2010年02月23日

小沢イズム

 


「小沢一郎イズム」が集英社から、文庫本として出ている。2006年9月に小沢さんが、書き下ろした単行本なので、政権を取る以前に書かれたもので、去年の11月、に書かれた、文庫版前書きが載っている。
小沢さんは、「、政治とは生活である以上、もちろん個々の政策では、時代の流れ、社会のニーズに細かく対応しなければならない。しかし大筋において、つまり、理念やビジョンに関して、政治家はぶれてはいけないと思っているが、本書を読み返して、自分が「ぶれていない」ことを確認出来たことは、喜びであり、誇りである。」と述べている。

 この本に書かれている内容は、小沢さんが、[小沢一郎政治塾]で、小沢さんが話す内容と同じようなもので、政治家を目指す人にも、そうでない人にも、特に、若い人達に読んでほしいと書かれたもので、読みやすく、理解しやすい本だ。

政治とは何か、政治家はなにをすべきか。
 仁徳天皇のエピソードとして、私達が学校でも学んだ、[民のかまど]の話を引用している。
 民のかまどから煙が立っていないのを、天皇がご覧になって、民の貧しさを憂い、3年間無税にした。そのために、朝廷の収入はなくなり、皇居の大殿はぼろぼろになり、雨漏りもするようになった。
 そのかいあって、3年後、国中の家から,かまどの煙が立ち込めるようになった。
高き屋に のぼりてみれば、煙り立つ 民のかまどは にぎわいにけり
天皇は、[私が豊かになった。]とおっしゃると、妃は「皇居が朽ち果て、修理する費用もないのに、なぜ豊とおっしゃるのですか。もう3年、無税にされるというお話ではないですか。」と聞かれた。
[天皇の位はそもそも人々のためにつくられたもの。人々が貧しいと、私も貧しく、人々が豊かになると、すなわち私が豊かになることなのだ。]
と答えられた。

[政治とは生活である。国民の生活を豊かにするのが政治家の務めだ。]と小沢さんが、訴える原点にある、天皇のイメージ、政治家のビジョンをこの文章が示している。
[天皇とは、そもそも人々のためにたてられたもの]だと小沢さんは書いている。宮内庁長官の発言に、小沢さんが、怒りをあらわにしたのには、こういう理念に基づいている。
 小沢さんは、「小沢イズム」の中で、日本に今、明治維新以来の、改革が必要だと書いている。小泉改革が、国民の生活に格差を拡大させた。
国民の生活を取り戻すために、「改革を実現出来る良きリーダーが必要だ。」日産のゴーん社長の成功例をあげている。ゴーン社長は、2年で立ちなおして見せる。それが出来なければ、責任を取って辞任する、と言った。偉いのは、黙ってついていった社員達だ、と。
日本の政治にも、「責任を持って、改革を実現に向けて、国民を引っ張って行くリーダーが必要だ。政治は結果論。出来なければ、責任を取って、政権を交代する。」とうのが、小沢さんの理想とする政治の在り方なのだが、マスコミは1企業の事なら、蚊帳の外なので、文句は言わないが、
政治家に、(力を持たせないように)独裁だ、権力の横暴だ、権力乱用だ、と足をひっぱる。
 小沢さんが、尊敬する政治家、大久保利通は、「当時の状況を冷静に把握したうえで、改革を大胆に推し進めた。その結果、様々な抵抗や反発を招き、ついには、旧友でも、同士でもあった西郷隆盛と袂をわかつ。」
 小沢さんにどこか似ているでは?日本の独立と近代化の礎を築いた、と述べている。
 小田信長、坂本竜馬、原敬、小沢さんが、尊敬し、目指す政治家達は、暗殺されている。

 小沢さんは、暗殺されるのではないか、とその危険さえ感じる。右翼の街宣車、凶弾入りの封筒、検察官僚は、小沢さんの政治家としての命を断とうとする。マスコミに嫌われている小沢さんは、いつも悪か黒としての、標的になっている。
 私も、「ごく少数の熱烈なフアン」の一人にされているのだろうか。そうではない。

 以前にも言ったけれど、政党は、分裂と統合をこれから繰り返しながら、やがては、二大政党にほぼ集約されていくだろう。
 小沢さんが、民主党に合流して、民主党らしさが失われたのなら、小沢さんと再び分裂すればよい。自民党も、メルト現象であることは
間違いない。核分裂と融合を繰り返して、議会制民主主義を育てて行くだろう。その礎に、小沢さんがなれば、それでよし、と小沢さんは思っているだろう。

 

 
  

Posted by アッチャン at 19:18Comments(0)コラム

2010年02月23日

 小沢主義は、日本では理想主義


 


長崎知事選挙は、自民党と公明党推薦の候補が勝った。町田市長選の民主党は惨敗。民主党に風は吹かなかった。
 政治と金の問題で追求した、自民党は、鬼の首を取ったとばかりに、これからもそれでやっていこうと意気込んでいる。
  これで、また、国会は、お金の話で、国民の嫉妬心をあおる。悪いやつだと、叩きにかかる。
 「小沢主義」という小沢さん直筆の本が、文庫本になって、出ている。私はこの本を読んで、小沢さんの理想主義は、小沢さん自身が懸念しているように、実現出来ないだろうと感じた。
 「国民以上の政治家は出ない。」 まさにそうである。
国民が選挙で選んだ、政治家が、政治をするのだから、結果は、国民に帰ってくる。
国民が、その責務をおうことになる。それが民主主義なのだ。
 日本では、真の民主主義は、確立出来ないのでは、という小沢さんの懸念は当たっている。 日本人の特徴として、「他力本願」があげられる。
 自分達が納めている税金で、国が御上がなんとかしてくれる、という観念が根付いている。官僚が、国民に利益を分配してくれれば、不公平がなくて、平等だ、という考えだ。  その平等主義は、他人が持っているものを、自分もほしがる嫉妬心をあおる。
 日本中が国民的にブランド志向に走った。テレビ、冷蔵庫、洗濯機、から車に、マイホームまで、隣の芝生が青く見え、まで、平等主義の嫉妬心。
 最近では「世界に一つの花」が大ブームになった。そうとはいかない現実、それでは満足出来ない。だからブームになる。
 自己責任、という考え方は、日本では育たない。自由主義は、自分勝手主義として導入され、自由に伴うはずの「自己責任」は「他力本願」なのだ。
 選んだ政党、政治家が、即効性の利益をもたらしてくれないと、「しまった、とんでもないものを選んでしまった。」と言って、他に責任政党、政治家を捜し始める。
 今回の、長崎知事選挙も、まさにそのような、結果になった。
早々と、見限り現象が始まっている。
官僚は笑い、自民党は、返り咲きの可能性が出てきたというので、勢いずいている。
 付けは、必ず、国民が背負うことになる。
 国民レベル以上の政治家はいない。政治家の顔は、国民の顔、すなわち自分の顔なのである。  

Posted by アッチャン at 03:13Comments(0)日々の事