2010年08月06日

ヒロシマの式典での、菅総理には、がっかりした

 


8月6日、今日は、ヒロシマに原爆が投下された日です。
猛暑の中、式典の模様がテレビに映し出されていました。
秋葉市長のメッセージは、心に響くもので、感慨深いものでした。それに続く、小学生6年生の代表二人の、メッセージは、声も、語り方も、素晴らしく、ヒロシマはおろか、世界中に、平和の鐘となって、響き渡るようでした。
全ての人の心に浸透し、涙を誘ったことでしょう。
 
その後の、総理大臣の、なんと元気のない、説得力に欠けたメッセージであったことでしょう。
 国家の予算委員会で、低姿勢で、なんとかやり過ごせたという安堵からか、その低姿勢の調子がいまだに尾を引いているからなのか、すっかり疲れ切っているからなのか、

 それはわかりませんが、テキストを時折読みまちがえて、言葉が詰まる部分もいくつか。これが被爆国日本の、世界に、非核三原則の重要性を訴え、平和の特使としての役割を担える、総理大臣なのか。
 昨日での、エーズをあえて公表して、戦った川田議員が、
「総理大臣になった菅さんと、以前の菅さんとどこが違うのか?」と尋ね、
「期待していたのに、がっかりしている。」
と発言したが、がっかりした人達は、今日の式典で、益々多かったのではないだろうか。総理大臣は、挨拶の中で、「被爆者の皆さんに、出て行ってもらって、核の悲惨な体験を語ってもらえる機会をこれから作っていきたい。」と言っているが、
 これまで、訴え続けて来た方達は、高齢で、死の床に伏せておられる人も多い。
率先して、出て行かないといけないのは、総理大臣である、菅さんです。

 海外から、来てもらって、見てもらう、見舞ってもらうようにするのが、先決問題です。 世界中で、最も苦しんで、耐えて来た人達が、これまでどれだけ平和の大切さを訴え続けて来たことでしょう。
これからは、政府の仕事です。民主党の代表選があるから、めじれ国会だから、総理大臣になれば、立場が変わるから、と言い分けは聞きたくない。
市民運動から出たことだけを強調して、国民の側に立って、政治を行うと 言っているのに、力のなさ、熱情のかけらもみえない他人事の挨拶、本当にがっかりです。  

Posted by アッチャン at 12:11Comments(0)日々の事