2008年03月07日

ゴーギャンがゴッホに嫉妬したわけ

  
 
 オルセーにある、ゴッホとゴーギャンの絵を比べて見ると、ゴーギャンがゴッホにあれほど嫉妬したわけが、わかるような気がする。ゴーギャンが求めても持てえなかった情熱をゴッホが炎のように燃えあがらせていたからではないかと思う。ゴッホの才能に嫉妬したと言われているが、情熱という言葉は、パッション「受難」を含んでいる。ゴッホが描いているのは、ゴッホの意志からではなく、神の啓示によるもので、神から与えられた才能なのだ。パスカルが火の体験をしたというのも、パッション(情熱)によるもの。

 

 
ゴーギャンという人は、計算高い商人だった。妻もあり子供もいた、普通の人だった。画家に転向し、絵も売れた人だ。頭で描き、どのように描くかを計算し、自分の中にある合理性と戦ってきた画家だ。 最終的には、タヒチという南海の楽園に、乞食のような生活を望んだ画家だ。自己解放を望み続けたけれど、彼自身の傲慢さ、賢さは、死ぬまで残っていたかもしれない。パッション(情熱)を求めて、あくまでも理性の人だったゴウギャンは、ゴッホの見返りを求めない純粋さ、狂気と紙一重の情熱をつきつけられて、どれほど苦しみ、嫉妬した事だったろう。望んでも望み得ない才能に。
 例えば、サリバンが、モーツアルトに嫉妬したように。

 


大胆で、何の防御もないゴッホの絵画はひたむきに、見る人に迫ってくる。苦しみも、暑さもむき出しにして。反面、ゴーギャンの絵はひややかだ。題材に選んだのは、のびやかで無知な女達なのに、絵画がこう描きたいけれど描けない押さえた理性が見て取れる。おおらかなように描こうとした絵画という気が、私にはする。  

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2008年03月07日

パリのプリゾニエ



 

  若い頃、パリに来て、そのままいついた人ならば、石に囲まれた圧迫感を感じないかもしれないが、日本で長く暮らしていた人が、突然パリにやってきて、そのまま9年間ものあいだ、パリの狭い一室の中で暮らして来た人がいる。よく耐えられたものだと思う。
 気ままなパリ、と言っても、言葉が話せない、つきあいは日本人ばかり、何をする目的もなく、9年もの間、パリに滞在した。
 最果ての町から一歩も出たことがなかった女性が、母親を送り出し、40年勤め上げた職場を定年退職した。フランスへの団体旅行で、始めて訪れたパリで、アパートを買わないかと持ちかけられた。安い買い物ですよ。彼女はとっさに判断した。彼女は、雪深い、因習的な町の、凡人が誰もやれなかった事がしてみたかった。
 

 

2度目にパリにやってきたのは、アパートを買うためだった。オペラ座に近いビルの一角にある、一部屋のワンルームで、窓からは向かいの建物が迫って見える。目を落とせば猫の額ほどの狭い路地があるだけ。何もわからない彼女は、パリに住みつき、生活に困っている日本人に、ご馳走し、付け届けをしながら、助けてもらった。
 彼女の田舎なまりを笑い、馬鹿にしているようなパリ在住の日本人女性達の集まりに顔を出し、付き合っていた。否、付き合ってもらっていた。どこどこのお歴々の奥さん達との付き合いに、貯蓄を随分使った。
退職金が懐を暖めていた頃は、気にしなかったが、年月と共に、底をつき、あとは年金だけが頼りになると、そう言う人達との付き合いもままならなくなってくる。金の切れ目が縁の切れ目、さしあげるものがなくなると、誰も相手にしてくれなくなる。その頃になると、パリでの生活には慣れてきたが、同時に体の変調も出てきた。高血圧が心配されるようになった。堅いパンをかんだ為か、歯がぐらつき始め、何本かの歯を失った。
 


 彼女の暮らしは、散歩と買い物を見て歩くことだけ。毎日店を見て廻るのが楽しみだった。言葉は習っていても、覚えることが出来なかった。メルシーと簡単なフランス語は覚えたが、家の管理や、書類などは、フランス語の出来る人に頼まなければ何もわからない。 波の神経の持ち主では、とうてい居続けることは無理だと思う。その上、決断力と大胆さ、肝っ玉が相当据わっていないと、とても持ちこたえられるものではないだろう。
 彼女は、パリに9年間暮らした。何もせずに暮らした。暮らすことを楽しむために。
9年の末に、食べ物が、高血圧に悪いと気になり始めた頃、パリのアパートの価額が、買った頃の3倍以上にはね上がった。彼女が買ったアパートは、以前の持ち主が倍以上の値段を払って 買ったものだった。ボトムで買って、高く売るという経済感が、彼女にはあった、ということだ。パリで散在した退職金がそっくり戻って来た。

 

 パリで暮らした9年間は、40年の勤務の末に、神様からもらったプレゼントなのか。それとも、これから先の、東北で暮らす終末への長い道のりでの、追憶という支えなのだろうか。パリのプリゾニエとしての苦労は、甘い感傷に染められているに違いない。  

Posted by アッチャン at 22:15Comments(0)paris

2008年03月07日

バスティーユオペラ

  

 


やっとインターネットにアクセスすることが出来た。バスで5つほどの駅にあるイビスに行き、無線カードを買えるのかと聞いた。以前に、ホテルに泊まった時に、そういうカードがあったから。そこで、10時間カードを買い、ロビーでさせてもらった。
 これで、とりあえず、書いていたブログを、送信することが出来た。
 ニフティーにもアクセスして、海外から使えるアクセスのソフトをダウンロードした。
月決めのサービスが終わって、それに変わった。ブロードバンドも出来るようになっている。高速は、一分40円くらいする。ダイヤルアップでも、フランスからは、1分10,5円か21円かかる。それに加えて電話代がかかる。電話番号がフランスのどの地域にかかるのかがわからない。これでは、ソフトを入れても、あまり役に立ちそうにはない。ホテルのチケットは、30日間の間に、10時間使って15ユーロだ。ロビーで、肩身を狭くして使うという不便さはあるけれど。最初に使った時間は、2時間近くに及んだ。翌日は、1時間くらい。お掃除人のじゃまになるかな、と気にかけていたら、突然、警報機がびんびん鳴り出した。作業の人がやってきたようだ。警報やかましい音は鳴りやまないが、誰も関知していない様子。
 インターネットは、切って作業しているつもりだったが、切れずにずっとつながりっぱなしだった。
 遅い昼食をアパートですませて、外に出た。

 


昨日あたりから、随分寒くなっている。バスを待つ間も、寒さが堪える。パリに住む人達の服装はまちまちで、分厚いコートに身を包んでいる人もいれば、軽い服装だけの人もいる。細くて高い鼻が、真っ赤になって、痛々しいく感じられる人がいた。各バス停に、バスの待ち時間が提示される。暖かい日は気にならなかったのに、6分とか表示されていると待つ時間がもどかしい。公園でぶらぶらするには寒すぎる。バスの中から、景色を眺めているのが良さそうだ。27番で、オペラ座の前で降りた。
 出し物のカタログをもらって見ると、今日、バスチーユで、ベルディーのオペラの公演がある。1時間半前に、62席5ユーロで売り出される、という表示を見つけた。このオペラガルニエでも、今夜は、オペラが上演される。すでに来て、待っている人達がいる。ここは、若い人と老人用、失業者と学生という2列が設けられている。本を読みながら、時間まで待っている人達は、無料で見ることが出来るようだが、証明書がいるのだろう。
 オペラ座の前から、バスに乗り、バスチーユまで行った。バスは29番で、細い道をくねくね走っている。いつも行くポンピドーセンターを横切り、ユゴーのヴォージュ広場を見ながらバスティーユについた。劇場の前で並んでいるのが見える。そこに行くと、前に並んでいる人が、チケットをもらってくるようにと教えてくれた。私は30番だった。




 62人にはまだ余裕があった。教えてくれた女性は、日本人だった。一緒にいた人は韓国人で、どちらも、シテ、ユニベルシテの学生だという。日本女性はオペラを専攻して、日本の大学から授業交換でやってきた。韓国女性はジャーナリストで休暇を利用して勉強中。韓国女性は「人生はすぐに過ぎ去ってしまうから。」と子供を、置いてパリで勉強中なのだそう。
 シテ、ユニベルシテで、毎日コンサートや催しがあるらしく、22日に、ソプラノで、出演するからと、カタログとチラシをもらった。
 パリには、年齢に関係なく、頑張っている人達が多いのだと、改めて知った。
 一度、パリ大のマスターに許可証をもらっておきながら、やめてしまったというと、
「そんな、勿体ない。今からまた頑張れば?」と言ってもらっても、そんな情熱がなくなっている。一年中、石造りの建物を否応なく見せられる生活は出来ないだろう。
こちらの人達が、肉を食べ、石の硬い建物の中で暮らし、きちっと決められた、整然として冷たい建物に囲まれて暮らすしているのだから、精神分析のお世話にならないで、いられるわけはない、アグレッシブにならないわけがない、相当のエネルギーがいる、などと考えてしまう。

 
5ユーロのチケットは、自由に開いた席に座れる。ウィーンのように、立ち見席ではない。席は所々空いていて、私は、案内係が、ここに、と言ってくれた席に座った。オーケストラ席で、普通券を買えば150ユーロする。 5ユーロのチケットを得る為に、2時間前から、外の寒さに耐えるというエネルギーもたいしたものだ、とも思う。12ユーロでカタログを買った。
 バスティーユにオペラが移ってら、初めての公演だそう。オペラは、内容は同じような簡単な筋書きが多い。ベルディーのオペラは、死によって終わる恋人達の悲劇ばかりだ。この「LISA MILLER」も例外ではない。「椿姫」とよく似た旋律の歌が所々にあって、それが気にかかったが、歌唱は素晴らしかった。舞台の上に、フランス語への翻訳文字が出ているので、それを見ながらなので、舞台の方はあまり見ない。見上げて首が痛くなる。二階や3階の方が良いかもしれない。
 バスティーユ劇場は始めてだった。建物の中は、近代的で殺風景なので、ガルニエの方がずっと良い。雰囲気があり、「オペラ座」として怪人も住みそうなほど、豪華で落ちついた風格があるのに、シャガールの絵画がぴったりと合っている。
 ロビーは幕間に、シャンパンやワインを飲みながら話す人達で溢れかえっていた。
美味しそう、でも我慢して買わない。彼女達は、サンドイッチを持参していた。5ユーロの席を買う人は、ここでは何も買わないだろう。買えないだろう。2時間も我慢して5ユーロなんだから、ワイン一杯に8ユーロは出さないだろう。水でも4ユーロする。
 着飾って、タキシードを着た人達に、シャンペングラスが似合っている。公演は休憩を挟んで、3時間足らずだった。「椿姫」か「トスカ」だったら、オーケストラに空席はなかったかもしれない。
 オペラガルニエで「椿姫」の公演があった。券が売り切れていた。幕が上がり、ビデオに最初の「乾杯の歌」の場面が映っていた。
 
 



別の日に再びオペラ座に行った。やはり当日券はなかった。すると若い男性が、チケットを買いませんかと言ってきた。「良い席で、あなたは幸運ですよ。」と言われた。彼は、。彼女を待っていたのに、現れなかったのだ。オーケストラ席で、前から10番目の、最高の席だった。隣で、券を売ってくれた人が座っていた。寂しげな顔で。  

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