2007年07月12日

バルセロナ

  フィゲレスのダリ美術館前の広場

 バルセロナを訪れたのは、20年近く前の事で、当時の手帳を探したが見つからない。泊まったアパートの電話番号もわからないし、最寄りの地下鉄の名前も忘れてしまっている。

 パリから、列車でモンペリエを経て、バルセロナに着いたのは、夜の8時を過ぎていた。駅の観光案内所では、ホテルを探しに来た人が、バルセロナでは無理だから、郊外に行きなさいと言われていた。
 ガイドブックに載っている、カソリック系の女性専用の宿泊施設に電話すると、一人なら空いていると言われた。教えてもらった地下鉄を乗り継いでたどり着いた。日本語で書いた規則書を読まされ、一日1500ペソの宿泊料、門限は11時半だと言われた。お腹が空いていたので、駅の近くのバルに行き、お腹も満腹、空きっ腹に飲んだビールとワインが身体に廻ってふらふらと帰る。通りを行き過ぎてしまったらしく、帰り道がわからなくなった。門限までに帰らないと。ぐるぐる、行き当たりばったりに、廻っていると、ガウディーの建築らしき建物がいくつかあった。
 通りにいる人達に「カソリックの女子宿泊施設」と言って訪ねて歩いた。本を宿に置いて飛び出したので、レジデンスの名前を忘れ、住所も分からず、誰もそれらしいレジデンスなど知るよしもない。
 夏なので、汗で、衣服はびっしょり濡れ、歩き疲れて路頭に迷っていた頃、白髪のおじいさんが現れた。
 通の名前も覚えていない私に、そのおじいさんは、一つずつ、通の名前を言ってくれた。
「バレンシア」と言われた時に、思い出した。そう、バレンシアという通だった。
おじいさんは、バレンシア通りはすぐそこだよ、3本目だと、指を折って、通りを教えてくれた。
 バレンシア通を注意深く歩いて、やっと私は、見覚えのある建物にたどり着けた。門限はとっくに過ぎていたが、外に出てタバコをすっている女性がいて、一緒に中に入ることが出来た。
 おじいさんが、あそこで現れたのは、本当に不思議なことだった。誰もいない通に、暗闇からすっと現れ、消えていった。


 カダケス
 
そのドミトリーには、何ヶ月も、何年も住んでいる人達がいた。地方から勉強に来ている人、身よりのないおばあさん、看護婦として働いているという人。キッチンがあり自炊をしている。
 カソリックの、女性の為の施設なので、清潔で快適だった。月決めで払うと値段も安いというので、いつか来ることがあればここに一月くらいいたいな、と思った。
 近々、バルセロナに行くので、バレンシア通りだけを頼りにホテルを検索したが、見つけることが出来なかった。レジデンスの名前も思い出せない。新しくなったガイドブックには、それらしい案内も載っていない。サグラダファミリアまで、歩いて行けたので、光に浮かびだされるドームを見に行った事、レジデンスに住んでいた女性達の事などは、鮮明に記憶の中にあるのだけれど、バレンシア、記憶にはそう残っているが、通りの名前も違っているかも知れない。
  
  

Posted by アッチャン at 15:10Comments(0)