2009年05月26日

健脚も魚の目でころり


 


 今回は地下鉄のカルネを買った。一週間のチケットは月曜からなので、11枚綴りのチケットで、すまそうと思った。チケットを大切にしていると、歩いて行ける場所にしか行く気がしない。貧乏性が出て困る。
 お葬式から、食事の場所に移動するタクシーを待ちながら、甥御さんの奥さんが言った。「吉田さんは、タクシーは使わなかった。」
 奥さんは足が悪く歩くのも困難な様子で、伺えば、8年前に脳梗塞で倒れ、リハビリでやっとここまで歩けるようになったと言う。
私も人ごとではないと思う。その奥さんは、血圧が高かったらしい。私のようにお酒で、ではないだろう。最近、毎日飲んでいる。母を家で世話している日には、ストレス解消だと、自分に称して、毎晩飲んでいた。
 二日休んで、という規則的な約束は出来なくなった。その後、睡眠時間のないままに、飛行機に乗り込んで、いえ、乗り込む前の成田から、ワインと酒を飲んでいた。飛行機に乗ると、眠り薬だと、ワインの小さなボトルを2本空けた。
 パリ到着前に食事に、ワインは飲めないと断って、水を注文していたのに、パスタと肉のトマトソースが美味しくて、またワインの頼んでしまった。




アパートにつくと早速、ワインとビールを買った。ぐっすりと眠るために。依頼、毎日飲み続けている。吉田さんに比べれば、へのかっぱほどの料だ、と納得。
 パリに来て、ワインを飲まない日があるなんて考えられない。今回は日がないので、それを分散しながら飲んでいるので、1本のワインと、6本のベルギー産の白ビールで終わるだろう。汚れるのがいやで、食事を作らない。できあがりのサラダに生ハム、チーズを買った。バターは残りのでやめた。サラダのドレッシングも作らない。モノプリドレッシングを買った。
 朝、カフェで、朝食、食事を外食に頼るのは、男の仕事だけれど、女は、中食ももったいないと思うから、半食という所かな。サラダとパン、チーズ、半分づつ分けて、みみっちく食べる。 
 歩くと、カロリー消費にもなるし、お金もかからない。どこを歩いていても、パリはパリ。カメラを向けると絵になっている。
 健脚だと言われていたのに、今回は歩けない。小指が痛くて、老化で軟骨が出ているのではないかと勝手に思っていた。外反母趾の反対側かも、とか。そのうちに治ると鷹をくくっていたら、このパリで痛みに耐えかねて、ベルシー公園まで行って、ギブアップして帰って来た。癌だったら、と懸念さえ走る。



 じっくり見たことがなかった場所をチェックしてみると、骨ではなく肉の部分が盛り上がっていて、それが痛い。魚の目とは、こういうものを言うのかもしれない。魚の目ころりは、パリでは買えないだろう。魚の目がある日突然取れる野で、そう呼ぶに違いない。 こんな経験したことが無いけど、多分これは魚の目にちがいない。堅いし、摘むとその部分が痛むから。
 歩き過ぎて、魚の目が、居心地良く居着いてしまったにちがいない。  

Posted by アッチャン at 17:44Comments(0)パリにて

2009年05月26日

人は壊れやすい心を持って生きている



 認知症であることを隠したがる人も多いけれど、隠してはいけない、むしろオープンになけけれないけない、と書いてある。
 けれど、女優の南田洋子が、カメラが入って、ドキュメンタリー番組を放映した、矢先に脳梗塞で倒れた。カメラは、おそらくある程度の時間をかけて、番組を作っているから、その間、彼女は、カメラマン達に随分気をつかっていたに違いない。認知症の人は、わからない、というのは大間違いなのだし、いくら認知症をオープンにと言っても、本人が認知症であることを認めたがらない場合は、深く傷つく。


 


母が通っている医者は、母の前で、「ご家族は認めたがらないでしょうが、認知症であることを納得された方がいいですよ。認知症が進むと、幻覚とかいろいろ出てきますから、薬のせいだとは言えないですよ。」と言った。
 母はいつも「ぼけてきたわ。ほんと、忘れてしまう。だめになったわ。」と言うけれど、それは母の悲しみであって、自分が本当に認知症であることを認めているわけでなない。 医者が、そのような言葉を使うことは、母に取ってショックに違いない。母はそれに対して何も言わないけれど、医者のデリカシーのなさ、職業的な無神経に、私は苛立ちを禁じ得ない。
 小さくなった母を、背後から包むように抱きしめる。「お母さんが生きていてくれないと、私は希望がなくなるのよ。頼りにしているのよ。」と耳元で言葉にする。
母は嬉しそうに、「生きていなければ何も出来ない。死んでしまったらおわりやものね。 焼かれるなんて、いやだわ。恐ろしいね。」と繰り返す。
その言葉が、また私の胸を締め付ける。
 




皆、こういう道を踏みしめて、生きていくのだろうか。人間は生まれてくるのに、死ぬために生きているというのは、全く理不尽な話だ。
 私達は、死刑執行を待って生きている、と言った作家がいる。いやだ、そういう考えは、と最近、若さの薄れている中で、強く感じるようになった。
それよりも、私達の中に、死は存在しない。だって、死を体験してもそれを知覚することは不可能だから。私達は知覚の中で生きている。生だけしか、存在しない。ひたすらに、今日を生きる、母の病気も治る可能性があると信じて、今日を生きていこう。  

Posted by アッチャン at 17:37Comments(0)パリにて

2009年05月26日

リウマチかもしれない

 
 
母が月曜からデーセンターに行っているはずだ。そのことをメールで尋ねたら、送っていった日の翌日から、手が痛くて、いくら起こそうとしても起きあがれない状態だった、という。二日間そういう状態で、足がふくれあがり、食事も弟がなんとかなだめて食べてもらったくらいだったので、月曜日はいけないかと思ったら、母が行くと言うので、介添をお願いしたらしい。元気に帰って来ているとのメールを読み、カフェから帰って電話した。母は元気な声だった。手足が腫れるというのは、リウマチではないか、と疑われる。 石灰が固まっているから、だけではないのでは?リウマチの判断はきわめて難しい。
熱が下がらないのも、昨日腫れていなかった手が、一晩でふくれあがるというのも、なにかもっと深い原因があるのでは?と疑ってしまう。足まで腫れるというのも。
 リウマチなら、専門医に診てもらった方が良い。以前はリウマチは治らないと言われたが、保険外ではあるが、効果的な注射が出来ている、と以前に聞いたことがある。
会社勤めを出来るのは、その注射があってこそのことだけけれど、8万ほどかかるとか。 母が痛がっている原因が、リウマチなら、少しでも早く、治療をしなければ。






 友人の話から、彼女の親しい友人が、長年リウマチで苦しんでいたが、新しい治療法で、元気になっているとういう事も聞いていた。手足が腫れている時は、ものすごい痛みだとか、聞いていた。母はそれほど弱音を吐かない人だから、じっと痛みに耐えているだろう。 昔、パリのこのアパートを借りていた時に、突然、肩が痛み、動かすと痛くて、医者にかかったことがあった。医者は、問診だけで、リウマチだと判断した。彼の手の関節はふくれあがって、変形している。明らかにその医者はリウマチに違いなかった。処方された薬は、自然の薬草が成分になっているようだった。 そのうちに症状は消え、気になっていたこともあり、医者で検査してもらったら、リウマチではない、と言われた。
 夏だったが、窓を開けて毎日寝ていたので、急激に冷えたために起こった現象だった。それいらい、肩を出して寝ないことにしている。

 3、4年前、もっと前かもしれない。息子が客を連れて、やって来るので、普段掃除をしていない部分を丁寧に磨き、奮闘していたことがあった。すると、帰って来た夜、肩が疼いて、一睡も出来ずだった経験がある。翌日はなんとか、動けたけれど、息子達が帰ると、すぐに医者に行った。肩の痛みを一度で治してくれる医者がいた、という書き込みをしている人がいた。
 宝塚にあるので、車で行くと、2週間かかって、痛いのを我慢してから、結局注射をすることになる患者もいますが、注射をすれば、楽になります、よ。すぐに動くようになります、と言われた。肩へのブロック注射だった。嘘のように、手が動く用になった。以前にも肩の痛みから1年くらい動かすのが辛い体験をしている。その事に比べれば、ずっと楽だった。ブロックを2回すると、すっかり治ってしまった。痛いから動かさない、動かさないと治らない。
リウマチにしても、同じ事が言えるのかもしれない。新しいと言われていいる注射は、ブロックに似てるのかもしれない。  

Posted by アッチャン at 17:31Comments(0)パリにて

2009年05月26日

主なきアトリエ




 

 日本にいると日常に追われて考える時間がないが、異国のアパートに一人いると、走馬燈のように、吉田さんとの思い出の数々が浮かんでくる。初めも終わりもなく、断片で浮かんでくる記憶を、書き始めたら、巻紙に綴るように、長くなる。疲れて、それを途中で置き、眠る。夜中、再び書き始めて、また疲れ、昨日買った、ミルフィーユをコーヒーと一緒に食べた。まだ空は明けていない、5時。
 昨日の葬儀で、横にいた女性が、あとの予定がないのなら、散歩に、と誘われて、篠原さんと肝心の話をしていなかった。吉田さんと親しかった夫妻は、吉田さんのアパートの整理作業を初めて、吉田さんの遺した、オブジョの整理をされていると聞いていた。数えて、千点はある、とか。昨日娘さんには、お手伝い出来ることがあれば、とお願いしていた。今回は、吉田さんの為にだけ来たので、何か、お役に立てればと思っていた。吉田さんのお宅に電話して、昨日のお礼と、の電話番号をお聞きしようと思った。火曜日まで宿泊している方が出て、
 吉田さんのアパートに、遺族の人達、パリの生活で親しく世話されていた人達の笑い声がバックむミュージクのようの聞こえていた。




 すぐに娘さんに変わられた。伝えると、東京からまた連絡します、と言われ、整理に携わっている方の電話番号を教えてほしいと頼むとい聞くと、「勿論です。」と言われて、そのご主人が電話に。お礼を言いと、、昨日話した奥さんに変わられた 。お二人とは以前に吉田さんとご一緒にお会いして、食事をしたことがある。サンルイのグラスもその方の目利きで買うことが出来た。
 手伝いがあるなら、とお願いし、彼女は「当事者ではないので、聞いてなんかあればお願いします。」と言われた。
多分、私が手伝えることはないだろう。葬儀の席でも、娘さんに、何でも手伝いますから、とは言っていた。吉田さんなら、「来るか」と言われるけれど、アパートを訪ねる事は出来ない。
 吉田さんの為に、私が出来ることは、パリではもうなにもない、と思った。
吉田さんと、吉田さんのアトリエとは、私の中で切り離すことが出来ない。電話をすると、すぐに「来るか?」と言われる。私が遅れていくと、かなり苛立って、窓から覗いていたりされる。扉を明けて、「あそいやないか。なにかあったらと心配する。」
 晩年は、すっかり温厚になられ、気が長くなった。痩せられて、声の力が衰え、寂しい生活をされていた。千点に及ぶオブジエがそれを物語っている。




「訪ねて来る人、近づいて来る人も沢山いたが、離れていく人、疎遠になる人も。」多いと言う言葉は使われなかったけれど。
 台所の食器、焼きのはいったフライパン、お風呂場に洗ったジーパンがかけてあり、
痔の薬が置いてある。トイレの流し方にはコツがいる。リビングにはスペースがないほど、オブジェや切り絵、飾り物に溢れていた。アトリエで一緒に絵を見たり、オブジエを見せてもらったり、今は思い出だけが存在している。
 アパートで賑やかに談笑する声が響いている。そこに吉田さんはいない。  

Posted by アッチャン at 17:26Comments(0)パリにて

2009年05月25日

吉田画伯の御葬儀


 

アパートに着くと、この前ここを後にしたままの状態なので、帰って来たような気分。下のスーパーが開いている時間なので、飲み物などを買い、調理のいらないチーズと生ハム、洗わずに使えるサラダを買った。
吉田さんのアパートに電話をして、明日の段取りなどを聞く。私が日本から送ったお花も届いていた。吉田さんの身近で一番親密にお世話をしていた方が、アパートに滞在しておられる。明日のお葬式は、その人が中心になって行われるようだ。
友人から、お花を頼まれていることを告げた。翌朝、朝市で、30ユーロで、と 頼むと、随分沢山の花束が出来た。色とりどりの豪華なブーケ。私がインターネットで注文したのはずっと高かったのに、内容は、こちらの方が遙かに良さそう。

 友人から依頼のブーケ


お墓に行くと、途中で、昨夜電話で話した方が歩いてこられる。忙しそう。
「お墓はご存じですね。皆さん集まっておられます。」と言われて、早めに来て良かった、とほっとする。
お墓の前に、吉田さんのリビングにかけてあった、大きなブルーと金の絵画が置かれ、その前に、にこやかに笑っている吉田さんのお写真が。お墓の上にお花が飾られ、私が注文したお花も、アパートから持って来てくださっていた。友人からだ、とお花をお渡ししたのが、一番華やか。

 


吉田さんの娘さんに紹介された。とても気さくで、感じの良い方だ。以前に吉田さとご一緒させてもらった、篠原ご夫婦が、このお葬式のオーガナイズをされていた。吉田さんのアパートの整理もされている。吉田さんが、毎朝、唱えておられた、般若心経のコピーを渡され、カセットで流しながら、皆でそれを唱える。吉田さんの紹介を、日本語とフランス語で紹介され、その後に、何人かの親しく交際された方がたのスピーチ、最後に親族代表のスピーチが終わると、日本の懐かしい音楽をBGMにして、流しながら、献花でお別れは終わった。




 その後、吉田さんが、とても懇意にしておられた、ムフタールにある、ギリシャ料理の店で、食事会。私は娘さんと一緒にタクシーに乗せていただき、食事では隣の席に、と言ってくださって、とても細やかな気遣いをしていただいた。オーストラリアから、ロンドンのオクトーバーギャラリーから、アメリカや日本から、吉田さんの葬儀に来られていた。






吉田さんの数かずの大きな個展をオーガナイズされてきた方が、パリの大きな作品の管理をされ、これからの個展などを通じて、世界に吉田さんの絵画を紹介される。日本に持ち帰った作品は、甥御さんの元に良好な形で保存され、今後の個展なども計画される。



吉田さんの絵画のパートナーとして、大きな個展を手がけてきた方が音楽に合わせて踊られる。見事は踊りぶりは、彼がダンサーで、俳優だったこともあるからだった。ロンドンギャラーのオーナーの女性は、素敵な美人で、彼女も誘われて踊る。アコーディオンの演奏があり、陽気で楽しいパーティーだった。奥様が亡くなられた時に、この店を使ったから、同じ店にしたと娘さんがおっしゃった。その時は夜だったので、一晩中のお酒さわぎで、悲しかったと。お酒好きの吉田さんだから、酔いつぶれなければ、辛すぎやのだろう。



吉田さんが、この店はフリーだ、とおっしゃっていたお店で、お話に伺っていた所。吉田さんは、日本から来る人達を、親身にお世話されてきた。スピーチにたたれた、力蔵さんという画家は、初めてパリに来て、迎えられ、すき焼きを準備して待ってくださっていた。その後何年か、親子のように、3人でアパートに暮らしていたと言われた。絵を吉田さんの奥様から学んだ、生き方を吉田さんから学んだ、と。
そういう風にして、パリに吉田さんをつてにやってきた、人達のお世話を随分されてこられた。貧しい生活の中で、食べられない苦学生をいつも食卓に迎えられた。
そういうことはなかなか出来ることではない。
私は、吉田さんの、粗末な暮らしを知っているから、一緒に何度かアパートでお食事をさせてもらっているから、このような豪華な食事をさせてもらっているのは、吉田さんの命を削って,制作されてきた作品と吉田さんの「命」のお陰なのだ思い、時折、辛い思いもよぎった。




 吉田さんの目標は、ほぼ達成された、ことで、その安心感から、体調を崩されたというメッセージがあった。昨年、確かに、吉田さんは、精力的に絵画を描かれるようになった。しばらくは絵を描かれなかった時期があった。一昨年と昨年は、忙しくなり、アトリエに終日立たれて、腰が痛むとおっしゃっていた。最後に命を燃焼させるように、輝く時期を迎えられて、そして奥様の眠るお墓に安眠された。
お墓にお供すると、吉田さんはおっしゃっていた。
 あちらでもこちらでも、お墓の住人達がやがやと話をしている声が聞こえる、と。吉田さん自身も、奥さまとの会話をなさるそうで、時には、奥さまからお説教もされ、心配もされる。
 蒼く晴れ渡った空、という墓碑のように、葬儀は、蒼空の元で、真夏の太陽のように、暑い日に行われた。きっともう、吉田さんは、奥様とつきることのない会話を楽しんでおられるにちがいない。
 私が、母の結果も悪くなく、前日にチケットを買うことが出来て、そのままパリに来れたのも、吉田さんが招いてくださったのだ、と思う。




 東京で入院されたと聞いていて、すぐにかけつけなかったので、お会いすることが出来なかったことも悔やまれた。思い立ったら、すぐに行動、これからは、あまり気を遣わずに、思いのままに、行動しなければ、時間は待ってくれない、ということも、吉田さんか
   

Posted by アッチャン at 16:59Comments(0)日々の事

2009年05月25日

ANAでパリに


 


 吉田さんの葬儀が、24日、パリのモンパルナス墓地で行われ、その翌日に埋葬される、というメールをもらったのは、21日の夜だった。母は預かっているので、伺える状態ではない、と思っていたので、夜中インターネットで調べて、パリの住所にお花が送れることを知り、写真に載っている一番大きなのを注文したら、途中でクレジットカードの認証の所でミスがあった。電話をして、クレジット番号を伝え、そうこうしている内に4時を過ぎた。翌日の朝、飛行機の空きを調べると、ANAに席がある。友人に電話をして、アアパートを、借りられるかを聞き、それから予約を入れた。とりあえず、押さえられるのは夜の9時まで。
 薬局に電話をしたら、母が私を他の人と間違えるのは、薬の副作用によるものかもしれないという事を聞き、薬は飲ませずに、 母を連れて、医者に検査結果を聞きに行く。内蔵はどこも悪くないから、下がらない熱は、手首の炎症の為だという。今朝、薬局で、母の異変が、強い抗生物質の副作用による可能性が あると言われたことを告げると、それなら、全ての薬をやめてみてはどうか、と。

 成田


 母を夙川に送り、家に帰ると、パリ行きの準備を始めた。残り物は一杯あるし、母が来ていたので、片付けなど、することが沢山ある。夕方、友人と会食の約束をしていたが、 延期してもらった。
飛行機が空いていなかったら、飛行機代が高かったら、母の病状が悪く、入院などと言われていたら、行けなかったけれど、吉田さんの葬儀に出られるように、全てが運ばれたような気がする。出来れば、葬儀に出たいと思っていたから、きっと吉田さんが、お膳立てしてくださったのだろう。



 こうして、23日の朝、一番に飛行機に乗った。昨夜も、その前の日もほとんど寝ていなかったので、心臓が少しおかしい。飛行機は、満席だった。12時間半、持つかな、と思ったが、居眠りと映画を2本見ているうちに、時間は過ぎていった。
 ANAは、人気の高い航空会社だが、確かに、と納得する。食べ物は美味しい。映画やビデオ、ゲームなどエンターテイメントが充実していて、座席の前にある画面で好きなように見られる。今年に数々のアカデミー賞を取った「スラム、ミリオネアー」を3度挑戦して見た。最初はほとんどい寝てしまい、2度目にまた寝て、途中から。次にまた最初から、見たところまで。
 次に「良き人の為のソナタ」この映画がとても良かった。終わる頃、あと1時間でパリ院到着すろというアナウンスがあった。
 これからは、ANAを利用したい、と思うくらい、エコノミーでもそれほど疲れなかった。サービスも充実している。ただ、マイルが70パーセントしかもらえないのが唯一の難点だけど、映画が好きな私には、すごく魅力的。すべて日本語字幕付きで、映画を見ることが出来る。 見たいと思う作品が豊富にそろっている。
 成田からだけど、直行便だということで随分楽だ。食事は美味しいし、アルコール類も無料、サービスが行き届いていて、全ての日本語対応だから不安がない。ANAが人気トップなのは、それだけの理由があることがわかった。  

Posted by アッチャン at 16:49Comments(0)日々の事

2009年05月21日

パーソン、センタード、ケアー



 


 昨日変えてもらった薬が効いたのか、熱が下がると、母は元気になっている。手も痛がらない。熱の為に、関節が痛むのだろう。36度5分なので、夕方また上がってくるかもしれないが。
 そろそろ帰らないと、と言う言葉が出てくる。毎日、それを口にする。私の仕事のじゃまをしてはいけない、と思っている。それと同時に、弟の事を心配している。母親にとって、息子が一番なのだ。 私が手伝えるのは、母に元気になってもらうことだけで、母の想いは、弟にある。
母は、死ということに敏感になっていて、死にたくない、という気持ちと、もうだめかもしれない、という気持ちが、体調によって変化している。
 老人は孤独感が強くなる。もの忘れがひどくなっていくことへの不安、今まで出来ていた事が、思うように出来なくなっていくことへの焦燥、人に世話をかけることへの気遣い、 厄介をかけているのでは?気の毒だ、という気遣い。
まだ死を身近に感じない人でも、「暇がいけない」考えることが多くなるといけない。ポジティブになるよりも、ネガティブな思考に偏る傾向のある人には、特に。
 お年寄りは、話し相手がなく、さりとて、自分で行動することを制限されると、鬱病化する。鬱病患者に対する、治療が、話を聞くこと、であるのと同様に、老人に元気を取り戻してもらうのは、常に側にいて、話を聞いてあげることなのだが、これが一番疲れること。同じ話を何十回、何百回と、初めて聞くかのように、聞いてあげなければならない。辛抱強く、忍耐強く。そんなことが家族に続くはずはない。精神分析の専門家ではない。四六時中というのは不可能、だから、公的サービスがある。専門的知識を持った、スペシャリストに、ある程度負担をしてもらうことが必要で、デーサービスの仕事は,その部分でも重要なのだ。「パーソン、センタード、ケアー」 患者中心主義、主役は、あくまでも患者さん、お手伝いさせてもらう、という考えから、そういう治療法が、実践されている。  

Posted by アッチャン at 13:58Comments(0)日々の事

2009年05月21日

私は誰?



 

 母の熱が下がらない。朝は36度9分、夕方には37度5分まで上がる。薬が効いていないかもしれない。発熱と咳があるので、近くにある医者に連れて行こうかと迷ったが、やはりかかっている整形外科にまず聞いてみようと思い、薬の袋に載っている電話番号を回していた。症状を言うと、電話の応対に出た人が、一通り聞いてくれてから、医院に電話してください、と言われた。薬局に電話していたことに気がついていなかった。
 整形外科のカルテを出して、電話すると、今から来てほしいと言われた。、12時を過ぎる事をことわって、母を車に乗せた。
 医者は、確かに熱がありますね、とインフルエンザでないかを調べるのに、鼻の奥に細い棒を差し入れた。間接肺炎はわかりにくいので、マーカーをしておきましょう。あちこち痛い、首が痛いということも告げた。レントゲンと、小さな点滴をしてもらっている間に、インフルエンザではない、という結果が出た。肺の方も割合綺麗だと。
 医者の口から、膠原病という言葉が出た。リュウマチによる発熱だろう、と。結果は金曜日にわかるらしい。抗生物質を少し、強いのにかえて見ましょう、痛み止めも変えて見ます。
 母が点滴をしてもらっている間に、向かいにある、生協に行ってみた。子供と小顔用の不燃マスクがあったので買った。不燃マスクだから、あまり効果はないかもしれないけれど。
 帰り道、出石そばの店に寄った。人気の店で、昼時は混むけれど、2時過ぎなので空いていた。
 朝、10時半に、母は、オムレツと食パン半分食べていたので、まだお腹が空いていないのではと思ったのに、美味しそうに、一人前食べることが出来た。
 気温が高いので、近くにある、温浴施設でシャワーだけ浴びるようにしようかと思ったが、もらっていたチケットがあるので、そのまま有馬に。館内は空いていた。インフルエンザの影響で。2,3分温泉につかり、シャワーで素早く全身を洗って、すぐに出てきた。 母は、このまま、死んでしまったらいけないから入らないと言うので、そうだ、そうなったらどうしようと、怖くなり、帰ろうかと思ったが、なんとか無事に。これで、またしならくは持つだろう。

 夕方、、私がコンピューターに向かって居る間、母はテレビを見てもらっていた。
いちごを持って行くと、「そこに置いておいてください。後でよばれます」と言ってまたうつらうつら始めた。しばらくしてまた側に行くと、ちょっと寝てました、と言って、それからというもの、私を、弟のお嫁さんだと思っている。何度訂正しても、わかろうとしない。私の名前を言うと、「そう、」あなたは同じ名前?そんな子がいたけど、亡くなったから、もうその名前は言わないの。私の妹で、舞台に出て、歌ったり踊ったりするのが好きだった、」という。
母は、妹の死が、あまりにも悲しくて、毎日泣いていたが、それが引き金になって、物忘れが激しくなった。その妹の名前を私の名前が一緒になってしまっている。
 私を、弟のお嫁さんだと思っているので、丁寧な物言いに変わったまま。何度訂正しても、思いこんだら、元に戻らない。
 



 母は、催眠術がかかったように、その世界の中にいる。パチンと手を叩けば、元の世界にもどるのなら、いいのに。母の頭の中に、スイッチの切り替えがあるかもしれない。
 
 
 
   

Posted by アッチャン at 08:22Comments(0)日々の事

2009年05月20日

芦屋市民病院

 



 母は、脱水症状で、関節に石灰がたまっているのが悪化して、手がふくれあがり、自力では、起きあがることも出来なくなった。手が痛いので、起きあがれないままで、長時間飲まず、食べずに寝続けていた。悪循環だ。休みあけを待って、以前にかかっていた、整形外科に連れて行った。石灰がたまっているという同じ診断。口から食事を取らないので、点滴を頼んだ。どこかの病院に紹介してもらえないか、依頼すると、「紹介出来る所は限られますよ。」と芦屋市民病院なら、と言われた。母が通っている、デイセンターの所長も、芦屋市民病院に、紹介されるでしょう、との事。その整形外科は、デイセンターのかかりつけの医者だった。
 母は、以前に胆石の手術をしてもらった、妙中先生に診てもらえば治してもらえると信じ込んでいるので、住友病院に行くつもりでいる。住友に紹介状を書いてもらえないかと尋ねると、その先生は住友病院に5年勤務した経験があるが、入院出来ないだろうと言われる。母のように、手首に石灰がたまっているような病状は、水分を十分取って、自然に石灰が分解されるのを待つしかない。点滴をしてもらう為なら、他の病院に、と言われるだろうし、検査入院というにも、ベッドがすぐには空いていないだろう。
 芦屋市民病院は、最近、良くなりましたよ。私と同じ、阪大系ですので、そう悪いとは思いませんが、足の不便な場所にあるので、躊躇される人も多いのでしょうが。
 外から見ると古そうだったが、中は明るくて、清潔感があり、ゆったりしたスペースが確保されていて、評判の割には良い病院のように思えた。

元永さんの絵画が正面の玄関を入った所に。


 病院は一度破綻したとかで、院長が、変わり、運営方針も一新されたようだ。
母は、付き添いが必要なので、個室を依頼したら、特別室しかあいていないので、空きしだい個室に変えていただくことで、とりあえず、特別室に入院した。芦屋市民は少し安くなるが、一般は随分高い。入院すれば、環境の変化で悪化する場合もあると聞いていたので、食事も食べられるようになったし、1泊だけで、退院させてもらい、検査は通院に変えてもらった。
金曜に検査室に直接行けばよいようになっていて、早めに入るとすぐにCT検査、そのまま胃カメラの検査室へ。内科の筆頭医が診てくださるので、母は苦しい思いはしなかったようだ。予定の時間よりも早く終わった。
 何人かの男女が、検査を待っている。聞けば、人間ドック。芦屋市民の広報で、半額援助の人間ドックの案内があり、応募したという。待たされることなく、一日で全ての検査を終えることが出来るので、毎年ドックで検査しているという夫婦も参加していた。母の様子を見て、カメラがいやだと心配していた婦人が、「私もがんばれそう。」と。
 芦屋市民病院は、海を見下ろす高台にあり、六麓荘への入り口のあたり、山の上に見えている新しい建物は、警察学校だった。環境はいたって良い。
 そのうちに、、混み合うようになるだろうが、今は、穴場の病院かもしれない。改善されて、サービスは良くなり、懇切丁寧な治療がしてもらえそうだ。  

Posted by アッチャン at 09:11Comments(0)日々の事

2009年05月19日

新型インフルエンザ、マスクは何度も使う方法




 新型インフルエンザが、広がりを見せている。昨日、遅まきながら、マスクを買いに行くと、すでにどこも売り切れ状態だった。テレビでは、一度使えば、使い捨てるように指示が出ている。マスクをはずす時には、ゴムの部分を持って、直接マスクにさわってはいけない、と。
 インターネットで売っていないか見ると、50枚で12000円程度のもので、中国製というのならあるが、効果のほどはわからない。
 昨日行って、なかった店で、入荷したのか、一人2枚を限度で売っていたらしい。関西スーパーに行くと、棚の食料品が少なくなっていたとか。
母を置いて、買い出しに行けない。夕方母の熱を測ると、37度4分ある。手首の炎症のせいだろうと言われていたが、抗生物質を飲んで一週間になるので、他の影響ではないかと心配になる。
保健所に電話するというのも気が引ける。熱の他には、風邪の症状がないので、昨夜は様子を見ることに。
 今朝は、36度9分、何度はかっても、その温度なので、今度は、体温計が正確なのだろうかと心配になる。私のほうは、喉の具合がよくないけれど、平熱なので、ただの疲れだと思う。
 朝から、炊いているおでんの火を止めて、母に、少しだけ家で留守番を頼んだ。熱のある母を連れて出でるわけにいかない。みりんが切れていたので、それを買うついでに、常備の食料になるものを少し買っておきたかった。駅前まで行く時間を気にして、近くにある団地用の小さなスーパーまで車で走り、日持ちのするものをと、お餅、ラーメン、缶詰などを少し買った。帰り道にある薬局で、マスクはないかと聞く。私のしているマスクをさして、「そのマスクは捨てるのですか?」と聞かれた。そのつもりだというと、「捨てる必要はないですよ。消毒液をスプレーしたら、菌は全て死んでしまうので、何回でも使えます。紙と紐がだめにならないかぎり。」と教えてもらった。消毒液は、千円ほどで売っていた。家にあるスプレーに入れて、霧吹きの要領でふきつけて置いておくと、乾けばまた使えるそうだ。直接、液が手で触れても痛いから、と。 
 今回の新型インフルエンザは、軽いから、かかっておいたほうが得策だという人もいる。今朝のテレビで、みのもんたもそう言って、ゲストの医者から「拡大を防ぐことが大事です。」と言われていた。自分勝手なイージーな考えはいけない、と。

 調剤薬局で、良いことを聞いたので、お知らせしたいと思いました。  

Posted by アッチャン at 14:07Comments(0)

2009年05月14日

名を捨てて実を取る、小沢さんお戦術

 

 


小沢さんが、辞任会見をしていた頃、私は、母の事でかけずり回っていた。ニュースで見て、ショックだった。水曜日の党首討論を楽しみにしていたのに、その前に辞任するとは。小沢さんの表情はさわやかで笑い顔だった。
 このままでは、選挙に勝てないと判断し、一致団結して、政権交代を目指す為に、自らの身を引くという。
その後、鳩山さんと、岡田さんが、党首に立候補する胸、どちらも会見をすませた所だ。

鳩山さんの陰には小沢さんがいるので、実権を握るつもりだとか、マスコミでは受け止めて報道する。一方、かつて、小沢チルドレンであった岡田さんは、小沢さんから一線を置き、独自に路線で、やっていくだろう、と。
 にわかに、マスコミは、民主党のニュースで持ちきりで、自民は陰を潜めている。
小沢さんの思惑通りに、マスコミは動かされている所がおもしろい。
 風は民主党に向いて吹いている。自民も、麻生さんを下ろして、新しい話題に引き込みたい所だが、ニュースと言えば、鴻池さんのスキャンダルだけ。
 小沢さんの秘書問題と、大型予算で、支持率が、上がって来ていただけに、小沢さんの辞任による、民主党への関心の高まりは、大いに麻生さんにとっても、自民党にとっても痛いところだろう。
 流れは完全に民主党に。鳩山さんでも、岡田さんでも、民主は圧勝するだろう。鳩山さんが、時期政権の首相に任命されるだろうと、私は予測しているが、どちらが選ばれても、大差はないだろう。そうでなければ、民主党が割れることになるから。
 小沢さんが名はどうであれ、実質に幹事長になり、本来一番得意とする任務につくことになる。
小沢さんは、以前にも首相に一番近い場所にいながら、それを固持した。
 表の顔がだれであれ、実権を握れば、小沢さんが目指す、「国民の生活の為」の政治に期待が持てる。名を捨てて、実を取る、という戦術は、抜群のタイミングで打たれたわけである。  

Posted by アッチャン at 16:52Comments(0)日々の事

2009年05月11日

 草食動物化してる男達

 
 


 女が強くなり、男は弱くなった。草食化している男達が多いのは、問題だ、と渡辺淳一は、最近、あちらこちらからの出演依頼で忙しい。かよわき男達に、恋の伝授をするためによばれている。渡辺淳一は、二頭しか追えないものは、一頭もえず、という。
 つねに周りをみて、アタックする必要がある。というけれど、それは、渡辺さんのように、男社会に生きてきた人の話ではないか、競争社会、闘争心を燃やす環境の中で、欲望が強かったから。
 
 一人遊びを楽しむ男達が多くなっている、今の環境は、人は人、自分は自分、で、競争心、嫉妬、闘争心を持たない社会になってる。コンピューター、ビデオ、ゲーム、どれも一人遊びの対象で、相手は人間から、モノ化している。
 そういう社会は、ある意味で、充実した社会なのである。欲望とは、渇望がなければ生まれない。

 女装が増えている。女装によって、男は、女を自分化し、いわば両性具有の存在になれる。これも一人で、充足している例でる。この世の中、タブーがなくなっている。 自由度が増すたびに、欲望は衰退していく。

 少子化の問題は、そのうち、女たちによって補われるだろうし、海外からの流入によって、解決の道が出てくるだろう。
しばらくの間、女性を必要としない男達がいて、貧しくなった日本から、再び、欲望と、闘争心の強い人間が出てくるだろう。
 渡辺さんが、伝授してもしなくても、興味を示さない男達が、多いのは、充足した社会に原因がある。  

Posted by アッチャン at 03:07Comments(0)日々の事

2009年05月09日

小沢さんと麻生総理の党首討論


 

13日に、党首討論が決まった。やっと、という思い。 心待ちにしていた。衆議院の、補正予算の質疑を聞いていると、国民の血税が、また湯水のごとく、天下りや建設、土木業界との癒着に使われようとしている。改革は、いつのまにか頓挫してしまっている。
 このまま、決議に持ち込まれ、予算が、与党多数の原理で通過してしまうのは必至である。このように、自民党の思うがままにさせて来たのは、一党支配主義を続けてきたから。
 今の日本には、真の民主主義は、まだ誕生していない。小沢さんが、政治生命をかけてきた、二大政党の実現を、私達は目前にしようとしている。そんな時に、小沢さんを失脚させようと闇の力が動いた。権力を手にしているものが、いかなる手段を使っても、持てる力を手放したくないからだ。
 確かに、どの世界においても、権力闘争は血みどろの戦いであり。、手を汚さなければ成果は得られないものかもしれない。
 小沢さんは、本当によく耐え、頑張っている。何の為に、これほど耐えているのか?民主主義の実現の為、政治家としての、生涯をかけた仕事の為。
 
 小沢さんは、おそらく、党首討論においても、自己弁護になるような、そして小沢さんを応援してくれていた人たち、企業に迷惑が及ぶような説明は、一切しないだろう。
 私達は、だから、小沢さんの疑惑を払拭できないと思うのは間違っている。だから、小沢さんを信頼に値する政治家であると認めなければならない。

 ぺらぺらと自己弁護するような人物なら、国のリーダーの資格はない。小沢さんが、自ら天に恥じることはない、と明言しているのだから、それで十分ではないか。信頼するのか、しないのか、そのどちらかでしかない。民主党がここまで成長し、参議院で多数を得ることができ、今まで未熟だった、政党を、自民と対等に戦えるまでに成長させたのは、小沢さんのリーダーシップと、信念の強さ、固さ、実直さの結果だ。
 
 私の願いは、一人でも多くの人が、ラジオでも良い、テレビでも良い、生の言葉で語られる討論を、そのまま、聞いてほしいということだ。ニュースで、報道番組で流されるものは、マスコミの都合のよいように、カットされ、編集されたものだから。

  政治を、国民主在に、真の民主主義政治の実現の為に!党首討論が、国のビジョンをどちらが、どのように持っているか、火花を散らした討論を期待する。
  

Posted by アッチャン at 02:45Comments(0)コラム

2009年05月08日

映画「グラン・トリノ」

http://wwws.warnerbros.co.jp/grantorino/#/top




今、話題の映画「グラン、トリノ」アメリカ嫌いの友人が、観て涙が止まらなかったと絶賛していた。寄せられるコメントは、どれも最高級の褒め言葉で飾られている。
私の感想も、その例外ではない。最後のシーンでは、涙が止まらなかった。人間は、生まれてくる時には、自分で選択することは出来ない。どこで、どのように生まれてくるのか、宿命だろう。けれど、死をどのような形で迎え入れ、選びとるのか、それは人間の意志の力にかかっていて、そこに人間の自由な選択がある。
主人公の老人は、朝鮮戦争に参加し、自分の意志ではなく、人を殺さねばならなかったとはいえ、殺人という罪を背負って生きてきた。アメリカの為に戦い、アメリカ車を代表するフォードの修理工として長年働き、愛する人を得て、二人の子供を育てたが、息子達とは、他人よりも心の繋がりがなく冷たい関係。妻が亡くなり、ひとり残された孤独な老人は、ポーランド移民の二世。彼が大切にしているのは、「グラン・トリノ」とい72年製の大型車。アメリカンドリームを象徴するかのような車。心を閉ざした孤独で頑なな老人が、隣に住む、モン族の家族の温かさに迎えられ、青年とその姉との友愛を通じて、彼は、どのような死に方をするかを、自らの意思で選択する。
 老人は、すでに医者から、死を宣告された病んだ体を持っていた。青年の未来に希望の扉を開く手段として、老人は命を投げ出す事を決意するが、老人の心は穏やかだ。何故なら、彼は、病んだ肉体を投げ出す代わりに、永遠の命を得ることができるのだから。青年の中で、共に未来を生きるのだから。
 老人が大切にしていた、「グラントリノ」を遺言で、青年に残して。人間は神をも超える存在になりうることを、この映画は見事に表現している。
暴力や犯罪、戦争犯罪も含めて、あらゆる悪がのさばり、無力な人間の生きる力を閉ざし、人間の自由を奪い取ろうとしても、それを超える人間の尊厳で、打ち勝つ事が出来る。自由を奪い取ることは出来ないのだ、という強いメッセージが込められている。
  

Posted by アッチャン at 02:04Comments(0)映画

2009年05月06日

連休にどこに行きますか



 

高速道路の料金が休日千円になると決って、こういう混雑は、予想されていたのに、なんでこれほどの人が高速道路に押しかけたのかを考えると、ここに日本人的体質が浮き彫りになっている。
 曖昧性である。時間を外せば、まあそれほどの混雑には合わないだろう、という他力本願性である。一時は50時間にも、渋滞したとか、その間、トイレはどうなっていたのだろう。男は、道路上ですませても、女は、そうはいかない。子供達は?
 想像するだけで、ぞっとする。簡易トイレを持ち込んで、準備していたのだろうか。家族だけならまだしも、友人たちと同行では、そういう手段も使えそうにない。
 連休は、どこも混んでいる上に、宿泊施設も高いからと、家でのんびりしているか、出かけてもせいぜい、映画か食事くらいに決めている。連休に行かねばならない必要がないからだが、テレビを見ていると、家族ずれで、実家に帰った人達は、連休は親孝行の為のものでもある。
 我が家の隣でも、浜松からやってきた息子夫婦と孫達の賑やかな声が聞こえてくる。
体の方は十分休養しているけれど、心にわびしさが潜んでいる。待っていてくれる人はいない。友人たちは、連休で家族サービスで忙しい。どこに行きますか?どこに、と私は、私に問いかける。
  

Posted by アッチャン at 22:54Comments(0)日々の事

2009年05月06日

残り物さらえ

 



毎日、冷蔵庫の中のものをあさっている。お好み焼きを焼こうと、とっておいたキャベツが丸ごと残っている。炊けば少なくなるので、出汁の素を入れて、炊いた。冷凍エビの残りも入れた。朝、昼、鍋一杯のキャベツを食べた。おえつが上がる寸前の所、なんとか多べてしまった。最後の日は、一日、掃除や冷蔵庫などの整理と清掃にあてている。あらかじめ、旅行鞄に詰められる量を量って、夕方、買い物に行こうか、それともルーブル美術館の夜間に行こうかと迷った。夜間は、多分9ユーロくらいで入れるだろう。美術の宝庫を見て帰る方が、買い物よりはずっと良いだろうとは思うが、先日来、切れたままになっている、台所に蛍光灯を買って、付け替えて帰りたい。買い置きを置いてもらっているか探したが、長い蛍光灯しかなかった。次に来る人が困るのでは?
そう思って、プラスイタリーで降りた。フナックにあるかな、と思ったから。イタリーの中は、とても広いショッピングセンターになっている。急にお腹が痛くなった。トイレを探すと、地下に一カ所だけになっている。朝と昼に食べまくったキャベツがお腹に来たのだろうか。




 トイレを探し当て、3人待って、やっとのことで駆け込んだ。 昨日から食べているのは野菜ばかり。ご飯はなくなって、じゃがいもとキャベツに、チコリ、卵、グレープフルーツ、それに梅干し。
 ひょっとしたら、デトックスになっているのかもしれない。ここ2,3日何回もトイレに行っている。お腹がしくしく痛むのを我慢して、チャンピオン(スーパーマーケット) の電球売り場も調べ、日曜大工の店にもなくて、あきらめて帰って来た。
カフェに最後のインターネットをするのに、出かけようかと思ったが、それもあきらめた。 最後に残ったのは、ゆで卵2つとチコリのサラダ、チーズのかけらとトマト1個。おうどんとラーメン、スパゲッティーは、次に来る人に食べてもらえるだろうから、残しておく。 明日の朝にゆで卵一つとトマトを残して、ほとんど食べることが出来た。
 貧乏性だから、捨てるということはなかなか出来ない。レストランでの食事は、モンマルトルの「豚の足」が最後だった。楽しい思い出だ。食事は、ああだ、こうだと話し合って食べるのが、楽しい。
   

Posted by アッチャン at 00:50Comments(0)パリにて

2009年05月05日

雨上がりのルクサンブルグ公園


 






ザッキン美術館から、ルクサンブルグ公園は、目と鼻の先だ。雨上がりなので、土が粘土のようになり、水たまりが出来ている。
 平日なので、人は少ない。あちらこちらに置かれた椅子やベンチ に水滴がたまっている。でも、だから、緑が美しい。太陽が当たっている場所はすでに乾いている。公園のベンチに座って、恋人達は、周りは見えないと、熱い抱擁をかわして、一つにとけ込んでいる。公園の一角で、男達が屯している。チェスをする人々だ。




 セザンヌの絵画に「チェスをする人々」とい名画がある。こういう光景を描いたのかしら、とふと思う。カメラマンが大きなカメラを熱心に彼らに向けている。




 私も、と一枚撮ろうとしたら、二人でチェスをしている老人の一人が、ぎょろっと私を見たので、引っ込めた。幾組もチェスをする人々が。チェス盤の周りで、その成り行きを見ている人達も、次の順番を待っているのだろうか。それとも賭をしているのか。




 緑の中に入ると、ひやっとして冷たい。太陽の中には人が集まり、森の中は、静まりかえっている。







 花を美しい季節がいいなあ、こういう時期を知ってしまったからには、もう寒い、凍てつくようなパリに戻れない。秋のパリにあこがれていながら、まだその機会を持たない。きっと寂しさが、冬以上だろうな。これから寒さが身に染みるようになって、枯れていくパリは、恋も終わり、身固めをする冬までの辛い季節に違いない。



  

Posted by アッチャン at 01:45Comments(0)パリにて

2009年05月05日

ザッキン美術館




 ブルーデルの弟子で、ロシア生まれのossip Zdkine(1890-1967)が妻のヴィランティーヌと暮らしたアトリエ兼住居を1982年から「ザッキン美術館」として、パリ市が公開している。ザッキンは親日派として、日本にも、その作品が、沢山あるので、ザッキンのフアンも多いかもしれない。美術館へは、モンパルナスから、一駅、ヴィヴァンで降りる。工房や、画材の店がならぶ通りを見ていると、画家の町という匂いが漂う。




 通りを奥に入ると、雨上がりに濡れた緑がつややかにわずかな光を浴びている。





庭の緑の中に、ザッキンの彫刻がいくつか展示されている。生きた時代の代表的な彫刻達。ザッキンの彫刻は、プリミティブな形に惹かれ、木が持っている力に形を加えるというような作品から、鋳造、これもプリミティブなデザイン文字から人間を表現したもののように思われる。パリ市の美術館は通常は無料だが、特別展を開催中なので、4ユーロだった。








住まいを美術館としているので、特別展を分けるというわけにはいかないから、無料では見られない。中は3部屋と、小さな突き出たベランダ、その奥に明るいアトリエという構造になっていて、画家がここで実際に生活し、制作していたのだと思うと、臨場感にも浸ることが出来て、素敵な美術館だ。窓から眺める庭も一段と美しく感じられる。
 最初の部屋には、木造のプリミティブな神聖を感じられる彫刻が迎えてくれる。



次に小さなベランダに「金の鳥」(1930年の作)の像が人目を惹きつけるように一つだけ展示されている。木造から鋳造に、そして大きな木造の作品へ。




鋳造作品は、ザッキンが下絵に描いたものと、実際に出来た彫像とを、ダブルで展示している。









普段は公開されることのない、貴重な、デッサンと素描が特別展として、2009年3月26日から7月5日まで、公開されている。
 ザッキンは、モンパルナスで、藤田継治との制作交流が縁で、日本でも個展をし、結婚の仲介も藤田継治に依頼したとか。
モンパルナスには、画家のアトリエが多いが、昔は、モンパルナスは、村だったと吉田さんから伺った。庭付きの家が普通にあって、このザッキンのアトリエも田舎屋の面影を残している。







 今では、モンパルナスのアトリエは、ほとんど高層住宅になっているが、ゴッホのお墓のある、シュール、エ、オワーズに、画家村が出来ていて、そのあたりに住んで、アトリエを持っている人が多くなっていると聞く。  

Posted by アッチャン at 01:05Comments(0)パリにて

2009年05月03日

パリで最も美しい風景

 


晴れたかと思うと、暗雲立ちこめ、雨が降り出す。フランス人は、雨に打たれて歩くのは慣れているとはいえ、大雨の中を、気持ちよく歩くのは難しい。
 雨が上がると、嘘のように、晴れ間が広がり、雨に洗われた建物と木々が、麗しい顔を見せる。犬のふんで、お世辞にも美しい町だとは言えない歩道も、現れて、どこかに流れたあとは、さっぱりとして気持ちがよい。





 マルグリット、デュラスの「イギリス人の恋人」が28日から始まるので、大雨の中、マドレーヌ劇場を探し歩いたのに、見つからなかった。びしょ濡れになって、降参。
14番の地下鉄がマドレーヌに停まるので、もぐって、帰る。脚は疲れている。
駅のエレベーターを上がると、西の空が晴れている。いつも、バスで通りながら、まだ時間があるからと、いつも通りすごしていた、セーヌ河畔の写真が撮りたいと思っていたのに、大雨で、今日もあきらめていたのだけど、もう日がないので、引っ返すことにした。地下鉄でピラミッドまで行く、バスで戻る。アート橋で降りようと思った。バスはなかなか来ない。久しぶりの本格的な寒さに、手が冷たい。
歩いた方が、身体も暖まるので、良かったと後悔しながら、結局バス が来るまで15分も待っていた。
わずか3駅の所で、降り、そこからカメラ目線で歩いて行く。







ドス黒い雲のかかったセーヌは、ひと際魅力的だ。ノートルダムのせむし男か、レ、ミゼラブルの世界だ。暮れていくセーヌ、観光船に照らしだされ、セーヌの水が揺れ動く。
引き返して良かった。パリの一番美しい景色を独り占めにしているような錯覚を抱くのは、いつものように観光客がいないから。大雨で、どこかに散ってしまっている。





 それとも、今渡っていった、ディナー付きの観光船に中でワイングラスをかたむける時間なのか。
ポンヌフに来ると、いつも、「ポンヌフの恋人達」という映画を思い出す。好きな映画。 アート橋からは、シテを挟んで、二つのセーヌが見渡されるので、アート橋というのだろうか。それともオルセーが側にあるからだろうか。







 しだいに街灯がともり始めた。素晴らしい写真が撮れた。





ノートルダム寺院が闇夜に浮かび上がっている。


この神秘的な光景を否定するかのような、サンミッシェルのギリシャ街が、客引きにやっきになっている。



どの店も値段を競って、安いが、美味しそうな気はしない。どの店も、店前に、串さきにしたバーベキューをきれいに並べている。
 お腹が空いている。帰って、残り物を食べる。


  

Posted by アッチャン at 00:21Comments(0)パリにて

2009年05月02日

可愛い、チョコレートの店

 


 

 かわいいチョコレートの店をみつけた。
 





地下鉄の4番線に、サン、ジョルジュと言う駅がある。その次の駅はピガール。ロマンティック美術館を探して、上手に歩いて行くと、ムーランルージュに行き当たるが、その手前に、可愛いい、チョコレートの専門店がある。店の前に、雑誌に紹介されている記事がいくつか出ている。日本の雑誌記事も出ていて、きっと良く知られているのだろう。




中に入ると、金髪を三つ編みにしたマダムが、お客さんと楽しそうにしゃべっている。チョコの説明をしているらしい。日本人の店員さんが、働いている。包装紙が、年代を感じさせる。ゼリーや飴、お茶などあり、どれもとても可愛くて素敵だ。
 マダムが、これぞと集めたものばかり。三つ編みにふさわしく、可愛らしい。
 小さいサイズで、夢があって、おみやげに喜ばれそう。





 板チョコで日本にも入っているものがあるが、それれは機械で作られたもので、ここにはそういうのもあるが、手作りのフランスだけにしかないものも沢山置いている。







 チョコ好きの人には、たまらないだろう。写真を撮っても良いか聞いて、何枚か取らせてもらった。
 ロマンティック美術館へは、道を間違っていた。間違ったおかげでこんな店に出会った。  

Posted by アッチャン at 00:16Comments(0)パリにて