2010年05月31日
Marina Abramonic。 Moma で
MOMAで、びっくりしたなあ、もう。とんでもないパーフォーマンスに遭遇した。
日本では、今の所?美術館であっても、考えられないこと。
昔、ジョンレノンと、小野ヨーコが、平和宣言のパーフォーマンスで、長時間のベッドインを披露した時も、衝撃的だったけれど、ユーゴスラヴィア出身女性アーティスト、MORINA ABRAMONICのパーフォーマンスは、すごい。
Artist is present」というテーマで、彼女自身は、2階の会場で、座り続けている。個展開催時から、実に、667時間になる。彼女と見つめ合うのは、ボランティア。じっと見つめあう。耐えられなくなるまで、動かずに。我慢できなくなると、立ち上がる。アーティストは、座って、同じポーズを取ったままだ。
回りを囲んで、そのパーフォーマンスを見つめる鑑賞者達。
6階の、特別展では、彼女が今までにやってきた、パーフォーマンスを、ビデオで上映している他に、いくつか、他の人物を借りて、再現している。
インタビューを受ける評論家
衝撃は、そこで。全身全裸の若い女性が、杭のような物の上に、またいで、足も杭に一部乗せて、釘付けになった状態で、両手をあげたり下ろしたり、同じ動作を延々と。
すぐ前に、男が特に嬉しそうに、好奇心を持って見ている。
それだけではなかった。
次に、若い男の全裸だ。横たわって、全身骨になった人間を乗せている。横から、恋す見るに忍びない、男のシンボルが。ウワー。
人間は、屍を抱いて生きている、ということをパーフォーマンス。
彼女が、各地でやった、パーフォーマンスなので、横にビデオをながしている。
次に、二人の女性、若い女性と、老女が、これも真っ裸で、向かい合って、見つめ合っている。その間を、鑑賞者達が、順次、くぐり抜けるというパーフォーマンス。
順番待ちの列に、私も。体験、体験。
彼女は、ビデオで、他にも様々な衝撃的パフォーマンスをやっている。ユダヤ人である彼女は、裸の胸に、ダビデを星を、カミソリで刻んで行く。「堪え忍ぶ苦悶」
見ていられない。体中に、痛みが走る。
すごいパーフォーマンス。これらは、3月のはじめから、毎日、このMOMAで、開催時間中、5月末日まで、披露されている。
閉館時館がやってきた。2階で大きな拍手がわき起こっている。彼女のパーフォーマンスが、今夜も終わりに。彼女は、初めて頭を下げて、下を向いている。この忍耐、朝から、夜まで、彼女は座り続け、前に座った人と、見つめあっている。
667時間になる。
2010年05月30日
グリーンマーケット
以前に、テレビで、グリーンマーケットの事を取材していた。
14ストリートのユニオン、スクエアの広場で、近郊の農場から、新鮮な野菜や、食料品が売られている。
ニューヨークの有機野菜を使ったレストランの主人は、毎朝、この市で店に出す食材を買っている。
私も、早速、出かけて行った。食材や、花の市に加えて、アーティスト達が、自作品を売っていた。美大の学生達が、作品を出して売っていた。
グリーンマーケットに出しているのは、野菜、果物、ハムソーセージ、卵、チーズ、手作りパンに、蜂みつ、魚など。それに加えて、お花屋さんの店。
どれも、値段は安くない。高いけれど、品質がとても良い。野菜の店が一番多い。
私は、サラダようの野菜をいくつか、買った。
豚の農場のベーコンとハムが、あまりに美味しそうなので、ちょっと贅沢だけど、買ってしまった。卵もスーパーの倍の値段、新鮮だから12個入りを買った。
野菜とハムとソーセージ、に卵、40ドルくらい。
ハムとソーセージはまだ食べていないが、その農場のホームページを見ると、マンハッタンのレストランの名前がずらり。使用されているので、きっと美味しいだろう。
ハーブのソーセージが楽しみ。
一度、アパートに帰り、サラダを作った。柔らかくて、甘みがあって、香りも良く、味も美味しい。素材次第で、随分な違いがある。
さやえんどうが山のように盛られていた。二種類あって、豆ご飯などに入れる、さやエンドウと、おつまみとして、さやのまま食べるものと。
さやのまま湯がいて食べる豆を買った。いちいち一つづつ、よりながら買っている人がいる。時間のかかること。
お花屋さんの中に、カサブランカばかり売っている店があった。見事な花。
大きな鉢植えを引きずるように買って行く人もいる。
蜂蜜もシーズも、パンも、どれも美味しそう。店の自慢の品ばかり。手塩にかけて作ったものばかり。
アートを売る店
2010年05月30日
日本の美
日本館で、今、「5000年の日本の美術 」というテーマで特別展を開催中。
紀元前に使われていた縫い針、埴輪から始まり、陶器や、書画、屏風などが展示されている。
最近、陶器と書に、興味をそそられる。パリで、細川護煕の展覧会を見たことの影響も大きい。メトロポリタンで、桃山、室町、江戸時代の、陶器を見比べてみる。私には時代考証などわからないけれど、日本の陶器は、優しさに溢れている。暖かさがある。
豊かな風合いを持つシンプル。
信楽の壺は素晴らしい。釉薬が流れ出し、焼きで自然に造りだされた色とつや。
柿右衛門の壺は、なんとも言えないくらい、美しい。品格というのは、柿右衛門の壺や、信楽の大壺、江戸の皿、桃山の優雅さ、室町のワビ、どれを取っても、感じられる。控えめな上品さが、美意識の洗練された美しさがある。
絵は、一筆がきのような、潔さと、それを包む、空間の余白に重きを置いている。
ゆとりをもって、遊び心がある。
書にも、それが現れる。書がこれんほど魅力的な、とは若い頃はわからなかった。今だって、わかっているわけではない。
なんて良いのだろう。素晴らしい。ただ感嘆する。
鍛錬に鍛錬を繰り返し、取り返しの付かない、一筆を置いた瞬間から、一気に心の動きと連動して、書き上げていく書。黒と白のせめぎ合い、共存を許し、合一して、完結する。
力と、動き、形に、空気と時間。宇宙を映す。
陶器と、書、そういう観点から見ると、心を奪われ、魅惑的な作品を見ると、言葉知らずの境地。幸福感を与えてくれる、それらの作品は、平和の伝道師の錬金術だ。
2010年05月28日
プラザホテルは、ニューヨークの象徴的ゴージャス
地下鉄で7日券を買った。27ドル。
メトロポリタン美術館に行くつもりで、乗った。 途中降りる駅を間違えて、乗り換えるつもりで、路上に出ると、セントラルパークの緑が目に入った。
万歩計を携帯しいているので、美術館まで歩いて行こうか。
セントラルパークの前に、観光馬車が並んでいる。数が年ねん、増えていく。セントラルパークの前の広場に面して、フランスの建築家が建てた、「プラザホテル」がある。今まで入ったことはない。金持ちそうな客が入って行く。
中に入ってみた。豪華なホテル。
大きなシャンデリアの下に、花が飾ってあるのも、素晴らしい。正面の入った所の奥に、レストランがあって、テーブルはゆったりと、間隔を開けてある。
正装したカップルをカメラマンが写してした。映画スターのようだ。客が、これらを眺めている。私も横から一枚、盗み撮り。
セントラルパークに入り、美術館への方向に歩いていた。どのあたりを歩いて行くのか、わからなくなって、不安になる。観光馬車意外には、レンタル自転車など、パークの中の道を走っているけれど、見渡す限り、公道は見えない。
5番街に出なければ、と人に聞くと、やってきた方向と逆の方向をさして、
あのあたりだ、と言われる。そんなはずなない。とにかく馬車が走っている道を追っていってみよう。
しばらくして、通りが見えた。そこは、5番街72ストリート、教えてもらった方向にいかなくて正解だった。美術館は、83ストリートにある。59ストリートから入って、72、まで歩いてきたということになる。
メトロポリタン美術館で、「ピカソ展」を開催中だ。まず、そこに。
中は人が溢れていて、ゆっくりみられない。お腹も空いている。何度でも来られるから、ざっと見て、地下のカフェテリアに行き、いつものように、サラダバーでサラダを。
喉はカラカラ。氷の入ったお水が美味しい。レシートに、3時以降、このレシートを見せたら、次の注文は20パーセント引きになる。美術館内にあるすべての、カフェテリア、レストラン、カフェで。
すでに3時はすぎている。黒い制服を着た従業員達が、皿に盛った食事をテーブルに運んで、食べ始めた。残り物をどっさり盛って、無料のようではない。レシートを見て確かめている。従業員価格があるらしい。でないと、あれだけ盛れば、多額になる。私のサラダ、目方がかからないように、気をつけて買っても、最低5ドルはする。飲み物にジュース、スープを入れると、15ドルくらいに。
隣の女性は、抹茶ジュースを飲んでいる。皆、ジュースかコーラなどの飲み物も買っている。私は無料の水、これが一番美味しいと思う。
砂糖漬けの、アメリカ人の身体は、鯨のような巨体になる。どしんどしん、身体を揺らしながら歩いている。ニューヨーカーはスマートは人が多い。精神的にきりきりしている人、多いかも。昼食を取る時間がない。夕方、仕事を終えて、ワインやビールを飲みながら、予約したテーブルが空くまで、話し夢中。それも仕事関係
高級なレストランで出てくる食事は、少量。スマートになる要素はそろっている。
2010年05月28日
ニューヨークは暑い
ニューヨークは、真夏の暑さ。迎えに来てくれた、息子は、Tシャツ一枚。
第一声は「ああ、暑いわね。」
頼まれもしないのに、食料品を一杯買い込んで、荷物はいつも二つ。いつもお寿司を持ってくるので、皆、食べずに待ってくれていた。
私は、飛行機の中で、シャンパンとワインを飲み過ぎて、胃が荒れている。アテンダントに日本人がいて、ニューヨークに着く直前に、余っているクッキーをナフキンに包んで くれた。
「娘さんか、息子さんいらっしゃいますか?」と。
以前に、日本に帰る飛行機で、降り際に、口が開いているからと、ワインを一本ナフキンにくるんで、くれたことがあった。よく飲んでいたから、好きだと思ったのだろう。
アパートの中は、もっと暑い。上は屋根で、下は、クリーニングの機が一日中まわっている。暑さのサンドイッチだ。
クーラーをいれてもらうと、涼しくなった。お風呂場がまたすごい。猫が入るからと、いつも閉めている。喚起がないので、サウナの代用になる。入ると、汗が流れ出す。
空気ベッドに空気をいれてもらったら、すばらくすると、空気が減ってぶよぶよになってしまった。
夜中、起きて来た、ガールフレンドに言うと、猫のタマが、引っ掻いて穴を開けた所があるので、そこから漏れているのだろう、と。
空気の漏れる音が聞こえるので、テープをまた、補強してくれた。眠いのにごめんね。
いつものように、夜中、寝付かれない。空気をぱんぱんに入れたのに、またへこんできた。とうとう、床にぺしゃんこになって。いつのまにか、寝てしまった。多分2時間ほど。
翌朝は、朝から行動開始。
マンハッタンまで行かなくても、近くに、センチュリー21,という、ディスカウントデパートが出来たとか。
職場に行く、彼女の車に便乗して、教えてもらった。
開店の10時には、まだ時間があり、2階の店をぶらついていると、友人から頼まれたロックポートの靴が2足だけあった。重い靴で、しっかりしているけれど、紐付きではないので、いやかな。
サンチュリー21は、マンハッタンのように、品と種類がない。綺麗で空いているけれど。
そこは、63ドライブという所にあって、回りはマンションの高い建物が多い。
なので、ショッピングの モールやデパートも出来ている。
アメリカンは、買い物が大好きだから、小さな町にも、巨大なショッピング施設が幾つもあり、それで成り立っていくのだから。
道路を掘って、壊したり。ニューヨークの至る所で、工事中だ。
オバマ大統領が、公共事業に巨額の財政投資をするといっていたのが、これだ。
日本でも、3月に、あちらこちらで、道路の補修工事がある。予算を使い切ってしまうために。
アメリカの景気回復は、今の所、戦争もなさそうなので、道路破壊と再生に力を入れているようだ。一方で、消費、買って、買って、使って、捨てる。
経済も、生き物と同じ、破壊と再生。入れて吐き出す、空気と同じ。
暑いなあ。ニューヨークは、今経立て直しに燃えている。中国ほどではないけれどね。
2010年05月27日
吉田堅治先生を囲む人々
吉田堅治先生、というよりも、私には吉田さんとしてのイメージが強い。
吉田さんのお誕生日、5月24日に、かつての教え子達が、吉田先生を回顧する会を催された。
日本に帰ると、吉田さんは、各家を回り、消息を訪ねられた、と、吉田さんの甥の奥様から聞いた。帰られる度に、一同が、吉田さんを囲んで、会を開かれた。
それ晩年のことなのだろうか。それとも、毎年のように、であったかはお聞きしていないからわからない。
奥様と、10年間一緒に、パリに暮らし、その後に、私は吉田さんに、初めてお会いしたので、それ以前のことは知らない。
毎年、沢山の日本人が、吉田さんを訪ねて来られた。
出席されていた方々のスピーチにも、伺える。
吉田さんは、言われていた。
学校で、勉強なんか教えてないよ。自由に絵でも、なんでもさせて、外に出て、好きなようにさせた。他の教師からは言われることなんて、全く気にしなかった。
教え子だった、中馬さんのスピーチにも、そういう先生の思い出が語られた。
吉田さんは、「生かされた命」とおっしゃる。特攻隊に志願した1人だった。学校校の先生が、
「吉田、行くな。行かせたくない、」と必死に止めたのに、吉田さんは、逆らって志願した、とおっしゃっていた。
戦争に突入していった時代、暗黒時代、市民は、自由に言葉を使うことが許されなかった。画家や、演劇、文筆家に、知識人、思想家が、投獄され、獄死した人も。
吉田さんの絵画は、様々な試行錯誤の上に、黒と白の世界に至ったといわれる。
黒はあらゆるものを吸収し、白はあらゆるものを外にはき出す。このどちらもかけても、なりたたない。二つの色は、時に反発しながら、切れない関係を持っている。
この黒と白が、行き着くところは、金。
吉田さんの生き方は、まさに、吉田さんの色の模索と同じだ。
訪れる人々を、隔たりなく受け入れ、吉田さんの存在の極限に至るまで、力を尽くして、お世話をしてくださる。
見返りを求めない、無償の愛を持って。吉田さんとの関係は、無限に。亡くなられてから、さらに存在感は、果てしなく大きくなっていく。
吉田さんは、言われる。
何も考えないで、吉田さんの絵画を見れば、吉田さんの想う所がわかるはずだ、と。
祈りの果てにあるもの、それは神の啓示。それを、吉田さんは、主観と客観との合した存在としての「人間」あるいは「市民」だと言われる。人間は、神の「表現者」なのだ、と。
吉田さんの絵画は、主観と客観とが、ぶつかり、衝突しながら、一つに解け合い、調和を持って、共通の世界を表現している。
大英博物館のスミスさんは、吉田さんの作品は、ゴッホのようだ、「先を行く絵画」だと言われる。宇宙を表現し、宗教的でもある、と。
今までにない、未来を描いている、と表現する人もいる。シャーマンだという人もいる。
それらの言葉表現は、吉田さんの求める、「平和」と「命」が、神の啓示であり、それが絵画に表現されていることを物語っている。
吉田さん、という、日本人としての(主観)から、パリの市民(客観)の中で、長い間の葛藤と共存という体験の元で、築かれたものだと思う。 その根底には、人々の戦争時における「権力の弾圧」への、憤りと自由への希求がある。
2010年05月24日
介護施設も様々
グループホームを重点に、施設を4カ所見学した。朝から夕方まで、見学者は全員、疲れ切った。
宝塚にオープンする、グループホームがある。まだ実働していないので、経営母体の甲有会が経営している、施設を見学することで、内容がわかるだろう、というのが、見学の趣旨だった。
他に、待機者が多く、人気のグループホーム、「宝塚ちどり」と、母が入院していた時に、ケアーマネージャーから勧められた、ロングライフが経営している「ラヴィアンローズ宝塚」
有料老人ホームの斡旋所の話によると、入居金の高い所は、手厚い介護が受けられる、という。人気のトップは、ベネッセだという。 ベネッセはどこかで聞いた名前だと思ったら、グランダ、クララ、まどか、というシリーズで全国展開している。
斡旋所の話からは、いかにも、そのベネッセの、クララという施設は良さそうに思った。
グループ毎に、階を分けて、認知症のフロワーがあって、症状にあわせて、段階的に対応が出来ているので、生涯、施設を変わることなく、世話をしてもらえるという。
グループホームの場合、入院して1ヶ月過ぎると、出なければならないという規定になっているので、有料の老人ホームならば、そういう規定がないというのだ。
見学してみるとグループ分けはしているが、グループホームのような、暖かさはなく、人数は、13人、4人で、デイサービスの雰囲気。
建物は、病院風の感じで暖かさを感じない。
母の場合は、階上の、認知症の進んだ人と一緒の方が良いと言われる。ここでは、母が繰り返し同じ事を言うと、認知症ではない人で、文句を言い出す人や、馬鹿にする人もいるからと。
グループホームでは、認知症が共同で生活するのだから、有料の老人ホームで、認知症の受け入れ体制は出来ていても、まったく異質なものだということがわかった。
ラヴィアン、ローズは、外見はすごく良いけれど、お茶とお菓子が見学者に振る舞われ、見学後にケーキとコーヒーが。手厚い接待よりも、内部の充実を図ってほしい、という感じ。
海外旅行などや、観劇など、イベントが多いらしいが、一見、それっていいわね、と思わされるけれど、内部の人達が活気がなく、暗い。
宝塚ちどりは、社会福祉法人で、良いと思うが、入居の可能性は皆無に近い。月2回のオンブズマンの検査を受け入れているので、施設の改善に努める結果、良い施設になっているようだ。
値段が安く、サービスは良く、内容も充実しているが、在宅待機で、困っている人達の多い現状。宝塚市が募集するようになっていて、母のように、現に入所していて、追い出されるという緊急もない人は、まず無理だ。
最後に、豊中に本部のある、甲有会グループの、ロココというグループホームを見学した。
グループの西宮アネシスは、アットホームで、入居者達も元気な人が多かったが、ロココでは、車椅子の人や、歩行困難な人もいる。個室には、家族が毎日来て、一緒に過ごしている人も。
「ご主人なんです。毎日来られています。」
宝塚にオープンする、グループホームも、甲有会の施設。西宮アネシスが、とても感じが良かったので、入居出来たら、というと、宝塚に建設中だと教えてもらっていた。見学に行くと、スタッフも感じが良く、ハードは素晴らしく、見晴らしもよく、気持ちの良い施設だけれど、坂道で、周りには何もない。
いろいろ廻って、結局、どこでも、パーフェクトな所はない。
自分が入れられる場合を想定して、どこなら、入居しても良いだろうか、想像してみる。どこも入りたくはないだろうが、その中で、耐えることの出来そうな施設、それを選ぶしかない。
現在、母がいるグループホームは、家で困り切った家族にとっては、良い施設だと思う。死ぬまで看てくれる。点滴などの、医療はしないという条件では。自然死。
アットホームな雰囲気も良いし、介護士が、親切に世話をしてくれる。ご飯とトイレ以外には、ほとんど寝ている人、車椅子で、食べ物をくだいて食べさせてもらっている人、女性達は、比較的元気で仲が良い。
リビングで、終日、寄り添って座っている。部屋は、寝るだけなのだから、と全くプライバシーというものがない。寝ているか、起きて、リビングで座っているか、そのどちらかだ。
リビングは狭いので、見通しが良い。旨く出来ている。
けれど、この8ヶ月、母の足腰は弱り、頭の呆けが進んでいる。宝塚に出来たグループホームは、個室を、自分の家と同じように使え、グループホームの機能も充実しているようだ。
「テレビも冷蔵庫も、外泊も、家族が泊まるのも、冷暖房も、電気ポットも、自由における。補聴器の管理もしてもらえる。面会時間は10時まで。」
それは特別なことではなく、普通のことだとは、思えないような環境の中で、母は、今、生活している。
2010年05月19日
CSの「ニュースの深層」で、衝撃的なニュースが。
昨夜、「ニュースの深層」で、衝撃的なニュースが飛び出した。
小沢さんと親しい、平野さんが、5月13日に、財界人の集まりの席で、ある財界人から、聞いた話。 ニュースの深層は、今週の週刊ポストに掲載された記事「機密費が、ジャーナリストにも、渡していた。」ことについて、上杉隆が、平野さんから、深層を聞く為に、急遽、番組を変更して、放送された生の番組だったので、上杉さんも、その番組を見ていた私達も、衝撃的だった。
小沢さんの秘書、大久保さんの逮捕命令を、当時与党だった、自民党の、森法務大臣が、指示したものであるということを、本人の口から、その財界人は聞いたという。逮捕後に、2次会で、お酒に酔って、口にしたとのこと。
話は、本題に入り、官房機密費が、与野党の議員に配られていたことは、まだしも、記者クラブの連中や、評論家に、権力操作として、飲み食いや、接待、あげくの果てには金銭投与としても、多額のお金が使われていたという事実も、また衝撃的なものだった。
平野さんは、「日本にジャーナリズムは存在しない。権力の片棒でしかない。」と。
上杉さんにしてみれば、それは、ジーナリストとしての生命を絶たれる事実で、アメリカでは、スターバックスコーヒーを一杯ご馳走になることも禁じられているし、そういうことをする人間はいない。この問題が、メディアでいっこうに取り上げられないのは、ジャーナリストの資格を剥奪される問題であるからだ、と。
朝日新聞の記者だけが、これを断った、という。評論家では、田原聡一郎だけであった。
マスコミが、大衆を誘導して、地検の情報操作をしていることは、明らかになった。
小沢さんが、「日本には民主主義が育たない土壌がある。困難な道だが、 民主主義が勝利する時が必ず、やってくる。権力と真っ向から戦う。」と言ってきた。
ぽろっと、森前法務大臣が、酒の酔いで口にしたことは、彼の心の深層に、罪の意識が働いている証拠ではないだろうか。
塩爺などは、墓場まで持って行くと言った、官房機密費を、「私も死に行く人間として、告白すべき」と暴露した、野中さん。平野さんが、自民党時代に、機密費をどうあつかって来たかを、生々しく語った。
日本のメディアは、地上波の放送は、ほとんどの局が、やらせ番組、だと思って見なければならない。やらせなら、お笑い番組か、歌番組か、ドラマでも見ている方がまだ罪がない。
2010年05月16日
食い意地
「懲りずに、また来てくださいね。」
イタリアンレストランの女店主が、送りに出てきた。
ついで、ご主人であるシェフが出てきて、
「ありがとうございました。」と丁寧な見送り。
「しばらくいかなかったからかしら。」
と言っても、3ヶ月にはなっていない。
「常連さんなら、月に一度くらい足を運ぶのかも」
店内が空いていたわけではない。何組かのカップルが
カウンターにいて、店は繁盛していそうにみえた。
浮気していたことは確かだ。
新しい、イタリアンレストランを見つけて、昼食に一度行った。
お初天神あたりの、小料理屋に、2度ほど。
いつも、そのイタリアンにいくつもりが、途中で脱線した結果である。
江戸っ子なら、行きつけの店以外には行かないだろうが、関西人、いえ、大阪で育った人間は、好奇心が強くて、安くて旨い店はないか、浮気っぽくて、いい加減なのだ。
そのどの店も、魅力的で、また行きたい店ばかり。でも予算と時間は限られる。
懲りずに、と言われる由縁はそこにある。
しかも、イタリアンは、若い人には、良いけれど、好きだからといって、そうそう食べるわけにはいかない。カロリーがすごい。麺類が多くなる。ワインを飲み過ぎる。
久しぶりにイタリアン、バランス無視で選んだら、前菜の盛り合わせは別として、あとは、全て麺類ばかり。ウニのパスタと、芝エビとハーブのピザ。
最初に出てくる、パンも美味しいから、残さない。麺とワインでお腹が満腹。
「今日はお料理は、少ないですけれど、ワインを1本半ほどの飲まれましたよ。」
女主人が、グランワインの、総量を計算して言った。
白から赤に、赤から白に、料理に合うワインをグラスで飲むのも、楽しみ。
これも、好奇心の強さの現れか?
カウンターから離れて、美味しそうな生ハムが目に入った。
「生ハムが美味しそう。」私が言うと、
「1枚でも2枚でも切りましたのに。これは特別美味しい生ハムです。」
残念。これを食べずして、帰るのは、後ろ髪が引かれる。
食いしん坊の私、これからずっと、生ハムに心を残したままなのだ。
もう一度、近いうちに行かないと、気がおさまらないのかなあ。
2010年05月13日
15年熟成の、オリバーソース
http://www.oliversauce.com/climax15year.htm
友人から、オリバーのウースターソースをもらった。15年熟成の、特別販売のソースだと。
神戸の震災前に、仕込んでいた、ウースター原液を使ったもの。
郷愁を誘う、なんとも云えない、良い香りがする。
ウースターソースと言えば、子供の頃、キャベツやトンカツ、コロッケに、カレー、
何にでもかけて食べていた思い出がある。
が、最近では、ウースターソースを買うことはほとんどない。お好み焼き用のソース、焼きそばソース、ステーキソースに、焼き肉ソース、デミグランデソース、などなど。
専用のソースが、冷蔵庫にのさばっている。
この熟成ソースに一番あいそうだな、と思ったのは、やはり、焼きそばだった。
太い鉄板で、ジュージュー音をたてながら、ソースの香りが漂う、焼きそば。
早速、中華そばを買ってきて、作ってみた。ソースと、塩と胡椒だけの味付けで。
濃厚なソースの味わい、と匂い。懐かしい味だけど、もっと深みがと、果物のエキス、スパイシー。
美味しくて、一人で楽しんでいるのは、もったいない。
今朝、オリバーソースのホームページを見たら、このソースが、トンカツとウースターとの二本セットで、販売されていることを知った。
限定品だから、グルメに興味のある方に、知らせてあげたいなあ、と思って。
ソースにしては、値段が高いけれど、ソースも、ここまでこだわればこそ。
2010年05月11日
のだめカンタービレと矢島美容室
http://www.nodame-movie.jp/index.html#/top
のだめカンタービレの後編を、楽しみにして、観に行ったら、平日だけれど、観客は、ほとんどいない。真ん中に、数人のカップルが、パラパラ座っているだけ。
前編は、友人に誘われて、期待せずに行ったら、楽しい映画で、クラシックについて、くわしく解説つきで、面白く、早く後編が見たいと、待ち遠しかった。
あの映画は、前編で、ほぼ完結していても、良かったのかも。
おそらく、待ち望んで、最終章を見た人は、期待はずれで、物足りなかっただろう。
最終章は、いらなかった。
映画で、最初にヒットしたもので、第二、第三とシリーズを出すものが多いけれど、
前作を超えるものは、少ない。期待が膨らんで、がっかりなんてものが多い。
その中で、観客を更にぐんぐん引き上げるものは、名作中の名作となる。
「 ゴッド、ファーザー 」という映画は、その典型的な作品だ。どの一作を見ても充足感があるが、通してみると、また感慨ひとしおの作品だ。
のだめ、にそんな期待は出来ないことは言わずもがなだけれど、ストーリーがつながっているのもだけに、前編に全力を注ぎ込んで、後編は尻つぼみという感じ。
http://www.yazima.jp/
その点、「矢島美容室」という映画は、観客が、期待もなにもなくて、暇つぶしだったのに、馬鹿馬鹿しくて、気持ちの悪い子供っぽさで、だらだら、続けられそうな映画。
出演者達が、楽しんでやっている。ネバダの美容室から失踪したお父さんに、モックン(本木)
が出演していて、最後の場面で、飲み屋のテレビに映った、奥さんと娘達を見て、仰天。
さてさて、これから、どう展開していくのだろうか?面白い予感がする。
マーガレット(木梨)が、売れっ子のストリッパーだったり、ソフトボールの審判が、仮面を取れば、水谷豊。のりのりで、楽しんでいる、姿を見る、観客も、ふっと嬉しくなる。おこちゃま向きのようで、大人のおこちゃま化を楽しんでいる映画。
のだめカンタービレの後編を、楽しみにして、観に行ったら、平日だけれど、観客は、ほとんどいない。真ん中に、数人のカップルが、パラパラ座っているだけ。
前編は、友人に誘われて、期待せずに行ったら、楽しい映画で、クラシックについて、くわしく解説つきで、面白く、早く後編が見たいと、待ち遠しかった。
あの映画は、前編で、ほぼ完結していても、良かったのかも。
おそらく、待ち望んで、最終章を見た人は、期待はずれで、物足りなかっただろう。
最終章は、いらなかった。
映画で、最初にヒットしたもので、第二、第三とシリーズを出すものが多いけれど、
前作を超えるものは、少ない。期待が膨らんで、がっかりなんてものが多い。
その中で、観客を更にぐんぐん引き上げるものは、名作中の名作となる。
「 ゴッド、ファーザー 」という映画は、その典型的な作品だ。どの一作を見ても充足感があるが、通してみると、また感慨ひとしおの作品だ。
のだめ、にそんな期待は出来ないことは言わずもがなだけれど、ストーリーがつながっているのもだけに、前編に全力を注ぎ込んで、後編は尻つぼみという感じ。
http://www.yazima.jp/
その点、「矢島美容室」という映画は、観客が、期待もなにもなくて、暇つぶしだったのに、馬鹿馬鹿しくて、気持ちの悪い子供っぽさで、だらだら、続けられそうな映画。
出演者達が、楽しんでやっている。ネバダの美容室から失踪したお父さんに、モックン(本木)
が出演していて、最後の場面で、飲み屋のテレビに映った、奥さんと娘達を見て、仰天。
さてさて、これから、どう展開していくのだろうか?面白い予感がする。
マーガレット(木梨)が、売れっ子のストリッパーだったり、ソフトボールの審判が、仮面を取れば、水谷豊。のりのりで、楽しんでいる、姿を見る、観客も、ふっと嬉しくなる。おこちゃま向きのようで、大人のおこちゃま化を楽しんでいる映画。
2010年05月11日
母の日
母への贈り物、と言っても、今は、食べ物か、お花ぐらい。子供達は、皆、花を持っていく。
4月の誕生日に、贈られた花に加えて、母の日のカーネーションや、花束で、母の部屋は、今、花盛り。
認知症の人に、贈り物をするときには、誰からのものであるか、名前を添えておくと効果的だ。
母は、弟夫婦からもらった、誕生日の花束に添えられた名前を読んでは、
昨日、これ持ってきてくれたのよ、と毎日思っている。
母の日にもらった花束に、ついているカードには、
「お母さんいつもありがとうございます」というメッセージが添えてあった。
母はそれを読みながら言う。
「いつもありがとうござます、なんて、私は、何にもしてあげていないのに。」
母は母、いつまでも母なのだ。
妹夫婦が、娘を孫を連れて、やってきた。
昼食を一緒に食べ、帰り際、孫が、母に、ラベンダーの花束と、バームクーヘンを2切れ、プレゼントした。
母の部屋で、ケーキを一切れ、食べてもらって、ラベンダーの花を、タンスの上に、飾った。部屋中にラベンダーの香りが漂う。
しばらくして、私が帰ろうとすると、母は、一緒に、そこまで出て行くという。
「お腹空いたでしょう。どこかでお食事しましょう。」
「お食事はしてきたのよ。ここに帰って来たのよ。お母さんはこれからお三時の時間だから、私、は帰るわ。」
私の鞄が重いと言って、母はそれをもって、走って部屋に入って行った。
「重いから、いらないもの置いていったらいいわ。」
「これ全部いるのよ。」
「今日は車?」と聞く。
「そうよ。車だから大丈夫。」と言えば、
「そう、それなら。」と一旦は言ってから、
「車は心配で。気をつけないと、車もあぶないから。」
エレベーターの所まで行くと、介護士さんが、
「先日いただいた、紅茶を入れますから、一緒にどうぞ。香りがとても良くて美味しかったですよ。」
マリアージュのマルコポーロを、持って行ってあった。コーヒーも紅茶も、粉のインスタントを使っているので、面倒かなと思ったが、おやかんで、炊き出すからと言われていた。
母の日に、ケーキを持って来た人がいて、チーズケーキとチョコレートケーキ。紅茶の香りが良くて、ケーキも美味しかった。
鞄は、母がまた部屋に持っていかないように、エレベーターのそばに置いていた。
「帰るわね。明日また来るから。」というと、母は、ちょっと待って、と部屋に。
財布を捜しに行く。誰が来ても、帰り際、財布を捜しだす。タンスの引き出しを全て開けて、ごそごそ。
「少しでもお小遣いをあげたいから」
「財布は私が預かっているから。もう帰るわね。」
母は、私を下まで送っていくと言う。今度はハンドバッグを持ち、また財布を捜し始める。 毎回、こういう繰り返し。
ヘルパーさんと一緒に、母は玄関まで見送ってくれる。私の姿が見えなくなるまで、窓越しに、私を追っている。
歩きながら、ラベンダーの匂いがする。鞄を見ると、母が、いつのまにか、ラベンダーの花束を鞄に入れていた。私に持って帰らそうと思って、いれていた。鞄を持って部屋に行ったのは、そのためだった。
私はあわてて、施設に走った。母は、まだ玄関にいて、窓から見ていた。
外に出ていた、ヘルパーさんに、
「これ、孫からのプレゼントなので、部屋に入れておいてください。」渡して、ほっとしながら、歩いていると、ラベンダーの香りは、いつまでも漂っていた。
母の愛情と一緒に。
「お母さん、何もしてあげていないのは、子供達の方です。」
2010年05月09日
男と女はばらばらなのよ
男達の話は、どうしてこう下ネタばかりなんだろう。酒の肴に、下ネタ。
いつだったか、高校時代の同級生で、某私立大学の美術教授が言っていた。
「すべての話は、XXに通ずる。その話しか、この世の中に存在しない。」
女達の話は、もっぱら食べ物の話ばかり。美味しくて、安いランチに、デザートの話題があれば、話に花が咲く。口ネタである。
ランチを食べて、コーヒーを飲み終わっても、お水のおかわりだけで、延々と口ネタは続く。
「男と女は、ばらばらなのよ、」マルグリット、デュラスは、ため息混じりにつぶやいた。
ばらばらの、わかり合えない男と女が、結婚という契約と拘束の元で、何十年もの長い年月、形だけは寄り添って、生きて、死んでいく。お互いに心の中は、ばらばらに。
「生きている間は、仕方がないけど、 死んでまで、夫と同じお墓にははいりたくない。」と思っている奥さんは、結構多い。
女ばかりの、共同墓地や、永大供養してもらえる、マンション風のお墓、散骨希望など、女達は、ひそかに、自分用のお墓を探している。
お墓の話を、どうしようかと、男達から聞いたことはない。当然のこととして、夫婦は一緒にお墓の中だと疑わない。
女の身体の話、女の身体に終始して、女達の懐に抱かれて死んでいくだろう、と男達は、勝手に夢想している。
「男と女は、ばらばらなのよ。」デュラスは、一人、お墓の中でもつぶやいているだろう。
2010年05月08日
私も歩けば、発見が
駅まで歩くつもりで、結局、西宮まで歩いた。距離にして、11キロ足らずだから、それほどではないが、車道を歩くと、気が抜けないので、疲れる。
海外や、京都だと、途中で立ち止まって、店を覗いたり、ウィンドーの飾り付けを見たり、 歩くのが楽しいのだけれど、一駅、あと一駅と、歩数を増やすだけの歩きでの、楽しみは、何分で、一駅あるけるか、くらいのもの。
けれど、嬉しい発見もあった。
仁川のカソリック教会が、暗闇に白い建物を浮かび上がらせている。幻想的な風景だ。 ここで、結婚式をあげた人がいて、私も参加させてもらった時の情景が浮かぶ。
「どいしているのかな? 」真っ白で清楚な花を抱いた彼女の美しい姿が脳裏に浮かぶ 。 次に、現れたのは、仁川学院。弟の息子が、通っていた学校。友人の息子さんも。
そこからすぐ近くに、おそば屋さんを見つけた。
以前は、甲東園にあって、何度か行った店だった。しばらくぶりに行くと、店はなくなっていた店。
つい最近も、話題に上っていた店、「うどんすき」がとびきり美味しいお店だと、評判だった。蕎麦打ちが、まだこれほど普及していなかったころ、脱サラで、蕎麦打ちに魅せられて、開いたお店だった。
こんなところに、引っ越ししていたのか。
「本日、蕎麦が売り切れましたので、閉店しました。」という紙が出ていた。
十割蕎麦の定食もある。相変わらず人気のようだ。
歩いていると、発見がある。電車の窓から、見えていた花屋さんや、有機野菜の店。
西宮駅の光が見えると嬉しくなる。終着のコナミは近い。
万歩計を買ってから、どれだけ歩いたかをチェックするのも、楽しみ。
たいしたことないなあ、1万3千歩足らず。
ヘルスクラブで、体重計に乗ると、また少し、体重が落ちていた。嬉しいこと。
水中で40分歩いた。これは、マッサージのようなもので、疲れが取れていくような
気持ちよさ。ジャクジーで20分、足の裏と、背中にジェットをかけて、うとうと。
お風呂に入り、さて、もう少し体重が少なくなっているかと思ったら、着たときと同じだった。
帰ってからがいけなかった。タマネギと肉と炒めて、甘辛に。サラダを添えて、ワインを飲み始めると、パンを焼き、2杯のワインで押さえたものの、焼酎のオンザロックを。焼酎はワインに比べて安いなあ、と関心。ああ、忘れてた。
冷蔵庫の鯖の姿焼きをチンして、食べる、食べる。辛いので、オンザロックがすすむ。
夜中の4時近くまで起きていたのは、ここで解消。食べてすぐに寝てしまった。
朝、起きると、胃の調子が、とみに悪い。朝食は食べられそうもない。
ああ、しまった。またやってしまった。
ピンポン、宅急便です。
息子とがガールフレンドから、母の日にカーネーションのプレゼント。
嬉しい贈り物。ありがとう、陶器の鉢が素敵。今日は快晴。
五月の空に暖かいさわやかな空気が流れる。
2010年05月06日
アイスランドの噴火よりも熱い女達
今日は、少し温度が低くなっている。海外から帰って来た人達の話題は、もっぱらアイスランドの噴火騒ぎ、巻き込まれた人も、運良く、逃れて、予定通り海外旅行を無事にすませた人も。
「忙しくて、大変なの。」
聞けば、旅行から戻ると、姑さんが、倒れて入院、あわててかけつけ、それが落ち着くと、今度は、息子さんの所に、孫の世話で。
時差ぼけで、身体を休める暇がない、病気になっていられない。
彼女達は、双方の両親を抱えていながら、自身の楽しみも、大切に、再び訪れた、青春を謳歌している。
男達よりも、女達の方が、遙かに、元気だ。
彼女達の、お財布にお金をつぎ込むのは、他ならぬ、旦那様達なのだが、山の神への献上。
「旦那と旅行しても、家にいるのと同じでしょ。おもしろくないわよ。旅行は、お友達と行く方が楽しいわ。」
旦那はポチとお留守番、
「これが大変なのよ。留守中の食事を作っておかないと出て行けないでしょう。冷凍して、チンして食べてもらえるようにしておかないと、ものぐさで不器用なんだから。何にも出来ないのよ。ちょっと遊びに行くのに、行く前から疲れちゃう。」
こんな風に、ぶつぶつ言いながら、年に何度も、旦那抜きで、海外旅行を楽しんでいる、主婦達がいる。
ヨーロッパが断然、お好き。フランス、イタリア、スイス、ギリシャ、スペイン、ポルトガル、東欧から北欧まで、団体旅行で、ほぼ全ての、領域を制覇すると、エジプト、アフリカ、ソ連、など、旅への欲望に果てしがない。
団体旅行が、安価で、いつでも商品が揃っている。
若い人達は、生活に四苦八苦しながら、氷の時代を生きている。お水の花道をたどる若い女性も多くなっている。リストラがなく、働けばお金が入ってくるから。
「働いたんだから、当然でしょ。」と威張っている女達は、親のお金で、大学を卒業、親が勧める、一流会社のサラリーマンと結婚して、結局、社会に出ることのなく、不満をかかえばがら、家族の犠牲になってきた、と後悔している女性達。親からの遺産も入る頃、
海外旅行は、自己解放の手段であって、目的にもなっている。
それ故に、彼女達は、次の旅行は、どこにするのか、目を輝かせる。女友達同士は、意見がすぐに一致。
「アイスランドの周辺で、また爆発が起こりそうよ。ロンドン、また閉鎖になってたんですって。」
海外への憧れを、描き続けて、子育てをしてきたお母さん。彼らに育てられた、子供達は、海外に興味を示さない。
今年のハーバードへの留学は、たったの一人だとか。
危険な海外に行きたくない。日本の温泉が大好きで、食べ物も日本が一番。ゆっくりスローライフ、競争なんて、がらじゃない。
やるきのない子供達と、やるき満々の母親達。
2010年05月06日
施設のお年寄りに、ゴールデンウィーク?
連休の間、何度か、母の施設に面会に行った。
行くと、面会帳に記入するのだが、この連休の間、面会者の名前は、ほとんど無かった。来ている人は、いつも同じ顔ぶれだけ。お正月もそうだった。
入居者は、18人いる。大型連休だったので、普段は来られない人達も、面会に来るのでは?という想像は、見事に外れた。
なんと寂しいものだろうか、と心が痛む。私がいつ行っても、雇われの勤務者と、お年寄りだけだった。
階下で顔を合わせる代表も、責任者もいない。経営者の娘もいない。
この所、真夏の暑さ、入居者の部屋の窓には、いつも鍵がかかっているので、部屋の中はむっとするほどの暑さだ。
おやつの用意が出来ているので、持って行ったケーキは、明日に出しますと言われた。
風呂上がりだからと、ポカリスエットと、冷たい白玉と小豆のおやつ。相性が悪いのか、お年寄り達は、ポカリスエットが酸っぱいと、顔をしかめている。
母の冬の衣服を持ち帰り、夏服を少し、入れかえておこうと思って、持参した。
ヘルパーさんが、「ご家族の方に連絡して、衣服の入れ替えをお願いしようと思っていました。」と。
そういうことも、施設から言われるまで、来ない人達。
お金に困っている人達ではない。むしろ裕福な人達ばかり。貧乏人の寄り集まり、という。子供達に金銭を管理されている、お年寄り達は、貧乏人も同様 、寄り集まって、その日その日を生きている。
2010年05月05日
一人じゃない、仲間と共に暮らす老後のあり方
時差ぼけで、明け方まで起きている。
宅急便が、来て、そのまま起きていれば良かった。
再びベッドに潜り込むと、目覚めたのは、午後の2時を過ぎている。
丁度、パリの朝と同じ。
母の施設に出かけたのは、3時半、おやつが終わった頃だ。入居者に風邪を引いた人が出て、順番に、うつって行ったとか。
帰った、翌朝に、母を医者に連れて行った時には、気管支炎のような咳をしていたが、今日は、脇腹が痛いと言う。話をしている時ではなく、咳をすると痛むので、咳が原因で筋肉が痛いのではないかと思う。咳き込んで、脇腹の骨にヒビが入るということも考えられる。
休み明けに、看てもらおうと思っている。医者で、骨粗鬆と、体重を量ってもらったら、骨密度は少しだけど、高くなってきた。体重の方は、44キロ、先月、49キロもあると言われたのは、やはりはかり間違いのようだ。
母の体重は、一定している。
疥癬で隔離されていた、老人も、今日はリビングに出て座っていた。高年齢なので、完全に直らなくても、疥癬は出ていない。
連休だけど、今の所、面会者は、少ないようだ。
全員で作ったという、鯉のぼりが2つ、テレビの上の壁で泳いでいる。
「これはすごいですね。こんなに上手に作れるなんて。」
大きな鯉の絵をくりぬいたものに、折り紙で作った鱗が丁寧に貼り付けてあるぼで、立体的な鯉のように出来ている。
3月のおひな様がなくなって、寂しかった壁が、また華やかになって。
母はいつも、「もう帰ろうと思うの。家を片付けないと、気になって。」と言いながら、結構気楽にいるようだ。
母の部屋に、弟夫婦や妹からの誕生祝いにもらった花が、賑やかさを増している。
弟夫婦からは、名前が入っているので、「これ昨日、持ってきてくれたの。」と日は覚えていないが、誰からもらったのか、見る都度、把握している。
母は、施設で、初めての誕生会をしてもらった。毎月、誕生の人達の名前が、壁に書かれている。ささやかな食事でも、月に一度、誕生会の食事が出る。それも、入居者達の楽しみの一つだろう。
共同で生活することは、お年寄りに取って、それほど悪いことではない、と最近思えるようになった。
健康管理が行き届くので、身体は元気になる。いつも周りに人がいて、寂しさや孤独感から解放される。
先日、テレビで、まだ介護の必要としない、老人のために「ケアハウス」というのがあって、入居している人達の中で、そのまま、そこでお葬式も共同の墓地への埋葬も依頼する人達が多くなった、という。
独身生活を送ってきた人達が、多く入居している為だ、とか。生前に共に暮らした人達が、仲間を送り、その後も大切にまつってもらえる。
孤独死の心配はない。死後の心配もない。お部屋は、冷蔵庫から生活品を入れるだけの広さがあり、生活のプライバシーは十分守られている。これから、そういうケアーハウスが、増えて行くだろう。
2010年05月04日
ケ、セ、ラ セ、ラ
従姉妹がアトリエの前で、チューリップの鉢植えを金網で囲っている。
先日、10年来、彼女が買っていた、犬が、店の前で、自動車に轢かれて死んだ。自動車道路ではない。荷物をいれるのに、乗り上げて来た車に。
死んだ場所に、石を置いて、その周りを金網で囲んでいた。
チューリップは、ほとんど咲ききっている感じだ。近くの低所得者向けのスーパーで
12で2ユーロの苗を買ったもの。
どうして金網なんかいるのか、と聞くと、彼女は
「見てよ、花を折って持って行かれて。こちらの人間は、きれいだと思ったら、盗っていくから、盗られないように、金網で囲っておかなくちゃ。」
私が手伝おうとすると、怪我するから、触らないで、と。彼女の手は、小さな傷跡だらけになっている。
ドロボー天国というわけだが、彼らに罪の意識は全くないだろう。きれいだから、それほしいから、持って行くという感覚なのだろう。
友人のアパートに、ビニールに包んで、流しの下の奥の方に、じゃまにならないように置いていた、フライパンが、今回、行ってなかった。アパートは組み立て家具を入れて、改造し、整理したようなので、聞いてみた。
友人のメールには、「大事なものは、置かないようにしてください。」とのこと。
重くて大きめのフライパンなのに、持って行った人も、荷物になって大変だっただろう。それでも、確かに、けちな私にしては、安物をやめて、テフロン加工のしっかりした分厚いフライパンを選んだ。
持って帰りたいフライパンだけど、重いのでやめた。日本に帰り、同じようなのを探したが、見つけられずに、妥協ものを買って、使っている。
私の前に、借りて入っていたのは、日本人ではなかった。友人のアパートにあるものは、なんでも、使って、なんでも気にいったものは、お持ち帰りするのは、彼女には自然なこと。彼女に罪の意識はまったくない。
お国柄が違うのだ。
昔、従姉妹が、日本に帰る間、アパートの留守番をしてもらうのに、貸したら、大事なものが無くなったと怒っていた。 高級なハンドバッグや、洋服が無くなるのだ、と。絵を教えている、婦人が、お金持ちなのに、従姉妹の絵筆を何本も持って帰った、とか。
その当時は、人のものを勝手に持って行く人なんて、そうそういるものではない、と思っていた。日本人の常識では考えられないことだ、と。
友人のアパートを借りている人達に、そんな話は聞いたことがなかった。友人は家財道具を置いて、自分の住まいを貸している。
日本人も、ラテン系の人達も、人間でくくれば、同じなのだけど、考え方の違いは、大きいのかもしれない。どちらが正しくて、どちらが間違っているわけでもないような気がする。
友人が言うのが、本当だ。「大事なものは置かないように。」
2010年05月03日
普天間基地問題をきっかけに
今日、友人に話していたのだけど、普天間基地の問題、鳩山総理が、あちらでもこちらでも、頭打ちして、結局決められないことの方が良い、と友人は言う。そうして、どこもだめです。受け入れを許可する所はありません、とアメリカに報告すればよい、と。
今朝、CSで、ニュースの深層を見ていた。金子さんと、作家のうさぎさんが司会を務める、月一の番組。
ゲストに、普天間の市長が出ていた。他に、アメリカ研究の大学教授と防衛関係の人と。
沖縄の人々は、もう基地を、沖縄に認めることはない。アメリカ人は、普天間の現状を知らない。しれば、異常なこととしてびっくるするだとう。お金だけが問題で、お金さえ出せば、海外に移転したいと思っている、というのだ。
本土の人達は、沖縄の基地にあまりにも無関心で人ごと、これは差別だ、と。
で、結論として、お金を出して、費用を負担し、グアムとサイパンの島に、国外に出て行ってもらえばよいということに。アメリカはそれを望んでいるのだ、と。
友人の意見も、同じようなものだった。鳩山総理は、優柔不断ぶりを装って、
アメリカが、自分から出て行くように、持って行こうとしているのではないか、という。
それは、小沢さんの考えでもあった。
アメリカの駐留は、海軍の第七艦隊しかいらない、と。
最近亡くなった、井上ひさしは、日本が世界で、医療最先端国家になれば、どこの国面も日本を侵略しない。そのことで平和が維持される、と言う。
今夜、坂本龍一が、去年亡くなった、忌野清志郎について語っていた。
清志郎は「どうして、日本は言いたいことが言えない国になってしまったのだろう。」と言っていると思う。音楽で、あれだけ言いたいことを言えた人はいない、と。
最後に流れた、ジョン、レノンの「イマジン」は清志郎のメッセージでもあった。
人間が人間として、ただの人間として、愛しあうことを望んでいるのは、君だけじゃない。仲間がいるのだよ。争いのない世界を望んでいるのは。シンプルなことなんだ。地球の上にあるのは、青空しかない。
清志郎の呼びかけは「愛し合っているかい?」
そうだ。
沖縄の人達は、基地はいらない、これ以上の犠牲はごめんだ、とはっきり言えばよい。
広島の人達は、ノーモア、広島、戦争は許さない、とはっきり言えばよい。
私達も言わなければ。
日本は、 軍隊を持たない国、二度と戦争をしない国、アメリカの基地もおけない、と。
私達、日本人の願いは、そうではないのですか。言いたいことは、本当はそうではないのですか。
そうだったら、そう言わなければ。
日本のどこかに基地を置くことが決められない、それで良いのでは?
どこも受け入れる場所がないのなら。
2010年05月02日
成田空港での炊き出し
アイスランドの噴火で、成田に足止めになった人達に、炊き出しをしていたと聞いた。
ロンドンでも、パリでも、そんな話は聞かなかった。
飛行機が飛ぶまで、空港で寝泊まりしているのは、外国人ばかり。お金を使わないでやり抜こうとする人達の為に、暖かいご飯を提供しようという日本人のお人良しぶりは、田植え民族ならではの情景だろう。
ロンドンに1週間、足どめをくっている夫婦は、ホテル代は嵩むし、土産物は増えるしで、二倍の旅行費を使っているとぼやいていた。中国の飛行機が安いので、撰んだら、乗り継ぎがひどくて、とんでもない目にあったので、もうこりごりだ、と。
モノプリ
HISの格安旅行を撰んだ人達は、ホテルを追い出されて、1泊3万や4万のホテルに。
持病の薬が切れて、病院の中にある、日本人用の診療所に、毎日観光客が押し寄せた。
誰も、無料で、世話をしてくれるような国ではない。自己責任ですよ。噴火は、自然現象。災難という感覚はほとんどない。
ロンドンもパリも足止めで、ホテルは満杯、値段はつり上げられ、観光と買い物にどんどんお金が使われて、商売繁盛
日本で、国鉄の値段は、定価として決まっている。新幹線の値段が、ピンからキリまでなんて、国民が認めない。ユーロスターの料金は、噴火で、どんどん高くなり、収まりとともに、安くなっていった。
需要と供給によって、自由な値段設定。
それが合理的で理にかなっていると言えば、そうなのだろうけれど、日本の
平等という観点と、西洋のそれとは、まったく180度の違いがある。
オークションは、ほしい人なら、いくらで買うのか?その極限まで値をつり上げ、落とした人の手に落ちる。
日本では、寅さんが映画で職業としている、たたき売り、この商法が、オークションの逆バージョン。
ただ同然だよ、持ってけ。買わなきゃ損だよ。
お人好しであることが、美徳とされる日本
成田空港で寝泊まりする、外人に、炊き出し。
日本的平等主義の象徴で、美徳のように見えるけれど、
自由を認めない、陰湿性も隠している。
成功者を認めない。皆でつぶしてかかる。目立つと叩く。
1人勝ちを許さない。村八部。
田植え民族の平等意識は、個人に対する攻撃と、怖さも
含んでいる。
平等に対する意識の違い。自由と責任に対する違い。