2008年02月19日

有馬温泉

  


  


母が叔母を有馬に誘っていたのが、ようやく実現する運びとなって、痛い顎を気にしながら、
マウスピースをはめてやってきた。 何年の前から、母は叔母達と会うたびに、温泉に誘っていたが、
その間に、叔母の一人が亡くなり、もう一人は、大病を患って、なかなか実現出来なかった。
叔母の体調の比較的良い時期を探しても、暖かくなってからとか、夏になれば、もう少し涼しくなってから、とか、
いつまでたっても良い日はなかった。

  海老のしゃぶしゃぶ、ヨモギとクリームのスープに。 

 叔母の誕生日を選んで、タクシーを頼んで、ようやく重い腰が上がった。叔母が頼りにしている従妹が付き添って、
洋室を二部屋頼んだ。妹も娘を連れて参加することになり、3部屋に、予約を入れた。
 雪が降る、寒い日だった。トンネルを抜けると、雪景色が。従妹が「トンネルを抜けると雪景色だった。」
と川端康成の小説の初めを口にした。

鰤の照り焼き

 叔母と従妹は杖がなければ、足がおぼつかなくなっている。お風呂に行くにも杖が離せない。
叔母は父の一番下の妹で、上の3人は既に他界している。
従妹は、父の姉の長女で、叔母とは、そう年も離れていない。叔母と従妹は、若い頃は、華やかで幸せな生活を、
母は、大所帯の中で、女中代わりの長男の嫁という立場だった。
朝から晩まで、おさんどんに明け暮れる日々、叔母達が着飾って、遊びに明け暮れていたのが羨ましかったという。 
叔母達が結婚して家を出て行ってから、母は会社を手伝うようになり、我が家と呼べるような生活に変わった。
それまでは、大きな家の中で、たった一部屋に5人が生活していた。間借りのような生活だった。
    若竹
 


よく働いた御陰で、母は、彼女達よりも足腰が丈夫で元気だ。温泉に浸かる時間も長い。
金銭に困るようなこともなく、叔母達から見れば羨ましい存在になっている。
 翌日、朝食に集まると、叔母は、初めて、夜中にトイレに行かずに熟睡出来た、と言う。
頭を洗うと、皮膚がかゆくなるのに、それもならなかった、という。従妹は、いつも痛む膝が痛まないという。
有馬の赤湯の効果は、絶大のようだ。

  カボチャのスープ



 翌日のバレンタインデーは、叔母の誕生日なので、バレンタイン用の特別料理にしてもらった。
初日の懐石料理も、残さずに全て食べてもらった。
食欲がなくて、食べられないという叔母は160センチの身長があるのに、わずか40キロしかない。
従妹のほうは、お相撲さん並の太りようだったが、最近は以前ほどではないが、
それでも随分太っているどちらもストレスから、やせられないし、肥えられない。

  神戸牛のステーキ

 このホテルは会員用のリゾートホテルで、誕生月の会員には、プレゼントがあるらしい。
 「叔母の誕生日なので、バレンタインの特別料理に変えてもらえますか。」と頼んだものだから、
受付に人が計らってくれて、会員のために用意してあるプレゼントを渡してくれた。記念写真も撮ってもらった。
 付き添いで来てくれた従妹が「私までこんなに良い思いをさせてもらって、お盆とお正月が一度に来たみたいで、
あとが怖いです。」と母に言った。華やかな青春時代を過ごした従妹が、結婚してからは、
不幸と苦労が絶え間なく続いた。不幸に耐えながら生きてきた人なので、そういう言葉が出るのだろう。
 
 カニコロッケ 


叔母は、今回の温泉体験で、元気が出たようだ。温泉の効果を頼りに、何度もお風呂に浸かっていた。
食欲も出て、もりもり食べていた。二日目には、杖も持たずに、食堂の中を歩いていた。
外に出るまでの気力と体力に自信がなかった叔母に、これから少しずつ、体力をつけなくちゃ、という言葉が聞けて、
希望がわいてきたことが嬉しい。
従妹は離婚した娘さんとの二人住まいなので、寂しくはないが、それなりに大変なのだと言い、
叔母は、一人で心を残す人もいない、こんな身体で何の楽しみもないから、生きていても仕方がない、
死んだほうがいいとこぼしていた。

  プリンセス有馬のロビー

 元気になれば、意欲も出てくる。元気の源は体力と気力だから、
少しずつ、一歩ずつ自然に良くなって行けば、心が希望を見いだして行くようになる。
その入り口のお手伝いが出来たのなら、母も私も嬉しい。  

Posted by アッチャン at 18:46Comments(0)旅のグルメ