2009年09月09日

少年よ、海に漕ぎ出す勇気を持とう


 


息子のブログに、彼の友人からコメントがはいっている。雲の中に突入した時に、感動で熱くなったという息子のブログに、よくわかるよ、というコメント。昨日は、A君と婚約者Sさんを乗せて、息子の操縦で、遊覧飛行をした模様。
A君は、アメリカ人の彼女と一緒に、日本に帰って来た時に、私の家にも来たことがある。
 ボストンのアパートで、私は初めてその人、A君を紹介された。息子が働いていた日本料理店で、A君は、キッチンで働いていた。海鮮味噌鍋を囲んで、飲んだあと、私はすっかり酔っ払って、アパートからの帰り道、木の陰に隠れたり、走り回って、挙句の果てに、つまずいて転んで、膝から血を流し、眼鏡を壊してしまった。気がつけば、ホテルのベッドの上に寝ている。息子のガールフレンドが、血のついたスカーフを洗ってくれていた。
 息子は、私の失態を笑い、ことの始終を話してくれたが、A君にも、ガールフレンドにもお世話になり、とんでもない母親だと呆れられたに違いない。
A君の生き方を見ていると、人間は誰でも、健康でさえあれば、そして、志を持てば、自分の道を開き、幸せを手にすることが出来るのだと思う。
彼は、四国の愛媛の人で、母親が、どこかの新聞で、「ボストンのパン屋さんが、パン職人になりたい人を募集している。」という記事を見つけて、そのことを聞いた彼は、アメリカに来る決心をした。息子が当時働いていたパン屋で、二人は、知り合った。パン屋から、一緒にかどうかは知らないけれど、同じ日本料理店で働くようになった。彼はキッチンに入り、すし職人の道を歩み出した。地道にこつこつと仕事に励み、節約してお金を貯めていた。 

 A君は、下働きから始まって、怒られながら、怒鳴られながらも、大人しく、黙々と仕事を覚えた。帰りたくても、交通費は貯蓄に回し、日本には何年も帰らなかった。
 A君は、一人前の職人に育ち、息子よりも、遥かに高給取りになった。
私がA君に初めて会ったときに聞いた、A君の夢は、「両親に親孝行がしたい。アメリカに招待したい。」ということだった。それもかなった。アメリカ人の優しい彼女も出来た。休みには、彼女とバーミューダーに遊びに行く。ニューヨークには、レストラン回りで、舌のチェック。彼の目標は、自分の店を持つこと。その実現も、そう遠くないにちがいない。着実に自分の道を切り開いて来た。
少年よ大志を抱け。草食系男子だとか、女装趣味の男の子達よ。海を越えて、荒波にこぎ出す勇気を持って、自分の未来に絵を描いてほしい。
 だれでも、やる気があれば、幸せを自分の手で掴むことが出来るのだと、A君からのメッセージ。
  

Posted by アッチャン at 14:35Comments(0)日々の事