2009年09月30日

定検診は受けなくちゃ

 
 

http://r.tabelog.com/osaka/A2701/A270101/27000457/ pane e vino

五木宏之にあやかって、一年ほどの間、医者知らずだった。体重は増え、お酒の量も増え、コレステロールが気にはなっていたけれど、去年受けた血液検査の数値が良かったので、それまで飲んでいた薬をやめ、次第に食べ物に気を使わなくなっていた。母の入院も手伝って、家に帰ると、必ずお酒に手が出る。「一日のストレスは、その日におさらば」なんて勝手に理由をつけて、飲む。飲むと食事の量が増える、という悪循環で、気がつくと、メタボ間違いなしだと怖くなった。鏡に映る姿の、なんという醜さよ。医者にいかなくちゃ、血液検査してもらわなくちゃ、心は焦るが、結果が怖いから、母の忙しさを理由にして、日延ばしの日々。
そこに、インフルエンザがやってきた。私が懸念しているのは、風邪でもないのに、咳が出ること。喘息では?と疑われる。そこに風邪をひくと、ひーひー、ゲ‐ゲ‐、咳が酷くて、普通の人なら、1週間もすれば、ケロリと治ってしまうのに、2、3週間咳が続く。


グリーンサラダとチーズ

やりいかとイカスミのスパゲッティー
 今の所、かかっている医者は、整形と消化器が看板なので、今度、見てもらうのなら、循環器の専門医に、と思っていた。私なりに、食べ物に気をつけ、禁酒日を作って、体調を調節してから、検査に行ったのに、出た結果は、惨憺たるもので、途端に気落ち。
 コレステロールは、今までの最高記録を更新した。悪玉コレステロールが多く、アルコールによる、脂肪肝の数値と、肝臓の数値が高い。
「コレステロールの薬をやめたからでしょうか?」
「運動と食事療法をして、お酒をやめて、2,3ヶ月後に、検査しましょう。」
[運動も、食事療法もしているのですが]
「常習になっていたら、薬が必要でしょうが」
「薬に頼らずに、やってみます。」と言って帰って来た。
懸念していた、肺は以上なかったし、大腸癌の検査も、肝炎の検査も異常なし。

マルガリータ



 検査結果が悪いと、たちまち、健康お宅よろしく、頭の中にカロリー計算機を持つようになる。食事の量と食べ物の選別が始まる。長らく、敬遠していた、体重計にも、乗るようになる。3キロ体重を落とそうという目標が出来た。結果を見なくても、最近、足の裏が、痛くなって、これは体重の重みのせいだから、ダイエットしなくちゃ、と思っていた。
検査は、時々、定期的にやったほうが良い。検査をしないと、「まあ、いいや、大丈夫だろう」と楽観的で、自分の都合のよいように、勝手に判断して、暴飲暴食に走る傾向の大なる私。五木宏之のように、「足るを知る」ことも、「直観に照らす心」からも程遠く、至って軟弱にして、自己愛が強い。客観的データーが必要だ。それによって、軌道修正しながら、行きすぎたら、戻る、を繰り返すしかない。
 数値の目標が出来たので、それに向かって、日々の努力が始まったばかり。外食は、美味しいもの食べて、お酒も飲むと決めている。手綱は、引くばかりでは切れてしまう。時折緩めて、調整しながら、走らせなければ、前に進まない。

 PANE E VINO
 
 日曜日と祭日は休み
予約が基本の店です。
 曽根崎1-1
 
06-6365-8456  

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2009年09月29日

イヤフォーンを使うのはほどほどに。



 

ヨーロッパ委員会は、CDなどのイヤホーンを最大の100デシベのボリュームで数週間聞くと、聴覚を失う危険性があるので、レベルを80に落とすように改正する。
私の母は、耳が聞こえにくい。以前に、補聴器の専門店で、母に合わせて補聴器を作ってもらった。80万円だった。作った頃は、まだ母の記憶力はしっかりしていて、何の問題もなかった。認知症と診断されてからも、補聴器を使うことにはなんら問題なかったが、最近では、大切にして保管するのは良いが、その場所を覚えていないので、周りの者が探すのに一苦労する時もある。
グループホームでは、補聴器の扱いを拒否されて、母は補聴器なしで、ほとんど耳が聞こえない状態で生活を余儀なくされている。
 ホームの中で、母ほど耳の聞こえない人は他にいないようだ。
母は、他の人が何を言っていても、全く聞こえない。耳元で、話せば聞こえるけれど、他の老人達が、そういうことまで母の状態を把握出来ない。
 父も、片方の耳は、中耳炎でこじらしたために、聞こえなかったので、家では、テレビの音がガンガン大きかった。私の声も、自然に、大きくなった。耳は、騒音の中にいると、益々聞こえにくくなる。話が聞こえにくいから、家族の声は大きくなる。


 母が、これほど難聴になってしまったのには、理由がある。
以前に、イヤフォーンを使いすぎると、難聴になると聞いたので、母に忠告したことがある。母は、机に向かって仕事をしながら、常にイヤフォーンを使っていた。イヤフォーンを使う以前は、母の傍で、株の短波放送が1日中かかっていた。それが煩くて、たまらなかった。話しかけても、上の空で、短波から流れる、株の値段の変化を聞き逃さないように聴いている。
 父に、注意されたからか、それとも、イヤフォーン付きのに変えたのかわからないが、いつの頃からか、イヤフォーンを使うようになった。会社の経理をしながら、1日中、株の短波放送を聴いていた。短波放送を1日中、聴かなくなったのは、テレビで、常時株の値段が見られるようになってからだが、仕事部屋にいる時には、使っていた。父が生きていた頃は、母は、自分の聴きたいものは、常にイヤフォーンを使っていた。


 


父が亡くなって、イヤフォーンがいらなくなった。CDをかけて、部屋で気を使うことなく聴けるようになったが、その頃から、難聴が始まっていた。
 私も、実は以前に、結構イヤフォーンを使っていたのだが、難聴になると聴いてからは、常時使うことをやめた。息子にも、注意したことがあるけれど、こういうことは本人次第だから、止められない。
私も、右の耳が聞こえにくい。私の場合、風邪で耳の水が溜まっていたのが原因だろうと思っている。聞こえにくいので、図ってもらった時には、それほど悪い状態ではないと言われたけれど、その後、進んだように思う。左を閉じれば、聞こえなくなる。劇場に行くと、観客が笑っているのに、何を言っているのか聞こえない。良く通る声と通らない声で、聞こえ方が随分違う。右の耳まで聞こえなくなったら、いやだからと、プールで泳ぐのをやめている。耳は聞こえなくなって、その大切さを思い知らされる。片方の耳が、全く聞こえなかった父は、悪い方で話をされると、聞こえなかった。車の免許更新に、叔母がついていって、聴覚検査では、どちらの耳に聞こえなければならないのか、手で合図をしていたという。


 



 母の一生は、株人生だと言っても過言ではない。今は、自分で管理出来ないので、株の取引は禁止状態。そして代償として支払った、聴力も失った。母は、本来、かけごとが好きなのだ。父と良く賭けていた。相撲で、野球で、どちらが勝つのか、勝負すると、勝つのはいつも、母だった。
父は、私にも「おい」ともちかけてくる。私は、負けるということがわかっている。勝つのはいつも父なのだ。花札をすると、不思議な事に、坊主は、父のものになる。坊主、マル儲け。負けず嫌いの人間でないと、勝負運はつかない。
 母は、父よりも、遥かに勝負運が強い。決断力の早さ、大胆さ、思い切りの良さは、父などとてもかなわない。足を引っ張る、邪魔なプライドもなく、謙虚で、誰からも空かれる性格だけど、頑固一徹、何が何と言おうとも、びくともせずに、絶対にやめなかった、株。その醍醐味を一番良く知っているのは母なのだろう。好きで好きで仕方なかったに違いない。




父の友人で、子供時代、母のように、「極貧」を体験した人がいた。父が、野球に誘うと、背中に、赤ちゃんを背負って参加した。「おい、なんとかならんか」と父は不服だったようだ。父との友好関係は長く、損害保険の会社を作り、資産家になった。その人の生きがいは、やはり、株取引だった。癌に侵され、病院のベッドで瀕死の床にあるときに、父母が見舞に行くと、株の短波放送を聴いていた。株だけが、最後まで残った、唯一の生きる支えだった。こういうことは理屈ではかたずかない。情念というべきか、情熱というべきか。言えることは、その人は「生きる希望に燃えていた。」ということだ。母にしても「死んだらおしまい。長生きしなくちゃ」生きる希望に燃えている。株というのは[勝ちのかける]勝負事。先には、勝利しか見えない。

イヤフォーンはほどほどに。




  

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2009年09月28日

中之島デートコース「東洋陶磁美術館」へ

 

 中の島と言えば、フェスティバルホール、大阪に世界からのアーティストや交響楽団を迎えることの出来る本格的な音楽ホールとして、長年に渡って働いてきた。新しい建物に生まれ変わるために、現在、解体中。震災後の、アスベストを思わせる。水を放出しながらの解体作業。



 
 フェイスティバルホールを挟んで、北と南に流れている淀川の間にあるのが、中の島だ。川沿いの緑の木々の間に、彫刻がいくつもあるので、それを眺めながら歩くと楽しい。肥後橋から淀屋橋まで、歩いて10分くらい、川面に日がさして、きらきらと美しい。


 市役所の横にある花壇に沿って、水都大阪の水を使った、ミストが噴出して、そのあたりを通るとひんやりと気持ちが良い。



 市役所の中に、巨大なロボットが


 
 中之島にある「東洋陶磁美術館」に入ると、水都大阪2009を開催しているので、その間は、何度でも再入場できるらしい。チケットを買ったら、再入場に、と言って、チケットをもらった。




 この美術館は、世界でも名だたる、東洋陶磁器の名品を多数所有している。その上、いつも空いているから、ゆったりしていて、休憩をかねて、名品を鑑賞できる。 


 
 陶器の目を肥やすのにも、絶好の機会なので、是非、足を運んでみてはいかがでしょう。

  

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2009年09月27日

水都大阪、1「なだ万」でお値打ち抜群の高級懐石

 
 水都大阪の模型(市役所内)

 10月12日まで、水都大阪2009が、中の島を中心にして開催されています。デートコースに、こういうのはいかがでしょう。友人のブログを真似してみました。

 大阪のJRの西側にある高架下から、リーガロイヤル行きの無料送迎バスが5分ごとに運航しています。
ここからは、ハイアット、帝国ホテル、ウィエスティンなどにも、送迎のバスがありますから、まちがわないでください。リーガロイヤルホテルは、地下の名店レストランが、税込、サービス込で3450円の特別料理を提供中。私のお勧めは「なだ万」その日は、団体さんが入っていて、通路側の喫煙席なら空いているということで、仕方なく、そこに案内してもらいましたが、まったく問題なく、ゆっくり出来ました。中の良い席を予約しておかれると良いでしょう。

 料理は、順に出される、懐石で、最初から、最後まで、どれをとっても、火の打ちどころがありません。
さすが、「なだ万」です。

 二段重ね、上段糸造りの烏賊とトロのお造りと玉子どうふ
下段は、鯛の昆布占め

お酒は、「なだ万」と「越の寒梅」が、燗酒。さすが、料理に選ばれる、お酒も選ばれたもの。

 。タコと季節野菜の煮物とカワハギの焼き物とじゃがいもの揚げ物

 炊き込みご飯、量があり、ご飯5杯分はありますが、牛蒡やこんにゃくが入って優しい。

 シャーベットとコーヒー付き



 ホテル内は、ゆったりして、ウィンドーショッピングを楽しむのも、良いでしょうが、腹ごなしをかねて、中之島まで、川沿いに歩くのも良いですよ。散歩道に、彫像が、沢山あって、中の島を、パリのように、芸術の中之島にしようという雰囲気が伝わってきます。



   

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2009年09月26日

民主党政権への期待

 

秋晴れが続いている。我が家の向かいの家で、塗装工事が始まった。私の家を塗装してくれたアローペイントの職人さん達だ。大きな家だから、工期は長くかかりそう。

家を塗り替えるなら、全く違った色にするのも良いなあとも思う。私の家は、以前と変わらないように頼んだけれど、坂道を駅に歩きながら、塗装が気になって見ていると、やわらかなバイオレットや、落ち着いた、ヨーロッパ調の抑えた黄褐色も素敵だなと思う。

 違った外観に衣替えするのも楽しいだろう。新しい家を建てたという気になるかも。どんな風に変わるか心配で、慣れた方が無難だと思ったけれど、冒険して飛躍する勇気があれば、生まれ変わって、リフレッシュな気持ちで生活出来るような気がする。

 それは、どんなことにも言えるだろう。うんざりするほど長く続いた、自民党政権から、民主党に政権交代して、私は、やはりわくわくしている。車のない、長妻さんが、官邸に呼ばれたときに、歩いてやってきたのを見て、この人なら、国民は納得するだろうと思った。深夜に及んだ、大臣の就任挨拶を眠気を押さえて熱心に聞いた。閣僚は皆「やってやるぞ。」という気概に燃えている。

 鳩山総理のソフト外交と、実直で控え目だが、ストレートな岡田外相が、アメリカと対等な関係を築きつつ、アジアの国々との共同体を構築していけることに期待をかけている。今までのように、金魚のふんみたいな関係、アメリカのご機嫌取りと腫れものにさわるような、従属した外交を「友愛」色に塗り替えてほしい。

 国土交通大臣に就任した、前原さんは、中学時代、父親が自殺している。真面目で、優しく、曲がったことは大嫌いな性格、奨学金をもらいなが、大学まで出た苦労人だから、忍耐力と決断力、実行力は十分に養われている。閣僚の中で、今、一番やっかいな問題が山積している。八っぱダム工事の中止に加え、日本航空の問題がのしかかってきている。改革の要にある問題ばかり。どう突破してくのだろうか。

 子育て支援の問題で、富めるものにも、一律に2万6千円を支給することに、反対だという意見が出てきている。子供がほしくても産めない人は、高額の負担がかかる不妊治療に、健康保険の適用をしてほしいと訴える。保育所の充実の方が大切。学校給食をただにしてほしい、等、国民の要求は、言いだせばきりがない。

民主党の議員は、皆、精一杯頑張っているが、壁は厚く、膨大な広さと奥行きがある。一つ一つ、丁寧に、根気良く、仕事を続けるしかない。官僚の壁は、崩せなくても、官僚の壁を、燃える政治家色に塗り替えることが出来れば、上出来。壁は厚く、一気に破壊することは出来ないのだから。  

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2009年09月25日

敬老のプレゼントに、 有馬の馳走所「関所」と温泉

 
 


連休が終わったので、有馬も空いているだろうと思い、母に美味しいものを食べさせてあげようと思い立った。敬老の日に、何をあげても覚えていないから、一時的にしても、美味しい食事の方が良いだろう。有馬温泉の入り口にある、割烹の馳走塾「関所」に朝電話で予約を入れた。



前日の夕方、母を5時に施設に送り届けた時に、代表がいたので、「明日の昼食はいりませんから。」と言うと、「明日は、午後から仁川でカラオケがあるので、希望者を連れて行きます。」と言う。「それなら、明日はやめて、連れて行ってください。母も喜びますから。」と言うと、「千円かかります。」と言う。他の日に、英語と謡曲も千円で参加出来ると言う。この下でも、いずれはピアノがあるので、音楽教室をするが、母は耳が聞こえないから、無理ですわ、と言う。筋力体操もするらしい。それらは全て、別に参加費がかかる。グループホームの人達の為のカリキュラムではない。
家に帰ってから、電話をして、「やはり迎えに行って、外出します。」と言うと、彼女は「慣れるまでは、辛抱してもらわないとだめですよ。」と言うので、「母は慣れていませんか?」と切り返す。母は、至って、大人しく、他の人とも仲良くしていて、なんら迷惑をかけるようなことはない。

翌日、母を迎えに行くと、やはり彼女がいた。カラオケと言っていたのに、英語教室に変わっていた。この人の話はいつも、全く信憑性がない。
 母を乗せて、ゴルフ場の間を抜けて、有馬に向かう。母は何度もバッグを開けて、お金がないのを気にしているので、「外の景色を見てよ。」と言いたくなる。私が話しても[何も聞こえないわ。」と言う。母は、一方的に自分の話をしている。



 
「関所」は、ひと組の客がいるだけで、空いていた。連休の間は、満席だったらしい。「雰囲気が良いわね。」と母は喜んでくれた。以前に来たことを覚えている。月替わりで、献立が変わるということだけど、鯛の荒だきと、お肉のステーキはいつも同じ、突き出しのお料理、お造り、鍋が変わっている。
 鍋は、有馬の金泉をイメージした赤いスープに、墨そばの鍋だった。味はお墨付き。







食後に、デザートコーヒーがつく。季節の栗をつかったプディングで、母はとても喜んでいた。そのあとにまた、ほうじ茶と炭酸せんべーまで出た。



時間をかけて、ゆっくり食事させてもらえるのが良い。有馬に来たのだから、「康貴」で温泉に入って帰ろうと、行ってみたら、休みだった。朝、電話したら、通じないので、多分休みではないかと思っていた。連休の間は営業していただろうから、休日をずらしたのだろう。




「 太閤の湯」は営業していた。母が温泉に入るのは久しぶり。一回しか浸かれないが、気持ちが良いと喜んでいた。まだ、こうして来られるのは元気な方。代表とやりあっても、母に美味しいものも食べさせてあげたい。温泉にも連れて来てあげたい。一緒に散歩しても、美味しいもの食べたことも、温泉に入ったことも、すぐに記憶から消えてしまっている。せいがないな、とも思うが、一瞬の永遠の時間を、母が持てれば良いのだと思う。その時の至福、その時の味覚が、永遠なのだから。


 

5時には、まだ時間があったので、家でコーヒーをたて、バームクーヘンを少し食べてもらった。母は、テレビを見て「おもしろいのをしているわよ。」画面に出る字を追いながら、興味を持って見ている。
「そろそろ送っていかなくちゃ」と言うと
「あなた、これからどこかに行くのでしょう?」
「いいえ、行かないけど5時までに、お母さん送って行かないといけないから。」
「じゃ、電話して、明日にしますから、と言うわ。」
「それが出来ないのよ。帰らないとだめなんですって」
「うるさいところなのね。」母は、どこに帰るのかがわからない。遠くまで、私が運転して送ってもらうのが、心配で仕方がない。
  

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2009年09月23日

お彼岸 



http://www.isshinji.or.jp/index.html 

朝、朝日テレビを見ていると、日本のミステリーというテーマで、大阪の四天王寺にある「一心寺」が取り上げられていた。人骨で出来た仏像が祭られている。江戸時代から、お祭りしていたお骨の置き場所が一杯になり、お坊さんが、お骨を砕いて、仏様を作ることを思いついたのが始まりで、現在まで3百万人のお骨が納められたという。この寺は戦争で焼失し、その灰で、第一仏像を再建したので、今までに七体の仏像が出来ている。最近では、お墓を持たない人が増えて、納骨は増加の一途だという。お坊さんが、すり鉢で、骨を粉にして、仏像を造る。一〇年に一体新しい仏像が出来る。
 そうだ、お彼岸だった。母のお供で、お盆とお彼岸に、一心寺にお参りしていた。母の両親、母の幼い頃亡くなった姉妹、母の妹も、亡くなったら、ここに分骨してほしいと言っていた。従妹が最初に生んだ男の子が幼くして亡くなって、ここに納骨したとも聞いている。お墓を作られない人、作らない人、遠い田舎にある墓から、お骨を持って来て、この寺に納めている人、法然上人が開いた浄土真宗のお寺だが、宗派を問わずに、受け入れる。
 最近、母が行けないので、私が、母の代わりにお参りしている。信心しているわけではないが、母の両親、私にとっては祖父母に会える場所は、一心寺だけ。母がしていたように、花とお線香、ろうそくを買って、お供えして拝んでから、お詠歌をあげてくれる所に行き、名前を書いた札と、寄付金千円を納める。
 
帰り道、地下鉄で いつも気になっていながら、なかなかいけない、一人暮らしの叔母を訪ねた。毎日、どこかの医院に通っているが、連休だからいるだろう。敬老の日とかねて、コーヒーと,お寿司を少し買っていった。161センチだったのに、私と変わらない。骨そしょうで、2度、入院しているうちに、154センチになってしまった。体重は39キロ、「生きていても仕方がないので、早く迎えに来てください。」とお祈りしているという。
綺麗好きで、部屋はすっきりと片付いている。ヘルパーさんが来て、掃除と買い物をしてくれる。仲の良い従妹が世話してくれるので、彼女に頼り切っている。毎日電話で話をし、時々泊まりにやってくる。近くに、以前から親しい友人がいて、時々電話がかかってくる。
「一人で生活しているのだから、たいしたものだわ。」と私は言う。叔母はヘビースモーカーで、癌の手術も、骨ソショウも関係なく、煙草は相変わらず。健康に、頓着していない。「いいかげん、死んだ方が楽だわ。」とあっけらかんと言う。
仲の良い4人姉妹のうち、生きているのは、叔母一人になっている。他の3人は、皆、癌で亡くなった。姉妹の末っ子で、薄情なと姉妹から言われながら、執着心がなく、あっけらかん、ケセラセラの性格だから、長生きするにちがいない。まだまだ、大丈夫。

 車窓から、赤い彼岸花が咲いているのが、あちらこちらに見える。彼岸の西日が燃えている  

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2009年09月21日

 政権交代は、3本の矢で強固なものに


 

http://www.ozawa-ichiro.jp/official_trip/index.htm

 日本の政治を変える機会は何度かあった。小沢さんが自民党を離脱して、「自立と共生」を目指し、細川内閣を成立させ、消費税に変わる、国民福祉税を構想した。
寝耳に水だと、反対した新党さきがけの、武村さんは、先日、小沢さんについて、政界から事実上引退して、隠居の境地になったらどうか、と言っていたが、あの時点で、
国民福祉税の導入に、賛成し、他の会派を纏めていたら、はるかに、早く、二大政党が実現していたのではないだろうか。細川政権は8カ月で崩壊し、自民党が社会党の村山さんを総理に祭り上げて、
自社連合政権で自民党が返り咲きを果たして以来、政権交代は実現出来なかった。当時剛腕で我儘だった小沢さんから、「下駄の雪」扱いされた社会党は、村山さんが、自民党に祭り上げられ、社会党の原理原則を曲げたことで、議席をなくして、今や7議席しかない。小沢さんは、自民党を離脱して、5年後に、自由党は、自民党と、連立するが、公民党が入って、小沢さんの求心力が薄れ、自民党との連立を離脱する。その際に、自由党は割れて、自民との連立に残った22人は保守党を結成する。さきがけから、管さんと民主党を結成していた鳩山由紀夫は「小沢さんは政治家として終焉を迎えようとしている。」と発言しているのは、この頃。しかし、その後の選挙で、保守党は、議席をなくし、7議席になり、その後、自民党に合流。
2003年9月、自由党は民主党と合併して、小沢さんは、代表代行に就任、2006年、4月に民主党選で、代表に選出される。
「変わらずに生き残る為には、変わらなければなりません。」ヴィスコンティ―の映画[山猫]で没落した貴族の言葉を引用し、「まず、私自身がかわらなければなりません。」と述べている。
鳩山内閣は、今、77パーセントの支持を得ている。これは、かつて、細川政権誕生時と匹敵する支持率で、鳩山由紀夫を、細川護煕に準えて、心配するコメントがあるが、問題にならない。
 この長い、野党時代を体験して、小沢さんと鳩山さんは、政治家としても人間的にも、大きく成長している。小沢代表の元で、鳩山由紀夫と管直人とのトロイカ体制(権限分離)を作った。
1本の矢は折れるが、3本纏めれば折れない。3人,3様に、育ちも、性格も、理念も違っている。その3人が、官僚政治を打破して、政治家主導の政治を目指し、小沢さんの[自立と共生]は、鳩山由紀夫の
[友愛]政治と、共に共生している。
小沢さんは、長老でも、ご意見番でもない。折れない矢のかなめにいる人だ。すごい政治家だと思う。表舞台から遠ざかって、かつては、という人達が、小沢さんについて、あれこれ言っているが、
実践主義、現場主義の小沢さんから見れば、(絵に描いた餅)を食べているとしか見えないだろう。
それにしても、小沢さんが幹事長であることに、賛成者と反対者は半々だ。

   

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2009年09月20日

 週刊文春の記事から見える



医院で、週刊文春を手に取ると、「私を裏切った由紀夫君と幸へ」という実名で、幸さんの前夫の手記が載っていた。
宝塚退団後、結婚してサンフランシスコで、ウエイトレスをしていたと、幸さんは、テレビで言っていたが、ご主人が
経営しているレストランで、他のウェイトレスと衝突がすごくて、ご主人が、仕事をやめさせたと書いている。これを読むと、
息子がレストランのマネージャーをしていたので、ウェイトレス間のもめ事が多い事は聞いていた。チップを巡っての金銭トラブルが多い。
幸さんの口癖は「お金のある人でないとだなの。」「有名人に弱い」などと、元御主人、サイドの関係者達が書いていて、ご主人の留守中に、
鳩山由紀夫が、家にやってきていたこと、鳩山由紀夫を世話していた人達が、彼は、金持ちの坊ちゃんだから、お金を払うことは一度もなかったなどと書いている
 二人が結婚することになって、鳩山由紀夫のお母さんが、元御主人に謝りに来たが、当の二人からは何もなかった。由紀夫がアメリカでお世話になった、元御主人のお兄さんが亡くなった時に、花を贈ったのは、弟の邦夫からで、由紀夫からは何もなかった、などと書いている。
 私の推測するところ、幸さんが、ターゲットとして申し分ない「勉強が恋人、女性と言えば、母親、お金持ちのエリートで、家柄の良い由紀夫さん」に、レストラン経営のご主人から鞍替えしたのだと思う。ハンサムで優しい、年下の鳩山由紀夫は、彼女にマインドコントロールされたのだ。
弟の邦夫さんが、言う。[兄は小さい時から、要領が良かった。怒られるのは、自分の方だった。][兄は、ハトでも腹黒い鳩だ]鳩山由紀夫の顔つきは、随分変わっている。最近は、鳩山邦夫に目つきの鋭さが良く似てきた。 由紀夫は、どんな色にも染まる、カメレオンのような性格で、柳のように、曲がりながらも折れないで、したたかに有利な立場を選択出来る性格だ。服装から、パフォーマンスにいたるまで、幸夫人にお任せで、仲の良い夫婦関係を披露しているが、幸夫人の創造物として、振る舞いながら、政治の世界では、出会う政治家にマインドコントロールされながら、カメレオンのように、それぞれの場で、その知恵と力を吸収しながら、今に至って、「総理」の椅子を手にした。ライオンの懐に入って、ライオンの衣を着るようになった。
 総理の椅子に座るのは、この春まで、小沢一郎のはずだった。
西松問題で、検察の行すぎを、避難して小沢さんを擁護する,発言をしたことについて、今でも検察を告発するのか、と総理になって質問されると、
「一度だけ、そういう発言をしたけれど、その後、反省して一度も発言していない。そのことで、察してほしい。」
 幹事長から、代表への立候補へ、鳩山由紀夫の頭の中に描かれていた、数学だった。
今の民主党のマニフェストは、小沢さんのリーダーシップで、小沢さんの政治のヴィジョンだ。
 幸夫人が、鳩山由紀夫のスタイルを作り、強かさを強化し、小沢さんが、政治家としての、覚悟と責任と忍耐を鳩山由紀夫に植え付けたのだと私は思うが、それを知って、利用したと鳩山由紀夫は
自負しているかもしれない。駒を動かしているのは、この私だと。駒を動かしているのは、小沢さんだ。小沢政治を遂行している限り、小沢さんからクレームが出ることはないだろうが。

この政権交代は、官僚支配の政治から、国民主在への、革命的なものだ。
経営者中心から、労働者中心への移行だ。

民主党のマニフェスト通りに、国民への約束を実行に移すことができ、なおかつ財源を確保できるだけの経済バランスが取れるのなら、蟹工船で働く労働者はなくなる。
  

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2009年09月20日

 母の楽しみは、神戸屋


 神戸屋のシュー

 土曜日の夕方、友人と映画「ココ、アヴァン、シャネル」を見る約束をしていた。西宮の映画館は、席数が少ないので、朝の内に、チケットを買っておかないと、買えないかもしれないという懸念にかられた。検査の容器を小林の医院に届け、西宮まで足を延ばすと、ガーデンはまだ、人気が少なく、ガランとしていた。連休の始めなので、どこかに行く人が多いのだろうか。
電車で折り返し、車を置いている小林に着くと、安売りの店ばかり。庶民的で、暮らしやすそう。午後は出かけるので、梨の袋詰めを買い、昨日買っておいた、伊藤園の野菜ジュースを持って、母の施設に面会に行った。母は3階にいるが、野菜ジュースを4階にまず運んだ。エレベーターのカギを開けてくれたヘルパーが、(お母さん、トイレにバリケードを張って、いくら外から叩いても、出てこないので、困りました。)という。
 (トイレに鍵がないからでしょう。母は慎重なので、外から開けられるといけないから、戸口を何かでふさいでいたのです。)
戸口を叩いても、耳が聞こえないから、聞こえなかったのだろう。中にバリケードを張って、籠城しているわけではない。朝、一番にトイレに入って、出てこないので、その夜、たまたま泊まりだったヘルパーさんが、パニックをおこしたようだ。彼女曰く
(朝、薬を飲んでもらおうとしたのに、出てこないものだから。それを飲んで安静にしておくようにとの、指示が出ていたので。)
ヘルパーさんに、あれほど指示したこが、逆になっている。薬を飲んで、30分間は、起きていなければならないのだ。休んだらだめなのだ。
 週に1度の薬だからと思っていても、宿泊者が変わると、連絡がついていない。
例のリア王は、一人だけ4階にいる。大声で怒鳴り回っている。[痛い,痛い、我慢できない。帰せ。帰せと言ってるのがわからんのか。4階で彼だけの為についているヘルパーは怒鳴れっぱなし。私は野菜ジュースを母に飲ませてくれるように依頼して、ついてきたヘルパーと3階に。
 「あの方、入ったばかりで、慣れなくて。」
3階には、他の12人が、いつものように、テーブルに座っている。昼食を支度をしている女性に梨を渡して、母の座っている所に行った。
母はいつも、神戸屋が見える窓際にいる。一緒に座っている人は、母から神戸屋の話をいつも聞かされている。
「あなたが来てくれたから、一緒にどこかに食事に行きましょう。」と母は言う。
美味しそうな、昼食は、ほとんど出来ている。「昼食が美味しそうだから、また今度ね。」しばらくして、長崎皿そばが、各テーブル運ばれるのを見ると、キッチンで見て、想像していたのとは違って、通常の三分の1くらいの量しかない。母は、あれではいつもお腹を空かしているに違いない。毎日、神戸屋を見ながら、私が来ないかな、と待っているのだ。
「また来るわね。」というと、
「いつ来るの?今日また来る?」
「明日ね。」と言って帰って来る。しまった。昼食に連れ出してあげればよかった。あんなに少ない量だとは。大食漢の母にはとても足りない。
  

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2009年09月19日

財があっても使えない


 

母の入院、施設への入居、屋根の外壁の塗り替えなど、忙しくて、私の体チェックは、伸び伸びになっていた。子宮癌検診は、少し遠いけれど、
これもインターネットで調べて、良さそうだと思った所に、年に一度通っている。京大出身で、物静かでとても親切なお医者さん。
 先日、検査をしてもらって、健康保険を忘れていたので、翌日の午前中に、持っていくようになっていた。
近くに、アイアイパークがあるので、母を連れて行ってあげたくなり、翌朝、外出願いを電話でして、母を迎えに行った。天気も良し、母は気分が良くて、鼻歌を歌っている。アイアイパークにある、レストランで、昼食を取るつもりで行ったら、お洒落なレストランはなくなっていて、パンをメインに売る店で、ランチが3種、セルフサービスの店に変わっていた。開店したばかりで、パンが全品100円、随分沢山の人でごった返していた。
 盛りだくさんのランチで、ケーキもパンも食べ切れずに残ったくらい。スープと飲み物、グラタンに、サラダ、鳥と魚料理などついて、好きなミニパンを3つ選んで、700円足らず。



 お腹が大きくなって、植物販売所をぐるりと散歩した。ここは、園芸の道具から植木、花など、揃っていて、隣にある公園も広い。まだ時間が早いので、お墓参りに、母を誘った。母の体調と、時間しだいでと家を出る時に、新しいタオルとお供えに御菓子類は入れていた。母は、入院してから、毎日拝んでいた仏様も、拝むことが出来ないし、お盆にも、お墓参りに行けなかったので、父が寂しがっていないだろうかと心配だった。母はすっかり、お墓のことは忘れていたが、行く道すがら思いだして、(毎月決めて行かないと忘れてしまうわね。)と言いながらも、「お墓にお参りしてもらうなんて、いややわ。」と敬遠したい気持ちもよくわかる。



 広大な墓地は、毎日のように、墓石が増え、どんどん敷地が墓所で広がっている。お墓参りをすませて、まだ2時なので近くに住む、妹に電話すると、留守だった。5時の門限までは時間があるので、私の家で、巨蜂を食べてもらうことに。前日、母に持って行こうと、ぶどうを房から取ってタッパウェアに入れていたものだ。施設では、果物は殆ど出ないので、大好きな巨蜂など、食べさせてもらえない。全員でわけてもらうには、ひと房しかなかった。家に連れて来て、食べてもらうと、母は、美味しそうに、一粒、一粒、確かめるように、食べていた。汚いままにほっていた、台所を、丁寧に洗ってくれた。パリから持ち帰った、コーヒーの豆を挽き、美味しいコーヒーを飲んでもらった。
 母は、現在いるところを、弟に家だと思っている。弟は仕事でいないのだと思っている。
「そろそろ帰りましょうか。門限が5時だから。」
母は、私の家から、弟に家に送って行っていた当時と同じ記憶でいるので、
「もし皆が出かけていて、留守なら、」と気にかける。
母は、場所の把握が出来なくなっている。病院に入院していても、医院にいても、そこがどこかわからない。私の家はよくわかっているし、場所も把握しているが、そこから帰るのは、弟の家だと思い込んでいる。施設に迎えに行き、送って行く時には、いつも弟の家に帰るのだと。
 私が、施設に行くと、母はいつも、「あなた、行かないといけないのでしょう。これからどこかに行くのでしょう。」その言葉が、母の頭から離れない。
家に泊まりに来ると、弟に所に送って行く時に、私はいつも、(コナミに行くから、そのついでだから)と母が気を使わない口実に言った。そういわなければ、車で送っていけないから。一人で電車で帰ると言い張るから。
入院中は、「心配だから、泊まって行きなさい。」と母は言う。「いいえ、コナミに行かないといけないのよ。」「出かける用事があるのよ。」とも。
 美味しそうに、巨蜂を食べている母を見ると、辛い。父が良く言った言葉「財があっても使えない。」母は始末やの父と違って、浪費家だったけれど、衣食住も自由も奪われた生活を余儀なくされている。父が、嘆いていた言葉とは、全く意味の違った所で、母も「財があっても使えない。」
 
  

Posted by アッチャン at 14:49Comments(0)日々の事

2009年09月17日

帰りたくても、帰さない


  

今朝、友人から電話があった。施設で、満足の行く所などないそうだ。それは確か。家ほど良いものはない。家で、気ままに一人で暮せるのも、家族と一緒に暮らすのも、施設にいるよりはずっと良いだろう。でも、それがかなわないのが現実だ。
 母のように、最初から、家に帰りたいと言わない人は、稀で、ほとんど人は、慣れるまで時間がかかる。帰りたくて仕方がない。私が、入所の翌日に、「母を家に連れて帰っても良いですか?」と聞いただけで、すごい剣幕で怒りだしたのは、入所した人達が、すきあれば逃げ出そう、家に帰ろうと、必死になるからだろう。
 日本のリア王のような、M老人の元に、長女が呼び出されて来ていた。私の知る限りでも、ヘルパーさんが、目を離すと、忽ち怒鳴り出す。居丈高に、「おい」を恐ろしいほどのどなり声で、繰り返す。
 ヘルパーさんが、「帰りたくて仕方ないのです。」と言っていた。
ある時には、1階に座って、一人でおやつを食べている。また、ある朝は、代表の隣に座って、一緒に隣の市役所についていくと、待っていたが、戸口が空いて、外に飛び出した。代表はあわてて、外に追いかける。
(タクシーを止めて乗り込んで家に帰るから。) 家にタクシーを止めて帰ったことがあるらしい。一階にいるのは、隙を見計らっているからでもあるのだろう。
母を病院に連れて行くのに、迎えに行った日の朝、一緒にエレベーターに乗り合わせた人が、M老人の長女だった。
「またお騒がせして。昨夜は、若い男の方がついて下さったのでしょう。その方はどうしてるんですか?」
M老人は、特別扱いされているようだ。無理が通れば、道理引っ込む。代表と老人との勝負は、金権の勝利。金持ちと名声に弱いのがありあり。
私のように、洗いざらしの洋服を来て、化粧なし、お金に縁のなさそうな人間には、高飛車な態度が取れるが、いかにも金持ちの奥様には、対応がまるで違う。帰りたくても、帰さない、二人の熟女のタグマッチ
  

Posted by アッチャン at 21:59Comments(0)日々の事

2009年09月15日

はるばる来たぜ、函館市場、

 

2週間に一度、水曜日に、母を医者に連れて行っていた。昨日、グループホームに行くと、ヘルパーが、水曜日はシャワーの日になっているので、どうしましょうと言う。水曜日は医者が午前中なので、火曜日でもかまわない。朝、医院に電話を入れた。雨模様でもあり、インフルエンザが増えているのなら、グループホームに往診してもらったほうが良いかもしれない。
 以前は、往診してくれると言っていたのに、「施設には往診出来ない、母の自宅になら行けます。」という。連れて来るのなら、11時半に、と指定された。
グループホームに、母を迎えに行くと、各入居者あての請求書が、テーブルに置いてあるのが見えた。25万代から27,8万という金額だ。
 テレビで、家族15人、月の食事代が20万かかると言っていた。グループホームの食事代は、現在13人が一緒に食している。一人58000円だから、70万円くらい支払っている。おやつは、今日は、小さな釣鐘型の一口カステラが2個(袋に一杯入って200円足らずの代物)とウエハースが一切れ。昨日は缶詰めフルーツポンチのような果物が、小さな器に少し入っているだけ。食事は,質素で少量。6畳の部屋に10万円の家賃。光熱費と雑費が6万、介護から別に、毎月30万近く入る。
グループホームは、今や儲かる仕事の代名詞になっている。「今流行りの」と言われる所以がここで垣間見られる。
それにひきかえ、医者と薬剤に支払う費用は安すぎるくらい。
血液検査、骨そしょう、肺のレントゲンを取ってもらって、460円の支払い。21日分の薬が780円だった。医院に、「クレベリン」が置いてあった。空気清浄機を使い、クレベリンを置き、インフルエンザ対策は万全を期している。これがあると、なんとなく安心するが、医者も看護婦も、母も私もマスクを外さない。

 


昼食は、久しぶりに、回転ずしの「函館市場」に。

母は寿司が大好きなのに、施設では、生ものは一切出してもらえない。魚料理も少ない。ミンチやハムを使っての簡単な料理ばかり。骨密度が少なくて、薬を飲まなければならない。危険域にいるのは、薬のせいばかりではないだろう。
 西宮の「函館市場」は、隣に宮崎の肉を売り物にしてる焼肉屋と対抗している。どちらにしようかと迷わされる。焼肉の匂いが漂っているから、お腹が空いている時には、それがたまらない。函館市場は、普段私達が行く頃には、いつも空いている。
 久しぶりの母は、次から次に、食うわ、食うわ。すごい。
 お腹が大きくなって、もう食べられない、と言っていたのに、私がトイレに行っている間に、また一皿取って、食べている。

二人で、15皿

母は、長らく、生ものを禁止されていたので、爆発したようだった。
  

Posted by アッチャン at 17:38Comments(0)食いしん坊

2009年09月15日

寿司くいねえ、築地「寿司清」DDハウス

 http://www.tsukijisushisay.co.jp/store/umeda.html
 こはだは、処理に時間がかかる。
立ち食い寿司「ふぐ」の余韻が残っていて、美味しい寿司をもう一度食べたい。梅田界隈で、お昼にと言えば、築地「寿司清」ぐらいかな。
しばらく行っていない。母と、店長のおまかせを食べて以来だから。
「寿司清」は、築地が本拠地だから、まぐろには力を入れている。「店長のおまかせ」は、最初に、まぐろの中トロが出て、白身を挟んで、大トロが出る。順次、一つずつ握って出してくれる。値段は2300円くらいだから、お得なメニュー。鯛、鰯、えび、北海道のうに、イカ、いくら、子持ちワカメ、むし穴と卵、の12個と最後に赤だしがついている。食の細い人なら、それで十分だけれど、大食漢はあと、3個くらい食べないとお腹がおさまらないだろう。しゃりも、魚も上品に出来ていて、誰でも、一口で食べるのに、ほどよい大きさ。

 うにが好き

 握っている店長も、「寿司は毎日でも食べたい」そうだ。私と一緒。旨い寿司は、いつ食べても旨い。どんなにお腹が大きくても、食欲をそそる。

 お燗の銘柄を聞くと、日本盛を使っている。寿司の旨さを引き立たせるには、個性の強くないお酒があうからだという。
「寿司清」は京都に2軒、京都烏丸と伊勢丹に、大阪には、DDはハウスと心斎橋の大丸に2軒、店がある。
大阪の客は、ねたを天ぷらにしてほしいとい注文するが、東京では、寿司屋は寿司屋、天ぷらは天ぷらの店でと、専門店に分かれている。
 そう言われれば、寿司屋で、天ぷらを置いているのはお門違いだ。匂いがあり、油物は、寿司の繊細な味と香り、鮮度も侵す。
大阪では、寿司あり、天ぷらあり、肉料理あり、なんでもありのごちゃ混ぜの店が多い。東京から来ると、我慢できないと思うことが多いかもしれない。

  

Posted by アッチャン at 16:29Comments(0)旅のグルメ

2009年09月14日

立ち食い寿司「ふく」


 

美味しい寿司の店がある。
南にある、寿司屋で、ちょっとつまむのにも便利な、屋台。近くの寿司屋もつまみに来るという。
テレビで、3軒の安くてうまい店が紹介されていて、その一軒にあたる。
以前に、松竹座に行ったついでに、時間待ちでうろうろ探していたら、見つけたが、まだ開店前で、夫婦で準備中だった。
先日、「上かん屋」の帰りに、お腹は空いていないけれど、気になっていた店なので、ちょっとだけつまむつもりで
立ち寄ると、これが、めちゃめちゃ美味しい。

 

でも、以前は夫婦でやっていたが、若い男の人がやっていいて、以前には、なかったワインを置いている。ネットで、名前がわからないので、
調べたら、書き込みがあって、以前の店とは、オーナーが代わっていて、以前は美味しくなかったそう。
この店は、立ち食い寿司「ふく」と名前だった。 
しゃりの握り方が良い。ふわっとして軽く、くずれそうなのにちゃんと握れている。魚が美味しい。中央市場に毎日出向いて
吟味して仕入れている。アルコールは、すべて500円、寿司に合わせたワインが、この店のお勧とか。


立ち食いと言っても、ベンチがあるので、立って食べるわけではないので、ご心配なく。トイレはないので、準備してから行ってください。



お◆立ち喰い寿司 ふく
住所:大阪市中央区難波1-2-3
TEL:-
営業時間:平日 18:00~24:00 土日祝 17:00~23:00
定休日:無休

  

Posted by アッチャン at 14:20Comments(0)旅のグルメ

2009年09月13日

日本にもリア王がいる


 

 母に会いに行くのに、手ぶらで行くのは気が引けるようになっている。面会者が、手土産を持参して来ると聞いたからだ。袋一杯入れ放題というキウイを買って、持って行った。なにしろ13人が一緒に食事しているのだから、母にちょっとというわけにはいかない。
 母は3階にはいない。一緒に入った人はいるので、くるっと見回してもいない。
係の人に4階に上げてもらった。ヘルパーさんが、先日入ったばかりの男の人が座っている。
「お母さん、お化粧してお出かけすると言って、用意していますよ。丁度良かった。」
そのヘルパーさんは、美人で、親切で、明るい人なので、これから先4階で働いてほしいな、と思っている人。食べてくださいと、キウイを渡して、母の部屋に入ると、お帽子をかぶり、お化粧をして座っている。
私がそろそろ来る頃だと思っていたそうだ。
 面会届けが4階に置いてあり、こわれるままにサインをすると、その前に、二人の名前が書いている。テーブルに座って、お菓子を食べている老人に面会があったらしい。それで、4階にいるようだった。
 住所は、我が家のすぐ近くだった。弟が、まだ入居していないで、家具だけ入っていた頃、「どこどこの誰誰さんですか?」と聞き、息子さんとゴルフで一緒になるようなことを言っていた。調度が立派で、お金持ちそうだと妹が言っていた、なぞの誰誰さん。

代表が、「入院中で、自傷行為があるから、おそろしくて入居させられない。」と言っていた人。
 話をすると、記憶力もしっかりしていて、認知症とは思えない。聞けば3人の娘さんがいる。弟が息子だと言っていた人の話をすると、
婿養子だった。
「遊び人で、遊び人で」と繰り返される。長女の婿が、会社を継いでいる。かつては、老人がゴルフ場に通っていたという。父と一緒にゴルフ場を回っていたかもしれない。かつては元気だった人、仕事の第一線で働いていたであろう。家長だった人。
 下の娘さん達も、お父さんの屋敷に近く、家を構えて暮らしている、金銭的には裕福な資産家のようだ。

 なんだか、リア王のようだな。それも一人も手を差し伸べてはくれない、リア王。家に帰りたくて、まだグループホーム檻の中で、手なずけられてはいないけれど、ヘルパーの若い女性を頼りにして甘えている。

 自傷行為があるというのは、自分に向けてではないかもしれない。憎悪の相手は別にいる。鏡として、刃が自分に向けられたのでは?
 精神分析によると、なんて頭を巡らして想像してしまう。


  

Posted by アッチャン at 14:22Comments(0)日々の事

2009年09月11日

インフルエンザ対策


 道頓堀

インフルエンザ対策として、グループホームにクレベリンを持って行った。グループホームに、買っておいてくれるように頼んだが、期待出来ないことはわかっていたので、個人で買って、おいてもらうしかないだろうと、インターネットで注文していた。大型(160グラム)は2100円、8畳から12畳までの空間で2カ月、効果が持続する。小型(60グラム)は980円で、6畳で1カ月、3畳空間で2カ月持つ。
 私が行くと、母達は4階にいた。ヘルパーさんに、置いてくれるように頼むと、「手の届かない所に置かないと」を言う。うっかりしていたけれど、確かにそうだ。食べるものだと思って口に入れたら大変だ。
周りを見渡すと、食器棚の上にか置くところがない。分散していかなくても、大丈夫か心配だったが、大型を3個、棚の上に並べて置いた。母の部屋は、クーラーの上に。
 この前も、母達4人、4階にいた。ヘルパーさんに、食べ物は持ち込み出来ないでしょ、と言うと、「お父さんの好物だから、とか持ってこられますよ。」と言う。私はまだ持って行ったことがないのは、まだ4階で生活が始まってないからだったので、早速、入院中に母に飲んでもらっていた野菜ジュースを買って、それも一緒に持参した。
 すると、ヘルパーさんが、「このジュース下に持って行きましょうか?」という。まだ、13人一緒に生活しているようだ。4階はほとんど寝るだけ、とのこと。最近、私が行く時間は、4階で休んでいる。
 3階にいつもいるのなら、3階にクレベリンを置かないと、効果がない。
「いつになったら、4階で生活するのでしょう。」と聞いても、彼女たちにはわからない。
面会記入と外出届けは、3階にしか置いていない。
「外出届けの紙を家でコピーして来ましょうか?」と言うと、
「責任者に伺わないと。」
何も変わっていない。4階の部屋なのか、人なのか、尿の悪臭が鼻をつく。
「尿の匂いがどこかするんですけど」とヘルパーに言うと、
「手術をして、尿の袋をつけている人がいて、漏らしたり、自分でしたがるが、実際には上手く出来なくて、衣服を濡らすので。」という。
そこは寝るだけだから、ではすまされない。衛生管理が悪い。
母の部屋の前は、納戸になっている。おしめの山。
 母をここから出してあげる方法はないものだろうか。
  

Posted by アッチャン at 11:39Comments(0)日々の事

2009年09月10日

グループホームの向上にために、第三者評価を受けよう。


 

グループホームには、グレードに格差がある。母が入居しているホームのように、事前に面接もなければ、医者の診断書も不要で、家族の依頼によって、入居出来、死ぬまで世話をしてくれるグループホームというのは、営利が目的であると考えた方が正しいように思う。
そういうグループホームの責任者が主張するのは、、医療機関と一体になっているグループの入居者達は、「悪くなれば、病院に送られ、病院とグループホームとたらい回しでされて、双方の利権の餌食になる。」ということ。
 成程、そうかもしれない、と納得させる。病院にやればよい、と思えば、グループホーム内での、認知症患者に対するケアーが疎かになる。
「床ずれ出来ても、病院に回せば良いんです。仕出し屋から食事を取っていますよ。」などと言われると、それでは困ると思う。
事実、母が入院していた病院の隣室には、床ずれが酷くて、3か月を超えて入院している患者がいる。まだ、「薄皮が貼って来ました。」という程度で、重症だった。家で、娘さんが看ていた。デイセンターにも通っていた。糖尿病で内科の医者にも診てもらっていた、という。弟の家にいる頃、母が通っていたデイセンターは、グループホームが階上にあり、階下でデイセンターを経営している、大阪瓦斯が母体のグループホーム。入居者は、悪くなると、芦屋市民病院に入院していた。母もそこの協力医療機関の医院からの紹介で、入院した。
 病院のするままに、任せていたら、母は肺炎で亡くなっていただろう。老齢者の死因は、脱水と肺炎、というのがほとんどで、そのコースをたどる。
病院では、治療しても、また入院を繰り返して、病院で亡くなると、病院の看護士さんから聞いている。「家に戻っても、同じ事になりますよ。
 終身で看てもらえるグループホームを探されたら。」母がデイで通っていた所が、そうだった。何度か、グループホームの所長が、お年寄りを、病院に患者を運んでいるのを見ていた。入居費用は、介護費は別にして、月に43万ほどかかる。内訳の部屋代が35万弱になっている。すごい営利主義ではないか。
グループホームの第三者評価というのがある。そのグループホームは、2年前から、審査を受けていないので、ケアマネージャーに、それとなく聞いてみると、
「今年は受けようと思っています。」と言われた。

 母がいるグループホームは、オープンして1年の頃評価を受けているが、それ以来受けていない。2年前の評価は、問題が多く、改善すべき点が多々、指摘されている。一方の、値段の高い方は、私が指摘したからかどうかはわからないが、7月に、評価を受けていた。それによると、母が紹介された医療機関から、協力医療機関に変えている。評価は2年前にも問題なかったが、評価は良い。

 宝塚にあるグループホームで、良心的だと思う所は、毎年、所によっては、年に2回、第三者評価を受けている。そうすることで、外部にも情報を開示し、内部の質を高めて行く。グループホームは、年に1度は、第三者機関による評価を受けることを、法律違反と罰則とまではいかないにしても、義務ずけている。家族の声、苦情に、どう対処しているかも評価される。
 きちっと評価を受け、その評価が良くなっていくグループホームは、入居待ちが多く、2年、3年先にしか入居出来ない状態だ。
私達、認知症の家族に取って、第三者評価は、情報開示として重要だし、グループホームの取り組みにも、向上を図る上で効果が測れる。
 グループホームに、第三者評価を受けるように促すこと、それも1度だけではなく定期的に。応じようとしないグループホームには、家族会というものを作って、そこから要望するようにすれば、認知症の人達を少しでも、守れるのではないだろうか。


  

Posted by アッチャン at 14:44Comments(0)日々の事

2009年09月10日

法善寺「上かん屋」

 
 


法善寺横丁の一角に、「上かん屋」という店がある。旅チャンネルで、大田和彦が、阿倍野の「明治屋」とこの店を取材していた。明治屋は、酒屋さんなので、お酒の種類が豊富。仕事帰りのサラリーマンでいつも満員。家族でやっているので、食べ物はどれも安く、おふくろの味といったところ。
 「上かん屋」は、法善寺横町と、心斎橋にも。食べログで、難波界隈で、点数の高い、美味しい日本料理の店を探すと、1万から2万円という予算が書いている。そんな店に行けるはずはない。「上かん屋」は4千円だったので、点数も高くないので、期待はしていなかった。「上かん屋」の由来は、「上燗屋」お燗の美味しい店と言う意味から来ている。

 造り盛り合わせ

 お任せ料理のコースは3千円、という安い店だから、気軽に行ける。私達は、その店のお勧めを聞いて、一品を頼んだ。魚は新鮮で、美味しい。
店の自慢は、土手鍋。すじとこんにゃくをコッテリした味噌で炊いた逸品で美味しかった。出し巻きは、薄味で、私の好み。

 土手鍋

出し巻き

煮物

 お酒は、さすが、吟味した銘柄を揃えている。値段は高くない。燗は真鍮の入れ物に入っていて、京都の「神馬」と同じで、酒飲みの情感をそそる。
 法善寺横丁にあって、気軽に行け、法善寺の風情を楽しめる料理と酒の店。寂しい懐も、そう寒くはならないで、温めてくれる店。

大阪市中央区難波1-1-6 06-6213-8521 5:00PM~1:00AM(日・祝3:00PM~11:00PM) ... 上かん屋 法善寺 久佐久   

Posted by アッチャン at 12:11Comments(0)旅のグルメ

2009年09月09日

少年よ、海に漕ぎ出す勇気を持とう


 


息子のブログに、彼の友人からコメントがはいっている。雲の中に突入した時に、感動で熱くなったという息子のブログに、よくわかるよ、というコメント。昨日は、A君と婚約者Sさんを乗せて、息子の操縦で、遊覧飛行をした模様。
A君は、アメリカ人の彼女と一緒に、日本に帰って来た時に、私の家にも来たことがある。
 ボストンのアパートで、私は初めてその人、A君を紹介された。息子が働いていた日本料理店で、A君は、キッチンで働いていた。海鮮味噌鍋を囲んで、飲んだあと、私はすっかり酔っ払って、アパートからの帰り道、木の陰に隠れたり、走り回って、挙句の果てに、つまずいて転んで、膝から血を流し、眼鏡を壊してしまった。気がつけば、ホテルのベッドの上に寝ている。息子のガールフレンドが、血のついたスカーフを洗ってくれていた。
 息子は、私の失態を笑い、ことの始終を話してくれたが、A君にも、ガールフレンドにもお世話になり、とんでもない母親だと呆れられたに違いない。
A君の生き方を見ていると、人間は誰でも、健康でさえあれば、そして、志を持てば、自分の道を開き、幸せを手にすることが出来るのだと思う。
彼は、四国の愛媛の人で、母親が、どこかの新聞で、「ボストンのパン屋さんが、パン職人になりたい人を募集している。」という記事を見つけて、そのことを聞いた彼は、アメリカに来る決心をした。息子が当時働いていたパン屋で、二人は、知り合った。パン屋から、一緒にかどうかは知らないけれど、同じ日本料理店で働くようになった。彼はキッチンに入り、すし職人の道を歩み出した。地道にこつこつと仕事に励み、節約してお金を貯めていた。 

 A君は、下働きから始まって、怒られながら、怒鳴られながらも、大人しく、黙々と仕事を覚えた。帰りたくても、交通費は貯蓄に回し、日本には何年も帰らなかった。
 A君は、一人前の職人に育ち、息子よりも、遥かに高給取りになった。
私がA君に初めて会ったときに聞いた、A君の夢は、「両親に親孝行がしたい。アメリカに招待したい。」ということだった。それもかなった。アメリカ人の優しい彼女も出来た。休みには、彼女とバーミューダーに遊びに行く。ニューヨークには、レストラン回りで、舌のチェック。彼の目標は、自分の店を持つこと。その実現も、そう遠くないにちがいない。着実に自分の道を切り開いて来た。
少年よ大志を抱け。草食系男子だとか、女装趣味の男の子達よ。海を越えて、荒波にこぎ出す勇気を持って、自分の未来に絵を描いてほしい。
 だれでも、やる気があれば、幸せを自分の手で掴むことが出来るのだと、A君からのメッセージ。
  

Posted by アッチャン at 14:35Comments(0)日々の事