2009年05月08日

映画「グラン・トリノ」

http://wwws.warnerbros.co.jp/grantorino/#/top




今、話題の映画「グラン、トリノ」アメリカ嫌いの友人が、観て涙が止まらなかったと絶賛していた。寄せられるコメントは、どれも最高級の褒め言葉で飾られている。
私の感想も、その例外ではない。最後のシーンでは、涙が止まらなかった。人間は、生まれてくる時には、自分で選択することは出来ない。どこで、どのように生まれてくるのか、宿命だろう。けれど、死をどのような形で迎え入れ、選びとるのか、それは人間の意志の力にかかっていて、そこに人間の自由な選択がある。
主人公の老人は、朝鮮戦争に参加し、自分の意志ではなく、人を殺さねばならなかったとはいえ、殺人という罪を背負って生きてきた。アメリカの為に戦い、アメリカ車を代表するフォードの修理工として長年働き、愛する人を得て、二人の子供を育てたが、息子達とは、他人よりも心の繋がりがなく冷たい関係。妻が亡くなり、ひとり残された孤独な老人は、ポーランド移民の二世。彼が大切にしているのは、「グラン・トリノ」とい72年製の大型車。アメリカンドリームを象徴するかのような車。心を閉ざした孤独で頑なな老人が、隣に住む、モン族の家族の温かさに迎えられ、青年とその姉との友愛を通じて、彼は、どのような死に方をするかを、自らの意思で選択する。
 老人は、すでに医者から、死を宣告された病んだ体を持っていた。青年の未来に希望の扉を開く手段として、老人は命を投げ出す事を決意するが、老人の心は穏やかだ。何故なら、彼は、病んだ肉体を投げ出す代わりに、永遠の命を得ることができるのだから。青年の中で、共に未来を生きるのだから。
 老人が大切にしていた、「グラントリノ」を遺言で、青年に残して。人間は神をも超える存在になりうることを、この映画は見事に表現している。
暴力や犯罪、戦争犯罪も含めて、あらゆる悪がのさばり、無力な人間の生きる力を閉ざし、人間の自由を奪い取ろうとしても、それを超える人間の尊厳で、打ち勝つ事が出来る。自由を奪い取ることは出来ないのだ、という強いメッセージが込められている。
  

Posted by アッチャン at 02:04Comments(0)映画