2010年03月26日

時と共に、流れゆく人

 

 一人暮らしの叔母を訪ねた。従姉妹から誘いの電話をもらった。
梅田まではでかけても、地下鉄で叔母の家までが、なかなか。
今度また、ということになってしまって。
 今日など、一人でなら、やめているところ。雨が降って、寒いから。
 梅田の「がんこ寿司」で松前寿司を買った。美味しいので、次に叔母を訪問する
時には、是非、と思っていた。
 叔母とは、叔母が結婚するまで一緒に暮らしていた。叔母が離婚後、家の近くに越してきて、やがて父の会社で働くようになると、我が家で毎日、食事を共にするようになった。 父の妹にあたる叔母は、父に随分可愛がられた。からっとして、陽気な性格の上に、誰にでもあわせる調子の良さで、人好きするタイプである。
 「兄ちゃんには随分可愛がってもらった。」という叔母は、母にとっては、小姑。3人の子供の世話に加えて、舅と小姑が二人、住み込みの従業員の世話までと、独楽鼠のように、働きずくめの母にしてみれば、良いご身分だった。
父は、女遊びはしないけれど、毎日、仕事が終わると、夕方から映画を見に行く。叔母は父について行動していたり、姉とダンスホールに行き、青年会の仲間達と、出かけることばかり。
 日の当たる気持ちの良い、居間でお客をした。お茶の接待をしたり、レコードをかけて、踊ったりしているのを、私は、扉を少し開けて、覗いていたものだ。
ほとんどの客は、叔母達のボーイフレンド。毎日のように、誰かがやってきた。

好きなように、あっけらかんと生きて来た人だから、死ぬことにも全く執着はないらしい。癌になり、骨粗鬆で2回入院しているのに、手術後も、タバコをやめない。
 2ヶ月ぶりに会った叔母は、顔が少しふっくらして、元気そうだった。
  歩けば、痛い腰が楽になることがわかってきたらしい。医者に言われても、その気にならないと、歩くきがしない。痛いから、動かない、動かないから、食欲がない。痩せる。痛む、という悪循環を繰り返して、「生きていても仕方がない。」という結論になる。
 歩き始めて、腰が少し、楽になり、食欲が出てきて、体力がつき始めた。
叔母は、中華料理を取ってくれた。
「3人で多すぎたら、冷蔵庫に入れておけるから。」と余分に取ったのに、話しながら食べているうちに、すっかりなくなっていた。
「一緒に食べると美味しいから、沢山食べられたわ。」と叔母は満足げに言った。
とりたててどうということのない会話なのに、叔母は楽しかったらしい。
「こんなに食べたの、久しぶり。楽しかったわ。またいつでも来てね。」
 叔母の腰に負担がかからないように、1時間で帰るようにしましょうと、申し合わせていたのに、3時を過ぎていた。2時間以上したことになる。
 従姉妹と別れて、5時まで、まだ時間があるので、母に会いに行った。
 母が寂しがっているのでは?
 母はほかの人たちと一緒に、ソファーに座って、相撲中継を見ていた。
「あら、来てくれたの。良かったわ、来てくれて。」
いつものように、笑顔を見せてくれた。母はいつでも、どこでも、変わらない。
  

Posted by アッチャン at 10:53Comments(0)日々の事