるし、もち米で出来たものも、胃酸があがってきて、以前からその傾向はあったようです。
 午後は、3時から始まる、眼科に。薬が切れたら、ということで、2か月ぶり。
 この眼科では、眼底検査と視力検査を定期的にしてます。
これも安心の一つ。
視力は、右が1,5、ありました。勿論メガネの度数をいれてですが。
前回は、まつ毛が逆に生えているので、抜いてもらったのですが、今回もぎりぎりとか言われて。これが痛いのです。痛いですね、と言いながら、ちくりちくり。
 ドライアイはこのところ、順調なのですが、薬はかかせない。
 医者通いは、お金がかかるものですね。
歯医者と眼科、内科と3種の神器のように毎週、お金が出ていきます。
 眼科の近くにある図書館で、伊集院静推薦の本があるかと聞いたら、一冊あって、あとの木下しょうぞうという人の本は、予約しました。
それから、車でガーデンズに。
「あなたを抱きしめる日まで」を見ました。
 実話です。重い話ですが、とても良い作品です。
 アイルランド人は、情熱的でエネルギッシュな人という人間像が、どの映画でも見られます。
カトリックが、パッションを弾圧する為に使われていたのだと思われます。
「マジソ群の橋」でイタリア人の血が静かな生活に中に抑え込まれた情熱を爆発させますし、相手の男は、太古の昔から自由な心を持っていた、アイルランド人だった。
 その二人が、運命的な恋の落ちるわけですが、「あなたを抱きしめる日まで」の少女が、
 情熱の身を任せ、子供を宿してっしまって、修道院で出産、多くの少女が、密室で違法な出産で、命を落としている。
 彼女達は、宗教的な罪の意識を持ちながら、情熱の局地としての、恍惚を体験したことへの幸福感も抱いている。
 まさに、パッションなのです。宗教的な神秘がそこに隠されていて、それが真実なのです。敬虔な信者でいることは、恋の情熱にもひた向きに突っ張れる。
 貧しいアイルランドの国で、多くのそういう罪の子が生まれ、それを修道院は、アメリカからの客に売っている。
 この事実も、隠さねばならない罪深いことですが、同時に、未来を子供達にギフトするという神のご加護でもある。
 この映画の中で、主人公の女性が言います。
「私は誰も憎まない。憎まないことのは、心にどれほどの痛みを伴うことでしょう。
 憎み、許さないことも、深い苦しみが伴うものです、」
息子は、アイルランドの、彼女が子供を生んだ修道院の墓地に葬られていました。
 最初の場所に、戻ったのですが、それも、神の秘儀なのかもしれません。
 母親の愛は、息子に知らず、届いていたのです。
エイズという病気は、血の病です。愛の結果の病です。
パッションの神秘、歓びと苦しみ、人間の原罪を、見事に堀おこし、私達の心に
鏡をうつす作品です。

  

Posted by アッチャン at 10:49Comments(0)映画

2014年04月08日

きらめく日本画展と、映画「ダラス、バイヤーズ、クラブ」






高島屋で開催中の、「きらめく日本画コレクション」を観に行きました。
以下引用

きらめく日本画コレクション
■4月2日(水) → 14日(月)
■7階グランドホール

主催:大阪市、産経新聞社
※ご入場時間=午前10時~午後7時30分(8時閉場)
※最終日は午後4時30分まで(5時閉場)
※入場料〈税込〉:一般 800円/大学・高校生 600円/中学生以下無料

大阪・中之島に数年後、待望の新しい美術館が誕生します。その方針決定を記念して、準備室の所蔵する珠玉の日本画約50点を一堂にお披露目。竹内栖鳳、上村松園、北野恒富の作品をはじめ、近代日本画の精華をご高覧いただけます。

ホームページをご覧の方に、割引入場引換券をプレゼント!

身障者手帳持参者と、付き添い一名無料なので、友人の手帳に便乗させてもらいました。






彼女は、美術に興味がないので、ほとんど名前も知らないのだそうですが、上村松園とか、名だたる画家の名前は知っていて、50点の展示の中でも、光っているのは、誰でも知っている画家のものです。
小野竹喬の風景画は,目を引きますし、北斎を更に抽象化したような、大胆な波の絵は、当時としては、ものすごい革命的なもので、日本のしぼりにみられる、伝統的かつ大胆な抽象画のような図案を絵として発表したようなもので、福田平八郎の作品だったと思うのですが、水辺の波をブルーで描いたものです。
ランチに、高島屋の8階のグルメゾンにある、「タント、タント」というイタリアンを予約してました。
普段は和食一辺倒の呑み助亭主の世話をして、けなげに食事を作っているので、私と会う時は、パン食にスパゲッティーなどを食べたい人なので、値段も手頃なイタリアンを予約すると喜んでもらえることがわかっているから。
一番人気の、2100円のコースに、一休限定のスパークリングワインがサービスになって、一休からの申し込みだと、税サービスを入れて、2100円。





 7種類の前菜の味はまあまあですが、白ワインを選んだら、グラス一杯に入れてあって、
日本ではお上品にも、底の浮かぶ程度のワインにがっかりするものですから、タント、タント、嬉しかった。
スパゲッティーもたっぷあって、味が良かったので、友人は、この前食べたのよりもずっと美味しいと喜んでいました。
 甘いものがお好きな友人は、デザートのケーキをもったのをペロリとお召し上がりになって、私はしゃべりに夢中になっている間に、なんとか食べてしまっていました。




イタリアンでは、どこもコーヒーが美味しい。濃くて私の好みの味にできている。
12時半に入って、3時までゆっくり出来ました。
 膝に自信がなくなって、いよいよ手術してもよいと思うようになっているとのこと。
以前にも股関節の手術をしていて、手術はしたくないと頑張って来たのですが、いよいよ、と覚悟を決めるほど、痛むようになってきたのです。
 
 嫌だと思う時は、まだ余裕があるのです。あれやこれや頑張って来ても、もう限界かな、と思うと、手術するほうが楽なのではないか、と思うようになる。歩けるようになりたい、と願うようになるのです。
 手術すれば、元のように歩けるようになると言われていても、決心がつくまでには、
相当我慢しての後でないと、出来ないものなのです。
 なんでもそうなんだ、と思います。火が付かないと、消しにかかれないもの。


 宝塚100年の写真



 友人と別れて、梅田まで帰って来て、以前から見たいとおもいつつ、時間があわなくて見られなかった映画を見に、梅田のテアトルに急いで行くと、映画はすでに15分ほど始まっていました。
頼みこんで、途中から入れてもらいました。
「ダラス、バイヤーズ、クラブ」です。
アカデミー主演男優賞を取った作品です。随分長い間、上映している映画ですので、いつ終わるかとひやひやしていた映画です。

http://www.finefilms.co.jp/dallas/trailer.html 予告編

http://www.finefilms.co.jp/dallas/

 最近は、実話の映画化が断然多いようですが、この映画もその一つ。
余命30日と宣告された、カーボーイが、病院の臨床実験の承認薬の副作用から抜け出して、メキシコの医師剥奪を受けた医者から処方された、ビタミン、ペプチドという無害のもので、多くの患者を救い、自らも7年間生き延びた人の物語
この映画の中でも、添加物の入った食品を食べてはいけないということがわかるのですが、、私達が平気で口にし、平気で指示に従って、飲んでいる薬などは、利権の産物なのです。
無害なビタミンと、ペプチド、添加物のない食べ物が、人間の自然治癒力や治癒は無理でも、抵抗力をつけさせ、傷みを和らげ、普通の生活を永らえることに役だつことを証明しています。
癌の患者の場合でもそう。
添加物のない、自然の恵みを食べることで、延命効果があるということを聞いたことがあります。
私達は、自然の産物なのですから、病を治す方法も、自然の中に答えがあるのかもしれません。

  

Posted by アッチャン at 15:44Comments(0)映画

2014年04月06日

映画「家族の灯」





歯医者の帰りに、シネリーブス梅田に行った。
 なかなか映画を見る時間をつくれないので、今日は
思い切って。
 観たい映画は沢山ある。その中で、「コーヒーをめぐる冒険」
と「家族の灯」を選んだ。





時間まで1時間あるので、そのあたりを歩いた。今朝、早起きしたので、
映画が始まると、うとうと。6つも賞を取っているので、期待しいた、
「コーヒーをめぐる冒険」なのに、眠気が襲う映画で、途中、我慢できずに
出て行った人もいた。
「家族の灯」は、見ごたえのある映画だった。

http://www.alcine-terran.com/kazoku/

最高齢の105歳の監督作品なので、名画を多く出していた頃を彷彿とさせる、正統派の作品だ。
舞台劇のようなセッティングで、高齢の役者達の台詞で引っ張って行く作品だ。
レンブラントの光を見るような暗さの中の希望の光を捉えた舞台装置。
皆m、芸達者な役者ばかりで、言葉の響きが美しい。
ラシーヌの悲劇をみるようにも思われる。
クラウディアカルディナーレとジャンヌモローが共演しているというので、見たいと思って選んだのだけど、見終わった後でも、ずっと窓辺からぼっと見える、うすぐらいガス灯のような、人の影を隠す灯りの下に、雨が降り続けて居いるように、途方に暮れて泣いている登場人物達の姿が残っている。
不在の息子を待つ家族に灯されていた薄暗い希望の灯、家族の灯りであった息子が、
戻って来る。何もおこらないことの幸せが辛うじて家族をつないでいた。
待つことへの希望を乗せて。
8年待ち続けた息子は、犯罪者として、刑務所にいた。
彼は、会計士として預かった大金を盗んで、再び消える。
父親は、「私がやった。」と叫ぶ。妻を悲しまさないために。希望の灯を消さない為に。
いつか、息子が家族の愛を理解し、生き方を変えてくれることを願って。
  

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2014年04月01日

映画「キリング.フィールド」

  


http://www.bing.com/videos/search?q=%e3%82%ad%e3%83%aa%e3%83%b3%e3%82%b0%e3%83%95%e3%82%a3%e3%83%bc%e3%83%ab%e3%83%89+%e5%8b%95%e7%94%bb&docid=607999792471868821&mid=292E2022721737D8C982292E2022721737D8C982&view=detail&FORM=VIRE7#view=detail&mid=04F17FBAF6F7EF674D7A04F17FBAF6F7EF674D7A imagine



 シティーバンクから電話がかかってきた。
先日、係の人と電話ではなくて、初めて対面したら、映画の話で
盛り上がってしまって、肝心の話はほとんどなしで終わってしまった。
今日の電話は、「映画を見たので、その報告」もかねてとか。
 彼のお父さんは、映画監督で、いくつかの代表作品の名を聞いたのだけど
題名は知らないので、忘れてしまっている。
まだ、とても若い人のようだ。父親の金策で苦労しているのを見て、自分は
銀行マンになりたかったとか。
シティーバンクは、一時、存続を危ぶまれた。息子のいるオハイオには、シティーバンクがない。リストラをやって、人員整理した。
 一時、取引停止の処分を受けていたからなのか、何をするにも、すごく厳しくなっている。客側ではなくて、働く人達にとってなんだけど。
 5000ドルを購入しただけなのに、他の人の目でもチェックするようになっている。
シティーバンクは、プライベートバンキングなので、パリのように、個室での応対になる。
それで、余分な話も出来るわけで、映画の話で盛り上がったわけで、
 今日の電話でも,一声が、「あなたを抱きしめる日まで」を見てきました、ということで、
私は「ワンチャンスと、ディズニーとの約束」を見て来たのよ、ということで、映画の話でまた盛り上がり。
 話はアカデミー賞の「それでも日が昇る」になり、私は、この作品よりも、「キリングフィールド」の方が、アカデミー賞納得の映画だと、説明すると、それが是非見たいといわれた。
 私の話を聞いていると、その映画が見たくなると言われて嬉しかった。
若い人達は、「シンドラーのリスト」でも知らないのだそうで、映画好きでないと語れないそう。


http://www.bing.com/videos/search?q=%e3%82%ad%e3%83%aa%e3%83%b3%e3%82%b0%e3%83%95%e3%82%a3%e3%83%bc%e3%83%ab%e3%83%89+%e5%8b%95%e7%94%bb&docid=607999792471868821&mid=292E2022721737D8C982292E2022721737D8C982&view=detail&FORM=VIRE7#view=detail&mid=292E2022721737D8C982292E2022721737D8C982


「キリングフィールド」などは、古の映画で、私も忘れていたのだけど、ケーブルでやっていて、再び見る機会があった。
 ベトナム戦争を取り上げた映画には、秀作が多い。
 その中でも、この作品は、カンボジアを舞台にした、すさまじいく、リアルで、衝撃的な作品だ。
 最初に見て、ショックを受けた。
 映画とはいえ、戦争の悲惨さをリアルに使える作品が、最近はないように思う。
 美化されるものが多くなっている。それではいけない。
 戦争は、正当化されるものではない。
 「キリングフィールド」の中で、イマジンが流れる。
 「イマジン」にこそ、平和への願いが込められ、人を信ずること、人間の優しさと愛が
表現される。
カンボジア人のカメラマンと、アメリカ人のジャーナリストとの。
事実をもとにした映画は、説得性があるが、その中でも、この作品はアカデミー賞にふさわしい、秀作だ。
そういう映画を知らない、若い世代に、是非見て欲しいと思う貴重な作品の数々を、どうしたら
可能にすることが出来るのだろうか。
 
  

Posted by アッチャン at 11:33Comments(0)映画