2014年02月02日

魅惑のパリ

    


  友人がパリの写真をブログに入れている。
日本の写真と色が違う。どうしてかな。
光のせいか、とても美しい。
パリの写真を見ると、「ああ行きたい。」と思う。
魅惑のパリという言葉はぴったりだ。
 ニューヨークの写真を見てもこんな気持ちは
湧いてこない。
パリは、私に取って、特別な町。
セーヌ川を思うだけで、胸が一杯になる。
なぜなのかは、わからない。
パリには沢山の思い出がつまっている。
何度、パリに行ったのかな。
覚えていない。
モンマルトルの従妹が住んでいたアパートの
床板がコツコツと靴音を立てる、きしみながら音を立てる
固い扉を開けて、中庭があって、その中に建物がある。
猫がいて、古い建物の、パリの匂いがした。
一つ星のホテル
シングルベッドが二つ
トイレは鍵をもらって、階下の共同トイレ
バケットとジャム、コーヒーだけの簡単な朝食
その安ホテルは、今星が増えて、綺麗になって、
値段も高くなってる。
私が泊まっていた頃、まだフランが通用していた。
一晩80フランだった。ユーロにするといくらかな。
15ユーロくらいかしら。
それが、パリに魅惑された始まり。
いえ、その前に家族で観光でパリに。
 従妹はエコールドボザールの学生だった。
父と母は、団体でリドに
私は従妹と、ラパン、アジルに。
シャンソニエで初めて本場のシャンソンを聞いた。
 今のように観光化されていなかった。
それが、パリに魅せられるようになった始まり。
私のパリも、思えば長い年月
 走馬灯のように目に浮かぶパリでの出来事。
パリの景色を映した写真を見ると
行きたくなって、胸が騒ぐ
魅惑のパリ
  

Posted by アッチャン at 00:57Comments(0)paris

2010年04月10日

パリに着きました


 

無事に、パリに着いた。どうなることかと思ったけれど、なんとか無事に。ぎっくり腰が慢性化して、座席に長時間座っているのは耐え難い。通路を歩いて、最後尾までいって、腰の運動。
帰りの飛行機は、廊下側に席がないので、ウィンドーになっている。空きが出ればよいけど、なければ、中に変えてもらおう。



飛行機の中で、ウィンドーの女性が、器用に、肘掛けに足を置いて、中に入っていた。家族と一緒だからできること。隣の男の人は、一度もトイレに立たなかった。そういう人も多い。何度か、中の人が一度も席を立たない人がいた。
 パリに来ると、空気も景色も一変する。なつかしさというよりも、別世界に移動した感じがする。日常から、非日常へ。
 3日前に飛行機を予約して、てんてこ舞いの忙しさ、ほとんど睡眠を取らないで、留守中にすべきことをすべて前倒しで、やってきた。通常だと、10日間はかけて、準備を計画的にするのに、あれもこれも、怒濤のごとく。
 飛行機の中で、見たかった映画を見ていると、すぐに目がふさがる。全日空は、食事も、座席も悪くないので、エコノミーでもそれほど疲れる感じが少ないように思う。直行便だということもあるだろう。満席だった。



パリの空港で、ロンドン行きの、ユーロスターのチケットを取るのに、並んだ。インターネットで、クレジットを入れて買っておけばよかったのに、引き取りで、変更可能にしたので、時間を取る。
 パリに入ったのは、7時過ぎになってしまった。アパートは、すっかり、綺麗に変身している。大変だっただろうな。快適なインターネットも入っているので、もうカフェに行ったり、ホテルに通う必要はない。最初の頃は、毎日、ポンピドーセンターまで、出かけていっていた。フリーのインターネットは、繋がらないことが多く、苦労した思い出も、今は楽しい体験に変わっている。
人は、安きに流れる。それに慣れて、当たり前になっていく。不便の中で、苦心しながら生きてきた事の方が、思い出の中で、輝きを増す。



便利になって、本当にありがたいのに、いつでもできるから、と着いた日はコンピュータを開けなかった。疲れていたことも確かだけど、従姉妹に土産物を渡して、来たことをまず報告しておかないと。
 下のズーパーで水とビールを買って部屋に入れると、土産も渡しに、従姉妹を訪ねた。お腹も空いていた。
飛行機の中で、アルコールは控えて、小瓶二本のワインですませたのに、彼女は、コニャックを入れてくれた。





コニャックしか飲まないから、と言って。サラダに串カツ、総菜を出してくれた。レストランをしているので、昼の残りで、美味しいものを食べさせてもらえる。
  串カツを切って食べると、
「あなた串カツの食べ方知らないの。フランス人と一緒だわね。」と軽蔑される。



 言い返しはしないけど、串カツ、大きいのだもの。日本では、口に入る程度の大きさになっている。こういう風に、大きくて、お皿に盛られていると、切って食べたくなるのですが。



コニャックがまわって、話していれも目がふさがってくる。アパートに帰り、洗濯物をたたんで、ベッドメーキングし、シャワーを浴びて、歯を磨き、こてんとベッドに。
気づいたら、朝の太陽が燦々と輝く時間。
コーヒーとパンを買いに出て行った。パリの朝のいつもの風景が目に入る。野菜屋さんで、美味しそうな野菜を籠に入れていると、幸福感に浸る。豊かさでいっぱい。日本との格差を感じるのは、野菜と果物だ。真っ白で大きなマッシュルーム。大束の、太ったアスパラガス、サラダ菜の種類が豊富だ。どれもうずたかく、山のように積まれている。トマトも、なすも、つややかで匂い立つ。どれも目方で少量から買える。果物もすばらしい。夢の世界。
勘定してもらおうとしたら、財布を忘れている。取りに帰った。
パンとチーズとコーヒーに生ハム、これでパーフェクトな朝食が食べられる。  

Posted by アッチャン at 21:07Comments(0)paris

2009年04月04日

ナブコがブーイング

 
 



レストランを一人で切り盛りしている従姉妹の時間が空く時間までに、持ってきたトラベラーズチェックをお金に換えておこう。使うのは、ほとんどが生活品ばかなので、現金が必要。銀行に置いていたお金がいまはない。勧められて、投資信託を買ってしまった。 途中で赤字だというので、送金しなくてならなくなった。そういう事態になって、初めて書類に目を通す。毎月維持料に郵送料が引かれていたのがわかった。ユーロが160円だったので、日本に送金しようと思って、銀行に行った。すると20パーセントの利息が見込めるのにと強引に勧められた。欲と道連れ、応じたのは私。あれから暴落。ただフランスは、国営と同様で、保証されている。その投信も、90パーセントのギャランティがついているので、それほどの痛手にはならないようになっている。
 言葉が旨く通じないので、つい言われたようにしてしまう。「お金がこれだけいらないだろう。2年で満期だから、すぐだ、すごい利益がもらえる」乗った私が馬鹿なのよ。
本当に、そう、言い返せるほどの語学力がないと、弱みのあるものは良いようにされる。 この世の中、なんだってそうなのでは?だから、教育の大切さが叫ばれる。対等にものを言い、ディベートに勝つために、自立心を育てるために、教育が大事。

 


ところで、ナブコを使って、オペラの次の駅で降り、このあたりにあるアメリカンエキスプレスの建物を探した。建物は、ブティックに変わっていて、その近くに、エクスプレスの看板が見える。両替の事務所で,奥にカードのカウンターがあるだけ。両替事務所で、2パーセントの手数料がいるといわれて、アメリカンエクスプレス事務所、そのものを探す。以前は、そこに行けば全額換えてくれたから。ぐるぐる歩き、入り口がみつからない。 ところが、その両替所が、事務所だった。チェックは2パーセントのコミッションを取るようになっている。経営危機と財政難は、ここにも顕著に表れている。
 帰り、オペラから乗ろうとしたら、ナブコが赤ランプでブーとうなって拒絶する。これだね、と思って、前にある案内所に言うと、そこを通れと言われた。もう一度通ろうとするとまた拒否。こういう時には、だれかが通るのと一緒に入らないと入れないそうだ。
どうしてこういうことになるのか?オペラ駅は、方向駅だからだった。チケットは、紙なので、使うのに神経がいるが、このカードは、融通が利かなくて、これも不便。フランスのやることって、こういうこと。不便は当たり前なのだ。むしろ楽しんでいる。
 日本製は、故障がないから嫌われた。手のかかるものの方が楽しみも多いし、愛情も育つ。このナブコも不完全故に、愛されるのか。
 オペラ座あたりは、別名日本人通りといわれる。最近は、観光客をねらった犯罪が顕著になっていると聞いていたが、日本語によるアナウンスを初めて聞いた。
 くれぐれもお気をつけください、と言うアナウンスだった。
亡くなった吉田さんが、オペラ近くの両替所から出てきたところ、つけてきた、ひったくり目的の二人組に
コートを汚された。べったりしたものを、わざとかけて、コートを脱がせてのスリ。
 その話を聞いて、私は笑っていた。吉田さんの怒りぶりと話がなんとなくおかしかったから。その後、一緒に歩いていると、いやおうでもコートの染みが見える。その度に、おかしさがこみあげて来て、笑ってしまった。生き生きとした吉田さんの、悲しい思い出になってしまった。  

Posted by アッチャン at 15:09Comments(0)paris

2009年04月04日

バケットは文化


 


  寝たのは12時すぎていたのに、まだ暗いうちに目が覚めた。するとお腹がすいている。昨日もらってきたおにぎりを一つ食べた。教えてもらった、電話回線を何度も試みるけれど、つながらない。つながったと思ったら、ホームページの表示ができない。
 気がつけば、すっかり外は明るくなり、晴天だ。
 まずは、パンを買いに下に行く。スーパーマーケットは、以前とは別の店になっている。、水が気になって、6本買った。余分に置いておかないと気が済まない性分なのだ。部屋に運んでから パンを買いに行くと、野菜屋さんが見える。野菜が気になった。一通り買うと、大きな包みが二つに。それかから、その向かいにある、エドという低所得者向け?のスーパーに入った。ここは品物が良くて安いと聞いている。ハムとチーズを買い、コーヒーは、買いたいものがなかった。オリーブ油はこれ以上もてないので、やめた。パンを半分切ってもらったのを買って、とりあえず、アパートに帰る。コーヒーがないので物足りないけれど、サラダと、パン、チーズがそろった。選んだチーズが当たりで、美味しい。一つ買うと、しばらく同じものを食べるので、美味しいチーズに出会うと嬉しくなる。コーヒーのない生活をしたことがないので、気の抜けた朝食だけど、日本から持ってきた、ほうれん草のスープが結構いける。熱すぎて、飲み込むと喉の奥を焼いてしまった。スープが焼けながら落ちていく。
 一月の間、多分、コーヒーは一箱か二箱しか使わないだろう。、だから美味しいものを選びたい。去年来た時には、 友人が置いて行った、エスプレッソのコーヒーの残りがとても美味しかった。バターも、ジャムも美味しかった。無くなると、同じものを買った。それいらい、日本でも、バターとジャムをつけて食べるようになった。
 でも、美味しさが断然違う。パリのバケットは特に美味しい上に、バターとジャムがよく合う。日本で食べているトーストとは比べものにならない。ただ、歯と顎が丈夫でないと、堅いのだ。しばらく置くとすぐに乾燥して、よけいに堅くなる。
 日本は湿気は多いから、顔や手がかさつくことは感じないが、飛行機の中から手がかさつきだす。かさかさのごわごわと化した手をさすりながら、堅くて乾燥したバケットを食べる。そういう乾燥に、ジャムとバター、チーズのしっとりした感触は、とてもよく合う。
パンをスープに浸けて食べる。コーヒーカップがスープ入れのように、口が大きいのは、パンを浸けるためかもしれない。

食は文化、環境に適応して、一番美味しい食べ方を要求している。バケットに、無くてはならないものが、ワインだ。乾燥したパンは、ワインをほしがる。  

Posted by アッチャン at 14:57Comments(0)paris

2009年04月03日

パリへ



 

  最近は、日本食の方が、体が喜ぶようになった。飛行機の中で、日本食にしようか、洋食にしようかと迷う。マイルを35000マイル使って、ビジネスにアップグレードしてもらっている。ビジネス料金は、40万くらいするから、食事も高いものについているのに、たいしたものではない。名古屋ヒルトンのシェフが、洋食を、大阪のヒルトンのシェフが日本食を担当してるらしい。

 


 最近食していない、ヒレ肉のステーキに惹かれて、洋食を選んだ。ワインもその方が合いそうだ。
 前菜に選んだシーフードは、えびと貝柱、美味しかったけれど、物足りなかった。メインディッシュの、ステーキは、よく焼けて、ヒレの割に堅かった。オーストラリア産のようだ。滅多に食べない肉だから、美味しい国産牛を選んでいるから、そのギャップは大きい。ドイツ航空だけあって、パンは美味しい。ワインにパンが一番美味しかった。
パリに行っても、レストランに入る機会は少ないだろう。今回は、日本食の食材を持参している。お米も少し。梅干しに昆布、お好み焼きの材料など、以前は考えもしなかった日本食材がなければ海外で過ごせなくなっている。
飛行機の中で、間食においている、おにぎりが一番美味しい。

 


フランクフルトで、パリへの乗り換えに使うラウンジ入ると、ポテトのマヨネーズサラダとフランクフルトソーセージを小皿に取って、ビールをつぐ。日本ラウンジよりも遙かに充実している。ドイツ料理の中で、じゃがいもの料理は、どれも美味しい。中でも、このポテトのマヨネーズサラダには、サワークリームと少々芥子が効いていて美味しい。ハイデルベルグの駅近くに、奥に細長いカウンターだけの小さなバルがある。朝からお酒に酔いだけれている仲間ばかり。そこで、おやじさんが、つまみに出してくれたのが、これと同じポテトのサラダだった。その美味しかった味は忘れられない。客は皆、おしゃべりで親切、陽気だった。身なりのよい格好をした人はなく、お酒があれば満足、人生は楽しい。彼らは、ドイツで一番美味しいものを食べているように思った。

 


そういう思い出が、ラウンジでの同じものを味わう儀式になった。お腹は一杯mなのに、これだけはかかせない。
 パリまでの短い飛行時間に、サンドイッチが出る。これがまた美味しい。穀物パンにハムを挟んだシンプルなもので、お腹は満腹だけど、小さいサイズなので、がんばって食べる。コーヒーも濃くて美味しい。日本からの飛行機と、ドイツからとは、コーヒーの味が違う。自然と眠気が出る時間、日本では真夜中だ。


  

Posted by アッチャン at 15:36Comments(0)paris

2009年04月03日

パリへ



 

  最近は、日本食の方が、体が喜ぶようになった。飛行機の中で、日本食にしようか、洋食にしようかと迷う。マイルを35000マイル使って、ビジネスにアップグレードしてもらっている。ビジネス料金は、40万くらいするから、食事も高いものについているのに、たいしたものではない。名古屋ヒルトンのシェフが、洋食を、大阪のヒルトンのシェフが日本食を担当してるらしい。

 


 最近食していない、ヒレ肉のステーキに惹かれて、洋食を選んだ。ワインもその方が合いそうだ。
 前菜に選んだシーフードは、えびと貝柱、美味しかったけれど、物足りなかった。メインディッシュの、ステーキは、よく焼けて、ヒレの割に堅かった。オーストラリア産のようだ。滅多に食べない肉だから、美味しい国産牛を選んでいるから、そのギャップは大きい。ドイツ航空だけあって、パンは美味しい。ワインにパンが一番美味しかった。
パリに行っても、レストランに入る機会は少ないだろう。今回は、日本食の食材を持参している。お米も少し。梅干しに昆布、お好み焼きの材料など、以前は考えもしなかった日本食材がなければ海外で過ごせなくなっている。
飛行機の中で、間食においている、おにぎりが一番美味しい。

 


フランクフルトで、パリへの乗り換えに使うラウンジ入ると、ポテトのマヨネーズサラダとフランクフルトソーセージを小皿に取って、ビールをつぐ。日本ラウンジよりも遙かに充実している。ドイツ料理の中で、じゃがいもの料理は、どれも美味しい。中でも、このポテトのマヨネーズサラダには、サワークリームと少々芥子が効いていて美味しい。ハイデルベルグの駅近くに、奥に細長いカウンターだけの小さなバルがある。朝からお酒に酔いだけれている仲間ばかり。そこで、おやじさんが、つまみに出してくれたのが、これと同じポテトのサラダだった。その美味しかった味は忘れられない。客は皆、おしゃべりで親切、陽気だった。身なりのよい格好をした人はなく、お酒があれば満足、人生は楽しい。彼らは、ドイツで一番美味しいものを食べているように思った。

 


そういう思い出が、ラウンジでの同じものを味わう儀式になった。お腹は一杯mなのに、これだけはかかせない。
 パリまでの短い飛行時間に、サンドイッチが出る。これがまた美味しい。穀物パンにハムを挟んだシンプルなもので、お腹は満腹だけど、小さいサイズなので、がんばって食べる。コーヒーも濃くて美味しい。日本からの飛行機と、ドイツからとは、コーヒーの味が違う。自然と眠気が出る時間、日本では真夜中だ。


  

Posted by アッチャン at 15:36Comments(0)paris

2008年03月25日

祭日の早朝はご用心


 


 息子のパリ滞在は、今日一日だけだが、昨日の疲れと時差ぼけで、一旦は朝食を取ったものの、お腹が膨れると再び眠気が出て、スースー気持ちよさそうに寝ている。日曜日の朝市を見に行きたいと云っていたので、11時半に起きてもらった。
 今日は晴れている。昨日と今日が入れ替わって入れば良かった。朝市で、牡蠣ばかり売っている所があり、新鮮で大きな牡蠣が、魚屋の半額くらいで売っている。立ち止まると、味見してくれと言って、素早く牡蠣の殻を開けてくれた。私は食べないし、息子は、もういらないという。二人が譲り合っているので、牡蠣屋は、もっと大きいのがほしいんか、と聞く。
牡蠣屋の隣に来た人が、いつも買っている魚屋の若者だった。
「うちの牡蠣と同じような良い牡蠣で、こちらのほうがもっと美味しくて安いよ。」
そう言ってくれるので、6個ほしいと云った。
「 6個と云わずに12個買わないかい。」
「開いたのを入れて6個でいいです。」
「それはいい。さあ、どうそ。」
 大きな牡蠣ばかり選んで6個で、6ユーロだった。それから新鮮なばい貝を買った。
このままで食べられるのかと聞くと、ブイヨン、オリーブ、タマネギなどの野菜を入れて20分湯がいてから食べるように云われた。綺麗なのは、生だったからだった。

 


 一旦、持ち帰ってから、ラーメンのような暖かい物が食べたいというので、いつも人で一杯、外で並んで待っている、ベトナムラーメンの店に行った。今日は得に並んでいる人が多い。それでも食べればすぐに出てくるので、それほどの時間はかからなかった。
 息子がボストンのベトナムラーメンの店に行くと必ず注文するのと同じラーメンを注文した。薄切り肉が、まだ赤身のある状態で乗っている。 私がボストンで食べるものよりもこちらの方が美味しいのは、お肉が入ってるからだそうだ。ボストンでは肉を食べないので、海鮮ラーメンを注文する。あっさりしているが、それほど美味しいとは思わなかった。これは美味しい。息子は、ボストンの方が美味しいと言う。きっとそうなのだろう。 焼き飯と生春巻きを注文した。焼き飯が美味しいらしい。生春巻きも美味しかった。
 
 

パリでベトナム料理の美味しい所は多い。材料が新鮮でお肉が柔らかかった。値段が安いのも魅力なのだろう。お茶を注文すると、薫り高いジャスミンで美味しかった。値段は安くないね、と息子が言ったが、こちらはアメリカのようにチップが入らないから、同じようなもの。
 そこを出て、ミッテラン図書館を経て、ボーボワール橋を渡ってベルシー公園を歩いた。ベルシー公園の先は、ベルシー村という、モールのように店が並び、レストランが並んでいる場所がある。そこから、地下鉄に乗って、シャトー、ド、バンセンヌまで行った。
 それでも、昨日の歩きに比べればわずかだけど、アパートに帰って休むことに。あとはだらだら、ビールを飲み、牡蠣を食べ、昨夜買って使っていないホタテ貝で、スパゲッティーのクリーム煮を作って食べた。


 


 従姉妹にお礼の電話を入れると、明日は休みだから車で送ってくれるという。朝早いから、大丈夫だと遠慮したが、彼女が送りたいのだから、と。私は4時半に起きて、準備を整え、迎えの車が10分前には来るだろうと気になっていたのに、息子は25分前まで寝ている。 コーヒーを飲み、いざでようと思うと、トイレに行くという。いつもこれだ。ぎりぎりになってから行きたいと言い出す。外でエンジンの音が聞こえていたので、私は冷や冷やものなのに。
 やっと出ていくと、「いつまで電気がついているのか。10分前に出てくるのが常識だ。」と怒られた。私はそういうことは身にしみているのに、息子はまだわかっていない。
 祭日の早朝に、PERに乗る人はいないという。最も危険なのだという。誰も乗らないから、犯罪はし放題、そばに人がいても誰も助けてくれないらしい。
 空港バスか、タクシーでなければ危険だと、誰でも承知している事だという。パリは危険だとは、何度も聞いているが、祭日の朝や夜の郊外電車は一番危険で、犯罪のし放題だという。やれ、助かった、従姉妹のお陰だと有り難かった。回数券を買っているので、知らずに、乗っている所だった。
  

Posted by アッチャン at 20:09Comments(0)paris

2008年03月25日

つかのまのパリ滞在


  

  朝の11時25分着の飛行機だと思っていた。掲示板の見ると、BA306というのが、11時40分着予定になっているのに、到着が遅れるようだった。11時25分着はAFですでに到着して、2Fゲートになっている。BAは 2Bゲートで反対側にある。2Bに行き、308便はいつなのかと聞くと、1時45分になるという。遅れるだろうと言う。それで、308は何かのトラブルで、遅れるのだろうと思って待っていた。

 自由の女神の原型

 BAのチケットカウンターで聞くと、はやり同じことを云われ、2時に着く予定だという。1時間半近く待っていたが、もう一度、時間が早くならないのか聞きに行った。別の女性に、11時25分につく予定だった飛行機でBA308だというと、その時間ならAFだという。あわてて、そこから走って AFまで行った。まだ待っているだろうと。息子はいない。もう一人でパリに行ったのではないか。公衆から従姉妹の家に寄っていないかと電話をした。一番忙しい最中で、すぐに電話を切った。
 それから、手帳を見直すと、11時25分Aと書いたのは、その時間にロンドンを出る飛行機だということだとわかった。アライブと間違えていて、AMのことのようだ。 だからまだ掲示板も出ていなかった事に気がついた。掲示板に308が出手来た。遅れるようで、2時半の予定と書いている。着いたのは3時だった。何度か電話してもかからなかったので、メールをもらったきりになっていた。気になりながら、行けばわかるだろうといいかげんにしていたのが悪かった。
 従姉妹のレストランに、顔を出し、挨拶してすぐに帰るつもりだったが、生ハムとワインを出してもらった。


 ソルボンヌ大学

 朝のうちに、近くの魚屋で、牡蠣、コキーユサンジャック、エビを買っていた。最初は海鮮の盛りつけにしようと思ったら、55ユーロと言われ、ウニをやめたら、プレートの盛りつけに12ユーロいるのと云う。それでそれもやてもらって、28ユーロだった。結果はこの方が良かった。盛りつけなら冷蔵出来ないので、夕方までそのまま置いておくことになってしまったから。
 アパートで、海鮮とサラダで食事をしてから、その日の内に、吉田さんのアトリエを訪問した。吉田さんと親しい人で、吉田さんに随分長い間お世話になった人が、今は大学に職を得て、忙しく活躍しているので、最近はほとんど来られない人が、連休を利用して泊まりに来られると楽しみにしておられた。予定が一日延びたので、今夜は来られないことになった、とおっしゃる。食事を済ませたから、と言って、ワインを持って出かけた。
 翌日はと聞かれ、そのあたりをぶたぶらするというと、明日案内するからと言われて翌日の11時に、再び吉田さんを訪問することになった。




 アパートに帰り、再び飲み、残り物をつまみ、寝たのは2時を過ぎていた。
 翌朝、雨が降っている。予定は変更になりそうだと思いながら、吉田さんのお宅に行くと、エレベーターから降りて来られた。
 吉田さんの頭の中で描いた、観光ルートは、まずルクサンブルグ公園から始まった。雨が降って道はぬかるみ、寒かった。ルクサンブルグから、ソルボンヌ大学、カルチェラタンを歩き、中世美術館まで来ると、中を見ることになった。中は暖かく、暖を取るにも丁度良い。ギメと同様に6月まで無料になっている。そこから、ノートルダム寺院に行くと、中に入ろうと行列が続いている。中は見ず、裏の公園の廻って、そこからマレー地区の方に歩く。吉田さんが、最初に入っておられたパリ市のアパートがその近くにあり、その辺りは毎日の散歩道だったとか。河原で石を削っていた場所。マレーにはおしゃれな店が狭い道の両側にならんでいて、この界隈は重い扉を開けると、中庭があり、高級住宅街になっている。岸恵子もこのマレーに住んでいると雑誌で見たことがあった。

 コキーユ、サンジャック

マレーを抜けて、教会に入り、その近くで休みをかねてレストランに入った。
吉田さんはお腹を壊してるので余り食べられないとおっしゃって、コキーユサンジャックを注文、息子は子牛肉で私はサラダを取った。再び歩き出し、雨が霰か雹にかわっている。ユーゴーの家がある、ヴォージュ広場の回りを一周して、バスティーユ広場に。このころには、もう大分疲れていた。

 

吉田さんはお元気だ。一端バスに乗り、3駅先のシャトレで降りて、ポンピドーセンターまで歩くのも、見せたい道を通るので、遠回りになる。シャトレから凱旋門まで地下鉄に乗るのかと思い、そこに地下鉄がありましたよ、と言うと、あれは別線だと言われてひたすら歩く。フォーラムの公園のあたりを歩いて、ルーブル宮まで歩いた。やっとそこで地下鉄に乗り、凱旋門に行くと、あの回りは地下に入ったり出たりと歩道がないので、歩かないと行けない。凱旋門にあがって、放射状になっているパリを見せるつもりだったが、ここでも待つ人がすごい。で凱旋門の下から、放射状の道を見て、そこから吉田さんは、モンマルトルに行くつもりでおられた。もうこれで十分だから、疲れてもう歩けませんとお断りして、やっと観光案内は終わった。息子も気を遣っていたし、吉田さんも無理されていたようだった。


 


 息子は仕事を終わってやってきて、時差ぼけと疲れで、もうこれが限界だったし、吉田さんは、吉田さんで、お腹の調子が悪いのに、無理されていたようだ。持久力と忍耐力は並はずれた強さを持っておられる。
 アパートに帰り、見届けてから、お暇しますと云うと、吉田さんが紹介したい人がすぐにやってくるからそれまで待つようにと言われた。そこに電話が入り、電車の予定が1時間遅くなるとのことで、お暇する事に。
 強行軍のパリ滞在で、疲れたけれど、良く歩いて、パリを知ることが出来た。雨と霰と、時折は晴れの空の中で、随分よく頑張ったものだと思う。これが私と二人だけなら、ちょっと歩いて、帰って来たことだろう。パリのほぼ主たる所を歩いたことになる。
 近くの魚屋は、フリ、ド、メールの注文品が並んでいる。朝山盛りになっていた牡蠣に底が見えるほどで、ホタテ貝は無くなっていた。一番小さな牡蠣が残っていて、それを買った。ホタテ貝とバイ貝にエビ、タルタルソースを買った。  

Posted by アッチャン at 19:57Comments(0)paris

2008年03月25日

パリに住む人


 

  パリに来て、あっという間に日が過ぎて行く。もうあと1週間しかない。行きたい所にほとんど行っていないようにも思える。夜は、毎日のように、コンサートかオペラ、演劇と美術館に行っていて、時間を気にしないで、ゆっくり散歩したこともわずかしかない。デパートにも行っていないし、、ウィンドーショッピングもする時間もない。
 パリの日常生活を描きたくて、そこまでの余裕がない。あともう一月あれば、と何時来てもそう思う。来るまでは、一月どうして過ごそうか、地方に行こうか、イタリアか、スペインか、それともオランダか、近くのベルギーに、と行きたい所を山ほど考えるのに、

 

パリにいるだけでいつも時間が足りなくなる。1年くらいじっくりと腰を下ろしてパリに暮らせば、日常のパリに出会えるだろうに。フランス語に、毎日触れているので、1年もあれば、相当出来るようになるだろう、とも思う。日本に帰れば、もう一度地道に勉強したいと、今は思っているけれど、いざ日本語の国に着くと、すっかりフランス語とはおさらばして、ごろごろテレビのお守りをして過ごす。あちこち体が悪くなり、ヘルスクラブに通うか、温泉に浸かりたい願望に囚われるか。
パリの住民だって、私が日本生活しているような過ごし方と、そう変わりはないだろう 向かいのアパートの窓から、大型のテレビが見える。会社から帰ると、ご飯を食べながら見ているようだ。テレビは夜がふけるまでずっとつきっぱなしだ。
 パンを買い、野菜を買い、食べものを買って、毎日の生活が過ぎていく。娯楽は、パリ中、どこにでもある映画館か、アパートから抜け出して、公園を散歩するか。

 

 パリには各地区に大きな図書館がある。図書館が充実していて、家族で利用している。音楽のディスクやレコード、ビデオテープなどの貸し出しを利用している。
なんで、こんなに図書館が多くて、しかも立派なのか、と感心する。失業者への配慮も日本では考えられない優遇措置だ。
パリでは、ぶらぶら生活を送っている人も多いようだ。ものごいも多い。至る所で手を出している。お金をくれ、と言って。
犬の糞は相変わらず多い。罰金が科せられるようになったと聞いても、道を歩けば糞に当たる。
 バスに乗っていて、恐ろしい思いをした。足の悪い老人が、隣に座っている男に、席を譲るように云った。男は、向こうに空いた席があるだろう。あちらに座れ。と言う。
老人は頭に来たのだろう。持っている杖で殴ろうとした。二人はつっかかみの状態になり、隣で座っている私は、思わず中腰で避ける姿勢になった。
 運転手がやってきて、もうこれは終わり、お互いに静かに気を静めて、と言う。老人は夫婦連れだった。後ろが空いて二人が座った。隣の男は文句を言い、後ろで奥さんが、かかわらないように老人にと手で、唇を押さえ、黙っていましょうと促していた。
 男がしきりに文句を言っている。早く男が降りないかと、気が気でなかった。プラスイタリーまで来ると、ようやく男が降りた。捨てぜりふを言って。
 彼が出ていくと、身障者優先を書いている、と奥さんに言っている声が聞こえた。
  

Posted by アッチャン at 19:44Comments(0)paris

2008年03月11日

パリの北

 
 

 朝、目覚めると、久しぶりの快晴で、太陽が部屋に差し込んでいる。ヴァンセンヌにあるカルトシュリーという太陽劇団の劇場に行くつもりだったが、予定を変更して、森に行くのもいいなあと思った。去年持ち帰った石を見た友人が、これは化石だ、1億年くらい以前のものだ、と言った。それ以来、素人の私も、石の採集に興味が出てきた。日本では
ああいう石はない。
 吉田さんから、夜遅く帰ってくる私を心配して、何度か電話があった。昨夜も帰って食事をしている最中に電話があった。
 パレロワイヤル界隈を歩いていて、コートに何かをかけられた。コートを脱ぐように催促され、もう一人の存在に気づいて、泥棒の手だとわかったとおっしゃる。換金しているのを見ていたのだろうと。最近、4人くらいの男達に囲まれて、財布を盗られたので、私にくれぐれも気をつけるように、との電話があったばかりだった。
 


 吉田さんに電話をしてから、おにぎりと簡単なおかずを作って、持って行った。あれだけお天気が良かったのに、南の方に雨雲があらわれているので、森はやめて、吉田さんが案内したいと言われる、北のアラブ人地区を歩くことになった。パリは北に行くと、アラブ人や黒人が住む地域になる。パリの中心にはない雰囲気があっておもしろい、と。

 

 パリの北には、まだ昔の家が残っている。中心部は全て、ビルになってしまっているが、庭のある家が、並んでいる地域があって、今では、高級住宅地のように貴重なものになっている。


 

 19区の市庁舎の前にある、公園が素晴らしかった。池を挟んで、回りを一周する間に、鍾乳洞の洞窟があって、滝が流れている。吉田さんは良く来られるのだそう。杖をついた老婦人が、毛皮のコートに身を包んで、ゆっくりと歩いて公園を散歩している。彼女が突然話かけてこられた。
 「崖を駆け上った男の子がここに落ちて亡くなった所よ。今朝は太陽が一杯だったから、出てきたのよ。」
老婦人はまた、ゆっくりと、踏みしめるように、杖を頼りに歩いていかれた。



 バスに乗り、モンマルトルの丘に登って、そこから95番のバスで吉田さんのアパートに帰ろうとバス停までくると、ベンチに腰をかけていた男性が、「ストでバスは来ないですよ。」と言う。確かにバスの案内にも、そういう文字が出ていた。けれど、モンマルトルの丘にあがる前には、95番が走っていた。80番は走っているので、そこに行くと、やはり同じ文字が出ている。95番の停留所に戻ってみると、向こうからバスが来るのが見えた。その男性は、「運が良かったですね。」と。そうではなく、掲示板が間違っていたのだ。
 



私は歩きすぎて、疲れているのに、吉田さんは、もう少し、見せたいところがあるから、と随分歩くことになった。アパートで、手早く食事の用意をしてくださった。吉田流のサラダはこんなものだ、とおっしゃる。エビを焼き、私が持参したニシン、焼いたパンをいただいた。吉田さんは、毎日、昼と夜にワインを飲むので、一日中飲んでいる計算になる。 健脚で、肝臓も強く、体力も、頭も、全てお元気だ。アンティックの店が好きで、見れば買うのだそう。見渡せば、目利きのすぐれたものばかり。頭上のシャンデリアは、ナポレオン3世の部屋にあったパーツのよう。ワイングラスは、サンルイ、バカラなど。割られる事が多いのに、そういうことにも全く動じない。割れるものだから、と。
   

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2008年03月07日

パリのプリゾニエ



 

  若い頃、パリに来て、そのままいついた人ならば、石に囲まれた圧迫感を感じないかもしれないが、日本で長く暮らしていた人が、突然パリにやってきて、そのまま9年間ものあいだ、パリの狭い一室の中で暮らして来た人がいる。よく耐えられたものだと思う。
 気ままなパリ、と言っても、言葉が話せない、つきあいは日本人ばかり、何をする目的もなく、9年もの間、パリに滞在した。
 最果ての町から一歩も出たことがなかった女性が、母親を送り出し、40年勤め上げた職場を定年退職した。フランスへの団体旅行で、始めて訪れたパリで、アパートを買わないかと持ちかけられた。安い買い物ですよ。彼女はとっさに判断した。彼女は、雪深い、因習的な町の、凡人が誰もやれなかった事がしてみたかった。
 

 

2度目にパリにやってきたのは、アパートを買うためだった。オペラ座に近いビルの一角にある、一部屋のワンルームで、窓からは向かいの建物が迫って見える。目を落とせば猫の額ほどの狭い路地があるだけ。何もわからない彼女は、パリに住みつき、生活に困っている日本人に、ご馳走し、付け届けをしながら、助けてもらった。
 彼女の田舎なまりを笑い、馬鹿にしているようなパリ在住の日本人女性達の集まりに顔を出し、付き合っていた。否、付き合ってもらっていた。どこどこのお歴々の奥さん達との付き合いに、貯蓄を随分使った。
退職金が懐を暖めていた頃は、気にしなかったが、年月と共に、底をつき、あとは年金だけが頼りになると、そう言う人達との付き合いもままならなくなってくる。金の切れ目が縁の切れ目、さしあげるものがなくなると、誰も相手にしてくれなくなる。その頃になると、パリでの生活には慣れてきたが、同時に体の変調も出てきた。高血圧が心配されるようになった。堅いパンをかんだ為か、歯がぐらつき始め、何本かの歯を失った。
 


 彼女の暮らしは、散歩と買い物を見て歩くことだけ。毎日店を見て廻るのが楽しみだった。言葉は習っていても、覚えることが出来なかった。メルシーと簡単なフランス語は覚えたが、家の管理や、書類などは、フランス語の出来る人に頼まなければ何もわからない。 波の神経の持ち主では、とうてい居続けることは無理だと思う。その上、決断力と大胆さ、肝っ玉が相当据わっていないと、とても持ちこたえられるものではないだろう。
 彼女は、パリに9年間暮らした。何もせずに暮らした。暮らすことを楽しむために。
9年の末に、食べ物が、高血圧に悪いと気になり始めた頃、パリのアパートの価額が、買った頃の3倍以上にはね上がった。彼女が買ったアパートは、以前の持ち主が倍以上の値段を払って 買ったものだった。ボトムで買って、高く売るという経済感が、彼女にはあった、ということだ。パリで散在した退職金がそっくり戻って来た。

 

 パリで暮らした9年間は、40年の勤務の末に、神様からもらったプレゼントなのか。それとも、これから先の、東北で暮らす終末への長い道のりでの、追憶という支えなのだろうか。パリのプリゾニエとしての苦労は、甘い感傷に染められているに違いない。  

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2007年03月25日

オペラ座へ

オペラ座


 パリは久しぶりに太陽が照り、青空が広がった。天気の良い内に、パリを散策しておこうと思いながら、溜まっていたブログも、昨日書いた続きが残っているので、お昼過ぎまで、コンピューターに
向かう。昼食は、昨日と同じ、スパゲティーで済ませて、オペラ座までバスに乗った。27番のバスで、オペラ座まで、ルクサンブルグ公園、パリのソルボンヌ大学、ルーブル宮、コメディーフランセーズのあるパレロワイヤルを見ながら走った。オペラ座で降り、劇場に行くと、昨日も、今日も、オペラ座の舞台見学は出来ない。歌舞伎のリハーサル中なのだ。市川団十郎と、市川海老蔵の写真の垂れ幕が、劇場の両側にかかっている。明日が初日、私は券がないか、明日の当日券は売られるのかを聞きにきた。券売り場に、「歌舞伎公演の全日程がソルドアウト」と書いている。「毎日、見られる席が、限定で10ユーロで売られます。」という紙が貼ってある。明日、何時に来ればいいのかと聞くと、1時間までだという。そこでしばらくい%8  

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2007年03月16日

モンパルナス墓地




モンパルナスの墓地に行った。私がパリに来てから、晴天つづきで、こんなことはめずらしいのだという。昼間は、暖かく、セーターでも充分なくらい。桜の木は、満開に近いのもあるくらい。
 モンパルナスは、昔は、一軒屋も多く、パリでは、田舎だった。日本で良く知られている、「バーパ、パパ」を書いている、アメリカ人の絵本作家の家を訪ねた事がある。路地を入った、平屋だての家だった。モンパルナス界隈に住んでいた芸術達は、そこを立ち退かされ、パリ市が新しく建設したアパートなどに移った。今、モンパルナスは、巨大な建物が立ち並び、新しい駅が出来て、近代的な都市空間を作っている。その中の一角に、そこだけは、時代を超えて、静かに眠っている空間がモンパリナス墓地だ。



 サンジェルマン、デ、プレレから、モンパルナスのカフェで、夜を徹して、熱い議論を交わした知識人や、芸術家達は、モンパルナスの墓地に眠っている。サルトルとボーボワールは、お墓の入り口の近くにあり、墓碑がたっていた。どこかのユースホステルで一緒になった女性が、マルグリリット、デュラスのお墓を見に行った、と言っていたのを思い出した。デュラスは、アパートをサンジャルマン、デ、プレに持っていたので、モンパルナス墓地ではないか、と聞いてみると、やはりそうだった。デュラスのお墓は、簡素なもので、随分前に、訪れた人が供えた、1輪のバラが枯れた状態で、墓石の上に。小さな石や、ビー玉、韓国語で書かれた一筆なのが、置かれていた。墓石に刻まれた名前も、見落とすほど。
 彫刻を施した立派なものや、家族で、という大き目のお墓もある。花鉢が一杯の華やかな墓もあれば、アイルランド、出身のノーベル賞作家、サムエル、ベケットの墓は、大理石の墓石だけで花は一切なくシンプルなものだった。ベケットも、モンパルナスに住んでいたらしい。
 最低2メートルは掘るので、墓堀は機械を使う。深いのだと、10メートルも掘るのもあるらしい。
 今日も、掘り出した土と瓦礫が、墓所の道路わきに積まれていた。のどかで、ゆったりとした、場所で、横たわっている墓所、眠っているという表現はそのままの状態を表している。



 ベケットは、今、私がしげく通っているポンピドーセンターで、特別展が開催されている。  

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2007年03月16日

森の中に




  ヴァンセンヌの森と、反対側に位置する森はブーローニュの森、そのどちらでもない、
ボームの森に行った。ベルサイユ行きの電車が通っていたので、ベルサイユに近いのだろう。
お天気が良かったので、森に車で来ている人達が、池を囲むベンチに座っていた。釣りを楽しむ人の姿もちらほら。ほとんどお年寄りのカップルだ。近くに2つの大きな住宅地が出来ているので、バスの本数は多くなっているけれど、パリの市内のようにはいかない。森の中に入ると、去年の風で倒れた木の根を切り落とした株があちらこちらにあり、そこから芽が出て、前衛生花のように芸術的な形をしているものもある。秋には、栗広いにやってくるので、栗の木が多く、足元に、落ちた栗が沢山残っている。
 男の子が二人、トリフを探しているのだろう。探知機のような、丸い先をつけた棒を、茂みあて、肩に機械をかついで辺りを探って歩いている。
 森の中を分け入り、形のいい木や、石を拾って歩いたら、時間が経つのも忘れていた。2時間くらい森の中を歩いて、拾った戦利品を持って帰った。日本にはない、いろいろな石がある。あめ色に透明がかったもの、ブルーの色の入った石、茶褐色の石、など、石そのものが、小さな石の彫刻によう。少し大きくて、色のない石は、アトリエで、色を塗ると、彫刻になる。木を彫刻刀で削って、ペーパーでこすり、そこに色を塗る。遊びなのだが、時間と労力を費やし、手を加えるとで、自然と人間のコラボレーションになる。芸術家のアイデアはつきない。変凡な頭しか持ちアあせていない私は、ただただ、感心するのみ。帰りのバスの中から、エッフェル塔と、自由の女神が見えた。
そう、アポリネールの詩「ミラボー橋」で知られている、ミラボー橋が見える。
 「ミラボー橋の下を、セーヌが流れる」という詩の、ミラボー橋。下に流れているのは、セーヌ川。
フランスがアメリカに自由の女神を贈ったお返しに、アメリカから贈られた、小さな自由の女神像の、
向こうに、エッフェル塔が見えた。エッフェル塔は、今はパリになくてはならないほど、パリの景色に
合っている。エッフェル塔が美しいのは、下が、円形にくりぬかれた形で、空間を作っているから。  

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2007年03月13日

食中毒




  中華料理の店が、いかに不衛生であるか、という記事が雑誌に載ってから、パリの中華街では、お客の足が遠のいていたそうだ。暑さ寒さも彼岸まで、最近はまた、中華街に足を運ぶように
なった。 今日、蚤の市にご一緒した奥さんが、残った食事を、外に出さなければ、この残り物を、次のお客の料理に使うだろうと教えてくれた。そういう風にして、安い食事を提供している、というのだ。そんなことを聞くと、中華料理を食べるのが怖くなった。日本では考えられないことだ。手をつけていないものでも、衛生上の理由から、豚のえさとして捨ててしまうだろう。中華街で使っている
魚やエビなのは、ほとんど冷凍物だと従妹は言う。こんなに安いお金で、もうかるはずがない。
 パリで、安くて質のいいものはない、というのだ。高くだせば、いくらでも美味しくて新鮮なものはある。彼女は、何度の食中毒を経験しているという。
 パリでは、レストランに調理師免許はいらない。誰でもレストランを出すことが出来る。そのかわり、
一年に一度、厨房の衛生検査で、きびしい審査を受けるらしい。
 パリで食中毒にあたるのは、日常茶飯事とか。  

Posted by アッチャン at 03:53Comments(0)paris

2007年03月12日

日曜日の蚤の市




 日曜日の朝は、蚤の市がパリでは34箇所で催される。電話があり、郊外から、来る知人と蚤の市に行くので、行かないかと誘われた。急いで、バスに飛び乗った。
 郊外から来られた夫妻は、5日前に、日本から帰ってきたばかりだそう。日本で、2ヶ月滞在して、その間に、個展をされている。シンプルでとても感じのいいご夫妻だ。
 




14区のVenves の蚤の市の周りで車を止める場所を探して、何度も同じ道を行ったり、来たり。禁止地域まで、びっしりと車が止まっている。運良く、ペイヨンの所が開いたので、そこに駐車した。
 ぶらぬら見て歩くのは楽しい。なんでもある。がらくたから、古本、アクセサリー、真鍮の取って、
子供のおもちゃなども売っている。



 ご主人は、ガラスや食器にくわして、掘り出し物のワイングラスの良いのがあるから、興味があるのなら、買っておいたら、と薦めて下さった。サンルイの19世紀のもので、手でカットしたもので、とても値打ちがあるらしい。12個で売られていたのを、6個にしてもらい、ご主人が交渉してくれた値段から、さらに10ユーロ安く買えた。日本では、この7倍くらいの値段はするらしい。
 今度は、銀のスプーんが、安物の中に混じっているのを、取り出して、買っておくように薦められた。2本で10ユーロ、ミネルバのマークが入ったもの。店の主人も知らない内に買っておいたほうがいいと。最後に、銀細工をほどこした、小さな、お塩とコショウを救うスプーん、2つで一セットだけれど、片方だけ売っていた。これも、20ユーロだと言うのを最後に10ユーロで買った。銀の上に
金メッキが施されている。小さなさじに細かい細工がされていて、高価なもの。
 めぐり合いなのだ、と言われた。自分のほしいものに、出会わない事も多いのに、今日は、出会いが良かったのだと。そう言われて、嬉しくなった。財布の中には、小銭で9ユーロ15セントしか
残ってない。これから昼食に行こうと言われた。近くのカフェで、昼食のメニュが9ユーロのシュークルットがあり、これがいいということになった。出てきたシュークルートは、ソーセージ2個と大きな豚の煮物の上に、沢山シュークルートが乗っていて、皆,ほとんど残してしまった。良い買い物をしたから、カードで、私がご馳走しようと申し出ると、割り勘にしようと、頑として受け入れてもらえなかった
小銭ばかり集めて、9ユーロ払うと、財布には、クレジットカードだけ。
 バスの定期を買っているので、お茶を誘われたけれど、用事があるから、とお断りして帰ってきた。  

Posted by アッチャン at 07:35Comments(0)paris

2007年03月10日

サンジェルマン、デ、プレ






 サンジェルマン、デ、プレの画廊街で、木曜日には、沢山の画廊で、展覧会初日のお披露目が行われる。その日には、ワインや飲み物、ちょっとしたおつまみも用意されている。
 1936年ブルガリア生まれ、1949年にイスラエルに移住した人で、テルアビブの美術学校で学んだ跡、アメリカのイスラエル文化財団の給費生としてパリの国立美術学校で学んだという経歴の持ち主の、Moreno Pincas の会場では、部屋中人で溢れていた。どこか、映画か、テレビで見たことのある顔ぶれも。東欧圏から出てきた人達が支えあって、その画家を支援していると聞いた。その画家が描く人物も動物も、それは醜い顔をしている。 激しい色使いで、インパクト十分な絵。日本人には、とても描けない世界。ここに来る前に、ある日本人画家のアトリエを訪ねた。
淡い色調で、形としての形を持たない風景を描いている。靄にけむる薄明かりの世界を見せてもらっただけに、その対象性の際立ちに、日本人的世界を再認識するような思いがする。以前にお伺いした日本人画家の絵も、赤と黒の2色で構成されているシンプルな絵画だった。この画廊の画家の絵は、これでも随分落ちつたらしい。



 その他の画廊も、沢山人が溢れ、誰でも入って見ることも、ワインを飲むのも自由。通りを歩いていると、可愛い年配の女性が、同行の画家と親しそうに話している。松谷さんという日本人画家の奥さんとか。上手に日本語を話される。今日は、女性の日、日本で言えば、3がつ3日のお雛様にあたるそうだ。画廊で、20世紀に活躍した女性達をモチーフにした展覧会のベルインサージュに
来られたとか、そこも覗かせてもらった。店に行くたびに、ちょっとワインをいただく。どこも安物のワインばかりで美味しいとは言えない。

 興味深い、展覧会があった。一見ボッシユ風の風刺的な要素を持った作品。見ていて、違和感なく、楽しい、という気分にもさせてくれる。おもしろい、と。作者に遊び心と余裕を感じる絵だ。

 近くの、テイクアウト兼、中でも食べられるという店に入った。好きなものを入れてもらって、会計をすませて、食べる。マクドナルド方式。おすしと中華があって、値段が安い。私はラーメンと、生春一つ頼んで、6ユーロ80セントだった。春巻きの味は悪くないが、ラーメンの麺があまり。ワインは美味しくて安い。人気があって、いつも混んでいるそうだ。サンジェルマン、デ、プレはインテリジェンヌで、お洒落な場所、その中に、こういう店があるなんて。この界隈は寿司の店が目につく。
 食事も、ヘルシー志向なのだろうか。  

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2007年03月06日

パリのホテル


 ideal hotel 昨日から泊まっているホテルは、4番線の終点駅ポルト、オルレアンの駅前にあり、二つ星から三ツ星に昇格したホテル。インターネットで、随分長い間探して、利用者の評判も良く、地の利も便利、値段も安い、インターネットが無料で、という願ってもない条件で、予約を入れた。
インターネット価格は、随時変更される。このホテルは、次にアクセスした時には、55ユーロで予約した部屋が、79ユーロに値上がりしていた。昨夜、友人とサンミッシェルの界隈を歩いていたら、
彼女の友人達3人が泊まったというホテルがあった。彼女は、ここは良くない、部屋は狭いし、というので、ホテルの名前を見ると、ホテル検索で、利用者の満足度が低いホテルだった。とても場所がいいので、サービスも設備も悪くても、客には困らないのだろう。


 
昨夜は夜明けまで起きていたので、今朝は朝食を逃してしまったけれど、高級ホテルが使ってる上質の快適に安眠できるベッドなので、熟睡出来た。ツインベッドを二つあわせた大きさなので、
一人では贅沢。シャワーの水量も豊富で、熱いので、疲れが取れる。部屋は清潔で、綺麗に掃除も行き届いている。申し分ないホテルでお勧めのホテルだ。ホテルの前に、トラムが走っている。
これが、去年の12月に出来た、新しいトラムで、porte de Versaille と、セーヌ左岸を直線で結んでいる。 
 


 随分以前の事だけど、サンミッシェルの語学学校に4週間の集中講義を受けるのに、学校はホームステイか、シャワー付のホテルを斡旋していくれるというのに、私はどういうわけで、そのホテルを予約するにいたったか、思い出せないのだけれど、一つ星のサニーホテルに一月滞在した。部屋にはシャワーはなく、
ビデだけがついている最低の設備の部屋。シャワーは共同で、鍵を借りて使用するようになっていた。イデアルホテルは、それに比べて贅沢すぎる。


 
 外に出ると、昨日とはうって変わって、パリらしい寒さ。アレージアまで歩く。周りには、なつかしの
フランス語、パリだ、わけもなく嬉しく、気分が浮き立つ。昨夜、友人と約束している、National駅前にある「タオ、タオ」に。道すがら、オルガニックばかり扱っている店をのぞいていると、バスで行く時間がなくなったので、アレージアから一駅上がったDenfer Rechereau ダンフェール、ルシュリューで、6番線のNation ナシオン行きに乗り換えた。地下鉄は地上に上がったり、地下にもぐったり。10分ほどで、ナショナルに着いた。
 ナシオン駅から下を見る

早すぎたかな、と思ったら、彼女と息子さんと鉢合わせ。
 今日は彼女のおごりなので、10,5ユーロのメニュを断固として注文。彼女は、アラカルトを取ろうと言ってくれたけれど、昼食なのに、ランチで十分、メニュは、前菜と主食、デザートまでつく。



 前菜のベトナム風の春巻きが美味しい。パリに来ると、何度か、ベトナム春巻きを食べずにはいられない。店によって、味は多少違うけれど、大体、どこで食べても美味しい。店に「ザガットレイト」
のラベルが何枚も貼っているので、ここは美味しい店だ。
 
 私は、この店には何度か来ている。従妹の友人が連れてきてくれたのが初めて。北京ダックを食べて、その美味しさに感激した。弟夫婦が子供達を連れてパリを訪れた際に、この店を推薦した。
二度目に食べた北京ダックの味は、以前に比べて、それほど美味しくはなかった。弟達に前宣伝が激しかったので、申し訳ない気持ち。同じものでも、調理をする人によって違うもの。料理人が変わっていたのだろう。

 友人達と別れて、ホテルに帰る道すがら、スーパーで、赤ワインの小瓶2本と、ビールを一本、オレンジ3個買った。4ユーロ90セント。ホテルの前に、サンドイッチと、クレープを売る店が出ていて、いつも買う人の絶え間がない。サンドイッチを買って、今夜の食事。簡単で美味しいパリの味。

 

 

 
   

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