2007年05月16日

絵画の値段

 
 

日本では、絵画は政治の道具に使われてきたと言う。絵画の値段は、政治によって決められたと言ってもいい。政治家に絵画を贈呈する。もらった政治家は、例えば10パーセント引きで、画廊が再び引き取るという。そういう道具になるために、絵画は高額で扱われるようになる。コネがなければ、日本の画壇で名をあげることは出来なかった。そういう絵画は、本当に世界でも通用するかというとそうではない。その逆に、海外で高い評価を受けている画家でも、日本では無名に近い。吉田賢治画伯もその一人だろう。吉田さんの印象的な言葉がある。



「 絵は、誰でも描ける。こんなものは屁のようなものだから、ただみたいなものだ、とも言えるなあ。 けれど、人がその一生をかけて、命をかけて描いた絵だとしたら、安すぎるものだね。だから、好きだから、感覚的に描いているだけではだめ。何故こうなるのか、哲学がなければだめ。普遍的な意味がこめられていなければだめ。」



 吉田さんのいう、哲学、普遍性とは、「La Vie」 生命
吉田さんの絵が、海外で評価されているのは、世界に共通の「La Vie」が絵画に表現されているから。
 日本の画壇は、世界に遅れていると言われてきた。ニューヨークでもパリでも随分以前から抽象画が主流。日本では未だに具象の世界。吉田さんは、自分の死後、何十年か、何百年かの後に、自分の絵画を探めに来るような、そのような時間の中に自分は生きていたいとおっしゃいます。
 

 
、あれだけの大きな展覧会をし、高額な絵画を描きながら、粗末な食事、生活は貧しく、衣服もなく、貧しい人達の中にも、世界の皇室の中でも、溶け込んで全く違和感のない不思議な人



 メキシコの村では、キリストに似ているから、キリストに違いないと拝まれるそう。若いときは気短で、これでも随分気が長くなったほうだ、と言われるけれど。吉田さんが怒り出すと、どこか父に似ていて、私は最近笑えてくる。父も怒り出すと、、、、、。ゴッホまでとは言わないけれど。

 

 

   

Posted by アッチャン at 00:24Comments(0)art