2007年10月25日

六甲保養荘

  


近くに、神戸市の六甲保養荘があるのは、随分以前から知っていた。有馬に行く車の中から、いつも看板を見ていたが、行こうという気にならなかった。
友人のお母さんが、友達連れで、この施設を良く利用していることは聞いていた。以前は、老人専用の保養所で、付き添いなら一人だけ利用出来るということだった。
母も元気だったし、温泉なら有馬の方が魅力的なので、あえて、この保養所に母を誘う気にはならなかった。
ところが、先日、丹波に行き、「新丹波荘」に宿泊したら、バブルの頃にお金を使って建てたのだろうか、建物もしっかりしていて、デザインは、マックライトを思わせる。窓の格子は、マッキントッシュかとも。丸太のロッジもあり、ユニットバスにウオシュレット付きのトイレがあって、デスクやソファーもあり、中は結構広い。食事も悪くない。値段は安い。昔、国民宿舎に泊まったことがあったが、雲泥の差だ。兵庫に6軒、県立いこいの家としてあるらしく、その中に「六甲保養荘」が入っていた。
「味覚の食べ放題、飲み放題の夕べ、4000円」というチラシがあった。この金曜日なので、電話すると、宿泊は満室で、食事だけならいけますと言われた。お酒が飲めないのはつまらない。ついでに入浴は出来るのかと聞くと、日によって出来る日と、出来ない日があるので、あらかじめ電話で聞いてほしいと言う。今日は?と聞くと出来ますよ、という返事だった。
母を預かる日だった。朝の内に医者に行き、昼食をレストランで終えると、入浴の用意はしてきているから、行ってみようかと母を誘った。



緑に囲まれた閑静な場所にあって、お風呂の中は、お年寄り用に、手すりもあり、腰高の椅子も備えてある。健康風呂と称して、歩行浴、ジャクジーの気泡風呂、それにお風呂に入るのに、スロープになっているので、車椅子の人も、付き添いがいれば入浴出来そうだ。広々とした浴室から緑が見える。
母と入っている間に、鐵の杖をついた婦人が入ってきた。杖のまま気泡風呂に入って、腰の高さの椅子を使っておられた。
お風呂場から上がると、その人も出てきた。
「お泊まりですか。」と聞くと、
「月に2度、2泊3日で来ている。もう20年になります。元は神戸市の所有で、職員が働いていましたが、民間になったようです。最初の頃は、友達と、毎週土曜日に来てました。主人と来てたのですが、今は一人で。ここに来る人は皆、顔なじみで友達になっています。去年、大腿骨を手術したので、低い風呂には入れないんです。気泡風呂にしか。私が来た日に、背の高い椅子を買いに行ってくれましたけど、使い勝手がよくないんです。」としっかりした口調で言われる。
91才になられて、大手術もされて、杖をつきながらも通って来られる。頭もしっかりしていて、耳も良く聞こえるご様子。



 

リハビリ中の 腰の悪い叔母に、こんな良いところがあるよ、と教えてあげよう。ここなら、叔母が湯治に使うのに、絶好だ。夙川から直行のバスが出ている。2泊3日で、月に二回利用していたら、きっと元気になるはずだ。1泊二食付きで7千円という安さがいい。

  

Posted by アッチャン at 15:56Comments(0)旅行

2007年10月15日

黒川紀章とバロック




 若尾文子と初めて会ったというテレビの対談で、黒川は、若尾文子に、「あなたはバロック的美人だ。」と言った。聞き返した若尾に、「女性は否定的な要素と、肯定的な要素を併せ持つ存在なので、女性はバロック的なのです。」と答えた。
 バロックとは、いびつなという意味で、真珠でバロックというのは、でこぼこのある歪な真珠のことを言う。16世紀から18世紀にかけての様式を表現し、古典的なロココ様式に対立する。統制や、規制にはロココが、自由と共生という概念にバロックがあてはまる。黒川紀章は、一貫して、バロック建築を胸とした建築家であり、思想家でもある。
 バロック音楽で言えば、バッハがすぐに思い浮かぶ。音楽評論家の吉田秀和は、じゃましないで聞けるのは、モーツアルトとバッハだと言い、どんな状態にあるときでもバッハだけは聴くことが出来ると語っていた。バッハが未完だと言われるのは、自由と共生がテーマになっているからだろう。マルグリット、デュラスは、バッハを労働者だと語っている。
 建築では、ガウディーを思い浮かぶ。ガウディーのサグラダ、ファミリアは、否定を肯定とのせめぎ合いをしながら、何百年という長いスタンスで建設中なのも、まさに自由と共生、肉体と精神の作業だ。
 ダリやピカソ、シュールレアリズム、ダダ、アバンギャルドなど、バロック的精神を受け継いだ思想は、形を変えながら、自由と共生という思想を継承している。
 黒川紀章は、建築がせいぜい100年で建て替えられるが、思想は永遠だ、と言って、今年の都知事選に出馬し、7月の参院戦で、「共生新党」を立ち上げて選挙を戦った。 その頃、すでに、肉体は至る所痛んでいて、ぼろぼろの状態だったが、精神は健康そのものだった。ここでも彼は、否定と肯定とのせめぎ合いの中で、精神の自由と病んだ肉体との共生を実存していたわけだ。
 福田首相が、今盛んに訴えている「自由と共生」という理念を聞き、お株をうばわれたね、と言っていたらしい。黒田紀章のバロック精神を、サラリーマンだった福田首相が理解しているかどうかはわからないが、民主党の「異」に対話という民主的な対話路線で、共生を見いだそうとしている姿勢には、女性的バロックがかいま見られる。ちなみに官房長官が似合っていたというのは、まさに女房役を言うのだから。
 黒川紀章の思想は、彼の建築で表現されている。100年と言わず、何百年をかけて、改良保存していかねばならない。
ご冥福をお祈りします。  

Posted by アッチャン at 14:49Comments(0)art

2007年10月14日

舟木一夫45周年記念公演

http://www.aiesu.co.jp/Istarento/FK_2.htm 



 10月の新歌舞伎座は、舟木一夫の45周年記念公演が開催中だ。母は、舟木のフアンで、リサイタルは勿論のこと、デイナーショウなどにも、一人で出かけていたが、最近は付き添いがいるようになり、私がお供した。
 観客は、ほとんどが中高年層で、圧倒的に女性が多いものの、中に男性の姿も見える。
土曜日の夜の部にしては、後部座席に空席が見えるが、二階、三階席は、下から見た限りでは満席のように見受けられた。
 一ヶ月公演を連日満席に出来るのは、舟木だけだと聞いたことがあるが、以前に観た時には、ステージがプレゼントの数々で山のようになっていた。今回も、歌い始めると、次から次に、花束やプレゼントの紙袋を持った人達が、握手をしてもらう為に、舞台下で待っている。舟木は、もらったプレゼントをかかえて、歌うと、ステージに作られた台の上に並べて行く。最初に手渡す人は、しっかりと握手してもらえるけれど、次から次に渡す人達は、プレゼントを持ちながらなので、ちょこっと手を合わせる程度、どの人もおとなしく真面目そうなフアンばかりで、渡し終えると、かがみながら席に帰って行く。



 舟木と共に、歩んで生きた人達は、定年を迎えて、年金生活に入っている人や、これから年金生活に突入する人達が主流なので、舞台公演を観に来るのも大変なのではと思うのに、高価な花束や、プレゼントまで買ってくるのは、大変なことだと思ってしまう。
 普段の生活は切りつめて、舟木に会いに来るのを楽しみにしている人達が多いだろう。
以前には、チケットが早くから完売済みだったけれど、高い席が残っていた。劇場はどこでも平日の昼間の方が、よく売れている。主婦や職場をリタイアした人達は、昼間が暇なのだ。
今、年金問題が揺れている。今は20パーセント以上の人が無職世帯、これから40パーセントが無職世帯になると言う。年金をもらって、無職ではいられなくなる時期が来るだろう。仕事にかり出される高齢者の旦那さんを送り出した主婦達は、相変わらず、昼間に劇場に足を運ぶのだろう。プレゼントを下げて、心の恋人に会いに、いそいそと。
 舞台の舟木は、相変わらず、若々しく、髪も豊で、声に幅と奥行きも出来て、ボリウムがあり、益々うまくなって行く。1時間の歌の部は、あっという間に過ぎて、また明日にも、来たいわねと、母は上機嫌で「絶唱」をうわずった声で口ずさみながら、劇場をあとにした。
 「今日一日、楽しかったわ。」と喜ぶ母の顔を、出来るだけいつまでも見たいと思った。
   

Posted by アッチャン at 13:12Comments(0)演劇

2007年10月07日

 ジャンボクラブ

 



 先週は忙しかった。突然のお客様があり、水曜日には、毎月恒例の松竹座に母のお供で出かけた。木曜日は疲れが出て一日中ごろごろして過ごし、金曜日には母と有馬のジャンボクラブに行った。
 ジャンボクラブというのは、会員制のリゾートクラブで、全国に施設があるが、私達は家から近い有馬以外には、ほとんど利用したことがない。
 昔、父がまだ健在だった頃、若い女性のセールスマンがやってきて、父はジャンボクラブの会員権を買った。温泉の好きな父と、時々値段の安い旅館を探して小旅行をしていた頃、下呂温泉にあるジャンボクラブに行ったことがあった。駅から20分も歩いてたどり着いたジャンボに温泉がなかったように記憶している。その翌日は、父母が新婚旅行に選んだ山中温泉の宿屋に行った。その宿屋は今はもう閉館していて、山中温泉事態も寂れている。
 下呂温泉なら、水明舘のお湯が良かったという父に、ジャンボに行こうと誘ったのは私だ。夏の炎天下に、たどり着いた宿に温泉がないというのは、父に取ってショックだったに違いない。
 
 


以来、有馬のジャンボには、一度も行こうとはしなかった。ジャンボクラブ有馬も温泉はない。有馬は赤湯でないと温泉ではないと主張する父のことだから、ラジウム温泉しかない宿屋も認めないし、ましてや、温泉のない有馬ジャンボクラブはもってのほかだった 従って、私達が有馬のジャンボを利用し始めたのは、父が亡くなってからということになる。行けば、気持ちが良いから、月に一度は来たいわね、と言うのだが、実際には年に一度くらいしか利用して来なかった。母も年を取り、以前のように何度もお風呂に入ることが出来なくなった。せいぜい、夕食の前に一度、翌朝の朝食前に入るくらいだ。

 

  

 温泉はないが、ラジウムの鉱石を入れた小さな湯船があって、そこは39度から40度くらいなので、長い間、腰湯をして座っていることが出来る。他に入ってくる人もほとんどなく、専用風呂のように、いつも利用出来るのがいい。
 温泉はないかわりに、お食事は豪華で、味も良い。こんなにない方が良いね、と贅沢な文句を言いながらいただく。会員は一度に何日まで連泊することが出来る、という規程があるが、こんな料理を毎日出されては、すぐに飽きてしまうだろう。食堂には、ほとんどが家族ばかり、私の前には、娘さん夫婦とお母さんらしき人の3人組で、お婿さんは外国人だった。その向うの席には、外国人の男性2人を招待して4人組の男性達がいた。 こういう組み合わせを見たのは初めてだった。日本人ばかりの会員製のクラブで、規模も小さく、夫婦、家族連れ、単身者、と行った光景だった。国際化が随分進んでいるのだ、と改めて思った。元気な人達は、「金の湯」や、太閤の湯など、外湯に行っているのだろう。以前には、私達も、近くにある「太閤の湯」で赤湯に入りに行っていた。「太閤の湯」は階段が多いので、母にはもう無理だ。


 


「月に一度は来たいわね。」母はまた、いつもと同じ事を言いながら、美味しそうに食事を楽しんでいた。本当に、これからは月に一度は、母を連れて来ようと思う。  

Posted by アッチャン at 13:21Comments(0)旅のグルメ