2007年03月30日

モルソー公園




 モルソー公園は、パリの北方にあり、モルソーとは、ものの片々を意味するように、9ヘクタールの公園の中に、遺跡や彫像の一部分などが点在している。スイスの田舎屋のミニチュアもある。
お天気の良い日には、沢山の人が公園で、思い思いの楽しみ方をしている。キャッチボールをする男の子、乳母車に赤ちゃんを乗せて来る親子の姿も良く見かける。フランスは、出産率が良くなったと聞いているように、本当に最近では、電車やバスの中でも乳母車を見ることが多い。

 杖をついたお年よりは、一日中ベンチに座って、物思いにふけっている。私のように観光客は、
カメラを向けている。芝生の中で、寄り添い抱き合っているカップルもあちらこちら。公園を横切ってせわしなく行き交う人、仲良く手をつないで座っている老夫婦。パリには、大小、沢山の公園が
あり、どこでも、自然を楽しんでいる。私の家の傍に公園があるけれど、そこで、夫婦が座っているなんて光景は見たことがない。アパートがほとんどのパリの人達にとって、公園は、自分の大切な庭のようなものだろう。そこに座っているのが自然のような。


 
 
   

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2007年03月30日

団十郎と海老蔵に会った



ルクサンブルグ公園行きのつもりが、ベルシー公園に変更。バスが来なかったので、地下鉄に変えたのがその理由。ベルシーに着くと、シネマテック(ここは映画の図書館のような役割を果たしている。映画の歴史、古典になっている映画の上映、今カトリーヌ、ドヌーブが出た全ての映画を特集として上映中、入場料は他の映画館よりも安い。)が、ここに移っているのを思い出した。シネマッテックに行くと、エクスポジションの案内書があり、そこに、今日、歌舞伎の映画と対談が20時30分からあると書いてある。チケット売り場は、19時30分になってから売り出すというので、ベルシー公園を散策して時間を潰すことにした。


ボーボワールの橋が、シネマテックの向かい側のセーヌ川に新しく出来ている。二段構えに上下して作られている橋を超えると、先日ピアフの映画を観た映画館の所に行けることを知った。アパートから歩いて来れる距離に、シネマテックも、ベルシー公園もあるのだ。ボーボワール橋から、セーヌ川の上に作られた水泳場が見える。二つに分かれた図書館も夕日を浴びてそびえたっている。この図書館の形は、本を開いた状態を形成しているそうだが、パリっ子の評判は良くないらしい。
 7時半にチケットが売り出され、早くから待っていた人は、入場出来るまで、戸口で立って待っている。私は脇の椅子に腰をおろしていたので、再び待つこと50分、なんということはなかったけれど。入ると会場はかなり大きかった。私は前列の画面の見安そうな席を選んだ。立って待っていた人達は、最前列から2番目の席にいる。


最前列には、ゲストが入ってきて、その中に、市川団十郎、海老蔵の親子がいた。オペラ座の主任ディレクトレスのブリジット、ルフェーブル、フランス語の翻訳を担当した、東京大学教授のフランス人パトリック、ド、ヴォス、通訳などが、最前列に座った。
 映画は、「宿命の親子」と題して、12代市川団十郎と11代海老蔵の二代の襲名披露までのドキュメンタリー
が最初に上映された。二番目は、9代目の団十郎が、紅葉狩りを、当時の上演形態を模索しながら再演したもの。最後に、6代目菊五郎の{鏡獅子」の名舞台を撮ったドキュメンタリー映画(小
津安二郎が監督1936年)だった。


 終わって、感想を聞かれると、海老蔵は、{負けてられねえ、って感じ」と答えた。丁寧に応ずるお父さんに、リラックスした息子。団十郎は{神が降りてくるような演技」が市川家の真髄であると答えた。
対照的な二人。海老蔵は、長いブーツの留めを全て開いた靴を履いている。説明を求められると、早くて、説明が明瞭でないので、翻訳する人はついていけない。
ゆっくりと考えながら,噛んで含んで話す団十郎と、これも正反対。最後に、サインを求められ、一人書いて、すっと出て行った息子としばらくサインに丁寧に応じていた団十郎。
 広い会場は一杯の人で、サインをもらおうと、上から降りてきたフランス女性が、会談でつまずいて転倒した。怪我はなかった様子だけど、あわてものの私のように身が凍る思いがした。
 終わったのは10時半を過ぎていた。会場を出ると、団十郎が案内されて車に乗り込む所、前の車には海老蔵が乗っていた。誰かに携帯電話をかけている。待っている彼女がいるのかしら。
   

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2007年03月27日

モンパルナスの昔の面影




 朝から豆ご飯を炊いた。豚肉とマッシュルームを入れてオムレツをつくり、ほうれん草のおしたしと、昨夜焼いてあった鯖の塩焼きを持って、画家のアトリエに行った。バスがなかなか来ない。やっときて乗ると、アレージアで、ここまでだと全員下ろされた。それから15分以上待って、吉田さんの家に20分遅れて到着した。先日から風邪を引いて寝込んでおられたので、お加減はどうか、昨日電話したら、マネージャーが来られるとか、元気そうなので安心したが、伺ってみると、顔色も悪く、風邪もまだ良くないようなので、食事を置いて帰りますというと、一緒に食べなければ呼ばなかったとおしゃるので、そのままおじゃますることに。昨夜、レバノン料理の店に行き、持ってかえってきた羊の肉を出されて、いただいたけれど、私は羊の癖と匂いが好きではないので、半分は我慢して食べ、あとは残してしまった。風邪で、多分どれも美味しくなかったのではないか、と思う。


 食後、すぐに、おいとましますと言うと、画伯も用事があるので、と一緒に出ることになった。今日は天気が良く、とても暖かい。この辺りにパリの農家だった風情を残している場所があるので、そこを歩いて散歩した。石畳の小道の両脇に、古きパリの家が、保存地区になって残っている。とても美しい。


家の庭にある木々は、年代を思わせる老木で、ばらの木の枝も太い。つたをからませた家、ここが大地主の農家だったと教えてもらった家の庭に昔風の小さな納屋が見える。画家のアトリエになっている様子で、石膏の像が見えている。このあたりの家は、ほとんどアトリエだそうだ。これくらい大きな家だと、絵を置く場所も広く取れるだろう。通りを歩いていると、女性が、ここに住んでいるのですか、と聞いてきた。旅行者です、と答えると、このすぐ先に、一度聞いても覚えられない、歌い手の家があると教えてくれ、その先の公園は昔、屠殺場だった所で今は公園になっているから是非行けばいいと薦めてくれた。



 公園には、日光浴をしに来た人達でベンチは皆、詰まっている。公園は見渡すだけで、バスに乗り、一駅先で、私は降り、62番に乗り換えた。画伯は、そのままアトリエに帰られた。一旦アパートに帰り、それからすぐに出ようと思ったが、時間はすでに4時半になっている。今日、予定していた植物園の閉館時間は5時半だから、今から行ってもすぐに閉まってしまう。ルクサンブルグ公園は日が暮れるまで開いているので、未だ暖かい内にルクサンブルグ公園に行くか。  

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2007年03月27日

オペラ座で歌舞伎2






ドイツ在住の友人と、彼女が泊まっているホテルの向かいにあるカフェ、プティで待ち合わせた。
オデオンの駅前にあると彼女に聞いていたので、駅の前ならすぐわかるから、と住所を控えておかなかったのは私の落ち度だった。オデオン駅の前で探して見つからなかった。あちらこちらの通りを探しても見つからず、人に聞いてもわからない。ホテルで調べてもらい、待ち合わせに35分も遅れて、やっとホテルは見つけた。ものすごく細い入り口の前に、小さくホテルの名前が書いてある。これでは、誰も知らないはず。誰に聞いてもわからなかった。カフェ、プティもない。ホテルで、聞くと、このホテルのしたのカフェのことだという。中を覗いても友人はいない。ホテルの二階に上がり、部屋を叩いても返事がない。通りの前に、カフェがある。そこを覗くと彼女が座っていた。


 歌舞伎座のマチネーに、彼女はプレミア付の148ユーロで、券を買っている。私は、1時間前に売り場で並んで、7ユーロの席を買った。最上階の4階から、オーケストラ席に彼女達を探すと、前から5番目に座っている。さすが、プレミア付の席だ。場所は最高だ。


 私がいたのは、舞台から一番近い右側の4階席だ。部屋には5つ椅子があるが、前の二つ以外の席は、舞台が見えない。前に、2人お年寄りの婦人が座っていた。彼女達は椅子を寄せて、私にも場所をあけてくれ、ここの椅子をおけるから、と言ってくれたけれど、高所恐怖症の私は、椅子に座るよりも、床に足をつけて、舞台を見るほうがいいので、彼女達の横に首だけだして、舞台見た。こうすると落ち着いて鑑賞することが出来た。その上、写真を撮るにも、台になって、いい写真が撮れた。フラッシュはたかないので、写真を撮ってもわからない。
 ご婦人方は、三味線が気に入った。一人の婦人は、ダンスを期待していて、「勧進帳」はよくわからなかったという。口上では、楽しそうにしていたが、3番目の「紅葉狩り」では、紅葉の花で、字幕が隠れて見えずに、さっぱりわからないようで、途中で帰られた。バレーの日本版のような舞台を期待していたらしい。パリのオペラガルニエは、通常バレー公演なので、そういう感じのものだと思っていたとか。

 舞台が開き、富樫が団十郎に代わっている。とすると、弁慶は海老蔵だ。6尺男だったという弁慶
は、海老蔵が新之助時代からの当たり役になっている。花道のかわりに、中央の通路が使われ、距離間がでて、良くなった。花道にはおよそ及ばないけれど。初日よりも観客は盛り上がりを見せ、拍手も多かったように思う。  

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2007年03月26日

オペラ座で歌舞伎

 

今日はマチネー、1時間前に、窓口にならんで、7ユーロの席を手に入れた。
最上階の端っこ,舞台に一番近い場所。舞台のそでの4階。顔以外は良く見える。弁慶が、団十郎から、海老蔵に変わっていた。この方がずっといい。演技はともかく、大男の弁慶のほうが、富樫よりもずっと適役だ。花道の変わりに、真ん中の通路が使われるようになった。これで、距離感も出来、ずっとよくなった。やはり、思うことは一緒、アドバイスした人が多かったのでは?と思う。歌舞伎通の人達が初日に見に来ていたのだから、これではどうも、ということだったのだろう。取材も多く、友人と3人にカメラが向けられ、取材に応じた友人は、日本でビデオを取っておいてね、ですって。7ユーロの最上階に一緒にいたおばあさん二人は、いつもこの席を買うようだった。私のつたないフランス語の説明にも付き合ってもらった。一階のオーケストラよりも、声が通り、上から見るので、さえぎるものがない。花道も良く見えた。安くて良い席だ。  

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2007年03月26日

 雨に打たれて

 



昨夜、友人に電話をかけた。3回ベルを鳴らして切った。まだ寝ているのだろう。しばらくして向こうから電話があった。昨夜、オペラ座の帰りに、どこかでお茶でもと探したが、どこも満席、向かいの札幌ラーメンは閉店、というので、電話番号を知らせて別れた。朝、早いからといっていたが、昨夜はあれから、寿司屋で、すごくまずい寿司を食べたとか。寝たのは2時だったので、まだ寝ていたそうだ。私もアパートに帰り、ブログの更新をして、寝たのが2時だった。
 今日、彼女は常磐津の人間国宝の先生を囲んで、日本からやってきた先生のお弟子さん達と行動を共にする。12時に先生のホテルで集合するので、参加人数が少なければ、私にも声をかける
から電話をする、と言うので、じゃ、12時にはアパートに帰っているから電話して、と言い、私はオペラ座の切符売り場に出かけた。昨日買ったパンフレットの中に、紙が入っていて、今日は、オペラバスティーユで、オペラ座のダンサーと、歌舞伎の役者達の競演が入場フリーで行われる。ただし予約が条件と書いている。 電話をかけると、待ち時間が多く、途中で切れてしまったので、オペラ座まで行くことにした。窓口はまだ開いていなくて、しばらく待ち、順番も待ち、予約できないか聞くと、もうコンプレ、満席で券はない、1時間前にオペラバスティーユに行きなさい,といわれた。


アパートに帰り、電話を待ったがないので、昼食を食べ、オペラバスティーユに出かけた。今朝から寒くて、雨とも雪ともわからないような降りようで、風が強い。バスティーユの券売り場には5,6人が並んでいた。一番前にいた女性が最後の余り券をもらって、これで終わりだと言っている、と前にいた男の人が教えてくれた。けれど、確かめないと帰られない。やはり、だめ。うろついて、もう一度尋ねたが、やはりだめ。入り口でがんばってみなさい、と言う。つまり、だれか余った券がないか、と入ってくる人に聞いたら、ということなのだ。招待券探しています、というプラカードを首から下げているおばさんを見かけた。私もしばらく入り口に立っていたが、寒さで風邪を引きそう。
諦めて、帰ってきた。券がなければヴぉージュ広場に近い美術館に行こうと最初は思ってたのに、体中が冷たくなって、一刻も早くアパートの暖かい部屋に帰りたくなった。
 昨夜あまり寝ていないので、そのまま眠り込む。目覚めると6時、風邪ひきそうだったのは治っている。しばらく行ってなかったポンピドーセンターに行って、インターネットを見たい。友人のブログもしばらく見ていない。ブログの更新もしたい。


 夕食はバケットにバターをつけ、チーズとワインの簡単なものを食べて出た。ポンピドーに着き、クッションのある椅子を確保してコンピューターを開いた。
、雨のせいか、インターネットの接続が弱くて、インターネットが開かない。しばらくいろいろ試してみたけれどだめなので、今度は、いつも座っているベンチのそばの床に上に座ってみた。やはり
弱いという表示しかでてこない。同じ弱いのなら、クッションの席に、とまた、元に戻って、待っていたが、やはり通じない。中央の金網を張っ場所の床に座ってコンピューターを使っている人の傍に座ってみた。その人は、私のコンピューターを見て、それはフランスで買ったのか、小さいね、と聞く。いいえ、日本で、軽いですよ、と私。フランスにもきっと売ってるでしょ、と付け加えた。
 インターネットが繋がった。ここは、接続が強いという表示が出る。場所によって違うんだ。金網に持たれているからなのか。とにかくやっとここに来た甲斐があった。10時近く、閉店しますよ、とアナウンスがあるまで、ポンピドーの金網の前に座っていた。  

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2007年03月26日

市庁舎からヴオージュ広場へ

 


オルセーは、4時半以降は5ユーロになると、地球の歩き方に書いているので、行ってみると
そういうことはない、7,5ユーロだといわれた。2005年から2006年にかけて、という本なので、情報が古かった。良いお天気だし、美術館より歩く方がいい、と思っていたので、しばらく川沿いに歩いて、右手に、エコール、ド、ボザールを見ながら次の橋まで行き、橋を渡った所で、パリ市庁舎行きのバスに乗った。市庁舎で、エクスポジションをしていて入っていく人についてはいると、





戦争中に、フランスに住んでいた11400人以上の子供達が、ヴぃシー政権下で、アウシュヴィッツ
に連れていかれた記録と子供達の写真を綴るエクスポジションだった。フランス全土に渡って、1442年から、1444年まで、各地に分けて、くったくのない笑顔の子供達、親と一緒に採った記念写真など、沢山展示されている。そういう子供達が、いつ、何番のナンバーでアウシュビッツに送られたかの記録と、その子供の写真を見て、来ている人達は一応に重々しい顔で、真剣に見入っている。この企てに協力した反ユダヤ主義者の人達の顔写真とか、ユダヤ人でその仕事にたずさわった人達の写真も掲載されている。その反面、ユダヤ人を助けて、犠牲になった、地下組織運動の人達の写真。近所のユダヤ人家族をかくまって、犠牲になった人などの写真も掲載されている。




最後に、本を持った子供達、という題で、手に本を持っている子供達の写真が沢山あった。
 アウシュビッツを見ているので、辛かった。この中で、わずかな人達が、虐殺をまぬがれている。
そういう人達を探すという意味で、この運動が始まったとか。
 アウシュビッツを訪れただけに生々しく、心が痛く、辛いエクスポジションだった。

 市庁舎から、ユダヤ人地区を歩くと、金曜日なので、ユダヤ人教会から、黒装束で長い髭を蓄えた男達が出てきたのだろう。通りを歩いている。教会の中は明るく、人影が見えた。歴史地区を歩き、カルナバレ美術館の前を通り、この辺りにある店を覗きながら、パリで一番美しい広場と言われるボージュ広場は、ユゴーの館があった場所で、公園を囲んで、
建物の下の回廊には、画廊が軒を並べている。


夕暮れがせまっていた。ギャラーの明かりが、ボーっとあたりを明るくしている。

その中に、ベルンサージュをしている店があり、大勢の招待客で店の中は混んでいた。ふらりと私も入る。リトグラフの値段は置いてあるので、見ると150ユーロくらいからある。高いのでも500ユーロくらいだった。リトグラフは売れるという。リトでないと気軽に買えないからかも。


 
 ヴージュ広場から、バスティーユまで行くと、もうづっかり、夜になっていた。
バスティーユオペラ座をまだ見たことがなかったので、外からだけれど、外観はシンプルで、オペラ座という印象からは程遠い建物を眺めた。



 
   

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2007年03月25日

オペラ座で歌舞伎










オペラガルニエでの歌舞伎公演の初日の券を買ったので、その日は、オペラ座に出かける時間までどこにも行かなかった。事故にでもあって、歌舞伎が見られなくなっては大変だから、慎重にして近くの買い物だけにした。7時に着くと、オペラ座には、着物姿の女性も多く、着飾った人がほとんどだった。男性は、タキシードに白い小さな花をつけている人をよく見かける。カメラが、有名人の取材をしている。その中に、日本のTBSテレビのニュースキャスター、筑紫哲也さんの姿も。



TBSの専属カメラが、筑紫さんの歩く姿を追っている。テレビで見るよりも、ずっとハンサムでダンディー、それにずっと若く見える。磯村さんがトイレに行く姿が見えた。小さくてせかせかした歩き方の人だ。

フランスのテレビは、フランスの著名人にインタビューしているのだろう。女優のような感じの人、作家風の人など、順次、止められてはインタビューに応じている。
 
ドイツから来ているはずの友人を探していたら、見つかった。若い女の子と一緒に、二階のバルコニーにいた。開演時間も迫ってきて、ちょっとだけ話をして、それぞれの席についた。


オーストラ席は、著名人らしい人が多いようだ。私のすぐ後ろに、筑紫さんの席があった。一段上がったオーケストラ席には、森前総理が座っている。その二つ席ほど先に養老剛志の姿も見える。歌舞伎の大好きな小泉さんの姿はない。どこかで見た顔の人が多いが、名前までは知らない人。
 天井には、シャガールの円形状の絵がある。



 最初の題目は「勧進帳」だった。
勧進帳は、花道がなければ、とうてい演じきることは不可能だ。工夫はしているものの、全くナンセンス。花道から、関所にやってきて、まだ関所は遠くに見えるあたりで、重要な場面が数々演じられるはずなのに、それが舞台の上だけで行わなければならないのだから距離感が全くなく、二つの違った場面を演出することが出来ずに、本当に気の毒だ。最後に、弁慶が、踊りながら義経達が無事に関所を通って、遠ざかって行く姿を確かめてから、足を振り上げて、花道を舞いながら豪快に通り抜けて去っていく場面は、勧進帳の中で、最も重要なのに、それが死んでしまっている。花道をどうして作らなかったのか、とても残念だ。団十郎の演技は抑えた、それでいて豪快な演技が光っていたが、それを受ける海老蔵の富樫は、フリがおおげさで、漫画的、公正で品格ある、情にもろい富樫とは程遠い乾燥した感じがした。

幕間には、森前首相がぶらぶらして、知り合いの人と話をしている。やはり大物の政治家は、堂々としていて他の人と違う。オーラが出ている。

 口上では、全員がフランス語で挨拶していた。フランス語の翻訳が上に掲示されているので、長々とフランス語で挨拶するよりも、日本語の方が美しく聞こえたのではないだろうか。最後ににらみを披露、9番目の席にいた私には、にらみが見えなかったので、ほとんどの人はオペラグラスがなければ見えないだろう。

亀次郎が大いに沸かせていた。オペラ座の怪人が好きなので、ここで演じることが出来てとても嬉しい。皆さん、シャンデリアには気をつけて、とユーモアのある挨拶をしていた。

 最後の題目は「紅葉狩り」、幕が開くと、舞台は鮮やかに紅葉が満開で、華やかな歌舞伎の舞台を彷彿とさせる。観客は目を見張ったに違いない。常磐津は、人間国宝の方が出ていて、その声が素晴らしかった。市川海老蔵が、女形を演じているが、女形の声が良くない。その上、形が硬く、
違和感があって、良くなかった。妖怪に変化すると、巨大な怪物に化するが、まるで動物のよう。
 あくまでも色気を残して、歌舞伎らしさを出してほしかった。他の役者の方が、軽やかに、形良く舞い、特に亀次郎の踊りは、若いのに見事だった。

「勧進帳」では、片岡仁左衛門の弁慶、菊五郎の富樫、今は坂田藤十郎を襲名している、その当時の中村鴈次郎の舞台は、素晴らしいものだった。思い出せば、涙が出てくるほど、情感溢れた弁慶を演じた。私は2回、仁左衛門の弁慶を観てるが、まだ首相にはなっていなかった、小泉純一郎が、仁左衛門の弁慶演じる「勧進帳」を観る為に大阪に来ていて、すぐ後ろに席だった。豪快な力強い拍手をしながら、ううん、素晴らしい、と感嘆している声を後ろに聞いていた。

   

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2007年03月25日

オペラ座へ

オペラ座


 パリは久しぶりに太陽が照り、青空が広がった。天気の良い内に、パリを散策しておこうと思いながら、溜まっていたブログも、昨日書いた続きが残っているので、お昼過ぎまで、コンピューターに
向かう。昼食は、昨日と同じ、スパゲティーで済ませて、オペラ座までバスに乗った。27番のバスで、オペラ座まで、ルクサンブルグ公園、パリのソルボンヌ大学、ルーブル宮、コメディーフランセーズのあるパレロワイヤルを見ながら走った。オペラ座で降り、劇場に行くと、昨日も、今日も、オペラ座の舞台見学は出来ない。歌舞伎のリハーサル中なのだ。市川団十郎と、市川海老蔵の写真の垂れ幕が、劇場の両側にかかっている。明日が初日、私は券がないか、明日の当日券は売られるのかを聞きにきた。券売り場に、「歌舞伎公演の全日程がソルドアウト」と書いている。「毎日、見られる席が、限定で10ユーロで売られます。」という紙が貼ってある。明日、何時に来ればいいのかと聞くと、1時間までだという。そこでしばらくい%8  

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2007年03月24日

アルル

  アルル
 


マルセイユから、アルルまで快速で40分、ローカルで50分くらいの時間で行ける。列車は、時間と、種類に寄って、割引があるので、値段が違う。3時と3時10分発の違いで、6ユーロほど違うので、後に決めた。最初の車両に乗ると、8人かけの席で、扉もついている車両なので、間の席を倒して、息子はごろんと横になった。時間が来ても列車は動かない。10分遅れで動き出した。警官が4人乗り込んできて、廊下に立っている。事件なのかしら。でもなさよう、無賃乗車の現行犯をつかまえるつもりなのか?私達の部屋を覗いて、笑っている。次の駅で、どこかに消えていった。
 アルルに着くと、以前に泊まったことのある、「ホテル、ド、ミュゼー」を探して、川沿いを歩いた。
川辺は、風が強くてとても寒い。ダウンを着ていても寒いのに、息子は、ジーパンの下には何もはいていないから、マルセイユから、寒さにねを上げている。やっとホテルに入り、部屋が空いているかと聞くと、ウイ。そうだろう、がらんとした感じ。私がシャワーつき55ユーロで、というと息子は、ここは自分が払うから風呂付の65ユーロに決めた。要求されたクレジットカードを出すと、若主人の奥さんがカードの番号を控えてから、アメリカンエクスプレスは使えないから、ヴィザかマスターはないかというので、私のカードを出したら、その番号を控えた。部屋に入ると、テーブルの上に、アメリカンエクスペレスマークのカードが置いてある。息子は、使えないといいながら、先にカードの番号を控えたことがおかしい、悪用されるというケースもあると心配した。部屋をキャンセルしたいというので、受付に行き、部屋が気に入らないから、と言うと、部屋を変えるというので、キャンセルしたい言った。奥から、このホテルのオーナーのおばあさんが出てきて、何故だ、と不服そう。主人は、部屋をチエックしに上がり、何も使ってないこと確かめた。控えたカードの紙を返してもらい、そこを出た。川沿いは避けて、町の中に入ると、「ホテル、ダ、アルタン」が見えた。このホテルは、三ツ星で値段も高いはず。キャンセルした「ミュゼー」は64ユーロだった。

ロビー

ホテルの中庭
 中に入って、まず、ボンマルシェはないか、と尋ねた。受付の女性は、85ユーロで、一階の中庭に面した部屋があると言った。私は80ユーロでは?と言うと、オーケーだと言ってくれた。名前を紙に書くだけで、カードも何も要求なし。これが普通だ、と彼は言う。
 このホテルは、7月の写真祭の会場になっていて、有名な批評家が、世界各地から写真家への登竜門となるチャンスを求めてやってくる写真家達の作品を批評してくれる。以前に、写真家の車に便乗して、初めてアルルに来た時に、このホテルに入った事があった。季節の良い時期には、毎日満室のホテルだが、今は客もほとんどいないので、ボンマルシェ(特別料金)にしてくれた。



 
アルルの街中を歩くにも、寒くて長くは歩けない。コロシアムの上の方に、アルルを見下ろせる高台があるので、そこまで行った。アルルの城内を歩いて、ビールが飲みたいというので、カフェを探して歩くと、「カフェ、デュ、ニュイ」があった。私はアルルに5度目だけれど、まだこの有名なカフェに入った事がない。最近雑誌「家庭画報」で、岸恵子が案内する、ゴッホとマネのたどった場所とういうのに、彼女が「カフェ、デュ、ニュイ」の奥に座っている写真が掲載されていた。




 シーズンには、前のテラスはいつも満席になるのに、平日の今日はひっそり、中に、客のカップルが一組だけ。プレッソン(ドラフトビール)の種類は一つだけなので、それを頼む。奥のレストラン席に、ゴッホの絵が3枚かかっている。2枚の絵は同じ絵で、一つに不気味なカラスが3羽描いている。違いを聞くと、店の人は、「どれも絵だ。」というだけで知らない。
 英語を話さない人ばかりだ、と息子が驚く。一流のホテルなのに、案内書に間違いを見つけたり。音楽を聴きながら、もう一杯、もう一杯と飲むので、ストップをかけた。ビールを飲み始めると止まらない。スーパーまで歩いて、今夜のビールを買って一度はホテルに帰った。もう一本空けた所で、私がビールの合併症の怖さを話す。彼はそういうことを充分承知で、ビールが好きでやめられないらしい。
空けたビールは、ほとんど飲まずに放置していて、翌朝捨てた。



 夕食のレストランは、家族で経営にている小さな店に行くことに決めていた。前に来た時に、偶然入って、その美味しさに感激した店だった。7時半から9時半までの営業で、昨日と、今日のお昼は休みだった。8時半に入ると、二階の席は、3組の客が座っていた。
 ミッシェルで食べたブイヤベースがすごかったので、お腹が空いていない。28ユーロと21ユーロのメニュがあり、軽いだろうと21ユーロにした。ワインは、アルル産の一番安い15ユーロ。ローヌ川沿いに出来る、コテ、ド、ローヌの一つ。


 最初に、小さな魚とハーブのムースが出された。これは、前にも食べたので、誰にでも出されるもの。美味しい。前菜に、息子はテリーヌ、私は野菜のテリーヌ、メインは、二人とも魚、もう一つのメインは鴨のオレンジソース、フランス料理の定番だけれど、重そうなので。



 その美味しさに、息子は感激、お腹が空いていなかったはずなのに、違和感なく、皆平らげた。
デザートには、息子はチョコレートムース、私は、いつものように、プリンの上に、お砂糖をかけて、バーナーで焦げ目をつけた「ブリュレ、ド、カラメル」を頼んだ。溶けるような感触に、大、大、大の満足でした。


パリなら、これくらいの美味しい店だと、70ユーロとか100ユーロとかするでしょうね。
 家族で、自分の家でやってるので、ここはとても安くて、素晴らしいお料理を出している。地方には、安くて、一流のシェフの料理を味わえる店がある。階下でお父さんと一緒に、キッチンに入っている息子と、階乗で、お母さんと一緒に、サービスを受け持ってる息子さん達。きっとパリに行きたがってるよ、と私の息子が言う。若者の気持ちを思いやる。夜は一段と冷え、寒いので 夜のライトアップも見ないで、ホテルに戻った。
 翌朝、ホテルの朝食はコンチネンタル9ユーロなので、外に出る。「カフェ、デュ、ニュイ」は閉まっていて、隣のバーに一人の客がいた。朝食は5ユーロ、息子はオムレツが食べたかったので、それも頼む。カウンターに中にいる人の顔が、写真の闘牛士の顔とそっくりだ、と息子が言った。マタドールだった店の写真が、あちらこちらに貼ってある。闘牛士の衣装も飾っている。12,3歳のなりたての頃のポートレートなど。町の人達が入ってきて、コーヒーを注文して、新聞を読んでいる。大きなオムレツに、サラダとジャガイモのフライが乗っている。息子はここで、フランスに来て初めてクロワッサンを食べた。



  カフェ、オ、レ、クロワッサン、バケット、オレンジジュース、で5ユーロの朝食2人分、私のコーヒー追加と、オムレツで20ユーロだった。
 マルセイユまで、戻り、それからパリに帰るのは無駄だから、チケットの時間を変えてもらおうと息子は言う。変えられないし、払い戻しも出来ないチケットだから、といっても、アメリカでは、そういうチケットでも空いていれば乗せてくれる、という。ここはフランス、融通はきかない。アルルからTGVが、出るのに、マルセイユまで戻って、予約した時間まで、駅のカフェで時間を潰し、パリに戻るのは夕方の5時半、パリでの貴重な一日が消えると、息子は不満顔。自分で計画たてて、チケットも買ってくればいい、ご不満ならね。  

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2007年03月24日

、マルセイユへ

3 月19日



    リヨン駅に30分前についた。駅で、サンドイッチと水を買った。水は500ミリリットル入りで、
3ユーロした。日本円で500円近い値段だ。息子は、いつも水を携帯している。駅で、キオスクで、どこでも水を買うので、スーパーでは安いのに、アメリカでも1ドル50セントくらい出すのに慣れているので、そう驚かないけれど、私のように、高い水は買わないものには、お金がもったいないと思ってしまう。8時20分発のマルセイユ行きの列車に乗り込んだ。その部屋は、静かにする、という部屋だった。ひそひそ声でしゃべっている。マルセイユまで3時間、アパートを出ると雨で寒かったが、
途中窓から、雪景色が広がっている。マルセイユは、雨だろうかと心配になった。駅に着くと、曇り空が広がっている。予約しているミッシェルまで歩いて行こうと意見が一致。息子はサンドウィッチを食べたので、お腹が空いていないから、歩いてお腹を調整しようというのだ。風が強い。海辺を歩くと、海風にあおられて、耳が痛くなる。駅から、歩くこと40分くらいで、レストラン「ミッシェル」に着いた。客はまだいなかった。私達のあとすぐに、次から次にお客が到着した。アペリティフを2つ頼みたいので、ブイヤベースを一人前に出来ないかと尋ねたが、2人前でないと出来ないと言われた。じゃ、それで、とブイヤベースを注文した。





息子がトイレに立った間に、ミッシェルの主人が魚を皿に載せて持ってきて、テーブルの脇に置いた。息子はトイレに入ったまま、なかなか出てこない。主人は、時折やってきては、また奥のキッチンに入る。テーブルに息子が着くと、再びやってきて、魚の種類を説明してくれた。写真を撮りたいというと愛想良く、魚が見えるように ポーズを取ってくれた。斜め後ろの大きなテーブルに、いかにもお金持ちそうな6人組みが座ると、年寄りのウェイターは、そちらのほうにかかりっきりで、こちらは後回し。パンを持ってきて、塗ってつけるペーストは持ってこない。ワインは注ぎに来ない。
まったくサービスが悪い。そのうちに、店は満席になった。
 隣の席に、親子ずれの女性がいて、彼女の一人がブイヤベースを、もう一人が、他の魚を食べている。その人には、ブイヤベースを1人前で受けている。他の常連客らしい人達が、牡蠣や、エビなどの前菜を注文してから、長い間、話しながらワインを楽しんでいる。出口に近い席に、3人でやってきたのは、100歳くらいのおばあさんと、60台くらいの夫婦で、ブイヤベースを3人で食べている。これも、スープは、一杯残っている感じ。すぐ後ろの席のスープも、と息子が言う。
 「このスープは又、使ってるよ、」と息子が言う。でしょうね。スープをたっぷり持ってくるもの。
ブイヤベースには、隣町の港町、カシスの白ぶどう酒がぴったりだしょうで、それを注文した。
 私達が、まだブイヤベースを食べている間に、もう下げていいか、と聞いてくる。まだだ、といって
もう一度、がんばって食べたけれど、スープは残ってしまった。後ろの6人組は、最初にシャンパン、
ワイン、ブイヤベースと、魚のお料理、前菜に、牡蠣と、揚げ物などなど、ちょっとつまんではやめてしまう贅沢な食べ方で、デザートまでもうすでに進んでいる。ウエイターはケーキの皿を、今度は私達の所に持ってきた。とても食べられないので、勘定を頼んだ。ブイヤベースが2人前で116ユーロ、(一人前が58ユーロ)ワインが26ユーロで、占めて、142ユーロだった。サービス込みと思って、
3ユーロ置くと、ウェイターは渋い顔をして、ありがとうとも言わない。息子が、サービス料が書いてなかったので、15パーセント置かないといけなかったんじゃないか、と私の非常識を非難した。、ミシュランのガイドブックには、サービス込みと書いてあったので、それでいいと思い込んだのだけれど、勘定書きを見るとタックスしか書いていない。勘定書きも、置いて来なければいけなかったらしい。ガイドブックにはそう書いている。

 
そとに出ると、海風がものすごく強くなっている。ミストラルがこれだ。ファラオ宮の中庭から、マルセイユのビューポートを眼科にマルセイユ全体が望める。風に吹き付けられながらも、景色を眺め、写真を撮った。港まで歩き、地下鉄で2駅のマルセイユ駅に戻った。今から出る、アルル行きの電車に乗る為に。  

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2007年03月24日

フォンテンブロー城



  
 
 雨で、寒いので、美術館の中にいるのがベストセレクション。オルセー美術館まで行くと、切符を買うのに何重にも列をつくって、待っている。日曜日は、チケットが安いので、なおのこと。入るのに2時間かかりそう。昨日は、すぐに入れたのに残念。昨日、計画していたフォンテンブローに行くことに変更した。リヨン駅に行き、チケット売り場を探す。ABCと書いた売り場で買うのに、窓口は一つだけで、あとの二つの窓口は人がいない。チケット売り場で待って、フォンテンブロー城の入場券のついたのを、2セット買った。42ユーロくらい。駅で次の電車は、45分後だと知った。日曜なのでこうなのだと言われて、チケットを払い戻してもらいに行くと、さっきよるもずっと沢山並んで待っている。やっと番が来た。チケットを払いもどしてもらいたいと言うと、他の日の使えばいい、払い戻しは聞きませんとけんもほろろの冷たい返事が返ってきた。



 その間に20分が過ぎ、結局行くことにした。息子は、他の日に誰かを誘って行けばいい、行ってもゆっくり見られないとぼやいていた。フォンテンブローの駅から、連絡しているはずのバスは、日曜日なので、本数が少なく、駅でも15分くらい待たされた。お城につくと最終入場時間の45分前、それでも中には沢山人がいて、私達の方が先に出たくらいだった。豪華絢爛の部屋を見学してそのまま、出口になっている。以前に着た時には、狩の獲物の剥製ばかり置いている部屋も見たように記憶しているのだけれど、ここも観光化している。庭を散策して、公園になっているので、人々が入ってくる。その出口から出た所に、パン屋さんがあった。時間がないので、サンドイッチを食べながら、庭を散策。バスの時間まで、ゆっくり出来たので、やはり来て良かった。息子は、来るまでに、いろいろ情報をあつめていたので、ナポレオンが最後に別れを告げた場所に立って、周りをしばし眺めて楽しんでいた。ベルサイユについても、私よりもよく、調べていたらしい。ベルサイユ庭だけだったので、ここで城の内部が見られたから、連れてきて良かった。このチケットは、駅から、城までのバス代も含まれていて、割安。他に2箇所見ることが出来るようになっている。平日なら、電車もバスも本数が多いので、平日がお勧め。私達はそれでも、7時前にはパリのリヨン駅に帰ってきた。サンドイッチでお腹も大きくて、今夜は安上がり。





  7時頃、約束していた、画家の家を訪問するのに、30分遅れて伺った。地下鉄を乗り継ぎ、大体このあたりだと見当をつけて、最短時間で伺った。ワインとビールを近くのスーパーで、買って。
息子が来るなら、頼みたいこともあるので、会いたいから、と言われていた。時間は、この日しかないので、今朝、夕方伺うからと電話を入れていた。フォンテンブローから、電話が通じていたら、会わないでアメリカに帰ってしまっていた所だ。
 パリの画家が、ニューヨークに行きたがっているのでということだった。息子の名詞と住所を渡した。息子は、この画家に会えた事が、パリに来て、一番良かったことだと言う。おじいちゃんがなくなって、なんだかおじいちゃんみたいだと。気取らないで、率直な人柄が、父に似ていると。そういえばそうかもしれない。パリに来れば、このソファーで寝ればいい、ホテルは取らないで、と言われ、
写真を沢山見せてもらい、アトリエも見せてもらった。上に住んでいる韓国の女流画家の息子で、大事業家という方が持参したという、韓国のお酒を開けてくださった。明日から、マルセイユに行くので、と私がせかすように、おいとましたので、息子は、もっとそこにいたかったよう。あんなに落ち着ける所はなかった。今まで彼が知り合った人の中で、一番素晴らしい人だ、と。
 息子は、この画家の為に、どんなことがニューヨークで出来るだろうか、と考え始めている。

    

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2007年03月24日

ベルサイユ

ベルサイユへ


アパートの近くにある14番線地下鉄の終着駅は図書館駅と「ビビリオテック、フランソワ、ミッテラン」いう。そこにC線の新たしい駅が出来ている。ベルサイユまで、その駅から直接行ける。電車賃は、2,5ユーロ。宮殿の外には、いろんなみやげ物を売りつける物売が寄ってくる。ベルサイユ宮殿に着くと、土曜日なので切符を買うのに長蛇の列、中に入るのはあきらめて、庭園を見に行った。





未だ,花も咲いていない、木々も刈り込まれて芽も出ていない、大理石の像には、カバーがかけられ、噴水の栓も閉めたままの状態ななので、人も少ないほうだけれど、それでも沢山の人が来ている。以前に、きた時には、雪が舞い、木は雪で白く染まり、庭園に誰もいなかった。今日は曇り空で、ちらちら雨も降っているけれど、観光客が多い。庭園を歩いて廻るのは大変だという人達のために、自分で運転するカートの自動車や、数珠繋ぎになった乗り降り自由の車も出来ていた。貸し出し自転車に乗っている人もいる。以前には、全く見られなかったもの。観光化の象徴的存在。
庭園を歩いて廻ると、結構距離がある。川を挟んで反対側を歩いて奥まで行くと、川が十字に分かれていて、廻るのに、そうとう歩かないといけないので、引き返した。歩きつかれて、庭園の中にあるレストランンにはいると、中は一杯の人。私達の隣に座った親子は、神戸から来られていた。偶然の一致。10日間のパリ滞在とか。上品な奥さんと娘さん、こちらはヒッピーのような母親と息子、対照的な親子連れ。



 少し休んで、大トリアノンの方に歩いてい行った。結構疲れるので、車に乗るのは値打ちがあるけれど、各場所で、寒いのに、待っているのもつらそう。
 マリーアントワネットの小トリアノンへ行くつもりで歩いていたら、もとのレストランに戻ってしまった。
疲れて、もう一度、トライする元気もなく、帰ろうと意見は一致。
 パリ市内に戻り、サンジェルマン、デ、プレにもあるというプラダの店を探しに行った。男もののプラダのビジネスバッグがほしいらしい。サン、ミッシェルで降りると、ギリシャ通りを抜けて、オデオンから、サンジェルマン、デ、プレへと歩いていける。ギリシャ通りが気に入って、おもしろそうと興味深々。このあたりだけは、私がくわしい場所。クレープの店や、よく食べた店も、以前のまま。
 サンジェルマン、デ、プレには、高級店からカジュアルな店まで並んでいるので、なかなかプラダが見つけられない。歩いている日本人なら、知っているだろう。マップを片手に店を探している様子の女性に聞くて、さっきありましたよ、と。見つけて、プラダに入ると、男物は、ギャラリー、ラファイエットの男性用の店か、右岸のモンテーニュ店にしかおいていないと言われた。ラファイエットに行ってみた。日本で以前から売っているような、ビジネス用のはなかった。閉店時間は7時、もう時間だ。
あきらめて、夕食を食べに行く。



「 ビストロ、ド、マリウス、リブ、ドロワット」という店は、隣の高級店「マリウス、エ、ジャネット」のセカンド店で、冬は、隣の店の牡蠣を安価で食べさせてくれる、というので、地下鉄9号線の、アルマ、モルソーまで行った。近くにエッフェル塔が見える。シャンゼリゼの近くで、高級な店が多いところだ。中のテーブルは、小さくて狭い。予約を入れてないというと、最後の席だといって、まだ誰も入っていない席の中央の真ん中ンお席に通された。あとから入ってきた人の為に、テーブルを移動させないと席につけない狭さだ。
 メニュは看板に書かれたもの。よくわからない。息子は、「フリ、デュ、ラ、メール」一人前28ユーロを注文した。確かに安い。教えてもらった、クーポールとか、ドームだと、目をむくほど取られるだろう。私は、メインの魚料理のトップのもの28ユーロを注文した。
 ワインはカラフ500ミリを2回注文、牡蠣のプレート6個で16ユーロを息子が追加した。
魚はずずきだった。ポールペキューズ風に、塩で覆って、焼き上げたもので、上にある塩を取ってくれた。コショウと塩をつけながら食べる。大きいので、半分たべて、息子に食べてもらった。ものすごく美味しいらしい。コショウと塩のバランスが絶品とか。私は、付け合せのマッシュポテトとパンばかり食べる。デザートは、もういらない、と断った。ワインを飲みすぎ、パンを食べすぎ。

隣の客は、前菜にサーディン9ユーロ、メインにブイヤベース風の煮込み19ユーロを注文してバランスが取れている。デザートが大きくて、ちょっと参った、という仕草を私達に向ける。揚げパンにクリームが一杯乗っているようなお菓子。一番安い値段のもの。ここのメニュは、一番安いものばかり注文すれば、35ユーロくらいで食べられる。

 支払いは、息子がしてくれるというので、おまかせすることに。彼も酔ってるので、気が大きくなっている。アメリカに帰ると請求書が怖い?  

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2007年03月16日

パリ市のアトリエ

 


 パリ市のアトリエに入りたいと沢山の人が申しこんでいるが、入れる人は限られている。協力なコネがないと、普通に申し込んでいても入れないそうだ。その上に、収入がいくらあるか、どういう活動をしているか、評価はどうか、などの審査も厳しい。古くから住んでいる人達が多いので、空きが出るのを待っている状態。パリに入れない芸術家達は、郊外にパリ市が作ったアトリエで活動している。ゴッホのお墓のある、オーベルシュ村にも出来ている。
 パリ市のアトリエは、日当たりのいい広いアトリエ付で、リビングと寝室、キッチンがついて、80平米くらいあって、家賃が安いので、恵まれた環境で絵を描くことが出来る。画廊が入って、絵を売っている画家は、他に、自分の家も持っている人が多い。
 ある画家の上に住んでいる88歳になる画家は、ニースに、膨大な土地と美術館のようなアトリエ兼、住宅の館を所有している。敷地内で農業も営んでいるが、労働者がやめてしまって、困っていると嘆いていた。労働者が、今はひっぱりだこで、条件の良い所に流れていく。
 その女性は、ニースの家に行く前に、残りものを、階下の画家の所に持ってくる。いなければ、
廊下の置いて出かける。
 昨夜は、食事が出来たから、来ないかという誘いの電話がかかってきた。画家のアトリエを見せてもらった。綺麗に整頓して、広々している。キッチンも改装して、対面に作りないしてある。
 絵や道具など、置ける場所は全て占めているというお部屋と、同じ作りの同じ広さの部屋だけれど、こうも違うのか、これほど広かったのか、と再認識するような感じがした。アトリエの窓の大きさや、高さも。
 人懐っこくて、可愛い方、初めてなのに、私の両手を取って、嬉しいと体で表現される。
 お料理もお上手で、私が美味しい、美味しいと、食べるので、それが気持ちいい、と喜んでくださった。従妹に「私は何でも美味しと言って食べる、まずいものでも美味しいというんだから、」と言われたことがあったけれど、美味しいのだから自然に出てしまうだけ。まずい時には、言葉が出ない。
 韓国の方だけれど、東京の大学を卒業されて、日本語を流暢に話される。日本語を使う機会は
そうないと思うのに、素晴らしい頭の持ち主などだろう。
   

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2007年03月16日

モンパルナス墓地




モンパルナスの墓地に行った。私がパリに来てから、晴天つづきで、こんなことはめずらしいのだという。昼間は、暖かく、セーターでも充分なくらい。桜の木は、満開に近いのもあるくらい。
 モンパルナスは、昔は、一軒屋も多く、パリでは、田舎だった。日本で良く知られている、「バーパ、パパ」を書いている、アメリカ人の絵本作家の家を訪ねた事がある。路地を入った、平屋だての家だった。モンパルナス界隈に住んでいた芸術達は、そこを立ち退かされ、パリ市が新しく建設したアパートなどに移った。今、モンパルナスは、巨大な建物が立ち並び、新しい駅が出来て、近代的な都市空間を作っている。その中の一角に、そこだけは、時代を超えて、静かに眠っている空間がモンパリナス墓地だ。



 サンジェルマン、デ、プレレから、モンパルナスのカフェで、夜を徹して、熱い議論を交わした知識人や、芸術家達は、モンパルナスの墓地に眠っている。サルトルとボーボワールは、お墓の入り口の近くにあり、墓碑がたっていた。どこかのユースホステルで一緒になった女性が、マルグリリット、デュラスのお墓を見に行った、と言っていたのを思い出した。デュラスは、アパートをサンジャルマン、デ、プレに持っていたので、モンパルナス墓地ではないか、と聞いてみると、やはりそうだった。デュラスのお墓は、簡素なもので、随分前に、訪れた人が供えた、1輪のバラが枯れた状態で、墓石の上に。小さな石や、ビー玉、韓国語で書かれた一筆なのが、置かれていた。墓石に刻まれた名前も、見落とすほど。
 彫刻を施した立派なものや、家族で、という大き目のお墓もある。花鉢が一杯の華やかな墓もあれば、アイルランド、出身のノーベル賞作家、サムエル、ベケットの墓は、大理石の墓石だけで花は一切なくシンプルなものだった。ベケットも、モンパルナスに住んでいたらしい。
 最低2メートルは掘るので、墓堀は機械を使う。深いのだと、10メートルも掘るのもあるらしい。
 今日も、掘り出した土と瓦礫が、墓所の道路わきに積まれていた。のどかで、ゆったりとした、場所で、横たわっている墓所、眠っているという表現はそのままの状態を表している。



 ベケットは、今、私がしげく通っているポンピドーセンターで、特別展が開催されている。  

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2007年03月16日

森の中に




  ヴァンセンヌの森と、反対側に位置する森はブーローニュの森、そのどちらでもない、
ボームの森に行った。ベルサイユ行きの電車が通っていたので、ベルサイユに近いのだろう。
お天気が良かったので、森に車で来ている人達が、池を囲むベンチに座っていた。釣りを楽しむ人の姿もちらほら。ほとんどお年寄りのカップルだ。近くに2つの大きな住宅地が出来ているので、バスの本数は多くなっているけれど、パリの市内のようにはいかない。森の中に入ると、去年の風で倒れた木の根を切り落とした株があちらこちらにあり、そこから芽が出て、前衛生花のように芸術的な形をしているものもある。秋には、栗広いにやってくるので、栗の木が多く、足元に、落ちた栗が沢山残っている。
 男の子が二人、トリフを探しているのだろう。探知機のような、丸い先をつけた棒を、茂みあて、肩に機械をかついで辺りを探って歩いている。
 森の中を分け入り、形のいい木や、石を拾って歩いたら、時間が経つのも忘れていた。2時間くらい森の中を歩いて、拾った戦利品を持って帰った。日本にはない、いろいろな石がある。あめ色に透明がかったもの、ブルーの色の入った石、茶褐色の石、など、石そのものが、小さな石の彫刻によう。少し大きくて、色のない石は、アトリエで、色を塗ると、彫刻になる。木を彫刻刀で削って、ペーパーでこすり、そこに色を塗る。遊びなのだが、時間と労力を費やし、手を加えるとで、自然と人間のコラボレーションになる。芸術家のアイデアはつきない。変凡な頭しか持ちアあせていない私は、ただただ、感心するのみ。帰りのバスの中から、エッフェル塔と、自由の女神が見えた。
そう、アポリネールの詩「ミラボー橋」で知られている、ミラボー橋が見える。
 「ミラボー橋の下を、セーヌが流れる」という詩の、ミラボー橋。下に流れているのは、セーヌ川。
フランスがアメリカに自由の女神を贈ったお返しに、アメリカから贈られた、小さな自由の女神像の、
向こうに、エッフェル塔が見えた。エッフェル塔は、今はパリになくてはならないほど、パリの景色に
合っている。エッフェル塔が美しいのは、下が、円形にくりぬかれた形で、空間を作っているから。  

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2007年03月14日

チケット




  リヨン駅に、マルセイユ行きのチケットを取りに行った。インターネットの入れたクレジットカードと、
予約番号を渡して、チケットをもらった。パスポートもい 
らなかった。チケットの自動券売り場でも、チケットを取れると書いていったが、不安なので、窓口に行った。帰りに、しばらく券の自動機械で
遊びながら、マルセイユ行きを、同じ工程で、いくらなのかを調べると、456ユーロという金額を提示する。私のチケットは、保険をかけて、150ユーロで、3倍の値段だ。昨夜、苦労して、買ったかいがあった。 こんなに差があって、これが当たり前と思っているのは、不思議な気がする。
 ドイツ鉄道で、5人まで同じ料金で乗れるチケットがあった。一人でも同じ料金。ドイツカードを買っていると、いつも半額になるとか。
 飛行機のチケットも、エールフランスのキャンペーンで、パリからニースまで25ユーロくらいで売っていたそうだ。

 日本は、金持ちにも平等という意識が強いが、パリは貧しい人を擁護するように出来ている。日本は、パリに比べて、老人に対する配慮はなされている。フランスでは、お金のない人は医療は無料で手厚い治療をしてくれる。癌に対する高額な治療も無料だとか。老人とか若い人とかの区別はない。
 パリは、今、選挙の話題が、テレビを賑わせている。物価が高くなり、日常の生活物質の高騰で
1ユーロが1フランと間違えるほど高い、とぼやく市民。家の値段が、この2年で3倍になったが、
左派勢力が、台頭してきているので、今度の選挙で、政権が左派に移ると、物価は下がるようになるだろう、と言われている。
 中国でも、貧富の差が激しくなるのは、望ましい事ではないから、修正する、というメッセージが出ただけで、株価は急落した。フランスが方向転換すれば、ヨーロッパの拡大路線も影響を受けて、株価も、投資信託も下落するだろう。ちなみに、以前でも、日本よりも高かったガソリンだけれど、1リットル180円くらいだとか。
   

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2007年03月14日

TGV






マルセイユ行きの切符を買いに、HISに行くと、そこは別の会社になっている。パレロワイヤルの噴水の前に、以前はあった。近くにミューという会社がある。4人の女の子達が、地図をもらいに入っていく所だった。私も吸い込まれるように中に入る。受付で、マルセイユに行きたいのだが、というと、まず、手数料をいただきますど、と言って、あちらです、と男の人の方に手で示した。
 係りの男の人は、マルセイユは、治安が悪いですよ、と念を押してから、安くても、一人150ユーロはかかります、と言った。それに手数料ってどのくらいになるのだろう、私はためらって、じゃ聞いてから又きます、と言ってその店を出た。



 ポンピドーセンターで、インターネットをするので、ピラミッドまで歩いた。ピラミッドには、ジュンク堂の本屋さんがある。パレロワイヤルから、オペラ座を見ながら歩いていると、人も少ないせいか、
それとも、この辺りはとても治安が悪くなった、と聞いているからか、寂れているように感じる。月曜だからだろうか。本屋に入ると、客は一人か二人、地下はほとんど漫画本で占めている。ざっとのぞいて、インタネットのプリペイドカードがないかを調べたが、テレカードしかなかった。
 地下鉄でシャトレに行くと、国鉄のブティックがある。そこに、2人で40ユーロから、というポスターを見つけて、中に入る。順番待ちの人が7人くらいいる。ポスターには、1週間前までの購入と書いている。すると、月曜日からでないとこの値段では買えない。番が来て、調べてもらうと、朝6時半か、夕方6時半なら40ユーロであります、と。え、そんなに早く、と言っている内に、もうなくなりました。80ユーロなら、買えます、というので、じゃ、考えます、と再び外に出た。
 ポンピドーセンターの中に入って、我慢していたトイレに駆け込んだ。それから走るように、空いているベンチに座る。




 インターネットの番号をもらって、接続した。ブログを書き込み、写真を入れている間に、インターネットの接続が切れる。検索していても、なかなか、そこに届かない。と思うと、又、切れている。
こんなことばかりで時間がどんどん経っていく。あとで聞くと、パリのインターネットはそうなのだと。
 それでも、なんとか、SNCF(フランス国鉄)のホームページで、月曜日のマルセイユ行き、8時20分の早い時間だけれど、二人で70ユーロの特別料金で予約が取れた。しかも一等の料金だから、申し分なし。フランスバカンスを買って、二人で同行というのを買っても、最低の3日間で、
二等の値段で一人20000円くらいするのでは?TGVは予約料金が別途少しかかると思う。
 飛行機でも、エールフランスで、二人でホテルつき、土日かけて300ユーロくらいであった。
オルセー空港まで時間もかかるし、飛行機の場合は、荷物のチェックとか時間がかかるから、1時間半前に行かないといけないから、国鉄で3時間の方が便利だと考えた。
 鉄道のチケットを正規で買うと、パリーマルセイユ間が88ユーロ(二等)、とガイドブックに書いている。
いくらでも、安く手に入れる方法があるので、計画的に前もって購入するのが望ましい。
    

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2007年03月13日

食中毒




  中華料理の店が、いかに不衛生であるか、という記事が雑誌に載ってから、パリの中華街では、お客の足が遠のいていたそうだ。暑さ寒さも彼岸まで、最近はまた、中華街に足を運ぶように
なった。 今日、蚤の市にご一緒した奥さんが、残った食事を、外に出さなければ、この残り物を、次のお客の料理に使うだろうと教えてくれた。そういう風にして、安い食事を提供している、というのだ。そんなことを聞くと、中華料理を食べるのが怖くなった。日本では考えられないことだ。手をつけていないものでも、衛生上の理由から、豚のえさとして捨ててしまうだろう。中華街で使っている
魚やエビなのは、ほとんど冷凍物だと従妹は言う。こんなに安いお金で、もうかるはずがない。
 パリで、安くて質のいいものはない、というのだ。高くだせば、いくらでも美味しくて新鮮なものはある。彼女は、何度の食中毒を経験しているという。
 パリでは、レストランに調理師免許はいらない。誰でもレストランを出すことが出来る。そのかわり、
一年に一度、厨房の衛生検査で、きびしい審査を受けるらしい。
 パリで食中毒にあたるのは、日常茶飯事とか。  

Posted by アッチャン at 03:53Comments(0)paris

2007年03月13日

ポンピドーセンター



一日中、ポンピドーセンターのベンチに座って、インターネットをしている。お尻がいたーーい。
お腹が空いた。 すぐに、このインターネットが切れるので、ブログを書いていたのに、全部消えてしまった。マルセイユ行きのTGVのチケットはやっと予約できたが、プリンターがないので、困る。
そろそろ帰らないと。えっと、何時間してたかって?7時間です。


私が座っているベンチの前の光景です。前はエスカレーター、さっきまで人が沢山昇っていましたが、少なくなりました。


映画館、美術館、なの全く関係なく、インターネットをし続けけるなんて、、、、。  

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