2009年04月04日

飢餓を体験した人



 


 従姉妹へのみやげに、甘いものばかり持ってきた。レストランは、このところの不景気風に乗って、暇だという。暇なので、また5日間あけるようになったという。
 ただ、彼女には、ぴったりの仕事だ。常連さんばかり、彼女が作りたいものを作り、美味しいと喜んでもらえるのが、彼女の性分にあっている。レストランの継続につながっている。、訪れるたびに、備品が増え、椅子が増え、キッチンは本格的な厨房に顔を変えていく。絵画と料理は共通している。どちらもクリエイティブな仕事だから。
 食べるためにやってきた今までの仕事は、彼女にとって必ずしも楽しいものではなかった。絵を描いていても売れない。好きなことをして、お金が入ってくる。人との交流が生まれる。気に入らない客はお断りだ、と言う。言いたいことを言い、好きなように出来る。

 

 背の高い大きなタンスほどもある冷蔵庫に、ワインの種類をそろえている。メニューは、お昼の日替わりで、値段はまた少し、上がっている。飲み物やつまみの種類が増えた。 彼女の周りに、食べ物があふれている。食材が充実してる。ドラム式の洗濯機を買った。これまで、洗濯機がなかったので、風呂場で手荒いだった。一足も二足も飛んで、超便利な、効率の良い生活環境を作れるようになったのは、レストラン経営の成果だ。
 贅沢に育った人だけあって、以前から食にこだわっていた。そこに競争心と想像力が加味して、美味しいものを作っている。
 食事の残りだと、鳥料理をくだいて、野良猫のえさにしている。鳥のえさは、余ったパンを砕いて。「贅沢な猫達」日本で、年越し村なら、まだラッキーな方で、寒空に空腹をかかえている、失業者や浮浪者が目に浮かぶ。
ここでは、余った料理は、ほとんど猫と鳥の餌に。肉の日もあれば、魚も、鳥も。パンはくずではない。焼き上げたパンを砕いて、くずにしてあげる。
 吉田さんは、壮絶な生活、シビアーな環境の中で、食べられない人達が集まって来た。いつもだれかれとなく、愛情を持って。いつも貧しく、お金に縁がなかった。
 食べることが、どれほど大変なのかを、画家達は身を持って体験している。吉田さんも、従姉妹も、ニューヨークで華々しい個展をされた、森崎さんという画家も。
 そういう話を、ニューヨークでされていた。その人が来ると、いつも従姉妹が料理を運んできてくれるとか。それがどれほどありがたいことか、と。従姉妹は、森崎さんがパリに来ると、山ほどのみやげを持って来てくれる、気遣いの行き届いた人だと褒めている。
 


 飢餓を体験した人は、人のお腹を満たしてあげたいと思う。亡くなった叔母もそうだった。
ひもじさを骨の髄まで体験した、と。叔母の家は、食べもので溢れていた。孫達がくると何キロかの肉を買って、お腹一杯食べさせる。生活が大変だとは、子供達も、孫達も知らなかった。母にだけ、「お金がないのよ。」と。寂しさと、恐怖心がつきまとっていた。
 だから、いつもひょうきんで明るく、人をどうにかして楽しませたい、喜ばせたいという努力をしていた人だった。  

Posted by アッチャン at 15:18Comments(0)パリにて

2009年04月04日

ナブコがブーイング

 
 



レストランを一人で切り盛りしている従姉妹の時間が空く時間までに、持ってきたトラベラーズチェックをお金に換えておこう。使うのは、ほとんどが生活品ばかなので、現金が必要。銀行に置いていたお金がいまはない。勧められて、投資信託を買ってしまった。 途中で赤字だというので、送金しなくてならなくなった。そういう事態になって、初めて書類に目を通す。毎月維持料に郵送料が引かれていたのがわかった。ユーロが160円だったので、日本に送金しようと思って、銀行に行った。すると20パーセントの利息が見込めるのにと強引に勧められた。欲と道連れ、応じたのは私。あれから暴落。ただフランスは、国営と同様で、保証されている。その投信も、90パーセントのギャランティがついているので、それほどの痛手にはならないようになっている。
 言葉が旨く通じないので、つい言われたようにしてしまう。「お金がこれだけいらないだろう。2年で満期だから、すぐだ、すごい利益がもらえる」乗った私が馬鹿なのよ。
本当に、そう、言い返せるほどの語学力がないと、弱みのあるものは良いようにされる。 この世の中、なんだってそうなのでは?だから、教育の大切さが叫ばれる。対等にものを言い、ディベートに勝つために、自立心を育てるために、教育が大事。

 


ところで、ナブコを使って、オペラの次の駅で降り、このあたりにあるアメリカンエキスプレスの建物を探した。建物は、ブティックに変わっていて、その近くに、エクスプレスの看板が見える。両替の事務所で,奥にカードのカウンターがあるだけ。両替事務所で、2パーセントの手数料がいるといわれて、アメリカンエクスプレス事務所、そのものを探す。以前は、そこに行けば全額換えてくれたから。ぐるぐる歩き、入り口がみつからない。 ところが、その両替所が、事務所だった。チェックは2パーセントのコミッションを取るようになっている。経営危機と財政難は、ここにも顕著に表れている。
 帰り、オペラから乗ろうとしたら、ナブコが赤ランプでブーとうなって拒絶する。これだね、と思って、前にある案内所に言うと、そこを通れと言われた。もう一度通ろうとするとまた拒否。こういう時には、だれかが通るのと一緒に入らないと入れないそうだ。
どうしてこういうことになるのか?オペラ駅は、方向駅だからだった。チケットは、紙なので、使うのに神経がいるが、このカードは、融通が利かなくて、これも不便。フランスのやることって、こういうこと。不便は当たり前なのだ。むしろ楽しんでいる。
 日本製は、故障がないから嫌われた。手のかかるものの方が楽しみも多いし、愛情も育つ。このナブコも不完全故に、愛されるのか。
 オペラ座あたりは、別名日本人通りといわれる。最近は、観光客をねらった犯罪が顕著になっていると聞いていたが、日本語によるアナウンスを初めて聞いた。
 くれぐれもお気をつけください、と言うアナウンスだった。
亡くなった吉田さんが、オペラ近くの両替所から出てきたところ、つけてきた、ひったくり目的の二人組に
コートを汚された。べったりしたものを、わざとかけて、コートを脱がせてのスリ。
 その話を聞いて、私は笑っていた。吉田さんの怒りぶりと話がなんとなくおかしかったから。その後、一緒に歩いていると、いやおうでもコートの染みが見える。その度に、おかしさがこみあげて来て、笑ってしまった。生き生きとした吉田さんの、悲しい思い出になってしまった。  

Posted by アッチャン at 15:09Comments(0)paris

2009年04月04日

バケットは文化


 


  寝たのは12時すぎていたのに、まだ暗いうちに目が覚めた。するとお腹がすいている。昨日もらってきたおにぎりを一つ食べた。教えてもらった、電話回線を何度も試みるけれど、つながらない。つながったと思ったら、ホームページの表示ができない。
 気がつけば、すっかり外は明るくなり、晴天だ。
 まずは、パンを買いに下に行く。スーパーマーケットは、以前とは別の店になっている。、水が気になって、6本買った。余分に置いておかないと気が済まない性分なのだ。部屋に運んでから パンを買いに行くと、野菜屋さんが見える。野菜が気になった。一通り買うと、大きな包みが二つに。それかから、その向かいにある、エドという低所得者向け?のスーパーに入った。ここは品物が良くて安いと聞いている。ハムとチーズを買い、コーヒーは、買いたいものがなかった。オリーブ油はこれ以上もてないので、やめた。パンを半分切ってもらったのを買って、とりあえず、アパートに帰る。コーヒーがないので物足りないけれど、サラダと、パン、チーズがそろった。選んだチーズが当たりで、美味しい。一つ買うと、しばらく同じものを食べるので、美味しいチーズに出会うと嬉しくなる。コーヒーのない生活をしたことがないので、気の抜けた朝食だけど、日本から持ってきた、ほうれん草のスープが結構いける。熱すぎて、飲み込むと喉の奥を焼いてしまった。スープが焼けながら落ちていく。
 一月の間、多分、コーヒーは一箱か二箱しか使わないだろう。、だから美味しいものを選びたい。去年来た時には、 友人が置いて行った、エスプレッソのコーヒーの残りがとても美味しかった。バターも、ジャムも美味しかった。無くなると、同じものを買った。それいらい、日本でも、バターとジャムをつけて食べるようになった。
 でも、美味しさが断然違う。パリのバケットは特に美味しい上に、バターとジャムがよく合う。日本で食べているトーストとは比べものにならない。ただ、歯と顎が丈夫でないと、堅いのだ。しばらく置くとすぐに乾燥して、よけいに堅くなる。
 日本は湿気は多いから、顔や手がかさつくことは感じないが、飛行機の中から手がかさつきだす。かさかさのごわごわと化した手をさすりながら、堅くて乾燥したバケットを食べる。そういう乾燥に、ジャムとバター、チーズのしっとりした感触は、とてもよく合う。
パンをスープに浸けて食べる。コーヒーカップがスープ入れのように、口が大きいのは、パンを浸けるためかもしれない。

食は文化、環境に適応して、一番美味しい食べ方を要求している。バケットに、無くてはならないものが、ワインだ。乾燥したパンは、ワインをほしがる。  

Posted by アッチャン at 14:57Comments(0)paris