2014年06月10日

歌舞伎映画「大江戸リビングデッド」と西村屋

        



   朝一に上映する、歌舞伎映画「大江戸リビングデッド」を観に神戸松竹に出かけました。
朝早く出ているのは苦手な方なのですが、朝の4時ごろから目覚めているので、それは楽。
 先週で終わる予定だったので、見られないと思っていたら、神戸だけが、一週間の延長上映をしているのを知ってのことです。
火曜日なので、神戸はレディースでデイだけど、歌舞伎は関係ないのですが、それでも、
場内はほとんど客もいない状態で、いままでこんなことはなく、特に神戸は混んでいたのに、と不思議に思ったら、それもそのはず。
 あまり面白くなくて、演出は野田秀樹ではないだろと思ったら、当たりでした。
脚本演出共に、「あまちゃん」で人気急上昇の宮藤官九郎でした。

http://www.shochiku.co.jp/cinemakabuki/ooedolivingdead/ 

 面白く描こうとして、じたばたしているのに、対して笑いを誘えない。
演出の方は、放置状態で、役者まかせで自由にやらせろ、とのことだったのでしょう。
 歌舞伎役者は、伝統的な枠を飛び出して、はちゃめちゃに楽しんでいるのですが、それ観客を乗せられない。第一、脚本に魅力がない。
 脚本と演出が全てと言われる演劇ですから、そのどちらもこけたら、くさい芝居になります。
 映画だから、メーキャップの荒い異常さも際立って見えるのも良くなかった。
しかし、見ないとおういう感想は持てないのですから、行って良かったわけです。
 朝早く、パン一個食べただけのお腹ですから、終わったらすぐに食べたくて、映画館の向かいにある西村屋に直行しました。
民芸茶屋はお休みで、隣のステーキハウスの方が空いていて、そこには初めて入ったのですが、隣の民芸にもある、1980円の和食の定食にしました。
昼だけのサービスメニューは、これと、2100円のステーキ定食があります。
 鉄板焼きのカウンターの後ろに、ワインが4本ほど飾ってあって、その中に、息子が空けてくれた、レストランで150ドルだったのと同じワインがあります。
 酒屋で60ドルだったというのですが、日本のステーキハウスではさて、どのくらいするのだろうと気になります。西村屋ですから。
 料理は全て、申し分なく美味しくて、特にお造りの鯛が、とろけそう。
 ご飯にそぼろがかかっていて、友人が「お弁当によくいれたわ。」と三色弁当を思い出して。子供達に持っていかせたのか、私達の子供の頃の弁当にも入っていましたから。
  会社員の子供は、この三色弁当、つまりここにかかっている、そぼろと桜いろのでんぶと卵の崩したんものがご飯の上に綺麗に並べているので、美味しそうだなと羨ましく思ったものでした。
 母の弁当ときたら、鮭か、卵焼きか、一個をおかずにぼんと入れてあるだけの、実にシンプル極まりないものでした。
 カレーをっかけて、弁当箱からにじみでた時の弁当箱と、溶き卵のそぼろを、出汁と一緒にご飯のかけたもの。でもこれがご飯に染みこんで美味しいのです。
 そういうわけですから、丼ものやカレーが今も好きなのです。嫌だと言う人結構いますよ。別々でない,と。
 朝のお弁当どことではなかった忙しい母でしたから、当然なのですが、手の込んだ愛情弁当を開いている友達の、三色弁当が美味しそうにみえたものです。
 ですが、その味は、思っていたのとは程遠いもの、彩は綺麗でも、味はさほど期待したものではないのです。
 鮭にご飯というシンプルですが、あの美味しさは誰もが知っているでしょう。
カレーだって、お替りしたくなるくらい。厚焼き玉子の甘い美味しさ。
  私の食の原点はそんなところにあるのかもしれません。
勿論、西村屋の、上質のご飯にかかっている美味しいそぼろとの相性を楽しんだことも確かですが。
  

Posted by アッチャン at 08:58Comments(0)演劇

2014年04月11日

猿之助「空ヲ刻む者」

   
   



  楽しみにしていた、松竹座での「空ヲ刻む者」を観に行きました。
クレジットを入れる券売機で、4月の海老蔵、6月の玉三郎のチケットも出て来て、
売り場でパンフレットをもらって、ついでの、「券は完売ですね。」と言うと、13日
だけあります、と言われて、念の為に、どの席か聞いたら、前から9番目の席だ。
1500円で買うのはあまりにも勿体ないかな、と自制して、欲しいなあと思いながら
劇場に入った。
私の席は19番目、それでもやっとネットで買えたのだ。
チケットは、帰って来るので、劇場前で買った方が良いかも。
 私の席の前は、男の人で、背がたかくて、肩幅も大きくて。舞台が見えない。
隣にいる連れの女性は小さい。私の横の席が空いている。
 後ろから、声をかけられた。

 チケットを出した時に、クレジットをそのまま忘れていた。係の人が持ってきてくださった。それはラッキーだった。
 劇が始まって、隣の席の人がやってきた。
幕間になって、私はあわてて、すし三昧に走った。






まぐろの特盛とまぐろずくしに卵を手早く食べて、戻って来た。
隣の人が、「前の人で見えないでしょ。横から見ておられたから。」と話かけてこられた。
彼女は、チケットを家に忘れて、出て来たことにきずいて、タクシーで取りに帰られたそうだ。
お互いにぼっとしている。
共演の佐々木蔵ノ介が、でくの坊に見える。
スーパー歌舞伎とはいえ、歌舞伎役者の修業をしてきた人と、立居振舞が全くできてない佐々木蔵ノ介との差は歴然で、声も通らないので聞きにくい。

佐々木酒造のお酒を売っている。



 猿之助は、佐々木蔵ノ介と仲は良くて、空中を舞あがるシーンでは、佐々木蔵ノ介の手を取って、嬉しそうな表情をしている。
劇中、佐々木の方は、苦虫をかみつぶしたように張りつめた顔つきで、猿之助のほうは、いつも笑っているよう。
 内容と言うよりの、スペクタクルの様相が濃い作品で、スーパー歌舞伎がもともと、宝塚歌劇のような風情があって、猿之助の好きなラスベガスのエンターテイメントに持っていけば喜ばれるだろうと思われる。
 猿之助には、踊ってもらいたいので、物足りないけれど、猿之助は、魅力的で可愛いので、別世界にぼっとしながら、これはこれで、良かったと満足して、帰ってきました。
 今度は、3階の一番前で、やはり首を痛めそう。


佐々木蔵ノ介の映画の宣伝



翌朝、なんでこんなに首が痛いのかと思ったら、横から覗いていたからです。気を使いながら変な恰好をして、芝居を観ていたからです。
前の男の人の頭を叩いてひっこませたいという苛立ちと戦いながら。19番目の後ろは、通路になって、20番目は段が上がった所にあるので、その方がずっと見やすい。
二階、三階のほうがまだ見やすい。
中央の席はだめですね。丁度舞台の中心になっているところは、選ばないほうが無難です。
 
 
  

Posted by アッチャン at 15:43Comments(0)演劇

2014年03月03日

天才肌の猿之助

       青くても甘い金柑
   


 この所、猿之助がテレビに出演することが多い。新橋演舞場の舞台が開くまでの間の
時間を使ってのことでしょうが、フアンとして顔が見られて嬉しいこと。
昨夜は、WOWOWに出ていたようだけど、有料のサイトなので、見られなかった。
WOWOWで登録すれば、無料でもネットでアクセスできるのかと思って、映画を見ている
途中に中断して登録したのだけど、だめだった。
三谷幸喜の本棚、という番組で、その人の本棚にある本を見れば、その人がわかるというものらしい。
猿之助の本棚は、この前、はなまるマーケットで出て来て、最近はアマゾンで買い込んでいて、読まないのに買いためているのだそう。
書物があまり多いので、処分はブックオフで段ボールに詰めて送るのだとか。
本をゴミに出すことは出来ないので。
 ニーチェなどの哲学書から、古文書などの歴史書、骨董から前衛まで幅の広い読書家でも知られている。
付き合う人も、歌舞伎界は狭いので、それ以外の人との付き合いが多い。
 先日は、野村萬斎とNHKの番組に出ていた。
 狂言と歌舞伎の違いについて、これからやりたことなどについて、初めて言葉を交わしたそうだが、萬斎さんは、猿之助を初めて見たのは、あるパーティーの席で、猿之助がまだ高校生の頃、歌舞伎を分娩に例えてスピーチをしていて、圧倒されたのだとか。
  その対談の中で、猿之助が、「自分は役者に向いていない。作る方が向いている。その方がずっと楽しい。舞台が上がると、そこに演じている猿之助は、自分でなくて良いと思う。」と言っていた。
 この前の奈良では、「もうこれ以上、旨くなるとは思えない。」とも言っていた。
幼い時から、芝居を演じるのが日常で、そこから飛び出すことが非日常だという。
 何の抵抗もなく役を演じ、舞台を降りれば、全く別の顔になって、全く別の事をやっていると、共演の佐々木蔵ノ介は感心する。
 猿之助は、幼い時から天才と言われ、中学生の時には、踊りの名手と言われた。
 台詞も舞台も毎日見ていて、すっかり覚えてしまっていて、当時の名演技だと言われる役者の演技を越えてしまうくらいだから、確かに彼はもうこれ以上それほど旨くならないだろうし、演じることよりも、それを変形したり、新しい作品を作ることに、魅了を感じるのだろう。
 私は、時々、猿之助の踊りを見てそれを感じる。
 踊りの旨さは、非の打ちどころがないのだけど、これこの前のと思うと時がある。
 踊り方が、完成されてしまっているので、同じような踊り方を見て、ああ、このかたち、と思う時がある。
 その点、新しい舞台に、蜷川芝居の「ベニスの商人」などの舞台での、高利貸しのシャーロットの演技は新鮮な感じと、鍛え抜いた肉体芸との融合で、猿之助自身も楽しみながら、大胆に演じているので、圧巻だった。
スーパー歌舞伎を、ラスベガスでやるのが夢だという。
きっと近いうちに実演するだろうと思う。
釣瓶が、「勘三郎がなくなって、これから先どうなるかと心配したけど、猿之助がいる。
猿之助は、勘三郎に似ている。」と言うと、
猿之助が、「勘三郎さんと大阪で飲んだことがあって、その時に、お前はしゃくにさわるんだよ。親父に似ているから。」と言われた、と言い。それがすごく嬉しかったという。
勘三郎が、勘九郎だった頃の話だ。
勘三郎はいつも「どうしても親父に追いつけない。親父のようには踊れない。」と言っていた。
踊りの名手と言われた父親の踊りを、若い猿之助は何なく、踊って見せていたのだろう。

  

Posted by アッチャン at 14:11Comments(0)演劇

2014年02月14日

猿之助「いざない寿福増長」

 
   

    

 奈良の新公会堂で、「いざない寿福増長」と題して、能楽師の茂山良暢と歌舞伎の猿之助が、能楽と異文化のコラボレーション公演を行うというので、奈良まででかけていきました。
奈良県の新公会堂に、能舞台があることを知らない人も多いのではないでしょうか。
私もその一人です。
この能舞台は、東京の国立と、福岡のものと同じ造りになっているとか。とても立派なもので、音響効果が素晴らしく、500人まで観客を入れられるようになっているようで。す。
春秋座での猿之助の特別舞踊公演で、この公演知ったのですが、会館の方に電話で予約しました。最後列の席しか残っていなかったのですが、間の柱を取るので、どこからも見られるようになっていて、私の席は、脇から出て来る所に近かったので、良く見えました。棒しばり、という狂言は、歌舞伎でも上演されるので、知ってる人が多いものですが、
茂山良暢は、迫力のある、素晴らしい声で、抑揚も魅力的で、実力のある能楽師だと感心しました。





二部は、猿之助を迎えて、良暢と猿之助のトークが、1時間余りあり、それから、いきなり台本を渡された猿之助が、良暢が演じた、次郎冠者の台詞を、良暢は、太郎冠者の台詞のかけあいを、歌舞伎と能のせりふで演じて、観客は大喜び、感動と割れるような拍手でした。
良暢は、猿之助が今監督に就任している、春秋座のある、造形芸術大の学生だった頃、猿之助が亀次郎として、春秋座で「亀治郎の会」を立ち上げた最初から、学生達と一緒に舞台を作って来た時から、ずっとボランティア活動を続けて来て、東京での亀治郎の会へも、最初の学生仲間を一緒に、手伝いに来ていたとか。





良暢の生涯三つのお願いの一つで、今回、奈良の新公会でのコラボ主演となりました。
トークがものすごく面白くて、これまでの、二人の歩みをテレビのビデオで映しながら、
良暢が、つっこんだ質問や、子役から今日までの、能と歌舞伎の違いや、役者としての成長過程など、観客は皆、引き込まれて笑いの渦も加わって、和気あいあいとはまさにこんな感じをいうのでしょう。
会場は一つになっていました。
奈良ですから、何人か、いかにも高僧という風格のある人が中央の席に座っています。
子供ずれの人も何人か。





良暢は、子供達に、能狂言を教えるボランティア活動もしているとのことで、海外でのコラボ共演、ボランティアなど、注目される存在で、猿之助と一緒に、他の異文化の人達との活動も。
会場には、学生時代から猿之助のボランティアをして手伝って来た仲間達が来ていました。
猿之助観たさにやってきた観客も多く、県外からの観客は半分くらいいて、北は北海道から、南は九州からやってきたフアン達。
大阪から来た猿之助は、10日のリーガロイヤルでのイベント、翌日のお昼は佐々木内蔵助とのトークがあり、その夜は、佐々木内蔵助のディナーとトークというイベントになっていたので、その夜もきっとトークで応援出演していたようで、2日間の宿泊だったようです。
大阪からやっときて、すぐに帰るので、今度は観光だけで来たいと言っていました。
  

Posted by アッチャン at 12:46Comments(0)演劇

2014年01月10日

玉三郎の新春特別舞踊公演、松竹座。

  
      


  待ちに待った、玉三郎の特別舞踊公演に行ってきました。
お正月が来たのだと、実感出来た、華やかな舞台です。
松竹座の正面玄関を入ると、獅子舞が迎えてくれます。
頭をがぶり、テレビの「ごちそうさん」で観たものと同じ光景。
 お正月の一日に、神社で引いた、くじ運の悪さを、幸運に変えて
くれるようで、お祓いを受けた感じ。
友人が、ヴィザで、18000円の入場券と15000円で申し込んで
くれていたので、良い席が当たって、それもラッキー。
松竹座は、満員御礼の札がかかかっていて、さすがに玉三郎の人気は
絶大なものです。
綺麗処の芸者さん、舞妓さんの晴れ姿もみられました。
けれど、玉三郎の美さにかなうものはいません。
舞台の幕間に、場内が明るくなると、一斉周りの人が見えるのですが、
私も含めて、これほどの違いがあるものか、と目を疑いたくなるほど、
舞台の玉三郎の、色艶、美しさ、この世のものではない、と確信する以外には
ないのです。
共演の七之助も、玉三郎についていこうと、必死に踊るのですが、とても玉三郎の
魅力にはまだまだ、ほど遠い。
でも無理はないのです。
積み上げられた美しさ、年齢を重ねて、どうすれば美しく見えるかを、研究に研究を重ねて、身体も心も作り上げた美の世界は、孤高の美、なので、誰も真似の出来ないもの。
そして、一回限りのもの。
昨日、明日に見せる玉三郎の芸とは、違う永遠のものなの。






 七之助も、一人で舞台立つ、最期のお染、久松の二役では、十分に良く踊って、
色香も発揮していました。
 そこに、玉三郎が登場すると、その華やかな色香が、がくっと落ちてしまうのです。
しかし、これは七之助にとっては、精進の目標が更に遠く、希望がさらに大きくなっている証拠であって、きっと将来は,素晴らしい女型に育ち、踊りの旨さを、更に磨いて行けるでしょう。
舞台の装置、美術も、玉三郎の演出だと思われるのですが、日本の象徴的で、大胆な美しい舞台で、目を見張る思い。
正月初めの目の保養にも一役買っていました。
玉すだれって、可愛くて、華やかで、粋で、冬のはずのお正月が、新春と言われるにふさわしいものです。その玉すだれがふんだんに使われて、お客を暖かくもてなしています。





パンフレットにもなっている、藤娘は、出し物の中でも、最高で、玉三郎と七之助の二人での
共演は、藤棚から、藤が垂れるように咲く様の美しさ、可憐さを見事に表現していて、素晴らしかった。
お芝居でも、舞台にしても、見終わった時に感動もひとしおながら、時間を置いて余韻がり、更に
愛しく思えるのは、その舞台が放つ力の強さにもよるのですが、玉三郎の舞台は、いつも
どれも、眼にやきついて離れることはない。
どの一瞬も、渾身込めた魂の演技で、観客をひきつけるからでしょう。
あの眼が、あの憂いが、あの体の動きが、あのすべてが、眼に浮かんできて、心を熱くさせるのです。
  

Posted by アッチャン at 11:49Comments(0)演劇

2013年12月28日

猿之助の忠信

     



猿之助が亀治郎の会を立ち上げて、10回目の最終公演は、国立劇場での、猿之助48番のうちで最も有名な、義経千本桜の中の、佐藤忠信と源九郎狐の早変わりを演じた時の楽屋裏でのけいこ風景や亀治郎の語り、出演者達の話などのビデオを見ていたので、南座での顔見せは、ひとしお興味深かった。
忠信から、2秒で狐に変身して、床下から出て来て観客を驚かせる為に、どんな方法がつかわれているのかというと、忠信の衣装の下にまとった、白狐の着物に変える為に、舞台上にいてお辞儀をしている間に、楽屋下から糸を引いて、上の着物が一気に取れるように工夫されていたり、天井から飛び出して床に滑りだす為に、回転するための鉄棒があって、それでくるりと回って、床に滑るように出て来る。
楽屋に入ると走りに走って、今度は、本当の忠信として着替えて、窓から顔を出す。その時は、脈拍180も打っているのだけれど、涼しい顔をしていなければならないので、息を整えるのが大変なのだ。
佐藤忠信から、源九郎狐に代わる時には、化粧を変えるので、舞台裏に化粧台を置いて、その場で化粧を加える。
 舞台で、身をそって、階段までそっくりかえる場面では、糸で支えている。その糸を、静御前役の芝雀が、足で踏んで、狐忠信が階段下に落ちないようにしている。


   




欄干の一つが、平均台くらいの幅になっていて、そこを狐忠信が、滑るように走る。
 そのような舞台の裏を見て、説明を受けていたのだけれど、顔見世では、ずっと進化していて、階段から身を反り返る場面では、糸の支えがなくて、静は、離れて立っていて、以前に糸を踏む位置とは全く違っていたのには、驚きだった。
 この舞台、観客は驚きの連続で、エンターテイメント抜群なので、クライマックスのせり上がり、空中を母狐の鼓を持って、歓びのあまり身を揺らせながら、踊りのふりで、観客の顔を見ながら、3階の私のすぐそばを通って消える。その最後の場面では、風を使って、桜の花びらが、吹雪のよう舞い上がり、私の目にも入りそう。服や床に一杯になった花びらを、観客は拾い集めて、記念にといいながら帰っていった。
2千回は、忠信をやると宣言してる猿之助だけれど、この舞台の過酷なこと.
 心臓に負担がかかりませんようにと祈る気持ち。
 
  

Posted by アッチャン at 21:14Comments(0)演劇

2013年12月27日

顔見世 

  
     


 ブログに書く事が一杯あるのに、書く時間がない有様。
深夜になって、年賀だけは出来あがった。
明日までに出さないと、元旦に着かないから、ぎりぎりの所。
だって、明日は、また朝から予定がぎっしり詰まっている。
京都南座の顔見せに、20日の夜の部、イブの24日は午前の部
で、朝早く出かけた。
夜の部は、猿之助の「黒塚」昼は、義経千本桜の佐藤忠信、
襲名披露の最終公演になる。




顔見世というと、それこそ顔を見せるというので、沢山の役者が役を演じるのだけど、
去年も今年も、休演者の代役で、一人で何役もこなさねばならない役者がいて、今回は、その役を、梅玉がになって、夜の部は、ずっとでずっぱりだった。
そのせいか、客席に空きがつらほら目立っている。
 猿之助と中車の襲名披露も、東京から始まって全国を回っていたので、私も3回目になるくらいだから、そういうことも客席の空に関係してるのかもしれない。
猿之助が、春秋座の芸術監督に就任したので、春秋座で、「猿之助への軌跡」という展覧会を開催中だとのポスターが、南座に貼ってあった。
23日までなので、行けるのは翌日の21日しかない。というので、翌日も京都に。
造形大は結構不便な所にある。バスの乗り場を間違えて、反対方向に。京都行に乗ってしまった。連休なので、バスは満員。雨も降ってきて、車は渋滞。
でも、行って本当に良かった。





猿之助が亀治郎の頃、この春秋座で、亀治郎の会、を立ち上げ、10回の国立劇場での公演までのパネル写真や、公演のビデオ、更に、春秋座の劇場内で、個人の会として、宙つりを許可するのは異例の国立劇場での、忠信の舞台裏から、稽古など、40分にわたって映画上映していて、とても興味深く、24日でのお芝居を観る上において、その楽しさは倍増だった。




森鴎外作の「じいさん、ばあさん」は中車と扇雀の夫婦役で、観客の涙を誘った。
台詞の芝居なので、中車には、うってつけの役処。これからの十八番芸になるだろう。
芝居三昧の連日、まだ耳に、お囃子の音や清元、浄瑠璃などの声が残っている。

  

Posted by アッチャン at 16:00Comments(0)演劇

2013年12月16日

利休と歌舞伎に共通する美の世界

  
      樹齢5000年のオリーブ

   西宮ガーデンズの映画館で、海老蔵主演の「利休にたずねよ」を見た。
団十郎が、この映画で海老蔵と演技の火花を散らしていた頃、明日の命を疑わなかった
にちがいない。
思えば、昨年の12月の顔見世で、勘三郎の死去というニュースが歌舞伎界に激震と大きな悲しみとなって、衝撃を与えた頃、勘九郎の襲名披露の公演でもあって、ずらり揃っての、口上で、団十郎が親代わりの挨拶をしていた。
舞台での団十郎が元気がなく、声色の良い、良く響く声がかすれていので心配だったら、その後すぐに、風邪の為,休演とのことで、私は見られて良かったと思っていたくらいで、その翌年に勘三郎を追っかけるようにして、この世に別れを告げた。
巨大な2つの大黒柱を失って、その後の歌舞伎界が心配されたけれど、吉右衛門や仁左衛門が、でずっぱりの活躍で、身体にムチ打って頑張って来て、南座の顔見世では、仁左衛門が休演、中村座で、勘三郎といつも出演していたン三津五郎や福助までもが、病に倒れた。
歌舞伎映画が出来て、嬉しいことに、勘三郎の名舞台が銀幕で見られるようになって、
先日も観た勘三郎が生涯をかけて精進し、到達しようとした菊五郎の不出の名舞台といわれた「春興鏡獅子」を、昨日もまた、難波の映画館で観た。
舞台は、勘三郎がまだ襲名していなくて、勘九郎として2009年のもので、難聴にも苦しめられず、体調も良かった頃の舞台で、その後、勘三郎として、新しい歌舞伎座で、踊ることを心待ちしてながら、新歌舞伎座の舞台を踏むことはかなわなかった。
心技体が一つになって、無の境地で自然に身体がうごくようになって、やっとその境地に到達出来るようになる頃には、身体がついていけなくなると語っていた。笑い顔を残して、腰低く挨拶しながら後ろ向き、去って行く姿が大写しの画面に。
肉体の芸と言われる歌舞伎は、肉体の伝承によって、息子の勘九郎と七之助に受け継がれていく。
踊りの旨さでは、勘九郎の方が旨いと、勘三郎が言っていたので、さらに飛躍した芸となって、のちのよの鑑賞者を魅了していくだろう。
肉体の滅び美学は、物悲しく、美しい。
「利休にたづねよ」でも、宇宙の空間における、行とし生けるものの、もののあわれの美を時間軸で捉えた、美しい作品に仕上がっている。
 竹筒に、椿のつぼみが、一輪さしてある。これから咲いて行くつぼみ。咲いて、首を落とす椿の花に、生きて滅ぶ美を象徴している。
 最も狭い、壁に囲まれた空間の何もない簡素な空間こそが、利休の茶室であることは、旧知の事だが、それは、獄中にも例えられるだろう。
サルトルが戯曲で言った言葉と同じ「幽閉されている時が最も自由だった。」と。
豊臣秀吉の欲望と嫉妬は、生涯つきることなく彼を苦しめ、安らぎを覚えることはなかっただろう。
百姓の出の貧しい秀吉には、黄金が素晴らしく美しく価値のあるものだった。
堺の商人の放蕩息子で遊び人だった、利休には、美の本質を見極める目が備わっていた。
あらゆるものを吸収する黒茶碗が、究極の美だった。
利休の命は、秀吉によって奪われたけれど、利休の美的、精神的宇宙は、茶道として受け継がれ、世界的に広がり、多くの人々の心の平安に貢献し、生き続けている。
歌舞伎の肉体継承の芸道でも同じだと思う。

  

Posted by アッチャン at 14:55Comments(0)演劇

2013年12月10日

顔見せ

   

   


 師走は、京都南座で恒例の顔見せ。
猿ノ助の襲名披露は、京都が最後を飾る。
 昨年の顔見せでは、市川團十郞を舞台で観ることが出来たが、その後体調不良で休演、 そのまま、病床につき、帰らぬ人となってしまった。
 今年の顔見せでは、仁左衛門が休演と聞き、病が再発したのではないかと心配したけれど、右肩の手術だとわかって、それなら大丈夫なので、ほっとした。
 勘三郎と親しかった,三津五郎までが、癌の手術で今年一杯は休演。ゆっくり休んで充分休養して欲しい。
 来年の四月に,中村歌右衛門を襲名する予定だった,福助が脳出血だというニュースが流れてきて、歌舞伎の大御所を二人も失って、歌舞伎界は大きな打撃を受けただけでなく、次から次に、無理をして穴を埋めて来た,看板役者達が、疲労とストレスも重なって病に倒れていくのは、なんとも悲しく、痛ましい。
 そんな中で、若手と言われていた人達が、歌舞伎界で重責を担い、立派に素晴らしい芸を披露しているので、歌舞伎界は代替わりの時期を迎えたのかもしれない。
 海老蔵、猿ノ助、勘九郎、七の助、染五郎、菊の助、愛の助、獅童、松禄、頼もしい役者達が後を絶たない。
 そういう中で、顔見せでの、初日に,体調を整えて,猿翁が口上の舞台に姿を現し、目に涙を浮かべながら,客席に挨拶されていた。
  歌舞伎役者の中でも、猿ノ助の早変わりは、身体にものすごい負担を強いるもので、身体を酷使し続けながら舞台を勤めて来たもので、それを受け継いだ4代目の猿ノ助の早変わりの様子を舞台裏で見ると、心臓への負担がどれほどのものか,言葉を失うものだ。 勘三郎の舞台を,映画化したものが上映されているのを見ると、全身汗が吹きだしている。

   


 今、上映している、「春興鏡獅子」は、勘三郎が最も大切にし,最も好きだった舞台だというが、激しい体力を要求するもので、肩で息している。菊五郎の名舞台で、誰も右に出るものがいないと言われた踊りで,並はすれた体力を要求する。
 踊れる心境に達しても、体力的に踊れない時期が来ると勘三郎が言っていた。
  歌舞伎十八番の「勧進帳」の弁慶も、身体への負担は過酷なもの。
歌舞伎は、それほど大変なもの。衣装も重い、鬘も重い。普通なら首を動かすだけでも負担がかかる。
 歌舞伎の舞台は、日日命を削って、より完成された舞台を、先人を超えた芸を目指しての戦いを続けている役者達の、血と汗の結晶なのだ。
今年の南座の顔見せ、心して観劇したいと思う。  

Posted by アッチャン at 00:23Comments(0)演劇

2013年10月17日

 玉三郎の「アマテラス」


       

     
     

 アメリカで、咳き込みが段々ひどくなって、帰りの飛行機の中でも、咳き込んでいたけれど、食欲はあって、ワインも飲んでいた。
家にたどり着いたのは、夜の10時を過ぎていた。電車とバスを乗り継いでの帰宅。
荷物を開けて、シャワーを浴びて、頭を洗い、ベッドに入ったけれど、咳であまり寝られず。
それでも、持ち合わせのアレルギーの薬と咳止めで、医者に行かないつもりだった。
明日は、猿之助主演の「ベニスの商人」を観たい。日本で調子が悪かった、腰やひざの痛みは消えていた。
手持ちの薬がないと困るから、という思いで、医者に診てもらっておこうと車で出かけたものの、いつもの医者に行っても、という思いから、以前に、親切な医者だと聞いていた医院の駐車場が空いていたので、飛び込んだ。
医者は、私の顔を見るなり、熱があるのと違うの?と言って、おでこに器具をかかげて、
「7度3分。」
私は気は付かないでいた。咳の方が苦しくて、胸が痛くて。
レントゲンに白い影。医者は、これはすぐに診てもらった方が良い、といって、
病院に電話をかけ、これから行く手配と紹介状を書いてくれた。
すぐに行きなさい、と言われて市民病院に。




救急で診てもらい、レントゲンとCT、血液検査、の結果、肺炎との診断。
「癌と言うことは?」と聞いたら、それは経過を見ないとわからないとのこと。
レントゲンに、甲状腺の肥大が見られるので、心配いらないものだと思うけれど、と言って、次の検診で、見てもらうように言われた。
それが昨日のこと。レントゲンでは影が消え、肺炎は終了。咳も大分楽になっていたけれど、その薬を処方箋を書いてくれた。
そこで、医者は、
「甲状腺のほかに、もう一つ」と言って、CTの画像に映っていてる、黒点のようなものを見せ、大丈夫だと思うけど、呼吸器科に回すから、そこで今後のことを、と言った。




 医者は皆、大丈夫だと思うけど、心配はいらないけど、というものだから、それは信用していない。
 耳鼻科で、長い時間待たされ、次に呼吸器に行ってたら、玉三郎の「アマテラス」に間に合わない。
 キャンセルして、後日きます、と受付で言っていたものの、もう少し、と言われて待っていたら、やっと呼ばれた。
 甲状腺は、専門がないので、耳鼻科での診察だから、他の病院に行った方が、と思っていた。
耳鼻科の医者は、とても感じの良い、海老蔵の風貌をしたハンサムな豪人という感じ。
 喉を抑えて、ここわかるでしょ。
確かに腫れているのに、今まで気が付かなかった。
心配はいらないと思う、と言いながら、針で刺して細胞を出すの、今日やってしまう?
血液検査と、超音波と一緒にやってのいいけど。
これから京都に行くというと、、
「楽しみの方が優先だから。」と言って、二日後の検査の時に。
そこかたら、呼吸器内科に行き、時間がないので、キャンセルというと、すぐに診てくれた。




その先生は、面白そうな人物で、
「急ぐことはないので、気長に。」なんて言って、
「こんな小さいの、なにかわからない。CTはそうそう使えないから、レントゲンで追跡していくことにします。2,3か月ごとに、」
 血液検査のついでに、肺がんマーカーを依頼した。
マーカーでは出ないよ、と言いながら、お望みだから、と検査を入れてくれた。
なんとか、セーフで、ぎりぎりに、南座に。
 舞台は、素晴らしかった。




3階の一番前の席の真ん中。舞台の全貌が見え、演出の効果も最大限に味わえた。
 玉三郎の、カリスマ性は、飛び抜けている。役処のアマテラスと同様、舞台に立つと、
その美しさ、輝き、気高さ、なに一つとして、完璧。
 鼓動が、太古の世界に、ぴったりあっていた。高低やメロディーのない、単調な響きである、太鼓に、笛や鈴の音色が、空に舞う小鳥たちのよう。
太鼓は、リズムと強弱でできているので、感動や心のバロメーターとしての効果は抜群な楽器。昔の人々の、おおらかさや、自然に対する、単純な畏敬、怖れ、歓びの躍動などが、
現代に生きる私達に、記憶の奥にある、原子の感情を呼び覚ましてくれる。





 闇の世界にいる人々、動物、鳥たちや、植物の祈りや苦しみなど、心を表現しての、熱のこもった鼓動、そこに、巫女の美しい女性が、笹を手に、踊る。
やがて、岩の扉を開けて、光輝く、アマテラスが、何があるのかと興味をそそられて出て来る。歓び感謝する人々や、自然に生きるすべてのもの達。
玉三郎が、佐渡の太鼓と出会い、鼓動を世界に紹介したいと思い、鼓動に、ぴったりのこの演目を作ったのも納得できる。
 太鼓の昔から、心の故郷を私達は大切に持っている。それを呼び起こし、美の世界を再現することで、世界共通の感動をパーフォーマンスしようとしたのだ。
鼓動の人達の、極限にまで絞られ、美しく研ぎ澄まされた肉体美。心も肉体も、その極限までの熱情を込めた、力の表現。
 そこに、動きを抑えた舞は、能や、神前での巫女、仕舞にも似ている。
 若い、流動性の美しい、動きの軽やかな宝塚男役スターの、バレーダンスが加わって、
国際的でグローバルな、美を表現していて、本当に素晴らしかった。
感動の心が、アンコールを求める。





それに答えて、舞台では、何度も祝宴と観客との一体感を喜ぶ出演者達の、新しい関係が続く。
アンコールは6回くらい。それも玉三郎の目指す所。大昔なら、夜を徹して、祝祭としての、演劇の舞台が、何日も続いたことだろう。
ギリシャの古代演劇のように。それが玉三郎の目指す所だと思った。

人生は、楽しむ為にあるのよ。歓ぶ為にあるのよ。生きてる限り、心が躍動している限り。自然には畏敬の念を持って。  

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2013年05月29日

神戸松竹で歌舞伎映画「文七元結」

 
     

 先週の土曜から、松竹系の映画館で、歌舞伎映画が上映中です。
5月は、勘三郎主演の「人情噺、文七元結」です。
http://www.shochiku.co.jp/cinemakabuki/lineup/06/

最近、歌舞伎に興味を持つようになった友人と、映画館の前で
待ち合わせました。
朝一番は私の苦手なところですので、前夜は早い目に寝ようと
思っていたのに、寝たのは1時半いつもと同じようなもので、
もとに置いている本を読み始めたら、すぐに眠たくなって。
今、バルチュスの,自身を語る、という本を読み始めた所。
バルチュスの話は又にしましょう。
チケットが買えないといけないからと、劇場の前に9時半までに
行きましたら、友人はすでに来ていました。
10時前に、と約束していたのですが。
入場料2000円なので、火曜日と言っても、割引ないから空いている
だろうとは思っていたのですが、私の後ろに、随分人が並んで、
チケットまだあるかしら、と不安そうな声も聞こえてきます。
前売りを買っている人が多いようで、私は、株主用の無料カードを持っている
ので、行きたいという人がいると、一緒に行けば無料なのです。
早く来て良かった、正解でした。

劇場は、満席状態で、私が選んだ席は、真ん中見やすい場所。
隣に来ていたおばあさんに「歌舞伎お好きですか?」と声をかけたら
「60年以上歌舞伎見ていますから、私が解説しますよ。」よいわれて
話していたら、予告編の「刺青」が始まっていて、後ろから「煩い」と
怒鳴られて、熱が冷めてシュン。

本編が始まるや否や、お芝居に引き込まれ、会場は大笑いの渦と化し、
やがて、顔は涙でくしゃくしゃになり、あっという間に終わってしまった。
ああ、悔しい。勘三郎がいないなって、惜しいよ。悲しすぎる。
元気一杯の勘三郎の、人を笑わすことにかけては、他に類を見ない歌舞伎役者。
江戸っ子ならではの、歯切れの良さと間の旨さ。
女房役の扇雀さん、隣のおばあさんが「こんなに上手だとは、今まで思ったことなかった。」
と言うので、「コクーン歌舞伎や中村平成座で、勘三郎さんと一緒にやるようになって、随分飛躍されました。」と説明しました。
 実に、楽しい歌舞伎映画ですので、歌舞伎に興味のない方も、歌舞伎の台詞がわからないかたも、誰でも、「歌舞伎って面白い。」体験を映画館でできますから。
山田洋二監督ですから。勘三郎の義理のお父さんの芝翫さんの名演技もご堪能あれ。
1時間半もないので、もっと見たいと名残惜しさはつきねども。




劇場のそばにあるレストランは、昼時にはいつも満員だそうで、
11時半だけど、もう中席は埋まっていて、外にテラス席はまだ空いていました。



欲張りの私は、いろいろランチという、オードブル形式のランチを注文しました。
私だけ、白ワインも注文するはめになったのですが、隣の席の人達がビールを飲んでいるので、この店にも、ランチビールがあるのかな、と思って、ウィエイターに、「ランチワインわりますか?」なんて聞いてしまって、リスト見せてもらったら、普通のワイン。
一番安い500円のを一杯注文。
ワインついて2000円のランチなので、たしたことないけど、
なんでこの店がこんなに人気あるのかしら。
お喋りするには、ガーデンにお花があって、女好みのお店ですが。
さんざんのお喋りの後、今度は、センター街のモロゾフに。





モロゾフでは、ケーキ3品のコーヒーのセットで1150円の特別料金がありましたが、
食べ過ぎるからやめて、コーヒーとケーキの単品だと1100円だから、前者に比べると割高なので、友人の注文にまねて、プリン525円だけに。
 この注文の仕方、ばっちり正解でした。
主婦って、賢いです。
アイスクリームと果物もついて、大きなプリン。ケーキならコーヒーが欲しくなるけど、
プリンやアイスクリームというのは、水の方が合うようです。
連日の寝不足と、太った分、コナミで歩く時間を増やしていて、相当の疲れがたまっているので、甘いものが欲しかったのです。

  

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2013年05月22日

秘密は歌う

 
   
  
 兵庫県立芸術センターは、コナミの隣にあるので、そこから楽しそうに帰って来る人達をしり目に、コナミに行くのですが、駅を出ると、看板に、演劇の案内が最近よくみかけるようになって、観たいと思うものが、時々あるのですが、「秘密は踊る」という案内に、
好評をはくした、舞台、という宣伝文句。
 コナミのついでに、前売りチケットを買いに行くと、チケット売り場は閉まっていて、
当日になって、開演の2時間前に、電話をすると、予約できるというので。
 「チケットは、1時半までに取りにこれますか?」と言われ、行けない、というと、2時まで置いておきます、とのこと。それを過ぎると売ります、という実にのんびり、親切な対応。
私が行けたのは、ぎりぎりの5分前でした。
席は結構空いていて、私の横2つの端席は空いた状態。
この劇場は、友人に誘われて観た、渡辺えりこの一人芝居以来。
昔は、労演に入って、毎月のように、新劇を観ていたのですが、その頃は、大阪の産経ホールや、厚生年金会館、神戸の大倉山にある、文化ホールまで足を運んでいた、熱心さでした。
演劇の道に進みたかった頃の、エモーショナルな高ぶりが、また戻って来たような感覚。
俳優座の15期生の、三田和代と、村井国夫の、いぶし銀の演技が光りました。
ノエル、カワード作の、3部作の一つだそうで、劇作家の最後の作品だとか。




以下、ちらし引用。
舞台はスイスの高級ホテルのスイート・ルーム。
高名な英国人作家ヒューゴ・ラティマー(村井国夫)はドイツ人の妻ヒルダ(三田和代)と長期滞在している。彼はその夜、若い頃の恋人で女優のカルロッタ(保坂知寿)と久しぶりに会うことになっている。
長年、音信不通だったカルロッタが会いたいと連絡してきた目的は何なのか。
ヒルダは外出し、ヒューゴはカルロッタと食事をしつつ、訪問の目的を探る。カルロッタは、自叙伝にヒューゴからのラブレターを載せる許可がほしいときりだすが、ヒューゴは拒絶。いったんはあきらめたカルロッタは、かつてヒューゴがある人宛てに書いたラブレターを持っていると打ち明ける。
文学界の重鎮になろうとしているヒューゴにとって、それはなんとしても隠しておきたい秘密だった・・・。





カルロッタ役の保坂知寿が、二人と比べて、口跡があまり良くなくて、早口なので、私は聞き取りにくい個所があって、こういうことは、演劇で鍛えた人でない舞台で、よくあることなのです。
 ユーモアのある毒舌の台詞から、バーナード、ショウ、の作品かと思ったのでうが、中で、文学界の重鎮になっている、文学者のヒューゴの口から、バーナードの名前が出て来るので、違うのはわかったのです。
 
 カルロッタは、年齢に逆らって、年齢を受け入れることを拒む女優で、彼女は、秘密の手紙を持参して、彼がゲイであること、冷血非道な人間であることを、彼に自覚させたい、とか、ゲイの隠れ蓑の自分は使われたのだ。ヒューゴの、鼻もちならない、紳士ぶりを、自分から認めさせたいのだ、とか、のらりくらりと迫るのですが、ヒューゴは、彼女に、一言も詫びる気配はありません。
  食事を終えて、帰って来た妻は、お酒に酔っています。
 妻は、全てを知りつくしていて、夫の秘密を、貸金庫に保管していることを打ち明けます。同病相哀れむカルロットに、彼女は言います。
 「あなたが来られた本当の目的は、あなたの自尊心でしょう。私達は、感情的な人間です。」
  「人間の本能と、法の間で、苦しみ抜いた、ヒューゴは、人間を個人として見ないで、人間として、社会の存在として、判断するのです」という、ドイツ人の、献身的に彼を支ええる妻が言います。
 ドイツで愛した恋人が、同じドイツ人に依って、殺されました。私は秘書で働いていた時に、ヒューゴから結婚を申し込まれた。ありがたいことだと受けました。」

 感情に支配される人間の、苦しみを知り尽くしたうえで、、人間として、自分をも、客観視し、きつい冗談を言い合って暮らす、夫婦。
 
 そういう夫婦の関係を完璧に守りつつ、彼の冷血、孤独で人を寄せ付けようとしないかたくなさを、受けいれてきた、妻が、感情をこめて言う。
「年を取って、私を頼るようになりました。この人には、私しかいないのです。」
カルロッタは、手紙を置いて出ていく。
その手紙を読み、涙を流す、ヒューゴ。

とてもとても、深いお芝居でした。
 
 
  

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2013年05月21日

音楽劇「ザ、オダサク」

 
   


 松竹座で、「ザ、オダサク」という音楽劇を観に行ってきました。

 若い人達がメインの舞台で、期待していなかったけれど、終わってみれば
感激して、楽屋の外で、出演者が出て来るのを待つ人達と一緒に、しばらく、ぼっと
待っていましたが、時間も遅くなるので、「デカダンス、デカダンス」と言うところだけ
覚えてしまった歌を無言で口ずさみながら、岐路に着きました。

 高校生なのか、中学生なのか、女の子達のグループが、学校帰りのカバンを持って、
「ザオダサク」を観に来ていた姿を、終わってから、劇場から出ていく時に、見かけた
のですが、お小遣いをはたいて、チケットを買って来たのだろうと思うと、なぜか、
胸がジーンとします。それも、織田作之助の半生が、引き金になっていたからでしょう。

 http://www.ktv.jp/event/odasaku/

若い人達も多かったのですが、幅広い年齢層の人達がこのミュージカル仕立ての、
青春グラフィティー、「ザ、オダサク」の、主演を演じた、内、博貴、や出演者達の奮闘ぶりを楽しんだよう。
 内、博貴、という人を、私は全く知らなかったのですが、ダンスがすごくうまくて、
 歌の方は、それほどでもないけれど、ミュージカルなら、フアンを魅了するだけの
技量を持っている人で、これからも楽しみな人です。

  私が、この作品で、興味深かったのは、この時代、文化、芸術に飢えていた頃、貧しさが浸透していた頃、結核が、死に病いだった頃、情熱で命の火を燃やし続けて、道半ばにして、無念の死を遂げた、才能ある若者達が多かったのですが、
 その短い人生の間に、随分多くのものをこの世に問い、残していたとくことです。
織田作之助は、三校、今の京都大学を中退していますが、その頃すでに、作家として
作品を世に出しています。
 
 夫婦善哉の、モデルになっている、奥さんと暮らすようになったのも、その頃から。
 夫の成功の陰に、支えた妻有り、というのが、定説ですが、織田作之助も、その一人。
 お芝居では、奥さんは、病を隠して、暮らしの工面から、原稿の手伝いまで、寝る間もなく、夫を支えて、若くして、先にこの世を去ります。

  三校の一年先輩であった、森本薫とは、ライバル意識が互いに強く、また生きる気力にもなっていた。

 森本薫は、東京に出て、文学座に入り、脚本を書き、織田は、大阪にいて、新聞社で働きながら、文筆を続けていましたが、身体への負担を案じた奥さんの勧めで、作家としての人生にかけるようになります。
 森本薫は、文学座で数々の脚本を書き、演出家としても活躍します。彼の代表作は、「女の一生」、其の初演は、空襲警報のなる中、東横映画劇場で。その翌年の1946年になくなります。
舞台では、そのニュースを聞いた、織田作は、自分は書き続ける、まだまだ、生きて、書き続けると、森本の無念を悲しむシーンがあります。
 
 けれど、オダサクは、その翌年に、わずか33歳で、多量の血を吐いて亡くなります。
 東京のバーで、原稿をカウンターで書いている織田作之助。
このバーで、坂口安吾と太宰治との3人が会合を終えて。坂口と太宰は、酒に酔って
いますが、オダサクは、お酒は飲めない。
 
  オダサクが愛した、カフェ、は、丸福。苦いコーヒーが好き。
 お饅頭をそえて食べるのが好きで、それが「夫婦善哉」の善哉。
法善寺横丁にある、「夫婦善哉」は、ゆかりの店ということでしょう。
 自由軒の、まぜカレーも、織田作之助が作ったカレーだそう。



今、私たちは、随分、物が溢れ、欲しいものは、なんでも手の届く所にあって、
健康で長生きすることが、生きる目的のように、なっていて、文化的な生活に恵まれて
いるのに、あの頃の人達の何分の一の時間も、生きていないような気がするのです。
 
 明日をも知れぬ、時代だから、今日を精一杯、命を燃やして生きたのでしょう。
限られた命、限られた時間だから、人間の持てる能力の限りを尽くして、素晴らしい作品を後の世に残していったのでしょう。

 舞台は、最期の場面に、桜の大木の下で、喀血して命を絶える場面。一瞬暗くなって、
オダサクが、亡くなった奥さんの膝に頭を乗せて、なごんでいる明るい画面に変わります。
 坂口安吾の、「満開の桜の下で」という短編を、使っているのでは、?
オダサクが亡くなったのは、実際には一月です。

5月25日からは、東京の新橋演舞場で,上演。
  

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2013年04月06日

新歌舞伎座開場「杮葺落し四月歌舞伎」

 

      



   新歌舞伎座の杮葺落四月大歌舞伎を観に行きました。

 猿之助さんがいないのは、寂しいけれど、あとは、看板役者を初め、歌舞伎界総出演の、滅多に見られない機会です。
朝早いのは苦手だけど、新大阪に早くついて、指定席を窓際に変えてもらえるか、聞くと、
詰まっているので、だめだと言われ、自由席に乗りましたら、空いていて、東京まで隣は空いた状態。新大阪発だと、自由席の方が空いていて、快適です。




東京には、12時過ぎについて、開演まで、時間は2時間半ほどあると思っていたのですが、
そういう感じではなかったのです。
山手線に乗り換えて、新橋で降り、東銀座に近いはずだから、と歩いていたら、方向がわからなくて、やっと地図があったので、見ていると、ビルの中から、若い女性が、地図あげます、と言って出てきました。
中は、観光案内所になっていて、歌舞伎の案内もあるから、というので、入ったのですが、
それから、歌舞伎の話になって、案内の女性2人と、歌舞伎役者の話など、盛り上がってしまって。
よく、チケットが取りましたね、なんて。彼女は、雨の中、おねりを見に行ったとか。



彼女が、絶対に、先に見て欲しいという、ソニービルの7階でやっている、4K歌舞伎の大画面。
今なら、昼食時で空いているから、勧められました。
お腹が空いているけど、その近くで、そばでも食べようと思いながら、教えてもらった道を歩いていると、銀座の大通りで、「みちば」というレストランを見つけて、お品書きをみると、3150円。
あの、和の鉄人、道場六三郎さんのお店です。

みちばの、お献立


時間ないから、無理だけど、明日、と思いながら、また歩いていると、金髪の男性が、
「髪、切ってあげるよ。髪切りたいでしょ。髪が切ってほしいと言っている。
カット時間すぐにやったげるから。」と言うので、
「そんな時間はないです。急いでいるので。」
「時間かかんないよ。すぐだから。」
「時間ないの。」
と言って、逃げるように、歩き出した。ソニービルはそのすぐ近く。有楽町の駅前の通りに。
ソニーの4Kをつかって、猿之助と勘九郎のインタビューをまじえて、歌舞伎の舞台を、4Kで撮影したものを、大型のスクリーンで上映している。





一階には、歌舞伎の衣装が展示されている。
ビデオでは撮影できない、臨場感のある画面で、奥行きが感じられ、迫力のある舞台の撮影が4Kの技術によって、表現できるようになっている。
それを見て、4階にも、歌舞伎の写真を展示しているというので、そこにも行ってみたら、商談中とかで、見られなかった。
また、歌舞伎座に向かって、歩いた。ゆっくり食事をする時間がなくなって、歌舞伎座の隣にある、蕎麦屋にはいった。
カツどんとそばの定食で580円。

歌舞伎座のとなりにある、ふじそば。

そばは美味しいけれど、とんかつが全くだめ。
安いから仕方がないわ。
開演15分まえに入った。
テレビでもやっていた、字幕付きのビデオというのは、1000円の所を、今は500円で借りられるもので、最初から座席の前についているのではなかった。





それを借りたい人は、携帯番号と、証明になるものの2点を提示して、申し込書に、書かないとだめなので、随分時間がかかって、借りたい人もたくさん並んでいて、しばらくは待っていたけれど、あきらめた。トイレに行く時間もなくなるから。

私の席は、一階席の、19番目、後ろの方だけど、まだ後ろに3席か4席あった。
20000円の席は、2階の後ろしかなくて、この席は、15000円だったので、安く、良い席があったと喜んでいたのだけど、音響が悪くて、声が聞こえにくい。



床を叩く音も、ぜんぜん響かなくて、新歌舞伎座の音響効果は悪いなあ、とがっかりしていた
席は、よったりしていて、前の席とも間を広く取っているので、楽だけど、舞台が遠くなっている。
私は耳が聞こえにくので、イヤホーンを借りるべきだった、と思ったり。
その上に、持って行った、オペラグラスは、二重に見えて、おかしくなっているので、片方だけ使って、見ないければならない。

私の席から

2部の最初は、「弁天娘女男白波」
尾上菊五郎の十八番芸で、前にも何度か観たことのあるお芝居。
しらざー言ってきかせあしょう、から始まる、七五調の名セルフで有名な、黙阿弥の作。
菊五郎の足が、ふらついて、屋根での立ち回りが、ぎこちなくて、身体が大丈夫なのかしら、と心配になった。以前は、もっとキレが良く、威勢が良かったのだけど、勘三郎や団十郎が亡くなって、すっかり元気がなくなったのかしら。
以前の菊五郎とは全く違う。

貸出ビデオをここにつける


白波5人男が、順に花道に、傘をさして出てくるのは、この芝居の見どころだ。
最初は、弁天小僧の菊五郎、そのあとに、三津五郎、女形の時蔵、弁天小僧の相棒役の、左団次、最期は、吉右衛門。
それぞれに、個性を出して、かっこよく出てくる。吉右衛門が素晴らしかった。
男っぽい形が、魅力的で、あの型はしようとしても、なかなかできない。
五右衛門を、もじって、最期は、南禅寺の楼門の上で、絶景かな、のセリフ。
海老蔵や、中車が、猿之助襲名興行で、演じているが、吉右衛門の演技は、堂々として、迫力十分。
次は、待ってましたの、玉三郎の舞台です。




どこかで観たことある、と思ったら、去年の4月に、南座で、獅童さんを相手役にしての、「忍夜恋の曲者」将門です。
4月の舞台は、松緑が、将門を務めています。
玉三郎が、花道のせり上がりから、煙をあげて、出てきます。場内は暗くなっていて、怪しげな明かりで薄暗い照明で、美しい姿が浮かび上がる。
この世のものではない、美しさは、玉三郎の独壇場ですし、これが、浄瑠璃、常磐津の、色っぽい声と、悲しいまでの抑揚をおびた、色と寂とのコラボに乗って、玉三郎の舞踊劇ですから、これを見に来るだけでも、目的は十分なのですが、私とすれば、将門を、猿之助が踊れば、との思いがありますが、松緑も、十分大役を果たして、丁寧な踊りぶりでした。
あっという間の、30分ほどの舞台です。



夜の部は、6時10分から始まりで、2部が終わったのは、5時半。
その間に、築地の立ち食いの店に、と思っていたのですが、時間もなくて、お腹もまだそれほど空いていないので、いったん出て、また入りなおすという形で。



菊五郎の奥さんの富司さんや、幸四郎の奥さんが、一階の入り口に立って、ご贔屓筋への挨拶をされています。
歌舞伎の世界は、奥さんの内助の功次第だと言われるくらいで、お芝居の間中、こうして、毎日、出入口に立って応援をしてもらっている、上客への丁寧な対応をしなければならないのです。



3部の席は、3階席で、6000円の席なので、期待してなかったら、それも大違いで、
前から2番目の席でしたが、一階で観たのと変わりないくらいの大きさに見えて、声が上に上がるので、よく聞こえて、拍子打つ音も、響いて、この席の方が、良いくらいです。
ただ、席は狭く、前も狭いので、足が組めません。もちろんビデオはありませんので、今まで通り、イヤフォーンだけ。




一番前に、やっていきた、人が、後から来た人に、この席は私です、と言われて、一旦は出ていったのですが、案内人を連れて、戻ってきました。
その席は、最初に座っていた人に間違いがなく、席に座ってから、
「とんでもない人だ。笑われ者は、あっちのほう。私は良く歌舞伎座に来ているので、
間違うことなどない。わからない人は困りますね。」と隣の席の人に話しかけてます。
 3階の一番目の席を取れる人ですから、常連客に違いないのです。





最初の出し物は、仁左衛門の盛綱と、吉右衛門の秀盛役での「盛綱陣屋」随分長いお芝居です。
仁左衛門ならでは、の、智者であり、人情の細やかで熱い役どころ。これも、仁左衛門の十八番役どころでしょう。
長い時間を、どう退屈でずに、観客を引き込んでいくのかが、大きな課題だと、仁左エ門は語っています。
夜の部で、朝から、1部、二部、最後の3部ですから、通してみている人は、相当の疲れが出た頃。
まあ、東京に住んでいる人は、何度も足を運んでみる楽しみがありますから。
地方から、泊りがけで、来ている観客も多いのです。私もその一人。
眠気を覚ましてくれる、掛け声が飛ぶのも、この3階席から。
これがすごく良いのです。ばんばん、声がかかります。
一階で、見ていた時には、全く、掛け声が聞こえなかったので、随分静かなんだな、と思ってましたが、2部でも、こんな風に、3階から、声がかかっていたのですねえ。

先人の中に、勘三郎と団十郎も

舞台の最後は、歌舞伎十八番の「勧進帳」です。
団十郎さんの。十八番芸で、何度か団十郎さんでも見ましたし、今回演じる、幸四郎の勧進帳も、大阪に来た時に見て、素晴らしいと感激した思い出があります。
私としては、仁左衛門さんの弁慶が、最も好きなのですが。
人情に厚く、義経を慕う、弁慶をいじらしく、けなげに演じるのは、仁左衛門さんだけのもので、踊りっぷりが、豪快で、派手で、喜びを120パーセント表現する弁慶なのです。
いつも涙ながらに、観る弁慶を演じられるのは、仁左衛門さんだけだったのですが、
今後期待できるのは、勘九郎の弁慶ではないかな。

寄贈の緞帳の説明が5枚ほど。

テレビでも、幸四郎さんが、「悲しみを希望に、喜びに変えるのは、歌舞伎役者の仕事」だと言っているので、とても期待していたのですが、優等生的な演技というか、大人しすぎて、以前に見た時の豪快さがなくて、物足りなかった。
富樫役の、菊五郎は、こちらの役どころは、無難で安定した演技を見せてもらえたけれど、
弁慶を引き立てるよりは、出ているという感覚が強くて、互角以上の富樫なので、弁慶の情愛に心打たれ、関所を通す、富樫の人情熱い、内面が全然出ていなかった。




前の席の人も、「あれじゃ、だめ。もっとはでにあばれまわらなくちゃ、面白くない。」と隣の人に言いながら、席を立って行った。
まだ、始まったばかりだから、これから、様々な意見を聞いて、魅力ある舞台になっていくだろう。
歌舞伎は、10日目以降によくなると言われる。
何度も演じた持ち役で、簡単な打ち合わせ程度の稽古で本番に入る場合が多いので、息があってくるのは、しばらくして。乗って来るまでに、10日間くらいかかるからだろう。



2階に、お寿司を売っているのを、昼間見ていたので、お腹が空いて。
座る所がなくて、立って食べなくちゃいけないので、味わう暇なく、一気に。
700円で、お茶付だから、決して高くない。新歌舞伎座には、吉兆が入っているので、
予約を入れている人はそちらに。





700円の鮨か、お弁当を買って食べている人は、
日本画の巨匠達の絵画の前にある、椅子に座って食べている。
ここ以外に、もう一軒のレストランが入っているようだった。



  

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2013年02月17日

玉三郎、千秋楽の舞台「牡丹亭」



   


 玉三郎の「牡丹亭」,翌日の土曜日は、最終日。
 パリに来た目的は、この公演を観るためだから、観れるだけ、通うつもりでいたので、最終日にも,シャトレに。
 今夜は、日本人が沢山来ていた。着飾って、和服姿の女性や、どこかで見た顔の知名人?も。



 先日、亡くなった、團十郞と海老蔵をメインの、歌舞伎公演では、その年の秋に亡くなった,筑紫哲也が、劇場の中で、インタビューを受けている元気な姿を見ていた。
 テレビで見るよりも、ずっとハンサムで素敵な人だな、と思った。


森総理は、私のすぐ後ろの席にいた。それほどの華やかさは、シャトレ劇場にはないけれど、会場にある、サロンは、広々とした空間が3つくらいに別れて、シャンペンが、カウンターに沢山並べられていて、注文に応じて、待たずにすぐに応対できるようになっている。
 幕間は、最初の15分と、次の20分、という短い時間、私は、昨日はトイレに行く余裕しかなかった。


 パンフレットは、買わないつもりでいたのだけど、前席の人のパンフレットが見えて、玉三郎の写真や、舞台写真がいくつか入っているので、2幕目の休憩に買おうと思ったら、パンフレットを売っていた人達が誰もいなくなっていた。仕事やめてしまたのかしら。案内の男性に気くと、調べてくれて、ここに来るからというので、待っていたが一向に。彼上にいるだろうと言われて、上がってサロを探すことにした。だって、休憩の時間が終るから。。




 今日の席は、前から7番目の横側に席だった。
 前の席が空いていて、男性が二人、開演のベルが鳴って、もう来ないのでは、と狙いをつけていた席に素早く座った。隣の女性も、前席に、バッグを置いて,移動したので、私も彼女の席に移動してから、席の保有者がやってきた。




 どこか空いている所に入り込もうとする人が立って待っている。
二人は、前の端席が空いたままだったので、そこに座り変えた。彼女は元に。
 舞台全体が見通せる席なので、昨夜よりも遠いが、身体の動きが美しく、踊りを見るにはこの方が良かった。
 舞台の良さは、全体の調和、動きのバランス、色の使い方、など、舞台を一つのカンバスのように構成しているので、最高の席は、歌舞伎でも、7,8番の中席と言われる。



 昨夜は、比較的良く寝たつもりだけど、時間が来ると眠気が。
 隣の席の女性が、風邪で咳き込むので、それが眠気の助けになって、ほとんど寝ないで、最後まで見る事が出来たのは、不幸中の幸い。
 会場内は、風邪を引いて,席をする人が多い。電車の中でも、ゴホン、ゴホン。マスクをしているのは、私だけだ。
 奇妙な顔をして,珍しいものを見るように見られる。



 アンコールは、昨日よりも一回多い、4回、その時間も長い。
 客席の人の拍手は力強く、ブラボーが連発され、口笛がすぐ後ろから聞こえる。





 ああ、ついに終わった。
 すっかり魅了されたような顔をしている女性に、「終わったわね。」と声をかえると、
 そう、残念。
「玉三郎は好きですか?」
「もうすごく。地唄舞いが素晴らしかったわ。」
「そうでしょう。私は日本で、玉三郎の歌舞伎や踊りを見ていますよ。」と思わず自慢してしまった。
「 あなたも地唄見ました?」
「いいえ、パリに来るの、間に合わなかったのです。見たかったけど。」
「踊りの時間が少しだけなので、」
「それはお気の毒でした。」
なんて、知らない人と,玉三郎という共通の話題で,話がはずむ。その女性も一人で来ていたので、興奮状態を誰かと分かち合いたかったのだろう。



 外に出て、バス亭に来ると、バスの待ち時間が14分になっている。一人で待っていたら、老人のカップルがやってきた
。寒いのか、セーヌに沿った道を歩きながら待っていた。
 向こうから27番が見えると、彼女は、彼に手を降りながら、嬉しそうに「かけて戻って来た。彼は切符を手渡す。メルシー、と彼女。
きっと夫婦じゃない。恋人同士か,友人か。  

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2013年02月09日

二月歌舞伎「五右衛門」愛の助

    

 團十郞が亡くなって、また、大黒柱を失った歌舞伎界は、これからどうなっていくのか、家族のように、一緒に頑張って来た、役者達は気を落としているだろう。
 2月の松竹座は、愛の助が、メインの舞台で、夜の部の、「ゴエモン」は、観客を大いに喜ばせてくれる。
 歌舞伎の伝統的?な殻を破る、試みが、歌舞伎界の革命児達によって、あれやこれやと、試みられて来たし、これからも続けられなければ、歌舞伎熱を盛り上げていけないわけだが、猿ノ助、勘三郎が、天衣無縫にやってのけたものだから、それを超えて行くのはなkなか難しい。
 石川五右衛門が、エスパニア人の神父と、石田局、との間に出来た、赤毛の混血児という設定で、フラメンコを舞台で、披露する。
 若いダンサー、スペイン人の歌い手、ギタリストの舞台、女性達も主演しているので、歌舞伎ではない,エンターテイメントの舞台のようだけど、歌舞伎公演なのだ。
 二階のそで入り口から、出て来て、通路を回って,追いかけ、逃げかけ、ダイナミックで臨場感あふれる展開、その上、宙づりは実に3回に及ぶ。そのうちの一回は、宙づりの間に、 つづら抜けという、天外ばりのエンターテイメント披露。
 満足感120パーセントの舞台だった。



 若手がほとんどの脇を固めているので、頑張っているなあ、とはわかるのだけど、
 ドエモンのような、楽しい舞台では、許されるけれど、昼の部の「新八犬伝」は、伝統を崩さずに作られているので、準主役を務めた、松也、歌舞伎役者としてはまだまだの下手ピー。
 1月の三番叟にも出演していた、子供が、踊りも上手、役所も立派にこなすので、
 どなたかの息子さんかと思って聞くと、全く関係のない、弟子入りだった。
 愛ノ助もそうだって、秀太郎の養子になった人だけど、今や、松島屋を支える,後継者として、唯一無二の存在になっている。
 玉三郎も、そういう境遇だから、本当に好きで、踊りをならっていて、それがきっかけで、歌舞伎界に入って来た人達は、非凡の才能があるように思われる。
 吉之助という子役は,この先、楽しみな役者だ。

成田屋、團十郞さん

 4月の新歌舞伎座のこけら落としから、6月の演目までのちらしの中に、先日亡くなった,團十郞さんの名前も、当然ながら載っている。
 貴重なちらしになってしまった。
 4,5,6の3ヶ月の間、猿ノ助の出演がない。地方公演中なのだろうか?
 3ヶ月かけての出し物で、日に、3部にわけての構成、ほとんど全員が出演する舞台なのに。  

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2013年01月23日

猿之助襲名披露公演、夜の部


    

 松竹座の寿新春大歌舞伎の、夜の部を観に行きました。
暮れの,南座での顔見せに行った時に、ネットで買っていた、1月のチケットまで一緒に券売機から出てきたのですが、その後、南座のチケットを入れていたカバーだと思い込んで、破って、捨ててしまったという記憶があって、どうしたらよいものかと、松竹座に行ったときに受付で聞くと、南座で、まずは聞いて欲しい、と言われました。
 ネットで買っているので、その控えをコピーして、持ってきて欲しいとも。
南座に電話すると、やはりなくて、開演時間の15分前に来て、誰もチケットを使うものがいなければ、入場してもらえると言われました。



 夜の部のチケットは、3階の最後列の、最も安いチケットを6000円で購入したものですが、そういうチケットは完売していて、20000円の1等席しかないので、もし観られなければ、あきらめるしかないかな、と思いつつ、出かけたのですが、記憶では、落としたりしていない、と思っているので、大丈夫だといっても、不安で、チケットをもらうまでは,ハラハラドキドキ。

 無事に入る事が出来て、3階の5列目に行くと、最後列。 それでも、松竹座は、舞台が良く見えました。
 隣の男性が、その向こう側の女性と話し始め、チケットをどんな風に買ったのかを聞いています。女性は、ネットで買って、セブンイレブンで受け取るのだと。
 男性は、博多座には良く行くけど、今回の襲名披露公演は、6月に来る博多座までまてなくて、大阪にやってきたそうです。
  博多座、金比羅座、八千代座、などの話が出て、私も興味深くて。




一度行きたいと思っている,芝居小屋、 八千代座は、ものすごく狭くて、座っているのが大変だとか。でも、すぐ側に、玉三郎が見えて、客席と舞台が一体となった感じだとか。

 3階の最後列席は、2階よりも、声が通って、後ろに人がいないので、乗り出してみても気にならないし、気楽で良い席です。
 通は、安い席で,何階も観るといいますが、チケットが完売で、そういうことはかなわないのが、残念至極。

 猿之助が、もうあまりにも素晴らしくて、楽しませてもらって、もう一度観たいと、ネットで,2万円でも買いたいと思ったのですが、後ろの席か、花道から遠く離れた席なので、あきらめた次第でございます。

 お二人とも、芝居通の方で、各地の公演にも出かけて来た方達。私は、それこそ、最近になるまで、東京までは行かずに、大阪とせいぜい、南座でしか、観ることはなかったのですが。
 男性は、猿翁となった、3代目猿之助よりも、年上なので、今を逃したら、観られないかも、とあせって来られたというのです。
 話は、中車を襲名した、香川照彦に。パンフレットにある、写真の顔は,歌舞伎の顔ではない、と言われて。
 夜の部では、主役を務める、中車さん、この先、生涯精進すると、口上で述べていますが、こればっかりは、なかなか大変、道は険しいでしょう。



 猿之助の源九朗狐は、ひのうちどころなく、それはそれは素晴らしいもので、
 宙づりの場面では、喜びを表現して、何度も身を揺らし
観客を興奮と歓喜に導いて、3階の天井に作られた幕に入ったのですが、私達は拍手を続け、すぐに、今度は階下の舞台に現れて、観客のアンコールに応えて。

 男性は、大阪で、待ち合わせをしている人達がいて、8時には、出て行かないといけないから、と言っておわれたのですが、最後まで,席を離れることが出来なかったのでしょう。宙づりまでしっかり観て、興奮して帰って行かれました。

 良かったね、素晴らしい、は勿論のこと、女性達の「値打ちあるわ。」という声や、道々、「生に限るわ。生でないと。」と気炎を上げる人達の、興奮冷めやらぬ、熱気をあちこちに振りまきながら、家路に向かう人びと。



猿之助でないと、誰もマネが出来ない、という,お墨付きをもらった、宙づり狐六法、 まさしく、四代目の猿之助の十八番当たり役です。ダイナミックでしなやかで、軽やか、  平均台よりも細い所を、綱渡りのように,すべるように進んで行く。身体が狐のように、自由自在に。
 猿之助は、ラスベガスのショウが好きで、良く観に行くらしいけれど、猿之助ほど、変幻自在に自分の肉体をあやつける歌舞伎役者は,他にいないだろう。  

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2013年01月12日

初春初春大歌舞伎

     
     

  寿新春大歌舞伎を観に行きました。
 松竹座での,お正月公演は、え二代目猿翁、4代目市川猿之助、九代目市川中車の、襲名披露で、席はほとんど売り切れ状態。
 私は株主優待席なので、いつもは、一等席がいただけるのに、二階の一番後ろの8番目で、しかも、夜の部は、なかったのです。
 昨年の暮れに、顔見せで、南座に行った時に、1月の夜の部を買っていたのも、一緒にチケット引き替え機から、出て来ていたことを思い出したのですが、その券をきっと袋ごと破ってしまったようで、そのことも聞きに、受付に行った際に、この2階の8番席も,一等なのですか、と聞くと、それは二等の席だとのこと、売れが良いので、株主は、2等席しかなかったようです。



 ですが、2階の最後列でも、充分よく見えて、東京の新橋での、襲名公演に、かけつけた時よりも、はるかに、見えやすくて、良かったので、自費で買う時には、2階の二等にすればよいなあ、と思いました。
 ちなみに、一等は2万円、二等になると、1万円の半額で買えるのですから、一等は、二階席の5列目まで、通路を挟んで、6,7,8が二等なのです。
 顔見せの南座では、足も動かせないくらい前が狭かったけれど、松竹座は、充分足が組めるくらいの余裕があって、段差があるので、よく見えます。
 オペラグラスがなくても、綺麗に見えます。

  新橋まででかけなくても、良かったかな、とも思うのですが、新橋では、「黒塚」が観たかったので、はせ参じたわけです。



 松竹座の昼の部は、11時に始まって、2時半には芝居がはねるので、夜の部の方は、1時間ほど長くなるので、夜の部のほうが、値打ちがあるわ、とぼやいている人の声が聞こえてきたり。

  昼の部の、最初の出しものは、猿弥と笑也の,踊りがメインの舞台で、「スーパー歌舞伎」の役者さん達なので、歌舞伎界に育った人とは違って、型が出来ていない。
 猿之助が、一般の人達から募集して、誰でも歌舞伎役者になれるように、と作った「スーパー歌舞伎」は、宝塚歌劇、っぽくて、スペクタクルミュウジカルと言うべき分野のもの。
 大和タケル、三国志、などを思い出してもらっても、歌舞伎を逸脱して、スーパーなので、小さいときから、肉体芸としてしこまれた役者さんに比べると、型が出来ていないのが、目立つのです。

 まあ、そのお弟子さん達の中で、猿之助そっくりの、声色と動きを自分のものにしているのは、市川右近。
 二番目の出し物で、右近が相務めます「毛抜き」の弾正は、様になっていましたが。



 猿之助は、義経千本桜を昼の部では、「吉野山」を、夜の部では、「川連法眼館の場」で、佐藤忠信、または源九朗狐、を通しで演じていますので、昼夜を観ないと、その醍醐味は味わえないわけです。

 9月の松竹座で、勘九郎襲名公演では、「吉野山」を通してみたのですが、今回は、この舞台は、猿之助の18番で、宙づりをやってのけたのも、猿之助が最初でしたので、
 亀治郎改め、4代目猿之助として、歌舞伎本来の醍醐味を、踊りの名手でも定評のある、4代目の舞台、ワクワクするのは当然でしょう。

 沢村藤十郎の、靜御前との呼吸もぴったりと、見事な踊りを見せてもらいました。
 素晴らしかったにつきる、舞台です。あっというまに、終わってしまう。魅せられているとそう。
 長々としんどい舞台と、時間を忘れて、引きこまれる舞台。



 最後は、「桜門五山桐 」 夜の部の口上に変わる作品で、東京では、海老蔵の石川五右衛門に、猿翁の、真柴久吉を観ました。
 今回は、猿翁が、息子の中車にこの大役を演じさせ,、体力の消耗を押して、演技指導を行っていた,情景が、NHKのドキュメンタリーで紹介されていました。

 猿翁が、体調不良の為に、猿之助が代役を努める、というアナウンスがあって、不謹慎ではあるけれど、東京で猿翁は観ているので、猿之助の久吉が観られるので、嬉しくて。
 
  中車の五右衛門、第一声からして、歌舞伎の声色ではなくて、あの難しさ。
 海老蔵の五右衛門は、声が響き渡り、せりふの重厚な重さと歌舞伎独特の抑揚、立ち振る舞い、姿、歌舞伎の「型」と声色、雲泥の差があるけれど、五右衛門という人物には、役者としての演技で、なりきれていたので、これ以上は出来ないだろうというくらいに頑張っていました。
 



 猿之助の声は、会場中に響き渡って、三階のてっぺんまで、充分な声量。透明で台詞の、間、呼吸ですが、ゆとりがあって、姿形と、一糸乱れず、水もしたたる、気品がみなぎっていました。

 幕間の30分間に、道頓堀のくいだおれの中にあるから、とこの前築地の寿司屋で教えてもらった、「まぐろ三昧」に。
 テレビで最近、社長が、1億5千万でまごろの発競りを落としたことが話題になっていますが、その「まぐろ三昧」の関西出店のお店です。



 まぐろ祭りをやってて、大トロ、中トロ、などの3貫が、890円の所を590円になっていて、それを頼み、店長のお勧め3貫も。
 これは本当に嬉しいことで、これから、松竹座に行くと、ここ来るのが楽しみになりそう。
   

Posted by アッチャン at 15:36Comments(0)演劇

2012年12月18日

南座顔見せ、勘九郎襲名公演

     

  今年の顔見せは、行かないつもりだったが、勘三郎が亡くなって、勘九郎と七ノ助がどのような演じ方をしているのか、観たくなった。
 夜の部の、船弁慶と口上が観たかったけれど、25000円の1等席しかないので、昼の部に。
 4等席は売り切れで、3等席の7500円のを買った。
3階席の6番目でも、残っていた席の一番良い席の日をインターネットで買った。

 選挙の翌日だとは知らず、遅くまで起きていて、寝不足のまま、朝早く,南座に。

夜の部「船弁慶」

 劇場が小さいので、三階の6番目でも、東京の日生劇場での、玉三郎公演の1等席よりも、良く見える。
 四等席は、おそらく、てっぺんだけだけど、それでも多分良く見えるような設計になっている。

 ただ、前がすごく窮屈で、足を組む余裕もないので、座るづらい。
 最初の出し物、「佐々木高綱」は、我當さんの、十八番の一つで、安定して観られた。
 足腰が思うように動かないので、はらはらするが、動きの方はほとんどなく、台詞だけなので、声の良く通る我當さんには、やりやすいお芝居で、しみじみとした声と台詞が感慨深い,哀れを誘って、安定した演技を見せている。
 我當さん、その息子の信之介、仁左衛門の息子、孝太郎、秀太郎の養子、愛の助という松島屋に、江戸、大和屋の、弥十郎の出演。



 二番目は、関東歌舞伎の役者さん達がメインの「梶原平三誉石切」で、団十郎さんが主役の舞台。
 七ノ助が、娘梢で、可愛らしい娘を,見事に演じていた。七ノ助が出てくると、いじらしくて、可哀想で、涙がにじむ。七ノ助の声といい、仕草や、演技は、可愛らしさを十二分に表現していて、それが余計に涙を誘う。
 団十郎さんは、いつもながら、堂々とした演技で、素晴らしいのは当たり前。
歌舞伎役者の声は、良く通り、ハリがなければならないが、団十郎の声は申し分ない。
 微妙な動きの一つ,一つが、考えられた美しさを示している。



 30分の休みを挟んで、お待ちかねの、「寿曾我対面」いよいよ、勘九郎さんの襲名披露の出し物が観られる。

 休みの間に、向かいのそば屋にかけ込んだ。
新しい店のようで、にしんそばが売りのようだ。
 私は、きつね蕎麦を注文した。早く出てくるのは、きつねか、たぬきで値段は最も安いと決まっている。
 幕間のに、あんかけなんか、口がやけどで食べられないし、ざるそばだと、時間がかかりそうだから。



予想は当たって、私の前に待っているひとよりも、早く、すぐに来た。
 蕎麦も、だしもとても美味しかった。きつねのあげは、刻みで味付けがないのだけど、元々美味しく作っているあげで、厚みがあって、美味しい。
 きつねで、800円。デフレといっても、堂々とした値段だけど、南座の隣にある、松葉は、名前が通っているので、蕎麦といえども、1000円以下のものはない。それで、美味しくないのだから。前に入って、出しが薄くなっていて、幻滅したので、行かない。  
 寿曾我対面は、仁左衛門が曾我兄弟の敵の大物に扮している。お正月らしく、晴れやかな舞台。
 仁左衛門の声が聞こえにくい。あれだけ、素晴らしい声の持ち主だったのに、重病をくぐり抜けて、復活して以来、長い間、声が出なくて、やっとましになったと思ってたのだけど、三階席には、通らない。
 勘九郎は、ものすごい迫力で、館内に響き渡る声と、大ぶりの動きで、客席までも、踏み込んで来そう。
 時蔵扮する、曾我兄弟の兄は、尾山が演じるもので、なよなよしたか弱い優男。
勘九郎演じる、弟は、血気盛んな若武者。
 対照的な二人の兄弟、息がぴったり、動きも美しい。



 七ノ助は、花魁役で、秀太郎と、壱太郎と、3人の花魁の一人。
 勘九郎と七ノ助の二人を見ると、また、涙が出て来て、オペラグラスが曇る。
九月の松竹座とりも、遙かに、上達している二人。
 身震いしてきて、ぞくぞくする舞台。観客の誰もが、気迫溢れる舞台に、圧倒されていたのではないだろうか。

 幕が終わって、隣に人に、「席が窮屈で、疲れますね、」と言いながら、話しすると、その人は、東京から,一泊で来ていて、昨夜は、夜の部を観たそう。
「顔見せは、どうしてこんなに高いのでしょう。東京の方が安いです。」と言われる。

 確かに、と思う。顔見せは,昔から、高かったけれど、何時の頃からか、一段と高いと思うようになった。ご祝儀の観劇だから、とは以前から。

 猿之助の襲名披露も、新橋の東京は19000円。普通の歌舞伎は15000円が相場。
 一月の猿之助襲名披露の、寿初春大歌舞伎は、20000円だから、関西の方が確かに高い。

二月東京公演

庶民の楽しみだった,はずの歌舞伎が、庶民の手が届かない値段になっているが、
南座は、席の作り方としては、庶民の天井桟敷でも、充分良く見えるように工夫されて作られているので、新橋のように、ダダっぴろくて、ひどい劇場とは違う。

最後の出しものは、上方の「廓文章」吉田屋


九月、松竹座
 藤十郎と扇雀の親子の共演。
 藤十郎は、以前から踊りの名手。藤十郎を襲名して以来、動きを少なく、自然に見せながら、動きの美しさをより深く追求しているように思われる。
 歩き方一つ,軽やかに、滑るようで、リズムを持って、足の先から、手の先、頭の先まで、腰の動き、美しい形を、動的に表現する。
 名人芸を極める精進の弛まない努力が、もともとの実力に、さらにみがきをかけた美しさを見せている。

十月公演

 常磐津の人間国宝の、声につやは衰えてはいないけれど、声のハリがなくなって、出にくそう,肉体の芸の、儚さ、こそが、舞台を永遠のものとしている。

  

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2012年12月14日

玉三郎特別公演 「日本橋」

     

  東京の日生劇場で公演中の「日本橋」を観に行きました。
 友人が、通常よりも、安くヴィザカードで申し込めるので、随分前から一緒に買ってもらっていたの、風邪を引かないようにと注意していたら、今年の風邪、周りの人達が、皆、バタバタと倒れていたのに、私は元気で、無事に、東京行きを実現。
 朝は苦手な方なのですが、最近は、少しはましになってはいるものの、気になって、朝の4時には目が覚めて、それからは、目覚ましが鳴るまで、なんとなく起きていたような。 芝居で、眠たくなるのでは?と心配していたけれど、それはなんとかクリアー。




 玉三郎ですから、その魅力はたまりません。
 美しい、妖艶な美しさ、姿形の、なんと優美で美しいことでしょう。


 他の共演者達は、玉三郎を魅力を引きたたさるために、舞台に立っているようにも思えるほど、玉三郎の舞台です。
 友人は、事前に、「日本橋」を読み直したくらいの熱心さで、感激も更なるものがあったのでしょう。
 
 泉鏡花は、医者であったことから、医者として、人間を診る現実性とは、別の時限で、人間の「生」を想像することで、鏡花の世界、といわれるものがあって、それは神秘性というものだったのではないか、と勝手に想像しているのです。
 決して消えない「燃えさかる情としての愛」は肉体の滅び朽ち果てる物体としての現実とは相容れない世界、それは夢の世界、そこには、真っ赤にしたたる赤い血が、狂おしい情熱の流れを表現していて、永遠の時間と、美的世界の象徴としての「赤」に置き換えられている。



 
玉三郎が、舞台の最後に、毒を含み、青白い透明な美しい顔から、夢の世界にさまよう輝きを放つ目と、口元から流れる、真っ赤な血で、全てを語っている。

  

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