2009年12月27日

クリスマスの贈り物

 

クリスマス、イブの夜は、まだ開店後、日が浅い居酒屋の売り上げに協力して、口の悪い連中に、言いたい放題言わせてあげたので、クリスマスのプレゼントをしたようなもの。




25日は、当日、行きつけのイタリアンレストランに、予約の電話を入れると、クリスマスのシェフお任せの料理で、以前からの客だけ受けている、メニューは二人分で1万円。
 いつも行けば、食べたいものを注文するので、同じものになって、新しいメニューに挑戦するまで行かない。 シェフの特別メニューは、どんなのかな、とわくわくする。
 店に入ると、女性の二人組と二組のカップルがカウンターの前に座っていた。
 奥さんが、今夜のメニューを説明してくれるのだけど、周りの話声で、耳の遠い私は、わからない。トリフ、フォアグラ、という単品の言葉だけわかる。お肉がだめなら、というのは聞こえた。
 隣に座っている人達は、メインのお肉を食べている。あれだな、と思った。美味しそう。




 前菜は、手長えびと鰻、なので、白ワインから。料理に合わせて、あうワインを選んでもらう。この店での楽しみだ。白ワインの二杯目は、マスカットの香りが漂うものだった。


二番目に出てきたのは、豚肉を巻いた挽肉料理、ソースが、野生の匂いがする。一口目は、抵抗、二口目には、美味しい。ワインは赤に。



 
パスタは、鴨のソースで、トリフ、小さなお肉も鴨なのだろうか、すごく柔らかくて美味しい。




 それから、メイン料理は、和牛のすね肉の煮込み。贅沢なお料理に美味しいワインの数々、最後に、手作りのケーキは、フォアグラ、栗なども使っている。エスプレッソはダブルで。


 豪華な食材を、ふんだんに使って、店からの、私達、客へのクリスマスプレゼントなのだろう。
 前菜に使った、手長えびは、国産で、黒門で直買い、すごく高かったそうだけど、甘くてとても美味しかった。
 ここで10年、頑張って来たけれど、キッチンが狭いので、料理に限界がある。10年を機に、来年の3月に、引っ越すことになったそうだ。
 昨年の12月の30日に、初めてこの店を訪れた。「隠れ家的で誰にも、教えたくない店、」というコメントを見て。だから、まだ1年の新参者だけど、美味しい料理と、高級感の味わえるワインが飲みたいときに、時々やってくる。
 奥さんは、初めて来たその時の事を鮮明に覚えていて、対応が悪かったので、「もう来られないかも。」と思っていたそうだ。確か、牡蛎が一人前なくて、それで良いからと3つ出してもらった。以来、何度か、ほとんど予約しないで、ぶらっと。あとでわかったが、この店は事前予約が原則。



 「いつも同じものになってしまうから、こうして出してもらうと、新しい発見があります。美味しかった。」というと、横からマスターが、
「イタリアでも、同じもの注文して、変わらない人が多いですよ。」
 
美味しいから、それを注文する。注文される、料理人は、その料理を工夫して、前よりももっと美味しく、と勉強になるそうだ。 
 
  イタリアンも奥が深い。ワインとの絶妙のコラボレーション。時々、イタリアに行って、食材や、。ワインを現地で買い込んで来られる。レンタカーに一杯になるそう。新しい料理も仕入れて。

    

Posted by アッチャン at 14:25Comments(0)旅のグルメ

2009年12月21日

映画「ジュリーとジュリア」


 

王道のフランス料理本を出版して、わかりやすくフランス料理の手ほどきをアメリカに持ち込んだ女性と、その料理本を頼りに、フランス料理のブログを書いて、
レシピを制派した、女性、二人の生活を、二つの時代で、本を通して、同時進行させるという、面白い映画だ。
飛行機の中で、この映画を見る事が出来たのだけど、私の座っている列の電気系統が壊れていて、馬鹿でかい、大声のスピーカーで、英語版だけしか聞けなったので、
途中で見るのをやめてしまった。音に我慢できなくて。
 西宮ガーデンズの映画館に、プルミエ席があって、通常の値段よりも高いのだけど、時間帯で、通常料金で見られる。映画はプルミエでやっていて、初めて会場に入った。
座席はゆったりして、間にテーブルがあり、前が広いので、通路側でなくても、座席の前を通してもらうのに、こまらない。



 185センチの、陽気で、人の良い、食いしん坊の大女を演じているのは、演技の旨さで、筆頭級のメリル、ストリープだ。この映画でのメリルストリープの演技は、実物がいるので、
それをまねているのだろうけれど、始めは旨いと思わせたが、時間と共に、鼻についてきて、やりすぎの感がゆがめない。
お料理の映画だから、ストーリー性に乏しく、途中退屈してきて、居眠りした場面もあった。隣の女性は、携帯電話が気になるのか、暗闇の中で、見ている。
 この映画を観ての、私の感想は、と言えば、[お料理自慢なんておこがましくて、してはいけない。]と反省したことかな。だって、自己流の簡単なものしか作れないのだもの。それと、フランス料理は、身体に悪いので、出来るだけ敬遠した方が良さそう、と改めて認識したこと。
フランス料理の神髄は、バター。バターとの相性。バターをたっぷりつかって、ワインで煮込み、中身は肉が多い。デザートのケーキも、バターと生クリーム。これを観たからって、フランス料理にはしりたがる、ニューヨーカーは、現在ではいないだろう。ヘルシーな日本料理が持てはやされている、現状では。
 この前、パリで、フランス料理を食べた、あの時の恐ろしさがよみがえる。豚の足、息子は生肉、ガールフレンドは、骨の油、料理だった。こういう料理は、フランス人にとっては、ガストロノミー。
隣に座っている、若い男の人は、大きな羊の肉に、がぶついている。猟銃民族なのだから、肉なら、どんな動物の肉でも、あらゆる部分、骨の骨まで料理する。お魚は、バターとクリーム、オリーブにワイン、香辛料で、こってりしたフランス料理に変身する。フランス料理は、ソースが決めて。ソースは、バターと生クリーム。



 フランス料理のカロリーが、1500カロリーなんて、ざらなのだから。そして、フランス料理には、お金がかかっている。だから、パリのレストランでも、一番値段が高い。高級料理と言えば、フランス料理。
ミシュランの星1つでも、結構な値段。フランス料理を研究することは、お金の浪費でもある。映画の中で、大使館員の妻である、ジュリーなら、お金に糸目はないけれど、安いからと、ロングアイランドのアパートに住んで、マンハッタンまで通勤している、女性が、毎夜、フランス料理とデザートに、挑戦するのには、財政、どうなっているのかな、と不思議。
  

Posted by アッチャン at 12:54Comments(0)映画

2009年12月17日

仁左衛門さんの「祭り」


 

先日、南座で恒例の、「顔見せ」夜の部を観た。お正月を前にして、華やかな舞台だった。東西の人気役者の合同顔見せとあって、正に、顔を見せていただいた感じで、内容は、というと、物足りなかった。
歌舞伎で、仁左衛門と玉三郎との共演と言えば、世話物、人情物、恋の道行き、といったものを期待するので、美しい花魁と, 気風の良い助六、どちらもの魅力は十二分に発揮しているものの、観る者としては、ほろりとさせられる、心のひだとか、感極まった感情の高ぶりに引き込まれることを期待しているので、あっけらかんとして物足りなさが残っっている。

顔見せには、舞妓はん


まだ昇華されていないという思いから、南座の昼の部が観たくて、何度もコンピューターでチケットを買おうかと試みては、いやいや勿体ないと、購入までは行かないで、もどかしく、悶々とする日々。
昼の部は、仁左衛門さんの素晴らしい踊り「祭り」が入っている。踊りっぷりの粋さ、旨さ、人を惹きつけてはやまない魅力が、今でも脳裏に焼き付いている。もう一度観たいけれど、施設にいる母のことを思えば、私だけ、仁左衛門さんの「祭り」を楽しむ気になれない。
 母と一緒に、[すごかったわね。素晴らしいわね。]と互いに興奮しあった。
仁左衛門さんが、長い闘病生活の末に、舞台に出ても、声が通らず、身体も思うように動けず、もう以前のような姿は見られないかと,あきらめていたので、「祭り」を踊る仁佐衛門さんを観て、感動もひとしおだった。
今ではすっかり、お元気になられて、何の心配もないけれど、ここまでに回復されるには、長い年月がかかっている。舞台で生の演技を観られるということは、奇跡的なことなので、機会は逃さずに、観ておきたいと思う反面、母に見せてあげられないし、一度観たのだから、私だけ贅沢は出来ないとも思う。



観劇は、一期一会。そのうちに、またの機会に、と思っていても、それがかなわない場合がある。イブ、モンタンのリサイタルも、越路吹雪のリサイタルも、観たいと願いつつ、機会を失った。フランクシナトラは、母が大のフアンで、日本に来た時に、大阪城ホールでの公演に、2度、一緒に観に行っている。ライザ、ミネリとサミーデイビス、ジュニアとの共演だった。元気に歌っていた人達は、この世にいない。
母の好きな、加藤剛の舞台は、何度か連れて行ってあげた。足を怪我して歩けなかった時、車で行ったこともある。三越でのサイン会に、母は一人で行って、握手してもらったと自慢していた。舟木一夫の、ディナーショーには、お洒落をして、一人で参加していた。好きな歌手のリサイタルはかかさず行って、握手してもらったと、興奮していた。母はかなり、ミーハーでおちょこちょい。お金払が良くて、ばら撒きタイプだった。




あんなに輝いて、好奇心が一杯で、元気だった母が、耳が遠くなり、記憶力が無くなり、好奇心が失せてしまっている。お金は全く自由にならない。物欲はすっかり失せていて、買い物興味がなく、旅行も、温泉も行きたくない。楽しかった思い出の記憶は消えている。

一期一会、観劇を観に行ける、美味しいもの食べられる、歩いて、どこにでも行ける、当たり前のことではない。明日行けば良い、という明日がないことの方が現実的なのかもしれない。
  

Posted by アッチャン at 09:24Comments(0)演劇

2009年12月14日

日浅和美さんの個展「時の軌跡」に思う

 


留守中に、個展の案内状を送っていただいていた。パリ郊外の、画家村に住んでいるアーティストから。吉田さんから、紹介されたご夫婦で、パリに来られた頃から親交のお二人。ノミの市で、サン、ルイのアンティック、ワイングラスを教えてもらって、買うことが出来た。
吉田さんの散髪をするのに、時々来られるのだとか聞いていた。その時も、日本から戻って来られたばかりだった。
 今年の2月に、吉田さんが、亡くなられて、アパートの整理を手伝っておられる。吉田さんのお葬式に参加させていただいた時に、私宛の吉田さんから託された、絵画があったはずなんですと、お話すると、整理の合間に、探してくださるとおっしゃってくださっていた。
 其の絵画は、吉田さんが、病気の治療に日本に帰られる時に、かばんに入れて持参しておられた。吉田さんの鞄の中に、入っていたので、と娘さんが、その後、送ってくださった。絵画の後ろに、私宛のメッセージが、書かれていたので、私あてだとわかったのだ。


 
 個展の案内状は、東京のギャラリーだったので、ニューヨークから帰ったばかりでもあって、どうしようかと躊躇したあげくに、やはり伺おうと、日帰りのトンボ帰りで、東京に行った。東京は、日本の内とはいえ、関西人には、馴染みがなく、交通費も馬鹿にならない。
 格安新幹線チケットを梅田で買った。のぞみの、自由席。自由席は1号車から3号車までで、新大阪が始発だと思い込んでいたら、博多からやってくる。待っている人が少なくて、難なく座れたけれど、京都からは、立っている人がいた。案内状には、地下鉄駅が指定されていたが、銀座なら、有楽町までJRを使うと無料で行けるので、そこから銀座の画廊まで歩いても、そう遠くないはずだ。

車窓からの富士山

 最終日の土曜日なので、きっと会場におられるだろうと思っていた。京都のお茶のセットをお土産に。個展で、よくお菓子などを持参されるけれど、海外から来られているアーティストに、日本茶を持参して行くと、喜ばれる。軽くて、日持ちがするので、持ちかえられるのに。
 今回は、奥様のhiasaさんの個展で、御主人は、お手伝いされている。会場は、個人で借りておられるようだった。
「時の軌跡」というタイトルの抽象画を、テーマとして描き続けて来られた。教会の壁面を使って、壮大なスケールで個展をされた。吉田さんが観に来られて、大層喜ばれ、後継者がいて安心だとおっしゃったらしい。
 一筋の道を、ひたすらに歩み続けることは、大変なことだ。絵画でも、他の芸術的分野にしても、それで食べることは、なかなか出来ることではない。けれど、その道以外に生きるすべを見出さなかった人は、それは神のギフト(才能)ではないか、と思う。



 作品は、透明感があり、素晴らしい。パリのアトリエ17で銅版画を学んだ後に、ノルウェイの給費留学生として、ノルウェイに渡り、世界の美術館に作品が収められている。
白が強調された、透明な作品は、ノルウェイという北欧の地を想像させる。30点の中の、ほしいなと思う作品は完売していた。どれも素敵なのだけど、私は、白が際立った作品に、強く惹かれた。惹かれるのは、皆同じなのだろう。1点、残りの中で、一番ほしいなあ、と思った作品を若い男の人が買われた。買われた人と絵を挟んで、写真を撮られていた。初めて、来られた人のようだった。
20万は、私には、大金だけど、作品に値段をつけるにしては余りにも安い、。油絵で4号くらいの作品。その横に、二つのもう少し、大きな作品があって、それを見ると、なお惹かれた。二つの作品を並べて置かれるつもりで買われたという。



こうして今、書いている間にも、絵画の威力が鮮明に焼き付いている。壮絶なまでに、画家として生き抜いた、吉田さんには、奥様の支えに、お酒という気晴らしがあったし、破天荒で我儘な生き方があったけれど、彼女には、ストイックなまでの真面目さとひたむきさが、ひしひしと迫って来る。芸術家どおし、長年、共にお互いを認め合いながら、共に生活するのは、難しい。我儘な人格がぶつかり合い、きしみあう。
 このお二人には、それが全く感じられない。ゆるやかで、おっとりしたご主人と、それを優しく支える、ごく普通の奥さんのような雰囲気を漂わせておられる。質素でつつましい生活。それだけに、内に秘めた情熱の深さが、作品の中で結晶しているように思えた。
 絵を描き続けておられるのは、周りの支えがあってこそ、と感謝される。その感謝と誠実さが、作品に表れている。

吉田さんの絵の後に、私宛のメッセージが書かれていたと、申し上げると、
「とても、そんな力はなかったように見えました。とても字を書けるような状態ではなかったですよ。最後のメッセージですね。」

吉田さんが、其の絵を選んで、渡そうとされたのには、吉田さんの思いが込められていたでしょうから、きっと見つけ出します、とおっしゃってくださっていた。この方にとっては、絵画を描くということは、祈りにも似た作業で、思いを人に届けたいという、強いメッセージがあるのだろう。それがあるからこそ、人は、惹きつけられるのだろう。
 
  

Posted by アッチャン at 15:16Comments(0)art

2009年12月11日

二号様と、土瓶蒸し

 


車で送っていくよ、と行ってくれてたので、4時に起こす。一旦起きて、ソファに横になり、

「ああ、気分悪い。こりゃだめだ。」早くしてよとせかすろ、「出る前にトイレに行くわ。」やっと外に出たら、車を探して見あたらない。自分が運転しなかったので、そこに停めたのかがわからない。坂を下ったり、登ったり、ああ、時間がなくなる。
 「遅れたらどうしてくれるのよ。」
「僕は遅れも困らないよ。」笑っている。
  「気分悪いから水を買って行くわ。」
 「冗談じゃないわ。帰るまで我慢してよ。」
 「時間どれくらいかかるの?」
 「40分くらいかな。」
 「それじゃ、全く間に合わないじゃない。」
 かっかされっぱなし。
 信号にひっかかると、なかなか、色が緑にならない。
 「頭に血が上るわ。」
 と言いながら、空港まで、15分かからなかった。息子は知っていて、からかっているのだ。
母と3人で黒川温泉に行った時もそうだ。
飛行機に間に合わなくなるから、と言うのに、息子は、途中で、お腹が空いたといって、レストランに立ち寄って、ラーメンセットなどという時間のかかるものを注文した。
私と母は、食べずに、いらいらしながら待つ。さんざん悪態をついてやるのに、平気で、笑って喜んでいる。腹が立って、腹が立って。でも、十分余裕を残して、空港に帰ってきた。母と私は、空港でラーメンを食べる時間があったのだけど、知らない土地で、どれだけ時間がかかるかわからない時には、こちらがまいってしまう。
 ニューヨークの空港へも、1時間前に着いて、何の問題もなかったのだけど、それまで、私を怒らせるのが、息子の喜びであるらしい。ケラケラ笑っていると、余計に腹が立って仕方がない。それを見て、また笑うのだから。



ともあれ、JFKのラウンジは、今回三回使った。サンフランシスコまでは、15000マイル使って、グレードアップしていたので、寝ようと思っていたが、コンピューターの無線サービスがうまくいって、繋がったので、寝ないでコンピューターをしてしまった。 6時間半、退屈はしなかった。サンフランシスコからは、エコノミー席だけど、並びが空いている席だというのに、寝られるなと期待して、飛行機に入ると、おじいさんが、真ん中に座って、自分の荷物で席を確保している。じいさんは、飛行機のアテンダントに、何かをあげている。来る度にあげるようだ。
「藤本様、そんなに頂いたら、二号様に差し上げるものが無くなってしまいますわ。」と彼女が言っている。
そのじいさんは、アメリカ国籍になっている。英語の新聞を読み、日本語の方は、あまり上手ではなさそう。へえ、二号さんに会いに行くのか。魅力のなさそうな、がりがりじじいで、食事が終わると、オーバーを着込んで、その上に、毛布をかけ、手袋をして、肘掛けを倒して、横になって寝てしまった。そのまま、トイレと食事に起きるだけ。空港が近づくと、アテンダントがやってきて、
「藤本様、土瓶蒸が待っていますよ。」土瓶蒸しが食べたいと、彼女に話していたのだろう。土瓶蒸しと、二号様、が、じじいの日本滞在の目的であるらしい。
飛行機が着くと、足下に置いていた、大きな布のずだ袋のようなバッグとキャリーバッグと二つも持って、出て行く。相当力はある。よぼよぼしているのは、顔つきだけで、案外元気なじいさんだった。私は、寝られなかった。年寄りに席を譲るのは当たり前だから、文句は言えない。  

Posted by アッチャン at 14:00Comments(0)ニューヨークにて

2009年12月11日

猫の埋葬



 晴れている時の公園

 サンフランシスコから帰った、その夜は、ぐっすり寝てしまった。二人はすでに起きて、朝食の準備をしていた。
「何時?」
「10時過ぎ。」
「え、そんな時間?」
子供は、金曜日からパパの所で過ごすので、週末は、二人。息子は、週末を楽しみにしている。金曜日はマンハッタンで外食することに決まっているらしい。
 朝食は息子が張り切って台所煮立つ。持って行ったソーセージとこだわりの目玉焼きを作る。 みそ汁は、インスタント、タマネギのスライスは、ガールフレンド、息子は、卵を買いに行って、チコリとオクラも買って来た。 オクラを湯がいて、私がサラダを造る。
 夕方、ステーキハウスに予約を入れてくれている。ピータールーガー、この前美味しかった店で、なかなか予約の取れない店。 
 それまで、たまった洗濯をして、飛行試験の勉強をするらしい。
メイン州時代から飼っていた、猫の骨を、近くの公園に埋めてやろうという。彼女に、土に返さないと成仏出来ないと言われたからという。メインにいた頃から飼っていた猫で、病気になると、何がなんでも助けてやると言って、随分お金も注ぎ込んだ。亡くなると、DNAを保存してもらい、火葬してもらって、御骨は手元置いていた。DNAは?と聞くと、会社がつぶれてしまったそうで、どこに消えたかわからない。




 公園は、枯れ葉が埋まり、雨が降っていた。骨壺を初めて開ける。ビニール袋の中に納められた骨は結構ある。メモリアルカードが添えてある。土を掘り、骨を埋めて、その上に枯れ葉で覆って、3人でしばらく黙祷。
 私が居るときに、埋葬出来たので、良かった、これから冬になって、雪に埋もれるから、ゆっくり眠る事が出来るだろう、と息子は気になっていた事を終えて、ほっとしたよう。あれだけお金を使って、なんとかしてやらないとと必死だったが、今となっては、可愛そうな事をしたと思っている。
 息子が、埋葬する気になったのは、新しい猫がやってっきたからだと思う。
 埋葬をすませ、息子達は洗濯をすませる。私はカレンダーを買いにメトロポリタンへ。3時半に、ベッドフォード駅の角で待ち合わせだと言われた。地下鉄で、一日券を買おうと思ったら、クレジットが使えない。で、レギュラーを買った。86駅で降り、いつもはバスに乗るのに、歩かないといけない。雨の中歩いて、美術館に入ると、 入館希望者でごったがえしている。4つのチケット売り場に長い列が出来ている。こんな光景を見たのは初めて。
 私は、トイレに行きたくて、チケットを買わずに、入った。普通は、止められるのに、あまりに混んでいるので、チェックも出来ない状態だ。トイレに入っても、これも一杯の人だった。トイレに並び、カレンダーを買うのに並んで、待ち合わせの時間に間に合うように、走りに走って、地下鉄駅に。ベッドフォードまで行くのに、マンハッタンを3時に出れば間に合うと言われていた。駅に着くと、7分前。雨で寒い日なので、待たせるわけにはいかないと、早めに着いた。指定された角で、待っていると、寒さで、手が凍りそうになる。待てども来ない。もう来るか、もう来るのでは?と雨の中にたたずんで待っていた。だんだん腹がたって来る。こんな所で、待たせて、来ないなんて、非常識だ。30分待って、通りの向こうを見に行き、戻った所に、ガールフレンドの声がした。




 トイレに行きたいのも我慢して、何度も帰ろうと思いながら、待ち続けて、堪忍袋の緒が切れた。彼女に不満爆発。
 二人は、車で来たのだという。余計に腹が立つ。もうレストランになど行きません。凍えそうで、風邪を引いたら、どうしよう。車でぬくぬくとやってきて、しかも30分も遅れて。ないがしろにするのもいいかげんにしろ。どうせ待っているだろうぐらいにしか考えていないのだから、と彼女に当たり散らしてしまった。
 息子は、バーで、ビールを注文して、待っていた。トイレに行っている間に、彼女は、泣いている。息子は、なんで彼女に当たるのか、と問いつめる。


 途中、事故があって、15分遅れただけで、私が待っているので、彼女を下ろして、探しに行ってもらったという。指定され場所は、車で来たので、ぐるぐる回って探して、、その場所がわからなかったらしい。
 「カフェにでも入って、覗いていたら良かったのに。」と息子は言う。「なんで彼女に当たるの?僕に怒ればいいのに、」と逆に怒られる始末。
 確かに、そうだとは思うが、もう後の祭り。二人はどっちでも、連帯責任だわ、と反論し、それでも彼女に当たるのはお門違い。彼女に謝って、ビールを飲んでいると、暖かくなってきた。皆動きたくなくて、ステーキハウスはキャンセルして、そのままそこでソーセージなどをビールのあてに食べていた。どのくらいそこにいたのか覚えていない。帰りは、彼女に運転してもらった。
疲れすぎて、酔いが回って、シャワーを先に使って、息子が冷蔵庫から、残り物だしてきて、ワインとそれらをまた食べて、寝てしまった。目覚めると12時、それからは、出かけるまで起きていた。

   

Posted by アッチャン at 13:01Comments(0)ニューヨークにて

2009年12月10日

 志茂田景樹

 
 タマによく似た猫

ユニクロで買った、超軽いダウンと、ヒートテックのとっくりセーターは、結局、また持って帰ることになった。 空気ベッドの寒さから、守ってくれた。置いて帰ろうかと思ったけれど、私が着てみると、着れなくもない。
「ね、もう一度着てみたら。この色、宣伝に出てて、人気あるのよ。」
 「6千円で買ったんだろ。パタゴニアでも、こういうの作っているよ。300ドルらいするけど。」
パタゴニアとは、LLビーンの高級品といったような、スポーツ用のウェアーを造っているメーカー。東海岸の北の方は、冬のスポーツのメッカで、防寒用のスポーツ服は人気ブランド。日本のミズノのようなもので、私が買って愛用しているミズノの超軽いポータブルダウンの方が、先に発売されたのだと思う。パタゴニアは、しっかりつくられているけれど、結構目方があるので、私は合わない。若い人達は、スタイルとブランドに凝るから、パタロニアが人気。
 息子が、なんだかんだ言いながら、着てみる。鏡を覗いて、笑いだした。
「志茂田景樹、みたいや」
タイツをはいて、バレリーナまがいの変な服装をして話題になった、作家だ。

グレコ「トレド」

 私も思わず、吹き出してしまった。ほんと、そんな感じ。 これはやはり、彼がいやがるのも無理はない。
「ブログ、書きなおしておいてよ。僕が悪いように書かれているけど、これは着れないよ。おかしすぎる。」
 横から、ガールフレンドが、
「若い子には似合うのでしょうね。」
 スマートで細い、可愛い少年のような子なら着こなせる、滅茶派手なブルー、もう息子には似合わなくなっている。
「黒なら良かったのに。」
私も黒にしようかと、大分迷ったのだけど。 とっくりセーターも、息子に似合わない。暖かいから、首を保護すると、すごくいいんですって、と言っても、似合わないものは着たくないだろう。まだ、オシャレ心は失っていない。
 「やせなきゃだめだわ。身体隠しの服ばかり選んで着ているから。」
息子に、文句言いながら、それは、そっくり、私にも当てはまる。
オシャレするって、相当に努力がいる。食べたいものは控えめに、スタイル保つの大変なんだから。息子には、お腹隠しを前提に考えないと、と反省しました。泣いて怒って、笑い転げて、買った服を再び持ち帰る、馬鹿な母親。  

Posted by アッチャン at 10:38Comments(0)ニューヨークにて

2009年12月10日

タイ料理に決まった


 ティム、バートン


 6時にシェラトンで待ち合わせ、グランドセントラル駅のオイスターバーに行くことになっていた。
 MOMAで、ソファーに腰を下ろし、休みながら、また、えいこらよいしょと 立ち上がる。待ち合わせまで時間がないので、5階の所蔵絵画は、素通りするように、所どころで、ちょっと立ち止まる程度で見ていった。 マチス、やセザンヌ、ピカソにゴッホ、名作ばかり。マチスのダンスや、金魚、代表的な作品、セザンヌのサン、ヴィクトワール、ゴッホの夜の絵。不思議なことに、あれほど疲れていたのに、どこかに消えている。絵画が、疲れを取ってくれたようだ。 癒されたのだろう。


ティム、
 MOMAから、シェラトンまで、5アベと6アベを通っていく。ものすごい人、通勤帰りと、買い物客、それに、ロックフェラーセンターのクリスマスツリーが点灯されたので、見に行く人の通り道でもある。




歩き出した。地下鉄に乗るつもりの私は、すたすた早足で歩いていく後ろを追うようにして、歩く。背中は板のようにはりついている。セントラル駅は43だから、バス停にして4駅以上歩かさされた。デスクワークで一日中、座っているので、運動不足の解消に歩いている。 セントラル駅の中でも、店を探して、歩く。もう限界だ、と叫びながら、ついて行かざるを得ない。店に到着し、ガールフレンドが来るのを待っている間に、メニューを見ると、人気抜群の「アクワグリル」よりも高い。ここは、生牡蛎以外、調理されたものは、それほど美味しくないのに、店には、どんどん客が入ってくる。
 ソーホーにある「アクワグリル」は、当然のことながら、予約で満席、入る事は出来ない。



店の中は、がやがやうるさくて仕方がない。やめようか、というこになった。高すぎるわ。 「 アクワグリル 」は雰囲気は素敵だし、料理はここよりも遙かに美味しい。節約するつもりで、ここに決めたのに、逆なのだから。
 さて、じゃ何食べる?と聞かれ、韓国か、焼き鳥は?



 私は、タイ料理か、ベトナム料理、或いは、海鮮の中華くらいしか、お腹に受け付けそうにない。 一度連れて行ってもらったことのある、タイ料理の店が美味しかったので、そこに行きたいと言った。
 地下鉄に乗って、帰り道にも近くなるので、そこに決まった。ウッドサイドという7番線の駅で、マンハッタンから離れている。店には、待っている客がいたが、中が大きいので、すぐに席が用意された。



 トムヤンスープ、パパイヤのサラダ、パドタイ、魚を丸ごと調理したもの、餅米を頼んだ。どれもこれも美味しそう。
 トムヤンスープに髪の毛が入っていた。新しく、調理して、出てきたのは、ずっと後になってから。


髪の毛だけ取って、同じものを持ってくるのではないのかな、なんて疑ってたが、そうではなく、その上、トムヤンは無料にしてくれた。
 ここに来て、正解だったね、と皆大満足。支払いも安くて、なお満足。  

Posted by アッチャン at 10:20Comments(0)ニューヨークにて

2009年12月08日

サンフランシスコの夜は更けて

 


 空港で夕日が見たいと言うと、案内役のおじいさんは、「それは無理だよ。霧が出るから。」と言った。
そうだ、シスコの霧は有名だ。「霧のサンフランシスコ」という言葉を思い出した。でも、おじいさんの予想に反して、快晴で、夕日が港の大橋を照らしている。鳥たちは、近寄っても平気で、動こうともしない。
サンフランシスコは、ドックが47ほどあって、そこに素敵なシーフードレストランの明かりが見える。
 昼の食事がまずかったので、夜は、空港のインタナショナルターミナルの入り口にある、「えびす」という名の寿司屋で、食べよう。




 7時に市内を出て、空港には8時前に着いた。見るところ、全然混んでなくて、閑散としている。早く着きすぎた。
まずは、寿司屋で、何を食べようか迷って、やはりいつも注文するカリフォルニアロールに決めた。キングカリフォルニアロールは、少し高いけれど、本物の蟹が使われているので、これを頼む。6個では物足りない。かといって、同じものも芸がない。ぐるっと、周りの店を見て回ったが、お腹が受け付けない感じなので、あきらめて、ゲートをくぐった。 


空港内のア^ト展示


ニューヨークまで、ワシントン乗り継ぎの飛行機、ビジネスは満席だったので、エコノミーで帰るつもりだったが、2日間の強行軍で疲れている。カウンターで、500マイルチケット(これは1万マイル飛ぶごとに4枚のチケットがおらえる)が何枚あるか聞くと、8枚になっていた。そのチケットを5枚使って、ビジネスにあげてほしいと頼んだら、満席でキャンセル待ちの人もいるから無理だと断られた。エコノミーは、UAのラウンジが使えない。それでも、プライオリティークラブのカードが通用すると書いているから、これを使うつもりで、ラウンジに行くと、これはインターナショナルにしか使えないと言われた。時間はたっぷりある。友和という寿司コーナーで、何か無いかと覗いたり、時間を持てあます



10時半の飛行機では、食事を買い込んでおいた方がよさそうだ。機内で食事を売るのは10時までだと機関誌で読んでいたから。アナウンスがあり、機内で食事を9ドルで売ってくれるというので、美味しそうだ
なと思った、サンドとサラダのコンポをかうつもりだだったのに、やめた。
 お腹がすっかり空いた頃、食事を頼むと、サンドイッチしかないという。ローストサンドを頼んだら、美味しくなさそうな、ビニールに包んだサンドを持ってきた。チップがついているだけ。ぱさぱさのひどいパンに、がしがしの乾ききったローストビーフ。ワインでもないと、とても食べられない代物だった。なんでこう運が悪いのか。そうではない。欲が深いからいけないのだ。美味しそうなサンドサラダよりも、もっと良いかもと期待したからいけない。機内で実質の料金で、一流シェフの、と機内誌で読んでいたのがいけなかった。
 機内では、隣が開いていると喜んだのもつかの間、ぎりぎりになって、黒人の大女が中に割り込んで入ってきた。彼女は分厚いコートを着たままで、両肘を両脇の手摺りに置いた。私の席まではみ出して、こちらは窮屈で仕方がない。首も肩もおかしくなりそうだ。 彼女はすっかり寝てしまい、益々身体はリラックスで横暴になる。私は、そっと突き出た肘とコートを向こうに少しでもずらそうとするが、一向に効果がない。
 そのような劣悪な環境でも、疲れていると、寝られるものだ。アイマスクと、耳栓をして、しばらく寝たようだった。
 シスコからワシントンまで5時間、そこから2時間待ちで、ニューヨークまで飛ぶ。安いチケットだから、こんなスケジュールになる。直行便に乗れないのか聞いたら、新しいチケットの購入が必要で、そういうのは、グッドチョイスではないと言われた。新たに買えば700ドルだとか。
 私が買ったチケットは20000円、その差は大きい。お金の節約には、若さと体力が要求される。私は老体にむち打って、若ものと張り合って、なんとい向こう見ずな。



 ワシントンのゲート近くに、ザガットに常連で毎年選ばれている、有名ハンバーガー店が出店している。どんな味だろう。並んで買ってみた。
「ミニバーガー。」と言うと、
「他には?」というので、
「いらない。」と答えた。
チケット番号をもらって、見上げると、トッピング無料と書いている。
つまり、他にのせてほしいものはないか?と聞かれたのだろう。
出来ていくハンバーガーには、確かに、トマトや、野菜、ピクルスなど美味しそうなものが乗っていく。しまったなあ。私のは肉を挟んで、マヨネーズもケチャップも何もついていなかった。
 ワシントンから、1時間余りではあるけれど、ウィンドー席に入って来たのは、映画「グリーンマイル」に出てきた、超能力の大男のようだった。なんでこう運が悪いの?もう。 やれやれ、やっとニューヨークまで帰ってきた。地下鉄のチケットがないので、第四ターミナルから、バスに乗れない。もったいないけど、エアートレインを使って、ジャマイカで地下鉄の一日券を買った。8ドル25セント。
 アパートに帰って、シャワーを浴び、買ったプレーンのハンバーグに、トマトとキュウリを挟み、マヨネーズをかけて食べた。肉の味が美味しい。ステーキと同じ味がする。ステーキ肉を刻んで、ハンバーグにしたような。
 残りは今日を入れて、二日しかない。でかけなくちゃ。寝てなんかいられない。  

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2009年12月08日

サンフランシスコ

 

 ロスからニューヨークに戻ったのは、夜中の12時半だ。一度アパートに帰ろうかと思ったが、チェーンがかかっていたら、入れない。6時の飛行機に乗るまで、空港で夜明かし。一度、ここで夜明かしした経験がある。朝の6時に乗るのに、夜中地下鉄に乗ると危険だと思ったから。今では、夜中の3時過ぎにでも地下鉄に乗るが、寒い季節は苦手だ。
 ケネディー空港で、夜中中開いているのは、第四ターミナルだけ。夜明かししている人も多い。夜中に出発する飛行機もあるので、賑やかだ。カフェも幾つかある。そこのベンチで、横になって寝ている人もいる。


 私は、サンスランシスコのガイドブックを一部印刷してきているのを見て、時間を過ごす。コンピューターがあれば、すぐに時間が経つのだけど、荷物になるので、持ってでなかった。ニューヨークと、サンフランシスコ、ロス間は、エンジョイ用に、幾つかのサービスがある。
 座席は、全て、エコノミープラスで、前が広い。ビデオ貸し出し、インターネット無料サービスがある。日帰りばかりなので、荷物を預ける場所がない。リュックサックを出来るだけ軽く、最低限の荷物で出たのに、背負って歩くと、腰に響いてくる。
 足も疲れて、シャワーを浴びたいなあと思う。プライオリティークラブのラウンジが、第4ターミナルにあって、そこは、チケットを持って無くても、入られる。夜中の1時半まで、朝は、4時に開く。そこに行くと、既に閉まっていた。多分、お客さんがなくて、早じまいしたのだろう。



 4時になると、すぐに行ってみた。が、やはり閉まっている。隣のスイス航空のラウンジで、休みなのか聞いてみた。開いているはずです、と言われて、再び行くと、開いたばかり。ありがたい。このラウンジは、シャワーがあると書いてあったので、まずシャワーを使わせてもらおう。部屋を探したが、それらしい場所がない。聞くと、それならどうぞ、と案内してくれた部屋は、ドアーの奥。バスタオルなど出してくれた。完全な個室で
トイレも洗面所も備わっている。
 暑いお湯が出てこないが、気持ちが良い。シャワーを浴びるだけで、生き返った様。一流ホテル並の気持ちの良い部屋。ユーナイテドのラウンジは、シャワーなどなく、食べ物もほとんどないが、ここは、朝食まで注文できる。
 シャワーとフルーツサラダを食べ、すぐに、ユナイテドカウンターのある、第七ターミナルに移動した。



 飛行機の中で、2時間半缶詰で遅れた。次の飛行機の方が早く飛ぶから、と何人か、遅れそうな人達は、移動。隣の中国人も出て行った。エコノミーの席しかないですよ、と言われて。
 うとうと寝て居る間に、いつのまにか、大きな男が隣に座っている。朝食が運ばれ、ほとんどの人が、オムレツを食べているのに、彼はフルーツ。中国人が注文していたメニューが運ばれてきたから。なんだか、気の毒だ。いかにも大食漢なのに。
サンフランシスコに着くと、2時間近い遅れで、大阪行きも、東京行きもすでに飛び立った後。私が帰る日だったら、その日は飛ぶ飛行機がなかった。まだラッキーな方だ。



 夜の10時半の飛行機だから、サンフランシスコで時間はたっぷりあるはずだった。
空港の案内で、ボランティアのおじいさんが、帰りは何時だと聞くので、10時過ぎだと答えたら、6時半がタイムリミットだと言う。そんなに混むのかな。と懸念したが、まあ、言うとおりにしよう。



 バート(地下鉄に直結している、高速鉄道)で、チケットを買うのに、クレジットを入れると、20ドルミニマムと書いている。行き先は8ドル10なのに、ここでは買えないのかと、案内所に聞きに行く。
 20ドルから、往復だと16ドル20なので、そこから、引くボタンを4回押し、足すボタンで10セント単位で足していく、というシステムだった。ややこしい買い方。



 サンフランシスコに入ると、一日チケットを買った。11ドル。ケーブルに乗るのに、一回5ドル、一日チケットだと、何でも、何回でも乗れるのだから、すごく便利だ。
 ケーブルカーは、私のお気に入りで、こ、こでは必ず一度は乗っている。今日は、ケーブルを最大限利用して、サンフランシスコの町を網羅するつもり。


 
坂の町だから、その醍醐味を、ケーブルカーは最も味あわせてくれる。坂を上がりきると、サンフランシスコ湾を望むj素晴らしい景色が現れる。何度もそういう繰り返し。






 先日、テレビで、市村悦子の解説で、サンフランシスコを歩いて、案内する番組を見たばかり。ノブヒルは、高級でオシャレな場所。広い公園から、サンフランシスコを一望出来る場所だとか、カメラが捉えて行くを見て、是非、私も、と興味をそそられた。
 チャイナタウンには、昔、子供が小さかった頃、行っただけ。そのころは、治安が悪く、住民が銃を携帯しているのを見せてくれた。



今は、アメリカで一番住みたい場所と言えば、サンフランシスコで、土地もアパートも高い。オシャレでこじんまりしていて、風光明媚、新鮮なお魚や蟹も豊富。気候は、年中温暖だと言うが、その日は、ニューヨークよりも寒かった。ケーブルカーは、外に椅子があり、そこに座りたがる人が多い。私もその一人。











 フィッシャーマンズの、立ち食いコーナーでは、いつも人で溢れている。蟹サンドを食べたら、まずかった。口直しに、クラブケーキを食べたら、これも美味しくいない。昔は美味しかったけど、観光客が溢れて、まずくてもおかないなしなのだろうか。選んだ店がペケだったのか。



 途中、坂道を歩いて、そのあたりを散策したり、トイレ休憩に、ホテルに入ったり。




 ほとんどお目当ては隈無く見てから、、サンフランシスコのサンセットが見たいと、探したが、それが見つからず。ケーブルに乗って、ファイナンシャル地区に。
そのすぐ前に港があり、フェリーの乗り場もある。そこからの景色も素晴らしい。




夕焼けが綺麗だ。そろそろ、帰る準備を、とクラシック電車で、港の側を走って、フィッシャーマンズのケーブル終点駅に行くと、沢山人が待っている。
日も暮れて、真っ暗。ケーブルカーに乗ると、外側に立つ人まで一杯。向こう側の方が景色はいいけれど、子供達が座っていた。

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帰りの方が、坂道の、下りカーブがすごい。ケーブルカーの運転手は、サービスして、下りをスピード抜群で走らせる。子供達の黄色い叫び声。それを聞いてますます張り切って。まるでジェットコースター並だ。ダウンタウンが小さく見える。




 バーとの駅まで戻ると、まだ時間はありそう。ニューヨークにもある、メ^-シーズというデパートが提供しているクリスマスツリーは、ニューヨークと同じ、くらいの大きさで、その横には、スケートリンクまで、まねている。


 周りには、ニューヨークにあるデパートが、軒並み。
 「私はサンフランシスコの心を残した」という歌があるけど、私も心を残して、後ろ髪を引かれる、素敵な町。




  

Posted by アッチャン at 08:15Comments(0)ニューヨークにて

2009年12月06日

ハリウッド

 


朝 、6時30分の飛行機で、ロスアンジェルスに、と言っても、泊まりではない。6時間ほどで、ニューヨークjにトンボ帰り。そのまま空港で夜明かしして、サンフランシスコに飛ぶ。
 飛行機のチケットは、一往復2万円で買えた。一泊すると、日本に帰る日までに、予定がたたないし、たとえ1泊しても、翌朝、早く帰るのなら、日帰りと変わらない。そこでこういう強硬な計画をたててしまった。
 そのかわり、飛行機の座席は、片道15000マイル使って、ビジネスにアップグレードしてもらった。ロスアンジェルスまで6時間の飛行だから、食事は出るし、座席を倒して、眠ることが出来るので、身体に負担がかからない。


 ロスアンジェルスに着くと、無料のシャトルバス(G線)で最寄りの地下鉄まで行き、そこから、ロス市内に。ロスでは、地下鉄の料金が、どこに行っても、1,25セント、一日フリーパスは、5ドルという安さだ。
 前回、ロスに来たときに、行けなかった、ハリウッドを観るのが、今回の目的。ハリウッドハイランド駅には、地下鉄をブルーラインから、市内に入るグリーンラインに乗り換え、さらにレッドラインに乗り換えれば、空港から1時間半くらいで行ける。
 ロスアンジェルスと言えば、昔は車がないと、不便だっが、今は、地下鉄で、どこにでも行ける。


 地下鉄を上がると、そこはもう、映画の都、ハリウッドだ。映画の衣装を着て、メークアップした、人達が、駅前から、立っている。
 インタビューを受けている人がいるので、スターなのかな、とも思っていたが、どうもそうではなさそうだ。
 チャップリンがいるので、カメラを向けると、ポーズを取ってくれた。手招きするので、地下とると、ピクチャー、と言って、チップをくれ、と言う。


 そうだったのか。コスチュームをして、立っている人達は、一緒に写真を撮って、チップを稼ぐのが仕事だった。


 チャイニーズシアターの行くまで、道路にスターの名前を書いた星のマークが続いている。それは、劇場までだけではなく、ずっと続いていた。チャイニーズ劇場の前に、俳優達のサインと、手形、足形が、刻まれている。メリル、ストリープが、手形を押している風景が、テレビで放映されていて、一度、観に行きたいと思っていた。



 エリザベステーラーや、ナタリーウッド、トムハンクス、ウィリアムハート、沢山の馴染みのあるスター達。


 毎年、アカデミー賞の授賞式が行われる、コダックシアター、スター達が歩く、レッドカーペット、それらが、このハイランド駅のすぐ側なのだ。
スターのタッソー劇場や、アトラクションの劇場も、沢山あるようだ。



 お腹が空いたので、時間があれば、リトル東京のお寿司やさんに行きたかったが、それほどの時間はなく、途中駅を降りて、通りを眺める程度で、再び飛行場に。
 ハリウッドを観ただけだったが、十分雰囲気は楽しめた。
 帰りの飛行機の中で、食事とシャンペンをいただいて、あとは寝ていた。  

Posted by アッチャン at 17:39Comments(0)ニューヨークにて

2009年12月06日

雨の日は、掃除と買い物

 

雨が降っている。いやだな。雨の日は、足が重い。午前中は、アパートで、掃除をして過ごした。
ハーレムに行ってみたいと思っていたけれど、中止。3人が帰って来たので、夕食の準備をしてあげなくちゃ。
 美味しいと、喜ぶ顔が、見たさに、食材探し
感謝祭の日の夜、歩いて、トレーダー、ジョーまで行ったと話すと、「え、そんなに遠くまで、歩いて?」と息子が目を丸くした。
 なんでやねん、歩いて買い物に行ってはるわ、散歩するのに丁度良い、と聞いて、歩く気になったんやで。
真っ暗な中、枯れ葉に埋まった道が、どういう状態なのかわからなくて、こわごわ足を進めながら歩いたわ。行けども行けども、お目当てのスーパーマーケットはあらへん。
 途中にある、レストランから、じゅーじゅー肉の焼けた香ばしい匂いが、立ちこめて来る。お昼抜きやさかい、寒さと飢え(大げさ)で、やっとたどり着いたら、閉まってた。外に、タバコをふかしている男の人がいた。映画「ニューシネマ、パラダイス」に出てくる、映画の技師を思い浮かべた。ペペが戦争から帰って、シネマ座に行くと、夏の暑い日、ランニング姿でタバコをふかしてた、暇で退屈しきった男。季節は違うけどね。
今日は、当然のことながら、バス待ち。トレーダー、ジョーに入ると、美味しそうなものばかり。
 アパートで、浴室をブリーチしている間に、ポテトサラダを作ったので、マヨネーズを選んで、スペアーリブを作るつもりで、肉を探したら、そういうのがない。生ハム、チーズなどを買い、母の施設へのみやげに、メレンゲ菓子を買い、有機バナナ、など、余計なものばかり買って、重くなってしまった。
 勘定場で、「紙が良いか、プラスティックが良いか?」と聞かれて、このスーパーの紙袋がかっこいいので、反射的に、『紙」と言っていた。


 バス停で傘をさして、思い紙バッグをかかえて、待っていたら、水たまりを,生きよい良く駆け抜けた車に、上着をバサンと泥水?をかけられ、待てど、暮らせど、バスは来ず。紙バッグも、破れるのが心配になる。しまった、プラスティックにすべきだった。 やっと来たバスに、袋を抱えるようにして乗った。バスは満員、来ないので、待つ人が多かったのだろう。
 最寄りの駅に降り、アパートまで帰ると、紙バッグの底が破れている。かっこいいバッグでも、捨てるしかない。で部屋まで保っただけでもラッキー。
 荷物を置くと、再び、バス停に。ルーズベルト駅にある、韓国スーパーに行けば、焼き肉の種類が豊富だから。ストーンクラブのディップがあるので、えびのカクテルも。




バスが来たと思ったら、「アウト、オブ、サービス」やっと待って、やってきた、と思ったら、また、『アウトオブサービス」次も同じ。それからも辛抱強く待つこと10分、ええい、やめた。アパートに引き返す。トイレに行って、今度は歩いて、駅まで行き、地下鉄に乗った。ルーズベルト駅から、ラガーディア空港に、市バスが出ている。バス停の側に、中華の巨大スーパーがあるのに、息子お気に入りの韓国スーパーに行くと、客は誰もいない。中華の方は、客が多かった。中華のスーパーに戻り、えび、サーモン、ほたて貝、スペアーリブ、ネギなどの野菜を買い込んだ。
生け簀に魚が泳いで、魚売り場の店員は、調理に大わらわ。店先には、日本人らしい人がお寿司を握って売っている。
 アパートに帰ると、7時を少し回った所だった。息子は、駅近くにあるバーで、飲んで帰る戸電話があったらしい。ご飯だけ炊いておいて、と。


 私が、マンハッタンに出て、帰ってないのではないか、と思い、えびを買って帰ってきた。


 私は帰るや、大忙しで、えびを湯がき、サラダを作り、ホタテ貝をソテーして、食卓には、今夜も豪華な食事が並んだ。明日は、イタリアンレストランに、誘ってくれたが、スペアーリブとサーモンを買ってきてしまったので、明日もおさんどんになる。
息子は、会社帰りに、ビールを飲んで帰る。息抜きが必要なのだという。一人になる時間が。わかるような気もする。一人で、ほっとなれる、自分だけの時間が。  

Posted by アッチャン at 17:38Comments(0)ニューヨークにて

2009年12月01日

フリックコレクション

 
www. http://frick.org/ ホームぺージ



 午前中に帰って来ると、息子は言っていたけれど、私は待たないで、フリックコレクションを観に行く。
 日曜日の11時から午後1時までに入館すると、ドネーション(寄付金)で入れるから。 鉄で巨大な財を築いた、ヘンリー、クレイ、フリック(1849-1919)が、館を美術館として、コレクションを公開している。
 館は、トーマス、ヘイスティングの設計で、1913年から14年にかけて造られた。1931年、フリック夫人が亡くなって以後、ジョン、ラッセル、ポープによって、美術館用に、贈改築された。元もと、コレクションを展示することを目的に作られている。
フリックは、自分の死後、コレクションを貸し出す事を遺言として、禁じたために、死後は、一度も貸し出されることがない。




 優雅な中庭を中心にして、周りに部屋がある。美術展示を目的に、ローマの浴場くらいの広さを持った、ドロウイングに、ターナーの大きな作品3点、フランツ、ハイツの肖像画3点、グレコ、コロー、など、フリックが、特に好んだ、作家の大きな作品と、家具、調度が飾られている。ここは、応接室として使われ、その奥に、書斎がある。書斎には、宗教画が展示されている。
 まず、入って、廊下に、フェルメールの「手紙」という作品がある。フェルメールの作品が、この館に3点もある。ちなみに、世界中に、フェルメール作品は、35点くらいしかない。
 


 ホリベイスタインの「トーマス、モア」と「アダム、スミス」の2作品が、グレコの作品を挟んで、並んでいる。
 フリックは、対になる作品を、いくつかコレクションに加えている。因果関係、人間関係などの追求を絵で求めたという。
 ルノワールの作品も、私達が良く知っている秀作が。
館なので、実際に使われていた、、家具、調度、食器、書、絵画が自然に調和していて、実に素晴らしい美術館。夫妻の生活が忍ばれる。
 ゴヤのさ作品も何点かあるが、中でも、3人の鍛冶職人が、鉄を板金している絵画は、 鉄工労働者の苦労に、心をくだいた、フリックの目には、格別だった。



 全体的にみて、フリックが愛した作品は、すべて、光をこだわった作家のものが多い。フェルメール、フランス、ハイツ、ターナー、ゴヤ、グレコ、など、彼らが、描いたのは、光だった。
 
 残念ながら、全館、撮影禁止なので、これらの作品に会おうとしたら、ニューヨークの70ストリートと5ストリートに交差する、フリックコレクションを観に行くか、美術館のホームページで。 



 この界隈は、年代を思わせる高級アパートが目を引く。マジソン街のブティックのショーウィンドー


アパートに、4時に帰ります、と買い置きしていた。戻ると、3人は、疲れてお昼寝中。お昼は、ご飯を炊いて食べたとか。
 私は、ニューヨークに来ると、昼抜きで走り回っているので、腹ぺこ。




フロリダから、ストーンクラブを買って来てくれた。重いのに、ご苦労様。
 アパートの界隈には、何もないと思ってたけど、とびきり美味しい、ベーグルの店も、ピザハウスもあるので、ワインを買いにいくついでに、息子が、教えてくれた。帰り道、彼が会社帰りに、立ち寄るという店で、生ビールを1杯ごちそうになる。生のべルギービール、ステラは、空きっ腹の、五臓六腑に染みこむ。ニューヨークに来て、今回初めてのビール。美味しい。
 一杯いくらだと聞いたら、7ドル。チップ入れて、9ドル。高いね。




 ワインの大ボトルを買い、ロシアの食料品店で、いくらと、サーモン、ハムを買った。 今夜は、ストーンクラブ、と散らし寿司、豪華な食卓。
ストーンクラブは、殻がものすごく堅い。レストランで、木のトンカチで叩いて食べるのだそう。息子が古今奮闘して、食べやすいように割ってくれた。男の人がいないと、だめだな、と思う瞬間。
 もう、もう、ものすごく美味しかった。フロリダの高級レストランで、持ち帰り用のを買ってきてくれた。ストーンクラブは、レストランで食べなかったらしい。とても高いのでしょうね。店の駐車場に、ずらりと高級車が並んでいるとか。



私が作ったサラダも、お寿司も、美味しかった。
彼らが居ない間に、少しスマートになった、猫のタマも、再び、餌のやりすぎで、太りそうだ。
せっかく、身体が軽く、敏捷になって、構われずに、賢くなってたのだけど。

  

Posted by アッチャン at 23:35Comments(0)ニューヨークにて