2010年01月28日

B型で気を悪くなさった方へ、ごめんなさい。




 


B型が健忘症?聞き捨てならん。おしかりを頂きました。気を悪くして、かんかんな方、本当にすみません。私の失言癖でした。
実は、私、「あなた、てっきりB型だと思ってた。」良く言われるんです。
なんでか、「マイペースだから。」だそうで。さもあるかな。
母がB型、母の母親も、母の兄妹も。
 私の周りは、B型が多いのです。友人にも。

 私は?複雑怪奇なAB型。友人に、「あなたどういう人かつかめない。」と言われます。父がAB,妹がAB、息子がAB、そして、祖父がABなのであります。
父のこと、わかっているつもりで、よくわからない。近寄れば、突き放されるので、冷たい、と思ったり、さりげない所で、とても暖かい、と思ったり。
 我が強いのに、気は小さくて、神経質なのに、負けず嫌いで、おせおせ、の所もあり。 私は、父によく似ているようです。

 子供の頃、父は買ったばかりの車に、私を乗せて、試し乗りだと、意気揚々と、高速道路を突っ走る。昔の車は、最初は、エンジンに負担をかけてはいけなかった。それを限界まで飛ばしてみる。父は、走りに満足して、意気揚々と高速を降り、地道を走っていると、ミシン工場の中から、警察が、ピーッと笛を鳴らして、車を停めた。
こちらへと誘導された。
「切り上げて帰る所だった。最後のお客さん。」
11キロオーバーのスピード違反です。父は小さくなって、えらいことになった、とおどおど。
「1キロ負けてもらえませんか。」と警察に小さな声で、頼み込む。関白親父の変わりよう。、
「1キロ変えても、変わりませんわ。」とあっさり断られました。
父は、罰金を心配していたのではありません。それで、免停になったら、車に乗れないこと仕事にならないことを心配していたのです。
帰り道、父は、いつもの強気にかえり、
「けちな、警官だ。1キロくらい負けてくれても大差ないのに。こちらが頭を下げて頼んでいるのに 。」

 私の、大胆不敵と、気の小ささとのギャップは、父のそれとは、比べものに、なりません。
 言葉が走りすぎて、反省。気にしてます。ごめんなさい。読者様。
  

Posted by アッチャン at 21:38Comments(0)日々の事

2010年01月28日

小沢さんは、B型

 神戸高架下の金盃

 小沢さんの証言に食い違いがあることが問題視されている。17年に、小沢さん自身が、自分の土地ではない事を証明する文書を、自ら書いた物だと公表していた。
先日の調書には、自分は全く知らない、事務処理に関与していないことで署名しているとの報道。
 私の推察では、小沢さんは、その時どきに、自分には、やましい所がなく、誠実に答えている、と思っている。
では、この違いはどうしてだろうか。小沢さんは、忘れているのだ、と思う。
血液型の特徴的な現れだと思う。小沢さんは、B型だ。
 B型の人は、よく言えば、こだわらない。悪く言えば、言った言葉に責任を持たない。忘れる、という私から見ればいかにも、羨ましい特権を持っている。
B型の人から、「そんなこと言った覚えはない。」といわれることありませんか。B型の、長嶋監督の、有名録。





過去にこだわらず、人の意向を気にせずに、突っ走る傾向のある猪突猛進型で、言葉よりも行動が先に。B型は、自分は真っ正直で、正しい道を選択している、という自負がある。
 そういう性格だから、人の上に立ち、リーダーとなる人が多い。いちいち細かいことを覚えていて、根に持つことは無い。去る者は追わず。  強気で、頑固、豪腕を発揮出来る、大物タイプ。

 慎重なA型には、およそB型は理解できない。わからないから、つきあいやすい、というA型の友人がいる。いいかげんさがいやだという人もいる。





小沢さんは、参考人として、聞かれた事に、正直に答え、間違っていないからと、調書に署名している。その時、その時が、小沢さんは、誠実に対処しているつもりでいる。
以前は、過去の事で、忘れてしまっているから。
「私の言っていることに、違いはない。」と信じ込んでいる。記憶にないから。
たとえ違っていても、それは体勢に、どうでもよいこと、だと思っている。 言い間違いや、記述間違いなど、いくらでもあることだ、と思っているから、忘れるのだ。本人に取って、大切なことは、別の所にある。こちらが問題にしても、小沢さんには問題ではない。 選挙資金で、土地を買っても、本人は、良いことをしている、国民のお金を有効利用しているのだから、喜ばれてしかるべし、と思っている。自分の私用ではなし、秘書の為、人の為に、働いている、という自負がある。

B型の人は、人の役に立つこと、人の為に働くことで、生きがいを感じる。中国に大人数を引き連れて行った事を、あたかも、権力のみせつけだ、と批判されたが、小沢さんにとっては、行きたい人が行けばよい、とそれだけのこと。自費で行くのだから。お正月に人を呼ぶのは、喜ばれると思っているのだろう。B型の人は、世話好きで、おせっかい、親切の押し売り的な人、多くありませんか。



小沢さんは、自分になんらやましいことがないから、徹底的に戦うと宣言、国民もわかってくれていると思う、と楽観的だった。それでも、世論の調査が厳しいとなると、堂々と出て行くわ、てなもの。黙秘権を告げられると、隠しだてはないから、と進んでしゃべり、調書を、マスコミに公開した。

 やましいことはない、と信念を持っている。
  検察は、血液型では、納得してくれないだろうが。

 B型の人に、ごめんなさい。でも、私の体験では、B型の人に、思い当たるふしが、多々あるものものですから、小沢さんにも、かな、なんて面白いこと考えてしまいました。  

Posted by アッチャン at 12:29Comments(0)日々の事

2010年01月27日

 手に負えなかった家族には、感謝される施設

 

 

 2ヶ月に一度、グループホームで、運営委員会がある。前回出席した時に、私の発言が、代表者である、社長の癇にさわって、あとで嫌みを頂戴した。この施設に母がいる以上は、こちらが引き下がる以外にないと、悟ってからは、一切、何も言わないことにしている。
 2回目の会議は、以前と違って、理事長にお願いしたという、社長の友人で、ある一流企業の社長さんが出席し、施設の職員も、紹介された。議題には、第三者評価、という項目があって、市の職員が、{自己評価を提出してもらうように、依頼していいますが)、と言われた。
社長の声が、いつもになく、震えている。猫なで声も小さくおとなしい。 社長の紹介で、
 ケアーマネージャーが、社長と、この施設に一人いることも、初めて知った。二施設を経営しているので、一施設に、一人代表のケアーマネージャーが必要なのだろうか。実質では、社長が全てを仕切っている。

ビデオで、一年間の施設での暮らしぶり、行事、が映し出された。
こういうビデオを見ると、一年中、こうなのか、と思わされるだろう。3月に開設したので、母は8月からなのだが、側にある公園に、4回程度、(一度は、夏祭りを見に、2度目は、公園で昼食を食べた時、3度目は、運動会、 冬服で、お弁当を食べている写真)と、クリスマスに、お正月のおせち料理の写真、パン作りの写真、三階の人達が、野菜を剥いている風景とか。
 日常こういう活動が、あたかも毎日のように、行われているかのように、紹介して、出席者から、この施設でお世話してもらって、感謝の言葉が出た。理事長に就任する人は、全く無知だけれど、看護の方々は、大変なご苦労だと、感心した。第三者評価の話は立ち切れで、話題に登らなかった。受けるまでもない、模範的な施設を、自分たちは実践しているという自己宣伝も加わって、市の職員共々、話気合いで終了した。
 どこの施設も、こういうことなのだろう。見えている所よりも、普段の生活が大事なのだけれど、特別の食事、特別の行事、が、あたかもその施設の通常のサービスであり、入居者の笑い顔が映っていれば、それで入居者達は、ハッピーで満足、完璧だと思わせる。
 そういうことが、本当に、日常行われているかどうかをチェックする機能として、第三者評価があり、外部から、人の目が入る事が出来るのに、現実には、それは強制ではない。 施設運営に、本当の意味で、自信のある人、改良を加えたいと、真摯な気持ちのある施設では、率先して、毎年受けている。が、自分の施設のやり方に、一言でも口出しは許さない、という施設では、受け入れを拒否しているだろう。
 入居者の中から、これを依頼する人は、いない。それが何であるかも、知らない人の方が多いし、知っていても、腫れ物に障れば、その災難は自分に降りかかってくる。
 市の職員の前で、私は、一言だけ質問した。
「グループホームというのは、認知症以外の人も入られるのですか。」
「認知症対応の施設です。」という答えが返ってきた。

 認知症であると、判断すれば、誰でも入る事が出来る。その判断は誰がするのか?
 認知症とはとても思えない人が二人いる。非常勤のヘルパーも、日常を見ていてそういう。社長のお母さんは、周りの人達の事がよく見える。母の言動を見て、私に、直すようにと、注意してくれるが、母は、注意されても、覚えていられない。
もう一人は、全く、認知症はなさそうだ。職員と一緒に、家具を買いに行き、以前の事、忘れ物、全て覚えている。カルタ取りをすると、途中から入って、一人でほとんど取ってしまう。塗り絵をすると、手早く、すぐに出来あがる。
 認知症対応のグループホームに、認知症とは考えられない人が入っている。

 そういう施設は、いくらでもあるかもしれない。経営者の家族を、都合で良く泊めている、とコメントしている人がいた。介護認定に関しては、正確な判定基準はなさそうだ。 医者に、書いてもらう診断書、面接に、立ち会う、ケアーマネージャーの、診断、発言が大きく作用する、現状においては。  

Posted by アッチャン at 17:08Comments(0)日々の事

2010年01月26日

手造り、万年筆、大橋堂

 

 神戸のそごうで、東北物産展を開催中です。20年以上以前のことのように思います。 東北出身の人の勧めで、万年筆を買いました。手作り万年筆の大橋堂、という店でした。当時は、ご主人の植原栄一さんが、実演販売されていました。
 今のように、美しい模様のあるものは、ほとんどなくて、ほとんどが、黒い万年筆で、万年筆の軸になるのは、エボナイト。プラスティックに比べて、コストも高く、手作りでないと出来ないので、生産量は、少ない。



 全国各地のデパートでの、物産展で、紹介するようになって、ここ20年くらいの間に、愛好者が増えている。
植原さんは、13歳から、万年筆づくりを初めて、2005年には、現代の名工に選ばれた。現在は90歳になられる。
 お弟子さんが、デパートを回られるようになって、随分長くなるが、宮城で、手作りの万年筆づくりに携わっておられる。
  クリーニングの案内はがきが、買った人全てに、送られる。宮城に送れば、いつでも、掃除、修理はしていもらえるけれど、近くのデパートで、メンテナンスをしていただけるので、便利だ。
 掃除をしていただく度に、書かなくちゃ、と思うのですが、三日坊主。最近でコンピューターを使うので、書くことがほとんどない。


 今回回っておられる、お弟子さん、と言っても、長年植原さんの元で、働いて来られたベテランの方が言われる。
「書いている人にはかなわない。いくら達筆な人でも、書かないと、書いている人にはかなわない。」
 そうなんだ。下手が書かないのだから、益々ひどい状態であるのは、当たり前。
 掃除をしてもらって、インクを入れるかと聞かれた。
インクを入れると、毎日書かないと、インクが詰まって書けなくなる。


 
 万年筆の掃除を依頼している間に、東北物産展を見て回っていた。寒い地方では、どこでも、手工芸品の素晴らしいものがある。
 手工芸に、以前は興味が薄かった。生活に追われ、時間はいつまでも存在すると思っていた。
今は、手間暇かけて、手工芸一筋に生きてきた人の作品に、特別の感銘を受ける。感慨深いものを感じる。
 秋田伝統工芸の、川連漆器、というコーナーで、足が止まった。漆器の美しさ、手に取ると、木の軽さ、手触りが何とも素敵だ。



  ほしくなった。漆器の塗りは2万回耐えるという。修理をしてもらえる。適する木がなくなっていく、と聞いた。
 汁椀と、いなにわうどん用の椀を、買った。衝動買いではない。毎日、それを使いたい。人の手で、心を込めて作られた、食器を大切に使いたい。これから先、そういう生活がしたい。つくづくと、そう思う。

 



漆器塗りのテーブルも素晴らしかった。
 紹介している、職人さんは、20年以上、同じテーブルを使っているとか。小さなテーブルなので、日当たりの良い場所に持って行って、書き物をするという。
 
 母は、ほしかった、タンスを、好きな工芸を、主なき、住まいに置いている。母が、そのマンションを買い、調度をそろえた気持ちが、今になって理解できる。
   

Posted by アッチャン at 14:06Comments(0)日々の事

2010年01月25日

助けて、と言えない30代

 


 「助けてといえない30代」というドキュメンタリーを見た。NHKで以前にその番組への反響が多きかった。多くの同じ世代の人達から、共感と悩みの投稿が多かった。2年前に路上生活を送っていた、青年のその後の取材を通じて、投稿者達のメッセージ、取材を入れての、2回目の放送だった。彼は、今、生活保護を受けながら、なんとか就職をしたいと探しているが、住所がないので、職につけない。インターネットカフェで寝起きしている。
  路上生活を送ってる若者が、こうなったのは、自分の責任だと言った。自分がいけないから、こうなった、と。それに共感する、30代の人達が多い。同じような苦しみをかかえている30代。
 過酷な仕事につていいけなくて、やめてしまった人、就職氷河期に、社会に出た人達。自分が悪い、自分に責任がある、と思いこむ人が多い。家族に頼らない、頼れない、助けてと、言えない人達が多い。
 私は、この番組を見て、こう感じる。
 子供の人格を尊重し、友人のように、子供と接し、子供の自立心を促して来たと自称する親達は、子供を学校にやり、大学まで出せば、あとは自立出来るだろうと思っている。子供時代は、思いやりのよい、優しい親達は、自分達の親のように、頭ごなしに親の権威を振りかざすことはしない。子供を親の所有物化しない。教育費を工面する為に、サラリーマン生活を耐え、競争社会を生き、子供に頼れる時代ではない思っている親達は、自分達の老後の生活には堅実にお金を貯め、年金を含めて、余裕のある老後を楽しみたいと思っている。子供とは、切り離した生活、それを見越して、子供を教育してきた。
 子供が、どんな相手を選んでも、それは子供の自由、結婚にかかる費用は、自分たちで、親は祝い金をあげる程度ですむ。自己責任にゆだねる。
 核家族化と、個人主義が、「自己責任」を、ひ弱な優しい、戦えない子供達に、いやおうなく押しつけられる結果が、「助けてと言えない30代」を生み出している。
彼らは、家庭に、「現実の子供を持ち込みたくない、」という。「楽しい家庭の思い出」を壊したくない、という。職を得て、社会生活が出きるまで、家には帰れない、という。
私は、けなげで優しい30代の、弱さは、けなげで優しい親たちを映している鏡だと思う。
 一方で、家に引きこもり、親に暴力をふるっている子供がいる。こんな風にしたのは親が悪い、と。暴力的ではふるわないが、社会に出て行けない自閉症。鬱病。
 犯罪を犯す子供の親達の、なんとも冷たいコメントを聞いていると、子供との希薄で、断絶した親子関係を想像せざるを得ない。犯罪者を持たないまでも、借金を肩代わりするのを避けて、簡単に、子供との縁切りを宣言する親。

親は、自分たちの生活で精一杯だと思っている。よしんば余裕のお金があっても、それは自分たちの楽しみに取っておかねばならない。子供にも、それが十分にわかっている。
 助けて、とは言えない。今、窮地にたたされ、社会の落伍者であるのは、自分のふがいなさ、力のなさ、がんばれなかった自分の弱さ、自己責任なのだ、と自分を責める。  

Posted by アッチャン at 13:53Comments(0)日々の事

2010年01月22日

トム、ウェイツ「トム、トラバーツ、ブルース」

 
 

http://www.youtube.com/watch?v=ztGvXVxn0PE

トム、ウェイツ、ホームページ
http://www.tomwaits.com/

不毛地帯のテーマソングが好きで、歌っている、トム、ウェイツ、をインターネットで検察すると、ユーチューブで、沢山の録画がありました。
番組の最後に、雪で覆われた、シベリアの収容所が映し出されます。視界の悪い、曇ったような中を、カメラが動いて行くと、一人の男が立っている姿が雪の中に、浮かんできます。10年間、シベリアに抑留されていた、壱岐(唐沢)がコートを着て立っています。
この歌の声は、黒人歌手を想像させます。歌い方が、なんとも魅力的です。

 

トム、トラバーツ、ブルース、という曲です。
  

Posted by アッチャン at 00:32Comments(0)日々の事

2010年01月18日

民主主義政治は育たない

 


日曜日、紀伊国屋で友人を待って本の立ち読みをしていたら、外で、拡声機の音が大きく響いてきた。なんだろうと、外に出ると、街宣車が、次つぎに、連なって、民主党打倒、売国奴、小沢などの、罵声と共に、軍歌を流している。異様な風景だ。


民主党大会での、ものものしい警備、テレビでも、右翼団体の車、日の丸をかかげた、デモ隊が映っていたが、白昼、街のど真ん中を、どこから出て来たのか、次から、次に、右翼団体の、合同組織であろう、車が通って行く。信号で止まるので、中に乗車している人達が見える。若い女性もいる。最後尾の車、あたりで、カメラを向けた。
 小沢さんは、危険に晒されている。身震いした。民主主義を唱え、運動してきた人達は、実際に殺された人もいれば、改革を阻止され、社会から抹殺されたことだろう。
 民権を唱えることは、国民が主権者となり、その代表である、政治家に、国民の民意を委ねることになる。官僚主導の、国家権力を保持しようとする人達、天皇崇拝を唱える人達、日本の国粋主義を唱える人にとって、小沢さんは、潰しべき、敵対者だ。
 検察の横暴、越権を、正すために、「取り調べの可視化」を法律化しようとしている事は、警察、検察にとっては、[聖域を侵すもの、]ということになる。民間からの起用など、もってのほかというわけだ。
 さらに、小沢さんは、内閣法案で、[在日外人の地方選挙権]をこの国会で提出することを提案している。公明党がこの法案を出すたびに、自民党が反対して、潰してきた法案である。 警察官僚出身の、国民新党の亀井さんも、「国の治安が乱れる恐れがある」と反対している。
さらに、[国民の代表である天皇は、国民から選ばれた、政治家が国民の為の政治をするのだから、政府の方針に従って、お仕事が決められる。]
と言えば、天皇崇拝者達の反発が凄い。


 

 沖縄基地移転先の候補に挙げられると、どの地域も反対する。沖縄の代わりに、自分達が、という声は一つも出ない。
民主主義は、まだ日本では、育っていないのではないだろうか。個人を、互いに認め会い、その違いを受け入れ、共に共存していこうとするのが、民主主義なのではないだろうか。
 小沢さんが、目指している、議会制民主主義が、やっと実現出来るようになるか、と希望を持った人達は、少なからずいるだろう。検察のリーク、マスコミによる、検察寄りの、国民誘導的、発言と誘導。

 官僚主導による、自民党政権が崩壊して、政権交代出来た。政権与党になれば、政治資金も豊富になるけれど、野党には厳しい。政治に金がかからないのは、理想だけれど、お金をかけないで、選挙に勝つことが出来るのだろうか。ポスターを張るにも、お金がかかる。有権者の元に足を運ぶのに、お金がかかる。運動員もいる。ボランティアばかり使える人だって、お弁当と交通費ぐらいは、かかる。ポスターの枚数がいる。
選挙に勝つためには、どれだけ、足を運び、有権者の声を聞き、理解してもらい、政界に代表として送ってもらえるように努力するのか、顔を知られるようになるのか、名前を覚えてもらえるようになるのか、それに尽きる。地盤のない、新しい人達、有能な人材を発掘するのに、お金がかかる。

 小沢さんは、献金を、浄財と言う。大切な浄財を、有効に生かして使うことが大事だ、と。その為に、法人格ではない、陸山会では、登録出来ないから、小沢さん名義で、土地を買っている。これらは、小沢さんには、言うまでもなく、個人とは関係のないもので、政治資金の為のもの。
 万年、借家が良いと考える人、資産価値のあるもので、運用しようとするもの、小沢さんは、後者のタイプだ。 大切なお金だから、そう考える。

今回の逮捕の後、アンケートで、民主党の支持が落ち、70パーセント近くの人が小沢さんに幹事長をやめてもらいたい、という意見だと、新聞に書かれた。
 
民主主義が、実現するのも、壊れるのも、全ては、私達の判断にゆだねられている。ああ言えば、あちらに、こう言われれば、こちらに。

 

 

  

Posted by アッチャン at 14:10Comments(0)日々の事

2010年01月14日

戦前の町並み「中崎町」

 

「三丁目の夕陽」ブームの影響かどうか。中崎町界隈は、昭和戦前のレトロっぽい雰囲気を醸し出す、若者のデートコースになっている。
 中崎町には、昭和や戦前の古い家と町並みが残っている。古屋をリノベーションして、雑貨屋さん、髪結い屋さん、化粧筆の店、なつかしい駄菓子屋さん、カフェに洋食屋、アジアンテイストのノスタルジックな店が、軒裏通りに、点在している。カメラスポットになっていて、被写体になる風景や、建物が多い。
80年前の町屋を彩る、シャンデリア、金子国義、四谷シモンなどの絵画、本棚には、昭和初期の絶版本を並べた、カフェ「珈琲舎 書籍アラビク」
 店先に、写真撮影お断りの紙を張っている所が目立つ。



 古ぼけた、日当たりの悪い、カビの生えそうなアパートの前に、「観光ではありません。」と書かれている。私も、引き込まれて、暗い中を覗いて視たくなった所だ。
そこで、生活している人たちは、興味本位に、入ってくる人達に迷惑しているのだ。
 昭和や、戦前の町並みは、若い人達には、新しいトレンドの町並み。



 こういう現象と関係ないかもしれないけれど、今年の皇居の年賀参拝者が、過去最高であった、ということに、私は懸念を感じている。
 検察の越権行為、情報の垂れ流し、新聞、マスコミの好き放題な言動、個人が、孤立した持論を持たず、流されるままに、誘導されるとしたら、民主主義は危機に。


  

Posted by アッチャン at 13:17Comments(0)日々の事

2010年01月13日

ケーキの箱が空っぽ




3日ぶりに、母に会いに行った。明日から、寒波がやってくるらしい。昨日、買っておいた、菓子パンと、途中で、皆さま用のケーキを買って持って行った。一階の、テーブルに、温かそうな色のテーブル掛けがかかっている。クリスマスに使ったものらしい。寒い時に、赤い色を見ると、温かくなったように感じる。思い出せば、デンマークに行くと、家々の、インテリアや、屋外の色に、赤が目立っていた。サンタクロースの白と赤は、
雪と、暖炉の赤い火を表現しているのかも。


面会帳に記入して、エレベーターに乗せてもらう。4階のリビングに母の姿がない。
[お母さんあてに、荷物が届いています。この方からで、お母さんに、渡しましたが。]と職員が見せてくれた、送り主は、息子の名前で、私が送ったものだった。
息子が所有している、バンダイという株から、送られてくる、株主優待が、イタリアントマトの千円券か、お菓子を郵送してもらうかのどちらかを選べるようになっている。それで、母に息子の名前で送ったものだった。

母は部屋にいて、なにやらごそごそ、箪笥の中を探している様子。毎日、何十回となく、箪笥の中を探している。財布を探している。
お金がなくて、不安がっている。窓から見える、自分のアパートに、帰ろうと思うのだが、財布がない、と探すのだ。
「いつまでもこんな所で、遊んでばかりいられないわ。そろそろ帰らなくちゃ。」窓を見ては、そう思う。
持ってきたパンを見せると、母は、「お腹が一杯だから、明日にでもいただくわ」というので、箪笥に入れると、財布を探して、箪笥の中に入っているパンを見て、「あなた、これ持って帰りなさい。」と私に食べさせようとする。
「これ、私が、お母さんに持ってきたものよ。」何度、この会話を繰り返すことだろう。いたちごっこだ。
息子からの送った、ケーキはどこにあるのだろう。箪笥の中に、ケーキの箱らしいものがある。中身はない。
「あら、お母さん、箱が空だわ。食べたのね。」
「私は、ケーキなんか食べてませんよ。そんなの、知らないわ。」
ゴミ箱に、食べた後の袋が6つ。
「お腹空いてないでしょ。」
「そうなの。今朝から何もほしくなくて。不思議に、お腹が空いていないのよ。」
何時来たのだろう。職員に聞くと、今朝だ、という。
 どうりで、私が持ってきた、パンも、食べられないはずだ。
 母は、食べたことを忘れ、食べていないと思い込んでいるので、次から次に、食べて、美味しいと食べて、なくなるまで食べてしまった。
アパートが見える窓辺に立って、母は言う。

「あそこに帰れば、お隣も、お隣も、。やあ、帰ってきたの?って。周りにお友達がいるから、心配ないのよ。ここにいると、呑気だけど、私もすることが一杯あるから、遊んでいられないのよ。」
 母に取っては、自分の家ほど良いものはないだろう。だから、出来れば、家で暮らせる方法はないだろうか、と思う。けれど、母には、無理だ、ということも、わかっている。

 「夜、寝る時に、このまま死んでも良いわ、と思って、こてんと眠るのよ。起きてください、と誰かが呼ぶので、また目が覚めるの。生きているわというようなもの。一日が過ぎて行くの。気楽なもの。」

 朝の目覚めと、共に、生まれ、夕べには、死を前にして、熟睡する。達観した生き方というのを、母は実践している。

  

Posted by アッチャン at 01:51Comments(0)日々の事

2010年01月10日

 小沢さんと、藤井さん。口の重い人と軽い人

 

藤井財務大臣が辞任して、管副総理が、財務大臣を兼任することになった。今朝の、テレ朝に出演していた、渡部議員は、藤井さんと共に、何十年、小沢さんを支え、共に歩んできた、盟友だった。小沢さんからの、「政治主導にはなっていない。」厳しい攻撃に、つくづく嫌気がさし、「やってられるか。」と口走ったとか。
命をかけて、死ぬ覚悟で引き受けた、と私は耳にしていたのだけれど。政界を引退すると言っていたのに、鳩山さんが、比例に名前を連ねていて、議員として復活され、財務大臣を請われての、最後のご奉公、死ぬ覚悟で、と言明されていた。確かに良く頑張られたのだろうけれど、途中放棄には違いない。小沢さんへの批判的言動も、そういう人だから出て来たのではないだろうか。
 渡部さんは、昨年の西松問題で、民主党の中堅、若手議員から小沢退陣要求の声が出た時に、自分が悪役を買って出たという。藤井さんも、小沢さんの心緒を明らかにし、代表を辞任すべきであるという意見を、各所で口にした。
それ以来、小沢さんとの仲がこじれ、不仲になっている。すっかり小沢さんに嫌われた。
これまでも、幾度か、袂を分かち、離れて行った同志も多い。また、和解した人達もいるけれど、小沢さんに取って、盟友であった、藤井さん、渡部さんの、発言は、ものすごい衝撃と、信頼関係の崩壊を、心に深く刻み込まれたに違いない。
 窮地に立たされ、四面楚歌の立場にあって、自ら潔白であり、なんらやましいことはない、と言いきって耐えている人間に、友人ならば、小沢さんを信じて、信頼してくれている。「身の潔白を説明して明らかにすべきだ。」「代表を辞任すべきだ。」などという、言葉は決して出てこないだろう。 
小沢さんは、二人に言われたから、辞任したのではないだろう。あくまでも、選挙に勝てるか、勝てないか、その一点にかかっていた。全国を回り、自分が代表では、選挙に支障をきたすと判断したからだ。

何十年、親しく付き合い、友人だと信じてきた人物であっただけに、裏切られた思いは大きい。ひどい孤独感に襲われたことだろう。昨日の友は、今日の敵、などという軽いものではない。人間の根幹の所で、信頼関係を失った。

マスコミは、小沢さんを黒い金と結びつけようとして、小沢潰しにやっきとなっている。検察からの、情報垂れ流し。4億円の起債がなかったと言われているが、2004年にも、小沢さんから4億円が出ていると、収支報告書に記載されていると元検察で、法的立場から、法の公正を訴える、郷原さんが資料を提示した。

小沢さんが、説明しないのは、全くやましいことがないからだろう。堂々としていればよいからだ、と私は信じている。そういう人でなければ、自己弁護するような人ならば、この国を託せないのではないだろうか。
  

Posted by アッチャン at 15:05Comments(0)日々の事

2010年01月08日

通し狂言「仮名手本忠臣蔵」


 

大阪の松竹座のお正月公演は、初春大歌舞伎[仮名手本忠臣蔵]を上演中。
 この作品は、以前に、仁左衛門の、由良之介で、観たことがあるが、仁左衛門さんは、昨年の11月に東京での公演に出演。
関西では、坂田藤十郎が、演じている。昼夜の通し狂言なので、通して見る人も多いかもしれない。
 上方歌舞伎は、「いちゃいちゃ、ねっとり」した、かけあいの場面がつきもので、それは、上方漫才に通ずるように思われるが、
私は、これがあまり好きではない。どちらかというと、粘着的で、しつこさを感じて、気持ちが悪い。
関東の、きっぷのよい、男芸と、関西の、曖昧な情の色合いの濃い女芸、との間には、あずま男に、京女を思い浮かべれば、想像つくと
思う。 


 今回の公演に出演している、役者の中で、見ものといえば、藤十郎さん、翫雀さん、扇雀さん、3人の親子による、踊りの場だ。
常磐津連中を迎えて、3人で踊る8段目「道行き旅路の嫁入り」は、踊りの名手がそろっての、見応えのある場面だった。


夜の部、最初の7段目[祇園一力茶屋の場]は、1時間半以上にも及んで、途中寝ている人も見られ、疲れた。この場だけを、歌舞伎で、上演する事も多いので、仁左衛門さんの、大星由良之介を観た時には、あっという間に、終わった、もっと観ていたいと思うのに、この差はなんと。
 おかるには、暮れに、南座の帰りに、偶然立ち寄った、そばの店で会った、秀太郎さんが演じていた。秀太郎さんには、仁左衛門さんが、片岡孝夫時代に、パーティーでも、なんどかお見受けしているので、親しみがあるけれど、やはりこちらも、玉三郎とは。
 上方歌舞伎で、今は、これといった花型は、愛之介くらいなもの。藤十郎さんは、人間国宝だから、別格として。
 仁左衛門さん、帰って来てくださいな。  

Posted by アッチャン at 12:12Comments(0)演劇

2010年01月05日

一日一生を生きる


 

去年の忘年会で、来年の抱負、希望をそれぞれが述べる事になって、私は、「一日一生の、つもりで毎日を送れれば、良いな。」と言った。
年賀状をいただいた方からの、メッセージが、同じく[一日一生の思いで、楽しんでいます。]という文面で、私が言った言葉に、びっくりした、と書いて来られている。まざ、びっくりなのか、その心情のほどは、測れない。
 私も、実際のところ、きっぱりした人間ではないので、そう出来たら、いいのに、という程度。そうは出来ない私、が見えてのことだ。
年頭の始めから、実に、毎日、あちらこちらに出かけ、テレビを見る時間もない、充実した時間を持てた、正月だった。
 パリから帰ってこられて、今は、有料の老人ホームで暮らしている方から、お電話があった。出かける前だったので、長時間お話を聞くことは出来なかったけれど、それでも、50分くらい、一方通行の話を聞き、近じか、大阪でお会いしましょうということで、電話を切った。
名前が気に入って、入居されたのだけれど、自立の方ばかりだと思っていたら、介護の必要な人を入れるので、暮らしにくいと、年頭からぼやき。
 相変わらずのお話だけれど、その中で、印象に残ったのは、[フランスで友人になった人、若いころから、付き合って来た人でないと、だめだわ。]
という言葉だった。最近になって、知り合った友人は、うわべだけだ、と言う。
 私は、その時に、高校時代の親友の家に招かれて、行くところだった。留守電に、「泊まるつもりで着てください。」と念押し。帰れれば、帰るつのりで、行く時には。それが、そうはいかなくなる。何年ぶりに行くのに、昨日会ったように、時間の空白がない。
 一人息子を亡くして、御主人は、居合抜きを始められた。以前に行ったのは、夏で、向かいに道場を立てて、私達は、稽古の上達ぶりを見せてもらった。周りは、開いていたので、蚊にかまれないかと、それが気になっていた事が思い出される。
 あれから4年、今では、免許皆伝で、道場を開いている。周りは壁が出来ている。一人で作り上げたとか。お弟子さんも出来て、毎日が充実している。迎えにきてくれた車は、以前のとは違っていた。
「これ、なんていう車?」
[ジャガー。]
これがジャガーなの。随分以前に、フランスで知り合った老人が、ジャガーに乗っていると聞いていた、ジャガー。ジャガーグリーンは有名だそうだ。
会社で乗っていた車だそう。趣味は乗馬、洋服は特注、コレクションは半端じゃなくて本物志向な人だから、猟銃のコレクション、ガラス棚に、ずらっとバカラが並んでいる。コペンハーゲンの陶器も。」
[よく買っておいたものだ。今では買えない。]という。
そういう品々、逸品の数々が家の中を彩っている。
お金を貯めることに集中している人よりも、物で残っているのも良いなあ、と思った。


バカラのグラスに、持っていったワインをついで飲むと、美味しさが違う。ワインから始まって、大きなガラスの薄いグラスで、ゆらしながら、コニャックを飲むころには、大分酔っていたのに、牡蠣の土手鍋には、ビール、食後に、大音量で音楽を聴きながら、ウィスキーにチョコレート、天津甘栗が、籠から空になるまで食べまくり。コニャックも、ウィスキーも、とっておきのものを出してくれる。
翌朝は、頭ふらふら、二日酔い。
声は枯れている。しゃべりすぎた証拠だ。ああ、またやってしまった。
煩くて、こりごりだろうと、思っているのに、[お正月には、必ず来るように、決めておいて。]と帰り道に、メールが届く。
 [一日、一生として生きる]ことを実行しているのは、この夫婦のことを言う。
 息子さんのお墓に参らせてもらった。出来るだけ、息子さんのことには触れたくない。悲しみが大きすぎるから。
お墓の前で、私はまた泣いてしまう。互いに一人息子だ。

墓石に、二人の名前が、赤で刻まれている。
「いつ死んでもいい。明日でも、いつでも。」と御主人が。
  

Posted by アッチャン at 14:36Comments(0)日々の事

2010年01月03日

3神社参拝

 

 

正月7日までに、3神社をお参りすれば、御利益があると、妹夫婦が、宝塚近辺の神社をチェックして、母を迎えに来てくれた。
 母は、お風呂に入った所だった。入浴日は昨日のはずなのだが、元日はお風呂に入ってはいけない、という風習があるとか。
 3神社参り、も、元日お風呂も、初めて耳にした。私は元日にもコナミが開いていたので、水中で歩いて、お風呂にも入った。温泉に行けば、必ず、元日の朝に初風呂に入る。 3神社の方は、トリプルだから、御利益ありそうだけど。
母が湯冷めしないように、沢山着込んで、最初に、近くの神に。母は、毎年、お参りしていた所。伊和志津神社という宝塚随一の古社。
次に、宝塚神社に。ここは稲荷神社で、坂道がきつく、お参りしないで、別の神社に。
 宝塚聖天、ここは、神社ではなく、お寺のようだけど、鳥居があって、神宮寺なのかもしれない。飛行機が祭られていて、その下がお墓になっているので、特攻隊で亡くなった人達を祭っているのかも。


 最後に、越木岩神社に。ここは、お参りする人が多く、神岩のすごく大きな岩が祭られている。神水もあって、神の宿る場所のようで、由緒がありそう。





 お昼の時間が遅くなり、グループホームの隣にある、和風レストランに行くと、予約でで満席、入られない。「かごの屋」という和食の店に行くと、やはり何組か待たなければならなかった。やっと座ると、4時までの席だと言われた。1時間半あれば、十分だと思っていたら、料理がなかなか来ない。


 それでも、なんとか、食べる時間はあった。正月は、どこもかき入れ時。不景気風はどこえやら。 
 帰り際、家族連れが、入れ替わり入ってくる。早めの夕食?
 昔は、正月3日間、おせちばかり、食べていた。3が日が過ぎても、まだ。沢山作って、火を入れ直して、だんだんまずくなる。お餅は家で餅つき、山ほど。お餅はかびて来る。お鏡を切る頃は泣きそう。カビの生えたお餅を水に浸けて、カビをこさげたのを食べさせられる。餅がなくなるまで、毎日が、餅日。
 そういう思い出があって、今、おせちにも、お餅にも、それほど魅力は感じない。お祝いの形だから、一度食べれば、とは思うけど。
   

Posted by アッチャン at 09:53Comments(0)日々の事

2010年01月01日

笑う門には、福来る



 トラフグ、一匹潰しで、沢山のふぐ


明けまして、おめでとうございます。
今年もよろしくお願い申し上げます。

師走というけれど、去年の暮は、本当に忙しかった。おかげで、全く手つかずだった、掃除を31日になってやっと始めたくらい。
昼は、母に会いに行き、コナミに行くと、一日が過ぎてしまう。去年の暮は、夜も出かける機会が多く、ぎりぎりになってから、
母をパーマに連れて行き、その翌日に母を乗せて、お墓まいりに。敷き毛布と、肌布団のカバーを、31日に変えたかったけれど、
施設で、貸布団とベッドシーツのカバーを変えたと言われて、30日に新しいのに変えた。洗濯物を持ちかえり、夜、梅田に出かけた。

てっさも多いので感激(吉在門)

31日、朝から掃除と山のような洗濯をしながら、暮れに美術館のチケットを贈ってくれた友人と、母を見舞ってくれた従妹に何か送りたいと思いながら、最後の最後、31日になって、今日送っておかなければ、とカレンダーなど、アメリカでか買って来ていたものなどを、郵便局ならあているだろうと、荷造りしたら、近くの郵便局は閉まっている。本局まで持っていく前に、母の新しい下着と、手袋、お正月のお花を買って、グループホームに持って行った。
 母の部屋に入ろうとすると、戸を閉めて、何かひっかかっているのか、開かない。耳が聞こえないので、大きな声で、何度も呼んだが、返事無し。扉をがんがん叩いて、もう一度大声で呼ぶと、やっと聞こえたようだった。なんかあると、これではあぶないのではないかと心配になる。
 職員達は、いつものようで、母が出て来るまで、ほってあるようだ。
お三時のおやつの準備中で、お皿に、バナナの小さく切ったのが、5切れくらいづつ、小皿に乗せてある。おやつはこれですか?と聞くと、
これで、あとは、私がクリスマスに持って行った、クッキーの残りを出すと言われた。
お正月用に、と持って行ったケーキを出して、
「じゃ、これを出してください。」と頼んだ。痛みかけのバナナを、一人半分づつないくらい。弟家族がお墓参りに帰りに、母に会いに来てくれた時に、お嫁さんが、[バナナ20本持って行きました。]と言っていた、バナナのようだ。
 母は、部屋にコップをしまいこんでいる。お茶の準備で、コップを取りに来られた。お三時の準備が整って、私は帰ろうとすると、母が嫌いだと言っている老人が、母のコップを手に持っている。
「あの人、いつもなの。いやな人」と母はそれを見て。
母は、だからコップを部屋にしまっている。理由なく、そうしているのではなかった。職員もわかっているのだろうけれど、他の人達は、自分と他人との区別、場所の把握、言葉のコミュニケーションが、出来ない。母には、そういうことは全くない。トイレも全く自立で、問題ない。新しい記憶も、関心があると、あるていど出来ている。
 他の人達と、母の場合とは、全く違っている。いずれ、そうなるという可能性もなさそうだ、と私は思う。ものすごく慎重で、人の心配ばかりしている。話も出来るし、しっかりしている、アルツハイマーではないでしょう、と、かかりつけの医者も言うようになった。記憶を留めておけないのは、頭の怪我によるもののよう。

ベルギービールの店

師走、ああ、忙しい。母には可哀想だけど、話を聞いてあげる時間も取れずに、郵便局に。帰りに一人用のおせちを買って、今年最後のコナミに。
急に寒くなった。夜、梅田で、開いている店はほとんどない。その中で、赤ちょうちんがともっている店が。
初めてやってくる、お客を、常連さん以上に、親しく迎えてくれる、けったいでおもろい飲み屋さん。大川栄作(に似たひと)が、中井君(にそっくりさん)が。ぼっちゃりした、画家の女性(店主におせちを持ってきて、10分が長居)が、亭主が待っているからと、帰りに、気持ちよさそうに、シャンソンを2曲ご披露。店のおかみさんも、現代詩から、シャンソンに入ったとか。
一緒にいる友人の、あんなに楽しそうな、のりにのった様子は、最近見たことがなかっただけに、素晴らしい年越しの夜。一期一会。



 友人は、文学青年から、占い師、詩人まで、様変わりさせられて。私は、元女優にちがいない。誰々にそっくりだと。お酒飲みすぎて、全く見えてないようだ。
芸術劇場の近くにある、35年来の飲み屋とかで、友人が大好きな、沢田研二が3晩続けて来てくれたそう。芸人さん、役者さんも、やってくるので、感でわかると自慢。
おかみさんは、すっかり出来あがってしまっていて、客も店主も、笑うセールスマンの世界や。笑い納め。
 

元旦のおせち

笑う門には福来る。
今年は、福来るかな。期待しとこ。
今年の初めから、お腹抱えて笑えることがあります。
実は、母のパーマです。以前にあてた時、ほとんどあたってなかったので、
(今度は少し、くりくりっとカールすくくらいにお願いします)ちゅうたら、火星博士みたいになってしまった。
とんねるずの、番組で、関根勉が、白髪の鬘かぶっているでしょ。あんな風で、見ると吹き出してしまう。
笑う門には福来る。そんなわけで、思い出して、今笑っているところです。

  

Posted by アッチャン at 13:26Comments(0)日々の事