2007年04月29日

 加藤剛の「愛、3部作」

 




 映画のパンフレットを探していて、加藤剛が俳優座の舞台で演じた「波」「門」「心」の「わが愛」3部作のパンフレットを見つけた。「波」は山本有三の原作、あとの二つは、夏目漱石の原作。
長らく忘れていた舞台での臨場感が、再び蘇った。若い、美しい、加藤剛の写真を見て、二度と見ることの出来ない、若い加藤剛の姿を、劇場という空間の中で共有することの出来た喜びに浸っていた。
 


大阪の厚生年金会館で、「波。わが愛」の公演の時には、母は足を痛めていたので、自動車を運転して連れて行ったと記憶している。息子さんが、子供の役を演じていた。
神戸の文化ホールでも、公演があった。労演には、一人で通っていたが、この3部作は、加藤剛フアンの母を誘って行った。他に、「マクベス」三越で好演した「お前にも罪がある」「白痴」などのパンフレットがある。
 ドストエフスキー原作

 演劇は、一回限りの舞台、二度と復元は効かない。その記憶を蘇らせてくれる手助けとして、パンフレットは貴重な役割を果たしているのだということを、改めて実感した。

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 三越での「誰にでも罪がある」という舞台では、公演が終わってから、楽屋口に行くと、加藤剛は、黄色いガウンを来て、フアンの一人、一人と握手を。普通の人ではない。透き通るように澄んだ目をして、輝くオーラに包まれていた。妖艶といえるほどの色気を漂わせていた。清潔感があり、どこか女性的な雰囲気があった。特に、手の手入れを怠らないという、加藤剛の手は、貴婦人のように白く、柔らかかった。

   

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2007年04月27日

有馬温泉「楽山」

 突き出し

 有馬温泉は、日本の3大名湯に数え上げられる温泉だ。行けば、一月に一度は、といいながら、半年、一年に一度くらいになってしまう。五月の連休を前にして、今が空き時、思い立って、どこか安い所はないかとインターネットで検索した。

 トロと鯛のお造り神戸牛

 以前に、やしきたかじんの誕生会をかねてゴルフ大会があったという日に、たまたま友人と泊まった
旅館「兆楽」には、何度か泊まったことがあるが、その本館(古い方)は「楽山」という名前で、値段も安いが一度も泊まったことがなかった。

 若竹と野菜の取り合わせ 

「兆楽」はお料理が美味しいという評判の旅館で、新しい露天風呂も出来て、申し分ない旅館だから、古い方の旅館に泊まる気がしなかったからだ。

 残念ながら、SDカードが入ってなかったので、これから先の写真は撮れませんでした。

 「楽山」が、月、木曜日は、特別に安い料金で泊まれるというので、一度試して見ることした。
お部屋は、「兆楽」のいつも利用している部屋よりも、良いくらい。お部屋にバス、トイレもついている。食事も品数は多くないので、無理して食べなくて、丁度良い。味も悪くない。
 気に入ったのは温泉の質が極めていいことだ。塩分の強い金泉は、沈殿物も多く、とても濃い。天然ラジウムもかけ流しで、この宿は自身で源泉を持っている数少ない旅館の一つ。「兆楽」の湯は、ここから引き上げているとのことだから、まさに元湯。
旅館内の清掃も行き届いて、所々に生けている茶花も風情がある。難点は、昔の露天風呂は、旅館の外にあったらしく、今は屋内になっているけれど、エレベーターがないので、登り降りの出来る人でないと、難しいということ。それを除けば、 
 一人一万円を超える程度で、天然温泉、部屋食の二食付き、申し分のない旅館だと思う。
   

Posted by アッチャン at 21:33Comments(0)旅のグルメ

2007年04月26日

オードリーヘップバーン



NHKでも、特集として、取り上げられた、オードリー、ヘップバーン、私も彼女の映画は殆ど見ている、と思っている。スピルバーグが「彼女は妖精」だと言ったが、まさにオードリーにぴったりの表現だ。小学生の時に、オードリーヘップバーに似た、やせっぽっちのノッポの女の子がいた。彼女は他の生徒とはかけ離れて背が高いので、年長のイメージが濃かった。



 オードリーの魅力は、性的な匂いの無いところにあるのではないか、と思う。 実生活では何度も結婚、離婚を繰り返しているけれど、既婚者というイメージはない。「ティファニーで朝食を」で、彼女は、お金持ちを相手にして暮らしているけれど、性的な匂いは全くない。初老のプレイボーイに恋する「昼下がりの情事」でも、最後には結婚する二人、全く性的な匂いはなし。



 私が一番好きな映画は「尼僧物語」、この映画に触発されて、尼僧に憧れた。トラピスト修道院に入ろうかなんて。金メッキのおもちゃのロザリオをいつも手にかけていた。勉強しないのに、良い点が取れますように、片思いの男の子の幸福を祈ったり、勝手な願いをロザリオに託して、、、。
 「尼僧物語」でも、オードリーが病気になり、恋心を抱く医者に、背中を見せる場面があるが、性的な匂いはしない。
 彼女には、男女を問わずフアンが多いが、特に女性に好かれるのは、性的な匂いがしないから。それでいて、気品があって、綺麗で、スマート、映画の中で彼女の役柄は、優しくて、チャーミング、女性が憧れる要素を全て兼ね備えている。そういうことを総称すれば、「妖精」としか思えない存在なのだ。

 

彼女がもしも、性的な匂いが強いスターだったら、「永遠のオードリー」ではなかっただろう。現実には、結婚、離婚を繰り返し、子供も出来ているのだから、現実には、醜い諍いも、苦悩も、性的な匂いもあっただろう。オードリーは、常に、自分に正直に生きようとしたので、「スター」として作られたイメージとのギャップに苦しんだ。後年60を過ぎて、皺も深く、彼女は老いをそのままに、アカデミー賞の授賞式にも出席していた。エリザベステイラーのように、アンチエイジングで色気を振る舞うことはしない。「スターになりたくなかった。」女性の自然の姿があった。  

Posted by アッチャン at 14:57Comments(0)映画

2007年04月25日

テオドール、ロムロ

  このパンフレットは、2007年1月21日から4月19日までEL PASO MUSEAM OF ART で開催されている、展覧会のもの。



 テオドールと再会するのは10年ぶりだ。私の記憶では、もっと以前だと思っていたが、吉田賢治画伯が、メキシコの近代美術館で、大々的な個展をされたのが10年前の1997年だったと、書いている。その個展に誘われて友人3人で参加した。吉田賢二の絵画を扱っている、画廊や、コレクターなども参加して、メキシコ一日旅行の案内を買ってくれたのが、テオドール、ロムロという画家だ。



彼は吉田さんをパパと呼び慕っている。1年の一番季節のいい2,3月に、吉田さんは、テオドールの住むメキシコに、以前は毎年のように滞在し、テオドールが持っている広大な土地に、恵まれない子供達の学校を建設したいと言っておられた。友人二人は日本に先に帰り、私は息子のいるアメリカに行く前に、吉田さんの海軍時代の友人夫妻と一緒に、テオドールの家に泊めてもらった。奥さんと、沢山の子供達は、皆、明るく、テオドールのお母さんの家にも連れていってもらったり、メキシコ人の生活ぶりを見せてもらった。家中に、テオドールの作品が置かれていて、泊めてもらったお礼代わりに、リトグラフを分けてもらった。


 そのテオドールが、フランスにも奥さんがいて、スイスでの個展の合間に、パリに帰ってきたので、吉田さんのアトリエに、ひょっこり訊ねてきたらしい。その日、私は銀行に朝から出かけて留守だった。私が日本に帰る2日前に、吉田さんは、絵を預けたいから来てほしい、と言われ、テオドールにも電話をし、私達が会えるようにセッティングをしてくださった。




 夕方6時に吉田さんのアトリエを訪ねると、テオドールが先に来ていた。吉田さんの手料理をいただき、お酒を飲んで、3人とも上機嫌。テオドールが持ってきた個展のパンフレットに、彼は気軽に、絵を描いてくれた。白紙の開いた部分一杯に、インクで。吉田さんは、とっておきの作品を見せようか、これは家族に残そうと思っている作品だ、と見せてもらったものの中から、私は、小さいのを2点、分けていただいた。テオドールと吉田さんは、私を送るついでにやってきて、そこでまた、3人でビールを飲んで別れた。 明日も会いたいと言われたが、日本に帰る前日だから、部屋中の掃除と、冷蔵庫の清掃もあるので忙しいからとてもそんな時間はない、と断った。



 夜遅く、吉田さんから電話があり、私のアパートの電話番号を教えたので、翌日電話があるかもしれない。フランス人の奥さんが仕事に出ている間、暇をもてあましているから、と。
 翌朝、何度か電話のベルが鳴っていたが、無視して掃除。そのうちに鳴らなくなった。テオドールではなかったかもね。



吉田さんが「若い女性と見ると、追いかけ回している。こうみえて、女の人にもてもて」というテオドール、「人生は一回かぎりだから、アムールが人生」とすかさず答えるテオドール。女性のおっかけフアンも多いとか。それ、おばあさん?画業はいたって繁盛しているようで、シカゴ現代美術館。シカゴ美術館を始め、パリの版画美術館、アルゼンチンのベノスアイレス版画美術館などに、コレクションされている。

   

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2007年04月17日

東京タワー、オカンと僕と、時々オトン

 

http://www.tokyotower-movie.jp/
東京タワー

 テレビで見た、僕の印象が強かったので、私はそれほど入り込めなかったなかったけれど、場内では、あちらこちらから、すすり泣きの声が聞こえてくる。中には、グシュグシュに泣いている人の、ずずっと鼻をすすりあげる声も。




 東京タワーは、下に、ごちゃごちゃと建物があるので、円形の切り抜きが台無しになって、それで美しくないのだと、パリ在住の吉田画伯から聞いたことが気になって、見ると、なるほど、その通り。
 それでも、随分前になるが、東京プリンスホテルの部屋から間近に見た、東京タワーには感激した。
映画では、東京タワーの夜景がよく見える病室で、いつか東京タワーに一緒に登ろうね、と約束していたのに、オカンは、その病室がついの住処になってしまった。僕は、オカンの位牌を抱いて、約束の東京タワーにオカンを連れて行く。別れた彼女も一緒に。
 オトンは、オカンが僕を連れて、実家に帰って以来、「あんな自由な人は見たことがない。」とオカンに言われるがままの、気ままな生活を続けて来たけれど、オカンは、オトンにとって、阿弥陀様か、観音様のような存在だった。オカンが死んで、僕はオトンに、仏像の絵をほしいと頼むと、オトンは、「完成すれば、」と答える。これは重要なせりふだ。幼かった僕に、オトンは船を造って、もう少しで塗り上げるところで、放り出して僕に渡す。
 未完成のままに、オトンが置いておくのは、そのことで、絆がつながっているという意識の表れであり、オトンの願望でもある。 もしかすると、オカンと別居しているのも、一緒にいると壊れてしまうかもしれない関係を持続させる為だったのだろう。
親子で、オカンを演じているのも興味深い。声も、言い回しも、そっくりだ。僕(オダギリジヨー)はテレビで見た僕よりも、優しくて分別があって、私は、どちらかというと、くせの強い、大泉の僕の方が印象的だ。部屋借りの生活をして、内職で生活しているオカンからお金を無心して、遊びに使っていたという僕に、オダギリジョーのイメージは繊細でスマートすぎるような気がする。

 樹木希林(オカン)は、事実、彼女も乳ガンの手術を体験している。網膜剥離で片方の目が失明していたのを知っても、彼女にはぜんそくがあるので、手術はしたくないのだ、と語っていたが、その後、乳ガンになった。大変な思いをされたのだろう。彼女は自然体で、オカンを演じきっている。この映画の見所は、なんと言っても、オカンを、親子のリレーで好演していることだろう。オトン役の小林薫も、はまり役だった。  

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2007年04月10日

エルメスのケリーバッグと新作バッグ

 


フォーブル、サントノーレという通りは、シャンゼリゼから、パレ、ロワイヤルまで長く続いている道で、有名ブランド店が店を構えている。
アン、ロブという店を探して、歩いていると、コンクリートの割れ目につまずいて転倒、両膝を打ってしばらく起き上がれなかった。道行く人が、大丈夫かと聞きに来てくれる。こういうことはよくやるので、大体の状態はわかっている。しばらくして立ち上がって再び歩くことが出来た。店を見つけたけれど、お目当てのものはなく、シャンゼリゼから、パレ、ロワイヤルの方に向けて、フォーブル、サントノーレを歩いた。バレンチノの店の前で、黒塗りの車が待っている。用心棒らしき男が車の外にいる。


中からアラブ装束の婦人が出てきた。彼女のボディーガードだった。大きな黒塗りの車に乗り込んで、走り去った。オイルマネー?

  

幾つかの有名ブランド店を見ながら歩いていると、エルメスのお店があった。エルjメスは角にあって、両側は、ウィンドー、照明もあでやかで、一際美しく飾られている。ウィンドウの中に、いろんな色のケリーバッグと、新作のバッグが。各、ウィンドウの写真を撮らせてもらった。

   

   

 ウィンドーショッピングは楽しいなあ。目の保養です。小さな、ケリーバッグは可愛いい。  

Posted by アッチャン at 15:27Comments(0)旅行

2007年04月10日

ジョージ、オキーフ

 オキーフ
ボードレール
オキーフ
サラ、ベルナール

 昨夜、迷宮美術館で、ジョージ、オキーフが紹介されていた。オキーフの絵画は、ニューヨークのホイットニー美術館が集めているので、そこで彼女の絵を見て以来魅せられている一人だけれど、オルセー美術館で、パリのオルセーという企画で、19世紀の古いパリの写真展があった。その中に、女優のサラ、ベルナール、詩人のボードレールなどのポートレートと一緒に、オキーフの写真もあって、初めて彼女の素顔を知った。その写真は、夫の写真家が撮ったもので、彼女は裸体をさらけ出していたので、すごく大胆な人なのだと思ってみていたが、昨夜のテレビで、彼女は、ニューメキシコで最後を迎え、97,8才まで長生きした人だということを知った。





生き物の骨に生命力を感じ、ニューメキシコのお墓に供える造花と組み合わせて描いている。花を見て、彼女は自分の内面からの表現したいものを花の中に見出した。確かに、彼女の絵は、性的なものを感じるが、それこそ柔らかでしなやかな女性を表現している。そして彼女は、自分の裸をさらけ出すように、動物の白い屍に、強い生命を感じたのだろう。  

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2007年04月08日

シャンゼリゼ劇場で、フランス国立管弦楽団の演奏



劇場の前のブティック


ジャクリーンのアトリエを出て、シャンゼリゼ劇場に向かった。
フランス国立管弦楽団の演奏は8時から始まる。シャンゼリゼ
劇場近くの地下鉄「ポン、アルマ」から出ると、大雨になっていた。
劇場は7時半に開場するので、雨を避けて、戸口の前に犇めき合い、
待つ人々で芋の子状態だった。

階段

 私の席は、最上階の一番安い席、8ユーロ。舞台は見えませんよ、と釘を刺されていた。
最上階のボックス席は、案内人が鍵を持っていて開けてくれるのに、案内人はいない。各ボックス席の扉は閉まったままだ。待ちかねた人が、階下に案内人を探しに行った。しばらくして案内人と一緒に戻ってきた。私の扉74番の前に、もう一人、婦人が待っていた。彼女は、最前列の席に座り、友人と買ったので、今日はこの席だけれど、いつもは下のオーケストラ席だと言った。



私は4番で、二列目の奥の席、あとから夫婦が入ってきたが、すぐに階下の空いた席を探しに出て行った。そのまま、彼らは帰って来なかった。前列の連れの一人が入ってきて、前に座った。それからしばらくして、もう一人の男性がやってきて、3番の席を持って、どこかしら、という風なしぐさをするので、私は、あなたの席はそこですよ、と一つ空いている前の席を指すと、彼は私に、席を変わりましょうと言ってくれた。何度か遠慮したけれど、頑として彼は譲らず、私は親切を受けることになった。彼は後ろでずっと立ったまま舞台を見ていた。後ろにそういう気配を感じながら、前に座っているのは居心地のいいものではない。気がそちらにいって、演奏を聞く耳は集中出来なかった。歌舞伎の時のように、おばあさん達が座っている横にひじをついて覗かしてもらうというような
リラックスな状態ではなかった。途中で変りましょうといっても、彼はレディーファースト、笑ってそのまま最後まで、後ろに立ったままだった。
 バイオリンの女性演奏者のテクニックも素晴らしかった。終わって、前にいた婦人と連れの男性は、素晴らしい、素晴らしいと。私にも同意を求めてくる。


 オーケストラ席に幾つかの空席が見えていた。幕間になると、誰かがコートをその席にかけて置いている。始まる頃になると、皆空席は埋まった。私のように上から見ていた人がいち早く空席を確保したのだ。


 二部はオーケストラの演奏で、その頃になると、気持ちも慣れてきて、演奏を楽しませてもらった。
若い女性達の合唱がクライマックスに向けて入り、彼女達は、突如私の前の一段下がった通路に立ち並んだ。ひざ上くらいの鉄柵の前に立ち、楽譜を両手に持って歌っている。高所恐怖症の私なら、とても立てない場所だ。見ているだけで、体がぞっとして、身のけがよだち、倒れそうな気分になる。透き通る、天使のような歌声が響き渡った。

ポンアルマから見たエッヘル塔と観光船  

Posted by アッチャン at 00:31Comments(0)旅行

2007年04月07日

グランパレ



 金曜日、朝から銀行に行った。昼食後になるというので、近くにある台湾料理の店に行った。とても美味しいからと薦められた所、12時を過ぎる樋、小さな店は満員になった。




お昼のメニュは12ユーロ、単品だと9ユーロだった。飲み物付のメニュを頼み、海老とパパイヤの煮物を選んだ。ここのお勧めは、焼き豚だったと注文してから思い出した。隣の席の親子は焼豚を注文していて、焼豚が沢山乗ったプレートを見て思い出した。パパイヤも美味しいけれど、甘いのと、パパイヤの量が多いので、甘いものを食べながら、ワインを飲むという取り合わせの悪いものになった。美味しさも半減。焼き豚が美味しそうだった。そう、ここのタピオカが絶品と言ってたっけ。若い女の子達は、揃って、タポオカを食べている。お勧めのタピオカを思い出した。選択の失敗を悔やみながら。1時半に銀行に行き、新しい、わけのわからないものを薦められ、解約するつもりなのに、何故かまた、長期のものにサインしてしまった。わからないままに、つい薦められると、そういうことになってしまう。解約する場合はパリに来なければならないそう。こんなはずではなかったとまた悔やむ。

マドレーヌにある、ワインビネガーやからしのマリネーなどの美味しい店

銀行を出ると3時を過ぎていたので、近くの三越に行ってみた。適当なみやげ物はないかと見てみると、ユーロ高の為、どれもため息がつくような値段だ。定番のロンシャン携帯兼用のバッグは、日本で買うよりも2000円安いという。定価なら、ということだから、多分日本で買う方が安いだろう。友人が習っている常磐津の人間国宝の先生が買い物に来ていた。ネクタイを長時間かけて選んでから、マフラーやバッグを吟味して迷っている様子、昨夜、歌舞伎の公演が終わって、買い物をして日本に帰られるのだろう。三越には、ひっきりなしに日本の旅行団体がやってくる。休憩所があって、日本の新聞が置いてあり、トイレ休憩にもなるし、私は大して買わないけれど、重宝している。三越を出て、友人が美味しいからと薦めていたうどん屋の{国虎屋」という店を探して歩いたが、反対側のマドレーヌの方に行っていた。三越でもらったレストラン地図の番号を間違って見ていたらしい。

コンコルド広場

シャンゼリゼの公園

マドレーヌから、コンコルド広場に出て、シャンゼリゼ通りを歩いた。足が疲れてきた頃、グランパレの前にやってきた。
会場

日本人作家の作品

グランパレでは、5日間、毎日夜の9時まで特別展{アート2007年」というのをやっている。入場料は15ユーロ、高いので一旦ややめたものの、通りすがりにしろ何かの縁と思って、入って見ることに。この催しは、ギャラリーが、抱えている画家の作品を即売して売る特別展だった。イタリアなどの有力なギャラリーらしき所では、何千万円の作品を展示している。


見て廻るだけで、大変なエネルギーがいる。何しろものすごい数のギャラリーが出品しているのだから。以前の作品から、最新の作品まで、様々な絵画や、オブジェなど、面白い。ジャズバンドの演奏もあり、パーフォーマンスを演じているグループには、人だかりが出来ている。グランパレと言えば、特別展は人気で、いつも人の行列が出来ているのに、夜だからかな、と思ったら、商業的な催しだったのだ。でもこういう見本市r的な、絵の展示会も初めてなので、面白かった。


 そこを出たのは閉店時間の9時、バスでプラスイタリーで降り、中華街まで歩き、ベトナムラーメンの店でしばらく並んで待った上に、我慢できなくて、隣の空いている店の焼きそばを食べてアパートに帰った。



 橋の上で、スペイン衣装を着たモデルの撮影があった。私も盗み撮り。  

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2007年04月07日

ジャクリーンのアトリエ




 木曜日

 ジャクリーンから昨夜電話があり、今日の3時に彼女の別のアトリエに来ないかと誘いを受けた。
6時までなら、ということで約束。アパートの傍まで彼女が来てくれた。アパートに上がってもらい、お茶でもと言ったが、急いでアトリエに行きたいからと言われて、バスに乗る。ジャクリーンの亡くなったご主人のアトリエを見せてもらった。大きくて、採光も広い。ご主人の作品を世に出すべく、彼女の友人と奮闘中とか。絵画とステンドグラスを作っていた。発想がユニークな作品だ。




 紅茶を入れ、持って行ったマカロンでお茶をし、ジャクリーンの叔父さんが、メキシコの油田で働いていた頃の写真を見せてもらった。今朝、ジャクリーンが住んでいるアトリエにやってきたという画商が、ここにもやってきて、横柄に絵を引っ張り出し、こういう絵は興味ない、美術館に入っているようなのはないか、と尋ね、ご主人の若い頃の作品を見て、2,3枚気に入ったものの内で一つを選び携帯電話で誰かに電話をして、勝手に値段をつけて買いたいと申し出た。ジャクリーンは即座にノーと断った。そんなお金ではとても売れない。ジャクリーンが若い頃、モデルになっている作品で、とてもよい作品だ。画商は私に、50年代の中国画はないか、と聞くので、
私は興味がない、とつっけんどんに言った。


近くにあるジャクリーンの小さいアトリエにも案内した。ぐるっと見回して、忙しそうに帰って行った。
ジャクリーンは、アトリエに入ると、ミュージックをかけ、作品のライトをつけた。どれもロマンティックでやさしい作品。



その男の横柄さ。絵を無理に引っ張りだしたので、ジャクリーンは直すのに時間がかかり大変だった。

 

   

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2007年04月01日

市立近代美術館。マチスとデュフィー




  市の近代美術館に行った。無料と書いている。アルマ橋という駅で降り、橋を渡って、シャンゼリゼと反対方向に歩いた。途中のレストランの店の前に、沢山の推奨のラベルが張ってある。ミシュランもお勧めになっていいるので、入ってカードだけもらった。
 市立近代美術館は特別展を開催中で、入場料が7,5ユーロと書いている。只なのでは?と聞くとパーマネントは無料です、ここから地下に行ってください、と言われた。無料とはいえ、パリ市の美術館なので、所蔵している作品は多い。特に興味をそそられたのは、マチスの部屋。マチスが何年かに分けて、製作したダンスの絵の下書きと、出来上がった作品とを展示している。



 それから、デュフィーの部屋。大きな壁一面に、デュフィーの絵で覆われている。この絵の為に作った音楽が演奏されていて、デュフィーの絵が音楽的だと言われているが、音楽とのコラボレーションという形になっている。照明も幻想的で素晴らしい。





 近代美術館の出口のテラスはカフェになっている。そこからも、エッフェル塔が良く見える。
スケートボードをしている男の子達。



 美術館の隣にパレ、ド。トウキョウがある。ここでは、5つの違った人達の展覧会を催していたが、私はもう疲れて見る元気はないので、しばらく椅子に座って休憩し、再び歩き出す。歩いていると、シャンゼリゼ劇場の前に来た。フランス国立オーケストラの演奏が29日にあると書いている。チケット売り場に行くと、一番安いのは8ユーロで買えるので、それを買った。見えますか、と尋ねると,見えませんよ、と言われた。見えなくても、劇場が見られたらいい。シャンゼリゼ劇場は歴史もあり、館内が素晴らしいと聞いていたから。楽しみだ。  

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2007年04月01日

亀次郎と一緒に






朝から行動できないので、一日が早く終わる。出かけようとすると、雨が激しくなり、気持ちが萎える。買い忘れていたものを、アパートの下のミニスーパーで買って、アパートに戻る口実にする。
スーパーの入り口には、いつもおばあさんが、漫画本を持って立っている。最初、何故彼女が立っているのかわからなかった。何時スーパーに行っても何か雑誌を持って立っている。漫画本を買ってもらうために立っているということがわかった頃、おばあさんは、私に笑いかけるようになった。私も笑顔で返す。そういう習慣になってしまって、私はちょっと困っている。スーパーに行きにくくなっている。一日中立ち続け、誰一人かかわろうとしない空間で、私に微笑を交わす。私は、スーパーに入っていきにくくなっている。
 アパートに帰り、今日6時半から、日仏文化センターで開催されるコンフェランスに、行ってみるかどうか迷った。オペラバスティーユで、雨の中、じっとなすすべもなく立っていたイメージが残っている。先日電話して、招待券はありませんか、と尋ねると、全部なくなりました。当日行かれても、とても難しい、券が入る可能性はないでしょう、という答えが返ってきていたから、行くだけ無駄だ、と思っていた。けれど、雨も上がり、一応だけ行ってみよう。


 30分前にキャンセル席の受付が始まると聞いていたので、その時間に行くと、私は37番目に開いていれば、席がもらえるという順番だった。
 私の前には日本人の初老の女性が、フランス人と話している。話し終わると、今度は、独り言でフランス語をしゃべりだす。お上手ですね、と言うと、日本語しか出来ないの、私、いろんなことしてるから、この券が入らなくても、勉強するからいいわ、と言って、周りをくるっと踊る仕草をする。 
 時間が来て、私達は全員入れることになった。中はそう広いわけではなかったが、あとから7,8人が階段に座った。その中に、国立劇場の次期、総監督がいたらしい。
{歌舞伎のヌーベルバーグ」という題で、歌舞伎、演劇評論家(長谷部ひろし}が、歌舞伎に今、何故ヌーベルバーグが起こっているのかについてレクチャーをした。



 菊五郎、歌右衛門などの名優の死、歌舞伎作家がいなくなって、他の劇作家との共同作業が多くなったことなどをあげていた。歌右衛門が生きていいれば、今の現象は生まれなかったという。


その評論家の話は終わると、市川亀次郎が入ってきて、今度は彼の視点から見た歌舞伎の現状、今後の姿、などが話され、それに対しての、評論家の意見も引き出す、という方法で、対談が進み、最後にフランス人を優先して、質問を受け付けた。

 評論家が言った、印象的な言葉は、海老蔵は、名門の長男だからいろんなことに挑戦することを許されている。彼は革命家です、と。また、紅葉狩りは、亀次郎演ずる山神のためのお芝居で、山神の踊りが、気持ち良い、と。
 その言葉の意味する所は深い。歌舞伎にかかわっている人、良く観ている人は、やはり亀次郎の実力jと、海老蔵のまずさを指摘していた。



 
 亀次郎の歌舞伎写真を担当しているカメラマンが撮った写真がギャラリーに展示され、終わると、
亀次郎は、請われる人と写真を撮ったり、サインをしたり、気さくに応じている。市川猿之助にも良く似ている。養子だと思っていたが、会場に来ていた人が本当の親子だと教えてくれた。猿之助の弟の息子さんで、踊りでは、若手で右に出るものはいない、とか。猿之助はスーパー歌舞伎を作り、
歌舞伎の家制度に挑戦して、外部の人に門戸を開いた先駆者的存在。しかし、形という歌舞伎の
重要な要素は、幼い時から歌舞伎の環境の中でしか育たないことを証明している。



 蜷川芝居の十二夜で、亀次郎は、初めて芝居の中で、食べながら話すことを体験した。歌舞伎には決してなかったこと。それを想像によって、演技したという。そういうことで、歌舞伎が変わっていく、という。染五郎が新しい歌舞伎の形を模索していること、挑戦していることは{朧の森に棲む鬼」にもよく現れている。坂東玉三郎もしかり、勘三郎が、ニューヨークのメトロポリタンの近くに仮説小屋をつくってパーフォーマンスしたのもしかり。歌舞伎のヌーベルバーグは、一方で古典を守りながら、一方で新しい風を吹かすことで、歌舞伎をより魅力的で、普遍的なものにしていこうという努力がされている。その努力は、あくまでも基本の形、演技、身体に覚えこませた芸への精進の結果生まれてくるものである。形を破壊するには、しっかりした形が出来ていなければ出来ないこと。形の出来ていない役者が壊そうとすると、それは見苦しく、歌舞伎とは縁遠いものになる。  

Posted by アッチャン at 07:44Comments(0)旅行