2007年03月12日

日曜日の蚤の市




 日曜日の朝は、蚤の市がパリでは34箇所で催される。電話があり、郊外から、来る知人と蚤の市に行くので、行かないかと誘われた。急いで、バスに飛び乗った。
 郊外から来られた夫妻は、5日前に、日本から帰ってきたばかりだそう。日本で、2ヶ月滞在して、その間に、個展をされている。シンプルでとても感じのいいご夫妻だ。
 




14区のVenves の蚤の市の周りで車を止める場所を探して、何度も同じ道を行ったり、来たり。禁止地域まで、びっしりと車が止まっている。運良く、ペイヨンの所が開いたので、そこに駐車した。
 ぶらぬら見て歩くのは楽しい。なんでもある。がらくたから、古本、アクセサリー、真鍮の取って、
子供のおもちゃなども売っている。



 ご主人は、ガラスや食器にくわして、掘り出し物のワイングラスの良いのがあるから、興味があるのなら、買っておいたら、と薦めて下さった。サンルイの19世紀のもので、手でカットしたもので、とても値打ちがあるらしい。12個で売られていたのを、6個にしてもらい、ご主人が交渉してくれた値段から、さらに10ユーロ安く買えた。日本では、この7倍くらいの値段はするらしい。
 今度は、銀のスプーんが、安物の中に混じっているのを、取り出して、買っておくように薦められた。2本で10ユーロ、ミネルバのマークが入ったもの。店の主人も知らない内に買っておいたほうがいいと。最後に、銀細工をほどこした、小さな、お塩とコショウを救うスプーん、2つで一セットだけれど、片方だけ売っていた。これも、20ユーロだと言うのを最後に10ユーロで買った。銀の上に
金メッキが施されている。小さなさじに細かい細工がされていて、高価なもの。
 めぐり合いなのだ、と言われた。自分のほしいものに、出会わない事も多いのに、今日は、出会いが良かったのだと。そう言われて、嬉しくなった。財布の中には、小銭で9ユーロ15セントしか
残ってない。これから昼食に行こうと言われた。近くのカフェで、昼食のメニュが9ユーロのシュークルットがあり、これがいいということになった。出てきたシュークルートは、ソーセージ2個と大きな豚の煮物の上に、沢山シュークルートが乗っていて、皆,ほとんど残してしまった。良い買い物をしたから、カードで、私がご馳走しようと申し出ると、割り勘にしようと、頑として受け入れてもらえなかった
小銭ばかり集めて、9ユーロ払うと、財布には、クレジットカードだけ。
 バスの定期を買っているので、お茶を誘われたけれど、用事があるから、とお断りして帰ってきた。  

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2007年03月12日

ギャラリー




フリゴ、周りの近代的な建物に抵抗するように、残された建物がある。その中に、様々なアーティストが住んでいる。国鉄の格納庫だった建物で、その周りの倉庫や、バラックに住んでいたアーティストや、工事現場の人達は、立ち退かされたり、この建物に入った。
 従妹は、10何年も前から、ここに住んでいて、図書館が出来、再開発が進み、この建物だけは、
記念物として残った。
 ギャラリー兼、レストランを始めて、1年近くになる。改装工事を時間をかけて、一人で完成させたという。なんでも自分でやってしまう器用な人だ。義理の父親が、水道工事の仕事をしていたので、
母親も、それを手伝って、男並みの仕事をしていた、と以前に聞いたことがあった。
 メゾン、ド、フリゴ(彼女のレストラン兼アトリエの名前)で個展が開かれた。久しぶりだという。初日に行く予定だったが、パリについて、二日目で、
夕方からちょっと、横になったら寝てしまって、行けなかった。翌日みやげを持って行くと、私が来ると言っておいて、来なかったので、日本人ってそんなにいい加減なのか、と友人にあきれられたと、いつもの調子で、からかうように言われた。



 中は、以前とすっかり変わり、広々として、ギャラリーになっている。彫刻家の作品が並んでいた。お客が一人、食事を終えて帰るところだった。
 従妹は、ふっくらと肥えている。それでも工事で10キロやせたそうだ。毎日、食事の残り物が出るので、食べるものには困らない。それどころか、毎日、捨てているそうだ。
白い壁と、カウンターはオレンジ色に塗られている。
普段は、グランドピアノを置いて、コンサートなども出来るようになっているらしい。



 個展をしている彫刻家のご主人は、映画の脚本家で、アラン、ドロンと、ロミーシュナイダーが主演した、「プール」という作品も彼が書いたものとか。日本では、題名が変わっているかもしれない。
 小さな毛の長い犬と、猫が二匹、ギャラリーにいる。私が知っていた、黒の大きな犬、他の5匹の猫も、皆死んだときいてたので、ニューフェース達。
 近所に住んでいるアーティストが、チョコレートケーキを買いに来て、しばらく帰らないで、作品を見ている。彼女は、「この人知ってるでしょ。」と言われて、見ると、ハンサムな彫刻家、と呼んでった人、白髪になり、腰も少し前かがみになって、入って来られた時にわからなかった。
 ギャラリーを見に来る人はほとんどいなくて、閑散としている。昨日が初日にしては寂しい。


 残りものの白ワインだから、と言って、野菜サラダを添えて、出してくれた。商売物を頂戴するのは気が引けるもの。捨てるものだから、と言うので、有難くいただく。
 










 




 
    

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2007年03月10日

藤田嗣治について

 






  藤田についての某画家の意見は、私の脳裏から離れないでいる。確かにそうかもしれないが、 人間性とはなにか、という疑問が沸いてくる。フランスは、最も素晴らしい芸術、最も人間性の貧しい国だ、という皮肉った表現があると、フランス語の教室で聞いたことがある。



 素晴らしい芸術を作り出す人は、ある意味で、狂気をはらんでいるように、私は思う。ランボーに嫉妬したベルレーヌの狂気、ゴーギャンに自分の耳を切り落として送ったゴッホの狂気、モーツアルトは、人間的には最低、狂気の人だったといわれてるが、彼の音楽は、神の芸術、聞こえてくる天上の音楽絵を譜面に写す作業をしていただけだ、という。それはギフト、才能なのだ。サリバンは人物としては優れた人であったが、モーツアルトの才能に激しく嫉妬した。いくら努力して、積み重ねても、「神のギフト」に及ぶことは出来ない。



 藤田は、やはり狂気の人だった。戦争に加担したのも、彼の狂気、ファナティックな面があった。



だからこそ、彼の作品は、人の心を惹きつける力を持っているのだと、私は思う。



 酒におぼれ、衝動に動かされ、突っ走って行くのは、それは、日常の自分ではない。なにか」目に見えない力に突き動かされている。犯罪者が、その時自分が何をしたのか覚えていない、というのもそうなのだろう。



 藤田の絵は、彼が日本人であるということを、強く主張している。日本人であること、日本を愛し、



日本を誇りに思っていた藤田の才能が光を放っている。私達への「神のギフト」



 戦後、藤田の絵画に、その光を放つ力はなくなった。パリで、パリの寵児として、君臨していた頃の藤田の絵画、乳白色の肌を、毛筆の細い筆で輪郭を描く手法は、日本画の伝統的な技を用いたもの。

  

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2007年03月10日

サンジェルマン、デ、プレ






 サンジェルマン、デ、プレの画廊街で、木曜日には、沢山の画廊で、展覧会初日のお披露目が行われる。その日には、ワインや飲み物、ちょっとしたおつまみも用意されている。
 1936年ブルガリア生まれ、1949年にイスラエルに移住した人で、テルアビブの美術学校で学んだ跡、アメリカのイスラエル文化財団の給費生としてパリの国立美術学校で学んだという経歴の持ち主の、Moreno Pincas の会場では、部屋中人で溢れていた。どこか、映画か、テレビで見たことのある顔ぶれも。東欧圏から出てきた人達が支えあって、その画家を支援していると聞いた。その画家が描く人物も動物も、それは醜い顔をしている。 激しい色使いで、インパクト十分な絵。日本人には、とても描けない世界。ここに来る前に、ある日本人画家のアトリエを訪ねた。
淡い色調で、形としての形を持たない風景を描いている。靄にけむる薄明かりの世界を見せてもらっただけに、その対象性の際立ちに、日本人的世界を再認識するような思いがする。以前にお伺いした日本人画家の絵も、赤と黒の2色で構成されているシンプルな絵画だった。この画廊の画家の絵は、これでも随分落ちつたらしい。



 その他の画廊も、沢山人が溢れ、誰でも入って見ることも、ワインを飲むのも自由。通りを歩いていると、可愛い年配の女性が、同行の画家と親しそうに話している。松谷さんという日本人画家の奥さんとか。上手に日本語を話される。今日は、女性の日、日本で言えば、3がつ3日のお雛様にあたるそうだ。画廊で、20世紀に活躍した女性達をモチーフにした展覧会のベルインサージュに
来られたとか、そこも覗かせてもらった。店に行くたびに、ちょっとワインをいただく。どこも安物のワインばかりで美味しいとは言えない。

 興味深い、展覧会があった。一見ボッシユ風の風刺的な要素を持った作品。見ていて、違和感なく、楽しい、という気分にもさせてくれる。おもしろい、と。作者に遊び心と余裕を感じる絵だ。

 近くの、テイクアウト兼、中でも食べられるという店に入った。好きなものを入れてもらって、会計をすませて、食べる。マクドナルド方式。おすしと中華があって、値段が安い。私はラーメンと、生春一つ頼んで、6ユーロ80セントだった。春巻きの味は悪くないが、ラーメンの麺があまり。ワインは美味しくて安い。人気があって、いつも混んでいるそうだ。サンジェルマン、デ、プレはインテリジェンヌで、お洒落な場所、その中に、こういう店があるなんて。この界隈は寿司の店が目につく。
 食事も、ヘルシー志向なのだろうか。  

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2007年03月09日

 ピアフの生涯



エディットピアフの生涯を描いた映画「LA、MOME」をこの近くの新しい映画館「MK2」に見に行った。朝一番の部は、5ユーロ90セントで、通常の半額だから、と友人お勧めの映画だった。
 10時55分からなので、10時40分に着くと、ドアはまだ開いていない。中から男の人が、両手を広げて、あ10分だと教えてくれた。切符を買って、エスカレーターを降りると、部屋が両側にわかれて、赤い色調で、デザインが素晴らしい。私の映画は、2番の扉、中に入ると、やはり真っ赤な色で、壁も、椅子も統一されている。当然のことながら、私一人。しばらく待っていても、誰もこないので、間違いはないかと心配になる。予告編が始まりだすと、人がちらほら入ってきた。予告編が長い。本編が始まった。私の涙腺は、最初からゆるみっぱなしだ。ピアフを演じているMarion Cotiland という女優は、見事にピアフを演じきった。

 子供時代から、栄光の時代へ、成功から、傷を得て、失意の時代へ、彼女は常に、誠実で、繊細、ひたむきな人生を生きた。特に、ボクサー、マルセルとの、愛の物語の描き方が素晴らしい。
 私は以前から、ピアフの物語をテーマにした、舞台や、テレビなども見たが、これほど見事に
ピアフを描ききった作品は知らない。今、こうして書いている内にも涙でキーボードがかすむほど、
余韻にひたっている。マルセルに恋するピアフの逸脱した、可愛さ、美しさの表現が見事だった。
 彼女は苦しさに耐えられず、麻薬に救いを求め、廃人のように変化していく姿も見事、その中で、
常に、誠実に、不器用に、真っ直ぐに生きるピアフの魅力があますところなく描かれていた。


 私の大好きな「いいえ、何もない」という歌を、歌うピアフは、売り出した最初に着た黒の衣装に身を包み、小さな体が威厳に満ちていた。きっぱりと、澄み切ったその声と少しも違わない、彼女の生き様を、表現している「リアン、リアン、ド、リアン、リアン、ド、リアン いいえ、何もない、何もないの、何もない、何もないの、私は何も後悔することはない、、」という
歌が、心に響き渡る。愛に生きたピアフ、傷つき、悩み、それでも誠実に、拒まず、愛を貫いた、永遠のピアフ。

 MOME]というのは、ピアフになる前の、デビュ当時の名前で、ジェラルデュー、ドバルデュー演じるプロデューサーがつけた名前。幼いピアフを、戦争から帰ってきた父親が預ける娼婦の館の女主人に、イブモンタンの奥さんのシモーヌ、シニョレによく似た俳優が演じていたのも興味深い。  

Posted by アッチャン at 16:41Comments(0)映画

2007年03月08日

画家を訪ねて、藤田の話




パリ在住40年になる画家を訪問した。 しばらくご無沙汰だったが、お会いすると、以前と全く
変わらない元気な方、以前にお会いした時に、プラスティックをつぶしたオブジェをいただいた。
今回訪問すると。所せましといろんなオブジェが飾ってある。石や木を森から拾ってきて、命を吹き込むというのが、作品作りの目的にある。忘れられ、朽ち果ててしまう、自然に人間が手を加えることによって、再び生き返らせようという試みだ。


 


 藤田嗣治の話になり、私が、京都での生誕120年の回顧展を見てきた印象を述べると、藤田を認めていないという答えが返って来た。
 パリに来て、モンパルナスのキキを自分のものにした藤田は、キキに日本の着物を着せたりして、
得意げに連れまわしていた。パリの寵児として持てはやされ、スノッブで、自分が常に上でなければならなかった。日本に帰り、戦争に加担し、民主主義と自由への弾圧で獄中に置かれた画家達が、戦後、藤田を非難したのは当然であり、そういう日本から逃げ出した藤田を評価していない。
 ピカソ、ダリ、ミロと3人のカタロニア出身の画家の中で、ピカソは卓越しているのは、「ゲルニカ」
を描いたから。ピカソの次にダリ、ダリは、誰にも迎合しないで、王室の注文にも風刺画を描いている。オランダのレンブラントが優れているのは「夜警」を描いているから。
 藤田が、戦時下に日本に帰らず、レジスタンに参加しないまでも、戦争に抵抗する絵を描いていたのなら立派な絵描きだと言える。何の為にパリに来て、絵を描いていたのか意味がない。
 そういわれれば,確かにその通りだ。

藤田は子供だったのだ。だだっこだった。戦争に対して、子供がわけもなく、戦争に行きたがるように。日本でつまはじきにあうと、パリに行けばいい、もう二本には帰ってやらないぞ、という態度で日本を離れたランスのシャンパン会社がスポンサーになり、藤田の礼拝堂作った。フランスでは、教会として認めていないとか。
 フランスで藤田の展覧会が出来ないのは、戦争中に、レジスタン運動に参加した画家達が、まだ生きているからだ、と。 自由に、表現したいという画家が、戦時下で、弾圧にあい、アメリカに行った画家も居れば、ドイツに帰った画家もいる。虐殺された人達もいる。日本に帰り、戦争画を描く
事を、拒否出来る環境にありながら、あえて、戦争に加担するのは、人間としては認めるわけにはいかない」、というのが、画家の見解だ。  

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2007年03月06日

パリのホテル


 ideal hotel 昨日から泊まっているホテルは、4番線の終点駅ポルト、オルレアンの駅前にあり、二つ星から三ツ星に昇格したホテル。インターネットで、随分長い間探して、利用者の評判も良く、地の利も便利、値段も安い、インターネットが無料で、という願ってもない条件で、予約を入れた。
インターネット価格は、随時変更される。このホテルは、次にアクセスした時には、55ユーロで予約した部屋が、79ユーロに値上がりしていた。昨夜、友人とサンミッシェルの界隈を歩いていたら、
彼女の友人達3人が泊まったというホテルがあった。彼女は、ここは良くない、部屋は狭いし、というので、ホテルの名前を見ると、ホテル検索で、利用者の満足度が低いホテルだった。とても場所がいいので、サービスも設備も悪くても、客には困らないのだろう。


 
昨夜は夜明けまで起きていたので、今朝は朝食を逃してしまったけれど、高級ホテルが使ってる上質の快適に安眠できるベッドなので、熟睡出来た。ツインベッドを二つあわせた大きさなので、
一人では贅沢。シャワーの水量も豊富で、熱いので、疲れが取れる。部屋は清潔で、綺麗に掃除も行き届いている。申し分ないホテルでお勧めのホテルだ。ホテルの前に、トラムが走っている。
これが、去年の12月に出来た、新しいトラムで、porte de Versaille と、セーヌ左岸を直線で結んでいる。 
 


 随分以前の事だけど、サンミッシェルの語学学校に4週間の集中講義を受けるのに、学校はホームステイか、シャワー付のホテルを斡旋していくれるというのに、私はどういうわけで、そのホテルを予約するにいたったか、思い出せないのだけれど、一つ星のサニーホテルに一月滞在した。部屋にはシャワーはなく、
ビデだけがついている最低の設備の部屋。シャワーは共同で、鍵を借りて使用するようになっていた。イデアルホテルは、それに比べて贅沢すぎる。


 
 外に出ると、昨日とはうって変わって、パリらしい寒さ。アレージアまで歩く。周りには、なつかしの
フランス語、パリだ、わけもなく嬉しく、気分が浮き立つ。昨夜、友人と約束している、National駅前にある「タオ、タオ」に。道すがら、オルガニックばかり扱っている店をのぞいていると、バスで行く時間がなくなったので、アレージアから一駅上がったDenfer Rechereau ダンフェール、ルシュリューで、6番線のNation ナシオン行きに乗り換えた。地下鉄は地上に上がったり、地下にもぐったり。10分ほどで、ナショナルに着いた。
 ナシオン駅から下を見る

早すぎたかな、と思ったら、彼女と息子さんと鉢合わせ。
 今日は彼女のおごりなので、10,5ユーロのメニュを断固として注文。彼女は、アラカルトを取ろうと言ってくれたけれど、昼食なのに、ランチで十分、メニュは、前菜と主食、デザートまでつく。



 前菜のベトナム風の春巻きが美味しい。パリに来ると、何度か、ベトナム春巻きを食べずにはいられない。店によって、味は多少違うけれど、大体、どこで食べても美味しい。店に「ザガットレイト」
のラベルが何枚も貼っているので、ここは美味しい店だ。
 
 私は、この店には何度か来ている。従妹の友人が連れてきてくれたのが初めて。北京ダックを食べて、その美味しさに感激した。弟夫婦が子供達を連れてパリを訪れた際に、この店を推薦した。
二度目に食べた北京ダックの味は、以前に比べて、それほど美味しくはなかった。弟達に前宣伝が激しかったので、申し訳ない気持ち。同じものでも、調理をする人によって違うもの。料理人が変わっていたのだろう。

 友人達と別れて、ホテルに帰る道すがら、スーパーで、赤ワインの小瓶2本と、ビールを一本、オレンジ3個買った。4ユーロ90セント。ホテルの前に、サンドイッチと、クレープを売る店が出ていて、いつも買う人の絶え間がない。サンドイッチを買って、今夜の食事。簡単で美味しいパリの味。

 

 

 
   

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2007年03月05日

ルフトハンザ航空

 




朝6時24分のバスに乗り、北口から7時5分の関空行きのバスに乗った。母には、朝早いので
見送らなくていいと言ってたが、北口まで送ってくれるという電話があった。いつも母は、もよりの駅まで見送ってくれるので、それが旅の安全を保障してくれるように思えて、ありがたかった。
 ルフトハンザ航空は、出発時間が遅れるという表示があったので、ゲートに入らずに、ぶたぶらして時間を過ごし、早い目だけれど、アナのラウンジの券をもらったので、そこでまだ食べていない
朝食のかわりになるようなものをつまもうと思って、南ゲートに行くと、ものすごい行列が出来ている。
関空で、こんな状態に遭遇したことはなかったので、あわてて、整理係の人に尋ねると、北のほうが空いていますよ、と言われた。北のゲートの行くと、ここも人の行列が長く続いている。関空の朝の便は、いつもこんな状態なのかと聞くと、検査に時間を取るようになったので、余計に時間がかかっているとか。夕方7時くらいの便でアメリカに行く時に、最近はいつもガランとしているので、関空は、歓呼鳥がないているのかと思っていたら、そうではなかった。そういえば、アメリカに行く飛行機の中で、隣に座った男性が、関空に勤めている人でアジア便に力を入れていると言ってたっけ。30分待って、やっと中に入ることが出来た。アナのラウンジは、入ってすぐ、免税店の傍にある。
 食事に変わりになりそうなものはなかったが、おつまみのおかきと、ビールで、お腹は収まった。
 ルフトハンザと全日空の共同便で、飛行機は出発時間になると、すぐにゲートを離れ、離陸待ちもなく、すんなり上空に飛び立った。ユナイテドでは、ゲートを離れてから、飛び立つまでに40分ぐらいかかるのは当たり前で、ひどい時には1時間半ぐらい、飛行機の中で待っている事もある。
 そういう時は、次の飛行機の乗り継ぎに間に合わないのでは、といらいらする。おまけに、トイレに行かれないので、じっと我慢しなければならない。 
 ルフトハンザの機内食は、ヒルトンホテルが管理している。ヒルトンに入っている「源氏」という日本食のレストランのシェフが和食を担当している。食事もワインもとても吟味されていて、シートも
快適、170度倒れる。ユナイテドのファーストクラスと同じシートだ。
関空からフランクフルトまで11時間30分程。

前菜撮るのを忘れて、食べてしまった。これはメインのサーモン

デザート

 赤ワイン2杯、白ワイン4杯、機内で飲んだアルコールの量、多いですね。反省。
いつもは、機内で眠るのですが、2時間寝て、あとは、映画を見て過ごしました。
「クイーン」「マリーアントワネット」「ロッキー最終戦」 どれも日本語版で。
ルフトハンザには、スナック用に、おにぎりがあります。おにぎりが美味しい。  

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2007年03月05日

パリ到着

機内食

 フランクフルトに到着するのが遅れた。パリ行き4時30分に乗り込むには30分しかなかった。迅速かつ必死に対応したおかげで、飛行機に私の体は間に合ったけれど、荷物の積み替えが出来なかったらしい。荷物が出てくるのを待っていたら、アナウンスで私の名前が呼ばれた。今夜か明日の朝の配達になるという。トイレット用品の入ったバッグをくれた。こういうサービスは始めてで、感じは良かったけれど、以前にもディレイがあって、一日分は対応できるようにはしてある。いらないと言うと、なんとも怪訝そうな顔をされて、もらっておくことに。翌日の朝はまだ来ない。電話があり3時になるという。「ずっと待っていて、困るから少し早くならないか。」というと、皆困っている、という答え。確かに。
半日以上つぶれて、美術館の,月に一度のフリーデイを逃してしまった。けれど、友人手づくりの美味しい食事をご馳走になった。


友人親子は、親し彫刻家にお茶に招待されていて、私の話をすると、一緒に、と誘われた。その人には以前に何度かお会いしたことがあり、私の事を覚えていてくれた。
アトリエの机の上にカラフルなオブジェが楽しい雰囲気をかもし出している。お菓子と美味しい紅茶をいただいた。ジャクリーンという芸術家に会ったのはもう随分前のことなのに、彼女は、可愛くてシャイな人柄は、少しも衰えていない。



 昼食も遅く、その上にお菓子をよばれて、お腹は少しもすかない。夕食までに、サンミッシェルに行き、セーヌの辺りを歩こうということになった.夕闇の迫ったセーヌ川に光の影が揺れて、川面に座って語らうカップル、幾人かの恋人達はゆっくりととそぞろ歩きを楽しんでいる。
「ケルボー」なんて素敵な景色でしょう。



 橋を挟んで向かい側には、ノートルダム寺院が光の中に、壮大で神秘的な姿をあらわしている。周りの人影には全く気づかないほど、圧倒される荘厳な雰囲気をかもしだしている。雨の日の午後、その心境を歌った、高村光太郎のノートルダム寺院とは、少し違った幻想的な姿。


 
サンミッシェルには、昔、季節は同じ3月に、近くにあるユーロサントルというスイスの財団が運営している語学学校に通った思い出が多い。
クレープの店や、ギリシャ料理のレストランが路地裏に軒を構えて、学生向きの書店も多い。友人のお勧めの中華料理の店に行った。店内は満席状態、
焼き飯と、シンガポール焼きそば、えびのスープを注文した。美味しかったね、と言ってから、しまった、写真を撮るのを忘れている。どうしてこうも
食べることに頭が行ってしまうのだろうか。
 二人と別れて、サンミッシェルから直通で、今夜泊まるホテルまで帰った。部屋に入り、コンセントのアダプタとカメラの充電機を友人とアパートに置き忘れていることに気づいて、再び、友人宅に。地下鉄とバスを乗り継いで、往復1時間かかってしまった。ホテルでインターネットがフリーなので、どうしてもブログを更新したかった。ああ、もう夜中の3時。
  
   

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2007年03月02日

パリ行きの準備

 

パリに行くのは久しぶりだ。フランスの各地は廻っているが、パリに寄る機会がなかった。その間に
パリは随分変貌を遂げているようだ。1ヶ月の滞在となると、それなりに準備に時間がかかるのに、明後日に出発を控えて、気分はいらいら、身体はついていかなくて、何も出来ていない。心うきうきという気分にはなれないし、ブログを書く余裕もない。旅行ガイドを見ると、地方で行きたい場所は山ほどあるけれど、パリを十分満喫するのにも、1ヶ月では足りないのだから、今回はパリの近場を探索しようか、とか用意もしないで、行ってからのことばかりが気にかかる。
 とにかく、用意しなくちゃ。明日、一気にやろうっと。  

Posted by アッチャン at 02:06Comments(0)旅行