2008年10月21日

佐伯祐三展、大坂市立美術館

 

 

日曜日の朝、最終日に「佐伯祐三」展を観に出かけた。祝日があけた火曜日に、六甲からJRに乗って、天王寺まで来ると、閉館していた。月曜日が祝日なので、火曜日が休みになっていた。六甲の県立美術館では、特別に開いていたのか、「シャガール展」を観てからだったので、休館だとはわからなかった。もう来る時間がないからと友人からチケットを2枚もらっていた。最終日は混むだろうからと思っていたのに、結局最終日に。良く晴れた秋日和、2時にまでしか時間がないという友人に合わせて、朝早く出たので、美術館は、まだそれほどの人ではなかった。いつだったか、最終日に来て、入られなかった事があった。その時は母と一緒で、待つのが嫌いな母なので、入るのを断念した。どこでも行く機会がなくて、最後まで前売りのチケットや、いただいたチケットを持っていたり、最終日になって、急にどうしても観たくなったりするものだ。展覧会は、初めと終わり、祝祭日を除けば、それほど混むことはないので、ゆっくり観ることが出来る。
シャガール展は、最終日の前日だったけれど、通常は休刊日に当たるので、空いていた。 天井からかけられた大きなタピストリーが、油絵よりも色がはっきりと浮き出て、力強く、大胆で大らか、しばらく座って感嘆しながら観賞させてもらった。

 

 佐伯祐三の作品は、殆どが大阪市立美術館の所蔵作品だ。初期のものから、最後の作品まで、随分沢山の作品が展示されている。里見勝三の紹介で、ブラマンクに絵画を見てもらい、「アカデミック」だと1時間も罵倒されたという。里見勝三の作品は、自分自身の世界がすでに出来ていて、安定して観られるのに、佐伯 祐三の作品は、どれも一貫性がなく、観ていると、佐伯祐三のイライラが伝わって来るようだ。
 日本に帰国して、二度目のパリに到着した直後に描いた作品「ルクサンブルグ公園」は、佐伯の感激と心躍る様子が絵画に現れていて、目頭が熱くなり泣けてしまった。
 2度目のパリで、佐伯は「広告」に力を注ぐ。広告の字を絵画として捉えて、自身の世界を構築しようとしているが、佐伯の作品を見ていると、常に誰かに影響を受けやすく、いらだち、自分を信じることが出来ない、とまどいの中で絵画を描いては、満足することなく、絵画の世界の中にも、精神のユートピアを見いだせず、安定することろをえなかった画家のように思われる。

 


  最後に、佐伯を敬愛し、パリの町を描き続けた、萩須高徳の作品が2枚展示されている。昔、私が若すぎた頃、佐伯祐三の絵画が好きだったので、萩須高徳の展覧会が、阪急デパートなどで開催されているのを観ると、佐伯の二番煎じのように思われ、色の明るさ、力強さがあまり好きではなかった。所が、今回、佐伯の作品を見てから、萩須高徳の作品に目を移すと、全く違っていた。絵画を描くことの喜び、力強さ、安定感と画家の信念や喜びが伝わってくる。確立された絵画の世界が、そこにはあった。

 展覧会場を出て、常設展示場に入ると、おもわず「ほっとするわ。」という言葉が出てきた。  

Posted by アッチャン at 16:26Comments(0)art