2009年08月15日

退院の朝



 毎日母と見た景色

 退院する朝、早い目に病院につくと、母はすでに、荷物をまとめて、洋服を着て帽子までかぶっていた。朝一番に、挨拶にやってきた人がいたという。並びの病室の家族の人が、「寂しくなるわ。」と言ってくださる。2ヶ月半にもなると、毎日話をしているうちに、特別の親しみが湧いてくる。それぞれ、お年寄りで、治る見込みのない患者さんをかかえている。お元気になられて、早くお家に帰られるといいですね、としか言えない。
 グループホームに行けば、しばらくお風呂に入らないかもしれないから、お風呂にいれてもらった。
「家に帰れば、大きなお風呂があるので、そこで入りますから。」頑固に拒んでいたけれど、遂に抵抗を観念して、入ると、ああ、気持ちが良かった、幸せな顔をほっこりさせている。
「この病院お終いになるそうね。夙川に帰ったら、片づけないといけないものもあるし、お掃除するくらいだけど。」
夙川に帰るつもりでいた母が、弟が来ると、今度は、私の家に行くと言っている。
「あら、夙川に帰るのではなかったの?」と私が云うと、弟の顔をみて「帰れないわね。」母は気を使っている。

 日に何度となく散歩した中庭。


 私は母をグループホームに連れていく勇気はとてもない。あとは弟夫婦にバトンを渡して、少し早めに病院を出る。
廊下で隣の病室の娘さんに「この病院、今日でなくなるんですって?」と母が尋ねる。困惑しながらも同調してくださる。
母の頭に中に、退院という意味がなくなっている。
グループホームでは、私的に何を食することも、飲むことも禁止されている。
巨蜂と小さなケーキ、それにいつも沢山飲んでいるジュースを持参していた。母は美味しいを連発しながら、またたくまの内に食べてしまった。
これからは制約されて、不自由な生活を余儀なくされる。グループホームも様々。隔離することで、安全を、食を持ち込むことを禁止することで、食中毒を防ぐ。
翌朝、施設に電話すると、母が勝手に出て行ったと言う。すぐに行きますと車を走らせた。母ではなく、昨夜から入った、もう一人の入居者が、扉が開いていたので、勝手に出て行ってしまったと大騒ぎ。母は聖心学園の修道女だった人と話をして座っていた。逃避した方は強靭な足の持ち主で、歩くのが好きで、夜中も歩き回っていたらしい。檻に閉じ込められた獅子の放浪癖。鍵をかけておいて、閉じ込めて、それで良いのだろうか。グループホームによっては、後をつけて見守りをしている所もある。それでこそ、人間重視の対応ではないのだろうか。
  

Posted by アッチャン at 22:30Comments(0)日々の事

2009年08月15日

 吉田さんを偲ぶ会



 

久しぶりにお客様を迎えて夕食買いを開いた。13日のお盆、パリのモンパルナスから、吉田さんが帰って来られているかもしれない。というわけで、
酒好きだった、吉田さんの代わりに、4人で、大びんのビールとワインを3本空けた。お料理を、あれもこれもと考えて、作りすぎた。
皆さま、ご持参の美味しい食べ物も加わって、飽和状態を超えたかも。なのに、けなげにみな食べていただきました。
私のお腹が悲鳴をあげていたのですから、お客様だって、そうだったに違いありません。
すぎたるは及ばざるがごとし、です。
でも、お酒と、料理が続いたので、それだけ、お話は楽しかった。時間のたつもの忘れて、気がつけば、最終バスはなくなって。お仕事で、間に合えば、と電話して来られた方が、来られなかったのが残念でした。
山の上の辺鄙な場所ですが、結構遅くまでバスがあるようになって、住みやすくはなっています。以前は、花金だけ、特別に最終バスの時間が設けられていたのが、ルーティンになって、平日は11時30分まであるのですが、お盆は休日ダイヤなので、短縮されるのが難点。
 暑がりやさんがいたので、家中のクーラーを全開させると、全館冷房で快適だった。寝る時も涼しく、朝起きてもまだ冷気が漂っていました。
まだ、食料が残っているので、誰か来ないかな。余韻を引きずっているのです。
 お客するのが結構好きなんです。私もそうなら、息子も人を呼ぶのが大好き。日本に帰ると、必ず誰か呼びたがります。寂しがり屋で、人好きなんでしょうね。加えれば、内弁慶。
  

Posted by アッチャン at 10:00Comments(0)日々の事