2010年07月08日

7月は、仁左衛門さん、染五郎さんの歌舞伎公演

 http://www.kabuki-bito.jp/theaters/osaka/2010/07/post_21.html


7月の松竹座は、歌舞伎公演。
片岡仁左衛門さんが、メインになって、東京から、染五郎さんを迎えて、歌舞伎を愛する会、30周年を記念しての公演。

 母を連れてきてあげたかったけど、新しいホームに変わる前にチケットを予約していたので、私一人で。
 母に見せても、長い時間、耐えられるかどうか。インターネットで株主優待の予約なので、席は決まっている。最も良い席は、二階の最前列。昼間は、すぐになくなってしまう。幸い、七夕の夜は、2階の最前列の一番端の席が取れました。

松竹座にしても、南座にしても、どうしてもう少しゆったりした席にしてくれないのでしょうか。幅が狭く、前の人の頭がじゃまして、舞台が見えない。2階の最前列は、遮るものがなくて、一階の前席があっても、わざわざ、ここを指定して買う人も。

間の席にいると、気疲れと、思うように身体が動かせず、席を立つにも、前が狭くて、身体を変な具合に曲げながら通らねばならない。
それが嫌なので、端席を取れれば、ラッキー。

アンラッキーだったことが一つ。

夜の部の、主役は、仁左衛門さんだとばかり思い込んでいたら、出番の多いのは、染五郎さんで、仁左衛門さんは、最後の場「引き窓」で登場するだけ。

4幕になっていて、3幕までは、染五郎演じる、相撲が中心になって、出ずっぱり。
普通は、「引き窓」だけを上演することが多いのだが、今回は、それまでの経緯を、3幕で。これがあるので、芝居事態は、なお面白くなっている。

「引き窓」だけで、1時間はあるので、仁左衛門さんの名演技も見せてもらえるけれど、主役は、あくまでも、染五郎。芝居では、「忠臣蔵」並に?2時間半という長いもの。

 二番目は、歌舞伎小屋前仕立ての、出演者全員の、挨拶をかねた、コント。

これは文句なしに、楽しめる。30分は、あっという間に。仁左衛門さんが、中心になって、初出演の、スーパー歌舞伎の役者達、笑三郎、猿弥、春猿、なども加わって、 上方からは、雁雀さん、仁左衛門の息子、孝太郎、秀太郎の養子さんの愛の助、東京からは、染五郎と左団次さんなど。

 母が歌舞伎を誘われて行っていた頃、誘ってくれる人が、松島屋さんを、親の代からひいきにしていて、弟子の上川吉弥や、松弥を応援してお小遣いをあげていた。その吉弥さんは、尾山として、熟練した演技を披露している。

 その頃、片岡孝夫さんとして、パーティーに、何度か誘っていただいた。松島屋のパーティーで、13代の片岡仁左衛門さんもお元気なお姿を見せておられた。
時代は巡り、歌舞伎の肉体芸は、継承しつつつ、時代の変化と共に、進化も伴っていくのだろう。

7月公演の、最後の出し物は、今年NHKドラマの「竜馬が行く」
新作なので、歌舞伎という感じよりも、今は消滅してしまった、新国劇と、まだ存続しているのか、定かではない、新派との合作風のもの。

猿ノ助さんが、歌舞伎界から出て、「スーパー歌舞伎 」を作ったけれど、その役者さん達は、歌舞伎上演に、合流してきている。

東京の歌舞伎座が、解体されて、東京での公演が出来ない役者さん達、東京が離さない、仁左衛門さんや、玉三郎さんの公演が、しばらくは関西でも見られるかもしれない。  

Posted by アッチャン at 12:28Comments(0)演劇

2010年07月07日

 母をその気にさせるのは、タイミング

 
 

これからお世話になる、ホームドクターとの面会時間を4時だと思い込んでいて、すでに医者は帰った後だった。

 毎週、往診があるので、来週にもういちど予約を取ってもらった。

母はダイニングで、お隣の部屋の婦人と話をしていた。

前日は、昼食後、部屋に引きこもり、おやつの時間に、誘っても、仕事があるから、と断られました、と係の人が言う。
 部屋に行くと、どこかに出かけるので、待っているのだという。皆、沢山の人が集まる
 どこのことを言っているのかは、わからないけれど、お三時に、お迎えが来るのを待っているのかもしれない。タイミングが問題なのだ。物事がスムーズに行ったり、気分が乗らなかったり。今断っても、1分先には、そのことを忘れている。

 おやつはまだなので、部屋に運んでもらい、私が持って行った、どら焼きを食べてもらった。そこにお風呂のお迎えが。

 お風呂は週に2回なので、一度逃すと、1週間入れなくなる。母はいつも、入るのを嫌がって、断るのだが、一旦入ると、風呂好きの長風呂。気持ちが良かったわ、という結果になる。

 皆さん、ほとんどそうです、とホーム長さん。一階にある、風呂場まで一緒に行き、私はそのまま帰った。
 
 翌日は、一転して、お三時の後に、ダイニングで楽しそうに話をしている。

ホーム長が、
「お昼の後は、部屋でくつろがれたいようです。部屋の片付けなどされているようです。」 タンスの中を整理したり、部屋のゴミを拾ったり。

母は隣のご婦人とテーブルに座って、笑いながら、話をしていた。ダイニングには、いつも何人かの婦人が、介護士と一緒に、或いは一人で座っている。広い窓から、山の斜面状に、紫陽花の木が群生をなし、日の光が、屋外のテーブルセットの辺りを明るく照らしている。両面が透明な窓になっているので、部屋にいても開放感がある。

まだ、夕食には、2時間ほどあるので、母を車に乗せて、西宮ガーデンズに。カリモクの店で、、椅子の座り心地を試してもらうため。

 以前に母が好きだった、カリモク。しっかりした造りで、コンパクトで良いかな、と思った。母は

「座る心地は良いけど、頭が、」と。
頭も乗せられる椅子がよいらしい。椅子が少し低いので、立ち上がるのに、力がいる。 ホームで借りている、椅子の方が、小さくて、高さもよい。場所を取らず、運ぶのも楽だ。

 身体の為には、ソファーは良くない、とリハビリの専門家から聞いたことがある。沈み込むのは良くない。膝に負担がかかるものも。ホームの所々に置いている椅子は、そういうことを考えて、選択されたものかも。  

Posted by アッチャン at 10:03Comments(0)日々の事

2010年07月06日

脂肪肝

 


  「最近、甘いものほしくなったのよ。」
 喫茶店で、ケーキを食べなかった私が、注文したくなっていた。
お酒は控えているつもりである。中二日、休肝日にして、アルコールゼロのビールを冷蔵庫に入れている。
 半年前に、肝臓の数値が高く、コレステロールが高かった。医者は、食事制限で様子を見るように、と薬はくれない。
 気をつけて、お肉は出来るだけ食べず、野菜中心?に、のつもりだったが、寿司だけは、良く食べていた。誘われれば、飲みに行く。
 アメリカから帰り、気管支ぜんそくで、寝込んでいたので、その間、歩いていないが、食欲もたいしてなく、薬を飲んで2週間後に、血液検査があった。猫なの、アレルギー検査もかねて。
 検査結果は、2週間後、次に来る時に。その金曜日は、忙しくて、行けなかった。
 昨日、薬をもらいに行くと、出された結果は、中性脂肪が、ぐんと高くまり、悪玉コレステロールがさらに高くなって、肝臓の数値が悪くなっている。
 気をつけていたんですけど。がっかりだ。お酒、それほど飲んでないのですが。お肉も食べてません。
 「脂肪肝です。油ものと甘いものを控えて、運動不足ですね。しっかり運動してください。 」
 「最近、万歩計で随分歩いていたのですが。薬を飲んだらどうでしょうか。」
 「しっかり運動してください。様子を見ましょう。」半年前より改善しなければ、薬を、と言ってたのに、また同じ事を言われた。

かわいい猫に出会った。

 アレルギー反応は、あらゆることに、マイナス。それは良かった。猫アレルギーではなかった。埃も花粉も、大丈夫。
 なら、気管支ぜんそくや、アレルギー症状は?の原因はわからずまま。
 ストレスでは?と医者に尋ねると、
「ありえます。運動するように。」

 「今朝方、脇から胸にかけて、しめつけらる痛みがありました。時々起こるのですが。」
 「神経痛でしょう。」

 血液検査をしたので、安心して、毎日、ワインを飲んでいた。チョコをぺろり。好きなシュークリームを。ケーキよりも、お饅頭の方が、身体に良いですよ。鮎が美味しい。
 高いわね、と敬遠していた、西宮ガーデンズのあるケーキ屋さん。いつも列を作って待っている。たまたまガラガラだった。大きなケーキを半分づつ。コーヒーはおかわり自由だから、それほど高くなかった。
すっかり気に入って、次に来る人とまた来よう、なんて楽しみにしていた。

中性脂肪が、がーんと増えたのには、理由あり。
甘いもの、本当は好きなのに、お酒を飲むから控えていただけ。昔はケーキを家で焼いていた。最近また焼いてみようかと、思っていた矢先。

あああ、心を鬼にして、やめなくちゃ。
皆、結構食べているのに。食べて何とも無い人多いのに。体質かなあ。ストレスかなあ。

  フォアグラを抱えているような気がして、なんか重たい感じ。  

Posted by アッチャン at 08:23Comments(0)日々の事

2010年07月05日

元気なお年寄り


 


以前、母が居たマンションに、台車があったのを思い出して、取りに行くと、7階のエレベーターで、お年寄りの婦人に出会った。
 子供さんのないご夫婦で、ご主人がなくなられたことも、アピアに母が引っ越してから、そこ方と偶然であって、お聞きしてた。その後お一人で暮らしておられると聞いていたが、あれから随分経つので、まだお一人で、人に頼らず暮らしておられるのは、驚異的だった。 矍鑠として、足腰も問題なく、頭も明晰、これから、お友達と待ち合わせておられるとか。
母の消息を聞かれ、今はホームに入居してるのですよ、と話をした。
聞けば、母と一つしか違わない。

母から、その婦人の話は、聞いていて、私もお会いすると、いつも、母の様子を尋ねられた。
 母に、出会った事を話すと、名前を覚えていた。
「あの方は器用で何でも出来るのよ。」

確かに、玄関の表札も、木彫りの手作り、母は時折伺って、作品なども見せてもらっていたらしい。

 「子供がいないから、うらやましいわ。」とおっしゃっていたけれど、誰にも頼れないから、と自立して暮らして来られたから、しっかりしていらっしゃる。
 「食料や日用品は、生協が運んでくれるから」と、体調の悪いときには、出ずに、過ごしておられるとか。
 私の周りで聞く話からは、想像もつかないくらい、お元気で、普通に生活しておられるのを目の当たりにして、久しぶりに嬉しくなった。

知らないけれど、こんな風に、お元気で、しゃんと立って、自立した暮らしを続けている高齢者もおられる。
 子供のいない人もそれなりに利点はある。子供の世話に明け暮れ、自分の世界を持たないまま、年老いて行った人達が、身体も心もぼろぼろになって行くのを見ると。
 
  

Posted by アッチャン at 11:16Comments(0)日々の事

2010年07月04日

パニック状態だった


 


テレビ1台を、どれに決めるかで、さんざんもめたあげくに、母が自宅に置いたままになっている、5年前に買った、32インチのパナソニック液晶テレビを、新しい施設に運ぶことに決まった。

 雨の中、忙しい弟と、弟の息子の手を借りて、運んでもらった。
 入居時に借りている15インチのテレビは、やはりパナソニックで、音声が明瞭なので、母は聞き取りが良く出来ていた。

 私は、宝塚のギャラリーで展覧会に出品している方に会って、5時頃、母の施設に行った。

母は部屋の入り口で、男の看護師となにか話をしている。母の補聴器が、両耳ともきちっと収まっていない。聞こえないというので、電池がないのかもわからないと言いながら、母の補聴器を、出してもらって、もう一度はめ直してもらったら、きちっと治まり、聞こえるようになった。


 母は、私の顔を見ると、
「来てくれた良かったわ。何がなんだかわからなくて。どういうことが起こっているのかわからないの。私一人ではだめ。泊まってくれる?帰りたいの?
ここで泊まってもらわないと、困るわ。」母は少し混乱状態。

テーブルのイヤホーンからの線がテレビにさしてあるので、それを抜くと、割れるような音。慌てて、音声を下げた。最大にまでなっていた。

 補聴器をつけて、母に音声が聞き取れるかどうか聞くと、聞こえるけど、何を言っているのかがわからない。音が部屋に鈍く響くので、騒音のように聞こえるのだろう。
「どうせ、聞いても忘れるから、見ているだけで良いのよ。どれもつまらない。わからないから、テレビもおもしろくないから。わーわー言ってるだけ。」

 補聴器をつけた状態で、イヤフォーンをつけると、聞こえるようだが、私がつけても、頭が圧迫されるようで、鬱陶しいのだから、母は我慢していらない。
 「荷物を運んで家に帰る。」というのは、以前の施設のことを指している。

 さっきの看護師が、母をメインで世話してくれるFさんに話したのか、彼が部屋にやってきた。 泊まった方が良いかと聞くと、彼は夜勤なので、様子を見るという。一人にする時間が良くないようですね、と。
 昼に、弟たちがテレビをつけに来たのは、覚えているが、「会社の人達と一緒だった。テレビを置いて、すぐに帰ったわ。仕事があるから、忙しくしている」と。
テーブルには、コーヒーと、プリンが手つかずのまま、置いていた。おやつなのか、弟たちが持って来たものなのか。

  Fさんは、しばらくすると、再び部屋に。夕食を食べに行きましょうと誘いに来た。
 「私は食べたくないので、いりません。」という母に
 「お仕事あるらしいから、行ってきたら。私はここでテレビ見て待ってるわ。」
 「泊まって行くでしょ。」と母が念を押す。

 Fさんは、「何かあれば連絡しますが、大丈夫です。」と言われる。
 「じゃ、夕食に行っている間に、私は帰ります。」
 ダイニングの中をそっと覗いてから、施設を出た。

 母がまだしっかりしていて、耳が聞こえにくくなっている頃、私の話す声が、ぼそぼそふわふわと、何を言っているのかわからない、とよく言われた。
アナウンサーの話す声は聞き取れる、と。小さな声でも、はっきりと聞き取れるのに、私が大きな声を出しても、母は煩く耳に響くだけだと。

アナウンサーや、演劇人の発声練習が出来ている人の声は、明晰で、遠くまで聞こえる。最近、私も耳が悪くなっているので、演劇を見るにも、聞こえる人と、何を言っているのか聞き取れない役者がいるので、母の言っていたことが今はよく理解出来る。

最近、テレビも、高齢化に伴い、人の話やドラマ用に、音声を調整しているものが出て来たらしい。

 せっかく入れてもらったテレビだけど、母に適切なものを購入した方が良い、と私は思っている。でないと、補聴器をつけて、やっと人と会話が出来るようになっているのに、 音声の悪いテレビを見ているだけなら、補聴器の無い状態と同じになる。
耳の悪い人は、ぼけやすい、と言われるのは、社会からの情報に反応する力が弱くなるから。自分の世界に閉じこもることが良くないのだ。  

Posted by アッチャン at 10:35Comments(0)日々の事

2010年07月03日

新しい施設

 簡易ベッドの上に座って。

 忙しい日が続いて、ブログを更新がストップしていました。
 母が、新しい施設に転居しました。家族皆で、手分けして、母を動揺させないように、配慮して、移ってもらい、施設の要望で、私も最初の夜は、宿泊することに。
 今まで部屋に置いていたものが、全く新しい場所に移動しているので、母は腑に落ちないようで、
「誰がここに運んだのかしら。」と不思議がっていました。お食事に食堂に行くと、周りの人ががやがやしゃべっているのが、気になって、食事の味がわからないようで、
「まずいわね」と言いながら、嫌そうな顔をして食べています。
最近、また補聴器をつけ出したので、会話が出来るようになっているのですが、雑音も入るので、周りの音や、椅子を引く音などが、喧しく聞こえ、周りのテーブルの人達の表情が気になって、食事の味が、まずく感じられるのです。


 食後には、必ず、コーヒーか、紅茶、またはカルピスなど好きなものを出してくれます。 お部屋は快適で、以前よりも大分広くて、トイレと洗面所が、別室にあり、テレビと応接3点セットをおいて、簡易ベッドもおけるくらい十分な広さがあります。
 職員の方々は、皆、とても感じが良く、親切で穏やかに、優しく母に接してお世話していただける。
 グループホームで、お掃除をしたり、キッチンで洗い物などをしていた母なので、お手伝いをさせてほしいとお願いすると、翌日の朝から、庭のあじさいを切って、テーブルセッティングのお手伝いをさせてくださって、母はエプロンをかけて、一緒に働いていました。
 自由気ままに、部屋で食事を取る人もいれば、散歩に出て行く人や、外出する人、全く自由なのですが、一日中、スタッフの側で、座っている人もいたり、スタッフがついてお世話をしている人も。
 一日経つと、母は自分の部屋への道を覚え、テレビのかけ方もわかるようになり、部屋に慣れてきました。

イベント食のウナギ寿司
 母専用のスタッフは、若い男の子で、以前は認知症専門の施設で働いていた人をつけてくださって、朝の体操、お食事、イベントへの参加に、見回りやお話相手、母を一人っきりにさせないで、部屋で休息も考えながら、これから、母のメインとしてお世話をしていただけるようです。


 母が切った紫陽花



 私が帰ることには「つまらないわね。行かなくてここにいたら。」と言っていた母が、翌日、ミュージックセラピーが終わる頃を見計らって、行くと 一階のダイニングルームで、皆様と、楽器を持って、楽しそうに歌っていました。
 施設長さんと、係のFさんと、部屋で打ち合わせをしていると、母が部屋に入って来て、「あら、来てたの?」明るい生き生きとした表情をして、見違えるよう。
「ここは気楽で良いわ。清潔で、新しくて気持ちが良いわ。」とすっかり、落ち着いた様子。

「あなも来たら。泊まれるのよ。ここに住んでも良いのよ。」

 朝から、お手伝いもしていたらしく、お隣の部屋の方と一緒のテーブルでお食事を初めて、お話も出来、和み始めているよう。お隣のお部屋の方と、雰囲気も似ていて、お友達に、丁度良いのでは、と施設長さんが、テーブルセッティングをしてくださっている。
 夕食を誘われたが、母がその方と慣れるまで、私は遠慮しておこうと思う。

 入居者は、夙川の近辺に住んでいた人達が多く、以前の施設とは雰囲気も、入居者もまったく違うようだけど、母は「皆さん、親切で、根性悪は一人もいないわ。上品なひとばかり」と。

 

母は、人に気を遣って、優しい人なので、どこに行っても、誰からも好かれる性格なので、人との関係は心配していないけれど、それだけに、母が、自分の家として、リラックス出来るまでに時間がかかるのでは?と心配したけれど、スタッフの方々も、環境も良いので、早く馴染みそうな気もしている。  

Posted by アッチャン at 09:15Comments(0)日々の事