2007年07月07日

画家の絶筆



 


兵庫県美術館で開催されている、「見果てぬ夢、日本近代画家の絶筆」と題した展覧会を見に行った。
 同行してもらった、友人は自身も画家なので、見方が現実的で、なるほどと思わされた。
彼女曰く、病気で家の中に籠もっているから、絵をかき始めるので、健康なら、外に出ているという。若くして亡くなった画家は、殆どが結核を患っている。心臓が弱いとか、病弱で、いつも家の中に閉じこめられていた、あるいは病院の中で生活していた、そういう
子供達、成人も含めて、絵に専念することになったのだろう。
 画家の見果てぬ夢として、鳥を画いているのは、自由に羽ばたく鳥になりたい、という願いなのか。故郷の、明るい穏やかな風景。山懐に抱かれて、太陽を受けて広がる村や田んぼの風景。
 画家の絶筆の中には、死を予期せずに、最後の作品になったものもあるが、未完のまま、あえぐように画かれた筆の動きが見られるものも。パリで亡くなった画家も何人かいた。



 最後に、3号ばかりの、小作品が、キャンバスに乗せられた状態で展示されていた。
 斉藤真一の「街角」という作品だった。ベージュ色の街角の、スチールの椅子が二つ、
道ばたに、小さな黒い猫が描かれている。斉藤真一は、猫の目で、パリの街を眺めているというメッセージが書かれている。
 斉藤真一の絵は、デパートでも、画廊でも見て、心を引かれていた。私でも手の届く値段だったのに、私は斉藤真一の絵を一枚も持っていない。
 持っていないだけに、斉藤真一への思いは深くなる。所有しないことの喜びを、斉藤真一の絵を通して認識した。斉藤真一の絵は、どこにでも見られるわけではない。それだけに、機会を得て、出会う時の感激は大きい。  

Posted by アッチャン at 12:58Comments(0)