2010年07月31日

 前原大臣は、歌舞伎役者、じゃなかったよね

 
 

前原大臣が、市川海老蔵の披露宴に出席を優先して、両院総会を欠席した。
非難は甘んじて受ける、と言っておられる由。
勝手に非難してくれて良い、というのは、非難されるのは、百も承知で、行きたい気持ちを優先したということ。
 小泉元総理も、森元総理も、とっても嬉しそうで、楽しそう。お二人は、歌舞伎フアン。大阪の松竹座で、総理になる以前の小泉さんが、仁左衛門の弁慶に感激して拍手喝采。私の後ろの席だった。
森さんは、パリの、歌舞伎公演の初日に来ていて、ご機嫌さんだった。私の席の、2,3列後ろで。
筑紫哲也さんは、真っ白の背広で、インタビューを受けていて、実物はハンサムで素敵だな、と思った。

 海老蔵さんの披露宴に招待されたら、両院議員総会なんか、サボタージュする価値は大いにあるわね。
でもです。
他にも、招待されていて、仕事で欠席せざるを得なかった人、沢山いたようです。
仕事に穴を開けるわけにはいかない。真央さんと親しい、平原綾香さんは、リサイタル会場から、歌を贈っていた。清原は、野球場から。エトセトラ、エトセトラ。

人には厳しい意見を、バンバン言う、前原大臣、自分には随分甘いのと違うかな。
責任感、ないのでは?
「静かにしておいてください。」と言われた小沢さんが、欠席しても、非難はされないけれど、執行部の責任者の一人である、前原大臣が、個人的欲望を抑えきれずに、気持ち優先とは。

 見るからに、嬉しそうだったよね。紋付き袴なんか着て、歌舞伎役者じゃ、ないよ、現職の国会議員ですよ。公の仕事に匹敵する大切なお仕事なら、背広でしょう。
京都出身だから、着物好きなんでしょうか。

民主党の大物?議員さん、軽さが目立つ。政治家らしい政治家がいない。
この辺りで、沈黙を破って、出てきてもらいたいなあ、小沢さん。
 

菅総理は、9月の代表戦に意欲満々で、続投の意志が強固だけれど、日本の舵取りを任せるのは、あ菅だろう。  

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2010年07月30日

新地の「神田川」でランチ


 

 久しぶりに会った、親友は、一見してスマートになっているのがわかる。
彼女の第一声は、私がスマートになったこと。
 お互いに、痩せないのが悩みだと言いながら、好きなものを食べていたのだけれど、
昨日は、違った。彼女は、計るだけダイエットで、食べるものに制限はしていないらしい。 私は違うのよ。脂肪肝がある。中性脂肪が多くなって、と一通り講釈を垂れて。
 ダイエットには、炭水化物と糖質を減らすこと、だと、テレビからの受け知恵を報告しながら、北新地に。
その前日、インターネットで、どこか美味しいランチを食べさせてくれるところはないかな、と夜中まで起きていた。
 お初天神の「清水」、は場所がわかっているけれど、北新地にある2軒の店が、ランチをやっているので、まずその辺りから、探し始めた。
 北新地の昼間は、お化粧を落とした顔を見せている。仕入れの車が、ゴミが、散在して少しも美しさがない。
 近くの人に聞いても、淳平は、見つからず、神田川という料理屋が、何軒もあって、ランチを出していた。
 鰻や寿司屋、夜なら、ものすごい高級な店が、結構安い値段で、ランチを提供している。いかにも高そうな寿司屋が、ランチ時は、3000円と5000円で、にぎり1人前。
 夜になると、お化けになって、3倍も4倍も膨れあがる値段にちがいない。
美味しそうなうどんや屋があった。
 「長い間、食べてないから、うどんでも良いわ。」と彼女。
私も、食べたいけれど、そこは我慢。炭水化物ばかり食べるのはやめようよ。
神田川が、目立つ。 ロールキャベツが美味しいと、ネットで調べているけれど、彼女の方が、パス。探すのに、疲れてきて、ある神田川の店の前の案内プレートに惹かれて入った。

レディースランチ

そこは、ランチすべて1000円。レディースランチを注文した。さすが、有名な料理屋さん、おしぼりのタオルが高級で、柔らかなな肌触り。カウンターになっていて、中で、4,5人の若い料理人が働いている。夜の仕込みなのか。
味はまあ、まあだった。貝柱のグラタンと、アサリのお味噌汁は美味しかったけれど、メインの3色どんぶりは、味が薄くて、物足りない。
隣に座っている男の客は、魚のランチを注文していて、そちらの方が美味しそうだった。隣の芝生は青く見える。

なんと言っても、量の少ないこと。二人前食べても、丁度良い所だけれど、私達はダイエット中なので、これで満足しておきましょう。

食後、ゆっくりしゃべれるカフェを探して歩き、また歩き疲れて、適当なカフェに。座席が堅いね、と言いながら、奥まった所を確保。



この店は、ロールケーキがご自慢の店。トレイに乗せて、美味しそうなケーキが、運ばれている。
ロールケーキには、目がない私。あああ、食べたい。半分食べてくれたら、頼みたい、というと、「私は食べませんよ。」とつれない返事が帰って来る。
コーヒーだけで、長話。クーラーが効き過ぎて、寒い。身体を互いにさすりながら、話に夢中。
お互いの親のことから、自分達の行く末の話。
漠然と、拒否しながら、それでも確実にやってくる未来。
私が、病気で伏せっている時に、一人でいることを心配して、
「泊まりに行くから、言ってね。」と言ってくれる。
有り難い話だ。そんなこと言ってくれる親友が、私にもいるのよ。
だから、一人で生きられるのだ、と思う。
一人じゃない、という思いがいつもどこかで、私を支えてくれているから。  

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2010年07月29日

 パイロットへの道


 

 日本で、ヘリコプターが墜落、小型飛行機も、行方不明になっている。パキスタンでは、旅客機が墜落している。飛行機ではないが、スイスで、レールに歪みが出て、列車が脱線、一人の使者と、多数の怪我人を出した。
 この所の、天候が関係しているのではないか、と心配になる。
 予測不能の現象が起こっているのかもしれない。

 息子は、飛行機の操縦を生業にしたいと目標を立て、訓練中だ。人には、それぞれに大切な命、生き方を決めるのは、本人自身。周りで、とやかく言うことは出来ない、と思っているけれど、危険に遭遇しても、なんとか生きながらえる術を十分身につけておいてほしいと願う。

 今日、彼は、商業用パイロットのテストを受けた結果をブログに。どうだったのだろうか、と心配しながら、プレッシャーをかけてはいけないので、触れずにいたのだけれど、結果は、オーラル試験で落ちた。その先の操縦まで行かなかった。

これで良いのだ、と私はほっとした。石橋を叩いて、渡って行く方が、難なくすいすい行くよりも、安全なのだ。

 オーラルで、頭の中に、どういう機械が入っていて、それが、どのように働くのかをチェックされる。知識は、危険を助ける。知識と体験が豊富ならば、豊富なだけ、とっさの時に生かされる。無意識で生かされる手段だ。

 苦労して、覚えたものでないと、身につかない。頭打ちは、するだけすれば、強固になる。
 急がば廻れ。あわてる乞食にもらいは少ない。時間に追い立てられると、とんでもない不祥事を巻き起こす。安易に得たものは、安易でしかない。

 難なく、無事に、通過出来なくて、本当に良かった。神に感謝。  

Posted by アッチャン at 01:51Comments(0)日々の事

2010年07月28日

超ラッキーなお買い物

 カリモクのソファーに合っているでしょ、各テーブル

え、こらせ。昨夜、暗闇の中を、一人で。
西宮のミドリ電化にある家具部門が、閉店になるので、随分前から、館内売り尽くしセールをやっている。
 先日、カリモクのソファを買ったので、使っていたテーブルが古くさく見える。
この間から、通りがけに何度か、覗いては、値段が安くならないか、と目をつけていたテーブルがあった。が、相変わらず、半額のままだ。
 店員さんに、聞いて見た。
「これらの品物は、売れないと、更に安くなるのでしょうか。」
「まあ、そうなっていくでしょう。」
「いつ閉店ですか?」
「八月の中頃です。」
「じゃ、時々覗いて、待ってます。」というと、
「仕入れ値段が、12600円なんですが、」と言いながら、電卓をはじいて、
「現金でしたら、1万円で。勿論持ち帰ってもらわないといけませんが。」と言う

 
「カードならあるけど、現金は持ってません。どこかで出せる所があれば。」
「すぐ近くにローソンがあります、」
 カードなら、原価の12600円を切っては売れないそうだ。
ローソンに行って、財布が空だったので、2万円出して、戻りつつ、もう一つ、良さそうな丸テーブルも、ダメ元で値切ってみようと。

 店に戻ると、店員は、すでに私が買ったテーブルにビニールをかけていた。

 丸テーブル

「この丸テーブも、ついでに安くなりませんか?」
このテーブルは、48000円の定価が、1万5千円になっているので、値段を下げる余地はなさそうだった。財布には、あと1万円しか入っていない。
「80パーセント引きなんて、ならないでしょうか。」 なんて小声で、厚かましいことを言ってみた。
再び、電卓を叩いて、
「あれと同じ、1万円で。領収書は出せませんが。」
心の中で、やったー、と大喜び。
「このメーカーは、一流で、良いものですよ。日本製で、オリジナル」

 領収書をもらっても、返品お断りの品だから、関係ない。
目をつけていた品物を、とびっきり安い価額で買えたのが、超嬉しい。
 こんなことってある? 
 「半額では、とても買えませんよ。この機会を逃したら。」と言われて、すんでの所で、買うところだったテーブル。
 「もう少し考えてから。」と、前日に買わなかったから、我ながら、節約精神にブラボー。

 テーブルは、小さいけれど、木を二枚合わせたもので、結構重い。もう一つの丸テーブルは、竹製で、ガラスの板を乗せるようになっているので、こちらの方は軽々。

 余分なものは、買わないようにしているので、何度も諦めては、また見に行って。
 足をしげく運んだお陰です。家具の方が、買ってよ、と待ってくれていたようです。  

Posted by アッチャン at 09:18Comments(0)日々の事

2010年07月27日

すいか、甘いか、すいかのお話

 

 


一昨日、母の冷蔵庫に入れて帰った、すいかが気になっていた。
食べてなければ、痛んでしまっているかもしれない。
 母の部屋に入り、早速、冷蔵庫の中を見た。すいかを入れていた容器がなくなっている。 洗面所に、洗った空の容器がある。
「お母さん、すいか食べたの?」食べたことを、忘れている母に聞いてみると、以外や、
「ああ、食べたわよ。美味しかったわ。」
母はすいかのことを覚えていた。
「昼ご飯、何食べたの?」と聞いても
「食べてないよ。」と答える。
「何か食べたでしょ。」と再び聞くと、
「なんか食べたのでしょうけど、覚えてないわ。どうせしょうもないものだわ。」母の答えはいつもこう。
でも、今日は違った。しっかり覚えていた。
「すいかは、とても甘くて美味しかったわ。あなたも食べれば?冷蔵庫にまだ入っているのじゃない?」
 今日の母は、頭が冴えている。もう一つ聞いてみた。
「お風呂に入ったのでしょ。」
「今日は入ってないよ。あなた、入ったの?気持ちが良いでしょ。」
「お風呂に入られました、と言ってたよ。」というと、
「そういえば、入ったわね。ちょっと浸かって、すぐに出て来たわ。しょうもないお風呂。」と大して嬉しそうな顔はしない。けれど、お風呂に入った事も覚えている。最近、お風呂と食事に関しては、あとで聞くと、一度は否定するのだが、聞き直すと、思い出すようになった。
 少し、頭がしっかりしてきたのだろうか。ぼけていたのに、ホームに入って、しっかりして、家に戻った人がいる、と聞いた事がある。母もそうなら、嬉しいのだけど。

 去年の6月から8月にかけて、病院に入院していた時にも、毎日のように、すいかを持参した。食べやすいように、切って、タッパに入れていく。
 母は、美味しいと喜んで食べていた。掃除夫にも、勧める。
「もうこれで良いです。ご馳走様でした。」と言う掃除夫に、もう少し、もう少しと勧める。
「内緒にしてくださいね。でないと首になりますから。」と言いながら、モップを置いて、母からもらって食べていた。

 最近のすいかは、糖度が提示してあるので、甘いものを選ぶことが出来る。
昔は、果物屋に並んだ、丸ごとのすいかを買う時、叩いてみたりして、熟れぐあいを探ってみる。果物屋さんの技だった。
 ビンビンと張っている、音の冴えたすいかが甘い、音のにぶいのは、まだ白くて熟れていない。割ってみなければ、当たり外れのあるスイカだった。

 今は、丸ごと買うことはない。4分の1か、6分の1、真っ赤に熟れて、新鮮なものが買える。糖度は12度か、13度、甘くて美味しいに決まっている。

 切ってタッパに入れると、4分に1が丁度、一杯になる。私は切り残った、すいかの、まだ甘さの残っている部分を食べ、さらに残った白い部分を、皮から切り離して、軽く塩をしておく。瓜のような味がして、淺漬けになる。

子供の頃、白い部分にビタミンがあるのよ、と母は言いながら、少し赤身が残っている部分を食べ終わると、包丁で皮を取り、お漬け物代わりに、塩をふっていた。そこにビタミンが豊富なのかどうか、知らないけれど、母をまねて、同じ事をしている。
 両親共々、放任主義だったので、ああしなさい、こうしなさい、とは一切言われた覚えはない。
 自分で考え、決める。自己責任はついて廻る。変に教育されるよりは、その方が良かった、と今では、思う。

 父の言葉、母のしぐさから、自ずと学んだことが、身についていたり、私の思考を支配している。  

Posted by アッチャン at 14:07Comments(0)日々の事

2010年07月26日

今日は、土用の丑の日


  涼しいカクテル


今日は、土用の丑の日なので、冷凍庫に入れていた、真空パックのうなぎを出した。
 大切にしまって、置いていたのだけど、
賞味期限が、とっくに切れているので、私一人で食べるしかない代物だと思って、思い切って。
 先日、冷凍庫に入れていた、サーモンの真空パックのものは、泣く泣く捨てた。
カナダからのお土産にもらったもので、箱のまま、置いていたら、中がサーモンであることがわかったのは、1,2年経った後、大丈夫だろうか、と心配しながら、冷凍庫に入れていた。大きなパックなので、来客の時にしか使えない。
そうこうするうちに、また時が経ち、冷蔵庫の整理をいよいよしなければ、他のものを入れるスペースがないので、サーモンを開封してみた。
 腐っているわけではないだが、パサパサした感じがして、お腹を壊してはいけないので、捨てた。食べ物を捨てるのは忍びない、賞味期限が切れているようなものは、食べるようにしているので、サーモンパックは、断腸の想いで捨てた。
 冷蔵庫にへばりつくようにして、入っていた、うなぎも、誰かが来たときに、と大切に残していたものなのに、賞味期限が、2007年の何月か。
 湯煎して、ご飯にのせて食べたら、極上の味だ。うなぎは、煮たように、柔らかくて口の中でとろけていく。いくらでも食べられるような、癖のないもの。

 一匹を一回で食べてしまうのは、身体に良くないので、半分食べて、あとは夜のお楽しみ。
 日本のうなぎは、どんどん値段が高くなっている。中国や、インドネシア、タスマニアなどからの輸入品が、これから多くなると言われている。

 海外産のうなぎは、食べる気はない。
うなぎを食べるのは、特別な時だから、高くても、美味しいものを食べたい。
京都の「梅の井」は、うなぎの名店だ。店は、今日は休んでいる。鰻供養の日だから。
 名店は、国産にこだわる。仕入れ値段に併せて、すぐに値段を上げるわけにはいかないので、大変だろう。

 鰻は、高くてよい。頻繁に食べると、身体によくない。せいぜい、年に、1,2度でよい。食べたいと憧れて、我慢するだけ、我慢して、解禁日に食べるうなぎは、最高の味がする。

、「今日は張り込んで、鰻丼を取りましょうか。」というせりふは、どこに行ったのだろうか。鰻なんて、珍しくもなんともなくなって、久しい。
 食の氾濫は、旨いものへの憧憬を剥ぎ取ってしまい、味気ないものにしている。

 国産うなぎが、品薄になって、2倍、3倍に跳ね上がっていく。
国産鰻は、海外品に、差をつけて、うなぎうのぼり、威勢の良い話だ。  

Posted by アッチャン at 14:28Comments(0)旅のグルメ

2010年07月25日

生命 孤高の画家 吉田堅治



生命
  孤高の画家 吉田堅治

というタイトルで、8月9日、夜の10時から、10時49分までの約50分間、

NHKの総合で、放送があります。

朗読は、市村正規

NHKエンタープライズの制作で、

ディレクターは、新田義貴

以にもブログで、紹介させていただいていますが、

昨日、案内のお葉書をいただきましたので、

再び、ご紹介させていただきます。

いよいよ、という感じで、お葉書を手にすると、

震えるような感動があります。

パリで、生と死を見つけ続けた 元特攻隊員の画家がいた

欧米で、魂の画家呼ばれた、知られざる日本人画家の生涯


 もうこの文章を読むと、胸が詰まります。

本当に、吉田堅治さんは、孤高の人でした。

凍てついた寒い、パリのアトリエに入ると、朝から夜まで、立ち続けて、一心不乱に絵画と向き合っておられた。

 電話がなっても、その間は聞こえないので、と。 10時間以上も、何も食べずに、描き続ける。
晩年は、病に伏せっておられる時間が長くなって、その間、ほとんど何も口にされずに、寝ておられた。

「沢山の人が、やってきて、去っていった人も多い。」

 感慨深く、おっしゃった言葉に、吉田さんの深い孤独な心を思った。

 伺う度に、痩せて、食べられなくなった。

 痩せて、骨と皮のようになっていた、小さな肩を揉ませていただいた。
「人に揉んでもらったことは初めてだ。」とおっしゃって。


 お元気なら、拒否されたこと。限界に近い身体の状態だった。

 フェニックスのごとく、最後の年は、孤高に大きな翼を広げて、命と平和の使者として、世界の人々にユネスコでの個展をされた。


 神様は、見ておられたのだ。知っておられたのだ。こんなに早く、吉田さんが、日本の人々に知られる機会が与えられるなんて。吉田さん自身、思っておられなかった。


 吉田さん、見ておられますか。この暑い夏の、 蒼空で。

 今年も、終戦日が近づいています。原爆で、焼け死んだ多くの犠牲者に比べれば、
 
 まるで、水中を泳いでいるような、さわやかな夏です

  

Posted by アッチャン at 11:02Comments(0)art

2010年07月24日

 人間も、動物にも、限られた時間がある。

 


 猛暑が続いている。
 クーラーをかけると気持ちが良いけれど、足とお腹が冷えるので、ほとんどかけないで過ごしている。
 汗がだらだら吹き出し、衣類は何度も着替えなければならない。

熱中症予防には、熱さに慣れている方が良いという。

 それでも、今年の夏の暑さには、参っている。水分だけは、がんがん取っている。
こう暑くては、水気ばかり要求して、食欲は減退ぎみ。ダイエットには絶好のコンディションだ。
 
お年寄りには、本当にきつい夏。だけど、母がいるホームは、ほどよい冷房が効いている。私には、効き過ぎている感があるので、行けば、1,2度温度をあげる。
 
 弟の家で、15年間も頑張って生き抜いた、犬が亡くなった。通常は、7,8年の寿命と言われている、ゴールデン、レッド、リバー。

 家の中で、家族として生活していたので、弟達の悲しみは大きい。

しばらく前から、点滴をしながら、頑張っていたのだが、この暑さには、あらがえなかった。まだまだ、生きたいと思っていたにちがいない。

 熱があるうちは、大丈夫ですよ、と医者に言われていた。病気に抵抗して、戦っているから、熱が出る。何週間も、熱があった。毎日、病院から迎えに来てもらい、点滴をしてもらって帰って来る。そんな日々が続いた。
 
 弟が海外出張している間に、亡くなればどうしよう、と弟のお嫁さんが言ったのは、先週の金曜日だった。
 「主人のいない間には、死なないというから。」と私が言っていたら、その通りになった。 人間も、動物も、それそれに、限られた時間がある。

明日、どうなるのか、人は知らないから、暢気に生活しているけれど、人間も、動物も、寿命が近づくと、あらんかぎりの力をふりしぼって、がんばれるだけがんばって、やがて、力尽きて逝くのだろう。

 外見は、元気そうでも、身体の中は、使い切った古びた機械、何度かのオーバーホールをしながら、最後に止まる時がある。

私は、ある意味、ペシミストなので、母についても、悲観的な見方をしている。

心不全だと言われている母は、以前は心臓が強かった。私とは比べものにならないくらい、長風呂で、私は少し、無理をして入ると、立ちくらみがひどく、心臓が飛び出しそうなり、苦しくて、治らないのでは、と不安になることがある。最近では、5分しか、浸からない、サウナも5分で一回と決めている。

 妹が、娘を孫を連れて、母に会いに来た。

私が行くと、看護師さんが、
「可愛い子供さんと、散歩に行かれていまた。」と言う。部屋に入ると、男の看護師が母の側にいた。
顔、身体から、汗が噴き出し、止まらないらしい。

 心臓に負担がかかって、母は顔が紅潮しているのだが、身体の方はべとべとして冷たくなっている。
 母は、子供が激しく動くので、あぶないから、と追いかけていたらしい。目に見えるようだ。私と二人でいるときには、すぐその辺りで、すぐに疲れたと言う。部屋に帰れば、良く無事に帰れたわ、と言う。

 見かけは元気で、周りのものは、わからないのだが、母は随分無理をしているのだ。
相手が行きたいだろうから、相手が、したいだろうから、といつも、相手優先で、自分の主張は一切しない。
 そういう人は、人の見えない所で、苦しんでいる。身体を酷使している。
私達が想像するより、遙かに、弱っている。

 母に、「長生きするわよ。大丈夫。」、と励ましながら、私は、ペシミスト的な考えだ。だから、私は後悔しないように、母に会いに行く。毎日行ければ、毎日。
母は言う。
「いよいよ、弱ってきたわ。死にたくないから、長生きしたいけど。死んだら終わりやものね。」

 私は、母を失った時の悲しみを思って、泣いている。
   

Posted by アッチャン at 14:32Comments(0)日々の事

2010年07月23日

Je t’ame moi non plus

http://www.youtube.com/watch?v=8oHBo3ZjA7k

Je t'aime moi non plus



梅田のテアトルで、デジタル、リメイク版のオリジナル作品。
34年前、1976年に初めて、スクリーンに登場したときには、衝撃的な内容で、話題になった。その後、ヨーロッパやイギリスでは、上映禁止になた作品。
日本では、7年後にフランス語ではなく、英語でカット版で上映された。
Je t'ame moi non plus は、もともとソングで、セルジュ、ケンズベールが、恋仲だった、ブリジット、バルドーのために作ったもの。当時、既婚だったバルドーは、この歌があまりにセクシーなので、外に出すことを禁じた。
恋に破れて、傷心のセルジュは、映画で共演した、イギリスの女優ジェーン、バーキンと恋に落ち、解禁を破って、69年に、彼女の歌で。
 歌が話題になり、1976年に、映画に。



ビザール、ラヴ、トライアングル。奇妙な愛の三角関係。
ホモの男達の前に、美少年のような、女の子が現れる。その娘を、ジェーン、パーキンが演じている。若くて、最高に美しくて、カモシカのように、細くて、
 豹のように、野性的な動きの機敏さ。
女流画家のオ、キーフが描く、動物の「骨」のように、セクシーな、パーキン。
彼女に美少年の「美」への憧れと欲望を抱く、ホモセクシュアルな青年も、顔立ちが美しく、ナルシスト。
彼が、彼女に惹かれて行くのを、嫉妬にかられる青年は、犯罪者的性格で、暴力的出自虐的。劣等感の強い存在だ。



欲望の三角関係、という命題を、映画化したような作品。

画家志望だった、というだけに、映像が、美的感覚にあふれている。
彼の「美」の追求が、愛と欲望というテーマで、あくまでも美的なものを追求しているのだろう。
映画の中で、彼女は、「愛している、愛している、あなたも私を愛している?」と尋ねる。
彼は答える
「共に、同時に、エクスタシーに達することが出来るのが、愛の最高。滅多にあるものではない。」

愛している、と思っている時、愛は終わっている。過去のもの。夢の中、感極まって、共感の中にあるとき、そこに。、愛は存在している。愛は瞬間的なもので、美的感覚に通じている、とセルジュ、ケンズベールは、言いたいのだろう。

愛に、ホモセクシュアルという、限定されたものはない。愛は、欲望のトライアングル。
「昼顔」という映画で、実直で誠実な夫に、不満はないけれど、欲望の沸かない、主婦が、娼婦宿で、おぞましい男達に身を任せる。そういう自分の罪の意識が、夫をより深く、愛しくさせる。これも欲望の三角関係を描いたもの。

 出演者も、映像も、小道具も、背景や、ゴミ捨て場、運搬車に、さびれたカフェ、全て、美にこだわった作品。

 追記

 ジェラール、ド、バルデューは、若いとき、とてもハンサムだったんだ、と感嘆。

 美は過ぎ去る。

 去年の雪、今いずこ フランスの古い詩を思い出しました。  

Posted by アッチャン at 10:56Comments(0)映画

2010年07月22日

ホーム通い



 


 母が、ホームを変わってから、出来るだけ毎日、顔を出している。
 おやつが終わった頃に行って、夕方夕食の前に帰る。
 母の部屋に入ると、母は決まって、出かける準備をしている。
「あら、来たの?これから、出かけようと思っていた所なの。」
 母は窓から外を眺め、子供達が行くのを眺め、ここから出て、どこかまで
行けるだろうと、出ていく準備をする。
 外は熱い。散歩しようか、と少し歩き始めると、すぐに疲れた、と言ってホームに戻る。 元気そうに見えていても、心不全があるので、無理をさせてはいけない。

 昨日も、母は出かけたがった。もう夕食の前だったので、玄関まで見送ってもらって帰ろうとしたら、いつもになく、強行に意志を発揮して、出かけるのだと言い張った。
 「お腹は空いていませんから、どなたか夕食は食べてもらってください。」
思うに、冷蔵庫の中に入れていた、水菓子を食べて時間が経っていないようだ。
 小さな冷蔵庫を買って、その中に、従姉妹から送ってきた、水菓子を入れていた。
 次の日には、食べていなかったので、あと、もう二つ入れて帰ったら、その翌日、つまり昨日なのだが、二つ食べて、洗面所に洗った容器を置いていた。
 タッパに入れていたぶどうは、タンスの中に入っていて、まだ少し残っている。
 コーヒーの空き缶があるので、入れたはずはないのだけれど、と手に取ってみると、以前の施設で作った、万華鏡の缶だった。セロテープを取って、穴の空いた缶になっていた。 
 「補聴器の電池を換えました。」とホーム長さんに言うと、「どうして換える時期がわかるのですか?」と聞かれた。
 「母の声が大きくなるのです。そんなときに、聞こえる?と聞くと、聞こえないわ、と答えますから、電池を交換すれば、母の声が小さくなります。それとも、補聴器を出すようになると、換える時期です。」
 母の状態を把握出来るようになるまでには、時間がかかる。お風呂に入るのをいやがったら、あの手、この手を使って、なんとか入るようにしなければならない。
 ホームでは、無理強いはしないので、そのまま入らずにおくことも。
 身体が悪くなければ、週に2度しかないので、なんとか入れてほしい。
 今日は、お風呂の日。館内は、冷房が効いているので、湯冷めしますから、と断っているかも。
 昨日、帰り際に、出かけると言い張る母をなだめた。
「今日は車で来ていないから、明日ね。明日、どこかに行きましょう。」

今日は、お風呂の日。見に行かなくちゃ。昨日の約束はを母は覚えていないだろうが。  

Posted by アッチャン at 13:41Comments(0)日々の事

2010年07月22日

金賢妃さんの来日に思う


 

 田口八重子さんが、日本人も行き来している、アパートで生活しているということが、事実だとすれば、

ある疑問が、浮かんでくる。

日本に帰って来た、拉致被害者と、その家族は、日本人と結婚していて、日本人の子供がいて。曾我さんの場合は、アメリカ人の夫がいて、その間の子供達。

 死亡したと、報告されている、ひとみさんは、韓国人の夫との間に、女の子がいる。
韓国で、娘さんとお父さんに会って以来、横田さんと、二人の間の交流があるのだろうとは思うが、その後、全く、それに関するニュースは聞かない。

 仮に、めぐみさんが、生きていたら、彼ら二人から何らかの情報を、横田さん夫婦が得ていても不思議ではない。
 それとも、生きていて、二人が隠しているとしたら、当局が隠していると考えられているけれど、ひとみさん自身が、夫や娘と別れて、日本に帰る意志がないのかもしれない。ふとそういう疑念が浮かんできた。

中学生で拉致された当初は、毎日泣き暮らしていた、めぐみさん。
 
 まだ幼さの残った子供だっただけに、その後の北朝鮮での教育は、めぐみさんをすっかり、北朝鮮の人に変えてしまっているかもしれない。
 帰って来た、家族にしても、マインドコントロールが凄くて、北朝鮮に帰るつもりでいた。
 夫が、妻が、北朝鮮の人だったら、北に帰っていたかもしれないし、日本に一時帰国を拒否していたかもしれない。


 田口八重子さんが、とあるアパートで生活している、という情報が事実だとすれば、本人達の意志で、何らかの個人的事情で、家族に対する愛情で、日本に帰れない、という場合もあるのではないだろうか。


 今回の、金賢妃さんの来日は、以前から決まっていたことだろうが、一年前に得た情報から、なんら進展はないようだ。

 横田さんを始め、初めて面会出来た、ということは、一定の成果だが、政府が本気で、拉致被害者の救済を考えるのであれば、忍者部隊を送り込んで、拉致被害者の救出作戦に力を注ぎ込んでいるはずだ。

 田口八重子さんが、そのような場所で住んでいるのに、手も出さないはずが、ないではないのだろうか。   

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2010年07月21日

有馬の銭湯「金の湯」

 http://feel-kobe.jp/arima/cont01/cont01-flm.htm 金の湯

 


 有馬温泉にある、金泉の公衆浴場は、以前には何度か利用したことがあるが、新しくなって以来、初めて。
外から眺めると、随分立派な建物になった感があるが、以前のイメージが強くて、入るきにならなかった。以前は、何度か行ったが、お湯が熱くて、入っていられなかった。脱衣場で、下のもののようなものが落ちていて、ぎょっとした。そういうことがあって、足を運ばなくなっていた。

石けんもシャンプーも、以前にはなかったので、持参したら、浴場の中は随分広くなって、洗い場も充実して、備え付けになっている。
お風呂は、暑い湯と、ぬる湯に分かれて、浴槽も広々している。お湯は綺麗だし、思っていた以上に、清潔感があって、良かった。
空いていたこともあって、ゆったりしていて、中に入っている人数は、5人程度。
こういう状態は、めずらしいのかも。8時をすぎると、近所の人達だろうか。
次々にやってきて、賑わい始めた。
こんな温泉が、近くにある人は良いなあ。入場料の650円は、常用している人には少し痛いかも。平日は11枚で5500円で売っている。
 お風呂から上がって、隣にいる人に、尋ねた。
「お近くですか? 良いですね。」
「身体が悪くて、動かせないくらい痛む時のあるけど、ここに通っていると、夜がぐっすり眠れます。痛みが取れるのですよ。」
「そんなに効くのですか。どのくらいの時間入っておられるのですか。」

 「一回、2,3分程度浸かって、身体を洗い、もう1,2度入って、シャワーをかけて上がるくらいです。」
 「そんな程度で、痛みがなくなるのですか。入りすぎるのも良くないのですね。」

 温泉に、出来るだけ浸かったほうが、効果がありそうに思っていたけれど、そうではなかった。
 背中の筋肉が、固まって、疲れだけが残っている私は、1時間以上も、浴場から出たり入ったり、水をかけてみたり、洗い場で、ふうふうあえぎながら、がんばっていた。

 温泉の効果は凄い。過ぎたるは及ばざるがごとし。「太閤の湯」だと、温度が低く、細サウナや露天、岩盤浴などがあるので、すぐに時間は過ぎてしまうけれど、ここは銭湯、しかも微温湯と言っても、42度と書かれているが、もっと温度が高い。
 「熱い」と躊躇しながら足を入れる人も。そんな中で、アツ湯に入って平気な顔をしている人がいる。44度と書いているが、私はとても浸かることが出来ない熱さ。
 銭湯だから、熱い目の方が、人の移動が早くて、それで、病気にも効果があって、一挙両得なのだ。
 銭湯には、銭湯の入り方が、リゾート系「太閤の湯」には、のんびりした入り方が。金銭に見合って、金泉は、対応している。  

Posted by アッチャン at 11:42Comments(0)日々の事

2010年07月20日

映画「インセプション」


http://wwws.warnerbros.co.jp/inception/mainsite/ オフィシャル、サイト

 


「ダークナイト」のクリストファー・ノーラン監督が、オリジナル脚本で描くSFアクション大作。人が眠っている間にその潜在意識に侵入し、他人のアイデアを盗みだすという スペシャリスト、ゴアと、犯罪を依頼する、サイトー(渡辺謙)他、個性的なキャストで。
 内容を言ってしまうと、おもしろくないので。
 夢をテーマにしている所は、フロイドの精神分析からアイデアを得たものだろうが、潜在意識における夢の階層を、もう一段深く、第三の道ならぬ、深層部3レベルまで掘り下げる。インセプションは、深層3レベルでの作業で、最も危険な場所、虚無に陥り、現実と夢を使い切れなくなる。夢が現実になり、現実が虚像になる。
難しい映画なので、混沌としながら見て行くけれど、最後になって、ああ、そうだったのか、と。で、さわやかな感動が。
結構おもしろい映画なので、足を運んでみてはいかがかと、推薦してみました。
渡辺謙さんの、英語は、慣れたせいか、アメリカンと互角で違和感がない。
デカプリオが、可愛い系の顔から、カポネ風の凄みのある顔に、見事に変身している。
他のキャストは、それぞれ個性を発揮して、魅力的な役者がそろって、これも見所の一つ。  

Posted by アッチャン at 08:27Comments(0)映画

2010年07月19日

常光院の寺、常高寺、小浜

 
 

小浜周辺には、国宝や、重要文化財に指定されている神社仏閣が散在している。
神宮寺を始め、主立った所を見ているので、どこか、他に、宿の主人に尋ねたら、
「常光寺」を勧められた。
来年の、NHK、大河ドラマの舞台になる。
戦国時代、お市の方と近江の小松城主浅井長政の間に生まれた、3人の娘、後の淀君、徳川二代将軍、おごう、そして、お初。
京極高次の正室で、後に、常光院が、お初だ。



絶世の美女と歌われた、お市の娘さんだけあって、優雅で美しい顔立ちをしておられる。
お初の方は20歳で、秀頼のとりなしで、京極高次(近江高島群大溝城主)に嫁いだ。
その後、十数年を経て、近江滋賀郡大津城六万石の城主であった高次は、徳川方につき、お初は、淀君を敵に回す立場にたたざるを得なくなった。


合戦の功により、高次は、若狭八万五千石を与えられ、小浜藩主に。
その後、高次が、病で小浜城で没し(四十七才)お初は、ただちに剃髪して、常光院と称した。
大阪冬の陣、夏の陣で、常光院は、姉の淀君、甥の秀頼を助ける為に、家康の命で大阪城にのりこんで和議を勧めるが、かなわなかった。
晩年、江戸に滞在していた、常光院は、心のより所として、夫高次の菩提を弔い、父母等の供養の為に、息子が領する小浜の地に一か寺建立を発願、かつて秀吉からいただいた化粧料二千四十石のうち、三百石を寄進して、寺の基礎を固めた。




 明治以降、衰退をたどった寺は、戦後、荒れるに荒れていた。近年、次第に再建の気運が高まり、平成13年の秋に、本堂を再建し、今に至っている。
長い間、倉庫に入っていた、ふすま絵は、撮影禁止になっているが、これを見るだけでも、この寺を訪れる価値があるほど素晴らしい。 狩野派の狩野美信の書院壁壁画が。
お庭を見るだけでも。 お庭も優雅なたたずまいで、おおらか。
   

Posted by アッチャン at 08:43Comments(0)旅行

2010年07月18日

兵庫近代美術館「REIKO」



 

兵庫近代美術館で開催中の「REIKO」は、明日まで開催中です。
 チケットを早くからもらっていたのに、体調が悪かったして、結局終わり際に行ってきました。混んでいるのを承知で行ったら、意外に空いていて、ゆっくり鑑賞出来ました。 岸田劉生の「REIKO」がポスターに使われているのは、神奈川県立美術館所蔵の代表的な作品だからでしょう。
 

岸田劉生の作品展かと間違う人も多かったかもしれませんが、時代と共に、活動いあた、日本の画家の100年史を、兵庫と、神奈川の両県立美術館が所有している絵画で紹介した美術展でした。
 時代を背景に、インパクトのある作品も多く、中でも、道半ば、或いは、まだこれから、という若さで、病死した画家に、共通するのは、死を含んだ精神的な壮絶さ、ひたむきさ、独特の暗さ、です。
 20歳でこの世を去った、関根の絵画は、友人の母親を描いたものですが、目の凄さ、底の底まで見通すような怖さを感じました。
 劉生の「REIKO]は、品格のある怖さを秘め、揺るぎようのない、絶対的な作品です。
 私は、中でも、心を惹かれたのは、松本俊介の「立てる人」という作品。もう一つの「橋(東京駅裏)」というのも、素晴らしい。



 戦中の人権を奪われた暗い時代に、すっくと立つ青年が、背景を小さく描くことで距離感を持って、大きな揺るぎない、意志の存在として描かれています
 佐伯雄三の作品「滞船」は、パリから、引き戻され、描くべき対象を喪失した心の暗さが見られます。
彼らは、30代で、胸の病に冒されて、この世を去っていった人達。



 パリ遊学で学んで来た人達の、フィービズム、シュールレアリズム、キュビズムなどの影響を受けた作品には、試行錯誤の模索がみられ、その以前には、日本のジャポニズムの影響を受けた、印象派の画家達がいたのですが、そういうことを考えながら、見て行くと、 興味深いものがあります。
林武の「裸婦」はモジリアーニを、 山本敬輔の「ヒロシマ」は、ピカソのゲルニカを、阿部合成の「見送る人々」は、メキシコのリベラを、想起させる作品です。



抽象画では、吉原治郎の「作品」完璧なコンポジションで、独自性があり、素晴らしい。
 

 私の知らない、作家達の作品も多く、興味深い展覧会でした。  

Posted by アッチャン at 13:21Comments(0)art

2010年07月16日

若狭、観の宿、いたやさん

 
http://www.itaya.biz/




 一部無料になった高速道路の一つに、舞ズル若狭自動車道路がある。三田西から、現在は、小浜西まで開通している。

 小浜から、三方五湖に向かって、阿南という、夏は小さな海水浴場になる海辺に、幾つかの民宿が建っている。
 
その中で、昔は、庄屋さんだった家を、民宿にしている「観の宿、いたや」さん。
 平日も土日も、料金は変わらない。お料理は、田舎料理とのことだけど、心のこもった美味しい料理がいただける。



 新鮮な魚は、勿論のこと、24時間、いつでも入れるお風呂は、井戸水を使っているせいか、温泉ではないけれど、やわらかい水質でとてもよく暖まる。



 この宿は、心を和ませて、ゆったりした気分にさせてくれる。一人でも、泊まりやすい宿なので、釣りの宿としても、リピーターが多いのではないだろうか。
 出されるものは、宿の手作りが多く、お米から、ポン酢、梅干し、へしこ、古漬けのたくあんなど、どれも美味しい。朝になると、たくあんが、受付に並ぶ。これを買って帰るのが楽しみ。お米も美味しくて、5キロ3500円という安さ。

 海から、直接。シャワーに、その上に風呂場があるので、日帰りの海水浴の人達も、500円で、風呂を利用できるようになっている。



季節の「鱧料理」をお願いした。テーブルに並んだ、沢山の料理を見て、鱧を頼んだのですが、と言うと、鱧料理は、これから出てくるとのことで、あまりの多さに、食べられないのでは、と心配したが、その心配は全く無用だった。



 鱧すき、鱧のてんぷら、鱧と鮮魚のお造り、茶碗蒸し、どれも美味しい。鱧の照焼きは初めて食べる美味しさ。皮が固いけれど、こうばしくて。
 帰ってから、ホームページを見ると、鱧は実は鱧ではなかった。



若狭では、黒穴子を、鱧とよぶそうで、これは黒穴子、鰻と鱧の間を行くような、旨さ、初めてのような鱧の味、と感じたのは、それもそのはずだった。
 春夏秋冬、その旬を美味しく味わえる宿、宿のご主人も息子さんも、とても感じがよい。蔵の美術品や生活に使った道具など、見せてもらえるので、興味のある方は。  

Posted by アッチャン at 10:57Comments(0)旅のグルメ

2010年07月15日

パリ

http://class.eiga.com/story.html


日本名は、「パリ20区、僕たちの学校」原題は、「壁に狭まれて」。

 ドキュメンタリー風の作品で、パリの街角の風景は出てこない。
学校の教室での授業風景と、教員室での教師達の会話、 建物の壁に挟まれた、狭い校庭でボールを蹴って遊ぶ子供達、2時間以上の比較的長い映画の進行は、これが全て。


 教師達の自己紹介から、映画は始まる。どの教師も、疲れ切った表情、くたびれて人生を諦めた感じが強い。その中で、一人、目の輝きを残し、エネルギーのある教師がいる。
 授業は、その教師と、教室の子供達との、葛藤に似た授業での、会話、態度から見えてくる、人種的、社会的、さまざまな人間の壁の中で、子供達の強さ、希望、可能性、純真さ。冷静さ、賢さを、等身大で描いている。

 20区は、アラブ人達が多く住んでいる地域。吉田さんが、おもしろい場所だよ、案内してくださった、地域だった。
 
 フランスは、自由と平等をかかげているけれど、パリの中に、偏見と差別は、息づいている。この学校に通う子供達にとって、フランス人は、差別する人達、異国の人達のような、恐怖を抱く存在にも見え、その中で、子供達は、フランスに属する人としてのアイデンティティーも内包している。

 

 ばらばらで纏まりはなく、反抗的な子供達の教育に、投げだし状態の教師達自身も、パリの他の学校での教職からの、いわば落ちこぼれ状態。
 エリート校には、エリートの教師、落こぼれ校には、落ちこぼれ教師、悪循環から、希望的観測があるのだろうか。手に負えない子供は、職員会議にかけ、退校に。この底辺の学校を追われた子供達が、教育を続ける場所が、パリに残されているのだろうか。

映画の中で、フランス語のわからない母親が、会議にかけられた子供の、弁護をする場面がある。
 「とてもよい子なんです。弟の勉強を見て、母親の手伝いをしてくれる、やさしい子です。どうか、助けてやってください。
投票の結果は、いつもそうであるように、教師達の投票で、退校処分。」

母親は、それを息子から聞き、凛としてして立ち上がり、一言「さようなら」と言う。 教師達への決別、教育の無力への決別、人間性の信頼への決別を意味している。

 そして、とどめを刺すのが、授業で学んだ事を、問う教師に、子供達が答える中で、
教師を小馬鹿にした態度を取ってきた、頭の良い女性徒が、自分が一番学んだのは、姉の本「国家論」だと答える。
教師は、彼女の教師査定会議で代表として出席していた時の態度が、無礼で教師に対して失礼だ、まるで、娼婦のようだ、と暴言を吐いていた、女性徒だ。

教師は、彼女に、プラトンの「国家」を読んでいる姉が政治学科だろうと言い、彼女は、法科、だと言い直す。
 何を学んだのか、と教師は尋ねる。
「ソクラテスが町に来て、人々に知っているか、と問う。

「国について、家庭、人間、愛 について」女性徒は、本から学んだ、と言う。

この映画が、フランス映画会最高の、「金賞」に輝くにふさわしい、テーマがここにある。

 教師は、教える存在ではない、子供達を教育出来る存在ではない。子供達から、学び、知識を得て、成長していかねばならない存在であるということ、そうあることによって、子供達は、答え、成長していけるのだ、というテーマへと結実していく。

 最後に教室に残った、女性徒が、おそるおそる教師の前に来て、つぶやく。
「私は何も、何も学んでいません。でも就職したくないのです。」
 
 画面は真っ暗になって終わる。

明かりの見えない、真っ暗な未来、最初から、やり直さねばならないことを表現している。

 優れた映画は、映画が終わってから始まる、と言われる。この映画も、そんな作品の一つだ。  

Posted by アッチャン at 11:41Comments(0)映画

2010年07月14日

宮津ロイヤルホテル

 


夏の海水浴シーズンは、家族ずれで賑わいのでしょうが、まだ夏休みには時間が少しある。 宮津の、ロイヤルホテルにある野外プールは、この17日のプール開きを待って、水は張られていなかった。
 それでも、宮津ロイヤルは、観光バスが入って来て、ホテルは満室。

以前に、サーズ騒ぎで、ホテルが閉鎖になった日に、このホテルを予約していたことがある。その時にも、中国人の観光客が、このホテルを利用していたけれど、今は、中国、韓国、アジアから、温泉付きのホテルは、人気なのだろう。


 ホテルは、客入りが良いので、値段が以前よりも高くなったが、快適なホテルになっている。
 ダントツに違うのは、朝の朝食メニューの豊富なこと。だし巻き卵と、ワッフルが、その場で調理されて、今の季節、美味しいキスの干物は、炭火焼きであぶって。



 これだけ大きいホテルだから、さぞかし、お風呂は満員だろうと覚悟していくと、案外空いていた。団体の食事時を見計らって、空いている時間をねらっていったからだろうか。 海辺の温泉なので、食塩が混じっている。私は露天ばかり浸かっていたら、それが正解。中のは、湯沸かしだったらしい。






   

Posted by アッチャン at 10:18Comments(0)旅のグルメ

2010年07月13日

 責任を取らない、民主党議員体質に問題あり

 
 

管総理は、現状のままの体制で、総理の続投、幹事長始め、執行部もこのまま続けて行く方針だ。選挙で落選した、森法務大臣も、そのまま、役職に残ってもらうという。
 野党時代、あれほど、自民党に、責任問題をつきつけ、やめるべきだ、と言っていた人が、立場変われば、見解がころりと変わる。
 総理が、次から次に変わるのは良くない。海外からの信用をなくす。政局の混乱、政治の停滞を招くばかりだ、という意見が後押ししてくれる、と言わんばかりだ。
 日本は、まさに大きく変わりつつある。総理が次から次に変わるのは、やむかたなし。それで良いのだと、私は思う。
 9月に代表選が控えているから、内閣改造をして、まだ一月だから、と言って、このままの状態で良いわけがない。
 民主党の中では、9月に照準を向けた方が、有利だ、と思っている議員達が多いかもしれないけれど、選挙で負けたら、幹事長と選挙対策委員長は、辞表を出して、落選した議員や、応援してくれた人達に、わびるのが当然のこと。
 小沢さんの選挙戦略に問題があった、というような、暗に責任の所在は、本来自分達にない、という思いがあるのは、安住さんから、ありありと伺える。
 リベートの旨い人達の、特徴は、「相手を攻撃し、いかに自分の主張を通すか」にある。 悪いのは、お前だ、私は正しい。そういう人達は、真摯に受け止め、反省することが少ない。
 自分に責任がある。結果を招いたのは自分だ、と考える人は、言葉に走る前に、沈黙して行動で示す。辞表を提出するべく、懐に忍ばせている。言われるまでもなく、自己抑制が出来ている。
 誰か知らないけれど、今の民主党体制を「学校の生徒会になぞらえた議員がいるらしいが、まさにそんな感じ。生徒会なら、それでも良いが、国政を預かるには、あまりにも未熟としか言いようがない。
 今の日本は、新しく生まれ変わる為に、どんどん膿を出し、七転八倒しなければならない状態にある。
 管総理が、潔く辞め、幹事長以下、白紙に戻して、民主党内で、変わって行くことによって、民主党が政権を担える、政党になれると、私は思う。
   

Posted by アッチャン at 10:45Comments(0)日々の事

2010年07月12日

民主党大敗



 


 選挙の暑い夏は、民主党の大敗で終わった。
 民主党は、自由闊達に意見を述べ会うことのできるリベラルな政党であり、管総理の強いリーダーシップの元に、本来の民主党らしさを打ち出した、政治を目指した、結果がここに反映されたと言って過言ではない。
 選挙に強い小沢さんにおんぶして、政権を取り、与党になったけれど、マニフェストの実行不可能を、以前の自民党のつけを負わされた、と責任を自民党のせいにして、自分達の力不足を認めず、国民との約束を破り、反省を怠って来た。
 政治と金の問題で、支持率が下がり、危機的状況になると、ここぞとばかり、小沢さんへのアレルギーを剥き出しにして、小沢さんからの脱却を図った。
 管総理の「小沢さんには、静かにしておいてもらいたい」つまりは、もうでてくるな、ということ。
 ギリシャ問題を例に出し、日本の財政危機を突如出して来て、雲行きが怪しくなると、言動がぶれにぶれる。好き放題言っているから、そうなってしまう。
それで、国民を説得出来ると思っているのだから、それが元来の民主党らしさ。もめて、まとまらない、政治理念がない、やれることとやらねばならないことに一貫性がない。

 元々、自民党支持者だった人達は、あまりの体たらくに、お灸をすえるつもりで、民主党に入れていたのだから、自民党が反省すれば、元に戻る。
 浮動票は、公約が実行されなければ、長くはまってくれない。すぐに、他に動いてゆく。みんなの党が、今回票を多きく伸ばしたのはその結果だ。

民主党が、ここで負けたのは良かったと私は思う。国民の期待に応えて、頑張らなければ、明日はどこに転ぶかわからない、ということ、選択は、国民の手にゆだねられているということを証明している。

 「国民の生活が第一」という、原点に、自民党も、民主党も立ち返って、最初から出直すつもりで、これからの政治を目指してほしい。
 小沢さんが言う、「選挙によって、国民の意思が反映され、国民主権の政治が実行できる。」ということが、今回の選挙で、認識されれば、良かったと思う。

 政治とは、議員が、自分達のイデオロギーを生き方を、論じあう場ではない。
国のあり方、国民の幸福をいかに実現していくかを、真剣に模索し、国民の声を聞き、実行に移す場なのだ。  

Posted by アッチャン at 11:34Comments(0)日々の事