2008年03月25日

祭日の早朝はご用心


 


 息子のパリ滞在は、今日一日だけだが、昨日の疲れと時差ぼけで、一旦は朝食を取ったものの、お腹が膨れると再び眠気が出て、スースー気持ちよさそうに寝ている。日曜日の朝市を見に行きたいと云っていたので、11時半に起きてもらった。
 今日は晴れている。昨日と今日が入れ替わって入れば良かった。朝市で、牡蠣ばかり売っている所があり、新鮮で大きな牡蠣が、魚屋の半額くらいで売っている。立ち止まると、味見してくれと言って、素早く牡蠣の殻を開けてくれた。私は食べないし、息子は、もういらないという。二人が譲り合っているので、牡蠣屋は、もっと大きいのがほしいんか、と聞く。
牡蠣屋の隣に来た人が、いつも買っている魚屋の若者だった。
「うちの牡蠣と同じような良い牡蠣で、こちらのほうがもっと美味しくて安いよ。」
そう言ってくれるので、6個ほしいと云った。
「 6個と云わずに12個買わないかい。」
「開いたのを入れて6個でいいです。」
「それはいい。さあ、どうそ。」
 大きな牡蠣ばかり選んで6個で、6ユーロだった。それから新鮮なばい貝を買った。
このままで食べられるのかと聞くと、ブイヨン、オリーブ、タマネギなどの野菜を入れて20分湯がいてから食べるように云われた。綺麗なのは、生だったからだった。

 


 一旦、持ち帰ってから、ラーメンのような暖かい物が食べたいというので、いつも人で一杯、外で並んで待っている、ベトナムラーメンの店に行った。今日は得に並んでいる人が多い。それでも食べればすぐに出てくるので、それほどの時間はかからなかった。
 息子がボストンのベトナムラーメンの店に行くと必ず注文するのと同じラーメンを注文した。薄切り肉が、まだ赤身のある状態で乗っている。 私がボストンで食べるものよりもこちらの方が美味しいのは、お肉が入ってるからだそうだ。ボストンでは肉を食べないので、海鮮ラーメンを注文する。あっさりしているが、それほど美味しいとは思わなかった。これは美味しい。息子は、ボストンの方が美味しいと言う。きっとそうなのだろう。 焼き飯と生春巻きを注文した。焼き飯が美味しいらしい。生春巻きも美味しかった。
 
 

パリでベトナム料理の美味しい所は多い。材料が新鮮でお肉が柔らかかった。値段が安いのも魅力なのだろう。お茶を注文すると、薫り高いジャスミンで美味しかった。値段は安くないね、と息子が言ったが、こちらはアメリカのようにチップが入らないから、同じようなもの。
 そこを出て、ミッテラン図書館を経て、ボーボワール橋を渡ってベルシー公園を歩いた。ベルシー公園の先は、ベルシー村という、モールのように店が並び、レストランが並んでいる場所がある。そこから、地下鉄に乗って、シャトー、ド、バンセンヌまで行った。
 それでも、昨日の歩きに比べればわずかだけど、アパートに帰って休むことに。あとはだらだら、ビールを飲み、牡蠣を食べ、昨夜買って使っていないホタテ貝で、スパゲッティーのクリーム煮を作って食べた。


 


 従姉妹にお礼の電話を入れると、明日は休みだから車で送ってくれるという。朝早いから、大丈夫だと遠慮したが、彼女が送りたいのだから、と。私は4時半に起きて、準備を整え、迎えの車が10分前には来るだろうと気になっていたのに、息子は25分前まで寝ている。 コーヒーを飲み、いざでようと思うと、トイレに行くという。いつもこれだ。ぎりぎりになってから行きたいと言い出す。外でエンジンの音が聞こえていたので、私は冷や冷やものなのに。
 やっと出ていくと、「いつまで電気がついているのか。10分前に出てくるのが常識だ。」と怒られた。私はそういうことは身にしみているのに、息子はまだわかっていない。
 祭日の早朝に、PERに乗る人はいないという。最も危険なのだという。誰も乗らないから、犯罪はし放題、そばに人がいても誰も助けてくれないらしい。
 空港バスか、タクシーでなければ危険だと、誰でも承知している事だという。パリは危険だとは、何度も聞いているが、祭日の朝や夜の郊外電車は一番危険で、犯罪のし放題だという。やれ、助かった、従姉妹のお陰だと有り難かった。回数券を買っているので、知らずに、乗っている所だった。
  

Posted by アッチャン at 20:09Comments(0)paris

2008年03月25日

つかのまのパリ滞在


  

  朝の11時25分着の飛行機だと思っていた。掲示板の見ると、BA306というのが、11時40分着予定になっているのに、到着が遅れるようだった。11時25分着はAFですでに到着して、2Fゲートになっている。BAは 2Bゲートで反対側にある。2Bに行き、308便はいつなのかと聞くと、1時45分になるという。遅れるだろうと言う。それで、308は何かのトラブルで、遅れるのだろうと思って待っていた。

 自由の女神の原型

 BAのチケットカウンターで聞くと、はやり同じことを云われ、2時に着く予定だという。1時間半近く待っていたが、もう一度、時間が早くならないのか聞きに行った。別の女性に、11時25分につく予定だった飛行機でBA308だというと、その時間ならAFだという。あわてて、そこから走って AFまで行った。まだ待っているだろうと。息子はいない。もう一人でパリに行ったのではないか。公衆から従姉妹の家に寄っていないかと電話をした。一番忙しい最中で、すぐに電話を切った。
 それから、手帳を見直すと、11時25分Aと書いたのは、その時間にロンドンを出る飛行機だということだとわかった。アライブと間違えていて、AMのことのようだ。 だからまだ掲示板も出ていなかった事に気がついた。掲示板に308が出手来た。遅れるようで、2時半の予定と書いている。着いたのは3時だった。何度か電話してもかからなかったので、メールをもらったきりになっていた。気になりながら、行けばわかるだろうといいかげんにしていたのが悪かった。
 従姉妹のレストランに、顔を出し、挨拶してすぐに帰るつもりだったが、生ハムとワインを出してもらった。


 ソルボンヌ大学

 朝のうちに、近くの魚屋で、牡蠣、コキーユサンジャック、エビを買っていた。最初は海鮮の盛りつけにしようと思ったら、55ユーロと言われ、ウニをやめたら、プレートの盛りつけに12ユーロいるのと云う。それでそれもやてもらって、28ユーロだった。結果はこの方が良かった。盛りつけなら冷蔵出来ないので、夕方までそのまま置いておくことになってしまったから。
 アパートで、海鮮とサラダで食事をしてから、その日の内に、吉田さんのアトリエを訪問した。吉田さんと親しい人で、吉田さんに随分長い間お世話になった人が、今は大学に職を得て、忙しく活躍しているので、最近はほとんど来られない人が、連休を利用して泊まりに来られると楽しみにしておられた。予定が一日延びたので、今夜は来られないことになった、とおっしゃる。食事を済ませたから、と言って、ワインを持って出かけた。
 翌日はと聞かれ、そのあたりをぶたぶらするというと、明日案内するからと言われて翌日の11時に、再び吉田さんを訪問することになった。




 アパートに帰り、再び飲み、残り物をつまみ、寝たのは2時を過ぎていた。
 翌朝、雨が降っている。予定は変更になりそうだと思いながら、吉田さんのお宅に行くと、エレベーターから降りて来られた。
 吉田さんの頭の中で描いた、観光ルートは、まずルクサンブルグ公園から始まった。雨が降って道はぬかるみ、寒かった。ルクサンブルグから、ソルボンヌ大学、カルチェラタンを歩き、中世美術館まで来ると、中を見ることになった。中は暖かく、暖を取るにも丁度良い。ギメと同様に6月まで無料になっている。そこから、ノートルダム寺院に行くと、中に入ろうと行列が続いている。中は見ず、裏の公園の廻って、そこからマレー地区の方に歩く。吉田さんが、最初に入っておられたパリ市のアパートがその近くにあり、その辺りは毎日の散歩道だったとか。河原で石を削っていた場所。マレーにはおしゃれな店が狭い道の両側にならんでいて、この界隈は重い扉を開けると、中庭があり、高級住宅街になっている。岸恵子もこのマレーに住んでいると雑誌で見たことがあった。

 コキーユ、サンジャック

マレーを抜けて、教会に入り、その近くで休みをかねてレストランに入った。
吉田さんはお腹を壊してるので余り食べられないとおっしゃって、コキーユサンジャックを注文、息子は子牛肉で私はサラダを取った。再び歩き出し、雨が霰か雹にかわっている。ユーゴーの家がある、ヴォージュ広場の回りを一周して、バスティーユ広場に。このころには、もう大分疲れていた。

 

吉田さんはお元気だ。一端バスに乗り、3駅先のシャトレで降りて、ポンピドーセンターまで歩くのも、見せたい道を通るので、遠回りになる。シャトレから凱旋門まで地下鉄に乗るのかと思い、そこに地下鉄がありましたよ、と言うと、あれは別線だと言われてひたすら歩く。フォーラムの公園のあたりを歩いて、ルーブル宮まで歩いた。やっとそこで地下鉄に乗り、凱旋門に行くと、あの回りは地下に入ったり出たりと歩道がないので、歩かないと行けない。凱旋門にあがって、放射状になっているパリを見せるつもりだったが、ここでも待つ人がすごい。で凱旋門の下から、放射状の道を見て、そこから吉田さんは、モンマルトルに行くつもりでおられた。もうこれで十分だから、疲れてもう歩けませんとお断りして、やっと観光案内は終わった。息子も気を遣っていたし、吉田さんも無理されていたようだった。


 


 息子は仕事を終わってやってきて、時差ぼけと疲れで、もうこれが限界だったし、吉田さんは、吉田さんで、お腹の調子が悪いのに、無理されていたようだ。持久力と忍耐力は並はずれた強さを持っておられる。
 アパートに帰り、見届けてから、お暇しますと云うと、吉田さんが紹介したい人がすぐにやってくるからそれまで待つようにと言われた。そこに電話が入り、電車の予定が1時間遅くなるとのことで、お暇する事に。
 強行軍のパリ滞在で、疲れたけれど、良く歩いて、パリを知ることが出来た。雨と霰と、時折は晴れの空の中で、随分よく頑張ったものだと思う。これが私と二人だけなら、ちょっと歩いて、帰って来たことだろう。パリのほぼ主たる所を歩いたことになる。
 近くの魚屋は、フリ、ド、メールの注文品が並んでいる。朝山盛りになっていた牡蠣に底が見えるほどで、ホタテ貝は無くなっていた。一番小さな牡蠣が残っていて、それを買った。ホタテ貝とバイ貝にエビ、タルタルソースを買った。  

Posted by アッチャン at 19:57Comments(0)paris

2008年03月25日

パリに住む人


 

  パリに来て、あっという間に日が過ぎて行く。もうあと1週間しかない。行きたい所にほとんど行っていないようにも思える。夜は、毎日のように、コンサートかオペラ、演劇と美術館に行っていて、時間を気にしないで、ゆっくり散歩したこともわずかしかない。デパートにも行っていないし、、ウィンドーショッピングもする時間もない。
 パリの日常生活を描きたくて、そこまでの余裕がない。あともう一月あれば、と何時来てもそう思う。来るまでは、一月どうして過ごそうか、地方に行こうか、イタリアか、スペインか、それともオランダか、近くのベルギーに、と行きたい所を山ほど考えるのに、

 

パリにいるだけでいつも時間が足りなくなる。1年くらいじっくりと腰を下ろしてパリに暮らせば、日常のパリに出会えるだろうに。フランス語に、毎日触れているので、1年もあれば、相当出来るようになるだろう、とも思う。日本に帰れば、もう一度地道に勉強したいと、今は思っているけれど、いざ日本語の国に着くと、すっかりフランス語とはおさらばして、ごろごろテレビのお守りをして過ごす。あちこち体が悪くなり、ヘルスクラブに通うか、温泉に浸かりたい願望に囚われるか。
パリの住民だって、私が日本生活しているような過ごし方と、そう変わりはないだろう 向かいのアパートの窓から、大型のテレビが見える。会社から帰ると、ご飯を食べながら見ているようだ。テレビは夜がふけるまでずっとつきっぱなしだ。
 パンを買い、野菜を買い、食べものを買って、毎日の生活が過ぎていく。娯楽は、パリ中、どこにでもある映画館か、アパートから抜け出して、公園を散歩するか。

 

 パリには各地区に大きな図書館がある。図書館が充実していて、家族で利用している。音楽のディスクやレコード、ビデオテープなどの貸し出しを利用している。
なんで、こんなに図書館が多くて、しかも立派なのか、と感心する。失業者への配慮も日本では考えられない優遇措置だ。
パリでは、ぶらぶら生活を送っている人も多いようだ。ものごいも多い。至る所で手を出している。お金をくれ、と言って。
犬の糞は相変わらず多い。罰金が科せられるようになったと聞いても、道を歩けば糞に当たる。
 バスに乗っていて、恐ろしい思いをした。足の悪い老人が、隣に座っている男に、席を譲るように云った。男は、向こうに空いた席があるだろう。あちらに座れ。と言う。
老人は頭に来たのだろう。持っている杖で殴ろうとした。二人はつっかかみの状態になり、隣で座っている私は、思わず中腰で避ける姿勢になった。
 運転手がやってきて、もうこれは終わり、お互いに静かに気を静めて、と言う。老人は夫婦連れだった。後ろが空いて二人が座った。隣の男は文句を言い、後ろで奥さんが、かかわらないように老人にと手で、唇を押さえ、黙っていましょうと促していた。
 男がしきりに文句を言っている。早く男が降りないかと、気が気でなかった。プラスイタリーまで来ると、ようやく男が降りた。捨てぜりふを言って。
 彼が出ていくと、身障者優先を書いている、と奥さんに言っている声が聞こえた。
  

Posted by アッチャン at 19:44Comments(0)paris