2009年08月31日

苦虫が笑った


 

4階に新しい入居者が入って来た。とても上品な感じの人で、端正な顔立ちの美しい人だ。4階で寝起きしている3人が一つのテーブルに座っていた。そこで食事をいただいているようで、ヘルパーさんが、「ここで食べている人達は、結構食べてくれてます。」と言われる。
母はプレドニゾロンの影響で、幾らでも食べられる。大柄な運動大好きな人は、食欲旺盛の感じ。聖心のシスターは、おしとやかながら、お手伝いが好きな人だから、お腹は空くのだろう。
本来3階で生活している人達は、中央の長いテーブルを囲んで食事している。その人達は、ずっと座っているか、自分の部屋で寝ているかのようだ。その中に一人だけ男性が混じっている。一日中、同じところに座っていて、しゃべらずにいる。苦虫をかみつぶしたような表情で、笑った顔を見たことがなかった。
私は母に面会に行くと、3階のテーブルに座ったまま、外を眺めている。
新しく入って来た女性は、一見まともそうなのだけど、「私達、すっと一緒だったわね。子供の時から一緒にいるのよ。」とか、部屋は熱いのに、
「今日は冷えるから、外出は控えますわ。」母に「どうぞ、温かくしていらっしゃい。」ととても丁寧で、上品な人だけど、話がおかしい。徘徊が問題の女性は、トイレの場所が、把握出来ない。シスターの部屋の前で、トイレだと思い込んで入ろうとする。
 世話をする職員は、9人分の介護日記を、毎日書かないといけない。夕食の準備を始めている人、隣の整骨院に、毎日連れて行くヘルパー。
入居者達は、いつ行っても、ボーっと座っている。手が行く届かないのが見て取れる。グループホームとして,、機能していない。
 




じゃ、散歩に行ってきます、と母の手を取って、狭い通路を歩き始めると、母は、他の人達に行ってきますと、手をあげて挨拶しながら、歩いていたが、なんと、無口で表情のない、男の人に、手を差し伸べて、ハイタッチをする。すると、その男性の嬉しそうな顔。ハイタッチ。その人が笑った。
 
  

Posted by アッチャン at 15:14Comments(0)日々の事

2009年08月30日

母の期日前投票


 

グループホームのすぐ隣に、市役所がある。母を訪問するついでに、期日前投票をしておこうと思った。施設にいる認知症患者の老人達は、明日の選挙に行くのだろうか、尋ねてみた。ヘルパーさんは、「さあ、どうでしょう。聞いてないですから、わかりません。」とのこと。
母の選挙通知は、弟の住所に転送されているはずだ。弟達が面会に来ているかなと思ったが、来ていないいとのこと。
母を散歩に連れ出したついでに、市役所で、投票をすませることに。
事前投票の申込書を書けば、葉書がなくても投票できるようになっている。母は何のことか、把握が出来ないようだった。けれど、母にだって、投票権はある。事前投票の理由に、「病気の為、付き添いがいるから。」という項目があった。代理で書類に記入して、順番を待った。
一人づつです、と言われて、母を先に送り出す。
「はがきを持って来ていないのですが。」と言うと、
「調べたらわかりますから。」とのことで、問題なかった。
議員名を書く紙をもらって、「好きな人の名前を書けばいいのよ。」と言った。母は前に書かれた名前の中から、好きな名前を選んで書いた。
次に、比例と裁判官の罷免書をもらう。係の人が、「書けますか。お手伝いしましょうか。」と声をかける。
「いえ、書けますから大丈夫です。」
耳の悪い母に、私の声が大きくなるので、係の人が笑っている。どこかおかしいのがわかっている。母の様子で、状態を良く把握できていないのがわかっている。
大きな声で、「ここに書いているでしょ。この中から、お母さんの好きな政党の名前を書いてね。」
母は、その中から、今度はきちっと自分の意思表示を書いた。自民党。昔馴染みはありがたいもの。
テレビに出てくる、麻生さんが好きなだ、と言っていたのは、今年の3,4月の頃。自民党支持者であることは変わらない。
個人名は、他党、比例は自民党。
母は、一人で暮らしていた頃、選挙には、必ず投票に行っていた。それが国民の権利であり、義務だと。
ノンポリの私は、行くこともあり、行かないこともあって、母から「非国民」などと非難されたこともあった。
それほど真剣に、大切な投票権だから、母の権利が行使されたことで、私はほっとしている。

  

Posted by アッチャン at 03:22Comments(0)日々の事

2009年08月30日

煙草

 

 

煙草は、やめられないのではなく、やめる気がないのだと思う。先日、家に集まった人達の煙草で、翌日部屋に煙草の匂いが染みついて、家中の窓を開けても、匂いがなかなか取れなかった。屋内禁煙を宣言させてもらった。愛煙家でなければ、狭い空間で、何人も煙草を吸う事を許容して迎える人はいない。健康にも悪い。お料理は不味くなる。白壁が黄色く変色するのは嫌だし、大切な絵画に色がついたら大変だ。

 最近、料理店や割烹居酒屋に行くと、煙草の匂いが、あまりつかなくなった。換気に気をつけるようになったのか、煙草を吸う人が少ないのだろうか。
以前は、洋服も髪の毛も、帰ると匂いがついて、洗わないと取れなかった。
吸っている本人は、迷惑をかけている気はない。嫌煙されるのを被害者意識で受け止めているだろう。嫌煙権なるものが市民権を得るようになって、喫煙者は、公共の場から締め出されるようになり、喫煙者達は、喫煙所に隔離されるようになった。
食事会に呼ばれる友人の家でも、以前はまだ喫煙する人がいたけれど、屋内禁煙を言い渡されて、愛煙家は我慢できなくなると、庭に出て吸っている。夜の闇にホタルが光る。
先日のうどんパーティーでも、庭に出て喫煙している人がいた。ホタルは年中、飛んでいる。
アメリカでは、煙草を吸う人は、随分少なくなった。煙草代が千円に上がって、とても気軽に吸えるような状態ではない、というのも大きな要因だけど、健康に敏感でいるのがスマートだとされるのアメリカ人達に取って、喫煙はスマートではない、という理由からだそう。
 
 叔母は、長年のヘビースモーカーだ。癌の手術をしてもやめるつもりはさらさらない。手術後に、点滴棒を引っ張って、喫煙所まで行っていた。骨祖症で、腰がやられて長く入院した時にも、煙草を吸いに、喫煙所まで、よろよろと歩いて行った。煙草が、カルシウムを破壊するのが良くないと医者からやめるように言われても、やめる気はない。たとえ死んでも、煙草はやめるつもりはないのか、煙草が悪いはずはないと確信しているのか、煙草と生きることは切り離せないようだ。
 
以前に、舌癌になった人が、辛い放射線を我慢するのは、煙草を吸うためだと言っていた。それほど、彼女に取って煙草は、なくてはならないものなのだろうか。

 私はそうではないような気がする。やめる気がないから、やめないのだ。居直りと、楽観さがあるような気がする。「生きていても仕方がないわ。早く死んだ方がましだわ。」と口で言っているけれど、本意ではないような気がする。

たばこなんて、やめる気があれば、いつでもやめられる。物事のほとんどのものは、そういうもの。気があるか、ないか。意思があるか、ないか。
  

Posted by アッチャン at 02:43Comments(0)日々の事

2009年08月29日

老け専

 
 


グループホームに行くと、代表がコンピューターに向かって仕事をしていた。昨夜のお礼を言うと、「今日は来ないのかなと話してたんです。あなた、もてもてだったわね。」
「いえ、珍しい客が来たから、珍しくてからかってたんですよ。」
昨夜、最長老の男性が、別にテーブルで、作業している。大学の社会福祉の教授だった?とかいう人で、昔はハンサムだったに違いない。背は低いけれど、男前で、片岡仁佐衛門に目元、口元が良く似ている。昨夜は元気はつらつという感じだったのに、今日は一変して、しぼんで老いこんで、猫背でぼそぼそコンピューターと書類を照らし合わせている。
代表は、後に残った人達が帰ったのも知らずに、座ったままの姿勢で寝ていたという。友人のお母さんも、パリ行きは飛行機が辛いのでは?と聞くと、全然平気だと言われる。飛行機の中で寝てますから、と。どこでもどんな姿勢でも寝られる人でないと、人を使って仕事出来ないかも。お二人には共通するものがある。小柄で、ダイナマイトのようにタフで、派手好き、お洒落で、男友達が多くて、経営の手腕があって、人使いが上手。男達は女王にかしずくように仕えて群がって来る。人に使われるタイプではない。
 私って、そのまるで反対だ。使われやすいタイプの典型。神経質とずぼらが同居していて、すぐに疲れるから、持続性がない。情熱的ではなく、さりとてクールでもない。中途半端な人間だから、「良い人」なんて言われるだけで、一目置かれることはない。
昨夜も、新入りで、からかいの対象になっていた。友人から、「老け専」なんてレッテル貼られているけれど、昨夜も、老け受けしていたようで。
 魅力的な男性に持てたら、総スカン食らう所だけど、老け専は、重宝がられる。年寄りのお守なんて皆したくないから。

  

Posted by アッチャン at 12:52Comments(0)

2009年08月28日

男の料理教室


 



「さぬきうどんを送ってきたから、今度の木曜日に来ない?うどんパーティーをやるのよ。会費は千円で、ビール飲み放題。」
グループホームの代表者が、お風呂上がりのすっぴんで声をかけてくれた。彼女のお化粧をした顔しか見たことなかったが、すっぴんの方がずっと美人だ。
 さぬきうどんと聞くと、四国で食べた、美味しい、つややかなうどんの喉越しがよみがえる。参加させていただきますと二つ返事で。
いつものように母を見舞って、いったん車を置きに帰り、折り返して、バスに乗ってグループホームに。
一階のホールは、地上からそのまま入るようになっている。6時に行くと、すでに沢山人が集まっていて、うどんすきの準備に女性達はおおわらわ。男の人が多い。テーブルに座って、話をしながら待っている。
代表が、明石の魚棚まで買い出しに行って来たという、あなご、鱧、鳥など。野菜は発泡スチロールの大きな箱に入って、下ごしらえはすんでいた。三つのテーブルにうどん鍋が3つ、それを取り囲んで、男性11人、女性9人くらいの多人数。先日の花日大会とは違って、プライベートな小さな集まりだと聞いていた。
 初老の男達は、「男の料理教室」の生徒さんたちだった。代表は、私を彼女に横の席に誘って、彼らが錚々たるメンバーであると小声で教えてくれた。ある大手企業の現役社長、新聞社の論説委員、大学の教授に、私学の教師とコーチなどとか、あとは覚えていないが、とにかく立派な肩書を持っていた、今も持っている人達らしい。女性達は、「ヘルパー養成所」の卒業生で、代表が仕事に誘った人達。80歳近い女性もいた。
 「男達の料理教室」がテレビで取り上げられていたのをみたことがある。家では粗大ごみ扱いされ、年がいってから、役に立たないといけないからと、料理を習い始める男たちが多いと。
 彼らは、実に楽しそう。料理教室に来ると、料理を作る前に、飲み始める人もいるという。料理を覚えるのが目的ではなく、来て、楽しんでストレスを解消する場、男達のサロン、男達の居場所なのだ。
 論説委員だったという男性は、去年奥さんを亡くして、一人になった。大原麗子と同じようになると、恐怖感に襲われている。奥さんを粗末にしたという後悔で自責の念にも。
私的パーティーではつきものの、自己紹介が終わると、向かいのテーブルに座っている、陽気な老人が、私の名前が珍しいと聞いてきた。
「村上水軍の末裔ではないかと、父が言ってました。広島の海べの小さな集落で、元は桐井という名前だったが、小作だった、その村の人達が名前をつける事を許されて、全員が同じ名前にした時に、一緒の名前に変えたとか。平家の落ち武者だったらしいけれど、あのあたりは、村上水軍が随分沢山いたとか。ひい爺さんは、ものすごく背が高く、赤毛のちじれ毛だったそうですよ。」

父から生前、何度の聞かされた話だ。私の中に、海好きのDNAが存在する。海辺で育ったわけではないのに、海辺でぼっと座って、水平線のかなたを、どこか望郷の念にかられながら、眺めている。私の故郷は、日本ではないと感じることも。
ひょっとしたら、本当に村上水軍の末裔かも。
 グループホームに母が入所したのが縁で、こんな「男達の料理教室」の実態を垣間見せてもらった。彼らは生き生きとしている。実に楽しそうである。
 昨夜寝てないのよ、と言っていた代表は、男達に順番に肩を揉ませていたが、私達が片づけを始める頃には、座ったままの姿勢で寝ている。客が順次帰って行く。私も片づけがすんだので、帰る。職員と一部の人が残っている。代表はまだ眠ったまま。
  

Posted by アッチャン at 10:13Comments(0)日々の事

2009年08月27日

井上陽水

 

 http://www.y-inoue.com/井上陽水オフィシャルサイト

昨日で3日間、ライフ40年、井上陽水、というNHK教育の放送に首ったけ。今夜が最終回。
彼の、粘りと艶のある独特の声が好き、抒情的で、感傷的な歌に惹かれていたけれど、人間に、直接触れたことはなかった。何日も、彼のインタビューや、友人からの人物評や、リリーフランキーとの会話、彼が影響を受けた人物達、彼が影響を与えた人達、家庭と生い立ちなど、あらゆる角度から、井上陽水のライフが映し出される。
ちょっと、お姉てきしぐさが、大柄でいかつい感じとアンバランスでいてバランス感覚を保っている。テレのあるやさしい人だ。
 テレビが大好きで、受験の前日くらいは、と決心していたのに、テレビで映画を深夜みてしまったほど。子供の頃に見たテレビ番組、次から次に出てくると、私も、ほんと、テレビばかり見ていたこと。
 水谷豊が、初対面で、「泊まる?」と誘われた。結構誰かれとなく、気楽に「泊まる?」という癖がある。寂しがり屋であることは、間違いないけれど、子供の頃、「泊まって行く客」が普通だったのではないかな。
昔は、我が家でも、良く泊まり客があった。九州から、富山から、地方からよく人がやってきた。今は泊まらなくても、交通の便はいくらでもあるし、ホテルに泊まる方が気が楽だから、泊まる人は少ないだろう。昔は、だれかれとなく家に泊めていた。お風呂に、テレビがあると、お風呂のない家の家族が、入りに来ていた。テレビを見にやってくる人達で、リビングが一杯になったことも。
 テレビでは、お笑い番組が多かった。
「一番優れたものは、笑える作品ではないかと思う。」と陽水は言う。
昔、貧しい人達が溢れていた頃、笑えることが、どれだけ人々を幸せな気分にさせてくれたころだろう。馬鹿笑いをしている間、人は、現実の辛さや、憂鬱から解放される。世界から、笑いが消えるとしたら、暗黒だ。
陽水の歌は、、私の心に染みいる、郷愁を掘り起こす。それは直接笑いにはつながらないけれど、その郷愁の中に、人々が肩寄せ合って、助け合い、笑いあった、幸せの時間が存在する。
「白いカーネーション」という歌がある。私の好きなのは、白いカーネーションだった。その歌を聴くと、私は、学校の黒板に、カーネーションを描いている私が見える。
殺風景な黒い黒板に、一面にカーネーションの花を描いた。勿論遊びで。花のない教室に。カーネーション、赤と白の白墨で描いたカーネーション。ふざけあって、子供達の笑いのさざめき。
  

Posted by アッチャン at 12:08Comments(0)日々の事

2009年08月26日

ピアフにブラボー、シネマにブラボー

 あわびと松茸の陶板焼き

ケーブルテレビをアナログから、デジタルに変えてから、番組数が増えて、映画のチャンネルの中で、イマジカというチャンネルでは、見たい映画が目白押しに出てくるのがうれしい。「エディット、ピアフ」と、ピアフのコンサート、ピアフのドキュメンタリーも見ることが出来た。映画も素晴らしいけれど、ドキュメンタリーで本物のピアフは、とても身体は小さいのに、エネルギッシュで、庶民的で飾り気がなく、周りの人達をひきつける魅力に溢れている。歌うことは愛すること、全身全霊で歌うことと、常に誰かを全身で愛することは、ピアフには、不可分なことで、それは生きること、生きる力でもある。
 小さな身体に、飽和状態の情熱は、神への深い信仰への情熱である。「いつ死が訪れても、私は準備出来ている。」とピアフは言う。
ピアフの歌で、「水に流して」という歌にあるのは、「良い事も悪い事も、私の人生で起こったことは、全て意味があった。。人生で払わねばならないことは、自ら払って来た。私には過去はない。未来が、これから歩いて行く未来があるだけ。」
 恐れるものは何もない、と言い切れるのは、愛することを躊躇しないと高々と宣言出来るのは、バックボーンとして、「いつでも死ぬ準備が出来ている」という、裸の美学ともいうべき覚悟、そしてその覚悟は、神への揺るぎない信仰に支えられたものだろう。
人間、死を覚悟出来たら、怖いものは何もない。目的に向かってまっしぐらで、突進していける人に、迷いはない。あるのは希望と確信だけ。そして、自らの命は遠くに投げだしているのだろう。
「ピアフ」に続き、イマジカでは、「マリアカラスの最後の恋」「尼僧物語」等、沢山の私の好きな映画が深夜まで。
 
  

Posted by アッチャン at 10:39Comments(0)日々の事

2009年08月25日

憩いの神戸屋


 


母に会いに行くと、3階のフロワーは、満員御礼の札が出そう。昨日から、新しく入居者があり、3人になったので、今日から4階にいるのかと期待したら、まだ3階にいる。介護に携わる人と入居者12人で、狭いリビングは、クーラーが切っているのかと思うくらい、むっと熱い。
 今日も、母はポツンと一人離れて、座っているのかと思ったら、狭いソファーにひしめき合って座って、話をしている。昨日も、その前も、母は一人で座って、バッグの中を探して俯いていた。
一昨日、宝塚祭りが、すぐ近くの公園で催されるので、母を連れて行くように依頼されていた。入居者もあとで行きますというので、私は母の手を引いて、先に出た。日差しが熱く、たこ焼き、氷、カステラにタイ焼き、出店が出て、野外ステージでは、音楽隊の演奏が始まっていた。
母は、興味が全くないと言い、おもしろくもなんともない、熱すぎるというので、少し歩いて戻って来ると、車椅子に乗って、歩ける人は歩いて、グループホームの入居者を引率しながら、職員が総動員でやってくる。私と母は、暑さを逃れて、神戸屋のレストランに逃げ込む所。
 妹夫婦と娘、そのまた娘の赤ちゃんが、その前日に来てくれたことも、神戸屋のレストランに入って、食事をしたことも、何も覚えていない。
同じケーキを食べながら、初めて食べる感動を覚えている。ケーキを2個食べて、5時に間に合うように、施設に帰ると、入居者の第一陣が、ちょうど帰ってきた所だった。
母と一緒に入居した人が、車椅子を押しながらの職員と一緒に帰ってきた。頭に牛乳の紙パックで作った帽子を被っている。市民ボランティアにもらったものだろうか。顔中に汗を滴らせて、爽快そのものといった笑顔。彼女は、徘徊が問題で、入居してきた人。外に出て歩きたくて仕方がない。背は高く、スポーツ万能だったという健脚自慢。職員は「足が速くてついていくのが大変。」と。疲れきった顔を押して、車椅子の人を下して、再び、歩道橋に空の車椅子を持って行く。まだまだ、公園の芝生でへこたれている入居者が待っているという。健脚の徘徊者なら、まだ十分余力はあるものの、どこにいくかわからないから、お手伝いというわけにはいかない。やれやれ大変だ。彼女は、もうすっかり、このグループホームの生活に馴染んでいるかのようにみえる。お料理が好きだと言っていたが、確かに、いつもキッチンに入って嬉々として手伝っている。もう一人は、最初の見学に来た時にも台所にいた、最長老らしき入居者。見かけはしっかりして、小公女に出てくる、ミンチン先生みたいな感じの人で、身なりもきっちり、頭もきっちり結いあげて、背筋もピンと張っている。
テレビは、連日、甲子園野球の中継。スポーツ好きの健脚ばあさんは、これがあるから、余計に元気なのかも。
毎日、帰る支度をして、窓辺から外を眺めている母は、一向に馴染めない。
 「しょうもない所なのよ。おかしな人ばかりだけど、根性悪はいないわ。」
今日も、母の足の為にと公演を散歩して歩いきながら母の話を聞いている。
「何もおもしろいことないわ。興味は湧くものなにもないわ。」とぶつぶつ言いながら歩いていたが、ベンチに座り、子供が遊ぶ姿を見て、
「ここは良いところね。気持ちが良いわ。あ、カラスが。カラスって仲が良いのよ。」
久しぶりに、母が歌うのを聞いた。「カラス、何故泣くの。カラスは山に。可愛い、七つの子があるからよ。可愛い、可愛いとカラスは、、」
「あ、飛行機が、あんなに遠くまで飛んでいく。とんぼが、ほら。」
母の興味の蓋が開いている。
そよ風が吹き渡り、木陰のベンチに座っていると心地よい。お母さん達が、狭いアパートから抜け出して、子供達を遊ばせている。

 


再び、母の手を取って歩きだすと、暑さと日差しがまだきつい。5時まで時間があるので、再び神戸屋に。
 美味しそうなメニユーに、母の眼が輝く。
「これにするわ。美味しそうだし、高くないわ。」
 (5時半に夕食を準備しているから、こんなの食べたら、夕御飯が食べられないから。)
「しょうもないものが、ちょぼっとしか出てこないから、大丈夫。」
いつものように、コーヒーとデザートだけ注文した。
窓から、母が施設から眺めている窓が見えている。洗濯物が揺れている。
介護支援センターと書かれた大きな文字と、職員が花火大会に便乗してビアパーティーを開いた屋上に、まだ赤白の提灯が風に舞ってい
  

Posted by アッチャン at 19:01Comments(0)日々の事

2009年08月24日

私流の健康法


 司のたたき

昨日の朝起きると、腰が異様に痛い。筋違ったのかな。無理しないように、そろり、そろりと動く。先日から、かかとが痺れて歩き始めると慣れ
るまでしばらくかかるので、腰もそのうちに治るかも、と軽い気持ちでいた。日曜日の廃品回収日にあたっているので、重い紙袋を外に出したら、腰に余計な負担がかかって、ぎっくり腰の様相。痛いものなんだなあ、迫って来る傷み。今までにも、腰に来たことはある。歩けないことまではなかったけれど、このままでは寝たきりになりそうだ。まず、母のことが心配になる。行ってあげられなくなったらどうしよう。次に、旅行が出来なくなったらと想像するとぞっとする。こんな状態では、痛くて飛行機に乗れない。などなど。こんな状態でずっと痛むのなら、死ぬことものぞましくなるような気がするとまで考えてしまう。 昼食時に約束があった。キャンセルしようかと思ったが、腰は無理しても歩いた方が良いかもしれない。湿布を貼り、四つばいで、歩いてみたり、壁に手を押さえて、腰の強化をしてみたり。そのうちに、貼り薬が利いて傷みが和らいだので、傷み止めの飲みぐすりを持参して、腰をかばいながら歩いて出かけた。膝をクッションにして、腰に負担がかからないように歩いているうちに、少し楽になってきた。

季節野菜の炊き合わせ
 
お昼から、お酒を飲み、新鮮なお魚と、お料理をいただく。酔っ払って、大きな声で奇縁をあげるようになると、傷みはどこかに消えている。
誘って、文句まで聞かされた友人に、申し訳ないと後で反省しても遅かりし内蔵助。

サバ寿司
昼食を終えて、別れたのは1時半、まだコナミに行くのは早いので、近くの映画館に。以前から見たいと思っていた「湖のほとりで」が丁度2時から始まるところだった。前の方の席しか空いていない。通常なら、やめるのに、酔っていたので入場する。前から3番目だから、それほど見にくいことはない。座ってみると、腰に痛みが出てきた。手を後ろにやって、腰を支えていると、映画が始まったころ、寝てしまっていた。少し始まった頃起きて、腰が痛いので、出て行こうかと思案しながら、腰をかばっていると、隣の方の席からも寝息が聞こえる。そのうちにまた私も寝てしまっている。半分は寝ていただろう。上映時間が短い映画だったので、40分くらい最後の部分を見ただろうか。
 コナミに行くのにちょうどよい時間になった。水中の歩行は30分にして、腰をかばうとうにして歩いた。ジャグジーのマッサージを入念に。いつもは時間がないので、10分で出るのに、腰が治らないものかと30分、腰にジャグジーをあてたり、足をマッサージしたり。
コナミにある、温泉の露天風呂で、腰湯を20分。冷水と温水を交互にしながら。
 自己流ではあるが、こういう方法で、その場、その場をしのいできた。昨夜はまだ、痛かった腰が、今朝起きると、治っている。完全に治るということはないけれど、温泉療法と軽い運動で、日常生活が出来ているので、コナミ様さま。それ以上に、友人のお陰。家でふせっていても、治らなかっただろう。
  

Posted by アッチャン at 14:25Comments(0)日々の事

2009年08月21日

ただよりこわいものはない




家を建ててから、早12年になる。その間に、何度か、塗装の勧誘が来た。新開発の塗料のモニターになれば、工事代は無料になります。
心は動くが、費用がかかる。まだ大丈夫だろうと、引き延ばしにしていた。最近の大雨で、そろそろやらないとやばいな、と懸念し始めると、
近所でも、外壁塗装をしている家がちらほら。
 そこに、電話がかかってきた。以前、お掃除を無料でしてくれた会社だ。何度もかかってくるので、見積もりだけで良いのなら、と来てもらった。以前の家は、瓦屋根で、一度外壁を塗装してもらった経験がある。その時には、近くで幾つかの工事をしているから安いと言われ、50万か、55万だった。20年前の話だから、上がっているだろうと覚悟していた。
インターネットはこういう時に役に立つ。その会社が来る前に、塗装屋に見積もりを依頼した。電話すると、その日の内に来てくれた。若い男性が来て、ぐるっと見てくれた。壁はそれほど痛んでいないとのこと、塗装の仕事が良かったのだろうと。問題は、屋根。これでは雨漏りが心配です。とデジカメで撮った写真を見せられた。誠実そうな人で、その人が若いけれど、1級塗装の免許を持つ、親方だった。
 見積もりは2,3日で出来ると言って、塗装屋さんは帰られた。
翌日、約束していた会社がやってきた。スマートでハンサム、自信ありげな態度、建築の専門家だと言って、屋根に上がり、ビデオを取ったので、テレビで見てほしいと言う。
 相当の痛みで、屋根が膨れて段差になっている所を指摘された。
こちらは、すぐにでもやってもらわないとと思う。どのくらいで?と聞くと、ざっとだと言って、足場がいくら、外壁塗装が幾ら、屋根が幾らと、平米に単価をかけて、値段を示す。すると合計金額は100万円を超える。これが普通の相場です、という。保証は13年くらい、他の所で安い所もあるでしょうが、仕事やったら、そのままでしょう、と。うちはメンテナンスが専門ですから。そこで、話をするうちに、足場は、日日の指定がいらなければ、無料に。月決めの会費3000円弱を払って会員になれば、工事の割引が出来ます。庭の草むしりは無料で、屋根に断熱シートを引きましょう、といくつかの魅力的ばサービスと値引きで、とびつきたいような値段になった。ここまでしているので、決めるのなら今決めてほしいと言われる。
 お願いすることにした。会所枡の清掃もしてくれる。年会費制で、毎月3000円足らず支払うと、年に一度のお掃除、痛んだところの修理、水回りなどのエスキューもしてくれる、というシステムの会社だ。そんなにサービスしてもらって良いのかとも疑念は以前から持っていたが、
会社は存続している。リフォームも多く手掛けているとのこと。
 その人が帰ってから、パンフレットを見ると、会員の解約には違約金がかかる。4年間も。修理は、どこも1か所で1メートルまで。ということは、後の部分には修理代が発生する。インターネットで見積もりしてもらった、関西ペイントの塗料は、適正価額が平米2,700円と書いている。見積もりでは4000円、他の部分も高い。

塗装屋に電話して、見積もりは出ましたかと尋ねると、まだだけれど概算は、70万円台になるという。塗料は、日本ペイントのシリコン。さっきもらった見積もりは、関西ペイントのシリコンテックス。安価だが、アクリル系だから、日本ペイントのシリコンとは違うという。
 インターネットで調べたら、平米の単価が随分違っていた。最初に、高い値段を出して、それを値引きしていくというやり方に疑問を感じた。
結局は、どちらで依頼しても、値段の差はないから、山ほどサービスがついているのは魅力的である。が、それが落とし穴。そのセールスマンに、「ただより高いものはないといいますよ。」と言ったら、「その通りですよ。」という返事が帰って来ていた。
 メンテナンスチェックと一部分の小さな補修サービスは、多額の、リフォームや、工事をしてもらうためのものではないのかと思う。適正な価額を提供しているのなら、最初から、ぎりぎりの値段で出してくれるはず。それが誠実な商売というもの。で、この商法は、目くらましのようなもの。サービスをしてもらうと、修理を断れなくなるだろう。その時の値段は、言いなり放題になりかねない。
お年寄りや、独居暮らしの人、家の傷みや、住居の不具合には、不安がある。便利さに甘えて、高いものにつく。
 ただより怖いものはない、という父の言い癖は正しい。
 
  

Posted by アッチャン at 11:56Comments(0)日々の事

2009年08月20日

グループホームらしさのエピソード


 

最近、ブログを簡単に書けなくなっている。母のことをどう書いたら良いのか。書けないでいる。
グループホームは、まだ機能していない。3階はオープンしてから4カ月、9人の入居者がいる。4階には、まだ母ともう一人だけなので、
部屋は夜寝るだけで、日中はずっと3階の人達に交じって生活している。
 4階でグループが出来れば、落ちつくことも出来るかもしれないが、今の状態が長く続くということもある。入居を一旦は決めても、「まだ見られますから。」と施設に手放す事を躊躇している人もいる。ベッドや備品は入っているが、入居できる状態ではないという人がいる。自傷行為で、とても預かる自信がない。病院に入ってもらっているという。グループホームにも、費用の問題がある。母がいる所は、狭くて、設備も不十分だけれど、費用は他のグループホームに比べて安くはない。月に最低25万ほどかかる。治療費や私物にかかるものは別にいる。14、5万が平均だというから、遠くても、費用の安い場所を探して入る人もいる。
便利さ、設備、内容、費用など、条件の揃ったグループホームは、2年、3年、何時入れるかわからない状態だ。
 自由があって、人間の尊重を考えると、介護付きの有料老院ホームの方が良いのではないかとも考える。私の家の近くに出来たもので、33平米ほどの個室は、まだ空きがある。19平米くらいの部屋は全て埋まっている状態。各地に展開しているホームで、費用も、有料にしてはそれほど高くはない。といっても、入居金は2千万、毎月の費用は30万だ。話に聞くと、もっと高額な所も多いので。でも、普通の生活者にはとても無理。公的な援助のある魅力的な施設は、何百人待ちというのが常。ほとんどの人が、在宅介護で順番を待っている。そういうところに入れる人は幸せだと、誰もが言う。
 家族が泊まるのも自由、冷蔵庫も置ける、トイレとキッチン付きで、介護もついている。認知症も、そうでない人も混合型の施設。
電話で問い合わせると、プライバシーを重視して、独居に近い。家族が泊まるといっても、いつもというわけではない。
それなら、自由度がない、人間尊重にかけるのではないかと非難しても、寄り添って生きる方がより人間的な気もする。少しのものもわけあって、食べてこそ美味しいのかもしれない。お風呂も一緒だから入るようになる。
今日、私が帰る時に、介護者が、3つの袋に、住人達のバスタオルや下着で一杯になったものを運ぶ所だった。いつもお手伝いしていただくのよ、という、聖心のシスターは、早速一つを抱えている。
私を下まで送って行くという母に、「これを持ってください。」という。母のバスタオルが2枚と変えの下着が置いてあった。母はそれをかかえて、一緒にエレベーターに乗り込んだ。「私も行くわ。」ともう一人の同じ階の人。小さなエレベーターは満員。「これも運動、歩くことにもなりますから。」
私が下りる階で、母も一緒に降りようと身体をよじる。「お手伝いしてくださいね。」と言われて、そのまま階下の風呂のある場所に。
(気をつけて帰ってよ。)母の大きな声が内部から聞こえる。小さな母は、明日入れてもらうのに必要なバス道具をかかえ、埋もれて、声だけが響いていた。ちょっとした、温かい、ほのぼのとした余韻が残った。
  

Posted by アッチャン at 21:40Comments(0)日々の事

2009年08月20日

 母は歌わなくなった。





毎日、母に面会に行く。母は窓の外を眺めている。入居者達と同じテーブルに座っていても、話が出来るわけではない。
「おかしい人達ばかりだわ。」と母は言う。頭のおかしい年寄りばかりだと母はわかっている。話をしても聞いてくれる人はいない。
帰って来る言葉は、母の期待したものとは違う。皆、それそれの世界にいて、それぞれの頭の中の世界を話す。
母は歌を歌わなくなった。病院では毎日、あれほど歌っていた歌を、忘れてしまったのだろうか。私の顔を見ながら、にこやかに頷きながら歌っていた歌。
歌を歌わないの? 私は尋ねる。
歌なんか歌わないわ。母は答える。
あんなに良く歌っていたじゃないの。私が云う
そうね。良く歌っていたのにね。歌わなくなったの。 母に表情が乏しくなっている。
昨日、医者に連れて行った。母の手は熱があるように、ポッと熱い。病院でもそうだったし、ずっと以前から、微熱があるように感じていた。
まだ、炎症があるのだろう。医院で
10分で出る血液検査の結果、CRPは、1以下になっている。機械によって、随分データーが違うのだろうか。1週間前には、3、2だった。体重は1キロ以上減少している。
「ほんの少ししか出てこない。」という食事のせいで、体重が減少した。病院では、冷蔵庫にいれてあるものは、翌日にすっかりなくなっていた。
食べたかどうかがわからなくて、薬のせいで食欲が湧くので、いくらでも食べられる。
グループホームに来てからは、他の人達と同じだけしか食べていない。どの人もスマートで痩せている。肥えているのは、職員だけだ。食事を作ってくれるおばさん、介護ヘルパー、代表者も皆、結構太っている。
運動しないから、老人達は、少ししか食べないのか、健康にはその程度で丁度良いのか、痩せて細い老人ばかり。
母にもう少し自由があってもよいと思うが、冷蔵庫の中の管理が出来ないのだから、この方が身体には良いのだとも思う。
身体は調子よくなっても、認知症が良くなるわけではないだろう。
毎日、朝になると母はお化粧をして、よそ行きの洋服を着て、箪笥の中のものをすべて袋に詰めて、出ていけるように準備してしている。
一昨日も、昨日も、おでかけようの洋服を着て、ハンドバッグを持って座っていた。口紅をさして。
今日は、ハンドバッグの中を真剣に探していた。財布がどこにいったのかと、何度も何度も探している。
「今日はすしろうに行ったんでしょ。」と聞いた。誰に聞いても、行っていないと答える。母も「あら、忘れたわ。行ったのかどうかわからない。」
先日、職員が「すしろうに連れていきます。」と行っていたので、すしの好きな母は、「すしろう」でも喜んだろう。
 誰も、そこに行ったのか、何を食べたのか、まったく覚えていない。
最近、表情のなかった人が、笑いかけると、うっすらと笑みを浮かべるようになった。
私への警戒が少し取れたのかしら。
母の表情に豊かさが消えて行くのが心配だ。
  

Posted by アッチャン at 20:44Comments(0)日々の事

2009年08月17日

アルコールが怖い



 

なんでこんなに飲んでしまうのだろう。もう若くないのだから、気をつけないとと思いながら、昨夜もやってしまった。脳梗塞にでもなったらどうしよう、と恐ろしくなる。お酒はやめた方がいいなと反省。母のこともあって、毎日悶々とした日々が続いているので、楽しい事にしがみつきたいという思いが、反動になっている。

昨夜の来客で、買っておいた、ケーキが丸ごと残っている。母に食べさせてあげたいのに、施設では、食べ物の持ち込み禁止で、家に連れて帰るのも禁止されている。慣れるまでらしいが、1か月か、2か月か。そのうちに私は忘れられるだろう。
 昨日は、父の写真や、置物、エプロンと食器、ゴミ箱など、不足しているものを持って行った。前日パニック状態で怒っていた責任者は、入居相談者なのか来客の応対に追われている。一転して愛想よく、
「お母さん3階におられます。落ち着いておられますわ。」
エレベーターを鍵で開けてもらって、3階に行くと、母はエレベーターの前で、窓を眺めて立っていた。そのまま、エレベーターに乗せて一緒に、4階に。クーラーのない4階は、蒸し風呂のような暑さ。
母は「もうそろそろ帰らないと。こんなところでゆっくりしているわけにはいかないわ。」と言う。
「もう少し、食事療法とかいるそうよ。」
昼食前なので、すぐに私は帰らないといけない。病院では、べったりと母に付き添い、一日中話を聞いてあげられたのに、ここでは、母は集団の中に投げ込まれ、隔離され、一日中、窓の外を見ているのだろうか。
「夕方また来てくれるの?」と不安そうな母に、「今日は来られないのよ。また明日来るわね。」
帰り際、責任者が「昨日は失礼なことを申し上げてすみませんでした。」と。
 少しづつ、母の事がわかってくれば、母に依存症がないことを理解できるだろう。

 
 暇があると、私の頭は、母で覆われる。どうしているだろうかと心配で仕方がない。今日は午後、昼食を終わった頃に行こう。母を見舞うまでの長い時間が続いている。二日酔いでふらついていた頭が、ようやく回転を始めた。
母に食べさせてあげたい。冷蔵庫に中は、まだ食品がある。すばらくやめたいお酒がある。母が入院してから、毎日お酒がやめられなかった。
検診に行けば、きっとコレステロールは高くなり、肝臓も悪いと言われるに違いない。体重も異常に増えている。
 

  

Posted by アッチャン at 11:51Comments(0)日々の事

2009年08月15日

退院の朝



 毎日母と見た景色

 退院する朝、早い目に病院につくと、母はすでに、荷物をまとめて、洋服を着て帽子までかぶっていた。朝一番に、挨拶にやってきた人がいたという。並びの病室の家族の人が、「寂しくなるわ。」と言ってくださる。2ヶ月半にもなると、毎日話をしているうちに、特別の親しみが湧いてくる。それぞれ、お年寄りで、治る見込みのない患者さんをかかえている。お元気になられて、早くお家に帰られるといいですね、としか言えない。
 グループホームに行けば、しばらくお風呂に入らないかもしれないから、お風呂にいれてもらった。
「家に帰れば、大きなお風呂があるので、そこで入りますから。」頑固に拒んでいたけれど、遂に抵抗を観念して、入ると、ああ、気持ちが良かった、幸せな顔をほっこりさせている。
「この病院お終いになるそうね。夙川に帰ったら、片づけないといけないものもあるし、お掃除するくらいだけど。」
夙川に帰るつもりでいた母が、弟が来ると、今度は、私の家に行くと言っている。
「あら、夙川に帰るのではなかったの?」と私が云うと、弟の顔をみて「帰れないわね。」母は気を使っている。

 日に何度となく散歩した中庭。


 私は母をグループホームに連れていく勇気はとてもない。あとは弟夫婦にバトンを渡して、少し早めに病院を出る。
廊下で隣の病室の娘さんに「この病院、今日でなくなるんですって?」と母が尋ねる。困惑しながらも同調してくださる。
母の頭に中に、退院という意味がなくなっている。
グループホームでは、私的に何を食することも、飲むことも禁止されている。
巨蜂と小さなケーキ、それにいつも沢山飲んでいるジュースを持参していた。母は美味しいを連発しながら、またたくまの内に食べてしまった。
これからは制約されて、不自由な生活を余儀なくされる。グループホームも様々。隔離することで、安全を、食を持ち込むことを禁止することで、食中毒を防ぐ。
翌朝、施設に電話すると、母が勝手に出て行ったと言う。すぐに行きますと車を走らせた。母ではなく、昨夜から入った、もう一人の入居者が、扉が開いていたので、勝手に出て行ってしまったと大騒ぎ。母は聖心学園の修道女だった人と話をして座っていた。逃避した方は強靭な足の持ち主で、歩くのが好きで、夜中も歩き回っていたらしい。檻に閉じ込められた獅子の放浪癖。鍵をかけておいて、閉じ込めて、それで良いのだろうか。グループホームによっては、後をつけて見守りをしている所もある。それでこそ、人間重視の対応ではないのだろうか。
  

Posted by アッチャン at 22:30Comments(0)日々の事

2009年08月15日

 吉田さんを偲ぶ会



 

久しぶりにお客様を迎えて夕食買いを開いた。13日のお盆、パリのモンパルナスから、吉田さんが帰って来られているかもしれない。というわけで、
酒好きだった、吉田さんの代わりに、4人で、大びんのビールとワインを3本空けた。お料理を、あれもこれもと考えて、作りすぎた。
皆さま、ご持参の美味しい食べ物も加わって、飽和状態を超えたかも。なのに、けなげにみな食べていただきました。
私のお腹が悲鳴をあげていたのですから、お客様だって、そうだったに違いありません。
すぎたるは及ばざるがごとし、です。
でも、お酒と、料理が続いたので、それだけ、お話は楽しかった。時間のたつもの忘れて、気がつけば、最終バスはなくなって。お仕事で、間に合えば、と電話して来られた方が、来られなかったのが残念でした。
山の上の辺鄙な場所ですが、結構遅くまでバスがあるようになって、住みやすくはなっています。以前は、花金だけ、特別に最終バスの時間が設けられていたのが、ルーティンになって、平日は11時30分まであるのですが、お盆は休日ダイヤなので、短縮されるのが難点。
 暑がりやさんがいたので、家中のクーラーを全開させると、全館冷房で快適だった。寝る時も涼しく、朝起きてもまだ冷気が漂っていました。
まだ、食料が残っているので、誰か来ないかな。余韻を引きずっているのです。
 お客するのが結構好きなんです。私もそうなら、息子も人を呼ぶのが大好き。日本に帰ると、必ず誰か呼びたがります。寂しがり屋で、人好きなんでしょうね。加えれば、内弁慶。
  

Posted by アッチャン at 10:00Comments(0)日々の事

2009年08月11日

居座る患者


 


 昼食の時間、談話室のテーブルに座っているはずの患者さん達が、一人もいない。母と私だけ。台風の影響で、肌寒いから病室からでたくないのかしら。
 
 テーブルにかけられていた、ギンガムチェックのテーブルクロスはなくなっている。かわいらしい声で、老人の世話をしている看護婦長さんの姿が見えない。雨で外は薄暗いので、一層陰気で冷たい感じがする。

 「鼻に酸素チューブをしたお婆さん、今日退院されたそうですよ。」並びの部屋の奥さんが教えてくれた。
 「あんな状態で、家に帰されてどうするの。」と心配する。

 「赤い靴を履いた男の人がいるでしょ。あんなに元気なのに、随分長くいるらしい。病院の相談員が何度も来て、説得しているようだけど。不公平だわ。」

 私も不思議だと思っている。全く見た目には、病人らしくない。元気な人で、廊下を闊歩して、中庭でたばこを吸い、公衆電話の前に座り込み、電話をよくかけている。
 談話室で、患者と母親なのか、姉さんなのかわからないが、相談員と話しているのを何度も見ている。中庭で、娘さんか、患者の奥さんかわからないが、ものすごい剣幕で二人を前にまくし立てているのも、何度か見ている。患者は煙草をふかして、黙っている。困り果てたような年のいった女性の悲痛な顔。

 母が入院した時に、病院のパジャマ姿ではあるが、およそ病人らしからぬと思っていた。赤いスリッパのような靴が目立つので、人目を引いていた。相談員と何度もやりとりしている姿も目立つ。

 病院としては、退院か、その後の受け皿を相談していても、患者が退院に同意しなければ、居座れるということなのだろうか。
 
 ひどい状態の患者さんでも、3カ月が限度だから、泣く泣く退院して行く。今日、退院して行った、お婆さんも、車椅子と酸素吸入が必要で、ヘルペスで頭も顔も傷らけ。他の受け皿を探して出て行かれたのか、それともけなげに付き添っている、善良で年老いたご主人が家に連れて帰られたのだろうか。

 病院は、強制的に退院させることはできない。身体の不調を訴え、クレームをつけている限り、その患者を追い出すわけにはいかない。「シッコ」というドキュメンタリー映画では、医療費が払えない患者を、タクシーに乗せ、路上に捨てる大病院の現状を映していたが、日本は、それほど金権主義ではない。
 病院の経営が、危機に陥る原因の一端を目の当たりにしているような気がする。  

Posted by アッチャン at 02:59Comments(0)日々の事

2009年08月09日

命がけで頑張っている

 

母の退院が近づいた。談話室のテーブルに、テーブルクロスがかけられ、部屋から出て、そこで食事を取る老人が増えた。わけがわからないなりに、話しかけると、人懐っこく、純粋に返してこられる。良くなって、病院を出て行く希望のない老人達を見ていると、生命へのいとおしさを感じる。私って、結構お年寄りが好きなのだとも思う。
頭をいつも、スカーフで覆っていた、老婦人が、最近では禿げた頭をそのままに、テーブルに座っている。頭も、顔もヘルペスにやられている。
傍に行って、傷だらけの手を、腕をさすってあげると、「少し楽になってきました。」と言われる。胸が苦しくて、呼吸が出来ない、苦しいと訴えるので、看護婦さんに言うと、「いつもですから、大丈夫です。」と慣れっこになっている様子。
 そばにいて、優しく世話してくれるご主人が、来られない日、その人の胸はいつにもまして苦しいに違いない。
新顔の老婦人は、食事もそこそこに、部屋に帰りたがる。「おしっこがしたいんです。立ち上がらせてくれませんか?」とこちらを見て頼んでくる。
多分尿意は感じているのだろうけれど、看護婦さんは、「もう少し食べてから。」と動じない。おしめをしているのかもしれない。車椅子で、立ち上がれそうにない様子。笑いかけると、嬉しそうに笑いかけてくる。屈託のない笑顔が輝きを増す。
 表情を動かさない老婦人は、深く暗い世界に閉じこもったまま。食事を取ろうとしない。ただテーブルの前に座らされているだけ。
廊下ですれ違う患者さん、シャワーを浴びに部屋の前で出会う患者さん、並びの患者さんの付き添いで、毎日顔を合わせる人達、随分いろんな日人達と話をするようになった。
気がかりな人がいる。大腸ガンの手術をしてから、食事を取れないで、点滴だけの人がいる。毎日、夕方になると息子さんが会いに来る。母と散歩していると、必ず、談話室でお二人に会っていた。日ごとに、弱って行かれるので、なんとか早く食べられないものかと案じていた。
今週は、彼女と息子さんを一度も、そこで見かけることがなかった。点滴棒を押して出てこられる病室を覗いても、奥の方がわからない。
元気になられたのなら良いのだけど、出てこられないくらい弱っておられなければ良いけれど。
  

Posted by アッチャン at 02:32Comments(0)日々の事

2009年08月06日

母の魔力


 

 
 車椅子の老人は、全く無表情のまま、反応を示さない。奥さんが付き添って散歩している時もあり、息子さんも良く来られていた。じっとだまったまま、老人の車椅子を押し、照りつける中庭で、そばに立っている。反応がないのだと思っていた。手足は細い棒のようになっている。息子さんはいつも無言のまま、静かに寄り添っている。
 
部屋の並びに、脳梗塞で入院している老人は、痰がからんで食事が取れないので、胃に穴をあける手術をした。食べたいと言うのが辛いと、奥さんは、車椅子を押して廊下を何度も行き来して散歩しながらおっしゃる。早いもので、もうひと月が経った。今まで泊まり込みで世話して来られた。二人とも85歳だ。
 その老人は、私達には言葉は聞き取れないが、奥さんには、うーというだけで、手に取るようにわかる。
母の髪の毛が真っ白なのを、綺麗だと言っているのだそう。母は、その老人に会うと、ハンサムなお父さん、早く元気になってください。」と言って、手を取ってあげるのが日課になっている。遠くの方から、老人は、母を見ると、手を挙げて挨拶するようになっている。

 二人の老人の奥さん達は、すれ違うと良く話をするらしく、今日は、その二組と、母の手を取って散歩する私達と出会った。3か月でもうすぐ病院を出ないといけない無表情な老人は、有馬の温泉病院に行くそうだ。そこを除いて、どこも長期で置いてくれる病院はない。週に2回温泉に入れてもらえるから、と奥さんは言われる。以前に、病院を利用していた友人達からの評判を言うつもりはない。藁をもつかむ思いで、そこに落ちつかれるのだから。
 
 二人とも、胃に穴を開け、栄養はそこからしか取れない状態で、奥さん通し、共通の話ができる。二組とも芦屋の住人だ。

 ひと月になる老人は、宮地病院への転移を条件に、奥さんは、胃の手術に同意された。宮地病院に転移するには、入院後2か月以内でないとだめだそうだ。医療行政の貧しさに憤懣をかくせない奥さん達。

 母は、いつものように、手を差し伸べる老人の手を取り、「早く元気になってね。」と言うと、もう一人の奥さんが、「私の主人にもしてあげて。手を握ってあげて」と頼まれた。
母が、無表情の老人の前に行き、手を取って、同じように「早く元気になってくださいね。きっと良くなりますよ。」と声をかけると、全く無表情だった老人の顔が笑顔になった。
「まあ、初めてみましたわ。笑っておられる。」

実際、私もあんな風に笑顔になった老人を見てびっくりした。
母の威力はすごい、と思う。

奥さん達は、もう一度してあげてと母に頼む。そのたびに、笑顔が現れる。

母は、「可哀そう」との思いで、自然に手を取っているのだが、男は男、いつまでたっても、女性に手を取られるのは嬉しいのだろう。こんなことで、本当に元気になってもらえれば、母だって嬉しいに違いない。  

Posted by アッチャン at 23:07Comments(0)日々の事

2009年08月05日

 グループホーム

 
 

病院から外出するのは、2か月ぶりの母。外の景色にもあまり興味を抱かない。以前には、綺麗ね、と感嘆していたのに、どこにいるのかを把握できない。宝塚ゴルフ場のあたりまで来ると、「お父さんが良く来てたわね。」やっといつもの母に戻った。
 
 母のマンションに近い場所に出来た小規模のグループホームに入所が決まった。母はそのことを知らない。母は弟の家に帰るつもりでいる。最近、病院を出たくなって、毎日、午前中に行くと、帰る準備をしている。病院から、家には帰らずに、直接ホームに移動する。もう少し、治療が必要だからと、母を納得させるつもりだ。説明するのは、弟の役目。辛いだろうけれど、もうこの手段しか取れないのだから仕方がない。日中は、病院に行ったり、施設に入れる備品の事、退院後の医者探しなど、結構気が紛れているが、夜になると辛くて。胸が張り裂けそうになる。なんとか出来ないものだろうか、堂々巡りばかり、苦しく、泣いてばかりいる。
 
 母の箪笥を勝手にするわけにはいかないので、母を伴って、マンションにやってきた。それにもう一つの目的があった。退院後、母を診てもらう、かかりつけの医者を決めなくてはならない。ホームへ往診もしてくれる条件がいる。私が通える時は通うつもりだけど、行けない時には、往診を頼めなければならない。施設からは連れて行ってもらえない。これまでの血液検査のデーターをを持って、母が以前にかかっていた医院に行った。
 2年前に、介護の認定をそこでしてもらっていて、この9月が期限なので、そのこともあって、出来れば、その医者に、母を診てもらえないかと。
 
 医者は、血液検査の経過を診て、「膠原病らしいが、膠原病のどの病気なのかを突き止めるのは難しい。私もリウマチ学会に所属しているけれど、より専門的な先生と相談してみます。ステロイド治療は、骨破壊、感染症、肺疾患などを診ながら、治療しなければならないから。」と言われた。
認知症のテストでは、以前よりも大分進んでいる。介護度が上がるだろうと言われた。

 


 病院の看護婦長も、母にはグループホームが良いですよ、と勧める。入居する予定のグループホームは、部屋は狭く、共有の空間も狭いので、足腰の衰えが心配。生ものは出ないので、母の好きなお造りは、外出でなければ食べられない。トイレも洗面所も共有だから、寮の生活みたい。部屋に冷蔵庫は禁止。
 有限会社だから、料金は安くない。
 良さそうだと思った所は、2年待ち。今日、もうひとつ、グループホームを見学させてもらった。
部屋は広く、洗面、トイレ、IHの設備が各部屋にある。共有部分のスペースも十分だし、建物の中庭は散歩出きるようになっている。
 入居者は、仲良く楽しそう。値段は、安くて、半額に近い。デイサービス、リハビリ、特別養護老人ホームも兼ね備えている。これほどの設備と内容が充実しているのは、国からの補助金があるから。
 入居待ちの人も多い。「今一室空いていますが、待っている人が入居します。」3年待ちの人が見学に来たという。
 グループホームは、それでも高いので、特別養護老人ホームが空けば移りたい人もいる。特老は、200人以上待っている。


 



 母のマンションのある建物は、恒例の夏祭り。店が出ている。FM宝塚主催のライブや、盆踊りなど、小さいけれど、結構にぎわっている。  

Posted by アッチャン at 00:29Comments(0)日々の事

2009年08月02日

山中酒の店「まゆのあな」

 

山中酒店を知っていますか。酒屋さんだけあって、全国津々浦々の、銘酒がそろっています。
お酒にあう、創作料理が美味しいのです。
 南船場に、「まゆのあな」という店があります。
http://www.yamanaka-sake.jp/mayu/index.htm
                    店のホームページ

そこにおじゃましました。
例の大田和彦さんが紹介していた、酒処です。
店内のインテリアが落ち着いて、とてもよい感じ。約100種の地酒が冷蔵庫の中に並んでいる。
日本酒フアンの人には、こたえられない店でしょう。


カウンターに座ると、キッチンスタジアムさながら、お台所が見降ろせます。
おさしみの盛り合わせを注文すると、「すずきと鴨も入れますか?」と聞かれた。



鴨のさしみは初めて。魚のさしみとは別皿で鴨のさしみは後だし。ポン酢でいただく。
全然ひつこさがなく、少々脂が乗って美味。
生ハムと水なすと桃とチーズのサラダ、これは素晴らしい。家で真似してみよう。めちゃ美味しい。


若鳥とおくらの寄せ揚げも、この店の名物らしい。



舌びらめの煮つけ

 おそうめん

 南船場、この界隈には、魅力的な店がいくつかあります。ライブハウスも。ワンルームマンション、コンパクトな間取りのマンションがいくつか目立って、夜を楽しみたい、都会派には住むのに魅力的な場所。

  

Posted by アッチャン at 00:23Comments(0)旅のグルメ