2008年03月31日

純な心

 
 


フローベールの「三つのコント」の中の一つで、「純な心」というコントがある。それが映画化され、日本に帰る前日に公開された。朝一番に見に行った。
 最初の時間がわからないので、以前に見た「ピアフ」が9時45分からだったので、その時間に行くと、11時5分からだった。ミッテラン図書館に行き、図書館の案内をビデオで見て時間を潰す。
純な心と日本語で訳されているが、シンプルなという言葉なので、映画では、直情的な心に描いている。
 本を読んで、自分なりのイメージが出来ているので、、映画は、始めに違和感を感じたけれど、次第に引っ込まれ、お世話していたお嬢様が修道院で亡くなった時の描写は、映画の方が表現力に富んでいて、涙が止まらずに困ったほどだったが、最後のジーンは、文学でしか表現できないと思い知らされるほど、映像では表現不足で終わってしまった。 フェリシテ(忠実)と言う名の女性の生涯を描いた作品で、とても単純な心で、直情のままに、ひたすらに忠実に、人から見れば、可愛そうな、人生のように思える一生であっても、ひらすらに、情熱(パッション)に従って、命一杯に生きた人間を描いている。
「ボヴァリー夫人」とは対局のように思われるかもしれないが、理性とは無縁、という点に関しては、どちらも同じ。情熱的な関係に憧れを抱きながら、現実に幻滅するボバリー夫人と、希望のない環境にありながら、情熱に燃えて生きたフェリシテと、同じ女性性というものの現実を描いている点において、同じテーマ性を持っているのでは?

 ミッテラン図書館

 
私の好きな「純な心」が映画化され、パリの最後の日に公開されたというのも、偶然ではないように思われる。
 愛情を注いだ甥のルールーが、南米で亡くなり、隣家のオウムが南米産
だと聞くと、甥が、フェリシテの元に、戻って来たと思う、おうむ(ペロッケ)がフェリシテになつく様子、甥のルールーとフェリシテ の愛情関係、亡くなったお嬢様の体を清める様子などは、文字を超えて、映像が痛いほど描ききっていた。
こうして書きながらも、涙があふれて止まらない。
  

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2008年03月25日

祭日の早朝はご用心


 


 息子のパリ滞在は、今日一日だけだが、昨日の疲れと時差ぼけで、一旦は朝食を取ったものの、お腹が膨れると再び眠気が出て、スースー気持ちよさそうに寝ている。日曜日の朝市を見に行きたいと云っていたので、11時半に起きてもらった。
 今日は晴れている。昨日と今日が入れ替わって入れば良かった。朝市で、牡蠣ばかり売っている所があり、新鮮で大きな牡蠣が、魚屋の半額くらいで売っている。立ち止まると、味見してくれと言って、素早く牡蠣の殻を開けてくれた。私は食べないし、息子は、もういらないという。二人が譲り合っているので、牡蠣屋は、もっと大きいのがほしいんか、と聞く。
牡蠣屋の隣に来た人が、いつも買っている魚屋の若者だった。
「うちの牡蠣と同じような良い牡蠣で、こちらのほうがもっと美味しくて安いよ。」
そう言ってくれるので、6個ほしいと云った。
「 6個と云わずに12個買わないかい。」
「開いたのを入れて6個でいいです。」
「それはいい。さあ、どうそ。」
 大きな牡蠣ばかり選んで6個で、6ユーロだった。それから新鮮なばい貝を買った。
このままで食べられるのかと聞くと、ブイヨン、オリーブ、タマネギなどの野菜を入れて20分湯がいてから食べるように云われた。綺麗なのは、生だったからだった。

 


 一旦、持ち帰ってから、ラーメンのような暖かい物が食べたいというので、いつも人で一杯、外で並んで待っている、ベトナムラーメンの店に行った。今日は得に並んでいる人が多い。それでも食べればすぐに出てくるので、それほどの時間はかからなかった。
 息子がボストンのベトナムラーメンの店に行くと必ず注文するのと同じラーメンを注文した。薄切り肉が、まだ赤身のある状態で乗っている。 私がボストンで食べるものよりもこちらの方が美味しいのは、お肉が入ってるからだそうだ。ボストンでは肉を食べないので、海鮮ラーメンを注文する。あっさりしているが、それほど美味しいとは思わなかった。これは美味しい。息子は、ボストンの方が美味しいと言う。きっとそうなのだろう。 焼き飯と生春巻きを注文した。焼き飯が美味しいらしい。生春巻きも美味しかった。
 
 

パリでベトナム料理の美味しい所は多い。材料が新鮮でお肉が柔らかかった。値段が安いのも魅力なのだろう。お茶を注文すると、薫り高いジャスミンで美味しかった。値段は安くないね、と息子が言ったが、こちらはアメリカのようにチップが入らないから、同じようなもの。
 そこを出て、ミッテラン図書館を経て、ボーボワール橋を渡ってベルシー公園を歩いた。ベルシー公園の先は、ベルシー村という、モールのように店が並び、レストランが並んでいる場所がある。そこから、地下鉄に乗って、シャトー、ド、バンセンヌまで行った。
 それでも、昨日の歩きに比べればわずかだけど、アパートに帰って休むことに。あとはだらだら、ビールを飲み、牡蠣を食べ、昨夜買って使っていないホタテ貝で、スパゲッティーのクリーム煮を作って食べた。


 


 従姉妹にお礼の電話を入れると、明日は休みだから車で送ってくれるという。朝早いから、大丈夫だと遠慮したが、彼女が送りたいのだから、と。私は4時半に起きて、準備を整え、迎えの車が10分前には来るだろうと気になっていたのに、息子は25分前まで寝ている。 コーヒーを飲み、いざでようと思うと、トイレに行くという。いつもこれだ。ぎりぎりになってから行きたいと言い出す。外でエンジンの音が聞こえていたので、私は冷や冷やものなのに。
 やっと出ていくと、「いつまで電気がついているのか。10分前に出てくるのが常識だ。」と怒られた。私はそういうことは身にしみているのに、息子はまだわかっていない。
 祭日の早朝に、PERに乗る人はいないという。最も危険なのだという。誰も乗らないから、犯罪はし放題、そばに人がいても誰も助けてくれないらしい。
 空港バスか、タクシーでなければ危険だと、誰でも承知している事だという。パリは危険だとは、何度も聞いているが、祭日の朝や夜の郊外電車は一番危険で、犯罪のし放題だという。やれ、助かった、従姉妹のお陰だと有り難かった。回数券を買っているので、知らずに、乗っている所だった。
  

Posted by アッチャン at 20:09Comments(0)paris

2008年03月25日

つかのまのパリ滞在


  

  朝の11時25分着の飛行機だと思っていた。掲示板の見ると、BA306というのが、11時40分着予定になっているのに、到着が遅れるようだった。11時25分着はAFですでに到着して、2Fゲートになっている。BAは 2Bゲートで反対側にある。2Bに行き、308便はいつなのかと聞くと、1時45分になるという。遅れるだろうと言う。それで、308は何かのトラブルで、遅れるのだろうと思って待っていた。

 自由の女神の原型

 BAのチケットカウンターで聞くと、はやり同じことを云われ、2時に着く予定だという。1時間半近く待っていたが、もう一度、時間が早くならないのか聞きに行った。別の女性に、11時25分につく予定だった飛行機でBA308だというと、その時間ならAFだという。あわてて、そこから走って AFまで行った。まだ待っているだろうと。息子はいない。もう一人でパリに行ったのではないか。公衆から従姉妹の家に寄っていないかと電話をした。一番忙しい最中で、すぐに電話を切った。
 それから、手帳を見直すと、11時25分Aと書いたのは、その時間にロンドンを出る飛行機だということだとわかった。アライブと間違えていて、AMのことのようだ。 だからまだ掲示板も出ていなかった事に気がついた。掲示板に308が出手来た。遅れるようで、2時半の予定と書いている。着いたのは3時だった。何度か電話してもかからなかったので、メールをもらったきりになっていた。気になりながら、行けばわかるだろうといいかげんにしていたのが悪かった。
 従姉妹のレストランに、顔を出し、挨拶してすぐに帰るつもりだったが、生ハムとワインを出してもらった。


 ソルボンヌ大学

 朝のうちに、近くの魚屋で、牡蠣、コキーユサンジャック、エビを買っていた。最初は海鮮の盛りつけにしようと思ったら、55ユーロと言われ、ウニをやめたら、プレートの盛りつけに12ユーロいるのと云う。それでそれもやてもらって、28ユーロだった。結果はこの方が良かった。盛りつけなら冷蔵出来ないので、夕方までそのまま置いておくことになってしまったから。
 アパートで、海鮮とサラダで食事をしてから、その日の内に、吉田さんのアトリエを訪問した。吉田さんと親しい人で、吉田さんに随分長い間お世話になった人が、今は大学に職を得て、忙しく活躍しているので、最近はほとんど来られない人が、連休を利用して泊まりに来られると楽しみにしておられた。予定が一日延びたので、今夜は来られないことになった、とおっしゃる。食事を済ませたから、と言って、ワインを持って出かけた。
 翌日はと聞かれ、そのあたりをぶたぶらするというと、明日案内するからと言われて翌日の11時に、再び吉田さんを訪問することになった。




 アパートに帰り、再び飲み、残り物をつまみ、寝たのは2時を過ぎていた。
 翌朝、雨が降っている。予定は変更になりそうだと思いながら、吉田さんのお宅に行くと、エレベーターから降りて来られた。
 吉田さんの頭の中で描いた、観光ルートは、まずルクサンブルグ公園から始まった。雨が降って道はぬかるみ、寒かった。ルクサンブルグから、ソルボンヌ大学、カルチェラタンを歩き、中世美術館まで来ると、中を見ることになった。中は暖かく、暖を取るにも丁度良い。ギメと同様に6月まで無料になっている。そこから、ノートルダム寺院に行くと、中に入ろうと行列が続いている。中は見ず、裏の公園の廻って、そこからマレー地区の方に歩く。吉田さんが、最初に入っておられたパリ市のアパートがその近くにあり、その辺りは毎日の散歩道だったとか。河原で石を削っていた場所。マレーにはおしゃれな店が狭い道の両側にならんでいて、この界隈は重い扉を開けると、中庭があり、高級住宅街になっている。岸恵子もこのマレーに住んでいると雑誌で見たことがあった。

 コキーユ、サンジャック

マレーを抜けて、教会に入り、その近くで休みをかねてレストランに入った。
吉田さんはお腹を壊してるので余り食べられないとおっしゃって、コキーユサンジャックを注文、息子は子牛肉で私はサラダを取った。再び歩き出し、雨が霰か雹にかわっている。ユーゴーの家がある、ヴォージュ広場の回りを一周して、バスティーユ広場に。このころには、もう大分疲れていた。

 

吉田さんはお元気だ。一端バスに乗り、3駅先のシャトレで降りて、ポンピドーセンターまで歩くのも、見せたい道を通るので、遠回りになる。シャトレから凱旋門まで地下鉄に乗るのかと思い、そこに地下鉄がありましたよ、と言うと、あれは別線だと言われてひたすら歩く。フォーラムの公園のあたりを歩いて、ルーブル宮まで歩いた。やっとそこで地下鉄に乗り、凱旋門に行くと、あの回りは地下に入ったり出たりと歩道がないので、歩かないと行けない。凱旋門にあがって、放射状になっているパリを見せるつもりだったが、ここでも待つ人がすごい。で凱旋門の下から、放射状の道を見て、そこから吉田さんは、モンマルトルに行くつもりでおられた。もうこれで十分だから、疲れてもう歩けませんとお断りして、やっと観光案内は終わった。息子も気を遣っていたし、吉田さんも無理されていたようだった。


 


 息子は仕事を終わってやってきて、時差ぼけと疲れで、もうこれが限界だったし、吉田さんは、吉田さんで、お腹の調子が悪いのに、無理されていたようだ。持久力と忍耐力は並はずれた強さを持っておられる。
 アパートに帰り、見届けてから、お暇しますと云うと、吉田さんが紹介したい人がすぐにやってくるからそれまで待つようにと言われた。そこに電話が入り、電車の予定が1時間遅くなるとのことで、お暇する事に。
 強行軍のパリ滞在で、疲れたけれど、良く歩いて、パリを知ることが出来た。雨と霰と、時折は晴れの空の中で、随分よく頑張ったものだと思う。これが私と二人だけなら、ちょっと歩いて、帰って来たことだろう。パリのほぼ主たる所を歩いたことになる。
 近くの魚屋は、フリ、ド、メールの注文品が並んでいる。朝山盛りになっていた牡蠣に底が見えるほどで、ホタテ貝は無くなっていた。一番小さな牡蠣が残っていて、それを買った。ホタテ貝とバイ貝にエビ、タルタルソースを買った。  

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2008年03月25日

パリに住む人


 

  パリに来て、あっという間に日が過ぎて行く。もうあと1週間しかない。行きたい所にほとんど行っていないようにも思える。夜は、毎日のように、コンサートかオペラ、演劇と美術館に行っていて、時間を気にしないで、ゆっくり散歩したこともわずかしかない。デパートにも行っていないし、、ウィンドーショッピングもする時間もない。
 パリの日常生活を描きたくて、そこまでの余裕がない。あともう一月あれば、と何時来てもそう思う。来るまでは、一月どうして過ごそうか、地方に行こうか、イタリアか、スペインか、それともオランダか、近くのベルギーに、と行きたい所を山ほど考えるのに、

 

パリにいるだけでいつも時間が足りなくなる。1年くらいじっくりと腰を下ろしてパリに暮らせば、日常のパリに出会えるだろうに。フランス語に、毎日触れているので、1年もあれば、相当出来るようになるだろう、とも思う。日本に帰れば、もう一度地道に勉強したいと、今は思っているけれど、いざ日本語の国に着くと、すっかりフランス語とはおさらばして、ごろごろテレビのお守りをして過ごす。あちこち体が悪くなり、ヘルスクラブに通うか、温泉に浸かりたい願望に囚われるか。
パリの住民だって、私が日本生活しているような過ごし方と、そう変わりはないだろう 向かいのアパートの窓から、大型のテレビが見える。会社から帰ると、ご飯を食べながら見ているようだ。テレビは夜がふけるまでずっとつきっぱなしだ。
 パンを買い、野菜を買い、食べものを買って、毎日の生活が過ぎていく。娯楽は、パリ中、どこにでもある映画館か、アパートから抜け出して、公園を散歩するか。

 

 パリには各地区に大きな図書館がある。図書館が充実していて、家族で利用している。音楽のディスクやレコード、ビデオテープなどの貸し出しを利用している。
なんで、こんなに図書館が多くて、しかも立派なのか、と感心する。失業者への配慮も日本では考えられない優遇措置だ。
パリでは、ぶらぶら生活を送っている人も多いようだ。ものごいも多い。至る所で手を出している。お金をくれ、と言って。
犬の糞は相変わらず多い。罰金が科せられるようになったと聞いても、道を歩けば糞に当たる。
 バスに乗っていて、恐ろしい思いをした。足の悪い老人が、隣に座っている男に、席を譲るように云った。男は、向こうに空いた席があるだろう。あちらに座れ。と言う。
老人は頭に来たのだろう。持っている杖で殴ろうとした。二人はつっかかみの状態になり、隣で座っている私は、思わず中腰で避ける姿勢になった。
 運転手がやってきて、もうこれは終わり、お互いに静かに気を静めて、と言う。老人は夫婦連れだった。後ろが空いて二人が座った。隣の男は文句を言い、後ろで奥さんが、かかわらないように老人にと手で、唇を押さえ、黙っていましょうと促していた。
 男がしきりに文句を言っている。早く男が降りないかと、気が気でなかった。プラスイタリーまで来ると、ようやく男が降りた。捨てぜりふを言って。
 彼が出ていくと、身障者優先を書いている、と奥さんに言っている声が聞こえた。
  

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2008年03月20日

パリ市近代美術館

 

   ギメから歩いて5分の所に、パレ、ド、東京とパリ市立近代美術館がある。近代美術館は、パーマネントコレクションは何時行っても無料なので、ここにある、デュフィーの部屋を見に行くだけでも足を運ぶ価値はある。大円型の部屋の壁一杯に、絵が描かれていて、ブルー、赤、緑への色の美しさ、音楽団が音楽を奏で、回りには賢人、芸術家、政治家、哲学者や、文人など、名前入りで沢山の人間が描かれていて、音楽堂になっている。 地下には、マチスの部屋がある。コレクションは、年代順になていて、60年までの国境なき世界感にもとずいた作品、60年以降の政治的イデオロギーの作品というのが成る程と おもしろかた。

 


 この美術館が買い上げた作品と、画家の献上品とを比べながら見るのもおもしろい。
コレクターの寄贈品を見ると、その人の好きな傾向が見える。
 画家のアトリエでの姿を絵画にしたものを見るのも楽しい。
アトリエでのマイヨール、アトリエでのボナール、など。


 


ボナールの絵画は、近づくと何を描いているのかわからない。ほとんど抽象的なのに、距離を置くと、はっきり見えてくる。絶えず、距離を移動しながら描いているのだろうか。アトリエでのボナールは、距離を置いて絵画を 見ている絵だ。
 ピカソとブラックの絵画を見比べる。どちらの絵も良い。ブラックはグレーが主体になっていて、落ち着いた色合いがいいなあ、など。モジリアーニと隣にかかっていた、肖像画には、共通するものがあるように見えた。同じコレクションだった。
藤田嗣治の絵画が一枚ある。これは画家による寄贈品で、買い上げたものではなかった。キキ連れて、パリの寵児になっていた頃の作品で、彼の作品の黄金期のものだ。




  

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2008年03月20日

ギメで、江戸企画、日本映画

 

 



 ギメ美術館は、「江戸」というタイトルで、日本の歌舞伎、映画、文楽などを取り上げていて、水曜日に、溝口監督の「雨上がりの朧月夜の話」という1952年にベネチア映画祭に出品された映画を上映するというので、再びギメに行った。
 入場料は4ユーロだった。トイレに行っている間に、映画はすでに始まっていて、会場は満員で、階段にも人が座っていた。一旦はそこに座っていたが、最前列は少し空きがあるようなので、移動すると、、2番目の端が幸い一つだけ空いていた。
 画面が大きいので見にくいけれど、声が良く聞こえる。階段では聞き取りにくかったから。
 琵琶湖のほとりで焼き物をして暮らしている夫婦と子供、畑を耕して暮らすその弟夫婦がいる。戦争で焼き物が売れ、妻に小袖を買ってやれるようになると、お金ほしさに、人が変わったように陶器作りに精を出す。長浜に売りに行き、弟は売れたお金で槍を買い、兵士に志願する。置きざりにれた女房は、野武士達に犯される。敵の大将の首を手に入れ、出世をしたので、故郷にいる妻の元に帰る道すがら、女郎館に寄って、女房に出会う。
 一方女房子供を置いて来た焼き物師は、美しい姫に焼き物を買うので届けてほしいと言われる。そのまま、その男は姫の虜になり、結婚するはめに。やがて僧侶が出てきて、恐ろしい死の相が出ているので、せめて命が助かるようにと体にお経を書いてくれる。
 その姫は、恋いも知らずに、城主の父親と共に焼け墜ちた亡霊で、男を死の国に引き連れようとしていたが、なんとか男はお坊様のお陰で助かり、目が覚めて女房子供の所に帰る。家は荒れ果てているが、女房が迎えてくれる。寝ている子供のそばで眠るにつく。朝が開け、子供を預かっている親戚がやってくる。急に子供がいなくなったので、と。さすが、父親が帰るのを感づいたのだろう。
 母親は、落ち武者に斬り殺されたと男に告げる。 
女房の声が聞こえる。
「私はいつまでもあなたのそばにいます。こうしてろくろのお手伝いをしているのが幸せです。」轆轤が廻っている。男は轆轤の上で陶器を形作っている。以前に女房が轆轤を回していたように。
 弟夫婦は、再び畑に精を出して働いている。お椀をもらった子供は、母親のお墓に供えて拝んでいる。のどかな山里の風景が広がる。

 映画の始めに、おぼろ月夜にお金持ちになりたい、侍になって出世をしたい、と夢を語っていた4人が、人間の幸せは、そうい


う所にはなかった、大切な物を失ってしまった、平凡な日々の営みの中に、思い合う心の中に、はかない人生の幸せがある、ということをこの映画は表現しているのだけれど、人間の欲望とはかなさ、哀れさ、その奥に能の世界がある。空蝉の、幽玄の世界を表現してる。それ故に、これだけ多くのフランス人達がこの映画を見たいとやってくるのだろう。
会場を出て、案内の看板を写していると、初老のフランス人が、ほしいのならあげましょうと。係の人がポスターにしている印刷の紙をはずしてくれて、「この人はここのシェフです。」と。つまりギメ美術館の現館長だった。



 
 水曜日は、学校が午後から美術館での課外授業になっているらしい。館内では、ガイドさんも沢山出ていた。この間、ゆっくり見ていなかった所をもう一度、と思って見て回った。日本はやはり素晴らしい。マリーアントワネットが母親からもらって使っていたという日本の蒔絵が素晴らしい。
富岡鐵才の屏風が4点ほどあって、どれも見事な筆使い、遊び心もあり、豪快名作品ばかり。光悦様用の注文品の茶碗など、じっくりと見ると又、楽しい。
 
 驚きは、アフガニスタンの美術だった。この前来た時にも、ガラス工芸の美しさや、顔の作りの美しさに惹かれていた。2世紀にはグレコ、3世紀になるとブディズムになる。アフガニスタンの美術は、どれも素晴らしく高度なものだ。  

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2008年03月20日

DIANA DAMROW

 

 


 火曜日の夜、シャンゼリゼ劇場で、DIANA DAMROWというソプラノ歌手が、モールアルトとサリエリの曲を交えて、歌った初めてのコンサートがあった。
オーケストラ、パリ、アンサンブルの演奏で、オペラの良く聞く、楽曲があり、次にソプラノ歌手の歌を交えての演奏という2つの組み合わせで進行する。
 指揮者は中国人のようで、Josheph Swensen という人で、情熱な指揮者だった。
 ソプラノ歌手の声が素晴らしく、楽器の用で、歌唱力も抜群、その上、若くて美しい人だった。オレンジに近い赤いドレスが華やかだった。最初に自分のギャラリー番号に鍵がかかっているので、叩くと、中に座っている人が、下の空いた所に行けば良いと言う。

 

 下に降りて、座ってもいいのかと訊ねると、空いたところに、と言われた。
休みを挟むと、オーケストラの空いた所は詰まり、二階も詰まっている。皆が移動しているようだ。私も更に階下の第一バルコニーに移動した。
彼女が途中で歌をやめた。指揮者は、第一バイオリン奏者に何か言っている。クラリネット奏者が入ってきた。ごめんなんさい、という合図をして。ソプラノ歌手はもう一度始めたから歌う。笑いとハプニングが起こった。 


 演奏会は大成功で、アンコールがやむことなく続き、4曲も歌ってもらった。客が帰らないで、拍手が続いたからだ。

終わって帰ろうとすると、下で人が固まっている。なにかと思うと、ディスクを買っている。私も1枚買って帰ろうかと思うと、皆が待っていたのは、今夜の歌姫だった。並んでサインをしてもらうために。彼女が現れ、私も買ったディスクにサインをしてもらうのに並んだ。前で並んでいる老人がいて、手に新聞のようなものを持っている。体から何とも言えない異臭が漂って来る。長い間、お風呂も入らず、衣服も変えず、すごい匂いだ。

 


 彼の番になり、ソプラノ歌手に、長い間話しかけ、興奮した様子だった。背の高い老人で。背中が曲がっていても大きな人だ。雑誌のような所にサインをもらっていた。皆、随分感激した様子で、歌手と話をして行くので、なかなか時間が廻って来ない。
 11時をとっくに過ぎて、アルマ橋の地下鉄駅に着いたのは11時半だった。
彼女のこれからの活躍が楽しみだ。こういう素晴らしい声を聞くと、シャンゼリゼ劇場に出る人は違うなあ、と思う。
 6月13日に、小沢征爾さんが、水戸オーケストラを率いて、シャンゼリゼ劇場で演奏する。きっと観客を興奮させてくれるだろう。紹介に、ボストンで長く音楽監督を務め、日本では斉藤記念と水戸に力を注いでいる。日本で最高のオーケストラを率いてやってくると書いていた。
  

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2008年03月20日

DIANA DAMROW

 

 


 火曜日の夜、シャンゼリゼ劇場で、DIANA DAMROWというソプラノ歌手が、モールアルトとサリエリの曲を交えて、歌った初めてのコンサートがあった。
オーケストラ、パリ、アンサンブルの演奏で、オペラの良く聞く、楽曲があり、次にソプラノ歌手の歌を交えての演奏という2つの組み合わせで進行する。
 指揮者は中国人のようで、Josheph Swensen という人で、情熱な指揮者だった。
 ソプラノ歌手の声が素晴らしく、楽器の用で、歌唱力も抜群、その上、若くて美しい人だった。オレンジに近い赤いドレスが華やかだった。最初に自分のギャラリー番号に鍵がかかっているので、叩くと、中に座っている人が、下の空いた所に行けば良いと言う。

 

 下に降りて、座ってもいいのかと訊ねると、空いたところに、と言われた。
休みを挟むと、オーケストラの空いた所は詰まり、二階も詰まっている。皆が移動しているようだ。私も更に階下の第一バルコニーに移動した。
彼女が途中で歌をやめた。指揮者は、第一バイオリン奏者に何か言っている。クラリネット奏者が入ってきた。ごめんなんさい、という合図をして。ソプラノ歌手はもう一度始めたから歌う。笑いとハプニングが起こった。 


 演奏会は大成功で、アンコールがやむことなく続き、4曲も歌ってもらった。客が帰らないで、拍手が続いたからだ。

終わって帰ろうとすると、下で人が固まっている。なにかと思うと、ディスクを買っている。私も1枚買って帰ろうかと思うと、皆が待っていたのは、今夜の歌姫だった。並んでサインをしてもらうために。彼女が現れ、私も買ったディスクにサインをしてもらうのに並んだ。前で並んでいる老人がいて、手に新聞のようなものを持っている。体から何とも言えない異臭が漂って来る。長い間、お風呂も入らず、衣服も変えず、すごい匂いだ。

 


 彼の番になり、ソプラノ歌手に、長い間話しかけ、興奮した様子だった。背の高い老人で。背中が曲がっていても大きな人だ。雑誌のような所にサインをもらっていた。皆、随分感激した様子で、歌手と話をして行くので、なかなか時間が廻って来ない。
 11時をとっくに過ぎて、アルマ橋の地下鉄駅に着いたのは11時半だった。
彼女のこれからの活躍が楽しみだ。こういう素晴らしい声を聞くと、シャンゼリゼ劇場に出る人は違うなあ、と思う。
 6月13日に、小沢征爾さんが、水戸オーケストラを率いて、シャンゼリゼ劇場で演奏する。きっと観客を興奮させてくれるだろう。紹介に、ボストンで長く音楽監督を務め、日本では斉藤記念と水戸に力を注いでいる。日本で最高のオーケストラを率いてやってくると書いていた。
  

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2008年03月20日

教会での無料のコンサート




 土曜と日曜日には、あちらこちらの教会で、コンサートが催される。夕方の6時から、パリ市庁舎の近くにある教会でのコンサートを聞きに行った。大きな地図で辺りをつけておく。
 今日のコンサートは、パリ4大の主催で、コーラスが入り、テレマンの作品で、日本人のソプラノとフランス人のバリトンの歌が入っている。演奏はたいしたことはなかったけれど、パイプオルガン奏者が素晴らしかった。
 日本人の岡田清子さんという人のソプラノが良かったので、盛大な拍手をもらっていた。教会の中なので、音響効果も良い。コーラスがはいると、荘厳さが加わり、盛り上げてくれる。

 

 演奏会が7時過ぎには終わり、外に出ると大雨だった。それから、この前に行ったアメリカ教会での8時からのコンサートを聴くために、地下鉄に乗り、アンバリッドで降りると、地下鉄の線が違うので、セーヌ川の道を探すに人に尋ね、相当歩いて、やっと会場につくと、今夜は、若い者達のパーティー会場になっている。会場は、アメリカンカテドラルの方で、アルマモルソーに近く、そこから大分歩いて行かねばならない。雨の中を、アルマ橋まで歩き、バスで一駅乗って、そこからカテドラルが見えているけれど、歩くと結構あるような感じがする。
 カテドラルは立派なもので、コンサートはすでに始まっていた。中国人女性、Han-        Lin Lianの第一バイオリン、韓国女性Hyun-Ji You
の第二バイオリン、アルトにドイツ人の男性が加わり、チェロ奏者も中国の女性だった。素晴らしい演奏で、パンフレットを見ると、大阪の国際音楽祭で、毎年賞を取っていたらしく、スタットガルトのJade 四重奏楽団という名前だった。
 モーツアルトと、Schoenberg、Weben, Weigl の作品を演奏していて、モーツアルト以外、私は知らない作品ばかり。
 2部は、中国人のソプラノ歌手の歌と演奏だった。ソプラノ歌手はやせて細い人で、声は透明で素晴らしいけれど、演奏に消されて、あまり通らない。



 Evelin Chin-Yihという人で、(www.eccmusic.info)キャリアが長く、ニューヨークのコロンビア大で教えていた人でもあり、大学で教えている人とか。
髪が白髪交じりで、真っ赤なチャイナ服がよく似合う人だった。
離婚した女性が子供と離れることが出来ずに、再び夫の元に戻る決心をするという、苦しみに満ちた歌を、表現豊かに、透き通った声で歌い上げる。演奏がもう少し、押さえた方が良かった。終わるとあまり拍手がなくて、しばらくしてから出てこられた。アンコールがなく、寂しい感じだった。演奏会は結構長く、2時間以上なので、、帰りを急ぐ人も。
四重奏団は、アジアを始め、世界で毎年演奏会を行っているとか。

  

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2008年03月18日

太陽劇団

 
 


 日曜日、カルトシュリーに出かけた。今日を逃せば、「太陽劇団」のLes Ephimeres を見ることが出来ない。従姉妹に借りていたサックを返し、そのまま行くつもりだった。従姉妹の店をカメラに取ろうとして、メディアが入っていないのに気づいた。アパートに取りに帰り、1時に無理かもしれないがとにかく行ってみようと思った。
 1号線の終点駅で降りると、ヴァンセンヌの森が見える。カルトシュリー行きのナベット(無料の送迎バス)を待っていると、チケットは持っているのかと聞かれた。これから買うと言うと、これをあげます。記入して持って行けばいいですよ、と親切に無料と書いた紙をくれた。読んでみると、どうやら別の催しのようで、近くのパークで今日の催しに無料で参加でき、入場料が7ユーロになるというものだった。テーマは「別の人生」というのもので、お化粧の仕方、エステティックの無料体験、美味しい食事の仕方や、料理の実践などだった。

 

 カルトシュリーにつくと、彼女は、ここではないと運転手に言っているのが聞こえた。私が劇団のチケット売り場に歩いていると、その女性と一緒に話をしていた男の人が走って来て、この紙は、ここでは使えませんと言いに来てくれた。
「わかってます。ありがとう。帰りに時間があれば行ってみます。」と答えて、チケット売り場に並ぶと、彼は予約で買っていたチケットを受け取って、テントに中に消えて行った。売り場で、一枚と言い、25ユーロ出すと、50ユーロだと言われた。何故だ、一回券は25ユーロだと思うと言うと、今日は一部と二部の通しの公演で50ユーロなのだという。
 そう言えば、50ユーロと書いていたなあ。何時に終わるのかと聞くと、8時だという。思案して一度はやめると言ったものの、せっかく来て、まだ間に合う、急げばと言われたので、チケットを買って入った。 この公演は、ムヌーシュキンの演出で、随分前からやっているが、公演の時期は、その都度変わるので、今回は3月20日が最後になっていた。
 


平日は、月、水、金が一部、火と木が二部というように分かれていた。土日だけ、二部を通してやっている。それで、50ユーロだったのだ。一部が間の休みを挟んで3時間半になっているので、内容がわからなかったら、7時間も居られないと思ったけれど、内容はいたってシンプルなので、最初から最後まで良く理解出来た。両側に客席を挟み、中央が舞台になる。始めに、丸い板を持って中央に進み、そこに小道具を並べる作業から始まる。舞台は、二人の人間が、バレーのような身の動き型で、円形の舞台を回しながら移動する。 円形の舞台は、ほとんど動き続けながら、両側の客にまんべんなく見えるようになっている。その動きが速くなったり、遅くなったり、演ずる人達の心理作用を表現する効果もある。円形の舞台は、一つは部屋、一つは玄関口、あるいはキッチンなどと、いくつもに分かれている。舞台も、演ずる人も絶えず、流動的になる。二階で、舞台の進行に合わせて、様々な楽器を使って演奏している人がいる。インドやイスラム、様々な国の弦楽器を、時には両手で二つの楽器をあやつり、口笛を吹き、太鼓を叩き、チェロも演奏している。白いひげの初老の演奏家が、階下の舞台を見下ろしながら演奏している。
 
 

私は最後に入ったので、案内されたのは最上階の席だった。それがかえって、一番良い席のように思われた。絶えず、全体が見渡せるからだ。片側に座っている人達は、動いているので、自分の前に回っている様子が見えるが、私は全てを見ることが出来る。それにテント小屋なので、演ずる人の表情の一部始終までよくわかる。

 

 題名は、「つかの間の」とか「うたかた」とか言う意味で、つかの間の、通過していく人生模様を描いている。人間の喜びと苦しみ、悲しみ、不幸など、通過して行く人生の一こまを描いている。1部に間を挟んで7つずつの14のエピソードがある。2部合わせて29のエピソードで作られている。
休憩時間になると、大ワゴンの上に、ビスケットとコップが出てきて、観客にお水とビスケットが振る舞われる。舞台はあふれるほどの人で埋まる。
 一部が終わると、夕方の食事時間になる。別の公演も行う広い場所で、太陽劇団の団員が全員で、隣のキッチンから食事を運んできて、接客しながら働いている。サラダ、ケーキ、ヨーグルトなどの軽い食事とカレーがある。殆どの人がカレーを注文している。私もそれを食べてみたくなった。以前に太陽劇団を見た時には、この場所が舞台だった。その横に、役者の部屋があって、始まるまで全体を開けていた。




豆とヨーグルト、お米とカレーが大きな皿に4つになっている。7ユーロ。始めに違和感があるが、美味しいカレーだった。ワインは一杯250円くらい。イスラムのお茶を売っているコーナーがあり、チャイ、チャイと言って、出演している男の人がその子供役の女の子を連れて、ワゴンで廻っている。役者の部屋は、その客席の真下に位置する。
白くて薄い布をかけていて、いくつも間から見えるように穴を開けてある。何もかも、観客と共同の作業というのが、太陽劇団のポリシーだ。
 舞台が始まる前になると、その人が、今度は子供達と舞台の掃除をしていた。
客席は板なので、座っているとお尻が痛くなる。寒さもある。毛布を借りている人達や、クッションのようなものを借りている人達がいた。
 
 

2部も、一部の話を展開させたものだった間の休憩には同じように、ビスケットと水が振る舞われる。円形の舞台が、外にでいたので、写真を撮った。舞台装置は外で操作している。テントの中の全ての場所が使われている。




最後の方で、日本語で「ドナドナ」を歌う男の人が出てきた。カフェの客で、伴奏に合わせて歌う役だった。その歌が、いろんな国で歌われている歌なのだとフランス語で説明するせりふを言う。で、思い出した。確か、太陽劇団に憧れて、年配の男性が入団した、という話を、日本の雑誌で読んだこととがあった。その人が、この人なのだ。フランス語がわからないのに、と。まさに演劇に国境なし。太陽劇団で、ドナドナを日本語で歌っている。世界中で歌われる反戦歌で、ジョーンバエズという人が歌っているのだよ、と子供に説明していた。彼が自ら作ったせりふと役のようだった。
 
 


8時に終わるといったけれど、それはあくまでも目安、1時に始まる予定が少し延びていたように、終わったのは9時だった。アンコールアンコールの拍手をしすぎて、手が内出血してしまった。何度目かのアンコールで最後にさしかかるころ主催者の、ムヌーシュキンが子供達に手を引かれて出てくると、割れるような拍手。私も感激のあまり泣きそうだった。美しく知的な女性だった人の髪は白くなり、体も太って、背丈は小さく見えたが、豊かな大地のように見えた。足はあくまでもゆたりと軽やかで、熟達した人間性に輝いている。
 



久しぶりに、演劇の舞台に参加した、本当の演劇に出会った、という感激に浸ることが出来た。来て本当に良かった。見ることが出来て幸せだった。つかのまの、うたかたの、それだからこそ、真実の時間を共有し、生きている喜びに浸っていた。


  

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2008年03月18日

幸せな夏、春のシネマ祭り

  


土日月の3日間、春のシネマ祭りとして、パリ中の映画館で、3ユーロ50という値段で、映画を見ることが出来る。土曜日と日曜日は、避けて、最後の月曜日の朝、近くにある
シネマに行った。
 10作品ほどが上映されている。その中で「幸せな夏」という作品を選んだ。
前にいた人が、2枚のチケットをもっていて、私に買わないかと訊ねて来たが、なんとい題かと聞くと、「パリ」だというので、私が見たいのは別のフィルムだと断った。
 その人は、窓口で払い戻しを頼んで、しばらく問答していたが、お金を戻してもらっていた。
「幸せな夏」は、ジュリオット、ピノシェが出ているので、内容はわからずに選んだけれど、地下鉄の中でも宣伝していて、この映画館の前にも大きな写真が出ていた。

 

 田舎のアトリエ兼用の家に、75歳になるおばあさんが、年老いた家政婦と暮らしている。映画の始めには、庭で戯れる子供達の姿から始まる。75歳の誕生日を祝いに集まった子供達とその家族の幸せな光景から始まる。母親は、画家の作品を大切にし、食器や、素晴らしい机、中国の飾り棚などを、使いながら親しんで暮らして来た。長男だけを呼び、デッサンや、画家が最後に書いたデッサンなどを見せ、自分の死後のことを託す。
 やがて彼女が亡くなり、3人の子供達はそれぞれの生活があり、話の結果、それらのものをお金に換えることになる。家政婦は老人の家に行き、家は長い間空き屋に。
 家政婦は、絵の評価にやってきた人達がいる家にやってくる。いつも活けていたガラス壺に、活ける花を持って。いつものデスクに花を飾り、自分用に、ガラス壺を一つ持ち帰る。娘は、誕生日に見て、気に入った銀細工のプレートと食器を自分用に取っている。あとは興味ないからいらない、と。鑑定家達が、作品を整理していく。長男は、母親の意向をくんで、アトリエを残したいと思うが、次男が3人の子供が居て、生活が大変だから、処分してほしいと言われて、何も言えなかった。自分達でも、どうにも出来ないことだった。素晴らしい作品の保存を考えて、級友の鑑定家各美術館に働きかけた。壊れた像の修復をした。


長男夫婦は、オルセー美術館のデコラティフのアールヌーボーのコーナーで、母が使っていた机を眺める。いつも行けていた、花瓶も、ガラスの中に収められている。
 やがて、放置された田舎屋に、長男の娘が友人達を引き連れで、どんちゃんさわぎのパーティーを計画、その準備を彼らがしている情景が映し出される。がんがん鳴る音楽。マリファナを吸う子供達。
 娘は、そこから抜けだし、子供の頃の、幸せな時が、無くなってしまった感傷に浸る。 先日、オルセーに行った時に、アールヌーボーのコーナーを見てまわった。その同じコーナーが出ていた。見学者達に、その机の説明をしている。
 家具や、食器、花瓶など、生活の一部で、本来使われる人に愛用されてこそのものだけれど、主が亡くなると、美術品になる。鑑賞の為の。「幸せな夏」は人の存在が消えると共に、失われる。
   

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2008年03月18日

ジュ、ド、ポムj


 


  シテラマという雑誌に、入っている券を従姉妹にもらった。土日の二日間、フランスの200の美術館に入場出来るというものだった。名前を住所を書き込んで持って行けば良いらしい。インターネットで調べると、パリでは、「ジュ、ド、ポム」に行けると書いている。コンコルドにある美術館で、今は特別展の開催中だから、常設はないと書いていた。 今は、全館で、ビデオフィルムの上映が行われている。30分くらいの作品が、6つくらい、各部屋で繰り返し、英語とフランス語の交代時間で上映されている。最初に入る部屋は、4面が大きな画面で、真ん中に椅子が置かれている。あとは立って見るか、床に座る人か。
 デンマークの作家によるもので、これが良かった。作家の生活、作品へのイマジネーションで、ストーリーが映像化され、言葉が交わされる。イスラム人を探し、家にに押し入った兵士が、彼らを捕まえ、銃で射殺する場面は、見ている人達に向けられる。強烈な炸裂音と恐怖の疑似体験、イスラムの家で眠る子供達が、砂漠で、ヨーロッパ人の友達と戯れる映像、作家の中に、神がやってきて、彼女と話をする。
 
 

イスラムの二人の子供の一人はアルジェリア、一人はイスラム 、一緒に遊んでいるヨーロッパ人の子供を二人が殺す計画をする。それを導くのは、死の神。神が船に子供達を乗せる。ナイフで刺された子供が砂漠で流す血、近くでいつも子供達が遊ぶのを見ていた作業員が、殺された子供を発見して、嘆く。彼らはアラブ人達。
 子供達に、3人の大人が、殺した理由を尋ねると。子供の一人が、ヨーロッパ人の子供で、親が警察官だから、という。自分たちは子供なので、同じくらいの大きさの子供を選んだ。でないと殺せないから。ヨーロッパ人が自分の親達を殺したから。と。
大人が、こんなことをすれば監獄行きだと知っているのか、と聞くと、子供は、
 監獄に入っているのはアラブ人で、ヨーロッパ人はいない、どうしてなのか?と聞く。アルジェリアの子供が、自分たちの親戚が襲われた話を聞く。大人は「そう、アルジェリアの村をフランス人が襲って、虐殺したのは事実だと言う。」
 「監獄に入れられるのかどうかは、あなた達、大人達が決めればいい。」
と子供は言う。大人達は、返す言葉が見つからなくなる。




 問題提起をつきつけられるのは、私達見ている人達で、答えのないやり場のない理不尽えおつきつけられる。
 この作品だけで、十分だ、とも思われた。他の作品は、それほど心に止まらなかった。  

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2008年03月18日

シャンゼリゼ劇場


 

シャンゼリゼ劇場で、チケットを買った。金曜日のピアノの演奏を選んだ。最近、生演奏に凝っている。言葉よりもわかりやすいし、日本で、海外から来るアーティストは高いので、行けないからだ。ドミンゴの公演に何度か行く機会があった。日本に3大オペラ歌手としてやってきた時に行ったことがあったが、1万8千円の席からは、3人の顔が見えないほど、遠かった。シカゴでドミンゴの公演があることを、当日になって知ったのに、買った席は前から6番目で、しかも110度ドルほどだった。日本に来ると、客がおとなしいせいか、アンコールは決まった曲しかしない。
 シカゴでは、延々とアンコール曲が続いた。ワイングラスを手に、ほろ酔い機嫌で聴いていた。心底、楽しむ風景が見られた。客も演奏する人達も、歌い手も一体になっていた。行き帰りに、スクールバスが沢山動員されていた。シカゴのお祭りのような感じだ。
 


パリは、それほどの事はなく、お客さんはおとなしいけれど、値段が安いのが魅力的だ。12ユーロで買った席は、第二バルコニーなので、高い場所だった。高所恐怖が出てきて体が痛くなった。それでもピアノの音響は一番良かったのではないかと思う。ピアニストが鍵盤を叩く手が、黒塗りのピアノに映るのまで見える。開いたグランドピアノの弦が動く様子も。
 演奏は素晴らしいの一言に過ぎる。クラシックののことは殆ど知らないので、今夜の演奏家の名前も知らないが、知る人ぞ知るピアニストなのだろう。



 私の席はZ列と書いていたが、どこだかわからなかった。このあたりかと目安をつけて訊ねた席に座っていた人が、この席だと座っていた席を空けてくれた。終わって、帰ろうとして、床に字が書いてあるのがわかった。私の座っていたのはWだった。私の買った12ユーロはZなので、まだ二列上の席だった。しらずに、前に席に座っていたことがわかった。譲ってくれた人に悪いことをした。2列上の席は誰も座っていなかった。その席を買った人達は皆、どこかに座っていたことになる。休憩を挟んで、前に座っていた人達がいなくなっていた。もっと良い席の空きを探して降りていったに違いない。
 
   

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2008年03月15日

ギメ美術館

 
 



ギメ美術館
 朝、ポテトをゆがいて、ポテトと卵のサラダを作った。赤い皮のジャガイモをつかったら、柔らかくて、ベトベトしたサラダになってしまった。量が多いので、吉田さんに助けてもらおうと電話した。「これを渡して、すぐにでかけますから。」と。
 吉田さんは、昨日いつものようにお墓参りに行くと、入り口が閉まっていたので、今から行ってくるとのこと。1時過ぎに伺うことにした。その間に、サラダだけではと思い、卵とシャンピニオンとトマトを使って、スペイン風のオムレツを作った。こちらは、少々焦げ気味だが、チーズのせいで味は美味しい。
 
 


行くと、吉田さんは、サラダを作っていて、買ってきたばかりの魚を焼いてくださった。マコンヴィラージュの白ワインを開けて、これが一番飲みやすくて好きなのだと。マコンヴィラージュは、中国の大スーパーマーケットでも売っていたが、安いワインではない。9ユーロくらいしていた。魚料理に良く合う。日曜日以来、2日間、来客があり、夜も出かけておられたという。
 食事をするだけで、足早に失礼して、ギメ美術館に行った。やはり雨だった。ギメ美術館は、特別展がなく3月中、無料になっている。オーディオガイドも無料だ。日本語で説明を聞きながら、仏教の足跡をたどって行く。この美術館は、高官だったギメが、仏教に惹かれ、その作品や書物を収集したことに始まった。国立の所蔵物もここに入り、新しく入ってきたものなどでも所蔵は増え続けている。

  

 インドからタイ、ベトナム、インドシナ、中国、チベット、韓国、日本への伝来の順を追って見ることが出来るように、2001年に改造され、新しくなった。
以前にここを訪れたのは、それよりもずっと以前の事だった。
 タイの仏教美術が素晴らしい。顔の表情が柔和で、人間らしく、体型が優美だ。

 

ベトナムの陶器も良いなあ、と思う。チベットの曼荼羅、インドの宝石、
説明を聞いてゆっくり見ていると、あっという間に時間が過ぎて、余り時間がなさそうだ。 3階にある日本のコーナーに行った。そこで発見した、日本美術の、潔さとおおらかさに気持ちが落ち着く。日本では、一期一会を大切にするが、それが美術に顕著に表れていた。大胆な構図、いびつな形の茶碗、筆使いの潔さ、型にとらわれないおおらかさが、どの作品にも共通してみて取れる。
 
  



そこから読み取れるものがあった。コメディーフランセーズのように、同じ作品が何十年も続かないわけが。一回限りとかと特別の公演が好きなのだ。 年末の顔見せから正月歌舞伎は、券を取るのが難しいほどの盛況ぶり。一日限りのコンサートにもどっと押し寄せる。高価なオペラ公演や、名演奏家、名指揮者などの公演がくると、早くから完売する。
 海外の絵画展覧会は、人の山で見えないほどだが、常設のコーナーは閑散としている。普段の生活の中で、圧迫感や束縛感を感じないので、特別展でないと興味を示さない。、 江戸時代に商人が着物の裏地に凝ったりした。浮世絵などは特別のものではなく、庶民に浸透していた。茶碗をくるむのに使われていた。ゆがんだ茶碗、黒塗りの茶碗など、一回限りの出来映えのもの、偶然の産物に驚嘆した。そういうものに価値を置いた。
 誰でもピカソ、日本はピカソにあふれている。大阪は至る所、バロックだ。  

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2008年03月15日

コメディーフランセーズ

 
 


毎夜、7時半に、コメディーフランセーズで、プチギッシェという小窓の売り場が開く。 開演1時間前に売り出される5ユーロの窓口に、今日は人がわずかしか並んでいない。きっと良い席がもらえるの違いないと期待して並んだ。
もらったチケットをみて、「ボンプラスか?」と聞くと、ノンと答えた。もらった席は、ギャラリーの最上階の最後列の席だった。もういちど、窓口に行き、変えてもらえないかと聞くと、この場所のチケットしかない、と言う。座席表を見ていると、小さな窓口で売られる席でも、第一バルコニーとか、第二バルコニーにもあるように書いている。
 最上階まであがり、あてられた席につくと、あとからどっと学生達が入って来て、私の下の席や、中央に近い席など、ずっと良い席を占めた。学生達は、互いに違った場所にいる友人に声をかけあったり、わいわいがやがや。



 第一、第二と座席は沢山空いていた。彼らはそういう場所にも案内され、席に座っている。始まる前になると、最前列の空いた場所に移動したので、後ろの席が空いていた。
 私は、階下にそういう光景を見ながら、端の方の最後列に押し込まれた形になっていた。最近、高所恐怖症がひどくなっているので、席に腰掛けると、前屈みに体が傾き、落ちはしないかと、身がぞっとする。舞台を見ようと顔を出すと、体の神経が痛み出す。このまま、飛び降り衝動にかられたら、と想像すると、きりきりと体が痛み出す。

 出し物は「世界の終わりに」という題目で、内容がさっぱりわからない。言葉が早く聞き取れない。幕間で帰ろうと、我慢して時間が経つのを待っていたら、1時間が過ぎても、1時間半たってもいっこうに幕間にならず、間に挟まれているので、出て行けない。10時を過ぎて、とうとう、出ますから、と頼んで出してもらった。あとで見ると、2時間の幕間なしの公演だった。1952年生まれのJan Luk-Lagarceというエイズで亡くなった作家の、もっとも美しい作品だそうだ。先にパンフレットを見ておけば良かった。昔は、天井桟敷で見るのが、楽しかった。映画「天井委桟敷の人々」を気取って。高所恐怖症がこれほどひどくなかった。今はもうまったくだめ。針の筵にいる気分がする。
 
 


それにしても、コメディーフランセーズでは、毎夜、毎夜、同じような作品が上演されている。モリエール、マリボー、ボーマルシェなどの古典物が、代わる代わる、毎夜、毎夜上演される。コメディーフランセーズだけではない。オデオン座でもそう。昔と今も変わることなく続いている。
 日本では考えられないこと。そういう劇場は皆無に近い。国立劇場の文楽がそれに近いが、365日、やっているわけではないだろう。歌舞伎座も、コンサートなどで、埋めている。それに、学生や、年寄り、失業者に、無料で席を設けている劇場などない。
 フランス政府の援助によって、成り立っているから、存続出来るにしても、果たして、日本で、こういうことになっても、人がやってくるかどうかも疑われる。

 


 国際都市だから、文化が根付いているという人もいるが、それだけではなさそうな気もする。
ちなみに、後でわかったことだが、1時間前になると、Cカテゴリーのチケットは半額で 売られる。失業者、28歳以下の人、老人は全席半額になる。グループの人達は、団体価額の安いチケットが更に半額しなる。 私も、通常のチケット売り場で買えば、もっと良い席を同じような金額で手に入れられたことになる。外の窓口が安いわけではない。862の座席表を見ながら、一番ひどい席をもらったのだとため息をつく。Cのカテゴリー席は、通常で11ユーロ、半額で5,5ユーロで2階席も多くある。  

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2008年03月15日

パリの彩り

 
  
 今日は朝から久しぶりに、太陽が輝いている。晴れた日には、朝から出かけるのが良いのに、ブログを書き始めると、午後までかかってしまった。ホテルのロビーで、コンピューターをさせてもらうのは気が引けるので、まとめて行くことにしている。3本書いて2時に出かけた。晴れた日は、気温が下がるようだ。
 午後になると、客がやってくる。イビスホテルは2つ星なので、昔は安いホテルだったけれど、今は80ユーロくらいになっている。それでも、パリの中では安い方。この前バスティーユで会った、二人連れの日本女性は、北駅の近くに泊まっていると言っていた。安いホテルを探したら、狭くて、ローマよりもずっと高いのに、と言っていた。 北駅のあたりは治安が悪い所なので、夜はあぶないらしい。13区は下町で、大学が多く、学生も多く治安が良いのがありがたい。
 



このイビスホテルで、コンピューターをしていると、日本語で「ありがとうございます。」というのが聞こえた。顔をあげると日本の女性が頭を下げてお礼を言い、コーヒーをもらって、部屋に帰る所だった。日本語で、感謝の言葉を述べるのも良いものだ。吉田さんは、聴くことはわかるらしく、日本語で答えたりしている。
この前、乗り換えたいバスが見えていて、吉田さんは、バスに乗るから降りたい、と言うと、運転手は、ものすごい剣幕でまくし立てた。
 「バス停から5メートルも離れている。子供が出てきたらあぶない。警察が見たら罰金を取られる。などなど」と。
 運転手の言うままにじっと顔を見ていた吉田さんは、日本語で、「おろしてくれてもいいじゃないか。」と手で説明しながら怒鳴り返した。乗る予定のバスは動かないで待っていたので、乗り損ないということはなかったけれど、吉田さんもせっかちだし、バスの運転手も随分アグレッシブな人だった。フランスだから、フランス語で答えなくても良い。日本語で答えれば良い。怒っているのか、感謝しているのか、その人の言わんとしている心情は十分伝わっている。
 



 気になっている仕事を片づけておこうと、クレディリオーネ銀行に出かけた。オペラ座からイタリア通りに、その銀行がある。パリ中にクレディリオーネ銀行はある。すぐ近くにもあるので、銀行で、両替をしてもらおうとしたら、この銀行に口座があるのかと聞かれた。イタリア通りにあるクレディだと答えると、それではだめだ、と言う。日本では考えられない不親切な不便さ。
 イタリア通りの銀行で、係の女性は今空いているか聞いた。去年来た時には彼女がいた。 去年勧められて作った、クレジット付きのキャッシュカードをやめて、無料のキャッシュカードだけに変えてもらうのが目的だった。彼女の出勤日ではなく、月曜にランデブーを取った。それから、パリ市庁舎まで足を伸ばした。ボーボワールのエクスポジションを見るために。それは終わっていて、「彩りのパリ」というエキスポジションに変わっていた。1907年から2007年までのパリを彩る、写真や、雑誌、などを時代順に展示してあった。
 



1907年から30年までの、ベル、エポック。1930年から60年までの技術改革から戦時下でのパリの面影
 1960年から今日に至る、のパリにおける新しい見方での自由化された彩。
7時に閉館なので、30分ほどしか時間がなかったけれど、パリの昔の写真を見るとカルチエの変わりようなどがわかり面白い。戦時下でパリの美しい女性ばかりをターゲットに写真を撮っていた、ドイツ兵の写真家の写真や、パリ解放の時の写真など、興味深いものだった。写真を撮るのは気が引けて写せなかった。誰も写真を見ながら写真を撮っている人はいなかった。
朝晴れていたのに、雨が降っている。傘をさして歩く人は少ない。降っているかと思うとやんでいる。晴れ間が出てもすぐに暗雲が立ちこめてくる。変わり身の早さ。

  

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2008年03月12日

金曜日の夜はルーブルへ

 

バスティーユのオペラ座に、5ユーロのチケットを買うために4時についたら、すでに沢山の人の列が出来ていた。前の人に、順番待ちのチケットをもらったのかと聞くと、いいえ、と言う。誰もそういう券は持っていない。二人ずれの日本女性がいるので、聞くとここで待っていれば買えると言われた、という。今日はチケットを出していないのかな、不安はあったが、身動きがとれないので、そのまま並んだ。時間が来て、中に入りチケットの機械の前で並んでいると、15人くらい前の人の前で、機械が「アウト、オブ、オーダー」になっている。男の人が、なにやらレシートのようなものを持って、係の人に話している様子。係の人は、このまま待つように、機械が動かなくなっているから、と。心配ありません。そういって、行ったり来たり急がしく動いていた。時間は経つばかり、開場になり、人が入っていく。係の人が、機械の職人を呼んでいるから、と。また時間が過ぎていく。
 やってきた人が機械を開けて、もうチケットは完売されてないのだという。62人分のチケットが完売したので、「アウト、オブ、オーダー」だったのだ。

 


 若い女性が怒り出し、オペラ座の顧客担当の部長に激しく抗議した。皆、随分待たされたあげくに、もうないです。というのだから、怒るのは当然だ。日本から来ている女性達は、イタリアからパリに入り、3日間の観光なのに、5ユーロの為に2時間もロスしたことになる。彼女達はチケットを買うつもりで来たら、ここに並ぶと良いと教えられたそうだ。チケットはすでに完売だった。部長が、招待用のチケット係に、なんとかチケットが回せないかとかけあって、25ユーロの席を見たい人に世話していた。私にも、チケットを探してくれたが、私は良いから、彼女達に、とあたりを探したが、姿が見えない。
 今度何かあったら電話してください、と 名刺を渡された。外に出ると、日本女性が走っている。券が買えるかも、と言って、部長の所に連れて行き、席を探してもらったが、もうなかった。
 



外に出ると、男の人がチケットを売っている。10ユーロ席を20ユーロで。ちゃんとしたチケットかどうかを、彼女達は疑った。時間は6時に。幕が開くと、次の幕まで見ることが出来なくなる。結局、彼女達はあきらめて、パリの町に消えていった。
 ワーグナーの5時間15分もの長いオペラで、金曜日だから、5ユーロのチケットを買っても、ずっと立って見ることになるだろう。
 金曜日は、ルーブルが18時から6ユーロで入れる。9時半まで開いている日なので、そこに行ってみた。ゆっくり見ることのない絵画を見るのも良い。デノンから入り、
ニケの像をしばらく眺め、ミロのビーナスの像を見に行った。普段は、長い列が出来るのだろう。道順が標されているが、今夜は関係ない。好きなように動くことが出来る。




ニケを見てあがると、ボッティチェリーの2枚の壁画がある。次の間には、ボッティチェリーの絵画が何枚かあって、そこから回廊に入ると、レオナルド、ダ、ビンチの絵画が何枚も、並んでいる。向かいにはラファエロ。ゆっくり眺めることの出来る幸せ。ルーブルはすごい美術館だ、と改めて思い知らされる。ガラス張りの「モナリザ」を見てから、フランドル地方とオランダ絵画のコーナーに行き、フィルメールを眺める。レースを編む少女は、小さな作品なので、そばに行き、こまごまと見る。レンブラントの部屋で、フェティシバの前に座り、休みながら鑑賞。


 ルーブルには、コローの小作品の良いものが多い。コローの部屋には、随分沢山のコローの絵画が展示されている。コレクションをしていた人の部屋には、モネの雪景色の素晴らしい絵画がある。人が少ないと、ベンチに座って見ることが出来るのが良い。

  


フランス絵画のコーナーで、ルナンの作品の前で、批評をしている人がいた。後ろに立っている人が、時々、説明の仕方口を入れている。説明を聞きながらノートを取っている学生達。ルナンは、貧しい農家の人達の絵画を描いている。
 ドラクロア、ルーベンス、などの大きな絵画が並んだ,巨大な空間も、がらんとしている。ルーブルは夜に行くのが良い。
   

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2008年03月12日

ワーグナーのオペラ




 金曜日にあふれた、ワーグナーのオペラ「Parsifal]に再び挑戦する。火曜なので、空いた席もあるだろう。早めにと思って、3時40分にバスティーユについた。
雨風が激しかった。今日は、人が少ない。やはり順番待ちのチケットがあった。防寒着に身を包んだ男の人が、紙切れをくれた。15番だった。14番をもらって座っていた女性が、私が来たので、トイレに行きたいから、見ていてほしい、と言って出かけて行った。彼女はバケットのサンドイッチを持って帰って来た。サンドイッチにかぶりつき、再び雑誌を読み始めた。1時間前になっても、今日は少なかった。それでも、一人で何枚かの券を買うので、62になるのは、チケット通りには行かないだろう。
 
 

一枚の人は、入り口が3になる。この前は、4番で並んだ。開場してかけあがり、最前列の立ち見席に、コートをかけて、我慢していたトイレに行った。今夜は始まる前になっても、立ち入り禁止のテープをはずしに来てくれなかった。2人がテープをくぐり、客席を探したが、一人だけ座って、暗くなった。
一幕目は、立ったままだった。立っていると、二階の席がせり出しているので、字幕が見えない。横で座り込んで見ている人が正解だった。わからないままに、聴いていると、ワーグナーの雄大なスケールの楽曲の素晴らしさがよけいにわかるような気がする。
 二幕目は、通路に立ち、暗くなる前に開いている席はないかと探していた。中に空いた席があるからと、教えてもらって、そこに座らせてもらった。最高の席だった。今度は字幕を見ながら。ワーグナーは、演劇的で、それを盛り上げるのは、オーケストラによる情感を揺さぶる、感動的な演奏だ。バリトンとソプラノとの組み合わせが厳かさを演出する。 それに、合唱が、天なる声のように響く。男性と女性のコーラスが、組み合わされ、遠くから風に乗って聞こえてくる女性の合唱と、舞台の後部席に審判のように並んだ男性達のコーラス。ギリシャ悲劇の「コロン」も証人の役目になっているが、そういう効果もあるし、ベートーベンの第九での合唱のようでもある。




 2回目の休みになると、私の席に、券を持った人がやってきた。また、立ったままで、待っていた。暗くなり始め、端の空いている席があったので、座った。しばらくスクリーンに映画が映し出され、破壊され、瓦礫化した町で、少年が飛び降り自殺する、会場で、やじが飛んだ。音楽を演奏しろ、と。誰からそれに手を叩く。スクリーンが消え、演奏が始まった。
端なので、終わると拍手をせずに会場を出ることが出来た。時間はすでに11時20分だ。地下鉄には、まだ沢山人が乗っていたので、心配なかったけれど、やはり身がまえる。
 ミッテランで降りると、誰も歩いていなかった。足早に歩いてアパートの中に入った。ほっとする。2回の休みを挟んで、5時間15分の長いオペラなので、帰りが心配だった。2幕で帰ろうかと迷った。でも、最後まで見ることが出来て良かった。寝ていても、目覚めても、音楽が聞こえてくる。今回のパリは音楽三昧。  

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2008年03月12日

マリアカラスへのオマージュ

 





 



月曜日は、殆どの劇場が休日になる。「マリアカラスへのオマージュ」というタイトルで、ミラノオペラ座のソプラノ歌手 LINA Castellanzaという歌手のコンサートが、サンミッシェルのSaint-Julien-le-pauvre 教会であるので、行ってみた。チケットは教会の入り口で売っていた。後ろが18ユーロ、前の席が23ユーロだった。思案の上に、やはり23ユーロにした。入ってみると、がら空きで、7人くらい座っているだけ。老夫婦が後ろの18ユーロに座っている。18ユーロで良かったのに、十分見えるじゃないの、そう思いながら、せっかくだから、一番前の真ん中の席に座った。あとから来た人達も最前列に座った。パリ最古の教会で12世紀に建てられたもので、この教会の由来と、音楽のパンフレットが一緒になって売っていたが、買わなかった。祭壇の前に、スタインウェイのグランドピアノが置いてある。
 


ピアノの演奏は、Herbert du Plessis という人でハンサムな紳士だ。緑色のドレスに金のアクセサリーを沢山つけて、ディーバは現れた。
 歌い始めると、耳をつんざくような、ボリウムの声だった。我慢して聴いていたが、鼓膜が破れるのではないかと思うくらいだった。3曲歌い、二人が出ていくと、3番目の席に変わった。
 やっとまともに、なんとか聴くことの出来る場所だった。歌の合間に、ピアノの独奏が入る。私の知らない歌も多かった。低音になるとほとんど声が出ないが、高音はすごい。 全部で、客は22人くらいだった。後ろにいた老夫婦もいつのまにか、ほどよい席に変わっていた。教会の係の人が、18ユーロと書いた紙を破がしている。




こんなに少ない観客で、出演者はがっかりだろう。歌にも熱が入らないのでは?気の毒だった。1時間半の間に、私達は十分楽しませてもらった。この教会では、、毎晩、コンサートが 行われている。翌日は、日本人のピアニストの予定になっていた。月曜日で、雨でもあり、23ユーロというと、足が向かないかも。私も、13ユーロからと書いていたので、その席を買うつもりでやってきた。13ユーロは学生用にチケットだった。
 土曜日に、無料で行った教会では、出るときに、献金の帽子を持って待っていた。日曜日の5時からということもあり、こちらの方は、座る席がなく立っている人も多くみられ、、盛大で献金も多かった。
ミラノオペラ座のソプラノ歌手でも、こういうコンサートもあるのかしら。  

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2008年03月11日

テノール歌手

 

 


 3月のパリは、気まぐれ、雨が降ったり、やんだり、突然晴れてみたり。日曜日は、朝からずっと雨が降っている。昨日歩き疲れて、体が思うように動かない。
 日曜日には、近くに市が出る。普通の雨だったら、こちらの人は傘を差さないが、傘を差しながらの買いものになる。店の間が狭いので、動きが悪くなる。えびとイカを買ったら、帰ってきてからイカが入っていない。おばあさんから買った、新鮮な卵は、家に置いているのよりも大きかった。3つでもいいのかと聞くと、勿論ですよ、と。3つで1,2ユーロ。えびとイカで5ユーロ。アルティショーとマッシュルームで2ユーロ、さやエンドウ豆とチコリで2ユーロ、パンが1ユーロ。


 
 教会のいろいろな所で、コンサートが催される。パリスコープで、「HOMMAGE A PVAROTTI]」というのを見つけた。、アメリカ教会の主催だった。
 他にも、日本人の演奏家によるコンサートなどもあったが、テノール歌手の、パバロッティーというのに惹かれて、決めた。
 早めに行ったが、駅から歩いて結構かかる。地下鉄の駅近くで、毛皮に毛皮の帽子の老婦人が、やはり同じ所に行くらしく、聞いてきた。その人と一緒に、長い道のりを歩いた。彼女は、日本に来たことがあると話した。パリに住んでいるが、ロシア人で音楽家だそう。それで、世界中を旅したのだと。足が遅いので、先に行ってもらってもかまわないから、と言われたが、教会まで一緒に行った。私はトイレに行き、戻ると、一番後ろに彼女が座っていた。そのあたりは満席で、奥に行くように言われた。奥の方は空いていたが、私が座ってからすぐに席が埋まった。私の隣に座った男性が、連れの婦人が見つけた、前の席と変わってほしいと言ってきた。しばらくしないうちに、会場は満杯で、階段も後ろも一杯になった。あとでわかったが、別室で聴く部屋もあった。



 テノール歌手は、アルフォンソ、カバリエール 記念スカラシップの優勝者で、ニューヨークのグランドオペラの大会でファイナルまで残った人で、エール大でマスターを取った、Pablo Veguila という名の歌手で、ピアノ演奏は、ロシアの女性で、現在パリで活躍中の、Natacha Golovchanskayaというピアニスト。
 テノール歌手は、アメリカとイタリアの公演に出ているという。素晴らしい声の持ち主で、将来、第二のPvarottiになる素質十分なそれほどの良い声の持ち主で、やはりアルゼンチンの人のようだった。
 間近で素晴らしい声を聴くことが出来、終わってから、握手させてもらった。会場で、ブラボーが飛び交い、拍手のアンコールで、2曲歌ってもらった。

 

セーヌ川に沿って歩きながら、最後に歌ったトスカのメロディーを声をあげて歌う。幸せな気分。
 シャンゼリゼ劇場まで歩き、今夜の公演を見ると、イギリス海峡がストのために、コンサートが遅れるので、30ユーロで券を売っていると書いている。窓口で買っている人がいた。しばらくしてやってきた人には、もうその席はなくなった、通常に戻ったと。通常は、10ユーロから120ユーロまである。今夜は、日本の女性メゾソプラノの藤村美保子という人の出演で、ワーグナーとマーラーの作品だった。8時からなお、遅れると帰りが心配なので、帰ってきた。今考えると、遅れがなくなったので、30ユーロのチケットがなくなったのではないかと思う。見れば良かったかな。でもあの時には、まだテノールの余韻に酔っていて、満足しきっていたから、、、。

 
   

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