2008年02月06日

結婚しようよ

 

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  結婚しようよ
 吉田拓郎のヒット曲に合わせて作られた、ホームコメディー。映画が終わると、客席で手を叩いている人もいた。
エレベーターの中で「久しぶりにほのぼのとした映画たわね。」と夫婦の話声が聞こえた。
 会社の帰り道、駅前でストリートミュージシャン達が歌っている、吉田拓郎の歌「落陽」に
声をあげて一緒に歌っている中年男性をを見て、横の若者が見て笑っている。
その男性が豆腐を買っているので、若者は一人暮らしだと思い話かけると、家族が夕食を待っている。
良かったら一緒に家に来ないかと誘われる。
 その家には、父親が作ったルールがあり、毎日必ず家族揃って夕食を食べることになっている。
そんな家族はありえない、と若者は思う。彼の両親は、そば屋だったが、神戸の震災で亡くなった。
今はそば屋になるために修行中なのだという。彼は暖かい家庭にすっかり魅了される。
娘が二人いて、大学生の長女は、その若者が好きになり、次女は友人達とバンドを組んで歌っている。
父親は学生時代に、友人と二人で、フォークギターを演奏しながら歌手を目指していた。
二人が恋していた女性は、ハンサムで素敵な友人とではなく、見栄えは良くないが優しい男を選んだ。
男はバンドを捨てて、家族を幸せにする為にサラリーマンになった。不動産会社に就職し、顧客の立場に立って働く。
会社の意向に、反発しながらここまで来た。
会社をリタイアーした夫婦が希望すしている、自給自足にふさわしい農家を勧め、井戸水を家まで引き込む為に、
休日になると作業を手伝いにいく。
 次女が見つけてきたチラシのオーディションのライブハウスは、父親の友人が、会社をやめて
音楽活動に再チャレンジした店だった。次女は、夕食に帰ることが出来なくなり、
長女は、家にやってきた青年と恋に落ち、毎晩、蕎麦打ちの修行をしている彼の元に弁当を届けるようになる。
家族のルールは守られなくなる。結婚したいと言われても、可愛い娘を取られてはたまらない。
どうしても赦す気にはなれない。父親は、田舎の夫婦から、彼らの経験からのアドバイスを受ける。
 井戸から、竹を使って家まで水を引く日がやってきた。映画の登場人物達が、その家に集まって来る。
反対されている長女達は、ひそかに蕎麦打ちの道具を持って忍び込む。
食事が出来て、知らずに蕎麦を食べた父親は、美味しい水の御陰かな、とその旨さに感嘆する。
そこに現れた二人。父親はついに折れ、周りの人々から祝福されて、ライブハウスで手作りの結婚式が。
娘達が母親と計画して、まだ結婚式をあげていなかった両親の結婚式もかねることに。
突然のハプニングに感激して感無量の父親は、次女に促されて、昔使っていたギターを弾き歌う。「結婚しようよ。」
 両親に娘達からの新婚旅行のプレゼントは「つまごいコンサート」ラストシーンで二人はお揃いのシャツを来て、
舞台の吉田拓郎と一緒に歌っている。
 
 フォークソングにギター、共産主義を夢見て、体制に反抗したものの、夢の挫折でサラリーマンになりながら、
どこかで資本主義経済に反抗しながら生きてきた。小市民的に家族を守り、一家団欒を拠り所に生きてきた世代。
会社をリタイヤーすれば、自然の環境の良い所、美味しい水が飲める場所で、野菜を作り、夜はお酒を飲んで、
一日が暮れるような生活を夢見る。加藤登喜子のご主人を思い出す。出所してから、自給自足の有機農業をやっていた。
今、そういう世代が、田舎屋を買い、年金生活をしている。蕎麦打ちも人気の一つ。
これから年金生活に入る人達も、自分たちの生活をどうエンジョイするのか、そればかり考えている。
娘達には「結婚しないで、独身の方がいいんじゃない。」というのが本音。結婚しても、そう良いこともないから。
独身の娘達は増えている。

 少子高齢化、経済の減速、に向かっているのは、当然の事のような気がする。年金暮らしが多くなり、
税金を払わなくなり、消費しなくなり、畑づくりか、お金のかからない東南アジアで暮らすようになり、
「貧乏生活を楽しみながら生き抜く人達」はいいけれど、
これから、子育てしながら生きていく世代には、極めて厳しい。
   

Posted by アッチャン at 13:08Comments(0)映画