2010年07月04日

パニック状態だった


 


テレビ1台を、どれに決めるかで、さんざんもめたあげくに、母が自宅に置いたままになっている、5年前に買った、32インチのパナソニック液晶テレビを、新しい施設に運ぶことに決まった。

 雨の中、忙しい弟と、弟の息子の手を借りて、運んでもらった。
 入居時に借りている15インチのテレビは、やはりパナソニックで、音声が明瞭なので、母は聞き取りが良く出来ていた。

 私は、宝塚のギャラリーで展覧会に出品している方に会って、5時頃、母の施設に行った。

母は部屋の入り口で、男の看護師となにか話をしている。母の補聴器が、両耳ともきちっと収まっていない。聞こえないというので、電池がないのかもわからないと言いながら、母の補聴器を、出してもらって、もう一度はめ直してもらったら、きちっと治まり、聞こえるようになった。


 母は、私の顔を見ると、
「来てくれた良かったわ。何がなんだかわからなくて。どういうことが起こっているのかわからないの。私一人ではだめ。泊まってくれる?帰りたいの?
ここで泊まってもらわないと、困るわ。」母は少し混乱状態。

テーブルのイヤホーンからの線がテレビにさしてあるので、それを抜くと、割れるような音。慌てて、音声を下げた。最大にまでなっていた。

 補聴器をつけて、母に音声が聞き取れるかどうか聞くと、聞こえるけど、何を言っているのかがわからない。音が部屋に鈍く響くので、騒音のように聞こえるのだろう。
「どうせ、聞いても忘れるから、見ているだけで良いのよ。どれもつまらない。わからないから、テレビもおもしろくないから。わーわー言ってるだけ。」

 補聴器をつけた状態で、イヤフォーンをつけると、聞こえるようだが、私がつけても、頭が圧迫されるようで、鬱陶しいのだから、母は我慢していらない。
 「荷物を運んで家に帰る。」というのは、以前の施設のことを指している。

 さっきの看護師が、母をメインで世話してくれるFさんに話したのか、彼が部屋にやってきた。 泊まった方が良いかと聞くと、彼は夜勤なので、様子を見るという。一人にする時間が良くないようですね、と。
 昼に、弟たちがテレビをつけに来たのは、覚えているが、「会社の人達と一緒だった。テレビを置いて、すぐに帰ったわ。仕事があるから、忙しくしている」と。
テーブルには、コーヒーと、プリンが手つかずのまま、置いていた。おやつなのか、弟たちが持って来たものなのか。

  Fさんは、しばらくすると、再び部屋に。夕食を食べに行きましょうと誘いに来た。
 「私は食べたくないので、いりません。」という母に
 「お仕事あるらしいから、行ってきたら。私はここでテレビ見て待ってるわ。」
 「泊まって行くでしょ。」と母が念を押す。

 Fさんは、「何かあれば連絡しますが、大丈夫です。」と言われる。
 「じゃ、夕食に行っている間に、私は帰ります。」
 ダイニングの中をそっと覗いてから、施設を出た。

 母がまだしっかりしていて、耳が聞こえにくくなっている頃、私の話す声が、ぼそぼそふわふわと、何を言っているのかわからない、とよく言われた。
アナウンサーの話す声は聞き取れる、と。小さな声でも、はっきりと聞き取れるのに、私が大きな声を出しても、母は煩く耳に響くだけだと。

アナウンサーや、演劇人の発声練習が出来ている人の声は、明晰で、遠くまで聞こえる。最近、私も耳が悪くなっているので、演劇を見るにも、聞こえる人と、何を言っているのか聞き取れない役者がいるので、母の言っていたことが今はよく理解出来る。

最近、テレビも、高齢化に伴い、人の話やドラマ用に、音声を調整しているものが出て来たらしい。

 せっかく入れてもらったテレビだけど、母に適切なものを購入した方が良い、と私は思っている。でないと、補聴器をつけて、やっと人と会話が出来るようになっているのに、 音声の悪いテレビを見ているだけなら、補聴器の無い状態と同じになる。
耳の悪い人は、ぼけやすい、と言われるのは、社会からの情報に反応する力が弱くなるから。自分の世界に閉じこもることが良くないのだ。  

Posted by アッチャン at 10:35Comments(0)日々の事