2008年09月25日

ホッパーとオキーフ

  


この前のブログで、私の好きな、エドワード、ホッパーは、人がいても人のいない空間を描き、現代社会の中で、他者とのつながりのない、孤立した存在と、その存在事態が、存在していない不安性を表現している。ホッパーの絵画は、男性的な作品で、女性が描く、死を包括した、性的な力強い作品とは、性的に対置している。ホッパーの絵画は数が少なく、ホイットニー美術館では力を入れて所有作品が多い方だが、撮影禁止になっている。メトロポリタンには、3枚の作品が展示されている。3枚は多い方だ。その裏側の部屋に行くと、ジョージオキーフの作品が8,9点ある。オキーフの作品は、花を描くもの、化石を描いたものが殆ど。その生命力の強さ、性の表現でも、女性的な作品だと思う。

   





  

Posted by アッチャン at 21:13Comments(0)ニューヨークにて

2008年09月25日

9月のメトロポリタン美術館

 新しく入った作品の一つ



 メトロポリタン美術館に来ると、まず、展覧会を見る。7月に来た時に観た、「ターナー展」の会場は閉鎖したばかりで、次の為の準備中だった。
 「現代生活のリズム」というタイトルで、その時代と生活を映す、イギリスの版画を展示している。機械化に翻弄され、機械化されて生きる人間の動きや、心理状況を、曲線とリズムで描いた作品が、他を圧倒して、パワーがあり惹きつけられた。

  



 ここでは、その作品を紹介したい。カメラで二次的に撮ったので、魅力は伝えられないけれど、版画なので、その一旦はわかっていただけると思う。特別展示品は、カメラに対して、椀飯振る舞いのメトロポリタンでも、禁止になっている所が多い。


   
「 ニューヨークは、何故ニューヨークというタイトルの写真展、「ジョルジオ、モランディ」などは撮影禁止なので、外側写真しか紹介出来ないのが残念。
 ジョルジオ、モランディはどこにあるのか、わからなくて、19世紀絵画と現代絵画を見て回る内に、時間が経ってしまった。喉が渇いて、カフェテリアでお水があったのを思い出した。重い足を引きずりながら、そこに行くと、カフェテリア前に、その絵画展があった。時間がなく、ざっとしか観ることが出来なかったので、もう一度と思っている。
淡い色調の「静物」が多い。身近にある、瓶やカップを描いているものが多い。
 


 一目見て、この人だけと思われる個性。絵画は、その人の個性を表現する。絵画事態も、静かで、イタリアのフラスコ画を思わせる、郷愁と古典的な格調がある。



 日本とは桁外れに、作品を揃えての展示なので、どの展示のパンフレットも結構ば分厚さになる。本をほしいけれど、若かった時にように、もう買う気がなくなっている。重いし、それを置く場所もない。身の回りの整理を始め、一つ新しいものを買えば、一つ処分するようにしている。あとに残った子供達が整理に困るから、と。
 私には出来ないこと。増えていくばかり。買えば増える。目に焼き付けて、出来るだけ忘れないようにしよう。

 



  

Posted by アッチャン at 20:37Comments(0)ニューヨークにて