2009年11月30日
フェルメール「ミルクメイド」
4時半に劇場を出て、さて、これからどうするか。
グッゲンハイム美術館が土曜は7時半まで、メトロポリタン美術館が8時45分まで開いている。
グッゲンハイムに行って、カンディンスキーを観ようと、地下鉄に乗ってから、「ああ、それ観たわ。」思い出した。
パリのポンピドーでやっていたのと同じ。従姉妹が「ニューヨークにも行くらしい。」と言ってたわ。ポンピドーに、グッゲンハイム美術館から作品が沢山来ていた。それなら、18ドル払って観なくても良い。で、会員になっている、メトロポリタン美術館に。今回は、感謝祭で休みだったので、初めて。劇場で、ANAのラウンジでもらった、おつまみを食べただけだから、このまま入ればお腹が持たない。
メトロポリタン美術館の前で、2ドルのホットドッグを買った。今日は1軒だけ、正面にかまえている男の人の店が出している。この前買った、おばさんの店の方が美味しかった。 階段を登りながら、歩き食べ。
正面の垂れ幕に、「フェルメールのミルク イン ザ、ボトル」と書いている。
すごい、フェルメールの最も愛されている作品がメトロポリタンに来ている。
エクスポジションは、11月28日、始まったばかりだった。
メトロポリタンが所有する作品も一緒に入って、展示されている。これはラッキーそのものだった。
確かに、この作品は、フェルメールの最高傑作だと思う。素晴らしい。アムステルダムから、メトロポリタンが、借り出している。
美術館のクリスマスツリーが飾られていることを思い出した。6時半に点灯されるので、見に行く。写真を撮ろうとしたら、「禁止です。」と止められた。以前は撮れたのに。蝋燭が点灯され、お人形に、ライトが当たって、夢のような美しさ。周りは、中世のタピストリーや、イコン、彫像などが展示されているので、古い教会の様。
ギリシャ神殿も、夜観ると、神秘的だ。
閉館まで、前回行けなかった、モダンの作品を観て、本日の絵画鑑賞は終了。ゴッホをゆっくり観るだけで、すごく贅沢。セザンヌ、ゴーギャン、モネ、ミレー、ルノワール、メトロポリタンは、さすが、各画家の所蔵作品が多い。
2009年11月30日
ブロードウェイ「ウェストサイドストーリー」
土曜と、水曜日は、ブロードウェイミュージカルの上演が、昼と、夜の2回ある。
オペラ座の怪人は何度でも観たいけれど、「ウェストサイドストーリー 」も観てみたい。昔、映画が爆発的人気で、助演のジョージ、チャキリスの人気は凄かった。
映画のオリジナルレコードを買って、何度も聞いた、なじみ深い作品なので、一度は本場のミュージカルを観ておかないと。
タイムズスクウェアの、半額チケット売り場は、以前は工事中で、別の場所に移っていたが、新しく出来上がり、チケット売り場の上は、大階段になっている。他の作品は、上限120ドルくらいなのに、
ウェストサイドだけは、300ドルという高価な入場券になっている。
売り切れていたら、2008年、トニー賞に輝いた話題の「インザナイツ」にしてもいい。安いのあります?聞くと、92ドルの席を紹介された。日本でもそれぐらいかかるから、並んで、せっかくの機会だから観よう。4ドルの手数料で、96ドル払った。 すぐ前が、上演している、パレス劇場だった。
パレス劇場出演者、ジュディーガーランド
劇場のチケット売り場でも並んで買っている。劇場では、私がもらった席は、通常150ドル、本日は125ドル、バーゲン価額になっている。オーケストラ(1階)も同料金だった。私がもらった席は、2階のMEZZの5番目で、 端の方なので、あまり良い席とは言えない。チケット交換は出来ないので、仕方がない。上から見下ろすようになる。
私の席の横3人は、前の席が空いているので、そこに移動した。私の前席が空いていたので、頭がじゃまにならずに観ることが出来たのは幸いだった。
白熱のダンスは圧巻だ、と書いているので、期待しすぎたのか、たいして感激なかった。舞台が狭いので、映画のように、奥行きがない。ダンスは期待はずれだった。
歌は、上手かったが、登場人物達は、映画の印象が素晴らしかったので、物足りない。途中、時差ぼけで、睡魔に襲われ、所どころ観ていない。ああ、なんてもったいないこと。
オペラ座の怪人にすれば、良かったかなあ、と思うけど、観るまではわからないもの。
2009年11月29日
ホイットニー美術館
夜中、2時半まで、起きていた。浴室を洗って、ブログを書いて、大瓶の白ワインを飲んでいると、どのくらい飲んだのか検討がつかない。
空気ベッドの上に、ダブルの布団を二つ折りで、その間に寝ている。寒いので、買って拒否された、ダウンを着ると、とても暖かくなった。
すでに夕暮れ
気持ち良く寝て、起きたら、時間間違ってる? 午後の2時まで爆睡していた。起きて、すぐに、タマの薬を飲ませ、朝食ならず、昼食を与える。タマはお腹が空いていたのだろう。水が半分なくなっていた。
タマは、私の行くところ、ついて周り、嬉いくてごろごろ喉をならしっぱなし。タマの便器から、ウンチがこぼれているが、砂にまみれている。猫は後で砂をかける習性がある。 時折、そとにこぼれて出ている。けりをいれながら、出てくるから。
今日は 美術館のフフリーが、多いけれど、感謝祭で、今日も休みかも。たった一日の休みではないかも。
グッゲンハイム
グッゲンハイム美術館に着くと、すでに閉館の時間が迫って、ぞろぞろ人が出ている。トイレに行きたくて、係の人に頼んで入れてもらった。地下鉄の中で、久しぶりに買った新しいニューヨークガイドを見ると、5時45分閉館になっていた。金曜日は、6時から無料なんだけど。長い間、改装中だった、マックライト設計の建物が外観を表していた。 カンディンスキーの特別展だ。改めて来るつもり。
バスに乗り、75通りにあるホイットニー 美術館へ。
空っ風が吹き、寒いのに、行列が大分出来ている。私だって、18ドル払いたくなくて並ぶのだから、思いは同じ。MOMAは、もっとすごいが、フリーでチケットをもらうだけだから、早い。ここは、寄付金の日だから、払いは様ざま、25セント硬貨2枚の人もいれば、5ドル、10ドル払う人も。大抵は、1ドルか2ドルだ。
流れは耐えることがないので、20分は待たなかったのかな。
運の良いことに、私の好きな、ジョージ、オキーフの、特別展を開催中で、初期から後年まで、トータルで、見ることが出来た。
ニューヨークの59ストリートにスタジオを構え、その頃から、自身のヌード写真を撮影してもらい、その身体の形を抽象画に 取り入れ出した。結婚したのもここで。
オキーフの作品は、形の流れと、色の微妙な変化とコントラストに特徴がある。
オキーフの抽象画は、セクシュアルな彼女自身の存在を表している。自然の中の性的な表現を抽象化した作品など。
空の彼方、メキシコ移住後の作品。
メキシコに移住してから、骨や化石をモチーフにしたものも多いが、そいれらも生きていた頃のセキシーを追求している。自然の美と存在感は、性と切り離せない、と彼女は信じているのだろう。最後の作品は、赤で、血で描いたような、シンプルな一筆書きの曲線。 ホイットニー美術館は、全館作品の写真禁止。
ホイットニーを出て、以前に息子がマンハッタン77番地に住んでいた頃、買った、ベーグルの店に行こうと探したが、見つからなかった。無くなったみたい。
今夜も、何も食べないで、アパートに帰る。
ショーウィンドー
ケネディー空港の近くで、マンハッタンからは、遠い。時間がかかるので、早めに帰っても、着いたのは10時を過ぎていた。
猫が待っていると思うと、遅くなれない。薬とご飯をあげないと。家族と同じ。待っていてくれるので、家路を急ぐことに。
アパートに入ると、待ちかねた猫が、どこに動いても、ついてくる。寂しかったのだ。
猫の餌をやってから、私の食事を作る。簡単だ。サラダとパン、ワインがあればパーフェクト。
2009年11月28日
感謝祭
朝、3人は、バカンスに出発。私は、メトロポリタン美術館に行こう。時差ぼけで夜中の2時から目が覚めている。皆、寝ているから、電気をつけないで、暗闇の中で、夜が明けるのを待った。昨夜、白ワインを飲みすぎて、気持ちが悪い。
メトロポリタンに行くと、感謝祭で休館だった。トイレに行きたくなり、いつも使う、デパート迄、地下で行くと、そこも休んでいた。
E線に乗り換えて、アパートに帰った。下のスーパーで、無くなっていた水を買って部屋に戻る。ブログを書いていると、眠くなって、ちょっとと寝てしまった。
感謝祭に行われる、メーシーズというデパートの、バルーン行進を観に行こうと思ってたのに。起きると、治まっていた、、くしゃみの連続、アレルギーが出てきた。鼻水が止まらない。また、ぜんそくになればいやだな。
起き出して、近くに、トレーダー、ジョーズという、人気スーパーがあると聞いていたので、インターネットで探す。歩いても近そうだ。食料品を買いに、真っ暗な道を、枯れ葉を踏みしめながら歩いた。バス停にして、結構あった。ネットでは、9時まで開いているかずだ。地下鉄で、マンハッタンの14ストリートにある店から帰りの人がいた。アパートの近くにもあると教えてもらっていた。すぐ前にあるバスを乗っても行けるが、休日ダイヤで本数が少なくなっている。
近くの公園
トレーダージョーに着くと、閉まっている。携帯を持って立っている人がいて、聞くと、感謝祭で休みだという。今度は、待ってもバスに乗ることにした。
メトロポリタンの前
又、アパートに帰り、猫に薬と餌を与えて、夕食に出かけた。フラッシングの中華街に。30分ほどかけて、着いたが、夜で、以前に連れてきてもらった土地勘が働かない。店がわからず、また地下鉄で帰ることに。7番線の地下鉄への乗り換えは、来るときはスムーズだったのに、降りるべき駅で、一旦降りたのに、感じがちが、飛び乗った。
乗り過ごして、降りた駅
乗り過ごして、反対側のプラットホームで、10分くらい待っていた。屋根なし駅だから、夜風が寒い。お腹も空いている。また、アパートのある駅まで帰り、バスを待っても来ないので、、公園を抜けて、歩いて帰った。向かいに24時間開けているスーパーがある。そこで、サラダ用の野菜とバナナを買った。何をしているのやら、骨折り損のくたびれ儲けの、一日、感謝祭でした。
ちなみに、感謝祭は、11月の最終木曜日で、その週は会社はお休み。家に帰る人、家族を訪問する人、旅行に出る人達、交通は混雑する。
この前来た時は、10月の最終日に当たる、ハローインが、近かった。来月は、クリスマス、ホリデーが多く、消費の好きなアメリか人は、10月から12月まで、買い物が絶えない。
2009年11月27日
運の悪い日
運の悪い日は、徹底的に悪い事が続く。11時に、裏の奥さんが、伊丹行きのバス亭まで送ってくださる、という所までは良かったけれど、外で時間前に来て待ってくださっているので、あわてて荷物を玄関に出して、早、腰がおかしくなる。腰をそらせて、伊丹からのバスの中で、腰をかばう。
今度は軽くしようと思っていたのに、また、食料品を買い込んで、寒いだろうと、ユニクロの衣類を沢山買って、大事に取っておいた梅酒や、喜ぶ顔見たさに、あれや、これや、冷凍にして持って行けばもつだろうと、伊丹に着く頃、2つのケースはほぼ万杯、さらに、2階に上がって、鯖寿司、柿の葉すしを4箱に、おつけものや、赤福餅もなんとか入れて、息子が迎えに来てくれるのだし、荷物は成田で取らなくていいから、とふんばって、チェックインすると、国際線のチケットは成田で、一旦出てからでないと出来なかった。
成田で、長く待たされたあげくに、席は変えてもらえないどころか、シカゴ行きがキャンセルで、満席、時間は1時間延滞。エコノミープラスにまだ空き席があるのに、台湾からの客待ちだった。後ろの狭い席で、ライトがつかない。その列は、全席電気の故障で、借りた新聞も読めないし、イヤフォーンは、爆音で、日本語選択も、音量調節も出来ない。 隣に座ったアジア人は、マレーシアから、乗り継いで、シカゴ行きに乗る予定だったらしい。既に長旅しているのに、お気の毒。アーミッシュの団体が入り、若い女性が咳き込んでいる。
エコノミープラスは、30パーセント、前が広いけれど、後部で狭い上に、全席の大男は、座席を倒したまま。身動きが取れない。腰が痛いのに、変な姿勢で出入りしないといけない。 ワシントン経由のニューヨーク行きなので、乗り継ぎの時間が心配でしかたがない。後部のアメリカンは、シカゴ経由でフロリダ行きが、今夜は便がないようだった。
時間はありますと言われたが、飛行機から出るのに時間がっかり、税関が混んでいたら、相当時間がかかってしまう。
「ヨーロッパからの到着便がありますが、到着時間が、あとになりますから、大丈夫です。」と言われていたのに、すでに税関に長蛇の列。ロシア人のよう。
やきもちしながら、自分が並ぶように指図された、列の検査官は、一人にかける時間が長い。隣はすいすいと終わって通過してる。
やっと番が回って、親切なのかと思ったら、根掘り葉堀聞かれて、
「食べ物は持ってますか?」
「はい、インスタントフードを。」こんなの聞かれたのは初めて。仕事ではないか?所持金は?など。
税関を通り急いで、荷物を探し、トランスファーに預けようとしたら、検閲に回された。中を調べられたら、大変だ。係は、手荷物だけ検査すると言い、赤福餅を出して、何だと聞く。ケーキのようなものだと言い、再び、検査にかけてオーケー。中の調べていたが、服が出てきて、一番底にあった、お寿司はみられなかった。
乗り継ぎに間に合わないと、私がわーわー訴えたから、もうないだろうと思ったのだろう。 検閲を通り、ゲートをしらべたら、シャトルに乗って、別のゲートに行かないといけない。必死で走り、やっとセーフ。
アメリカ国内は、顧客を待ってくれない。おくれたら、次の便になる、。
ニューヨークに無事到着して、トイレに行き、荷物を持って、息子を待つ。仕事帰りで、地下鉄でやってきた。二つの荷物を持って、アパートまで帰るのに、疲れ切っている様子。無事アパートに入り、中から、ユニクロの衣類を出すと、即座に剣もほろろの息子の拒否。
「こんなの着ないから、持って帰って。」これもこれも、拒否される。ユニクロであまり買いすぎて、持ち帰るのが重くて、いくつか返品したので、もうキャンセルも交換も出来ない。レシートを渡してしまったから。
「ユニクロはニューヨークにあって、千円くらいで売ってるよ。これどうせ、3千円くらいだろ。」
超軽い、ダウン、6千円で買ったもの。
息子は、留守中の猫の世話を、私がちゃんと出来るか、その方が心配なのだ。フロリダに感謝祭の休みを利用して、翌日からバカンスに出かける息子達に変わって、病気の猫の世話をする為に、やってきた。ほとほと自分の親ばか加減を思い知らされる。
「日本に帰りたくなった。」ついた途端に、涙声になり、泣いてしまった。
小さな子供が、私を心配してくれるので、余計に辛くなる。
「お母さんに、そんなこと言ったらだめだよ。せっかく持ってきてもらって。悪い子は、お尻ペンペンしないと。私ベルト持ってるから、それでぺンペンする?」
「お尻ペンペンするには、大きくなりすぎたのよ。もう治らないのよ。」
運の悪い日は、悪いことばかり、重なって行く。
無事に着いたのだから、食料品を没収されなかったのだから、それを幸運と感謝しないと。
、
2009年11月27日
中村獅童「反逆児」
中村獅童主演の「反逆児」は、26日が最終日で、その前日に観に行った。2階の最前列だった。遮るものがなく、花道も良く見えて、良い席。
家康(平幹次郎)と今川善元の娘(波野久里子)の息子(中村獅童)という、3人の白熱した演技で、見応えのある作品だった。
日本版、ハムレット、とも言えそうだが、歴史上の事実をもとにして作られて居る。
昔も今も、親子の愛憎劇は大小あれど、変わりない が、人間を家の道具として、政略の人質として使われた、戦国の世に、運命の子としての犠牲者となって、切腹を余儀なくされる息子。浅はかで、感情に翻弄される母親と嫁、家名の犠牲者として、息子に死を迫らざるをえない父親の苦悩、娘を結婚させて、自分が恐れる、勇者を根絶しようと計る,小田信長。2時間20分という上演時間、全くだれることなく、緊張した舞台だった。
舞台がはねたのは、まだ7時前、近くの店で、ふぐ料理を。観劇の後で、ふぐ料理なんて、ほんと、贅沢で至福の味わいをさせてもらった。
ここ何日間、忙しく日が続いた。母の施設に連日通って、私が留守の間、大丈夫なようにと、寝具の換えを持って行き、お花を新しいのに、換え、、おやつに出してもらうように、日持ちのするものを持って行ったり。薬の心配もないように。母の話を聞き、出来るだけ、毎日顔を見せるようにした。しばらく行けないから。
2009年11月19日
松野真理展「北野坂ギャラリー」にて
17日から、22日まで、ギャラリー、北野坂」で、松野真理さんが、個展を開催中です。
あいにくの雨と、寒さもあって、初日は、どうかな、と心配していました。
私は、初日に、と期待していましたが、母の診察日にあたっていて、往診してもらったり、薬を取りにいかなければならなくて、夕方までかかってしまいました。
翌日は、朝は晴れていたのに、出かける頃には、どんよりと雲が覆い初め、寒くなり、ギャラリーに着くと、素敵な絵に迎えられ、気持ちが明るく、温かく。
去年まで、棚を賑やかにしていた、陶器の作品がないので、絵画にスポットがあたって、新鮮な感じ。版画にコラージュが加わって、立体感のある、素敵作品に仕上がっていました。
パステル画
小さな、パステル画があれば、と思っていたのですが、今回は、パステルは一つだけでした。
毎年、泊まりがけで、お手伝いに来られるお友達と、話に花が咲いて、最後まで、腰を落ち着けて
中華料理を誘っていただいて、ストレスはいつのまにか、どこかにふっとんで、3日で治るはずの、片頭痛に、今回はしつこく悩まされていたのが、ウソみたいに、治っていた。
今年も、土日は、混んで、賑やかでしょうね。ボジョレーヌーボーの解禁日は、今日だから、今日訪れる人が多いのかもしれません。
2009年11月18日
鳩山総理は「脳天気」
マルグリット
医院の待合室に置いてある、週刊誌を次から次に早読みしていた。民主党政権の、最近の動向などに対する、批判や、応援。
「鳩山夫妻の脳天気」という表現は、旨い事言うね。普天間基地の移設問題で、オバマ大統領が「日米合意を踏まえて」と言えば、鳩山総理は「合意は前提ではない。白紙で、」と発言。まさに、鳩山総理の、脳天気ぶりが発揮されている。
アフガン支援に、45億ドルの支援を、公言したけれど、この膨大なお金が、実際に、必要な場所に使われることは保障されていない。
中村医師が、民間で、井戸を掘って、水を提供しているように、このお金は、民間に提供される方が、遥かに有意義だろう。汚職や、権力者達が甘い汁を吸い上げて、民衆には、潤わない危惧を抱かないのだろうか。お金が、喉から手が出るほど、ほしいアメリカだから、これで臭いものに蓋をして、まずは、日米首脳会談を成功させようと思ったとしたら、「大切な国民からお預かりした、血税」と言っておきながら、一方で、無駄使いをしているのは、矛盾している。
以前に、言ってきたことと、総理になってからとの発言の食い違いを指摘されると、あっさりと、以前の言動を撤回して、謝ったり、訂正したりしているのは、良く言えば、素直で柔軟性があり、悪く言えば、「ポリシーがなく、脳天気な性格」だ。
鳩山総理は、言葉の中に、「楽観的に考えている。悲観論にはたっていない。未来志向で」というフレーズが多々見られる。だから、好きなように、口に出せば良い、と言うのなら、脳天気な性格です、と自ら宣言しているようなもの。
政治と金の問題にしても、お金を出しているのは、わかっていたが、元秘書がそんなことをしえいるとは、全く知らなかった。知らなかったことが残念です、なんて、人ごとのよう。5億円の申告漏れについては、記者が5兆円と間違えると「僕はそんなに金持ちではありませんよ。」
と冗談交じりに、切り返す場面があるかと思えば、「僕の責任ではありませんが、たまたま裕福な家庭に育ったために、金銭については、」というような。
由紀夫とバラクで呼び合う親密な関係が出来たので、立場の違いはあっても、言いたい放題言言いあえるのは、個人的な話会いとしてであって、こと、国を背負って、最高責任者である、立場として公に発言する場合には、もう少し、言動を慎重にすべきではないだろうか。オバマ大統領のシンガポールでの発言が、鳩山総理に取って、意にそくわないものだったにしても、全否定するのではなく、「沖縄の皆さんの意向を踏まえて、努力したい。」というぐらいにしておく配慮が必要ではないだろうか。それが日本的外交の強さなのだから。
医院の待合室に置いてある、週刊誌を次から次に早読みしていた。民主党政権の、最近の動向などに対する、批判や、応援。
「鳩山夫妻の脳天気」という表現は、旨い事言うね。普天間基地の移設問題で、オバマ大統領が「日米合意を踏まえて」と言えば、鳩山総理は「合意は前提ではない。白紙で、」と発言。まさに、鳩山総理の、脳天気ぶりが発揮されている。
アフガン支援に、45億ドルの支援を、公言したけれど、この膨大なお金が、実際に、必要な場所に使われることは保障されていない。
中村医師が、民間で、井戸を掘って、水を提供しているように、このお金は、民間に提供される方が、遥かに有意義だろう。汚職や、権力者達が甘い汁を吸い上げて、民衆には、潤わない危惧を抱かないのだろうか。お金が、喉から手が出るほど、ほしいアメリカだから、これで臭いものに蓋をして、まずは、日米首脳会談を成功させようと思ったとしたら、「大切な国民からお預かりした、血税」と言っておきながら、一方で、無駄使いをしているのは、矛盾している。
以前に、言ってきたことと、総理になってからとの発言の食い違いを指摘されると、あっさりと、以前の言動を撤回して、謝ったり、訂正したりしているのは、良く言えば、素直で柔軟性があり、悪く言えば、「ポリシーがなく、脳天気な性格」だ。
鳩山総理は、言葉の中に、「楽観的に考えている。悲観論にはたっていない。未来志向で」というフレーズが多々見られる。だから、好きなように、口に出せば良い、と言うのなら、脳天気な性格です、と自ら宣言しているようなもの。
政治と金の問題にしても、お金を出しているのは、わかっていたが、元秘書がそんなことをしえいるとは、全く知らなかった。知らなかったことが残念です、なんて、人ごとのよう。5億円の申告漏れについては、記者が5兆円と間違えると「僕はそんなに金持ちではありませんよ。」
と冗談交じりに、切り返す場面があるかと思えば、「僕の責任ではありませんが、たまたま裕福な家庭に育ったために、金銭については、」というような。
由紀夫とバラクで呼び合う親密な関係が出来たので、立場の違いはあっても、言いたい放題言言いあえるのは、個人的な話会いとしてであって、こと、国を背負って、最高責任者である、立場として公に発言する場合には、もう少し、言動を慎重にすべきではないだろうか。オバマ大統領のシンガポールでの発言が、鳩山総理に取って、意にそくわないものだったにしても、全否定するのではなく、「沖縄の皆さんの意向を踏まえて、努力したい。」というぐらいにしておく配慮が必要ではないだろうか。それが日本的外交の強さなのだから。
2009年11月12日
森繁久弥さんは「屋根の上のバイオリン弾き」のテヴィエ
森繁久弥さんが、亡くなった。96歳、老衰。大往生だ。神様から授けられた、命を、燃やしつくして、亡くなられた。燃やしつくには、地獄のような日々を、潜り抜け、焼かれる苦しみを、肌に受けながらの人生だった。
「徹子の部屋」には、何度も出演されているので、そこで聞いたのだろうか、それは生易しい人生ではなかったようだ。誰にでも、優しく、ユーモラスな言葉で人を温かく包みこむ。森繁久弥さんを、嫌いだと言う人は皆無ではないだろうか。
森繁さんは、過去にこだわらず、終わってしまった事には、振り返らない人だった、潔い人だった、とコメントされていた。
森繁さんは、「潔い生き方をしたい。」と対談で言われていた。「死ぬ時は、パッと散りたい。桜の花が散るように。桜の花は、潔い。」と言われていたことが思い出された。
中耳炎の高熱で、死の淵をさまよった、戦争時代の話をされている時にも、生鯖の虫が大腸を侵して、芝居を登板した話なども、ユーモラスに、聞く人を楽しく笑わせる。大変な体験をされても、生鯖は、食べているという。
地獄を潜り抜け、死ぬ覚悟は、いつでも出来ている人だった。希望を失い、絶望の淵をさ迷った人だから、ユーモアを大事にしている。人を、どうしたら、喜ばせることが出来るだろうか、人に接する度に、森繁さんの心が望む。
「笑い」は、現実の苦しみ、辛い「私」から、解き放たれて、「喜ぶ私、幸せを感じる私」へ誘われる「時間」だ。
森繁さんが、人を笑わせるのは、森繁さんという人の心に、「孤独感や寂寥感」がいやというほど、詰まった人だからだ、と私には思える。
奥様が亡くなられてから、森繁のユーモアが少なくなった、という。テレビでは、奥様が面白いネタがあると、切り抜きをしておられたので、そのネタがなくなったから、と言っているが、果たしてそうだろうか。
人を笑わす気力が薄れたのだ。奥様に先立たれ、肩肺を奪われたから、心が半分になった。更に、幸いの息子がさんが亡くなった時には、ご自分の不幸を、受け止めるだけの余裕が、もう消え失せてしまったのだろう。
親しく交際されていた、方々は、皆、森繁さんから、(温かさ、優しさ、笑い)をもらった。ここ、数年、誰も森繁さんと会っていなかった。
家族と、孫、ひ孫達に囲まれての生活で、孫の名前は覚えていない。悲しみが余りに深すぎると、その悲しみから、逃避する場所は「忘却」だ。
忘却の中に、身を沈める事で、人は生きることが出来る。
森繁さんは、(人を笑わすことで、「忘却の幸福な時間」を共有し、生きることに耐えられなくなった時、「忘却」という幸せな時間の中に、身を置かれたのだろう。
桜の花が、パッと咲いて、命の限りに咲き切って、潔く、散るように死にたい。老衰というのは、やはり桜花と同じ。燃え尽きして、亡くなられた。
森繁さんが、ライフワークだと言われたミュージカル「屋根の上のバイオリン弾き」は、森繁さんの人生そのものを映している。
私は、2回、森繁さんの、テヴィエを観る事が出来た。私に取って、宝だと思っている。森繁さんが、引退されて以来、何人かのテヴィエを観たけれど、森繁さんでなくては、変わりはいない、と思ってしまうほど、心に、目に焼き付いている。
ニューヨークのブロードミュージカルでも、森繁さんのテヴィエが恋しかった。
「サンライズ、サンセット、陽は昇り、陽は沈む。喜びと悲しみを乗せて、、、、」
2009年11月10日
芋、豆、根っこ
http://umezz.com/jp/
先日、NHKのスタジオパークのゲストは、楳図かずおさんだった。いつもエネルギッシュな楳図さん、作品は読んだことないのに、結構、私はこういうタイプの人が好きなのです。赤と白の、囚人服を着て、くりくりパーマ、身体がしなやかで、動きが機敏、頭の回転がするどい、天才という言葉がぴったり。
爆発だー、と岡本太郎と、目のランラン、輝きが似ている。
元気の秘訣は?と聞かれて、「豆、芋、根っこ」と答えた。「お肉は?」と聞かれて、「時々は食べますが、あれは身体の一部ですから。」
そうか、成るほどと説得。
全体を食べると、生命のエキスをすべて吸収するというのです。丸ごと食べるものを好んで食べているそうです。
根っこが良いのは、よく聞いていますが、芋も、豆も、その命の丸ごといただくことになります。
それを聞いて、私も、最近、注意して、調理するようになっています。
ごぼう、山芋、サツマイモ、大根、大豆、南京に、お米、果実、など、「豆、芋、根っこ」を組み合わせて、調理して食べています。
すると、気持ちだけなのか、身体の調子が良くなったようです。
元気出して、いきまっしょ。食事は、命をはぐくむ。命と不可分なのです。
先日、NHKのスタジオパークのゲストは、楳図かずおさんだった。いつもエネルギッシュな楳図さん、作品は読んだことないのに、結構、私はこういうタイプの人が好きなのです。赤と白の、囚人服を着て、くりくりパーマ、身体がしなやかで、動きが機敏、頭の回転がするどい、天才という言葉がぴったり。
爆発だー、と岡本太郎と、目のランラン、輝きが似ている。
元気の秘訣は?と聞かれて、「豆、芋、根っこ」と答えた。「お肉は?」と聞かれて、「時々は食べますが、あれは身体の一部ですから。」
そうか、成るほどと説得。
全体を食べると、生命のエキスをすべて吸収するというのです。丸ごと食べるものを好んで食べているそうです。
根っこが良いのは、よく聞いていますが、芋も、豆も、その命の丸ごといただくことになります。
それを聞いて、私も、最近、注意して、調理するようになっています。
ごぼう、山芋、サツマイモ、大根、大豆、南京に、お米、果実、など、「豆、芋、根っこ」を組み合わせて、調理して食べています。
すると、気持ちだけなのか、身体の調子が良くなったようです。
元気出して、いきまっしょ。食事は、命をはぐくむ。命と不可分なのです。
Posted by アッチャン at
14:24
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2009年11月08日
ヴィヨンの妻
http://www.villon.jp/
前から,楽しみにしていた映画「ヴィヨンの妻」を観た。久しぶりに梅田に。バスの中で、電車のチケットを探していたら、10月末で期限切れになっているのが、数枚あって、2千円ほどがパー。格安とか、時差とか、こまめに分けて買っていて、安もの買いの銭失いとは、こういうこと。泣く泣く、無効のチケットを破る。
映画館は空いていた。狭い部屋なのに、結構空席があった。
久しぶりに、見応えのある映画だった。終わってからも、作品に引き込まれて、ずっと頭の中に残っている。ヴィヨンは、1431年ころに生まれた、殺人、窃盗、投獄、死刑宣告を受けて、後に、10年間の追放になった、放蕩詩人。ヴィヨンは、自分の天性が泥棒か、詩人かわからないと書いている。「ヴィヨンの妻」の才能非凡な作家、大谷は、妻になる、サチが盗みで、警察で、弁明しているのを垣間見て、窮地を助け、それがきっかけで結婚するが、大谷自身、泥棒癖がある。
ヴィヨンの妻、さち、に語らせた言葉は、フランス文学の神髄を見るようだ。
彼女が恋した、貧しい法学生が、[寒いので、襟巻があれば]と言った言葉を聞き、デパートで、それを盗んでしまう。交番所で、彼女は自分には罪がないと主張する。
貧しく生まれ、両親の為に働き、親孝行をしてきました。貧乏で、襟巻が買えません。貧しく、寒さに震えている人を温めてあげたいと願い、デパートの襟巻を見ていて、お金がなくて買えなくて、それをもらっても、罪ではないと思います。
生きる権利として、飢えているものが、店先のパンを盗んでも、それは正当な人権であるという、フランス的ヒューマニズムが歌われる。彼女は、野に咲く、タンポポにたとえられる。踏まれても、踏まれても、新鮮な明るい色の小さな花を、太陽に向かってまっすぐに咲いている、タンポポ。
その誠実さ、強さは、主人公のヴィヨン(大谷)が、求めながらも、自分には、とても出来ない。優しさ(人を憂うる気持ちはある)が、女のように、逞しくも強くもない。酒を飲み、溺れていなければ、ものも言えない。
ヴィヨンの詩の中で、恋焦がれる女性から、「死になさい。」と言われるというフレーズが出てくる。「ヴィヨンの妻」の中で、「死にたいのですか。」と妻に語らせている。おそらく、大谷は、妻のさちのもの言わぬ目に、「だったら、死んでごらんなさい。」と開き直られることに、はにかみ、で答えるしかできなかった。
女性の強さ、健気さは、大谷が(マリア:母)として、すがる存在でありながら、それを、痛めつけ、破壊したい欲求の対象でもある。しかし、彼女は、酒屋で、夫の借金の為に働くが、美しくなり、生き生きとして、男達の憧れの的だ。
大谷を桜桃、さちをタンポポに例えている。桜桃は、人肉の味に似ていると、どこかで聞いたことがある。腐りかけの桜桃は甘味が増して美味しいので、好まれる。
心中の失敗で、新聞に、人非人と書きたてられた大谷が、酒屋に、サチに会いにくるが、新聞をさして、自分は人非人になってしまったと言って寂しそうに、外に出ていった後を追ってきた。、大谷が、手にサクランボを出し、「子供にと送って来た、さくらんぼを、自分が食っている、」と言って掌に載せて、口から吐き捨てるように種を出すシーンがある。
妻は、その掌にあるさくらんぼをつまみ、「美味しいわね。」と言って、そっと小さく吐き捨てる。
「人非人でもかまわないじゃないですか。生きてさえいれば。」
映画は、ここで終わっている。
ヴィヨン(大谷)は、おそらくこの先も、放蕩と泥棒癖はやまないだろう。
「人を憂い、ひとの寂しさ侘しさ、つらさに敏感な事、これが優しさであり、また人間として一番優れていることではないかしら、そうしてそんな優しい人の表情は、いつでもはにかみがあります。私は、はにかみで、われとわが身を食っています。酒でも飲まなきゃ、ものが言えません。」
太宰治のこの言葉が、この映画での、ヴィヨン(大谷)の生き様(テーマ)になっていて、その現実を、憂いを持って、共感し、その人の傍に寄り添う、マリア(母なるもの)の権化として、妻、サチの存在が描かれている。
2009年11月07日
人間の尊厳とは?
母に会いに行った。一階に、社長がいて、「お風邪いかがでした?」と例の猫なで声で。
「風邪ではなかったのです。季節性のアレルギーによる気管支ぜんそくでした。」
面会ノートと、体調チェックに、書き込み、うがいをすませ、エレベーターが下りて来るのを無言で待った。
4階の上がると、母の姿が見えない。
「部屋です。」とヘルパーさん。
新しい入居者がいる。沢山着こんで、窓際のテーブルに座っている。社長が仕事をしている場所に。
母の部屋に入ると、母は寝ていたのか、顔が腫れている。リウマチが出ているのでは?と心配になる。
「やっと来てくれたのね。久しぶりに。」と不安そうな母を、思わず抱きしめて、母の小さな身体を包み込む。
母の手が冷たかった。
窓際に、ポータブルトイレの椅子をテーブルの前に置いて、窓越しに見える、公園を日がな眺めているようだ。
「753に行こうと思ったけど、今日は行けなかったわ。」753というのは、公園で遊んで行く子供達を見に行くと言う
意味だろうか。「電線に、沢山カラスが止まっている、カラスは仲が良いのよ。」と言うので、見ると、すずめだった。向こうの方に
1羽、大きなカラスが止まっていた。
[お母さん、あれ、すずめよ。カラスは、向こうの電線に止まっているわ。]
そうね、と言ってあげれば良いのに、私は否定する。母に取っては、すずめでも、カラスでも変わらないのに。仲が良い、ということが
重要なのだ。
母は日曜に訪ねた時と、同じ服装をしている。今日は元気がない。お化粧もしていない。お風呂に入れてもらっていないようだ。寒くなると、
母は、お風呂に入ることを、かたくなに拒んでいるのかもしれない。
実際、リビングも寒々しく、他の人達は、着こんでいる。箪笥の中には、まだ冬物を入れていなかった。
「ユニクロで、温かそうなの買ってくるわね。」と言うと、母は、決まって、
「もうそろそろ家に帰ろうと思うから、持って来なくて良いわ。」と言う。
箪笥の中に、私が病院に持って行った、可愛らしい花柄のコップと、もうひとつ、これも花柄のマグコップが入っている。
「お母さん、これキッチンに持って行かないと。」と言うと、ヘルパーさんが入って来て、
「お母さん、しまい込んでいるので、キッチンにコップがないのです。」と言う。
母は、「こんなコップは何処に行ってもないのよ。」と渡そうとしない。コップの中が汚れているので、それを持って「キッチンに洗いに行くわね。」と言って、キッチンで洗っていると、ヘルパーさんが、もうひとつのマグを持ってきた。ついてきた母は、少しいらだっている。
「ほら、綺麗に洗えたわ。」と言って、母に手渡すと、「こんなコップ、どこを探してもないのよ。」と小走りに部屋に持ち帰る。憤慨しているのが、後ろ姿にあらわれている。
ヘルパーさんに「ごめんなさいね。あんな風に、良く言うのですか?」というと、「時々」と。
母は、大切なものが、無くなる、という被害妄想にかられているのか、それとも、他の人が母のコップを間違って飲んでいたりするのだろう。
母の部屋に、他の人のセーターが入っていたり、母の毛布を、他の人が使っていたりする現実を見ている。
あまり寒そうなので、温かいお茶をお願いして、マグにいれてもらった。
母の馴染みのもの、大切にしているものを使わせてあげたい、と思ったけれど、母の思い入れのないものの方が良さそうだ。
新しいものを買って、持って行こう。
新しく入居した老女の前に、若い女性が座って、携帯電話でやりとりしている。面会者かな、と思っていたが、そうではなさそうだ。
外に、真っ赤なスポーツカーが停まっていたが、今日も置いてある。社長の娘さんのものだと聞いていた。
ヘルパーさんが、洗った布団の、毛布や、ベッドパッドなど、一式をたたんで、社長のお母さんの為に部屋だと言っていた部屋に運び入れている。
その入居者は、社長のお母さんだった。見れば、確かに、顔が良く似ている。若い女性も、社長にそっくりだ。
おばあちゃんと、孫娘だった。老女は、毛糸の分厚いものを着こんでいた。
男の人達は、全員が車椅子。以前は話をしていたのに、全く無言で、首をだらりと垂れた状態でいる。時間が来て、ヘルパーさんが、順にトイレに連れて行く。トイレ一つとっても、時間が相当かかるし、体力も要求される。
問題の老人が、車椅子で、部屋から出てくると、母は「意地が悪いから、大嫌い。」と。怯えている女性は、どこかに身を隠れるように。其の老人は、部屋で寝ていることが多い。
やはり、このような状況が、日常茶飯事なのだとしたら、気が滅入るばかりだろう。誰も、黙りこくったまま、座っているだけだ。
母は、家に帰りたがっている。死ぬまでに、整理しておきたいと言う。
人間、誰しも、自分で思うようにいかなくなる時が来る。グループホームにいれば、食事の管理、薬の管理、など、母が一人では出来ない管理が出来ているから、身体にはよい。母に新しい家族が出来たと思っていたが、そうではなさそうだ。ばらばらで孤立している。
昔の老人達は、どうしていたのだろう。呆けるのは、年を取れば、大なり、小なりはあっても同じ運命共同体だ。
何とか、生きて来たのだと思う。そうさせてあげるほうが、良いのでは?とも。
出来ない、と頭から決めつけずに、ヘルパーを活用して、自立した生活を最後まで、全うさせてあげることのほうが、幸せなのでは?
社長のように、母親を、グループホームの職員と、家族で世話していければ、それが一番だろう。一挙両得とは、まさに。
母のマンションで、同じ階に売り物が出ている。そこを買えば、母が生活するのを、そばで見ていられるのではないだろうか、と思うが、お金がない。
駅前の便利な場所なので、すぐに売れる。
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11:57
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2009年11月05日
あしべ温泉「二王館」
高速道路の原則無料化にならなくても、土日料金千円というので、車で出かける人は多くなっている。阪神間は、その対象にならないので、以前は、琵琶湖や、和歌山に足を向けたが、最近では、西宮北を入り口に、高速道路を使うことが多くなった。以前は、城崎や、網野に、であったが、若狭の小浜西まで、開通している。車の数が少なく、渋滞にあわないのも魅力、それに新鮮な魚が食べられる、というので、小浜に行くことが多くなった。
夕方から出るので、2時間以内に着く場所で、温泉有り、評判良し、料理が美味しい旅館がないかと探したら、綾部から、地道を30分走った山の中に、行ってみたい旅館が見つかった。
二王公園の中にある、天然温泉付きの、あしべ温泉、「二王館」という宿。
http://web.travel.rakuten.co.jp/portal/my/jyouhou_page.main?f_no=49335
バス、トイレ付で、お部屋から眼下に、山里の景色が広がる。温泉が良い。とろんとして、黄色みを帯びたつるつるの温泉、綾部で生息する、薬草を入れた、薬草湯、水蒸気一杯のミスとサウナ、療養に訪れる客も多い。
食事も美味しい。聞けば、京都の料亭で修業した、料理長の手によるものだとか。お酒の値段は、良心的で安い。焼酎好きの友人が喜びそう。
釜めしは絶品
オンザロックを頼めば、なみなみと注いで持ってくる。量が丁度良い。隣のテーブルにいた若いカップルは、鉄板焼きを食べていたが、スタンダードで、私は十分。
日帰り客は、レストランで、800円くらいから、定食が用意されている。宿泊費は、2食込みで、9300円(入湯税込)だから、公的な施設と変わらない。
驚いた事に、結構なおばあさんが、杖のいる、高齢者夫婦を車に乗せ、自ら運転してやってきていた。親なのだろうか?それにしたら、年齢差がそれほどなさそう。お風呂の中で、車の運転について、二人の老婆が話をしていた。
「もう、運転するのが、大変になってきたわ。」
「上手に運転できるから、しっかりしていて頼りになります。」
其の時には、顔を見なかったので、それほどの年寄りであるとは、わからなかったのだが、翌朝、テーブルに、若い方の年寄りばあさんが、腰の曲がった杖を頼りのばあさんを座らせた。そこに、乳母車を改良したような、手押し車を頼りに、仙人風の老人がやってきた。
チェックアウトをすませて、二人を乗せ、老婦人が運転席に。療養に通っているのだろう。ホテルの人達と馴染みのようだった。
この近くには、国宝がある。散歩がてらだと、往復で1時間。車ではあっという間。一見の価値あり。
車を止めて、階段ばかりだが、足幅が低くつくっているので、歩きやすい。初め、え、歩けるかなと懸念されたが。
鎌倉時代の作。2重門