2009年08月26日

ピアフにブラボー、シネマにブラボー

 あわびと松茸の陶板焼き

ケーブルテレビをアナログから、デジタルに変えてから、番組数が増えて、映画のチャンネルの中で、イマジカというチャンネルでは、見たい映画が目白押しに出てくるのがうれしい。「エディット、ピアフ」と、ピアフのコンサート、ピアフのドキュメンタリーも見ることが出来た。映画も素晴らしいけれど、ドキュメンタリーで本物のピアフは、とても身体は小さいのに、エネルギッシュで、庶民的で飾り気がなく、周りの人達をひきつける魅力に溢れている。歌うことは愛すること、全身全霊で歌うことと、常に誰かを全身で愛することは、ピアフには、不可分なことで、それは生きること、生きる力でもある。
 小さな身体に、飽和状態の情熱は、神への深い信仰への情熱である。「いつ死が訪れても、私は準備出来ている。」とピアフは言う。
ピアフの歌で、「水に流して」という歌にあるのは、「良い事も悪い事も、私の人生で起こったことは、全て意味があった。。人生で払わねばならないことは、自ら払って来た。私には過去はない。未来が、これから歩いて行く未来があるだけ。」
 恐れるものは何もない、と言い切れるのは、愛することを躊躇しないと高々と宣言出来るのは、バックボーンとして、「いつでも死ぬ準備が出来ている」という、裸の美学ともいうべき覚悟、そしてその覚悟は、神への揺るぎない信仰に支えられたものだろう。
人間、死を覚悟出来たら、怖いものは何もない。目的に向かってまっしぐらで、突進していける人に、迷いはない。あるのは希望と確信だけ。そして、自らの命は遠くに投げだしているのだろう。
「ピアフ」に続き、イマジカでは、「マリアカラスの最後の恋」「尼僧物語」等、沢山の私の好きな映画が深夜まで。
 
  

Posted by アッチャン at 10:39Comments(0)日々の事