2010年04月11日

苦い思い出

 

 帰り道、プラスイタリーという方向に歩いて行くと、懐かしい駅が。
 パリの語学学校に、一月の短期学習を申し込み、初めてパリで暮らすように滞在したホテルがある、最寄り駅だった。


 このあたりに来てみたいと思いつつ、何度もパリに来ていながら、素通りしてしまっていた所だ。
 駅から、ホテルまでの道に、以前にはなかったレストランや、カフェ、バーが並んでいる。何にもなかった。暗い道を、大きな旅行鞄を押して、ミンクのコートの上に、レインコートを着て、汗だくになって、この駅の階段を上がって、外に出た事を、昨日のように思い出す。
 パリはあぶないから、ミンクのコートを着ていると、スリにあうかもと、上から隠して、地下鉄の駅を乗り換え、階段を何度も上下して、やっとたどりついた。
 日本から、安いホテルを探して、サニーというアメリカ名前のホテルを予約した。


1ヶ月の語学学校で、家庭滞在の紹介とホテルの紹介があったが、一人で探した安ホテルだった。部屋には風呂もシャワーもないが、ベッドは二つあり、片方のベッドを荷物おきにして狭さをしのいでいた。
 パリで絵の勉強に来ている従姉妹に電話をすると、モンマルトルのアパートから、タクシーで飛んできてくれた。
 髪にパーマをかけた彼女は、厚化粧で、以前に父達と観光で二日間寄った折に会った人とは思えなかった。以前は貧しい学生だったけれど。
 「何かあったら、すぐに連絡するように」と。
彼女は、そのまままた、タクシーで帰って行った。
 それからの毎日、サンミッシェルにある、学校に通った。朝食は、バケットとジャム、バターの簡単なもの。昼食は、学校のでできた仲間と、近くのレストランで。
 スイス人の女性がいて、彼女の誕生日だと言って、イタリアンレストランに招待してくれた。彼女は、16歳になる娘さんがいて、フランス語も上手だった。仕事の休暇を使って、パリにやってきていた。
 ある日、ホテルのベッドを焦がしてしまった。携帯の湯沸かしコップを置いてしまっていたことを忘れていたのが原因。
 ベッドの中まで、焦がしている様子。どうしようかと散々思案したあげくに、知らぬふりで、チェックアウトした。
 つまり、逃げだしたというわけ。ホテルから、連絡があるのではとびくびくものだったが、何も言って来なかった。


 サニーホテルは、以前のような安宿ではなく、二つ星のホテルに昇格していた。
部屋は、シャワーか、バスタブが全室に備わっている。値段も高くなっていた。当時の面影はない。
 ホテルから、ゴブラン通りを経て、プラスイタリーへ。
途中、足が痛くなって、通りすがりの靴屋に入る。どれも、足に合わない。ロンドンに行くのに、この靴しか持ってきていない。合うのがあれば買いたいけれど、100足買って、ぴったりなじむのは、一足か、二足という、五木寛之の言葉が浮かんでくる。
 先日、インドを旅する、五木寛之の足を見て、
「これが、その貴重な靴の一つなのだ。」と感心した。



 今日、かれこれ、5時間歩いた。腰は張っている、これだけ耐えられる靴なんてそうあるものではない。不細工でも、これで我慢しよう。
 重い足をひきずって、中華のスーパーでお米を買った。
 店員が、「閉店ですよ。」と叫んでいる。お米だけは確保できた。

 
  

Posted by アッチャン at 23:47Comments(0)パリにて

2010年04月11日

吉田さんのお墓参り



 

朝食にサラダとパン、日本でも私の定番だけど、こちらでは、生ハムなんて贅沢なものもつけて。パルマの生ハムは、日本でも売っているけれど、朝食につけられるほど安価ではない。
 
パリは、晴天で汗ばむほど。
アパートの時計は、大きいのが電池切れなのか、止まっていて、目覚まし時計は、夏時間まえの設定で、1時間、遅れていた。
第一に、吉田さんのお墓参りに行きたかった。午後3時を過ぎて、出かけた。


一週間のパスを買えば、地下鉄に自由に乗れるのだけど、今回は、一日フリーチケットか、回数券を買うことになる。回数券を買うと、できるだけ歩くようになるので、健康にはよい方法。
息子と去年歩いてお墓まで行ったので、行き方はわかっていた。
プラスイタリーでは、古本市が出ている。飛行機の中で、ある大学教授が、パリの古書市場について書いていた。その中に、吉田さんのアパートから近い、古本市場が出ていた。古書愛好家は、パリの古本市で、おもいがけない出物を探し出すことが醍醐味のようだ。仕事に使うから、必需品だし、目利きが効くには、それだけの知識が必要だから。古書でなくても、アンティークの陶器、ガラスなども、知識がないと。
歩いて30分くらいかなと思っていたら、結構かかった。お墓についたのは、4時20分くらい。



白菊を買って行くと、枯れた白バラの束が4つ、お墓に供えてあった。いつごろこられたのだろうか。すぐに枯れてしまうのだろう。
 吉田さんは、お墓にくると、お墓の中の人達がおしゃべりするのが聞こえてくると言われていた。私にも聞こえないかしら。何も。


 釈蒼空、という戒名が、お墓に彫られている。吉田さんが、生前決めたもの。奥様の葬儀で、墓石に彫られたもの。
 今日は雲一つなく、青空が広がっている。カラスが一羽、墓石に止まった。
蜂が飛んできて、墓石の周りの花に止まった。
もしかしたら、吉田さんかしら。 
 墓石の下に、吉田さんが、奥様と仲良く眠っておられるから、きっとお幸せなのだろう。
 他の墓にも、夫婦が深く愛し合っていた証のように、言葉や生前の写真が飾ってある。夫婦というのは、生前は、そう愛し合っていなくても、死ぬと絶対な愛に変わるのかも。形によって、一つになることで。


花で埋め尽くされたお墓、お葬式か、記念日かのか
 マルグリット、デュラスのお墓に寄ってから、モンパルナスの墓地を出た。入り口の地図を見て、
お墓参りをする観光客が、モーパッサンやザッキンの名前を見つけて、声を出していた。
  

Posted by アッチャン at 18:32Comments(0)パリにて