2007年03月16日

パリ市のアトリエ

 


 パリ市のアトリエに入りたいと沢山の人が申しこんでいるが、入れる人は限られている。協力なコネがないと、普通に申し込んでいても入れないそうだ。その上に、収入がいくらあるか、どういう活動をしているか、評価はどうか、などの審査も厳しい。古くから住んでいる人達が多いので、空きが出るのを待っている状態。パリに入れない芸術家達は、郊外にパリ市が作ったアトリエで活動している。ゴッホのお墓のある、オーベルシュ村にも出来ている。
 パリ市のアトリエは、日当たりのいい広いアトリエ付で、リビングと寝室、キッチンがついて、80平米くらいあって、家賃が安いので、恵まれた環境で絵を描くことが出来る。画廊が入って、絵を売っている画家は、他に、自分の家も持っている人が多い。
 ある画家の上に住んでいる88歳になる画家は、ニースに、膨大な土地と美術館のようなアトリエ兼、住宅の館を所有している。敷地内で農業も営んでいるが、労働者がやめてしまって、困っていると嘆いていた。労働者が、今はひっぱりだこで、条件の良い所に流れていく。
 その女性は、ニースの家に行く前に、残りものを、階下の画家の所に持ってくる。いなければ、
廊下の置いて出かける。
 昨夜は、食事が出来たから、来ないかという誘いの電話がかかってきた。画家のアトリエを見せてもらった。綺麗に整頓して、広々している。キッチンも改装して、対面に作りないしてある。
 絵や道具など、置ける場所は全て占めているというお部屋と、同じ作りの同じ広さの部屋だけれど、こうも違うのか、これほど広かったのか、と再認識するような感じがした。アトリエの窓の大きさや、高さも。
 人懐っこくて、可愛い方、初めてなのに、私の両手を取って、嬉しいと体で表現される。
 お料理もお上手で、私が美味しい、美味しいと、食べるので、それが気持ちいい、と喜んでくださった。従妹に「私は何でも美味しと言って食べる、まずいものでも美味しいというんだから、」と言われたことがあったけれど、美味しいのだから自然に出てしまうだけ。まずい時には、言葉が出ない。
 韓国の方だけれど、東京の大学を卒業されて、日本語を流暢に話される。日本語を使う機会は
そうないと思うのに、素晴らしい頭の持ち主などだろう。
   

Posted by アッチャン at 02:52Comments(0)art

2007年03月16日

モンパルナス墓地




モンパルナスの墓地に行った。私がパリに来てから、晴天つづきで、こんなことはめずらしいのだという。昼間は、暖かく、セーターでも充分なくらい。桜の木は、満開に近いのもあるくらい。
 モンパルナスは、昔は、一軒屋も多く、パリでは、田舎だった。日本で良く知られている、「バーパ、パパ」を書いている、アメリカ人の絵本作家の家を訪ねた事がある。路地を入った、平屋だての家だった。モンパルナス界隈に住んでいた芸術達は、そこを立ち退かされ、パリ市が新しく建設したアパートなどに移った。今、モンパルナスは、巨大な建物が立ち並び、新しい駅が出来て、近代的な都市空間を作っている。その中の一角に、そこだけは、時代を超えて、静かに眠っている空間がモンパリナス墓地だ。



 サンジェルマン、デ、プレレから、モンパルナスのカフェで、夜を徹して、熱い議論を交わした知識人や、芸術家達は、モンパルナスの墓地に眠っている。サルトルとボーボワールは、お墓の入り口の近くにあり、墓碑がたっていた。どこかのユースホステルで一緒になった女性が、マルグリリット、デュラスのお墓を見に行った、と言っていたのを思い出した。デュラスは、アパートをサンジャルマン、デ、プレに持っていたので、モンパルナス墓地ではないか、と聞いてみると、やはりそうだった。デュラスのお墓は、簡素なもので、随分前に、訪れた人が供えた、1輪のバラが枯れた状態で、墓石の上に。小さな石や、ビー玉、韓国語で書かれた一筆なのが、置かれていた。墓石に刻まれた名前も、見落とすほど。
 彫刻を施した立派なものや、家族で、という大き目のお墓もある。花鉢が一杯の華やかな墓もあれば、アイルランド、出身のノーベル賞作家、サムエル、ベケットの墓は、大理石の墓石だけで花は一切なくシンプルなものだった。ベケットも、モンパルナスに住んでいたらしい。
 最低2メートルは掘るので、墓堀は機械を使う。深いのだと、10メートルも掘るのもあるらしい。
 今日も、掘り出した土と瓦礫が、墓所の道路わきに積まれていた。のどかで、ゆったりとした、場所で、横たわっている墓所、眠っているという表現はそのままの状態を表している。



 ベケットは、今、私がしげく通っているポンピドーセンターで、特別展が開催されている。  

Posted by アッチャン at 02:46Comments(0)paris

2007年03月16日

森の中に




  ヴァンセンヌの森と、反対側に位置する森はブーローニュの森、そのどちらでもない、
ボームの森に行った。ベルサイユ行きの電車が通っていたので、ベルサイユに近いのだろう。
お天気が良かったので、森に車で来ている人達が、池を囲むベンチに座っていた。釣りを楽しむ人の姿もちらほら。ほとんどお年寄りのカップルだ。近くに2つの大きな住宅地が出来ているので、バスの本数は多くなっているけれど、パリの市内のようにはいかない。森の中に入ると、去年の風で倒れた木の根を切り落とした株があちらこちらにあり、そこから芽が出て、前衛生花のように芸術的な形をしているものもある。秋には、栗広いにやってくるので、栗の木が多く、足元に、落ちた栗が沢山残っている。
 男の子が二人、トリフを探しているのだろう。探知機のような、丸い先をつけた棒を、茂みあて、肩に機械をかついで辺りを探って歩いている。
 森の中を分け入り、形のいい木や、石を拾って歩いたら、時間が経つのも忘れていた。2時間くらい森の中を歩いて、拾った戦利品を持って帰った。日本にはない、いろいろな石がある。あめ色に透明がかったもの、ブルーの色の入った石、茶褐色の石、など、石そのものが、小さな石の彫刻によう。少し大きくて、色のない石は、アトリエで、色を塗ると、彫刻になる。木を彫刻刀で削って、ペーパーでこすり、そこに色を塗る。遊びなのだが、時間と労力を費やし、手を加えるとで、自然と人間のコラボレーションになる。芸術家のアイデアはつきない。変凡な頭しか持ちアあせていない私は、ただただ、感心するのみ。帰りのバスの中から、エッフェル塔と、自由の女神が見えた。
そう、アポリネールの詩「ミラボー橋」で知られている、ミラボー橋が見える。
 「ミラボー橋の下を、セーヌが流れる」という詩の、ミラボー橋。下に流れているのは、セーヌ川。
フランスがアメリカに自由の女神を贈ったお返しに、アメリカから贈られた、小さな自由の女神像の、
向こうに、エッフェル塔が見えた。エッフェル塔は、今はパリになくてはならないほど、パリの景色に
合っている。エッフェル塔が美しいのは、下が、円形にくりぬかれた形で、空間を作っているから。  

Posted by アッチャン at 02:27Comments(0)paris