2013年03月10日

日本へ



     


従姉妹の家に帰りの挨拶に寄った、少しだけ挨拶して、と思っていたのに、1,2時間話しして、
アパートに帰ったのは、10時、それから、冷蔵庫の霜取りをするのに、溶けるまで時間かかって、台所の掃除などしながら、ごそごそ起きていて、夜中3時に寝た。
夕方の飛行機だから、ゆっくり出来ると思っていたけど、5時50分発の飛行機だったので、1時半には、出ていかないとと思っていた。朝一度洗濯機に入れ、スイッチを入れて洗い始めてから、ベッドの側に置いていた、黄色い布が、残っている。
友人が日本に帰った時まで使っていたシーツだった。すっかり忘れてしまって、洗濯する時に、洗おうと思っていたシーツだった。



この洗濯機は、日本のと違って、途中でさわらないようにしているので、洗い上がるのを待って、もう一度。洗濯機が洗い上がるまで、1時間半かかる。
 
 朝、残り物を片付けようと、無理して沢山食べた。友人が残しておいてくれた、コキーユ、サン、ジャック。とても美味しかった。山盛りのサラダと一緒に。昨日買った、ミルフィーユの残りは、食べ始めたが、ほとんど食べられなかった。ヨーグルトも残っていて食べたので、もう限界。、ゆでた卵は、リュックに入れて空港に持って行った。





 従姉妹の話によれば、
 私が、ベンチに座って居たときにやってきたのは、警官ではなくて、窃盗団だった。警察は、そういうことに、かかわらない。日本のように、交番所なんてないそうだ。
 路上で、お金を見せたら、刺されるわよ、と。フランス人は、現金を持たないそうで、従姉妹のレストランは、現金払い。現金を持ち歩かないので、出しに行く客がいる。
 私のお金が無事だったのは、ユーロで、金額が少なかったからだという。



日本人は、日本円を随分持っていて、それを狙っての犯行グループだという。
二人だけではなく、回りに、何人も見張っている。数人のグループだそう。
そういえば、彼女を連行していくのかと思ったら、彼女は、また観光の人達に、道を訊ねていた。確かに、人が多かった。見張りがいて、その人達と会話して、連絡しあっている。
 
 両替所で、分厚い束の、日本円を換えに来ているのは、窃盗したお金だという。両替所も、わかっていて、両替している。
 
 パリは、腕の良い、スリがいて、あの手この手を生み出す、頭の良い犯罪者達が、自慢げに横行している街であることは、昔も今も変わらない。
 だます側が、賢くて、それに引っかかって、だまされるものは、馬鹿の笑われ者もの。
 日本人は、お金を持っている、生真面目で、お人好しのターゲットとして、定着している。
日本人は、簡単に謝るので、その時点で、とてもやりやすいターゲットでもあるそうだ。


 

空港へは、地下鉄と、郊外電車を使っていく。オペラからバスも出ているが、事故とか渋滞に巻き込まれたら、時間がかかる場合がある。タクシーは、楽だけど、お金がかかる。シャトレから、空港に15分おきに、空港への直行便があることを調べておいて、時間を合わせて、アパートを出た。今までは、来た電車に乗っていたのだけど、直行便は、途中停まらないので、客が入って来ないし、25分で空港に行く。車両は綺麗だし、空いていた。



パリから、フランクフルト経由で、成田まで。それから伊丹に。パリからフランクフルトまでは、席の予約がインターネットから出来なかったので、アイルを頼んだら、ウィンドーだった。けれど、3席、私一人だったので、アイルも同様だった。係の人の配慮だった。普通席しかないので、前の席は、間を開けて、ファースト並にしている。1時間ほどの短い時間だから、どこでも良いのだけど。
フランクフルトから、成田までの席で、隣の空いた席がないか、と聞いたら、満席だと言われた。
 来る時に、飛行機に乗り遅れて、とんでもない出費と時間がかかったので、それ以来、時間が気になってしかたがない。



フランクフルトに着いて、スターアライアンスのラウンジに入ったのだけど、セキュリティーを通過してから、あると言われていたので、その方が安心だと思って、まだ充分時間はあるのに、ゲートの側にあるラウンジに行くと、インターネットが無料で出来なかった。でも、ドイツ航空のラウンジは、ビールが美味しい。
パリのラウンジでは、お腹が空いて、ビールとソーセージにパンなど、食べていたので、
 もうお腹が一杯で、ビールだけ飲んだ。咽だけがやたらに乾く。ドイツ料理は、ビールを飲むために作られているので、咽が渇くように配慮されている。



エールフランスでは、パリから関空まで直行便が出ているので、翌朝には、帰れるが、私は、スターアライアンスを使っているので、乗り変えが、二回もあって、
時間はかかるが、ANAは、映画が沢山あって、洋画は字幕で見られるのが嬉しい。日本映画も数が多い。狭いはずの、シートだけど、座っていて、違和感がなく、疲れないように思われるのは、日本人に合わせて、作られているからだろうか。
サービスも行き渡っていて、食事も、日本食が割に美味しい。
最初に出されたのは、海鮮カレー。着く前は、キノコ粥だった。

フランクフルトから、成田まで、4本の映画を見た。
「リンカーン」「幸せの黄色いハンカチ」「東京物語」そして最後の「大奥」は実にくだらない映画。ほとんお見てなくて、寝てたかな。



「幸せの黄色いハンカチ」と「東京物語」は、何度見ても、良い作品で、ドライアイの私に、潤いの涙を誘うので、健康的。
山田洋二の原点のような作品だけど、これが最高作品ではないか、とも思ったり。武田鉄矢と桃井かおり、どちらも適役で、若さとイモっぽさが、良くて、名コンビ。
弱さと優しさが重なりあって、そこにお人好しの馬鹿さが、人間的に暖かくて、この後、山田洋次は、「寅さんシリーズ」で良く似た手法をとっている。
 その主人公である、虎さん役の、渥美清が、田舎くさい警官役で出ているが、世話好きで情の厚い存在という役どころの、はまり役が、寅さんへのイメージにつながったのかもしれない。
高倉健も、倍賞千恵子も、過去の陰を引きずりながら、真面目で不器用、弱いけれど、秘めた情熱の強さを持った、優しい人間達を、彼らの地のキャラクターのように自然に演じている。
隣の女性は、音楽を聴いていたり、寝入っていたりしているのに、私は、映画の場面がおかしくて、つい笑ってしまう。笑って、しんみりして、心がジーンと熱くなって、涙を誘う。山田洋二らしい、作品の秀作。



成田について、待ち時間、ラウンジで、おにぎりを3つと又ビールを飲んだ。ここはインターネットが出来るので、チェックしたり。小さなおにぎりなので、三つで一つ分くらい。美味しい。鮭と梅。海苔で巻いている。
成田から伊丹までは、ビジネスシートだった。
 座席を倒して、寝ながら、伊丹に。楽だなあ。
 

伊丹について、モノレールと電車とバスで家まで帰って来た。
 買った、サムソナイトの大きめのスーツケース、一〇年保障付きの、復元性抜群の強固なはずだけど、傷がついて、チャックの回りのビニールがめくれ上がって、しまっている。
 ただ、引っ張るのに、リュックを引っかける所があって、スムーズに動く場所では楽だ。
 リュックを背負って、コンピューターのバッグに、空港で買った、母への土産のラビットぬいぐるみと、チョコの入った袋を持って、スーツケースを引いて。
 自分でも、よくやるなあ、と感心するくらい。
電車から降りて、バスに乗らずに、タクシーにしようかと迷ったけれど、バスで帰って来た。沢山の荷物があると、バス代だけで、乗るのは気がひける。混んでいたらなおさら。
でも、空いてという時間が良かったのかも。中途半端な時間。花金だから、お勤めの人達は、繁華街でまだ飲んでいる時間。早帰りの人はすでに家でくつろいでいる時間。
バス亭からは、坂道を、一人で転がるように、スーツケースが速度を速める。
 家に着いたら、9時を回っていた。
100円の冷凍うどんが、こんなに美味しいとは。何も入れない、昆布だしうどん。
 



  

Posted by アッチャン at 02:11Comments(0)パリにて

2013年03月10日

日本へ



     


従姉妹の家に帰りの挨拶に寄った、少しだけ挨拶して、と思っていたのに、1,2時間話しして、
アパートに帰ったのは、10時、それから、冷蔵庫の霜取りをするのに、溶けるまで時間かかって、台所の掃除などしながら、ごそごそ起きていて、夜中3時に寝た。
夕方の飛行機だから、ゆっくり出来ると思っていたけど、5時50分発の飛行機だったので、1時半には、出ていかないとと思っていた。朝一度洗濯機に入れ、スイッチを入れて洗い始めてから、ベッドの側に置いていた、黄色い布が、残っている。
友人が日本に帰った時まで使っていたシーツだった。すっかり忘れてしまって、洗濯する時に、洗おうと思っていたシーツだった。



この洗濯機は、日本のと違って、途中でさわらないようにしているので、洗い上がるのを待って、もう一度。洗濯機が洗い上がるまで、1時間半かかる。
 
 朝、残り物を片付けようと、無理して沢山食べた。友人が残しておいてくれた、コキーユ、サン、ジャック。とても美味しかった。山盛りのサラダと一緒に。昨日買った、ミルフィーユの残りは、食べ始めたが、ほとんど食べられなかった。ヨーグルトも残っていて食べたので、もう限界。、ゆでた卵は、リュックに入れて空港に持って行った。





 従姉妹の話によれば、
 私が、ベンチに座って居たときにやってきたのは、警官ではなくて、窃盗団だった。警察は、そういうことに、かかわらない。日本のように、交番所なんてないそうだ。
 路上で、お金を見せたら、刺されるわよ、と。フランス人は、現金を持たないそうで、従姉妹のレストランは、現金払い。現金を持ち歩かないので、出しに行く客がいる。
 私のお金が無事だったのは、ユーロで、金額が少なかったからだという。



日本人は、日本円を随分持っていて、それを狙っての犯行グループだという。
二人だけではなく、回りに、何人も見張っている。数人のグループだそう。
そういえば、彼女を連行していくのかと思ったら、彼女は、また観光の人達に、道を訊ねていた。確かに、人が多かった。見張りがいて、その人達と会話して、連絡しあっている。
 
 両替所で、分厚い束の、日本円を換えに来ているのは、窃盗したお金だという。両替所も、わかっていて、両替している。
 
 パリは、腕の良い、スリがいて、あの手この手を生み出す、頭の良い犯罪者達が、自慢げに横行している街であることは、昔も今も変わらない。
 だます側が、賢くて、それに引っかかって、だまされるものは、馬鹿の笑われ者もの。
 日本人は、お金を持っている、生真面目で、お人好しのターゲットとして、定着している。
日本人は、簡単に謝るので、その時点で、とてもやりやすいターゲットでもあるそうだ。


 

空港へは、地下鉄と、郊外電車を使っていく。オペラからバスも出ているが、事故とか渋滞に巻き込まれたら、時間がかかる場合がある。タクシーは、楽だけど、お金がかかる。シャトレから、空港に15分おきに、空港への直行便があることを調べておいて、時間を合わせて、アパートを出た。今までは、来た電車に乗っていたのだけど、直行便は、途中停まらないので、客が入って来ないし、25分で空港に行く。車両は綺麗だし、空いていた。



パリから、フランクフルト経由で、成田まで。それから伊丹に。パリからフランクフルトまでは、席の予約がインターネットから出来なかったので、アイルを頼んだら、ウィンドーだった。けれど、3席、私一人だったので、アイルも同様だった。係の人の配慮だった。普通席しかないので、前の席は、間を開けて、ファースト並にしている。1時間ほどの短い時間だから、どこでも良いのだけど。
フランクフルトから、成田までの席で、隣の空いた席がないか、と聞いたら、満席だと言われた。
 来る時に、飛行機に乗り遅れて、とんでもない出費と時間がかかったので、それ以来、時間が気になってしかたがない。



フランクフルトに着いて、スターアライアンスのラウンジに入ったのだけど、セキュリティーを通過してから、あると言われていたので、その方が安心だと思って、まだ充分時間はあるのに、ゲートの側にあるラウンジに行くと、インターネットが無料で出来なかった。でも、ドイツ航空のラウンジは、ビールが美味しい。
パリのラウンジでは、お腹が空いて、ビールとソーセージにパンなど、食べていたので、
 もうお腹が一杯で、ビールだけ飲んだ。咽だけがやたらに乾く。ドイツ料理は、ビールを飲むために作られているので、咽が渇くように配慮されている。



エールフランスでは、パリから関空まで直行便が出ているので、翌朝には、帰れるが、私は、スターアライアンスを使っているので、乗り変えが、二回もあって、
時間はかかるが、ANAは、映画が沢山あって、洋画は字幕で見られるのが嬉しい。日本映画も数が多い。狭いはずの、シートだけど、座っていて、違和感がなく、疲れないように思われるのは、日本人に合わせて、作られているからだろうか。
サービスも行き渡っていて、食事も、日本食が割に美味しい。
最初に出されたのは、海鮮カレー。着く前は、キノコ粥だった。

フランクフルトから、成田まで、4本の映画を見た。
「リンカーン」「幸せの黄色いハンカチ」「東京物語」そして最後の「大奥」は実にくだらない映画。ほとんお見てなくて、寝てたかな。



「幸せの黄色いハンカチ」と「東京物語」は、何度見ても、良い作品で、ドライアイの私に、潤いの涙を誘うので、健康的。
山田洋二の原点のような作品だけど、これが最高作品ではないか、とも思ったり。武田鉄矢と桃井かおり、どちらも適役で、若さとイモっぽさが、良くて、名コンビ。
弱さと優しさが重なりあって、そこにお人好しの馬鹿さが、人間的に暖かくて、この後、山田洋次は、「寅さんシリーズ」で良く似た手法をとっている。
 その主人公である、虎さん役の、渥美清が、田舎くさい警官役で出ているが、世話好きで情の厚い存在という役どころの、はまり役が、寅さんへのイメージにつながったのかもしれない。
高倉健も、倍賞千恵子も、過去の陰を引きずりながら、真面目で不器用、弱いけれど、秘めた情熱の強さを持った、優しい人間達を、彼らの地のキャラクターのように自然に演じている。
隣の女性は、音楽を聴いていたり、寝入っていたりしているのに、私は、映画の場面がおかしくて、つい笑ってしまう。笑って、しんみりして、心がジーンと熱くなって、涙を誘う。山田洋二らしい、作品の秀作。



成田について、待ち時間、ラウンジで、おにぎりを3つと又ビールを飲んだ。ここはインターネットが出来るので、チェックしたり。小さなおにぎりなので、三つで一つ分くらい。美味しい。鮭と梅。海苔で巻いている。
成田から伊丹までは、ビジネスシートだった。
 座席を倒して、寝ながら、伊丹に。楽だなあ。
 

伊丹について、モノレールと電車とバスで家まで帰って来た。
 買った、サムソナイトの大きめのスーツケース、一〇年保障付きの、復元性抜群の強固なはずだけど、傷がついて、チャックの回りのビニールがめくれ上がって、しまっている。
 ただ、引っ張るのに、リュックを引っかける所があって、スムーズに動く場所では楽だ。
 リュックを背負って、コンピューターのバッグに、空港で買った、母への土産のラビットぬいぐるみと、チョコの入った袋を持って、スーツケースを引いて。
 自分でも、よくやるなあ、と感心するくらい。
電車から降りて、バスに乗らずに、タクシーにしようかと迷ったけれど、バスで帰って来た。沢山の荷物があると、バス代だけで、乗るのは気がひける。混んでいたらなおさら。
でも、空いてという時間が良かったのかも。中途半端な時間。花金だから、お勤めの人達は、繁華街でまだ飲んでいる時間。早帰りの人はすでに家でくつろいでいる時間。
バス亭からは、坂道を、一人で転がるように、スーツケースが速度を速める。
 家に着いたら、9時を回っていた。
100円の冷凍うどんが、こんなに美味しいとは。何も入れない、昆布だしうどん。
 



  

Posted by アッチャン at 02:09Comments(0)パリにて

2013年03月08日

ベルシー公園から、ユゴーの家


   

 フランソワ、ミッテラン図書館から、ヴォーボワールの橋を渡って、ベルシー公園を散歩した。
この図書館は、4つの建物が、ブックスタンドの形をしている。図書館が出来て、大きなマンションや事務所のあるビルが
建ち、都会的な発展をし続けているが、以前派、パリの外れで、従姉妹が住んでいる所は、バラックに住んでいるアーティスト達がいて、不便な場所だった。
セーヌ河畔に、レストランが出来、水泳場が出来、ボーボワールの橋が出来て、パリらしくなった。

 この所、ずっと暖かくて、今日はちらちら雨が降っているけれど、傘をさすほどのことはない。







 まだ、花は一面には咲いていないけれど、芽を出しているものや、一番咲のクロッカスは可愛い顔を覗かせている。
 ベルシー公園は、昔、鉄道が走っていて、このあたりは、パリとは呼ばない、田舎だったので、田舎の風景が楽しめる。



パリの喧噪を逃れて、椿姫とアルフレードが、田舎に行くシーンを思い浮かべる。


  
 マリーアントワネットだって、パリに生活するのは、疲れるから、ベルサイユに、田舎屋風の、別荘を作ったよううに、パリで生活していると、きっと息が詰まるのだろう。
すぐ近くにある、ベルシー公園の中に入ると、心が安まる。




 解放された気分になる。



 よく、買い物、と思って来ていた、ベルシー公園から、パルク、ド、サンテミリヨン。何も買う気がしなくなった。
買い物は、日常生活の一部だから、また、雑多な暮らしに戻りそうで、やめた。



 ベルシー公園の帰りに、近くのブーランジェリーで、サンドイッチを買った。
 息子が、サンドイッチの美味しさに、驚嘆していたことを思い出した。
 フィンテンブローで、お腹を空かしたので、サンドイッチを買って、道々、食べながら歩いた。 
 旨いと喜んでもらえると、私が作っているものではないけれど、嬉しい。
私自身は、というと、サンドイッチを買うことはほとんどなくて、家でサラダを作るから、パンを添えて食べる以外に、外で買うまではしない。



買ったサンドイッチは、けしの実がついたパンに、鳥と、トマト、卵にサラダ菜、など、ボリウムがあって、とても美味しい。
今回のパリの、美味しい思い出に、堂々のランクインしそう。




 サンポールに地下鉄を降りて、すっと探している、バッグの店に行こうと歩きながら、シリー、ホテルがあって、その中庭がとても綺麗で、その中に入って、次にあるポルトと抜けると、そこはヴォージュ広場だった。
いつも夕方とか、夜に来ていたので、ホテルの扉が閉まっていて、わからなかった。



 じゃ、ユゴーの家に行けると思い、まだ閉館には充分ある時間に、ユゴーの家に行った。 このミュゼーは、パリ市の無料美術館の一つになっている。






2階が美術館になっている。
ユゴーは、レジオン、ド、ノールを、二回ももらっている。

ユゴーの妻

ジュリエット

ユゴーの妻も美しい人だけど、ユゴーが愛した女性は、控えめな優しさがある人で、彼女と過ごした、シノワズリーの部屋には、沢山のお皿が飾ってあって、彼女の所有愛用品だったよう。
彼女の晩年、死ぬ間際に描いた肖像画も展示されている。


ユゴーの書斎、羽ペンが置いてある。
そして、ベッドもある寝室。最後のデスマスクは暗くて見えない。
そのベッドの前に、ユゴーが座っていた、椅子があり、暖炉の上に、燭台がある。







 映画「レ、ミゼラブル」では、老いたジャンバルジャンは、修道院の中で、死を待っている。そこには、いつも手放さなかった、銀の燭台があり、深々と座れる、肘付き椅子に座っている。

 そこに、コゼットと、結婚したばかりの、マリウスがやってくる。
 夢か、誠か。
ユゴーも、幻想を抱きながら、最後の時まで、この部屋で書き、眠り、燭台の前で、祈りを。



窓から、見えるヴォージュ広場



ジュリエットが亡くなる前の肖像



   

Posted by アッチャン at 23:45Comments(0)パリにて

2013年03月06日

パリはあの手この手のスリが横行している


    

マドレーヌから、コンコルドの方向に歩いた。
 パレロワイヤルから、コンコルドまで、サントノーレ通りが続いていて、昔、良くここまで歩いた。
 化粧品が、タックス込みで4割も値引きで買える店や、当時ブームだった、リトグラフなどを売っている店、ロンシャンも、当時は、値引きしていて、いつまでも変わらない、ロンシャンと言えば、のシンプルなポケッタブルのバッグは、丈夫というのが売りもので、革製のバッグが主流だった。



 コンコルド広場から、シャンゼリゼの凱旋門は、まだはるか遠くに見える。
 ぞろぞろと、凱旋門目指して歩いて行く人達。
 車の排気ガスの空気汚染がひどい。
 道を一筋入るだけでも少しは違うようなきがする。

先日、行った、プチパレおグランパレの間を通って、セーヌ側に出た。セーヌも川辺に降りて、ポン、アルマまで歩く。



バトー、ムーシュの船着き場があって、バスが何台も駐まって、船から返って来る観光客を待っている。

私はこんなにパリに来ているのに、一度も船に乗ったことがない。
昔、従姉妹の友人でフランス人の男性が、バトームーシュを、小笑いしていた事があった。

今では、他の観光船が沢山出来て、セーヌは、船の往来で、いつも、船が観られ、賑やか。



ポン、アルマで上がって、エッフェル塔が近くに見える、セーヌに沿った道のベンチに座って、地図を見ていると、若い女性が寄ってきて、地図を見せて欲しい、と言った。
彼女は、泊まっているホテルがどのあたりなのかがわからなくなったと言う。
 私は、彼女に、ここは、ポン、アルマだけど、ホテルの名前は覚えているのか、などと、地図を見せて、思い出せるる?とか、一生懸命になっていた。
彼女は、タクシーでないと、言って、財布の中から、お金を出した。両替して欲しそうにするけど、私は、どこかわからないお金に換える気はない。
すると、すぐに、ポリスだ、と言って、身分証明書を見せ、彼女に、パスポートの呈示を促し、私には、お金のやりとりは違反だ、と言って、私にパスポートかコピーがあるか、と。
コピーを見せると、今度は、財布を出すように言う。



財布を出すと、偽金かどうかの透視をしてみせ、幾らあるのかを数えている。
 ドラッグを売ってるから、とか言って、どこかに報告しながら、しつこく聞かれる。
私は、彼女はホテルがわからなくて、私に聞いただだ、と何度も。
今度は、また財布のクレジットカードを見せろ、という。
クレジットの名前をチェックして、他にお金はないか、とか、隠していないか、とか。
 この日本人は、問題ないとか、小さいマイクで、報告し、それから、また、お金を見せろ、と言う。
お金を出すと、それを数えて、また返してくれた。
 2回も同じことを要求するのはおかしい、と思うが、それ以外にお金は?日本円はどこかにないのか、と聞いて、ないというと、お金を返してくれて、女性を促して連れて行くのか、と思ったら、すぐにその女性は、ほかの人に話かけているし、私服警官らしき男は、そのまま立ち去った。

ああ、怖かった、あと味が悪くて。

こういう同じような手口で、警官を装って、同じような手口で、お金を取られたケースが続発しているようだった。
 二人はグルで、彼女がお金を出した、タイミングでやってくる。




幸いなことに、私はお金を返してもらって、被害はなかった。
彼女を一生懸命に、かばったからなのだろうか。それとも本当の警官だったのか。
タイミングが良すぎるし、そのまま、彼女は解放されて、それまでにも、彼女には、パスポートを見せろと言っただけで、彼女は、チェコスロバキアから来たと言っていたけれど、あのお金は、どこのお金なのかも、偽金検査もされなかった。
やはり、窃盗グループの可能性の方が大きい。

そういえば、セーヌ河畔で、若い女性達が、署名を求めて、そこに寄付金を要求するという手口で、お金を盗っていた。
私も署名してから、お金を、というので、ノーと言って、立ち去ると、後ろからすごい罵声が飛んできた。後で、そういう女性達がうろついて、仲間で話ていているのも見ている。

手口が、ますます、巧妙になっているのだろう。  

Posted by アッチャン at 21:57Comments(0)パリにて

2013年03月05日

フォーションの日替わりランチ

   

 
 日本でも有名な、フォーションが、ランチ時に、日替わりメニューを出していて、18ユーロで、料理とワイン一杯、コーヒーがつく。

 どこかわからなくて、ランチだと言うと、一階のレストランに案内された。
25ユーロになっているので、18ユーロの、と聞くと、それは地下だ、という。

 座ってたけど、地下に移動。旅の恥はかきすてである。


地下は、ワイン倉になっていて、大きなテーブルのカウンター席。来ている人達は、皆、お金持ちそうなひとばかり。
ワインを撰んで、一本囲んで、話している、男の人達も。





 初めに、アミューズの小さなカップ。冷製スープのようなもの。

次にワインを撰ぶ。赤か白かロゼか。

パンとワインが出て、しばらくは、料理待ち。



今日は鴨のカラメルソースかけ。下にクスクスと卵のほわっとしたものが。結構沢山あった。

最後のコーヒーは、さすがに、美味しい。




この店は、単品なら、コーヒーが4ーロ。ワインは一杯6ユーロくらいだ。

特別美味しい店ではないけど、悪くない。

11時から、4時までなので、遅い昼食にも使える。
ピナコテックの側にある、フォーション。  

Posted by アッチャン at 20:15Comments(0)パリにて

2013年03月05日

広重への旅のアート、ヴァンゴッホの日本の夢

 


この二日、晴天に恵まれて、暖かく、過ごしやすい。
 に日曜日は、第一日曜にあたるので、主立った美術館は無料なので、
 どこも混雑している。
 日曜日、ピラミッドから入ると、凄い人なので、装飾美術館のそばから、入ると、地下のショッピングセンターに通じるので、並ばずに入れるというので、そこから行くと、荷物のチェックがあって、並んで待たされた。 
 翌日は、美術館の休館日なので、朝、早い目に、ゴッホの「日本への旅」という特別展を開催中の、マドレーヌにある、パリの新しい美術館「pinacotheque]
に行った。
http://www.pinacotheque.com/

思うは誰も同じなのか、前に、何度かそこを通ってみている時よりも、ずっとチケットを買うために並んでいる。

この美術館の展覧会は、素晴らしいと評判で、いつも人気なのだけど、特別のものだと、中が小さいこともあって、入るのに、ものすごく待たねばならないらしい。

 入場料は、、広重との2つで、17ユーロだった。



 ゴッホの絵画の中でも、知らない絵が沢山あって、安藤広重の錦絵から受けた影響が、この絵のここに、と言う風に、説明されていて、美術フアンに取っては、興味深い。
 入っている人達は、フランスで書かれた、説明を熱心に読みながらの鑑賞なので、足が止まって、前に進まない。
中に入ると、空いている場所があって、その絵を観ながら、先に観られるものを観ておいて、後からまた、と言う風に観れば、効率良く、充分鑑賞することが出来た。

広重の錦絵

 テオが、美術商をしていたので、錦絵に出会うきっかけになっようだが、
その頃、画家達の中で、お金に余裕のあった、モネ、マネ、ロートレックなど、浮世絵をコレクションしていて、それらを見せてもらう機会もあり、ゴッホは、強く、浮世絵を生み出す、日本という「ジパング」を求めて、パリから、プロバンスに移った。
 プロバンスの輝く太陽の下で、ゴッホは、錦絵の、「素早く、一気に、大胆に描く、錦絵の、デッサンと構図を取りいれて、ゴッホ独自の絵画を模索し、勢力的に取り組んだ。
 ゴーギャンを呼び、一緒に生活していた頃は、ゴッホはゴーギャンに、ゴーギャンはゴッホに、触発され、互いに嫉妬するほどの、互いの才能だったようだが、
 二人は、共通して、そして違ったスタイルで日本の浮世絵に深く影響されているのがわかる。
ゴッホの「種まき」や農夫達が、仕事に疲れて休んでいる絵画の、「麦」に太陽の光が注ぐ様子、浮世絵に描かれている、人物達のおおらかさにも、きっとゴッホは惹かれていたのだろう。





 ゴーギャンが去り、ゴッホは、耳を切り落として、ゴーギャンに送る奇怪な行動をとって、精神病院にニ入院する。その頃にも、錦絵の影響は、益々深く、より大胆に、シンプルで大胆な絵を描いている。

 精神病院を出て、ゴッホは、オワーズに来て、糸杉の絵画を描いている。
 糸杉の絵画などは、ゴッホの頭の中で、触発された、「浮世絵」の構図が、つきない夢と幻想にもなって、現れていたに違いない。

 「オワーズの教会」はそのようなゴッホの絵画であり、「糸杉」の絵画の中でも、際だって素晴らしい、糸杉の絵には、おそらく、ゴッホとテオが仲良く、描かれていると私は思う。
 テオが結婚してからも、ゴッホへの援助は惜しまなかったテオだけど、子供が生まれて、 生活にも、苦しくなってきたテオを頼っているゴッホの不安、絶望、深く根ざした、ヨーロッパ的な信仰心、との重圧に耐えかねて、ゴッホは麦畑で自殺したのだろう。

 ブレ、と呼ばれる麦畑、は、ミレーの絵画の中でも、「自然の中で育まれ、働いて、夕日を浴びて、祈る農民達」の姿がある。

 ゴッホは、きっと、そのような、働く人、だった。労働者としての絵描きだった。
 浮世絵の中に、おおらかに働き、生きている、日本人の一人だったかもしれない。

勤勉実直なゴッホが、安らぎを求めて行った、アルル。そこは、フランスの国、カトリックの支配する国。そしてゴッホは、牧師の息子なのだ。
夢の中を生き、幻想に走ることで、かろうじて、生きられ、自分を絶対的に信頼し、支えてくれる人がいての、生きる力だった。

 太陽を浴びて、日中、ゴッホはピストル自殺を遂げた。
 一本の糸杉がそびえ立ち背景は、アルルでゴッホが描いた「星降る夜」のあの青く透明な空だ。

星降る夜に描かれている、男女は、「テオと奥さん」ではないだろうか。
テオの結婚を、とても喜んでいたゴッホだった。と同時に寂しいゴッホでもあったのではないだろうか。
満点の星が輝く、夜は、太陽の裏側の色だ。


他に、3.11の津波で被害を受けた人達の顔写真と、その場の状況の写真が展示されていた。



大写しの顔写真は、フランス語では、フィギュール、と言うが、その人の、全人格と歴史が刻まれているとうので、
絵画の中でも、肖像画として、レンブラントなどは、何度も自画像を描いているのは知られていることだが、

フランス人にとっては、絶望の淵に立たされた人達が、どうして、これほど強く、明るく、試練を乗り越えて、生きて行けるのかは、驚異なのだろう。

今回の、錦絵、に影響を受けた、ゴッホの絵画と、通じるもの、フランス人にはあるのだと思う。だから、この機会に、その写真の展覧会も一緒においたのだろう。




フランス人だからこその試みだ、と思う。ユマニストとしての。  

Posted by アッチャン at 19:48Comments(0)パリにて

2013年03月02日

市立美術館とプチ、パレ


   


 PERで、ポン、アルマで降りて、市立美術館に。
 パリには、無料の美術館や博物館が幾つもあるが、パリに来ると、いつも行くのが、この市立美術館。
ここにある、デュフィーの「音楽の部屋」と、「マチスの部屋」は必見に値する。



 他にも、常設で展示されている絵画に、フェルナン、レジェの作品も多いが、
 藤田が、渡仏して、モンパルナスの寵児となって、キキを連れていた頃に描いた、
 白い肌の裸婦の絵がある。


 
 今回は、特別展に、会場を沢山使っていたので、常設は少なかったけれど、
これだけ観られれば、充分。

写真展をやってて、Martin Frank へのオマージュという展覧会で、画家の肖像写真の中で、
ジャコメッティーとシャガールのが。






 なんといっても、空いているのが、良い。
観光客は、ルーブルとオルセーで、精一杯なので、時間の余裕がないと、まずここまではいけない。

 ボナール、ピカソ、マチスなどの小作品も幾つか。





 小さい美術館だから、疲れないし、デュフィーの「音楽の部屋」は、休みながら、楽しめる。
向かって左手に、科学者達、右側に音楽家や文人達が、描かれている。


左の端







右の端

ディフィーの作品を見ていると、楽しそうに描いているなあ、と思う。色が綺麗だ。その色を、裏の電気装置が効果を出している。

隣にある、パレ、ド、東京 では、斬新的で革新的な試みの展覧会をいくつかやっていて、ここは有料。
カフェがあり、休むのにも、良い場所になっている。



アルマ、モルソーから地下鉄に乗って、シャンゼリゼ、クレマンソーに。
フランクリン、ルーズベルトで、乗り変えると、地下鉄の案内が、タッチパネルになっている。


ちゃんと日本語でも駅の名前が書いている。
さすが、シャンゼリゼから凱旋門あたりは、観光客のるつぼみたいなもので、サービス満点。地下鉄の中も、おしゃれで綺麗だ。




プチ、パレも、無料。
無料のチケットを交換してもらって、入る。
ここの展示品の数が、凄く沢山あって、ちゃんと観ようと思えば、時間がかかるが、そこは無料のありがたさで、暇人なら、何度か足を運べる楽しみにもなっている。





まず、ナンシー出身の、エミール、ガレの作品を観て、庭も優雅だけど、今は冬。



クールベの、作品も、秀作がある。



日本のジャポニズムの影響を受けた、陶器作品などもユニーク。



ブルーゲル二世の絵画もあった。



それに、ドーミエの油絵画が2点。



細かく観ていくと、結構おもしろそうな美術館だ。

閉館時間が来て、外に出ると、向の、グラン、パレに人が集まっている。
ここは、以前に、各国の画廊が集まって、作品の紹介と売買もする、展示会を観に来たことがあった。それは入場料が20ユーロだった。



今夜もなにか、大きなイベントがありそうで、プレス、とインビテーション、それにスタンディングのカードがある。
スタンディングの前に人がいるので、わからないままに立っていると、次から次に、素敵なファションをした、芸能人のような感じの人達や、ファションモデルかと思われるスタイルの良い女性や男性達が、入って行く。招待カードを渡して。

で、最後の人が入って行くと、係の人がちょっと中に入って出て来た。
デゾレ、「残念だけどごめんなさい」と言う。
待っていた人達は、がっかりして散らばる、。専門的な大きなカメラをぶらさげている人達もいた。
私は、なんだったんだろうと思って、看板を後で観たわけで、それは、venessa bruno]と書かれていたわけで、
帰ってから、調べたら、「デザイナーの新しいファションショー」だったわけ。



疲れがとれないまま、いつもどこかに出かけている。  

Posted by アッチャン at 17:27Comments(0)パリにて

2013年03月01日

マレから、ヴォージュ広場あたりを散歩して


   パリの図書館



 ブログを書こうと思い、その前に、日本の様々をチェック。明石での「言の葉」コンサートのチケットをそこで買えば良いかと、玉三郎のホームページを見たら、今月のブログが
載っていた。
http://www.tamasaburo.co.jp/ 玉三郎ホームページ

毎月、初めに、近況が語られる。




その中で、オルセーとルーブルに行った時の話が出ていた。
 オルセーには、休館日に、一人で観ることが出来たそう。
その中で、私が、感動したのは、玉三郎も、ゴッホの「星降る夜」に心が震えるほどの深い感情を抱いたと書いていて、それに、「オーベールにの教会」には、言葉ではあらわせないが、深い感動を覚えたと。



 一緒だ。やはり、玉三郎も、この二つの絵画に、心を奪われたのだ。読むうちに、鳥肌が立って。

 そして、沖縄の「組踊」の稽古をしている。
京都芸術劇場に、人間国宝になっている、沖縄の「組曲」の踊り手によるものを観たくて、
出かけて行った。その時から、興味を持っていた「組踊り」玉三郎のも観たいなあ。

玉三郎と、心に響くものが、一緒だと思うと、凄く嬉しい。共通の思いを抱いているという喜びと共に、自分の見方への信頼のようなものが。



玉三郎が去ったパリ。、

 今日は、マレを歩こうと思い、さて、でかけようと思ったら、帽子がない。中華料理店意外には考えられない。
帰りに取りに行くことにして、地下鉄のサン、ポールで降りて、マレ地区を歩いた。
この地区に、私が欲しい、バッグの店があるとか、でもそのバッグ屋さんの名前を書き留めたのを日本に忘れて来て、いつも持っているバッグなのに、ブランド名がわからない。
 以前は、プランタンにあったが、今はなくて、どこでも見かけない。



 マレ地区は、歩くだけでも、楽しい地区なので。個性的出センスの良い店が、古い町並みの中に、点在して店を出している。
マレは、ユダヤ地区なので、以前に、髪の長い、黒ずくめの人達を見かけたものだけど、最近では観光地になっているようだ。

 マレには、ピカソ美術館もあるが、今は閉館中。



 マレは、1900年までに、6000人のユダヤ人が、ルーマニア、ロシア、ハンガリー、オーストリアからここに、居を構えた。その後、1914年までに、3000人が更に、ここに移り住んだ、とか。

 この界隈にある、カルナバレ美術館は、パリの風景の変遷やパリで暮らしていた人達の生活や、ルイ16世の部屋などが展示されている。
ここは無料の美術館で、貴重な資料を持っている美術館でもある。

フィロソフ

カルディナレ



日本人画家の、赤木さんの作品も沢山入っていると、従姉妹から聞いていた。



 ピカソのセザンヌから影響の強いと思われる、絵画があった.


パリの風景や、建物を、克明に描いた、赤木さんの作品は、パリ建築の設計や構造、外観を精細に描いたものだから、だとか。絵画も沢山あって、ゆっくり観る時間がなくて、閉館時間がきた。

 カルナバレを出て、ヴォージュ広場のほうに向かって歩いた。
 パリで最も美しい広場を言われている。公園を挟んで、四方に、美しい煉瓦色の建物が建ち、その一階は、ギャラリーが店を開いている。

 ユゴーの家



ユゴーの家も、この一角にある。



 以前と同じ、作品をずっと飾っているので、専属のアーティスを扱っている店が多い。





ヴォージュ広場から、バスティーユ広場まで歩く。






バスチーユ広場の向こうに、オペラ座の中が明るいく、人が動いているのが見える。
今夜は、公演があるのだと思って、5ユーロの立ち見席の売り場に行ってみた。
当然の如く、立ち見席は売り切れ。


6時から売り出されるのに、1時間半前から皆、並んで待っている。
私も常連だったが、今回は、パスだな。
 最上階まで、駆け上がって、持ち場を確保する元気がないわ。それに、この寒さの中を、震えながら、外で並び待ちまでして、5ユーロの席を買う気にもなれない。
売り切れているのだもの、そうやって買いに来ている人達が沢山いるのだ。



 もし、あれば、きっと買って、観て帰る所だった。
 バスティーユから、8番腺の地下鉄で、マドレーヌに行った。
帽子を取りに。




 中華料理の店は、客が一組。ランチとは大違いの閑散。
「昨日、帽子を忘れました。」というと、
 店主が、笑いながら、帽子を出してきて、おどけて帽子を回して見せる。



 良かった。
他のレストランも空いている。夜はこんな感じなのだ。不景気だもの。
パリの若い人達は、食べられないので、痩せている。
 マドレーヌにある、フォーションには、人がいる。お金持ちと、貧乏人の較差は広がる一方だ。


マドレーヌ広場のお花屋さん
 カフェにも若い人達が。外はまだ寒いのに、
 テラスのテーブルに座って、おしゃべりしている。
パリは、たばこ好きが多い。カフェかワインとたばこに、テラス。



 帰りに、モノプリで買い物をどっさりして、アパートに帰った。
テレビでは、元気な年寄りの生活、長生きするための涙ぐましい、健康運動などのドキュメンタリーが映されている。

 どこでも同じ問題が取り上げられている。
   

Posted by アッチャン at 20:40Comments(0)パリにて

2013年02月28日

サムソナイトと中華の店


マドレーヌ寺院

  トーンダウンして、無理できなくなっている。このまま、つっぱしったら、ダウンしそうで今日は、アパートでゆっくりしよう。
昨日の朝、オフィシイエル デ、スペクタークルを買った。
 遊びの週間情報みたいなもので、パリスコープとロフィシャル,同じような小雑誌、50セントで買える。毎週水曜日に発売される。これを見て、コンサートや、演劇を見たりするのだけど、疲れていると、どうでもよくなる。
 パリで働きながら,日常を送っている人達は、ほとんど知らない世界だけど、リタイアーした人だとか、文化人、映画フアンや、観光客には、便利な情報源になるだろう。



朝、この雑誌を買って、地下鉄の中で見ながら、マドレーヌに行った。
マドレーヌにある、鞄屋さんに、行く為だ。
持って来た、赤いキャリーバッグを、新しいのに変えようと思っていたので、週パスがあるうちに、買いものを済ませておきたいと思って。この赤いキャリーは、パリのプランタンで買ったもので、縫い目がさけて、パリに修理するために持って来て、
代わりに、新しいのを買って帰った。今回は、また持って来て、いよいよ、棄てて帰るつもりでいる。






マドレーヌのバッグ屋は、観光客に人気で、いつも人で一杯。人気1番の、ロンシャンバッグなど、
デパートで売っているものと同じものが,割引き料金で買えるが、サムソナイトなどの旅行バッグを買いに来る人が多い。
ロンシャンは、10パーセントの割引き。
 値引率を聞くと、旅行鞄は15パーセント。デパートで,決めていた,ドルセーの,スーツケースもあったので、それにするつもりでいたのに、サムソナイトの方が、強いと言われると、サムソナイトが良さそうに見える。
でも、値段が高い。以前に、デパートの店員が、サムソナイトをけなして、ドルセーは、フランス製で、作りが違うと勧められたことがあったので、新しく出た,軽くて、10年保障のものを買うつもりでいたのだ。が、私がほしいと思ったものは、中国製だった。
サムソナイトに対抗して、10年保障の、踏みつけても、ぶつけても復元性がある、スーツケースを、他のメーカーも競って出している。

サラダとサンドイッチの店


ギャラリー、ラファイエットでは、イタリア製の重さ2,7キロのものを勧められた。
売り場の店員は,最初、英語で話しかけてくるが、私がつたないフランス語を使うと、
とたんに、早口のフランス語で,宣伝文句とまくしたてる。
スマートでイタリアらしく、デザインも良いが、プランタンには置いていない。
 プランタンは、ギャラリー、ラファイエットよりも品数は遙かに少ないが、どこにでも置いている、10パーセントの割引き券が魅力で、出来ればプランタンで買いたい。

フォアグラの専門店

 そのディスカウントストアーで、迷っているうちに、お腹が空いて、ご飯を食べて、戻ってくるといって、店を出た。
 マドレーヌまでの道に,美味しそうな店が幾つも並んでいる。
 ミシュランにもザカットにも撰ばれた,人気店もあるが、ランチの29ユーロは贅沢なので、サンドイッチにしようかと思っていたら、中国料理店に、ぞくぞく人が入っていく。 ウィンドーには、お勧めのラベルは何もないのだけど、これだけ人が一杯だと不味くないだろう。



 ほとんど満席だった。
ランチに、10ユーロの定食がある。
 私はそれを注文した。ほとんど皆、そのコースを注文している人ばかり。
きちっと背広を着込んだ紳士もいれば、近くの美術館で、ゴッホの「広重」という特別展を見ての帰りの老女性達、日本人の観光客らしい,若い女性組。
たいていは、カップルで入ってくる。
 私は一人で、レストランに入るのも慣れてきた。



 ワインを25デシリットル取った。2,5ユーロ。ヴァン,ターブルは、だいたい安いけれど、美味しワインは使っていない。
 あまり欲しくないが、ワインがないと、余計に食事がまずく感じられるだろうから。
 
前菜は、パテ、アンペリユール、揚げ春巻き。

主菜に、酢豚を撰んだ。トマトのごろんとしたのが沢山入っている。肉は良い肉ではないので、くせがある。甘い酢豚。
ついている、雪のように柔らかい,白ご飯があって、美味しかった。
 豚肉を残して綺麗に食べた。



デザートは、コーヒーか、アイスクリームか。カフェじゃないから、アイスクリームに。

これだけついて、10ユーロだもの。かいがいしく,働いている中華料理店の家族。感じの良い人達で、常連さんが入ってくると、嬉しそうに迎えている。

 お腹も大きくなって、地下のトイレに行くと、そこにも、部屋があり、客がいた。



外に出て、サンラザールにある、バッグ屋に行ってみようと思った。
マドレーヌの地下鉄でだったか、広告を見て、インターネット出調べていた店。
パリに4軒の店と,オンラインのデリバリーもしている。
レイオン、ドール、と言う名の店。
マドレーヌから、歩いても良かったくらいの距離で、ギャラアリー、ラ,ファイエットの天井が見えている。



 店に所狭しと置かれた,旅行鞄。
 次から次にやってくる客が、買って行く。
 入れ替えて、古いのを棄てていく客もいる。

 今お店は、サムソナイトも、20パーセント引きだという。
 さらに、安い店だ。相当、古いスーツケースや、傷物も置いている。

 私は、ここで、サムソナイトの最新のものに決めるつもりだった。
大きさが、気に入らないけど、新しく出たのは、3種しかない。その中間の68センチ。
 最初に出た、コスモライトという機種が、わずかに残っていて、それは30パーセント引きだという。私が探していた、60センチのものは、売り切れてなかった。

 30パーセントに、屈した。
 ある色は、これしかなかった。
赤色は、随分痛んでいる。長く置いていたようだ。 でも、36ユーロの違いは大きいと思った。

棚の上から、下ろしてれた品も、埃だらけ。 私のことだもの、また新しいのが欲しくなるから、少しでも安い方が良い。
10年保障が、インターナショナルでついている。ヨーロッパ製。重さは3キロあるが、新しいよりも、350グラム重い。あとはほとんど変わらない。




免税手続きをしてくれるか、と聞くと、書いてくれ、といって、免税の申請書を渡された。
書き込んでから、思い出した。
マガザンで、靴を二足買って、免税の紙を作ってもらったら、
 その後、お金が帰って来なかったことがあった。
 


アパートに持ち帰るまでに、妹の娘が、二人目の赤ちゃんを出産したので、そのお祝いを買いに、それを持って歩いた。

アパートに,,帰って、荷物を入れてみたら、半分で収まる。
パリでの滞在の時に持ってくるのには、こういうのが良いのだ、と自分に納得させる。
土産ものも、全部入れて、これ一つで帰れるわ。



また、疲れている。ニコラに行って、シャブリのワインを買って、野菜屋で買い物して、アパートの下に、ベルギー白ビールを買いに。

シャブリ、美味しいワイン、日本にも
あるでしょう。

こちらを見て、愛想笑いをしている男の人がいる。
そうか、この前に、エレベーターで乗ってきた男性で,話しかけてきた人だ。
 私がビールを買って,アパートの戸口で,開けて待ってくれていた。
その男性は、スーパーで、赤ワインを買って、これがエクセレントだ、という。
私はニコラ、で買ったといういと、ニコラはだめ、値段が高い、と。
で、私は、シャブリを買ったの、これを。
ああ、このワインは、すごく良いのもだ。
私の部屋で、この赤ワインをどうだ、とかなんとか言う。
5階で「さよなら」を言ってでてきた。
エレベーターの中から、「ごきげんよう」という声が聞こえた。
陽気で気のよさそうな人だけど、ああいうのはご用心。

   

Posted by アッチャン at 22:17Comments(0)パリにて

2013年02月27日

モンパルナス墓地とカフェ「セレクト」


  


雨がやんで、太陽の光が、部屋に入ってくるが、また曇り始めた。
昨日買った,花を持って、モンパルナスのお墓に。
今日は開いているのだろうな、と心配しながら。
モンパルナス墓地は、大きいので、いくつかの駅から、アクセスできる。
今日は、エドガー、キネで降りて、正面から入ろうと思う。エドガー、キネの両側に、画材屋さんがある。
 表面の一口に、車が入って行くのが見えて、ほっとする。開いている。



 お墓に着くと、青空に白い雲がかかっていた。
蒼空に、華雲、がかかっている。
 風が強いので、寒い。
 しばらくいて、それから、近くにある出口から出ようと思ったが、お墓に眠っている、有名人の名を見ていたら、ボードレールのお墓をみに行きたくなった。
ベケットや、サルトル、などは、以前に見ていたけれど。
すると、お墓のガードマンは、
「誰を探しているのですか。」と
「ボードレール」」というと、
親切に、行き方を教えてくれる。こんな風にして、いつも、訪れる人の手助けをしているようだ。




 ボードレールのお墓には、詩を書いた紙や、お花が備えられている。
 パリにある、このモンパルナス、モンマルトル、ペール、ラ,シェール、は観光の場になっている。ピアフのお墓には、並んで待っているくらいの人気。



 お墓に、日本名に女性が刻まれている。ミツコという名前で
 生まれは、ミヤケ、とあるので、どこだろうと、考えていたが、宮家かもしれない。



 他に、関口家の墓というのがあった。
絵描きで神戸の出身の人で、日本式のお墓が建っている。
 
サルトルとボーヴォワールは、仲良く、一つのお墓に入っている。

サルトルとボーヴォワール

今日は,良いか、と思ったデュラスのお墓にも。



 フランス人のお墓は、自分の作品をお墓につけたり、派手ばれしいものもある。
 古くて、気味悪いものも。



 シェークスピアのハムレットに、「墓堀の会話」が出てくる。
 道化の骸骨を掘り出して、話をする場面が。

モンパルナスの墓地も、夜中、戸口が閉まって,入ることが出来なくなる。
開いていると、墓を掘り返してでも、「盗み」を働く人がいるのかも。
レ、ミゼラブルに出てくる、宿屋の夫婦だったら、やりかねない。

コメディーイタリア劇場

モンパルナスのあたりは、昔、良く来た所だったのに、方角が違うとさっぱりわからない。
大通りにある、クーポールに行こうと思ったのだけど。
ギャラリー、ラ,ファイエットがあって、そこに入ったら、反対の所から出たようで、わからなくなった。

また、とぼとぼ寒い中歩いて、バス亭まで来て、地図を見ても、わからない。
すぐ近くにいるのに。



やっと大通りに出た。
クーポールで、ランチを食べようと思ったが、メニュは、29ユーロから。



で、向のカフェ「セレクト」」に行くと、19ユーロの、ランチがある。
ここは、カフェだけでも、良いけど、ここでランチを取ることにした。

セレクトは、ヘミングウェイの小説に出てくるので、有名なカフェで、モンパルナスの、ドューマーゴ、と並んで、モンパルナスの知識人、音楽家、映画人などがたむろしたカフェだ。



 料理と飲み物とカフェの3点セットで、19ユーロだ。

 私はしばらく食べていないお肉が食べたくなっていたので、子牛の煮込みを頼んだ。
日本語を話す、ギャルソン(といってもおじいさん)で、愛想の良い人だ、。
日本人が沢山やってくるのだろう。
アメリカンバー、と書いている。向のクーポールにも、アメリカンバーと書いている。



籠に一杯のパンと赤ワインを持ってきてくれて、柔らかくて美味しい
料理が出てくるまで、しばらく時間がかかった。

ズッキーニの煮物の入ったボールと、子牛の煮物。
肉ばかり,盛り上がって、こんなに食べられない、と思ったけど、柔らかくて、溶けるようなので、殆ど食べてしまった。
お肉ばかりのお皿。こちらの料理は、こんな感じなんだ。



 ズッキーニも美味しくて、無理しても食べてしまって、パンは残りをナプキンに包んで。

隣にいた,女性達は,英語でしゃべっている。

店を出て、クーポールの隣にある、ドームを覗いてみた。
ドームは、高級な海鮮料理の店だと聞いてたけど、海鮮盛りの,プラトーとワインが半本ついて、48ユーロと書いている。



一人ではこんなに食べられない。
二人でなら、安いものだな。
モンパルナスの大通りは、海鮮の店、通り。



ドームの裏手に、ビストロ、ドームがある。
こちらは、値段を抑えている。ザガット、サーヴェイのレッテルなど、一杯貼っている。
今度はここに来よう。




通りを挟んで、「デ、ズイットル、牡蠣」という店も出来ている。
ここは、もっとリーゾナブルな,ランチがありそう。

  

Posted by アッチャン at 18:17Comments(0)パリにて

2013年02月26日

モンパルナス墓地は、雪でお休み



  

 デパートに行こうと、アパートを出て,地下鉄の駅に向かって歩いていた。ふと吉田さの命日だったかな、と思い、お墓に先に行こうかと考えながら。すれ違った人がいた。フランス人と熱心に話しながら、すぐに、近くのアパートに入って行かれた。偶然にしては、あまりに、と思った。
たしか、吉田さんととても親しくしていた人だった。
吉田さん、今日がやはり命日なのかな、と。
水曜にお墓に行くつもりだったけど、この日に行ったほうが、と天候の悪い中、ピラミッドで4番に乗り変えて、モンパルナスのお墓に。
地下鉄の中のベンチに、浮浪者達が、うずくまるようにして寝ている。
側につながれた犬が、何度も回りながら、再び座って,悲しそうな顔をしている。
 浮浪者にとっては、コンパニオンでもあり、なくてはならない存在だけど、
犬は道連れになって、物乞いの役者にもなっている。
 寒い外で,物乞いをしている人達もいるが、疲れて、この中で寝ているのだろう。



、VIVANで降りた。
トイレに行きたくて、近くにある、カフェコーヒー一杯頼んだ。あたりに花屋さんがないので、一駅歩いた。
お花を買って、モンパルナス墓地のいつもの場所から入ろうとしたら、門が閉まっている。 中を覗いていあたら、歩いていた若者が、「今日は,雪で安みですよ。」と
そんなことあるの?そこかから入れないのかしら、とぐるっと回って、どこもしっかりと、鉄の扉が閉まっている。
 また,中を覗いて、いると、係の人の姿が見えた。
「お花を備えたい。」というと、「明日来なさい。」

 ああ、がっかり。お花があるので、一旦帰らないといけない。



 アパートに帰って、お花を水につけて、それからデパートに。 
朝、雪だったのが、雨に代わり、夜帰る頃には、どしゃぶりになっていた。


 
 急にどっと疲れを感じた。毎日、無理してたのが、今頃出て来た。
   

Posted by アッチャン at 18:22Comments(0)パリにて

2013年02月26日

教会でパイプオルガンと、シャトレでコンサート

 
    

  昼食に、ほうれん草を湯がいて、山本の、すりごまをかけて、食べた。
その美味しさといったら。がつがつ。残りのおにぎりと一緒に、お味噌汁も添えて。
ひさしぶりの本格派、日本食。ゆがいた、バイ貝をつまむ。
やはり、白ワインが欲しい所、シャブリを一杯。

 昨日で、美術館パスを使い切って、今日からは優雅な、パリ散歩、と行きたい所だけど、午後の3時か、3時半からだと記憶している。






サンジェルマン、デ、プレ教会で、オルガンのコンサートがあるので、聞きに行く。
サンジェルマン、デプレの地下轍の中で、文化の花を咲かせた,エクリバン達の、手書き原稿の特別展を開催している。

ポール、ヴエルレーヌ、ランボー、ボードレーヌ、コクトー、ヴァレリー、などなど。
よからぬやからが、こともあろうに、ガラスケースに,スプレーで落書きしている。日本では、こんな貴重な品々を、地下鉄の駅の中で、展示してるなんて、考えられない。



サン、ジェルマン、デプレ教会は、初期のロマネスク様式の教会で、フランス最古の一つ。542年に、パリ王ヒルデベルト1世が聖遺物を納める修道院の付属教会として建設。
 576年にパリ司教、聖ジェルマンが埋葬されて、その名を取って、草原のサンジェルマン、と呼ばれる教会になった。

 聖堂の中心には、聖母マリアとその子イエスの像が置かれ、聖堂を飾る、3つのステンドグラスが美しい。

 オルガンのコンサートは、1時間足らずで、バッハやメンデルスゾーンのものも。パイプオルガンの,荘厳な響きが、聖堂内を満たす。





 聞き入っているうちに、いつのまにか、すっと睡魔に襲われる。
つまり、気持ちが良い証拠なのであって、仏教のお経にも共通するようにもおもう。
心をぼろぼろにして,教会に来る人達を、きっと気持ち良くさせていた、パイプオルガンの音色。
 すごく大きく響き渡っているのだけど、癒しの音楽だ。



 聖堂の中も暖かいわけではない。所々に吹きだし口があって、そこから暖かい空気が入って来ているので、その側に座ってる人は、賢い。

前のの方に座ったら、寒かった。



ここでの、オルガンコンサートを聴いてから、地下鉄4番で、シャトレ劇場に行った。
 「お茶コンサート」というのを、日曜日の5時からやっている。
10ユーロという安価で、市民に人気が高いというので、行ってみた。
シャトレ劇場で、11時からの、「コナサート、トオ」 早いコンサートと、5時からの家族ぐるみの「コンサート、テ」がって、毎週ではなくて月に一度くらいの割合。


「ベルリンから、ブロードウェイ」と題して、ドイツのユダヤ人音楽家でもあり、オペラの作者でもある、、KURT WEILLという人が作った曲の、変遷にそって、パリのコンセルバトール(音楽大学)の学位をもらった、人達の、歌とピアノだった。

 自由席なので、早く来た人が良い席を確保していて、私はオーケストラの後ろの方に、廊下側に席が残っていて、そこに座った。




 音響があまり良くないので、オペラ歌手の歌が,小さくしか聞こえない人がいて、
 先ほどの、パイプオルガンで慣れた耳には、物足りない。
ピアノに、日本人の男女二人がいた。女性は、辻なるこさん、という人で,力強く、とても旨く、最後に、テノールの男の人の伴奏で、何曲かを弾いて、コンサートが終わった。



 子供達を連れた家族ぐるみでの、コンサートなので、沢山子供達が来ているけれど、今日のコンサートは退屈しただろう。
 じっと大人しく聞いている。そういうしつけは、フランス人だから厳しいし、子供の時から、本物に触れさせる教育は徹底している。
雪が降って、寒い中、日本人なら、連れ出さない所だ。
お年寄りも沢山来ている。杖をつき、車椅子を使って。馴染みを顔にあい、お喋りの笑顔がほころぶ。



 教会でのコンサートに、家族揃ってのコンサートに、毛色に違ったコンサートに。 パリは、ジョワ(喜び)を追究する街だから、いつまでいても、退屈しないのだろう。働かない人達を退屈させない街、パリ。
フランス人は、もともと、働かない人達だった。
 


夜の食事、簡単なものだけど、美味しい。ベルギービールと、白ワイン,飲み過ぎている。  

Posted by アッチャン at 16:31Comments(0)パリにて

2013年02月25日

オルセーから、シネマ美術館


     ゴッホが自殺した街の教会



 オルセーは、誰でもが、行きたい美術館なので、いつも混んでいる。
特に週末は、凄い。
 氷るような寒さの中、チケットを買う人が、並んでいる。
こういう時は、美術館カードを持っていると,特別扱いで、予約の入り口から、早く入ることが出来る。
 4時だというのに、まだ沢山待っていて、印象派の絵画がある5階と、2階に作られた、ポスト印象派から、新印象派、ナビまでの,部屋は混雑している。

シスレー


 閉館間近と、混雑とのコンビネーションには、利点がある。
撮影禁止なので、監視人が見張っていなければならないのだが、彼らは、退屈しのぎに廊下に出て、長話し、持ち場を離れている。日本の美術館のように、真面目に、じっと持ち場に座っていない。

ドガのパステル画

 ゴッホが展示されている二部屋の監視員だけが、二人で話はしているものの、二部屋の間を歩きながら、カメラを監視している。が、それでも、混雑しているので、目が届かない。
 写真を撮りたい人は、カメラを向けている。
私も、この前は空いていて、はばかられたが、このどさくさで、少しだけ、カメラ撮影させてもらった。

ゴーギャン



ゴーギャン

 ゴッホがアルルに滞在した頃の絵画、ゴーギャンがブルターニュに居た頃の絵画、という最初の部屋が、一番混んでいる。

 オルセーは、5時半になると、閉館し始めるので、私は早いめに、トイレに行った。終わって、監視員に後ろから追われて、出てくると、その頃になると、トイレに長い列が出来るから。




 そして、もう一軒、「シネマの美術館」に行くつもりだったから。
 オルセーのすぐ側に、PERの駅があるので、寒いときはありがたい。
 一旦、いつも出かける時に乗り込む駅の、フランソワ、ミテラン駅に戻り、乗り変えて,ベルシーに。
 ベルシーから5分ばかり歩く。
ベルシーは、新しく開発されてから、新しいホテルが沢山出来て、地下鉄の中で、
日本語で、「すりにご用心ください。」とアナウンスしている。
 オペラとベルシーは、日本人が多く、利用しているからだろう。
シネマ美術館は、アパートから散歩をかねて、歩いての行ける。



シネマテック、といって、名作と言われる、クラシックな映画を上映したり、特集を組んで、監督の作品を一挙上映したり、コンフェランスがありと,シネマフアンの為の、映画館、映画図書館、ミュージアムを併設している。

 ミュージアムは、毎日曜日に、朝10時から,1時頃までは、無料で開放されている。



 7時に閉館なので、あまり時間はなかったが、最後のがんばりで。
ルミエール兄弟が、映画を作ったことは、映画好きの一なら知っているし、撮影カメラについても、どこかで、少し知識を得ているけれど、実際に実物を見るには、美術館に来なければ。
フランス映画の名優達の映画の場面が、いくつかのビデオ画面で上映されているのも面白い。
メトロポリスの衣装と、映画の一場面、チャップリンの「モダンタイムズ」の場面、映画に使われた,ドレスなどの衣装と、ビデオに、映画「ココ,シャネル」

2階の特別展は、「マルセル、カルネ」、だった。
コンテや、映画作りのて手書き原稿などと共に、映画のポスターと、映画の,有名なシーンが観られる。
マルセル、カルネ、というと、「天井桟敷の人人」「北ホテル」が有名だけど、他にも、ジャンギャバンを使った作品も多い。
 北ホテルに主演している、ルイ、ジューベは、演劇の俳優で、渋い演技をする名俳優だ。

 ジャン、ギャバンの代表作は、「ぺぺル,モコ」 
フランスで、その名を馳せた男優は、日本人からみれば、ハンサムとは言えない。
ジャン、ギャバン,ジャン、ポール、ベルナルド、ド、パルデュー、彼らには共通している特徴が観られる。ずんぐり、むっくりで、団子鼻、男くさい魅力と声が良いことだ。
 フランス人の好みなんだろうな。
アラン、ドロンは、二枚目で、日本では、爆発的な人気だけど、多分フランスではそれほどではなかったかも。

 ハリウッドのクラークゲイブルも、アメリカ人には、ジョンウェインや、クラークゲーブルの方が人気で、日本で人気をあげた映画スターだった。

 今度また、ゆっくり観たいな、と思いながら、閉館で追い出された。  

Posted by アッチャン at 16:22Comments(0)パリにて

2013年02月25日

東洋美術の「ギメ美術館」



    

 ケ、ブランディーから、セーヌの橋を渡って、右岸には、市立美術館とパレ、ド,東京がある。市立は、デュフィーの音楽の部屋がある。私も大好きな部屋だけど、今日は、パスして、ギメ美術館のある、地下鉄のイエナまで歩く。
 イエナは、地下鉄のトロかデオ駅の隣になる駅で、結構この駅に降りるのは乗り換えが不便なので、歩いた方が早い。市立美術館の前から、イエナまで、市場が出ていて、店じまいをしている最中だ。



ギメ美術館は、実業家で東洋美術の愛好家であった、」エミール、ギメが個人で収集したものを基に、アジアの美術館として中国、韓国、タイ、ベトナムなどと、日本の美術品も展示されている。以前に、この美術館が、毎日、無料だったことがあって、通ったことがあるが、今は他の美術館と同様に、第一日曜日だけは無料になる。

中国、以下

 外れた場所にあるので、いつも空いているので、土曜日の美術館としては、こことか、ケ,ブランディーだと、混んでいることはあまりない。

 中国の正月を記念して、「新しい中国のお目出度い美術」という特別展を開催中。



 ギメ美術館には、やはりなんと言っても、中国美術品の良いものが多い。




 中国とフランスの絆の強さを感じさせる。
 中でも、クラシック中国、が良い。ベトナムの陶器も良いなあ、と前には思ったのだけど、中国の、陶器のうち、茶ワンに目を惹かれた。


 
中国は、お茶の国だから、お茶にかかわる器が素晴らしい。



鍋島、日本
千の利休は、中国のこれらの茶器から、利休茶碗を作ったのだろう、と思われる、手本になあっているような,茶碗がいくつも展示されている。

日本のなつめ

友人が、糖尿でお酒も食事も制限されて、お茶を始めたそうで、茶室を作り、茶器を揃えることになって、その道に詳しい人に相談した所、7年待ってほしいと言われたそう。
その意味がわからなくて、どうしてそんなにかかるのか、と聞くと、
 逸品を持たないと、茶を知ることが出来ない、その逸品は、面には出て来ないからだとか。
わけありで、陰で取引されるようなものの中に、逸品があるという。
盗品もあるかもしれないし、金に困ったお公家様が、手放すとか。

そんな話を思い出しながら、これらの逸品の数々に見入っていた。相当のわけありで集めたに違いない、と想像しながら。



美術館に行くときには、なにか、興味のあるテーマを持って見ると、印象が強くなる。
あれもこれも、と歩き回ると、美術館に行った、ことでの達成感はあるが。
これを限りに、旅の記念にするような、美術館巡りでも、添乗員が案内してくれる、これだけは、と言う作品が、頭に残るのだろうが、説明を聞くのに、集中して、作品を自分の目で観ることが薄くなる。

川端康成の小説「日も月も」で、ブリジストン美術館に行き、ルノワールの絵画の前で、時間を過ごす男の人が出てくる。その小説に触発されて、私は日本橋のブリジストン美術館が好きなのだけど、そういう見方があって、美術館の存在意義は大きい。



最近、日本の美術の素晴らしさを知るようになって、というよりは、良く観る機会が出来て、このギメを観ると、まだまだ、日本は犯されていない、と思った。
 アメリカの、ボストンや、メトロポリタンには、日本美術も占領されているという感があるが、
フランスは、日本からは,遠い国だった。



中国のお正月、ギメ美術館でも、華やかな、お祭りのパーフォーマンスが。
 獅子と竜の踊り、音楽に合わせて。
寒いのに、一旦外に出てから、正面玄関から入ってくる。竜が舞い、獅子がそれを追う。獅子の中に2人入っていて、天井高く伸び上がり、威嚇する。
最後は竜にひれふす、という踊りで、その後、この館長だろうか、の周りを周り、館長?派、お皿に入れた捧げ物のの野菜を竜に差し出す。



沢山の人が集まっているのは、このパーフォーマーマンスを観るためだった。  

Posted by アッチャン at 05:33Comments(0)パリにて

2013年02月24日

エッフェル塔の麓「ケ、ブランリー美術館」




   


 6日間の美術館パス、いよいよ最後の一日だ。
 あともう少し、頑張って行こう。
 朝、相変わらずの寒さ、雪が舞っている。
 PERで、ポン、アルマで降りて、セーヌ川の左岸側を歩いて、Quai Branly に。
 ここにある、レストランは、友人が美味しいと言っていたので、一度、とは思うけど、 お腹がまだ空いていないので、またの機会に。
 「楽しいグルメ」というメニュが18ユーロと書いている。
 これは美術館の入場料とセットではないだろうな。



  あたりは、人っ子一人いなくて、寒々していて、美術館は、閉館しているのか、と思われるぐらい。庭から入っていくと、ガードマンが寒そうに庭に立っている。
 チケット売り場にも、客は一人もいない。


 
 けれど、中に入ると、結構沢山いる。
11時開場なので、その時間を待って入って来た人達だろうか。
 子供を連れて来る人が多い,美術館。

 エッフェル塔の麓に位置するこの美術館は、建築家、ジャン,ヌーヴェルが設計した、ユニークな作りで、入り口までの、登りの床には、文字の川が流れて、中に入ると、大きな洞窟のようでもあり、長い船のようでもあって、進むと、いつのまにか、また元に戻ってくる。




 この美術館は、西洋以外の、プリミティブで野性的、知恵と自然信仰に、彩られた、アフリカ、、アジア、アメリカ、オセアニアなどの原住民の美術を集めて展示している。
 革新的な試みも,精力的に取り組んでいる。



 文化促進に力をつくした、シラク大統領を記念して作られた。



 この美術館で、髪の毛を題材にした、特別展が開催中。

ピカソ


荒木のフォト
ブロンドの美人から、威厳の象徴や、神の代理としての,様々な髪の毛にまつわる展示のようだが、その中で、ショックを受けたのは、戦争末期に、ナチに協力した女性達が、
 連行され、丸坊主にされて、公衆の面前を、車に乗せられてて、見せしめにあう映像が流されていた。女性が、坊主頭を何度も殴りながら、公衆に怒鳴っている。





それを見る,パリの市民達は笑い、おもしろがっている。
 頭を刈られた女性達は、若い人から,年のいった人まで。泣いて,悲しそうにうなだれ、おびえ、顔に怪我をしている女性も。 

私は、マルグリット、デュラスの「ヒロシマ、モナムール」を思い出していた。
ドイツ兵との恋に落ちた女の子は、ドイツ兵と逢い引きを重ねている。
 ドイツ兵は撃たれて死ぬ。彼女は街に引き回され、丸坊主にされた。
父親は彼女を家に監禁する。

髪の毛は伸びていったけれど、彼女の心は死んだようになって、狂気の状態でし耐えられなかった。

ヒロシマ、あなたは何も見なかった。
ヒロシマ、私は全てを見たのよ

何年も後に、平和の映画を作るのに、女優としてヒロシマにやってきた彼女、
ヒロシマで、昔の恋と同じ情熱に出会う。ヒロシマの男性と。

 裏切りものとして、石をぶつけられ、坊主にされて、引き回される女性達は、戦争の犠牲者達だ。彼女達の人生を奪ったのは、戦争を引き起こした人達。の欲望、征服欲。

 人間の本能である、欲望のなせる結果だ。

ヒロシマの原爆を体験している、私達日本人が、原子力を容認してきた。
安全神話を作りだしたのは、私達だ。







美術館の意図は、問題を投げかけることにあるだろう。


   

Posted by アッチャン at 17:19Comments(0)パリにて

2013年02月23日

パンテオン、中世、モロー、オーランジュリー


   


 朝、まだ雪が舞っていた。道路の橋に、昨夜の雪が風に寄せられて,残っている。
凄く寒い。手袋の嫌いな私も、なくては歩けないくらい。
 バスを待っている間も、動いていないと震え上がるほど寒い。
 ルクサンブルグ公園で降りて,パンテオンまで上がっていく。
 バスの中も、冷え冷えしていて、パンテンの中にはいっても、所どころに、ストーブが置いているくらいで、寒かった。
子供達が、郊外学習に来ていた。パリの子供達は、よく、あらゆる美術館に来て、授業している。実物を前にして、贅沢な授業だ。



聖女ジュヌヴィエーヴ祈願して病気を治してもらった,ルイ15世が、このパンテオンを作った。
 ユゴーがここに埋葬sれるようになて、民間人もここに埋葬されるようになったという。
 墓所のある地下に、降りると、ルソーとヴォルテールのお墓が両側にあって、その奥に行くと,ユゴー、エミールゾラ、ボーマルシェ、などのお墓がある。



 人間は必ず死ぬので、このおほうが現実なのでしょうが、気持ちの良いものではない。
 ルソーとヴォルテールは、啓蒙思想家、哲学者として、18世紀の代表的な人物だから、特別に扱われている。


パルテオンを出て,中世美術館まで歩いた。
 ここは、吉田さんが,息子が来た時に,パリ中を歩いて,案内してくださった時に、美術館には、入らないで、見た所。
昔、一度,美術館を見て、感激したことがあった。まだパリも、ヨーロッパも知らなかった頃だ。
 ここは、タピストリーが素晴らしいので、知られている。
 その中でも、「一角獣と貴婦人」が有名だ。



 その部屋で、何枚かの素晴らしいタピストリーに囲まれるようにして、しばらくみていたら、一角獣が、とてもかわいらしく描かれているのがあった。他の一角獣は普通に描かれているのだけど。



 それにしても、これほどの美しい、タピストリーは見たことがないくらい、素敵だ暗い照明に浮かび上がって、魅せられる。
 これだけで、この美術館に、足を運ぶだけの値打ちは充分ある。その美しさ、優美さ、中世の宝物よりも魅せられる。


中世美術館を出て,サンジェルマン、デ、プレの方に歩いて行った。
ドラクロワ美術館に行く為に。
お昼時、お腹が空いていた。
息子と入った、「レオン」が角の所にあって、沢山、人が入っている。
ベルギーの本場から、店を出している、ムール貝の専門店だ。



11,5ユーロだったかの、ランチメニューの紙がはってある。
 サラダと、料理と,デザートで。
 安い店だから,人気なのだけど、ムール貝の好きな人にも、うってつけのお店だ。

 隣の女性は、ランチではなくて、沢山入ったムール貝を注文していた。ベルギーと言えば、ビール。ムール貝には良く合う。
 けれど、私は白ワインに。寒いからビールを飲むきになれなくて。
隣の女性は、ビールをちびりちびり,ジャガイモのフリットをおかわりして、ムール貝を食べている。




私の注文したものは、形だけのサラダに、400グラムの,ムール貝、ジャガイモのフリットついている。
 デザートに、プリンのブリュレ。

 どれもたいして美味しくないけれど、安い店だから、ムール貝の好きな人達は、充分満足している。
 ムール貝も、一度は食べないと、パリに来た気がしない。昨日のレストランが美味しかったので、口が肥えていく一方だ。

ドラクロワの庭

ドラクロワ美術館は、画家が最後を迎えた,アトリエを開放しているので、作品はほとんどない。「冬の花 」という展覧会を開催中。
 庭には、花が植えてあって、ドラクロワは、花を愛して、そのスケッチなども展示している。


ドラクロワ美術館の入り口
そこから、地下鉄に乗って、トリニテにあるモローの美術館に。
ここは、何度も来ている。モローの館が美術館になっている。











二階に上がると、アパートの部屋、3階と4階に、モローの絵画と、莫大な数の,デッサンやスケッチが納められている。
 時間があれば、一日中居て、じっくり見なきゃやいけないくらい、沢山あるけれど、
 私はいつも雰囲気を味わって、しばらく見て帰るだけ。



 あと、もう一軒、私の大好きな、「オーランジュリー」にも行きたかった。

 コンコルドに出て、オランジュリー美術館では、閉館までの,1時間半、たっぷり取っていた。


ゴーギャンの風景画

 ここは、モネの「睡蓮の部屋」で有名だけど、ルノワール、ゼザンヌ、モネ、等の素晴らしい作品ばかり。その上、ルソーの絵画も他では見られないくらい沢山ある。ローランサンの作品も。

ルソー

ローランサン

モネ

ルノアール





 そして、ユトリロの、白の時代の絵画、中でも、最高傑作は、「ベルリオーズの家」だろう。ユトリロの絵画は、なんといっても、白の時代、のものが良い。

ユトリロ


マチスとピカソの作品の、素晴らしいものばかり。それに、モジリアーニ、ドラン、最後に,スーチン、沢山の絵画が見られる。
これほど、各作家の,授玉の、粒ぞろいの美術館はないだろうと思われるくらい。










 それというのも、ここは、ポール、ギヨームが、こよなく愛し,手元に置いていた作品を展示しているから。

 ローランサンの絵画は、「ピカソとルソーの間」と言った,詩人、アポリネール。
 アポリネールが中に入って、ローランサンは、ギヨームの妻,ドメニカ」を描いている。 
 ギヨームに、絵画の収集と、画廊を作るのを勧めたのは、アポリネールだったとか。

モジリアーニ
 
 終わりまでの時間、モネの睡蓮の部屋で、足の疲れを休めながら、椅子に座って、ぼっと睡蓮の池を眺めていた。
 睡蓮の部屋は、奥と、手前と二つある。こんなに空いているのは、めったにないこと。


 
私は思う。


日本人も、アメリカ人も、大好きなモネがいなければ、印象派の作品が、絵画の歴史を塗り替え、その頂点に、君臨して、印象派の流れをくんだ,一連の絵画の宝庫は生まれなかったのではないかしら、と。

  

Posted by アッチャン at 17:58Comments(0)パリにて

2013年02月22日

ルーブル美術館



   


昼食を終えて、ルーブル美術館に行くつもりで、歩いていたら、迷い込んでしまった。
方角がどのあたりかが、検討つかない。地図を持っていれば、通りでわかるのだkど。寒いし、バスに乗りたくなる。
男の子に,ルーブルへの行き方を教えてもらって、歩く。
ピラミッドからは人が並んでいるので、途中、入ると所があって、行くと、ガーディアンに、ピラミッドの入り口から、と言われた。無駄な歩き。

幸い、ピラミッドの前に、そんなに人が並んでいない。
寒いから,助かった。



ルーブルには、いつも必ず、やってくる。
観る順も決まっている。
デノンから入って、ニケの像を観て、大好きな、ボッティチェリのフレスコ画を2点観る。



そして、イタリア絵画の回廊へ。
レオナルド、ダ、ヴインチの絵画が、4点。そこを観て、モナリザの部屋に。
 モナリザの前には、いつも沢山の人がいるが、それでも、冬場や、時間によって、空いている。
 いつだったか、デノンに入るにも、並ばされたことがあったが、大抵は、すっと入って、ゆっくり観られるくらいの余裕がある,時間帯を撰んでいる。





ルーブルや、他の所でもそうだが、夜間開いている日の夕方から入ると、空いてる。 観光客の多い,季節の良い時期は、昼真は、大変な労力を要するので、昼真は行かない。



 モナリザの微笑、観ればみるほど、ミステリアスな微笑だ。顔は美人とは言い難い。男のようにも見える。レオナルド自身だと言われたこともあるが、実在する女性がモデルだとも。
 絵画の深さといい、これは,確かに、唯一無二、ミステリアスな絵だ。

モナリザの向いに、「カナ」の結婚」というどでかい絵がかかっている。
 ナポレオンの戴冠式、と同じ作家のもの。



再び、回廊に戻って、カラバッジオの絵画を見に行く。



まあ、これだけで、充分の充分、贅沢な絵画の鑑賞。



 なのだけど、階下にある、ミロのビーナスを観に行く。
ミロのビーナスは、これが最も美しい女性だ、と納得の美しさだ。
 いつも、しばらくは、そこを去りがたく、見入ってしまう美しさ。





私は、それから、2階に上がって、絵画のコーナーを回る。
特に、フェルメールの、「レースを編む女性」と「天文学者」の前に座って、疲れを休めながら、鑑賞するのが好きなのだ。



ミケランジョロの「奴隷」

こんな贅沢なことって、あるかしら。
ルーブルの秘宝もすごいらしいけど、私は、自分の部屋のように、何度も訪れては、これらの,名画、と呼ばれる授玉の数々を観るこおとの出来る,ルーブルに、、超贅沢をさせてもらっている。

ルーブルの全てをみようと思ったら、1週間は通い詰めないと、と言われるほどの、沢山の作品がある中で、私は、自分のお気に入りを含めて、いつも、少し、新たな発見をするのだけど、中に入ると、いつも何時間もかかっている。

デューラー



観光旅行で、ルーブルが入っていて、旗を持って案内しているのを,良くみかけるが、せいぜい、見所を1時間半もかけるのか、1時間くらいなのか、ハイライトでコンパクトで疲れなくて良いだろうけど、説明なんて、いらないように,私には思われる。

ルーブル美術館で、いつもなにかしら特別展をやっている。



今は、ウクライナのバロック彫刻家の、作品展をやっている。
木造の彫刻に、黄金で射ろ塗りしたもの。聖堂に飾られている、彫刻だ。
 ルーブル内のチャペルで、開催中。



それと、ルーブルのファントマ、と言う題で、ルーブルの美術の写真をカンバスに写し、そこに、その絵に宿る、ファントマを描いたもので、お話がついている。
ルーブルの閉館時間が迫っていて、ざっと観るだけだったけれど、絵画の世界も、なにか新しいことをやってのけないといけなくて、面白いアイデアだな、と思う。



フランスは、芸術にたいしても、自由を受けれる度量の広さがある。
 頭を空っぽにして、受けれる場所が沢山あるのは、伝統がしっかり根付いているからではないだろうか。



 寒いから、地下鉄で帰ろうと思った。すっかり変わって、ショッピングセンターが出来ている。
 草間弥生の作品をグッズにしたものが目に着いた。
 独創的で、可愛いものばかり。


   

Posted by アッチャン at 17:16Comments(0)パリにて

2013年02月22日

クレディ、リオーネと「ル,グラン、コルベール」



  


 玉三郎が、フランスのコマンドールを受賞した記事が載っていましたので
 そのご報告をまずさせていただきます。
http://www.kabuki-bito.jp/news/2013/02/post_724.html

今日は、銀行で11時にランデブーを取っていたので、早い目に出かけた。
すごく寒い。カーディガンを着るのを忘れてきた。
銀行の用事を終えたら、いちど帰らないよだめかもしれない。



銀行の相談に乗ってくれるのは,男の人だった。
気になっている、投資信託は、1年前に満期になっていて、そのまま放置されていた。フランスには、庶民の為に、利息の良い普通預金のような、リブレAというのがある。いつでもお金が足りないと、引き出しの口座に移してもらえるが,今は下がっても、1,7パーセントの利息がつく。

利息が下がったので、上限の預け入れは25000ユーロになった。
日本では、考えられない高い金利だけど、私が入れた時には、2,1パーセント、その前は3パーセントくらいだった。
 家を買いたい人の為の,貯金というのもあって、それはもっと金利が良かったけれど、今は下がって、2,7パーセント。
フランスの投資信託は、100パーセントは、保障されているものが多いので、利息はないが、損はしないで戻るという安心感がある。
 今回は、わずか満期になったお金だけど、フランス人に人気のある、ユーロ5年というものを紹介している。
 
 私は,欲を出して、それに、と思ったけれど、止めた。確実に金利のつく、リブレAがわかりやすくて、安心だ。




パリの物価、高いので、暮らしが大変らしい。ユーロに変わってから、上がる一方だ。交通費は、あからさまにわかる。ヴエルサイユまで、以前は2,5だったのが、3,5になっていた。
空港にも、9,5に。美術館の入場料も1ユーロは上がっている。
 勿論、週パスも、カルトミュゼも、値上がりしている。
それらをまとめると、随分負担が大きくなる。

 給料からの税金も上がったと,係の人も嘆いていた。
 今日の寒さ、体感温度は、マイナス8度、風が強いからだそう。

モリエールの像

銀行の用事が終わって、トイレに行きたくなった。銀行には客用のトイレはない。身体が冷えている。
オペラ座の周辺には、日本料理店や、ラーメンの店が多いが、日本のパンを売り物にしている、簡単なカフェが出来ている。パンは食べたくない。
カフェで、コーヒーを注文して,トイレに駆け込んだ。

 お腹が空いてきたので、どこかのレストランに入るつもりだけど、それまでもたない。



以前に行ったことのある、zen という店を探したが、見当たらなくて、歩いていると寒くて。アジア料理の店で、一度入ったら、美味しくて、最近、雑誌でも紹介されていた。
 道がわからなくなって、この辺かな、と歩いているうちに、素敵なパッサージュがあるので、そこに迷い込んだ。そこが、VIVIENNEのパッサージュだった。




 モザイクの大理石を敷き詰めた,舗道、アーティスティックな手作りの店、そこを出ると、
「ル、グラン,コルベイユ」というレストランがある。家庭画報だったか、に紹介されていた、素敵なレストラン。由緒ある店だったという記憶があって、ウィンドーには、毎年、ザガット、サーヴェイにランクされているレッテルが沢山貼ってある。



 昼食のメニューに、定食がある。料理とコーヒーで16ユーロ、と書いているので、入ってみた。中は赤を基調にした、豪華な作りのレストラン。
 恥ずかしながら、ギャルソンに、16ユーロのメニュは、ここで注文出来るのか、と聞いてしまった。というのが、その隣にある、部屋に一杯の人が,カジュワルな感じで食べていて、その奥に、席が空くのを待っている人達がいたからだ。
16、とおいうのは、ここで食べられるような値段ではないと思ったので、今お店の姉妹店のように、別に場所を設けているのかと。

 中は一杯の客。



 大勢の客がで賑わっている。私は店の表側の傍らにある、誰も居ない席に案内された。
すぐに、客が二組入ってきて、詰まってしまった。 。
http://legrandcolbert.fr/ 詳しいことは、このホームページ
飲みものは?と聞かれると、ワインか、ミネラルくらいは注文しないと。
グラスのワインも、その変の安い店とは違って、5ユーロから、7,とか9ユーロ。
 今日の料理は、鳥か、サーモン。
アントレは?と聞かれたけど、いらない、と答えた。
 みすぼらしい客に思われたのだろう。

 今お店は、オリーブを最初に持って来るようだけど、私には来なかった。
オリーブを食べながら、メニュを決める。
次に行く時は、あわてず、がさつかず。



 お料理はとても美味しかった。クリームソースのかかったサーモンと野菜、辛くなくて薄味にしていて、美味しかった。これなら、フランス料理としては満足。それに小さなパンだけだけど、お腹には、ボリウムがある。食べた時は、そうでもなかったけけれど、歩き疲れた夜になっても、お腹が空かなかったくらい。
クリームソースが濃厚なのだろう。



 ギャルソンは、料理が終わると、カフェですか、と聞いて、デザートは?とは聞かなかった。
 こちらが、勘定というまで、そっとしておいてくえる配慮が良かった。  

Posted by アッチャン at 15:25Comments(0)パリにて

2013年02月21日

冬のヴエルサイユ宮殿

  


 アンバリッドのPERまで歩くのにも、疲れているのに、ヴエルサイユ宮殿に行こうと思う。
  駅で、私の持っているカードを見せて、ベルサイユまで行きたいというと、調べて、 差額1,8ユーロの紙を渡して、これをガードしていきなさい、と。
  チケットコントロールが来た時に、これを渡せばいい。滅多に来ないけれど。

 3時を過ぎていたので、ヴエルサイユ宮殿も空いているだろう。



  ヴエサイユ宮殿、何度行ったことだろうか。
 でも、中に入ったのは、3度なかりで、ほとんど庭を散歩する程度だけど。



  冬のヴエルサイユ宮殿、庭が好き、とばかりに、雪化粧の中、突風で、雪が舞う中を歩いたこともある。
  宮廷に立つと、数々の映画の場面が浮かぶ。

「 去年マリエンバードで」は、強烈な印象を残している。



 春の花盛りのヴエルサイユにお目にかかる機会がなかったけれど、ここ最近は、春にパリを訪れるので、4月、5月のベルサイユは、歩くと汗ばんで、緑と花々は美しいけれど、人がものすごく多くて、疲れすぎる。



 息子が来た時に、歩き回って、へトヘトになった。
 全部、歩いて回るのだもの。大トリアノン、小トリアノン、マリーアントワネットの田舎屋と、村まで。
 それに、得てきた知識か、一番奥の池の周りを回れるとか言って、余計に歩かされた。 健脚だと自負している私でも、根を上げていまって、むっつり泣きそう。
 引きずって歩く。草の上を探して、少しでも負担を和らげようと。


 
 私は,冬のヴエルサイユが好き。

 今日は、チケット売り場に、ほとんどいない。
 カルト、ミュゼがあるから、無料だし、すっと入ることが出来る。



 ヴエサイユは、遺産に指定される前から人が多かったけれど、観光の第一スポットなので、息子と来た時など、前に進まず、観られずで、大変だった。

 人が少ない、冬の3時以降は、お勧め。

 イノベーションで、昔よりもずっと綺麗になっているが、みられなくなっている所も。以前は、ルイ14世の、私的オペラハンスも観られた。



 セゾンで、オペラ公演が、ベルサイユ宮殿で。そこに使われているのか、どうか、わからない。
 宮殿でのパーティーに、従姉妹がよばれたことがあるらしい。

 ベルサイユ宮殿と言えば、マリーアントワネットも住まったけれど、太陽王と呼ばれた、ルイ14世のお城。

 夏の祭典、噴水の音楽、モリエールのお芝居、音楽家リュリ、ラシーヌ、などが、この宮殿で、ルイ14世を喜ばせるために、彼らの才能を開花させた。

 バレー靴を履いたルイ14世の像。



 黄金王にふさわしく、宮殿は、黄金をたっぷり使って、豪華絢爛。

 日本の、質素倹約を胸とすべし、とは、超対照的、力を金と誇張された装飾、シャンデリアが,数知れず、床から天井、壁まで、これ以上何も出来ない、という装飾ぶり。

 それに対照的なのが、シンプルで幾何学的な宮廷、庭、ジャルダンである。
 住人達は、この庭に出て、初めて、ほっとしていたのではないだろうか。
解放された,自由な気分を味わっていただろう。



 マリーアントワネットの田舎屋だって、そう。



 ヴエルサイユ宮殿は、宮殿の美しさを外から眺め、ジャルダンを眺め、そぞろ少し、歩くのが、最も贅沢なのだ。
 噴水のショーが始まる4月の中頃は、花々が美しく、彩られ、美しいけれど、
 冬の、シンプルな庭も素敵だ。  

Posted by アッチャン at 17:48Comments(0)パリにて

2013年02月21日

ロダン美術館と、ナポレオンのお墓

 
    



 ベルサイユ宮殿にいくつもりが、アンバリッドで降りて、先に、ロダン美術館へ。
 というのも、PERで、C腺は同じなので、ベルサイユまでの電車は20分以上待たねばならなかったから、すぐに乗れる電車に。
 ロダン美術館は、アンバリッドで13番線に乗り換えて、一駅。
地下鉄の乗り換えで、長く歩くときは、歩いても同じだった、と思うくらい歩く。



 ロダン美術館は、元はホテルだった。貴族の館という雰囲気。
 友人が、ロダンに、この館は素晴らしいので、訪れることを勧め、ロダンと妻、そして、 弟子達が、この館に引っ越して来た。
 今、マーブル彫刻の特別展を開催中。
 大理石を削って、古代の方法を使って,ロダンが、試みた彫像作品。大理石を削って。  愛人の手、パンセー、接吻、ユゴーのオマージュ、神の手、など、など。


 撮影は禁止。
  デッサンに懸命になっている人達の絵を覗くと、結構すごい。皆、年配のお年寄りばかりなので、すごい。

ロダン美術館は、庭だけの見学なら、1ユーロ。本館も、になると、9,5ユーロ。
本館の館では、写真はオーケー。



 冬なので、まだ、花は全くないが、春になると、花壇の花が彩りを添えて、美しい庭になるだろう。
  庭に、ロダンの代表的な,彫刻が観られるので、庭だけでも,素敵な美術館だ。



 

  人が多いと、散策というよりは、観光になるけど、、冬は良い。 ほとんど人がいない。今日は朝、出て来る時は、随分寒くて、雲がかかっていたので、お天気が悪くなるか、と思ったけれど、今はすっかり晴れ渡っている。





  ロダン美術館の二階に上がった部屋に、カミーユ、クローデルの作品が、5,6点ある。
 とても可愛い少女の彫刻に心が惹かれた。他の作品も、繊細で美しい作品ばかり。





 男の手とは全く違う。
 例の、すがるカミーユの3人の像が、ここにも。

 

 二階には、彫刻と共に、絵画も興味をそそるものが。

 ムンクの絵、ゴッホの作品が2点、モネとルノワールのものも。



 美術館を出て,近くの、アンバリッドにある、ナポレオンの墓をみに行った。




  こおは、戦争で犠牲になった英雄達も奉られている。


 

 お墓のあるドームの奥にカテドラルがある。

ここは、軍隊の美術館になっていて、庭には、大砲が飾られている。



中には、歴代の軍服姿の兵隊や将校の像、剣や、備品

ナポレオン1世から3世の時代までの、戦争の経緯の中で、ナポレオンの戴冠式という絵に描かれている、首にかけられたものに興味が。


 





  

Posted by アッチャン at 16:23Comments(0)パリにて