2009年04月22日

夫婦喧嘩は犬も食わぬ






夫婦喧嘩は、犬も食わぬというけれど、窓の外から見える向かいの建物の夫婦?(法律的には結婚しているカップルは少ない)仲良くベッドの上にいるが、先日の夜中、すさまじい声で罵倒し、殴りあっていた。男が、叩くと女は、その何倍も叩き返す。それから、わめき立て、ギャー、という叫び声をあげて、もう限界だというように断末魔の叫び、とともに、一瞬にして静かに。エネルギーを使い果たしたのだろう。そのあとのことは知らない。



 男が浮気したのだろうか。フランスの男性は、浮気が仕事の内だから。女が稼ぎ、男を養っている場合が多い。逆に男が働き稼ぎの多い場合、「養ってやっている、食わしてやっている」という居丈高な態度を取る男が多い。フランス男は、日本の男性のように、温厚で優しくない。 日本のように、奥さんが給料を管理して、旦那にわずかな小遣いを渡し、それでも男は小さくなっているなど、ありえない話。奥さんは、美容院や化粧代まで、いちいちご主人がこうるさくチェックする。そういう立場から脱却し、対等に生活する為には、女が自立していなければ、成り立たない。

マタニティーファッション


 ブローニュの森が現存するのは、今でも女を買う男達がいるから、男を買う男がいるから。町角に立っていると、娼婦だと間違われると言われたことがある。

 フランスに男性が少なくなり、中東、アラブ系や黒人とのカップルが増えた。一時は国がほろぶ危険が叫ばれたフランスの少子化は、国の政策の効果で、子供を作る人が多くなった。それとともに、結婚する人は少なくなった。 女達は、産みたいから産み、育てられるようになっている。自立した女性は、どんどん多くなっている。一人の男が、3人の女達の間に子供がいる、というケースもまれではないようだ。養育費を払うわけでもないので、「いいんじゃないの?」と父親の認知をする。
 



夫婦に3人の子供がいれば、働く必要はない、という。それだけ援助されて、フランスは子供が増え始めた。最近でも、お腹がせりでた女性をよくみかける。
日本でも、子供がほしいけれど、結婚したくないという、女性が増える為には、男に養われたくない、という女が増えなければならない。婚活の目的は、完全就職。年収600万の男達を希望していると言われるが、それだけもらってる男は3パーセントだと、ラジオで言っていた。その条件の根本には、やさしくて浮気をしない男を想像しているだろう。
暴力と浮気をする男だとすれば、600万あっても、結婚したくない。フランスの男達は、その「暴力と浮気」が実に多い。女達は結婚せずに、気に入った男を養い、子供を持つ、に至る。

お向かいさんの夫婦。浮気がばれたのかな。翌日には、仲良くなっている。
今日買った、パリスコオープに「男は何も聞いていない。」というタイトルのお芝居の広告があった。レストランで、しゃべりまくっていた男、たしかに、何も聞いていない。おしゃべりに夢中だった。聞き役は女性。

   

Posted by アッチャン at 18:15Comments(0)パリにて

2009年04月22日

ファッション

 



 マドレーヌ寺院を出て、デパートに行ってみた。久しぶりだ。ファッション情報を、と注文をつけた友人の為に、と各階で写真を撮りながら、見て歩く。







 靴売り場だけで、フロアー全体と取っているのだから、さすが、フランス。今年の靴は、一段とヒールが高くなっている。20センチ近くありそうなのも。
 靴好きの人の為に、写真を。





高級ブティックが目白押しにある。プランタンに物色に来ている人達のファッションも高級感溢れていて、マネキンのようによく似合っている。
 プライベートなお買い物の為のサロンも。




 日本人の家族が、シャネルや、グッチなど紙袋を一杯かかえている。リッチなんだ。
洋服一枚に何十万とするものが。彼らには普通の買い物なのだろう。私が、ユニクロで、ちょっと沢山買ってしまうように。


後日、写真で公開します。ファッション  

Posted by アッチャン at 18:05Comments(0)パリにて

2009年04月22日

マドレーヌ寺院

 



マドレーヌ寺院で、無料の演奏会があるので、行ってみた。アメリカの高校のオーケストラの演奏だった。不揃いな演奏というものを初めて聴いた。メロディーは流れているけれど、テンポの遅れる楽器が奇妙な流れを作り出す。だらだらしたような、やる気のない楽器が、無理に動かされているような、こちらの気持ちも奇妙に引っ張られる。
 高校生の親達が同行してやってきていて、ビデオを回す人も何人かいる。一曲が終わると、拍手が熱をこもる。ワエー、というアメリカンの応援も賑やか。
 



マドレーヌ寺院は、有料のコンサートが、よく催される。音響がよいし、雰囲気があるので、演奏会には、適してる。
 間に、指揮者が、チェロの演奏をした。さすがプロ、寺院内に、静かに細く響き渡るチェロの音が、しばらくの間、心に染みる。




 演奏会が終わると、バイオリンの弓をかかげて、屋根を作り、その下をくぐって、白い勲章のようなものを、指揮者が、招待者に捧げる、という儀式のようなことをしている。
 その後は、壇上に登って記念撮影。いつだったか、プラス、イタリーで、楽器を持った高校生風の団体が、バスから降りて、行列をつくって歩いていたのを見た。彼らだったのだ。  

Posted by アッチャン at 17:53Comments(0)パリにて

2009年04月22日

赤木コウジロー展


 


赤木コウジロウ(漢字の変換がないので)
 「赤木の版画パリ風景」という本が、日本で出版されたばかりとか。書店で購入出来ると思う。
 パリの5区にある区役所で、今月の初めから個展が開催されている。パリにゆかりの
ある画家なら、きっと誰もが知っているのだろう。








 吉田さんも、一緒のアパートだったことがあるとか。
 赤木さんの絵は、パリの建物を克明に描いたことで、フランスでも高く評価され、カルナバレ美術館に、120以上、寄贈という形で収まられている。
 フランス人よりもフランスに精通している、と言われているのは、長年にわたって、建物を書き続けて来たから。建物を描くことは、そこを政治や、宗教、生活の場としてつくり、形作っている「人間の歴史と生の営み」を見つめ、描いていることになる。
建物は変遷する。







 土台になる水彩画を、外にキャンバスをおき、描かれるのに1ヶ月かえられるとか、その後、本作品を描かれるのに、一体どれほどの時間を費やすのか、克明に、正確に、緻密な作業でできあがる絵画ばかり。
 作品に、朱の赤を使っている所が、赤木さんの特徴で、この色は西洋にはない色、印鑑の朱肉の赤に近いし、日本の長襦袢にもよく使われる、着物の朱色。日本人の色で、色っぽい色。赤木さんは、この色を服飾モードから取り入れられたのかもしれない。




アカギの版画パリ風景」の表紙の色も、この朱赤が使われている。
 昭和38年から、パリに来て、ただひらすらに、街角にキャンバスを置き、スケッチし続けて来られ、その傍らに、パリのモードに関する通信や、雑誌記事を書いて来られたというのだから、まさにフランス人よりもフランスの事を知っている。
 生涯かけて、ただ一筋の道を、脈々と歩んで来られたのだということを、作品を前にして感じると、吉田さんの姿も重ね合わせ、感無量。すごい人だな、と思う。



パンテオン



 長年、奥さんが、働いて、支えてこられたという。内助の功あって、大成する人は多い。どの世界でも言える。
 画家は長生きしないといけない。半ばで病気に倒れられると、内助の功も泡となる。
和気史郎さんを支え、大成させようと一生懸命になられていた奥様が、和気さんが亡くなられた時に「裏切られました」と言われた言葉が印象に残っている。  

Posted by アッチャン at 17:48Comments(0)パリにて