2010年07月19日

常光院の寺、常高寺、小浜

 
 

小浜周辺には、国宝や、重要文化財に指定されている神社仏閣が散在している。
神宮寺を始め、主立った所を見ているので、どこか、他に、宿の主人に尋ねたら、
「常光寺」を勧められた。
来年の、NHK、大河ドラマの舞台になる。
戦国時代、お市の方と近江の小松城主浅井長政の間に生まれた、3人の娘、後の淀君、徳川二代将軍、おごう、そして、お初。
京極高次の正室で、後に、常光院が、お初だ。



絶世の美女と歌われた、お市の娘さんだけあって、優雅で美しい顔立ちをしておられる。
お初の方は20歳で、秀頼のとりなしで、京極高次(近江高島群大溝城主)に嫁いだ。
その後、十数年を経て、近江滋賀郡大津城六万石の城主であった高次は、徳川方につき、お初は、淀君を敵に回す立場にたたざるを得なくなった。


合戦の功により、高次は、若狭八万五千石を与えられ、小浜藩主に。
その後、高次が、病で小浜城で没し(四十七才)お初は、ただちに剃髪して、常光院と称した。
大阪冬の陣、夏の陣で、常光院は、姉の淀君、甥の秀頼を助ける為に、家康の命で大阪城にのりこんで和議を勧めるが、かなわなかった。
晩年、江戸に滞在していた、常光院は、心のより所として、夫高次の菩提を弔い、父母等の供養の為に、息子が領する小浜の地に一か寺建立を発願、かつて秀吉からいただいた化粧料二千四十石のうち、三百石を寄進して、寺の基礎を固めた。




 明治以降、衰退をたどった寺は、戦後、荒れるに荒れていた。近年、次第に再建の気運が高まり、平成13年の秋に、本堂を再建し、今に至っている。
長い間、倉庫に入っていた、ふすま絵は、撮影禁止になっているが、これを見るだけでも、この寺を訪れる価値があるほど素晴らしい。 狩野派の狩野美信の書院壁壁画が。
お庭を見るだけでも。 お庭も優雅なたたずまいで、おおらか。
   

Posted by アッチャン at 08:43Comments(0)旅行