2007年03月27日

モンパルナスの昔の面影




 朝から豆ご飯を炊いた。豚肉とマッシュルームを入れてオムレツをつくり、ほうれん草のおしたしと、昨夜焼いてあった鯖の塩焼きを持って、画家のアトリエに行った。バスがなかなか来ない。やっときて乗ると、アレージアで、ここまでだと全員下ろされた。それから15分以上待って、吉田さんの家に20分遅れて到着した。先日から風邪を引いて寝込んでおられたので、お加減はどうか、昨日電話したら、マネージャーが来られるとか、元気そうなので安心したが、伺ってみると、顔色も悪く、風邪もまだ良くないようなので、食事を置いて帰りますというと、一緒に食べなければ呼ばなかったとおしゃるので、そのままおじゃますることに。昨夜、レバノン料理の店に行き、持ってかえってきた羊の肉を出されて、いただいたけれど、私は羊の癖と匂いが好きではないので、半分は我慢して食べ、あとは残してしまった。風邪で、多分どれも美味しくなかったのではないか、と思う。


 食後、すぐに、おいとましますと言うと、画伯も用事があるので、と一緒に出ることになった。今日は天気が良く、とても暖かい。この辺りにパリの農家だった風情を残している場所があるので、そこを歩いて散歩した。石畳の小道の両脇に、古きパリの家が、保存地区になって残っている。とても美しい。


家の庭にある木々は、年代を思わせる老木で、ばらの木の枝も太い。つたをからませた家、ここが大地主の農家だったと教えてもらった家の庭に昔風の小さな納屋が見える。画家のアトリエになっている様子で、石膏の像が見えている。このあたりの家は、ほとんどアトリエだそうだ。これくらい大きな家だと、絵を置く場所も広く取れるだろう。通りを歩いていると、女性が、ここに住んでいるのですか、と聞いてきた。旅行者です、と答えると、このすぐ先に、一度聞いても覚えられない、歌い手の家があると教えてくれ、その先の公園は昔、屠殺場だった所で今は公園になっているから是非行けばいいと薦めてくれた。



 公園には、日光浴をしに来た人達でベンチは皆、詰まっている。公園は見渡すだけで、バスに乗り、一駅先で、私は降り、62番に乗り換えた。画伯は、そのままアトリエに帰られた。一旦アパートに帰り、それからすぐに出ようと思ったが、時間はすでに4時半になっている。今日、予定していた植物園の閉館時間は5時半だから、今から行ってもすぐに閉まってしまう。ルクサンブルグ公園は日が暮れるまで開いているので、未だ暖かい内にルクサンブルグ公園に行くか。  

Posted by アッチャン at 07:31Comments(0)旅行

2007年03月27日

オペラ座で歌舞伎2






ドイツ在住の友人と、彼女が泊まっているホテルの向かいにあるカフェ、プティで待ち合わせた。
オデオンの駅前にあると彼女に聞いていたので、駅の前ならすぐわかるから、と住所を控えておかなかったのは私の落ち度だった。オデオン駅の前で探して見つからなかった。あちらこちらの通りを探しても見つからず、人に聞いてもわからない。ホテルで調べてもらい、待ち合わせに35分も遅れて、やっとホテルは見つけた。ものすごく細い入り口の前に、小さくホテルの名前が書いてある。これでは、誰も知らないはず。誰に聞いてもわからなかった。カフェ、プティもない。ホテルで、聞くと、このホテルのしたのカフェのことだという。中を覗いても友人はいない。ホテルの二階に上がり、部屋を叩いても返事がない。通りの前に、カフェがある。そこを覗くと彼女が座っていた。


 歌舞伎座のマチネーに、彼女はプレミア付の148ユーロで、券を買っている。私は、1時間前に売り場で並んで、7ユーロの席を買った。最上階の4階から、オーケストラ席に彼女達を探すと、前から5番目に座っている。さすが、プレミア付の席だ。場所は最高だ。


 私がいたのは、舞台から一番近い右側の4階席だ。部屋には5つ椅子があるが、前の二つ以外の席は、舞台が見えない。前に、2人お年寄りの婦人が座っていた。彼女達は椅子を寄せて、私にも場所をあけてくれ、ここの椅子をおけるから、と言ってくれたけれど、高所恐怖症の私は、椅子に座るよりも、床に足をつけて、舞台を見るほうがいいので、彼女達の横に首だけだして、舞台見た。こうすると落ち着いて鑑賞することが出来た。その上、写真を撮るにも、台になって、いい写真が撮れた。フラッシュはたかないので、写真を撮ってもわからない。
 ご婦人方は、三味線が気に入った。一人の婦人は、ダンスを期待していて、「勧進帳」はよくわからなかったという。口上では、楽しそうにしていたが、3番目の「紅葉狩り」では、紅葉の花で、字幕が隠れて見えずに、さっぱりわからないようで、途中で帰られた。バレーの日本版のような舞台を期待していたらしい。パリのオペラガルニエは、通常バレー公演なので、そういう感じのものだと思っていたとか。

 舞台が開き、富樫が団十郎に代わっている。とすると、弁慶は海老蔵だ。6尺男だったという弁慶
は、海老蔵が新之助時代からの当たり役になっている。花道のかわりに、中央の通路が使われ、距離間がでて、良くなった。花道にはおよそ及ばないけれど。初日よりも観客は盛り上がりを見せ、拍手も多かったように思う。  

Posted by アッチャン at 07:17Comments(0)旅行