2010年01月25日

助けて、と言えない30代

 


 「助けてといえない30代」というドキュメンタリーを見た。NHKで以前にその番組への反響が多きかった。多くの同じ世代の人達から、共感と悩みの投稿が多かった。2年前に路上生活を送っていた、青年のその後の取材を通じて、投稿者達のメッセージ、取材を入れての、2回目の放送だった。彼は、今、生活保護を受けながら、なんとか就職をしたいと探しているが、住所がないので、職につけない。インターネットカフェで寝起きしている。
  路上生活を送ってる若者が、こうなったのは、自分の責任だと言った。自分がいけないから、こうなった、と。それに共感する、30代の人達が多い。同じような苦しみをかかえている30代。
 過酷な仕事につていいけなくて、やめてしまった人、就職氷河期に、社会に出た人達。自分が悪い、自分に責任がある、と思いこむ人が多い。家族に頼らない、頼れない、助けてと、言えない人達が多い。
 私は、この番組を見て、こう感じる。
 子供の人格を尊重し、友人のように、子供と接し、子供の自立心を促して来たと自称する親達は、子供を学校にやり、大学まで出せば、あとは自立出来るだろうと思っている。子供時代は、思いやりのよい、優しい親達は、自分達の親のように、頭ごなしに親の権威を振りかざすことはしない。子供を親の所有物化しない。教育費を工面する為に、サラリーマン生活を耐え、競争社会を生き、子供に頼れる時代ではない思っている親達は、自分達の老後の生活には堅実にお金を貯め、年金を含めて、余裕のある老後を楽しみたいと思っている。子供とは、切り離した生活、それを見越して、子供を教育してきた。
 子供が、どんな相手を選んでも、それは子供の自由、結婚にかかる費用は、自分たちで、親は祝い金をあげる程度ですむ。自己責任にゆだねる。
 核家族化と、個人主義が、「自己責任」を、ひ弱な優しい、戦えない子供達に、いやおうなく押しつけられる結果が、「助けてと言えない30代」を生み出している。
彼らは、家庭に、「現実の子供を持ち込みたくない、」という。「楽しい家庭の思い出」を壊したくない、という。職を得て、社会生活が出きるまで、家には帰れない、という。
私は、けなげで優しい30代の、弱さは、けなげで優しい親たちを映している鏡だと思う。
 一方で、家に引きこもり、親に暴力をふるっている子供がいる。こんな風にしたのは親が悪い、と。暴力的ではふるわないが、社会に出て行けない自閉症。鬱病。
 犯罪を犯す子供の親達の、なんとも冷たいコメントを聞いていると、子供との希薄で、断絶した親子関係を想像せざるを得ない。犯罪者を持たないまでも、借金を肩代わりするのを避けて、簡単に、子供との縁切りを宣言する親。

親は、自分たちの生活で精一杯だと思っている。よしんば余裕のお金があっても、それは自分たちの楽しみに取っておかねばならない。子供にも、それが十分にわかっている。
 助けて、とは言えない。今、窮地にたたされ、社会の落伍者であるのは、自分のふがいなさ、力のなさ、がんばれなかった自分の弱さ、自己責任なのだ、と自分を責める。  

Posted by アッチャン at 13:53Comments(0)日々の事