2009年02月27日

小沢発言の波紋

 
 

民主党党首としての発言は、今後波紋を広げそうだ。アメリカの駐留軍備は、「海軍7艦隊あたりで十分だろう。」と言った部分だけを取り上げて、自民党は、非難の攻勢を強めているが、小沢さんは、民主党が政権を取るには、臭いものには蓋をしてきた問題、一枚岩ではいかない問題に、あえてここで明るみに出したのだろう。小沢さんを党首として、責任政党になるためには、この問題を避けては通れない事を、自ら自覚しているから、誠実に、嘘なく、口に出したまでだろう。
 小沢さんは、かねがね、アメリカと日本は対等の立場にならなければならない。そのためには、自国の安全は自国で守らなければならない、と主張して来た。今回、アメリカが基地を移転するにあたって、その費用を日本に負担するように迫っている。オバマ大統領は、アフガニスタンへの日本の援助、アメリカ国債の購入など、日本への資金支援をどんどん求めて来るようになる。それは、とりもなおさず、安全保障をお願いしているからだ。軍備でアメリカに依存してきたからだが、実際の所は、日本の為だけではなく極東におけるアメリカの安全保障、アメリカの国益の為でもある。
 日本だけではなく、どの国も、自国を守る事は当たり前のことで、そうでなければ、自由はない、ということを小沢さんは訴えている。共産党、旧社会党、民主党の中でも社会党よりの人たちは、これに同調は出来ない。再軍備につながる、軍国主義の復活を恐れている。
 そろそろ、私達は、この問題に目をそむけないで、徹底した議論をしなければならない時が来ている。世界は大きく変わっている。民主主義の中心となっているはずの、国連が機能を果たせない状態にあり、アメリカ至上主義で世界を動かした為に、出てきた歪、金権主義の崩壊、経済危機を生んだ。強いものが、弱い者を潰すというやり方がまかり通った背景に、アメリカとソ連のにらみあい(冷戦構造での均衡と緊張関係)の崩壊がある。
 小沢さんは、軍国主義を復権させることも、右翼化させるつもりも全くない。その逆だ。平和を維持し、民主主義を守るために、国連が中心になるべきだ、と主張している。国連の要請があれば、平和維持軍として自衛隊を出すのが、世界の一国家としても、当然の責務だという考えだ。
 アメリカ1国に守ってもらうのではなくて、不正があれば、日本が脅かされれば、守るべきは国連軍だ、という考え方だろう。日本も、世界の平和に貢献できるだけの、自衛隊の強化を図らねばならない。アメリカに膨大なお金をつぎ込んでいるが、それを日本の安全の為にふりむければ、ずっと少ないお金で出来る。国民の為、国益の為に、国民の節税は使うべきだ。責任と自由を明確にした小沢さんの勇気に、信頼を。
  

Posted by アッチャン at 12:10Comments(0)コラム

2009年02月27日

「おくりびと」に送られて



 アトリエの居間にかけられた絵

 「おくりびと」が世界中で話題になっているさなかに、吉田さんが、おくりびとに送られて、旅立たれた。お幸せだったと思う。パリから飛行機に乗り時、送りに来ていた親しい人に、「ひと月で帰って来るから。」とおっしゃっていたと聞いた。治療して戻るおつもりだった。友人が親子で、訪れた時には、とても回復されるようには見えなかったという。吉田さんは、日本から来た旧知の友人達に、なんとか会えるようにと、気力を振り絞って、食べられなかった食事を食べるようにして、お二人を迎える時間を作られたようだ。帰り際、いつものように送って来られて、いつまでも手を振っておられたと聞いた。
 いつもすぐにお返事を下さっていたのに、なんの便りもなかったのは、吉田さんに、郵便局に行く力が残っていなかったからだった。お手紙は読んでくださったのだろうか。階下のポストまで行かれなかったのでは?
 吉田さんが亡くなられたと、息子にメールした。最後の夜に会いに行っておけば良かった、と。涙がまた溢れた。
 吉田さんは、先に亡くなられた奥様のお墓に、ご自分も横たわるスペースを作ってあるとおっしゃっていた。ご自分も、パリで最後を迎えるおつもりだった。1か月で帰ってこられるおつもりだった。奥様をパリで亡くされたため、モンパルナスのお墓に眠っている奥さまのためでもあるけれど、日本を出て、パリで暮らし、パリ市のアトリエで絵を描き、パリで生きてこられたから。パリに遊学して日本で名をなす人を、吉田さんは認められなかった。萩須高徳さんと旧知の仲で、その人柄を評価されている。モンマルトルの墓地に眠っておられると。
 最近になって、吉田さんは、日本に来られる機会が増えていた。海軍時代の仲間との会など、生きているうちに会っておきたい人達との再会。
アトリエに伺うと、吉田さんのご実家の話、家系の歴史などを伺うようになっていた。故郷への回帰に思いを馳せる時間も出て来られていたのだろう。パリで、決心して骨を埋めるおつもりだからこそ、日本への愛着、望郷の念は強かったのではないだろうか。
 こんな風に、吉田さんの意志ではなかったとしても、故郷の日本で暖かくご家族に送られたことは、お幸せだったのだ、と思う
  

Posted by アッチャン at 10:45Comments(0)日々の事

2009年02月26日

後悔と涙

 


 人は亡くなって、その存在の大きさ、取り返しのつかない後悔に苛まれる。必死に生きている人は、他者の死に直面しても、
生きていくことでの、大変な苦労や我慢、辛さを体験しているので、自然と、お疲れ様、という言葉が出てくるのかもしれない。
 けれど、その人の為に、やり残している場合、死者は、絶対的な存在になる。吉田さんの絵画が、ある場所で展示されていた。
ある日、来年の3月くらいに、なおしてしまうので、見てもらえるのならそれまでに、という電話をいただいた。忙しさに追われ、怠け者で
まだそのうちに、と思っているうちに、亡くなられたとお聞きした。絵を見てもらっておかないと、とお電話したら、もうほとんど整理してしまわれたという。



 大阪の国際美術館にと、働きかけてこられたけれど、それも難しいという事だった。大英博物館の館長さんが、「あなたの絵は50年後に脚光をあびるでしょう。」と言われ、吉田さんの作品の第一の理解者だったらしい。現存する画家の作品を買い上げる歴史のなかった大英博物館が、初めて吉田さんの絵画を買い上げた。大英博物館が、無名の画家の作品で大がかりな展覧会を催した。スミスさんという館長が、吉田さんの絵画にほれ込んだからだそうだ。


 

 メキシコの近代美術館で、展覧会をされた時に、誘われて3人でメキシコまで伺ったのが、吉田さんと親しくさせていただく、きっかけになった。メキシコの貧しい子供達の為に学校を作ることを夢見ている画家がいる。吉田さんを、パパと慕い、家族同然の関係で、私までお宅に泊めていただいた。吉田さんは、村の人々に、その風貌から、イエス様と慕われている。吉田さんの海軍時代からの無二の親友夫妻が、娘さんたちと展覧会に来られていて、そのままご夫婦だけ、メキシコ人の画家の家に泊まられていた。メキシコの田舎を回るのだそうで、私は一日だけ泊めてもらった。飛行場まで、皆で送ってくださり、出発までいてくださった。

 


 吉田さんの親友は、日本で吉田さんの絵画を買われたそうで、そういう友人はいないと、吉田さんはおっしゃっていた。その旅行に同伴されていた奥さんは、脳腫瘍の手術をされて、まだすっかりと回復していない状態だったが、ご主人が連れて来られた。その後、ある展覧会で、ハイキング帰りのご夫婦にお会いした時に、少し疲れた様子だった。それからわずか、亡くなられたと聞いた。
 「助からない病気だと、ご主人は知っていたのだろう、だから無理をしてもメキシコに連れてきてあげたかったのだ。」吉田さんはそう言われた。
 時折、ヨーロッパ旅行をかねて、吉田さんのアトリエに泊まっておられると聞いていた。吉田さんのアトリエには、いつも誰か客が訪れ、アトリエのソファーで寝泊りしていた。

 


 長いパリの生活の中で、寄って来た人も多くいれば、そのうちに疎遠になって去っていく人もいる。吉田さんはおっしゃっていた。ほとんどの人は、吉田さんと所縁のある人達、親から頼まれた人達、学識のある立派な人達だ。私に紹介してくれた友人の家庭もそう。
 私のように、縁もゆかりもなく、そのうえ、なんの取り柄も、能力も実績もない人間が、近しくしていただけたのは、吉田さんという、その人柄のお陰だ。「来るものは誰でも歓迎してくださる。大事なのは心だけだ。」とおっしゃり、心でもてなしてくださるからだ。
 銀杏の実を取り、実を炒って出してくださる。簡単そうに見えて、これが大変な手間のかかる作業だということが、実際にやってみてわかった。




簡単なものを作って持って行っても、とても喜んでくださった。パンを焼き、ありあわせのもので食事をし、ワインを頂いた、かけがえのない時間。使いふるし、折れ曲がったようなフライパンを二つ使って、魚や肉を焼かれる。これが一番使いやすい、と。チコリに味噌をつけていただく。
なんでも、あるもので、なくてもわけて、居心地の良い空間、別世界にいるような不思議な雰囲気、いつも清潔に掃除が行き届いていた。蚤の市で楽譜を探して、音楽を志している人にあげるのだとか。様々なガラクタから骨董美術品まで、ごちゃごちゃに所狭しと置いている店がお好きだった。アラブの匂いのする場所、異文化の雰囲気を味わうのがお好きだった。パリに行くたびに、伺うのが楽しみだったアトリエで、製作中のパネルを並べて見せてくださった。渇ききらない油絵の匂い、どうだ?と絵を次から次に見せてくださる。膨大な数になってしまった、自然の手作り作品の箱をなん箱も開けて見せていただいているとつい時間を忘れる。山を歩き、パリの中で、吉田さんのお気に入りの場所を散歩した。石を拾い、木の根を引っ張り出し、自然の形を探す。お友達の家にある、さくらんぼのたわわな季節、友人の画家のオープニングにも連れて行ってもらった。奥様が眠るモンパルナスの墓地。吉田さんは、ガイド以上にくわしく説明してくださる。こういうことを、誰が来てもなさっていた。同じことを何度も何度もなさっていた。

ブロア城、カンタベリー大聖堂、ロンドンでの大きな個展、ユネスコ、、カタログと案内を送ってくださって、どれも伺っていない。
 していただいた事は、あまりにも多く、してさしあげなかったことは数えきれないほど多い。なにも。後悔以外には何も。
  

Posted by アッチャン at 19:42Comments(0)日々の事

2009年02月26日

吉田画伯へのオマージュ

 
 

パリ在住40年以上に渡って、絵を描き続けてこられた吉田さんの密葬が、今日行われることを、今朝お電話してお聞きした。お見舞いに伺えたらと、思い切ってお電話したら、その方も昨夜知らされて、今朝の飛行機で斎場に向かわれたとのこと。偶然に、訃報をお聞きして、絶句した。吉田さんのいらっしゃらないパリは、想像出来ない。昨年、お伺いして、痩せられたと思い、食が細くなられたと心配したが、次第にお元気になり、息子が訪れた時には、私も息子も、もうこのくらいでギブアップ、とお願いしたほど、あそこにも、ここにもと何時間も歩いて案内してくださった。わずかに3日間のパリで、息子は帰る夜も、もう一度会いに行くと言っていたけれど、吉田さんの方から、夜遅いし、明日が早いからもう来なくてよい、と。吉田さんは、息子の気持ち、思いやりがものすごくストレートに伝わって来るとおっしゃって、おじいさんと孫のように接してくださった。吉田さんは、どこか私の父に似ている。父を慕って、特別の中だった子だったから、吉田さんにも特別の感情を持っている。息子があれほど、人を慕っているのを見たことがなかった。
 昨年の3月に訪れた時、奥さまのお墓参りを毎週かかさずされていたのに、寝込んでいかれない日があった。「お墓の写真を撮ってほしい、娘達に、送りたい。」と言われた。一昨年よりも美しく花鉢も置かれていた。墓石は、吉田さんが尊敬する、お坊様が書かれたもの。お墓の前で奥様としばし話をされる。周りから様々な声が聞こえてくるとおっしゃって。
 アトリエで、新しい作品を見せていただき、意欲的に仕事をされていた。大きな仕事が随分入って来て、無理をされていたのだろう。10月のユネスコの展覧会が終わって、張り詰めていた気力がなくなられたのかもしれない。12月の末から、吉田さんから、いつもはお返事をいただくのに、なにもないので、メキシコか、ドバイにでも行かれているのかしら、とくらいにしか思っていなかった。
 昨年の春に、私が日本に帰る日の前日、お電話で、「さびしくなる。娘のような気がして、さびしい。」と言っておられたのも、体の異変を感じておられたからではないだろうか。声に元気がなくなって、1年前の吉田さんとは違っていたが、寝室の立派な仏像に守られておられるので、気力でまだまだ活躍されると信じていた。
  パリに行っても、吉田さんは、もういらっしゃらない。いつでも、どんなときでも、変わらない優しさ、暖かさで迎えてくださった、
アトリエの扉が、開かれることはない。 
 心からご冥福をお祈りさせていただきます。

  

Posted by アッチャン at 14:15Comments(0)日々の事

2009年02月24日

アカデミー賞におもう


 
 
外国語映画賞に「おくりびと」が選ばれた。短編アニメ賞に、「つみきのいえ」という2作品受賞の快挙を成し遂げた。素直に嬉しい事ではあるが、
もう一作品に思いを寄せると、海外で、果たして本当に日本の美学が理解されているのかという疑問が残る。その作品とは山田洋二監督が、初めて時代劇を手掛けた「たそがれ清兵衛」である。万国共通に、生と死という誰もが抱いている基本的なテーマが、人間賛歌として表現されている事、そこにユーモアを各所に散りばめて、軽やかに作り上げた点において、「おくりびと」は絶賛にあたいするけれど、「おくりびと」にはライトがあてられ、山田洋次監督に「たそがれ清兵衛」は、ドイツのベルリン映画祭では、かなり程度評価され、アカデミー賞の外国語賞にノミネートさらたものの、海外で、共通の理解を得られなかった所に、日本人のヒューマニズムが彼らにすんなりと受け入れられないのだと、あらためて痛感した。
 アメリカ映画の「ラストサムライ」の中に、「たそがれ清兵衛」は存在しない。アメリカからみた日本人性は、ああいうものなのだろう。富士山、芸者、武士道、の域を出ていないし、西洋では、黒白はっきりした形でしかみられない。
大江健三郎さんが、「あいまいな日本の私」と書くように、曖昧性という人間性があり、混沌と葛藤の鬩ぎあいの中で、自らに納得させる、小さな幸福感、友愛、そういうヒューマニズムを見事に描いた「たそがれ清兵衛」が、光を受けなかった事で、アカデミー賞のアメリカ的な性格をおもわせる。「おくりびと」の、エンターテイメント的笑い、おかしさも、受賞に高得点を与える要素にもなっていると思う。
 やったああ、と小躍りした後で、一抹の寂しさも感じている。
  

Posted by アッチャン at 14:22Comments(0)日々の事

2009年02月23日

アカデミー賞の授賞式「おくりびと」




アカデミー賞の授賞式が、今まさに行われている。直前のレッドカーペットでのインタビューは、テレビ中継のライブで見ることが出来た。
外国映画賞にノミネートされている「おくりびと」オスカーを取ってほしいな。
昨年の9月に日本で公開された時に見て、久々に素晴らしい日本映画を見たというおもいで、感動を覚えた作品だった。先日の日本アカデミー賞では、作品賞、監督賞、主演男優賞を始め、10部門を独占した。あの映画の中で、チェロがなければ、作品は成り立たなかっただろう、と私は思う。自然と調和する美を表現するのに、チェロ演奏の必然性があったように思う。
 話は変わるが、フランスの病院で、ガン患者や、重症患者のエステを仕事場に選んだエステシャンのドキュメンタリー番組を見た。死の恐怖や、痛みを和らげ、話相手をしてカウンセリングの役目もしながら、患者の美しくありたいという願望、人間性を失わない尊厳、プライドを失いたくない患者に、エステを施すことでお手伝いする仕事。彼女の、精神的に重圧のかかる仕事を支えているのは、自然の中での暮らしと、支える夫、飼い犬との日課となっている自然遊歩。肉体と心を癒す場所があって、患者のエステが続けられる。
 納棺の仕事も、エステに通じるものがあると思う。化粧を施し、元気だった頃の姿を復元して、納棺に収める仕事は、家族の精神的な苦しみ、葛藤などの受けてでもあり、カウンセラーとしての役割も果たしている。そうしながら、自分も成長し、人間性、尊厳を学んでいく。それを支えているのが、彼に取っては、妻の愛と、チェロの演奏。
 自然と音楽、ここに、重要なマテリアル性がなければ、感動を生む、映画芸術は生まれない、と私は思う。
  

Posted by アッチャン at 12:05Comments(0)日々の事

2009年02月22日

朝の番組から、与謝野大臣にエールを。

 コーヒータイム

今朝は、与謝野さん、NHKとテレビ朝日に掛け持ちで出演して、質問に慎重かつ、誠実に答えていた。
総裁選で、私は、与謝野さんに期待していたが、マンガブームか、麻生さんが70パーセントの自民党議員からの
支持を得て、総裁、総理に選ばれた。与謝野さんは、麻生政権において、任命された一閣僚として、政策に携わってきたが、
中川財務金融大臣の責務を受け継いで、事実上、麻生政権を一人で担う結果になっている。
与謝野さんは、よく三島由紀夫の言葉を引いて「言葉は、言霊となって、広がる。」と言う。それだけ、言葉には人を動かす力があり、
責任を持たなければならない、と。それをふまえてか、与謝野さんの言葉選びは、実に見事、説得力があり、説明責任は誠実だ。
今回、財務と経済という相反する立場の役目を、受け持つ事になったけれど、与謝野さんなら、中立、中庸の精神で、乗り越えるだけの
能力があるだろう。
 自民党内部から、麻生下ろしの声が出てきている。総裁の前倒し選挙をしなければ、次の選挙は戦えない、という声も。小泉元総理が
怒りを爆発させて、ついに吠えた。その影響はいかにや?などなど。
 総裁選で、麻生さんと戦った与謝野さんは、地味で目立たない存在だが、謙虚に、誠実に、できることをこつこつやってきた真の政治家に、やっと光が当てられ、期待が高まっている。与謝野さんの個人的に親しい友人として、民主党の小沢代表の名前が出てくるのは、誰でも承知していること、囲碁仲間でもある。
二人の共通点は、政治家としての哲学があること。命をかけて政治に取り組んで来た姿勢、国民の為の政治を、堂々と、真っ直ぐに政治に身を投じてきたという点において、共通している。
 今こそ、党派を超えて、与謝野さんと小沢さんが、協力し、国民不在の、政局ばかりに右往左往する現状から、国民の為に、国民の幸せのための政治を奪還してほしいと、希望をつないでいる。
  

Posted by アッチャン at 14:33Comments(0)日々の事

2009年02月22日

二月花形歌舞伎、夜の部

 

松竹座で公演中に二月花形歌舞伎も、25日で千秋楽を迎える。亀次郎の「蜘蛛糸糸梓弦」が見たくて、3階席を買っていた。3階の一番前なので、花道も舞台も、比較的見やすいけれど、先日、母を連れての歌舞伎見物は、昼間の方が良いだろうと、1階席を張り込んだ時とは随分違う。
一階の花道のすぐそばで、しかも10番目くらいだったので、役者の表情まで、オペラグラスなしでよく観えたけれど、3階からでは、オペラグラスがなければ、顔がはっきりと見えない。動きの全体をとらえることは、狭い視野の中では無理というもの。上からなので、踊りの良さを100パーセント味わえない。これほどの差があるとは。けちらずに、1等を買っておくべきだった。
 それでも、十分楽しんだわけで、特に、期待していた亀冶郎の、蜘蛛の六変化、早変わりによる踊りは、それはそれは見事なものだった。中でも、最初に舞った、童としての舞姿は最高だった。




中村獅堂、中村亀鶴の2人の家臣と亀冶郎の童が、3人で踊ると、踊り手の技量の差が浮き彫りに出ているのが、よくわかる。歌舞伎界にあって、獅童さんは、器用にこなしているけれど、踊りはそうはいかない。亀鶴と、同様のふりをして踊ると、如実に差がでてしまう。
 亀冶郎の6変化による踊りの陰に、舞の名手で叔父にあたる、猿之助の存在がある。せりふを聞いていると、どこかしら猿之助を思わせる。
歌舞伎でカーテンコールを見るのは珍しいことだが、割れるような拍手で、出演者が舞台に再登場して、獅堂さんは、投げキッスまでしてサービス。亀冶郎は、アンファン、テリーブルという名の異名にふさわしく、フランス風のパーフォーマンスで答えていた。

舞妓さんとカップルで、だれかの御贔屓?

 他に「吹雪峠」「実盛物語」の3つの出しものになっている。どの作品も、それぞれに見ごたえがあり、歌舞伎の楽しさを十二分に味わえる。
  

Posted by アッチャン at 13:36Comments(0)art

2009年02月21日

ひと時の家庭団欒


 

3日間だけの日本滞在で、台風が吹き去ったような静けさを、持て余している。わずかな間だけれど、急がしく張り合いのある時間が持てた。息子は年に1度帰って来ても、大半を友人達と出ているので、母に会うためだけに帰って来たのは初めてだ。時差ボケを避けて、普段どおりにと、午後の3時に寝て夜の10時に起きてくる。夜中の3時頃に寝て6時には目が覚めるという2度寝のパターンの繰り返しなので、私の睡眠時間は一時的に少なくなった。朝食を家族で囲む。長く海外で暮らしている息子は、掃除、洗濯、料理、から簡単な修理や日曜大工まで、器用にこなすようになっている。朝の卵とソーセージは、彼が受け持つ。
 「あのフライパン、捨ててしまったの?」軽いフライパンを手首で回しながら言った。
それは、新婚の台所に、別れた主人の母親が用意してくれていたものだった。南部鉄製の、おそろしく重いフライパンで、手首がやられるのでは?力を入れて、痔にならないか?あやぶまれるほどだった。それでも結構長く使っていたが、錆つくようになって捨ててしまった。
 料理に凝る息子は、あのフライパンを覚えていて、おそらく台所でフライパンを触る度に、なつかしんでいたのだろう。
良質のものに違いなかった。今時、滅多にあれほどどっしりしたフライパンにお目にかかることはないだろう。長く愛用して、母から息子に、息子からその子供に、延々と長く、時を経て使い続ける事のできるものだった。
 私が今使っているのが、軽くて焦げないテフロン加工されたもの。熱の通りは早いが、味に深みがなく、テフロンが剥げると買い換えなければ、焦げ付きがひどくなる。アルミは、体に良くないとも言われている。その反面、鉄分は体に良いので、少々錆がついても心配ない。
大切なものを捨ててきた事を、あのフライパンは教えてくれたような気がする。息子が覚えているフライパンは、家族3人がいた家庭の食卓を演出する道具だった。
 ほんのひと時、老いた母と、遠く離れて海外に暮らす息子、そして、一人ぼっちで暮らす私の、3人が家族として集う小さな幸せをかみしめながら、台所で、軽いフライパンが空中を踊っていた。
  

Posted by アッチャン at 13:21Comments(0)

2009年02月14日

介護問題

 


 周りで、年老いて行く、人達を見、病院のベッドで横たわる人、お世話をする近親者の負担、友人たちが抱えている現実、そういう話を聞くと、行く先を思う。最近は、介護問題が深刻に取り上げられている。スエーデンでは、入居者以上のスタッフで介護に当たっている。つまり、負担を分担し、互いに満足の行く介護体制を取るには、一人にるき、一人以上必要だということだ。家庭でも二人以上は必要だ。経済的な負担も含めて考えなければならない。働く意欲を持って、介護の仕事に入った若者が、やめていかざるを得ない状況を見ていると、あまりにもひどい過酷な労働条件と、安い賃金が、その原因であることは間違いない。
 塩川さんは、今朝のテレビで、家で介護する場合、それに見合ったお金を支給するという、方法をとれば、介護問題は解消されるのではないか、と提案している。それも経済だけを考えるのなら、一つの良い案だ、と思うが、家庭に寄って事情は様々。介護される人間の状況によっても様々。
 塩川さんは、85歳のお年寄りで、おそらく自分は手を汚して介護した体験はないだろう。その点、桝添さんは、認知症の母親を看た体験の下に、介護問題を取り組んでいるので、視点が全く違う。
 老人問題は、深刻な社会問題であることに、認識の不足している人が、あまりにも多いように思われる。母は、舅の介護を最後までしたけれど、認知症ではなかったので、下の世話が大変だった。母はその体験について、「誰にもさせずに、私一人でした。」という話の顛末を聞いた。だから、母はお嫁さんにあのような目には絶対に会わせたくない、と。母の妹も、今では認知症という病名がついているが、当時はボケで、それは大変な思いをした。ご飯の上に、自分のうんこを盛り上げて喜ぶ。毛布はどれだけ、焼却したことか、大変だった体験を、叔母から聞いた。だから、叔母は、孝行息子が同居をいくら提案しても、ご主人の亡きあと、一人で暮らしていた。母に毎日のように電話をして、話をすることで寂しさに耐えていた。二人の、介護体験者は、どちらも、「世話をかけたくない、あんな思いをさせたくない。」という思いが、一人暮らしを支えて来たのだと思う。桝添さんは、認知症の母親の介護体験者、南田洋子さんは、舅の壮絶な介護体験、夫の女問題に苦しみ、今は認知症になられ、罪滅ぼしに夫の長門ひろゆきさんは、彼女の介護に専念しておられる。

 スエーデンのような介護体制を作り上げる事、日本も、それを目標にすることが、大一の景気対策にもなると私は思っている。一人につき、45万円くらいの、介護料が税金によってまかなわれること。お金持ちの為の介護施設では、52万円をとる所がある。それでも十分出せる人がいる。ゆりかごから墓場まで、安心して住める社会が実現できれば、貯蓄はいらなくなる。差はあるとしても、最大公約数の幸せ、安心の社会の実現を目指して対策を取って行くのが、政治の役割であり、国民の目的としなければならない。
  

Posted by アッチャン at 11:22Comments(0)

2009年02月13日

 根回しの上手な人


 


 立場が変わると、見方は違う。こちらからの言い分は、相手には全く通らない。単純な構造をもった人間は、一方通行の考え方を貫きとおす。それが強みで、目的に向かって邁進し、成功を収める場合もあれば、その逆になれば、奈落の底に落ちる結果も招く。会社の中で、持論、反論でまとまらない場を、上手にまとめることのできる人間がいる。いわゆる根回しの上手な人。口数は少なく、重要な所で、軌道修正できるような一言二言で、周りの人たちを、納得させる。そういう人がいる。

こちらから見れば、こう主張する事が、相手側から見ると、こう主張するだろう。どちらの言い分を互いに押し付けあっていると、争いに発展する。争いを避け、互いの言い分に耳を傾け、折り合える部分を探すことが、物事をより発展させ、より良い解決策を見出していく方法だ。相手が頭にきている時には、しばらく冷却期間が必要なので、ほっとおく、というのが一番の特効薬になる。冷まして、考える余裕が出来て、初めて意見を交換しあうことが出来るようになる。まずは、違いを認めること。本当はこのことは、なかなか難しいことで、これが出来れば、相手の言い分を聞ける。この部分とこの部分、良い方を取り入れて、効力をより多く発揮できるようになれば、お互いがハッピーになり、余分な労力を使わずすむ。ストレスはなくなる。
 直情型の人間は、熱く、正義感に燃えていると、錯覚している場合が多い。逆の方から言えば、おせっかいで、煩い人、プライバシーにずかずかと入り込んで、という判断がくだされることも多々ある。逆に、相手を喜ばせようと、常に相手の喜びそうな態度で接し、エンターテイメントにたける人は、陰に回ると、その人の態度の悪さ、横柄さを毛嫌いし、サービスに対して、お返しのなさを不満に思う。どちらも直情型の結果で出てくる答えは貧しくなる。予測に反して、期待したものは帰って来ない。
 自分にも、他者にも、中立な判断が出来る人、損得をわきまえている人、周りの空気を読める人、そういう人は、信頼され、あの人はなかなかの人物だ、と誰からも納得を引き出すことができる。その原動力となるスマートさ(頭の切れ)と能力(判断力)が必要であることは言うまでもないが。
  

Posted by アッチャン at 01:34Comments(0)日々の事

2009年02月12日

地球は子孫からの預かりもの

  生ガキ

 テレビをつけて、初めて、休日だと知るのだから、ひどいものだ。コナミは7時終業。5時に入ると、沢山の人。休日にこれほど沢山の人がいることは初めてだ。サッカーの試合が7時からあるからなのかしら。帰り自宅の若い人が多かった。
 私の運動は、プールで歩くいだけなのだけど、来ると肩こりが楽になるような気がする。お風呂につかると、凝っている部分に響いて,ほぐれるような感じがする。神経がきるいのか、歯医者に行っても、「もう少し楽に。」とどの医者にも言われる。触れられる前から、何をされるのかびくびくで、痛みさえも感じるくらいだから。
 今日は息子が3日間だけ帰って来るので、久しぶりに冷蔵庫の整理をした。何でも捨てられない私だけど、友人が、引っ越しすることを決めて、随分捨てたということを聞き、私も、そろそろ整理しなくては、と思い始めた。広い部屋から、便利で、コンパクトな場所と空間に移るそうだ。




 引っ越しは、体力と決断力が必要だ。いつだったから、服飾関係の友人が、箪笥の中で2シーズン着ない服は処分した方が良い、と言っていた。手を通すことはないから、と。そういう人達は、流行に敏感で、スタイリストだ。私のように何を着ていても平気な人間は、自分の好みというのがわからない。安かったのよ、で買い、もったいないから、といつまでも持っている。箪笥は溢れ、物入れは増えていくばかり。引越しの度に、場所がいるようになっている。結婚した当初は、9坪の文化住宅に所狭し、家具だらけ、田舎に16坪のプレハブを建て、その次には、20坪の建売住宅の借家住まい、今の家は30坪の建売住宅、震災後潰れて、最低予算でに建て替えたが、広さは同じくらい。坂道が多く、膝の悪い人にはきつい場所、車がないと不便なので、高齢化が進み、余裕のある人は駅前のマンションにセカンドハウスを買い、ない人は、売ってマンションに引っ越していく人もいる。近くに、車いすの家族がいる家がある。デイセンターからお迎えが来ると、階段に板を引き、家族が付き添って、なんとか車に移動しているのを見たことがある。そこは坂道の下った場所なので、階段は2,3段。堀込みのガレージのある家は、どうしているのかしら。2所帯で住んでいる家もある。逆に一人住まいの人もいる。私もいずれ考えないといけない。体力のあるうちに、どこかに引っ越さないといけない。そのために、今から身の回りをシンプルにしておく必要がある。

吉田賢治画

 そう思い、勇気を出して、まず、冷蔵庫の中のものを捨てにかかった。消費期限というのは捨てやすいけど、賞味期限というのは、食べられるわけだから捨てにくい。整理して、冷蔵庫がすっきりすると、気分もすっきりした。
 コナミからの帰り道、いつもはスーパーにより、売れ残りの寿司、総菜などを買い、ついでの目についたものを買い込むのだが、寄らずに帰った。炊き込みご飯を炊いているからだ。昨年の12月までの賞味期限だった。
 夕食を済ませ、サッカーを見るつもりでテレビの前に座ったが、別番組で、倉元聡が出ていた。対談で、質問された、若いタレントが、必需品にあげた品々は、都会に住むフリーターなどとほぼ変わらない。テレビ、携帯、車など。




富良野の自律塾にいる若者達に、同じ質問をすれば、
水、火、道具、だった。自然と人間との生存関係を、図りを使って説明している。強いものが出てきて、弱い者がはじきだされる。それが戦争につながっている。
 金権社会は崩壊し、自然共存の社会への転換が迫られている。地球は子孫から借りている。経済の発展から、自然との共存に、それは不便な生活を、進んで実践することにある。 
 余分に食さないこと、衣服を大切に長く着ること、光熱費を節約すること、私でいえば、そういうことでも、地球を子孫から預かっているのだから、心して使わせてもらうという事につながるだろう。
空になって綺麗になった冷蔵庫に、これからは余分なものは買わないようにしよう。服も靴もこれからは買わない。資源ごみに出せば、リサイクルにもなるだろう。光熱費を節約しよう。いつまで続くかわからないけど。
  

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2009年02月10日

落ち込んだら、外に出て歩こう



 

 体を動かすと、気持ちがついてくる。「ただいま考え中」が長く続くときは、とにかく体を動かすこと。外に出ると、空気が冷たくて気持ちが良い。
駅までの、いつも歩き道、冬場は、ついついバスに乗ってしまうが、先日は、工事中で時間がかかったことを思い出した。3月が近くづくと、道路の舗装工事が始まる。予算を使い切るためだ。やるなら、夜中にやってほしいものだ、と勝手な不満が出る。それほど広い道路ではないので、一方通行は、渋滞を招く。待ち合わせの時間に間に合わないと、イライラしながら、どうしようもなく辛抱。こんな時に、携帯電話は便利だ。
「バスの中です。渋滞で動かないので、遅れますので、10分遅らせてください。」と連絡できる。
携帯はいらないと思っていたが、あると便利だと思うようになった。携帯恐怖症だという人がいた。持ってないと不安、2台持ってないと不安だと言う人も。  
  



バス代を節約し、健康維持の為に、歩いた方が、お金を使って、イラつかされるよりも、ずっと良い。
 駅までの坂道をくだると、道路脇の大きな老木がある。そこまで来ると、駅は近いと思えるようになる。私の家から駅まで、歩いて30分ほどの距離なので、ワーキングにちょうど良い距離だが、駅の構内に入る頃には、冬でも汗ばむ。夏は、汗びっしょり。



 花輪で飾った家、寄せ植えの鉢をブロック塀にかけて飾っている家、道すがら、美しい花花を眺め、時間を気にしないのんびり歩く。ここでも、やはり道路工事、道路に立つ人が、笑って頭を下げて挨拶してくれる。こういう時には、御苦労さま、寒いですね。と私も笑顔。
 バスに乗って、暖かく楽していながら、不満顔、寒空の中を歩けば、自然に笑顔が。
  

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2009年02月09日

定額給付金

 

 一人12000円の定額給付金が支給されることが決まった。決まったとなれば、ほとんどの人は、ほしいと思うだろう。12000円という額は、人によって、随分重みが違う。外食1回で使ってしまう額だと思う人もあれば、それが1か月の命をつなぐ食費になる人も。もっと経済効果のある有効な手段に使ってほしいと願ったけれど、すでに決まったものなれば、このお金の重みを知っている人達に思いを抱く必要がある、と思う。
何もほしいものはないから、貯金するというのは良くないと思う。明日の生活の為に蓄えるのも良くない。今日食べるものがない人達は、貯金する余裕などない。有難さは、私達の何百倍、何千倍なのだ。景気対策にならないから、と反対した定額給付金だから、せめて、何かの消費に使うべきだ、と私は思う。将来の為に、貯金する、取り合えずほしいものがないので、買わないなら、焼け石に水、本当の意味で、ただのばら蒔きになってしまう。使えば、1次的にしろ、経済効果はあるのだから、ないよりはそれを選ばざるを得ない。何でも良い。国民は、そのお金を預かったつもりで、消費につかわなければならないと私は思う。
  

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2009年02月07日

バレンタイン

  

 

今日、一年ぶりに、友人3人が集った。バレンタインが近くなると集まる。元気そう、と3人の言葉で開始。昼食を買って、我が家で、おしゃべりしながら過ごす。菜園をしている友人から,おいしそうなかぶらをいただいた。土から掘り出したばかりの新鮮な匂いがする。3人が寄ると、いつも楽しい話で、笑いが絶えない。元気が出る、元気をもらう。
 よく食べて、よくしゃべった。底冷えがするので、ガスをつけたり、消したりして調節しながら。
普段は、カロリーが気になって買わないケーキ、選ぶのなら、モンブラン。ケーキの中の王様級の脂肪とカロリーがありそう。二つ分くらいある大きなケーキ。食べる時には、思い切りが大事。
 お弁当を食べた後、コーヒーを入れる。冷凍庫に保存している、とっておきのコーヒー。昨年の9月に、パリから従妹が持ってきてくれたコーヒー。彼女曰く、試行錯誤の上に、初めて、コーヒー通のイタリアンからお墨付きが出たコーヒー。日が経つので、袋に氷の移り香がしているが、中身は大丈夫だった。気をつけて丁寧に入れた。美味しいコーヒーに甘いモンブラン、完璧な食後。友人が、特別のチョコレートを持参してくれていて、それも。それから、大粒のいちご、甘くて、口がさっぱりする。今度は、はるみという大きな蜜柑、美味しいのよ、名前覚えておいて。確か、「はるみ」だった。きよみ、という蜜は知っている。それよりも遥かに大きくなった「はるみ」は「きよみ」の改良品かもしれない。種がなく、袋はやわらかく、余すところは、外側だけ。お茶の飲み、交代にトイレに立ち、暗くなるまで、語り合った。
  フランス語の教室で親しくなった人たち、それぞれの子供達は独立し、それぞれの生活を歩んでいる。良き家庭婦人で、自分を大切にし、自由な時間、生き方もデザインしてきた。基本的には、夫婦二人の生活、太い幹を育み、それに付随する枝葉も茂らせた。風で揺れることもあるだろうが、土台がしっかりしていれば、倒れる心配はない。根なし草の旅人である私が「冬の旅」に疲れて、大きく茂る菩提樹の根元に安らぎを得たような、そんな時間だった。
 


  

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2009年02月06日

両性具有

 
 

 私は、社会性がない、と友人から言われた。社会性のなさはどこにあるかと聞くと、私が家族の話をするからだという。公の場で、話題にだすものではない。そう言われると、私はよく母の事、父の事を話題に出す。父との思い出、父が言ったこと、父が好きだったことなど、口につく。だから、私はファーザー、コンプレックスらしい。母の事も出てくる。母の優しさ、母が素敵な人で、誰からも愛される存在だと思っている事が出てしまう。マザー、コンプレックスらしい。とすれば、私は以前から、そうではないかと懸念していた、両性具有のようだ。男であって、女、女であって、男。男女にちがいない。まあ、できそこないという所だろうか。先日、深夜テレビで、変なおっさんが出てきて、下着にブラジャーをはめている。長い髪のかつらをかぶり、何度もファッションを変えて出てくるが、裸同然の下着姿も披露。その人が、両性具有の存在なのだと、講釈を垂れていた。感化された、対抗者の男性は、勧められて、ブラジャーをつけてみると、なんだか、その気になって来たらしい。
 人間には、気付かないでいる、深層心理が存在する。ある日、突然それが表面化して、自覚する時が来るかもしれない。未来になにが起こるか、それは未知なのだ。ファーザーコンプレックスと、マザーコンプレックスという、どっちつかずのできそこない。深層心理が爆発するとしたら、
どういう風に?ああ、そうだった、私の社会性のなさを問題にしていたのだった。眠れぬままに、深夜孝。
  

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2009年02月06日

書き言葉と話言葉

 

 

言葉は、パロール、風だ。言葉は言の葉、散っていく。話は消える。風となって、去っていく。パロールに責任はない。パロールは軽やかだ。たとえ、言論の暴力だと非難しても、消えてゆく運命にある。どれほど激しい夫婦喧嘩をしても、そんなことは忘れたと、繰り返すことも可能だ。
書き言葉は、絶対的だ。なかったことには出来ない。引き受けなければならない、責任が伴って来る。私のフランス文法書の本に書かれた、文字を見ると、なんとも辛くなる。母と口論の末に、文章にしておいてほしいと、つきだした本に、母が書いた文字。消そうにも消せない。そうだったのだと、心が痛み、母を思い、心が痛む。だから、文章にするには、よほどの覚悟がいるのだが、そういう事実を忘れて、最近になるまで、私は書き言葉に、神経を使っていなかった。去年の末に、ある人から来たメール、メールとはいえ、文章になったメール。厳しい文面で、イロニーを含み、怒りが。メールは消すことができるので、パロールに近いのかもしれないが。その反面、ブログは、掲載を取り下げない限り存在し続ける。それいらい、私は書くことをためらうようになった。掲載したブログを消去しても、消えない責任感が、私の意識に根差している。書かれること、それ自体が不愉快にさせる。人に読まれる事は、秘密の手紙を盗まれるようなもの。書かれた文字を引き受けることは、絶対的に烙印を押されるようなもの。パロールのように、無責任では通らない。
 


ある人から来たメール、頭がふらつき、動悸がおさまらず、昼食を食べることを忘れ、何度も反論と弁解のようなものを書いては、消し、書いては消した。夜も遅くなってから、気持ちを切り替えようとつけたテレビは目に入らず、明日、出先で待ち合わせた友人達を誘って、家に来てもらうことになっているのに、来客の用意をする元気もない。掃除機をかけて動いてみても、頭から離れず、脳溢血で倒れないかと、突きさす心の痛みと動悸に、なすすべもない。

人にアドバイスできるような人間ではない、と自覚する。そして、なおさらに、書くことの恐怖と責任を感じる。
もの書きは、恥知らずなものだと、ある作家の二番煎じで書いた事がある。書くことは、責任を引き受けること、孤独を引き受けること。
覚悟のいることだ。
  

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2009年02月04日

2月花形歌舞伎、松竹座

 

松竹座 花形歌舞伎 http://www.shochiku.co.jp/play/shochikuza/

 2月の松竹座は、歌舞伎界の若手スターの揃い組による、花形歌舞伎の上演が始まったばかり。亀冶郎の舞を存分に楽しみたいので、6変化するという夜の部の方が
良さそうだと思っていたが、昼の部も、見逃せない舞台だ。歌舞伎十八番の「毛抜き」の主役を、中村獅堂が、ダイナミックで伸び伸びとした演技を披露している。亀次郎さんは、腰元役でわずかしか出番がないが、しなやかで美しい身のこなしに魅了される。先日、映画「禅」をみてから、益々好感を持った、勘太郎さんは、女形のお小姓役。会場は、若いフアンが多い。花道に面した席なので、役者さんの顔をすぐ身近で見ることが出来た。幕間に、席を立とうとしたら、再び幕が開き、今出演していた役者さん達が、節分の豆まきを始めた。獅堂さんが、花道の私たちの所まで来て、豆をまく。「獅堂さーん」と声をかけると、豆を私の方に投げたので、しっかりと手につかむと2袋あった。それをズボンのポケットに入れて、亀冶郎さんが花道にやってくるのを待って、今度は「亀冶郎さーん」亀冶郎さんも、私の方を見て、豆を投げ、手で受けると、また二袋。節分とは知らずに、チケットを買っていたので、なんてラッキーなんだろう。あれ嬉しや。



二幕は、七之助さんが、「鷺娘」を悲しく、はかなく、けなげに、美しく舞う。玉三郎さんが、七之助さんに、自分の芸を熱心に指導しているのは、ひょっとしたら、玉三郎さんの後継者として、七之助さんを、と思っているのではないだろうか。七之助さんだったら、十分にその素質はある。美しさといい、可憐さといい、秀でた才能を持っていて、舞も上手い。これからどんどん良くなっていくだろう。玉三郎さんの指導の成果なのか、素晴らしかった。着物を何度も変えて、白鷺の恋の行く末を表現し、最後に雪の降りしきる中で、情熱的な赤の衣装で命つきる舞は、美しく、狂おしく、かわいそうで泣けてくるほど、見事に踊りきった。




3幕は、「女殺し油地獄」去年の7月に、松竹座で、市川海老蔵さんが、演じる所だったが、怪我の為に、仁左衛門さんに変更されて、大好きな仁左衛門さんの舞台を見ることができた、出しものだ。今回は、片岡秀太郎の養子である、愛之助が演じている。所どころで、ふと仁左衛門さんに、よく似ていると思われる。片岡仁左衛門さんの、後継者に相応しいとすれば、松島屋さんの中では、愛之助さんぐらいだと思われる。仁左衛門さんの息子、孝太郎さんは、おやまだから、後継者としては無理だろう。
「油地獄」では、亀次郎さんが、器量よしで、魅力的、世話好きな、同業仲間の奥さんを演じて、与平の相手役、女房お吉。昨年の7月の舞台では、孝太郎さんが、その役だったので、親子で共演していた。亀冶郎さんは、関東の人なので、せりふ回しが江戸っ子風になっていて、きりっとして、リンとした美しさがあり、長身でか細く、役どころにぴったりで、美しさは格別、演技力は言うまでもなく、踊りの名手なので、素晴らしい。



歌舞伎に興味のない人でも、この舞台なら、十分楽しめること間違いない。贅沢な使い方は、こういう時に使うもの、とほれぼれと感じ入った次第でござります。夜の部は、天井桟敷で買ってあるものの、清水の舞台から、飛び降りたつもりで。ええい、ええい、もう1枚買ってこましたろか。桟敷じゃ、桟敷じゃ。歌舞伎は桟敷が一番じゃわいなあ。
 ところがですね。もうないと思いますよ。そんな良い席は、とっくに売れてしまってます。ためしてがってん。

 
  

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2009年02月02日

映画[マンマ、ミーア」

 


マンマ、ミーアhttp://www.mamma-mia-movie.jp/

 シンガポール行きの飛行機の中で、映画化された「マンマ、ミーア」を見ようと、座席の前の小さなビデオをセッティングして、しばらく見ていたが頼りなくて、他のチャンネルに切り換えた。ニューヨークのブロードウェイで見た時の昂揚した気分で、そのまま立ち去る事が出来ず、他のフアン達と一緒に、出演者が楽屋裏から出てくるのを待ち、無料で配られたパンフレットにサインをしてもらった。ミュージカルとオペラは、単純なストーリー、情感に訴えるもので、英語やドイツ語、イタリア語など、各国の言葉がわからなくても、万国共通の理解ができて楽しめる事は大事な要素だと思う。日本の歌舞伎、能楽というのも、そういう要素を備えているから、海外の観客を魅了することが出来る。
 舞台は、切り取られた空間の中という制約があるので、観客の想像力に委ねる要素が多い。ミュージカルが映画になると成功するのは、映画という4次元の世界を惜しみなく、目の前に表現できるからだろう。「マンマ、ミーア」は、映画の強みを惜しみなく使って、まったく私たちの思考を停止させ、観客を喜ばせ、楽しませてくれる。

 


 西宮ガーデンズの映画館で、母と一緒に、「禅」を見てから、そのまま別の部屋に移動して「マンマ、ミーア」を見るつもりでチケットを用意していた。「禅」が終わると、もう疲れたと言う、母に、今度はミュージカルだから、と別室に連れて行った。母は無表情のまま、ただ画面を眺めているので、疲れて興味がないのだろうか、と気にしていたら、次第に手が動きだしている。メリル、ストリープの歌に魅了されている。「上手だわね。」と。メリルストリープという女優は、演技の面で名女優である事は、どの映画においても間違いないのだけれど、彼女は、様々な表情を見せる。
生活にくたびれた女性から、最高に美しく輝く、魅力的な女性まで、女性のありとあらゆる表情を持っている。その上に、この映画では、吹き替えなしに歌っているというのだ。このミュージカルを、より魅力的に仕上げているのは、メリル、ストリープの存在があるから。
 疲れていた母は、すっかり元気をもらい、映画が終わっても、部屋が明るくなるまで、誰も席を立とうとはしなかった。いえ、立てなかったのだろう。
  

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2009年02月02日

 http://www.zen.sh/




東映[禅]を見て、感銘を受けた。動乱の鎌倉時代、中国留学を経て、禅の実践と哲学を持ち帰った、道元禅師の生涯を描いた作品。歌舞伎界のプリンスの一人、中村勘太郎が、道元をさわやかに好演している。
「春は花、夏ほととぎす 秋は月 冬雪冴えて 涼しかりけり」自然に、あるがままに、ひたすら座ること、座ることが目的として座ることが、禅の修行である。映画の中で、死にかけた赤子を抱いて、娼婦が道元に助けを求めにやってくる。道元は、「ひとつだけ助かる方法がある。家の中で、親族に死人がいない家を見つけて、豆を一粒もらって来なさい。」と女に言う。彼女は必死に、その家を探すが、どこにもない。その間に赤子は亡くなる。」道元の所に行き、そんな家なんてあるわけない、とくってかかる。すると道元の弟子が、「不可能なことだということをわかってもらいたかったのだ。」と彼女に告げる。赤子を抱いて、道元は涙を流す。人の悲しみを悲しみ、人の喜びを共に喜ぶ。在るがまま。
 在るがまま、に触発されて、湯沸かしを使わずに、水で食器や野菜を洗いを実践し始めた。冷たいけれど、慣れると、「冴えて涼しかりけり」を実感している。涼しいだけではなく、あとで手が暖かくなる。顔も水で洗う方が気持ちが良い。
映画の中で、食事係が「ご飯を炊くお米がなくなりました。」と告げに来る。道元の弟子の一人が「それではおかゆにしてください。」と言う。
「おかゆに出きるお米はありません。」もう一人の弟子が「それではおもゆにしましょう。」と言う。「おもゆにも足りません。」すると道元は、涼しい顔で「それでは白湯をいただきましょう。」あるがままを受け入れるということ、こういう風になれれば、素晴らしいが、私たちは、餓鬼にとどまっていて、とても涼しい顔で我慢できない。
 せいぜい、私にできるのは、水で洗い、暖房をつけないで我慢することぐらい。京都を追われ、道元は弟子と共に、北陸の地に「永平寺」を開いた。最初に永平寺を訪れたのは、雪の頃だった。澄み切って、鋭い寒さの中で、修行僧の凛とした美しさ、精励さに心打たれた思い出がある。
 それから、何度か訪れたが、観光化されて、印象が変わった。
  

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