2009年04月20日

フランス料理



 

 朝、起きると、9時をすぎている。こんなに寝たのは、久しぶり。あんなに陽気な日が続いていたのに、今朝からしとしとと雨が降っている。私の気分を代弁しているかのように。
 忙しく、立ち去ったあとの、空虚と寂しさがただよう。


 
 最後の夜、モンマルトルにある、中華レストランに行く計画だった。一緒に行くはずだった従姉妹は、客を迎えて食事をするので、行けないという。昔、行ったことのある中華レストラン、レマルク、コウランクールという地下鉄駅で降り、うろ覚えの道をたどって行った。そのあたりは、何もなかったのに、レストランが沢山出来ている。坂道を登ったり、下ったりしながら、探してみたけれど、結局見つけることが出来なかった。
 どこか他でと、目をつけたレストランに入った。年代を感じる、フランス料理の店で、ご推薦の紙も沢山貼ってあるので、美味しいに違いない。



席はすぐにつくことが出来たが、そのまま待たされること。途中で、よっぽど出ようかと、何度も思ったけど、時間も遅くこれからどこかに行っても、開いていないかもしれない。
 隣のカップルは、やはり待たされているけれど、全く気にしていない。水もなければ、ワインもなく、男の方が延々としゃべっている。もう一方の隣席の人は、料理を美味しそうに食べている。
カップルの所にマダムが注文に来たのは、1時間過ぎた頃だった。それからまた待たされて、やっと私達の所に。その間何度か通り過ぎても、全く関知していないような様子。  メニューを見て注文すると、ほとんど売り切れ状態。同伴者達は、タルタル(生肉)を注文した。仕方なく、マダムが勧めた、豚の足を私が注文 、前菜には、ラタトイユ(プロバンス風野菜の煮込み)を頼んだ。

豚の足

隣の席の料理が来て、男は大きな固まりの羊を、女性は、キャセロールから、イカを出して食べている。しまった、魚があるのを忘れていた。メニューをみていた時には、イカがあるよ、と言っていたのに。

 前菜のラタトイユは美味しかった。次に出てきた、豚の足、見るだけでもう手が出ない。足そのものに、毛が生えている。メニュにデザートとコーヒーがつついていたが、時間がかかりすぎた、遅い上に、食欲もなくなって、断って、アラカルトにしてもらったら、料金はかわらなかった。赤ワインも残し、フランス料理にへきへきしてしまった。
料理のどこか気に入らないところがあったのか?と聞かれた。
 フランス人なら、当たり前の料理で、こんな美味しいものないのに、とでも思っているに違いない。毛が生え、豚の臭いまでする。フランス人は、肉食人種で、動物ならなんでも料理する。動物のにおいをかぎながら、食べるのが好きなのだろう。

あとで、従姉妹に、その話をすると、それがフランス人の食べ物だそう。毎日、肉を食べて生活している人達なのだから。  

Posted by アッチャン at 17:08Comments(0)パリにて

2009年04月20日

ムール貝のレオン

 


 従姉妹の家で、お食事によばれて、出てきたのが、ムール貝、私はムール貝を食べないようにしていたのだけれど、食べないわけにはいかず、いただいた。食べてしまった以上は、2度でも3度でも同じ事。
 ムール貝を食べたいという息子は、ガイドブックに載っていた「レオン」に行きたいと言う。レオンなら、アパートの持ち主である友人の、お気に入りの店で、パリの各地にある。サン、ジェルマン、デ、プレの店に行った。開店20周年記念とかの、特別料理を提供中。 3人が、それぞれ、違ったムール貝を注文した。どれくらいの大きさなのかわからないから、大きいサイズを注文したので、それだけで様子見。二回目から1ユーロだとか。十分な量で残したくなるほどだった。



 ベルギーのレオンがパリに出ている、ムール貝だけの専門店だ。
 実は、ムール貝は、私も大好きだった。イギリスの海辺で食べたムール貝の美味しかったこと。日本では、伊丹の白雪の直営レストランが、ベルギービールと提携して作っていて、生ビールで出しているので、そのビールに合う、料理のメインに、ムール貝がある。 
ビゴのテーブル、コーヒーサーバー

3種類のムール貝がある。量が違うので、パリのムール貝ほどないけれど、丁寧につくられて、美味しい。
 レオンのは、本場だから、美味しくないわけがないし、値段も安いので、人気がある。 ドームなどに行けば、もっと美味しいだろうが、値段が違うから、ムール貝を食べるなら、ここで十分。

  

Posted by アッチャン at 16:59Comments(0)パリにて

2009年04月20日

駐車違反


 

 朝、車を停めていた、広場に行くと、張り紙があった。9時から翌日の9時までは大丈夫だと思って停めていたら、市場が出る日は禁止されているとのこと。35ユーロの罰金だ。レッカーされたら、200ユーロだよ、と店を出すのにやってきた人が言う。
 不幸中の幸いということか。
 車を返し、市場をみようと帰ってくると、ほとんど店は出ない。日曜日とは違う。一軒でている、肉屋で、生のソーセーを買った。朝食にゆでると、抜群の美味しさ。おばあさんの卵は出てないので、肉屋で買ったら、それも新鮮で美味しかった。

 違反金は、タバコ屋でスタンプを貼って、そのまま送るようになっている。日本だと、プライバシーと、安全面から、封筒に入れるのが常識なのに、これで大丈夫なのか、と心配
になる。控えのスタンプをくれるから、それを控えの紙に貼っておけば、何かの時に見せればよいというシステムになっている。45日以内に払わなければ、罰金は倍になるが、車の番号から、レンタカーに問い合わせがあり、そこから国際免許証の番号で、アメリカに問い合わせがあり、そこから住所を割り出し、その住所は変わっている。
 払うべきか、払わないで放置すべきか、悩ましいところだ。
 市場のある日だけ、9時以前でも駐車違反になる、場所など、外国人が知るわけないじゃないの。  

Posted by アッチャン at 16:54Comments(0)パリにて

2009年04月20日

アンボワーズ

 


シャンティー城から、15分くらい車を走らせると、私が以前に1ヶ月暮らした、アンボワーズがある。アンボワーズを是非、みてほしいと思っていたが、かろうじて実現した。 息子は行く気がしないようだったが、ロワールで今日はおしまいなので、パリに帰るまで少し時間がある。寄ってくれることになった。
 アンボワーズは、本当に小さな町で、くるりと回っても20分くらい。毎日散歩ばかりしていて、一向にあきなかった。
 レオナルド、ダ、ビンチが、終の棲家に選んだ、「クロ、ルセ」を見てほしかったのに、見ないで、もうだいたいわかるから、なんて取り合わない。町の中は気に入って様子で、野菜の店で、トマトとにんにくを買っている。肉屋のソーセージにも目が行って、店を覗いている。



 小さな町のそこは唯一、賑やかな商店街で、その一角に、私がホームステイさせてもらった家があった。あれから、随分モダンになり、店が増えている。
 城前の広場の、一番目抜きの場所に、「ビゴのレストラン」がある。芦屋に出したビゴの店は、この店の家族が作ったもの。以前はお菓子と、小さな店だったのに、奥にもう一軒のばして、中も広くなっている。アンボワーズきっての有名な店のようだ。




 ここでお茶をする。コーヒーは大きいなサーバーに入れていて、何倍でも飲める。ケーキは一つの大きさが、二個分くらい。お茶のポットで、パティスリーを楽しんでいる人ばかり。奥にいる老夫婦は、お皿一杯にもられたパティスリーを食べている。時間は6時、今夜の食事になるほど。




 なつかしい町に、連れてきてもらって、ビゴの店にも入る事が出来た。少しでも川べりを散歩してみたかったけれど。毎日、夕暮れ時まで、住民が外に出て、川べりを散歩する。 18日には、アンボワーズで、催しがある模様、ポスターが出ていた。
 パリまで、休みなく、運転して、着いたのは9時前だった。丁度これで良かったのだろう。明日の朝まで借りることが出来るので、このまま置いておくのはもったいない気もるふけれど、運転手は疲れ切っているだろう。




 車で自信をつけたので、フランスの地図を見ながら、マルセイユまで6時間半だね、と興味津々。いいわね、若い人達は、これからの計画に夢を走らせる。
 アンボワーズに一泊するのもいいね、なんて。知らないと、その良さがわからない。すんでのところで、近くまで来ていたのに、寄らずに帰った町。私の郷愁になんか、つきあっていられないと。   

Posted by アッチャン at 16:51Comments(0)パリにて

2009年04月20日

ロワール古城巡り


 




シャンボール城は、パリから、一番近い場所にある城で、古城の中で、一際優美な外観に、あっと声をあげたくなるほど。男性的な作りのこの城は、フランソワ一世が狩猟の為に1519年に建造、その後を継いだ、アンリ2世が手を加えた。17世紀にはいると、太陽王、ルイ14世が、大改造して400以上の部屋と70の階段、365の煙突を持つ、膨大な城に築き上げた。レオナルドダビンチが設計したのではと言われる、階段がある。

 正面から見た城
 
、シャンティー城は、女性的な作り、
 シャンボールは、外から見るだけにして、シャンティー城を目指す。早くパリに向かって、モネの睡蓮の庭のあるジベルニーと、世界遺産になっている、シャルトル大聖堂も見たいという、欲張った計画による。、


けれど、シャンティー城に来て、気持は変わった。シャンティー城は、ロワール川支流のシェール川を跨ぐようにして建っている。16世紀。財政出納棺ポアティエの妻が築いて以来、6人の女性が城主だったので、「6人の奥方達の城」と呼ばれている。アンリー2世が愛人、ディアーヌド、ポワチエに1547年に贈ったが、アンリー2世の死後、その妻カトリーヌ、ド、メディチによって、取り上げられてしまった。、



愛人ディアーヌ、ド。ポアチエは、アンリ2世との思い出の詰まった城を、ショーモン、シュル、オワーズ城を購入した、カトリーヌに、強引に、交換させられた、という、夫を巡っての、愛の確執、嫉妬と権威の、戦いがあった。広大な敷地、優雅なたたずまい、優雅なこの、シュノンソー城を追われた悲しみはいくばかりであっただろうか。
女の嫉妬と執念の恐ろしさ。
 昼食は、サンドイッチを食べながら、という計画だったのを、レストランで、に変更。 シャンティー城の中にある、オランジュユリーというレストランに入った。奥に日本人の団体がす座っていて、笑ったり、話し声が聞こえる。あとは2組ほどで、閑散としていた。
 私は、神戸の貿易会社の面接を受けて、震災がなければ、シャンティー城のカーブで働いていたかもしれないという、ゆかりの城。アンボワーズに1ヶ月滞在した折りに、来たことがあるが、ここで働くことは考えられない、と思った。カーブの温度はいつも低い。冷え性にはもってのほか。駅前ではあるが、こんなに寂しい所。




 併設されたレストランは、シャンティーを訪れる人の為のものだろう。カーブのワインにあう、お料理を提供している。シャトーのように、エレガントな内装で、お料理も美味しかった。23ユーロからメニューがある。23ユーロのものを注文したら、4品もあり、どれも充実していて、大満足。運転手が飲めないので、ワインは飲まなかった。








 城に入り、見学している間に、雨が降ってきた。一時は大降りの雨で、びっしょりと濡れて入ってきた人達がいた。各部屋に暖炉が炊かれていて暖かかった。ロワール地方は、パリに比べて寒い。私達が出ていく頃には、小降りになり、傘をさすのを嫌うフランス人は、気持ちよさそうな雨模様。  

Posted by アッチャン at 16:43Comments(0)パリにて