2009年02月21日

ひと時の家庭団欒


 

3日間だけの日本滞在で、台風が吹き去ったような静けさを、持て余している。わずかな間だけれど、急がしく張り合いのある時間が持てた。息子は年に1度帰って来ても、大半を友人達と出ているので、母に会うためだけに帰って来たのは初めてだ。時差ボケを避けて、普段どおりにと、午後の3時に寝て夜の10時に起きてくる。夜中の3時頃に寝て6時には目が覚めるという2度寝のパターンの繰り返しなので、私の睡眠時間は一時的に少なくなった。朝食を家族で囲む。長く海外で暮らしている息子は、掃除、洗濯、料理、から簡単な修理や日曜大工まで、器用にこなすようになっている。朝の卵とソーセージは、彼が受け持つ。
 「あのフライパン、捨ててしまったの?」軽いフライパンを手首で回しながら言った。
それは、新婚の台所に、別れた主人の母親が用意してくれていたものだった。南部鉄製の、おそろしく重いフライパンで、手首がやられるのでは?力を入れて、痔にならないか?あやぶまれるほどだった。それでも結構長く使っていたが、錆つくようになって捨ててしまった。
 料理に凝る息子は、あのフライパンを覚えていて、おそらく台所でフライパンを触る度に、なつかしんでいたのだろう。
良質のものに違いなかった。今時、滅多にあれほどどっしりしたフライパンにお目にかかることはないだろう。長く愛用して、母から息子に、息子からその子供に、延々と長く、時を経て使い続ける事のできるものだった。
 私が今使っているのが、軽くて焦げないテフロン加工されたもの。熱の通りは早いが、味に深みがなく、テフロンが剥げると買い換えなければ、焦げ付きがひどくなる。アルミは、体に良くないとも言われている。その反面、鉄分は体に良いので、少々錆がついても心配ない。
大切なものを捨ててきた事を、あのフライパンは教えてくれたような気がする。息子が覚えているフライパンは、家族3人がいた家庭の食卓を演出する道具だった。
 ほんのひと時、老いた母と、遠く離れて海外に暮らす息子、そして、一人ぼっちで暮らす私の、3人が家族として集う小さな幸せをかみしめながら、台所で、軽いフライパンが空中を踊っていた。
  

Posted by アッチャン at 13:21Comments(0)