2007年05月03日

映画「バベル」


http://babel.gyao.jp/

 映画「愛人」から


 「バベル」というのは、「バベルの塔」から取ったもの、世界中の人達に異言語を話すように神が定めたという話から取ったもの。

言葉がわからないからコミュニケーションが取れないということはない。
 コミュニケーションが取れないのは、心が通じ合えないから
 心が通じ合えないのは コミュニケーションが出来ないから

 鶏が先か、卵が先かというような、矛盾したような言葉だけれど、心とコミュニケーションは、表裏一体。突っ込んでいうなら、それは「愛」という言葉に置き換えられるように思う。




この映画でも、人々に、まだ遅くはない、今からでも、コミュニケーションを取り戻そう、と呼びかけている。モロッコに夫婦の危機を乗り越える旅に出た夫婦には互いにコミュニケーションはなかった。モロッコの少年達の弟が、遊びで放った銃に撃たれる前は、、、、。傷を受けて、初めて夫婦は互いのコミュニケーションを取り戻す。愛を取り戻す。子供が撃った銃は、日本人が趣味のハンティングでモロッコに行った時に、ガイドにプレゼントしたものだった。その日本人の妻は、銃で自分の頭を撃ち抜いて自殺した。それを見た聾唖の娘は深く心を病んでいる。自暴自棄になって、自分を痛めつけたくて仕方がない娘。銃の事を聴きに来た刑事に全裸で迫る彼女を、優しく抱きしめ、労ってくれた刑事に心を開く。彼女の痛みを涙し、心で受け止めてくれた刑事に。
旅行中、二人の子供の世話をしているメキシコ人の乳母は、どうしても息子の結婚式に出たくて、無断で子供を連れて、甥の運転でメキシコに行く。結婚式もたけなわ、甥が天に放つ銃声に、子供達は怯える。メキシコから違法滞在16年の乳母は捕らえられ、子供達と自分との関係を理解してもらおうと必死になるが、メキシコに送還される。そこで待っていたのは息子、二人は抱き合う。

 歴史は繰り返され、殺戮はやまないし、戦争も終わらない。銃による犠牲者は後を絶たない。
人は、苦しみと犠牲の中で、学び、コミュニケーションを取り戻す。それは長くは続かない、痛みは忘れた頃にやってくる、というけれど、人々は再び同じ過ちを繰り返す。
原爆を受けて、あれほどの悲惨を体験した日本は「戦争の永久放棄」を宣言したことを、忘れかけている。「国益」を優先するという理由から。

 それでも、コミュニケーションは?心が通じ合えるだろうか?
出来る。出来ると信じよう、と映画「バベル」は訴えている。
どうしたら、それを考えるのは、あなた。一人一人のあなた、そして私。  

Posted by アッチャン at 15:00Comments(0)映画