2009年08月09日

命がけで頑張っている

 

母の退院が近づいた。談話室のテーブルに、テーブルクロスがかけられ、部屋から出て、そこで食事を取る老人が増えた。わけがわからないなりに、話しかけると、人懐っこく、純粋に返してこられる。良くなって、病院を出て行く希望のない老人達を見ていると、生命へのいとおしさを感じる。私って、結構お年寄りが好きなのだとも思う。
頭をいつも、スカーフで覆っていた、老婦人が、最近では禿げた頭をそのままに、テーブルに座っている。頭も、顔もヘルペスにやられている。
傍に行って、傷だらけの手を、腕をさすってあげると、「少し楽になってきました。」と言われる。胸が苦しくて、呼吸が出来ない、苦しいと訴えるので、看護婦さんに言うと、「いつもですから、大丈夫です。」と慣れっこになっている様子。
 そばにいて、優しく世話してくれるご主人が、来られない日、その人の胸はいつにもまして苦しいに違いない。
新顔の老婦人は、食事もそこそこに、部屋に帰りたがる。「おしっこがしたいんです。立ち上がらせてくれませんか?」とこちらを見て頼んでくる。
多分尿意は感じているのだろうけれど、看護婦さんは、「もう少し食べてから。」と動じない。おしめをしているのかもしれない。車椅子で、立ち上がれそうにない様子。笑いかけると、嬉しそうに笑いかけてくる。屈託のない笑顔が輝きを増す。
 表情を動かさない老婦人は、深く暗い世界に閉じこもったまま。食事を取ろうとしない。ただテーブルの前に座らされているだけ。
廊下ですれ違う患者さん、シャワーを浴びに部屋の前で出会う患者さん、並びの患者さんの付き添いで、毎日顔を合わせる人達、随分いろんな日人達と話をするようになった。
気がかりな人がいる。大腸ガンの手術をしてから、食事を取れないで、点滴だけの人がいる。毎日、夕方になると息子さんが会いに来る。母と散歩していると、必ず、談話室でお二人に会っていた。日ごとに、弱って行かれるので、なんとか早く食べられないものかと案じていた。
今週は、彼女と息子さんを一度も、そこで見かけることがなかった。点滴棒を押して出てこられる病室を覗いても、奥の方がわからない。
元気になられたのなら良いのだけど、出てこられないくらい弱っておられなければ良いけれど。
  

Posted by アッチャン at 02:32Comments(0)日々の事